愚痴日記

2005年01月31日(月) 若者のこころも親知らず・・・か?

 
 映画 『ラストサムライ』で 明治天皇の役をした
若い歌舞伎俳優の不祥事がテレビを賑わしている
ふつう あれくらいの酔っ払いの事件は警察にとって日常茶飯事だと私は思う
若い彼は確かにお酒に飲まれただろうが
一番 世間を騒がせているのはマスコミではないのか
大事の襲名披露を控えた親がお詫びの記者会見をしている
甘やかして育てたつもりはなかったと、言うその言葉に
いつになっても親は子供のことが気がかりなのだ
あんなに(息子が)バカだったとは思いませんでした、とも言っている
レポーターの 「会ったら何と言いますか?」 と言う質問に
「今は会いたくありませんが、会ってやらないといけないんでしょうね」と答える
苦渋の顔に 疲れも申し訳なさも見えるが
一般人ならここまで 世間に詫びる必要などないのだ
子供の不始末を詫びる親の姿を私はわが身に置き換えてしまう
それでも 自分の子供が一番可愛いのだ
21歳の若い俳優を擁護するつもりは全くないが
何かことがあれば 親を引っ張り出すマスコミに嫌悪する
去年 イラクで人質になった人の親御さんや
それを見ておそらく学習していたであろう香田証生さんのご両親の姿を思い出す
今回の事件と比べるべきもないが 
いつの世も 『親の心 子知らず』なのか








2005年01月30日(日)

ここ何日か 眠ったのか眠れなかったのか はっきりしない
寝る前に全部 電気を消して真っ暗にしても
自然に暗闇に目が慣れて 薄暗い部屋が浮かび上がる
何回も寝返りをしながら
じっと 天井をにらんでいる
コチコチという単調な時計の音もうるさい気がするし 
物干しに野良猫が来ている気配もわかる
あれほど よく夢をみるのに 見ていないと思うのも
眠れなかったことの証拠のような気がする
いっそのこと 起きだして本でも読もうかと思うのだが
昨年末にそれをして 寒かったのか足が冷えて辛かったので躊躇する
眠りが浅いのも老化の証拠らしいよ・・

高島易というのでも
姓名判断でも
12星座でも
そして体つきや普段の生活態度の
どれをとってみても 私にか弱いイメージはない・・
だけど・・
何気に 沈みがちな日々・・
ダンナの
「あんたは 見かけよりも案外あかんたれやからなぁ」 という 言葉に救われている

天気予報のとおり
今朝はきのうの暖かな一日とはうってかわったような寒さの予感
それでも毎年 忘れずに咲いてくれる沈丁花のつぼみもずいぶんとふくらんできた
(この花と雪柳は何故か私の慰めになる)

今年こそ どこか 梅見に行きたいなぁ・・




2005年01月28日(金) 一日が早い

最近 買い物に行かない日をつくるようにしている
パートの日や お医者さんに行った日は必ず買い物するが
何の予定も無い日は何とか冷蔵庫の中にあるもので夕食を済ます
子供たちが家にいたころは
それぞれのお腹を満たすためにそれこそ毎日、毎日両手に買い出ししていた
(娘の過食傾向は私にも責任があるかも・・いつも冷蔵庫を満タンにしていたから・・)
ダンナのお弁当つくりもあったし
私の頭では数日分の献立を考えるなんてことはとても出来なかった
この頃ではダンナがお昼に好きなラーメンを食べたいというので
お弁当から解放される日がでてきた
そうなると あえて買い物に行かないことで倹約にも繋がる
(寒いので冬眠の心境か・・)

それでも今年は読書のペースががた落ち
今年になってまだ2冊しか読めていない

ゆっくりペースで家の不用品の整理にかかる
(私の予定では10年くらいかけて 家の整理にかかりたい)
まずはたくさんな毛糸の始末
(そのまえに秋になったら毛糸を買いたくなる気持ちを抑えなきゃ)
編みかけのセーターだけでも恥ずかしながら6点
袖付けの時点で辞めているのや
首ぐりから輪に編むセーターも脇の時点でほったらかしているやら
いいかげんな性格にいまさらながらあきれてしまう
2点は完成させて
あとはもったいないけれどほどく
玉にしておいて 円座に編み変える
ほどいた糸を主にして今までの残り糸とあわせて円座に編み変える
モチーフ編みにしてベストに作り変える
最近は簡単にお洗濯できるユニクロのものをよく着るので
セーター類は出番が少なくなってきている
これも時代の流れか・・

3月から 駅前に待ちかねた待望のスポーツジムがオープンするので
今のうちに少しでも片付けておかないと 忙しくなりそう・・






2005年01月25日(火)


時々 思う

流されているようだけれど
毎日をそれなりに 一生懸命に生きている(つもり)
心の中にはいつも子供(とくに娘の存在)がいて
最近 何とはなしに生活に疲れているらしいダンナのこともチラリと思い
パートでの仕事のことや毎日のこまごましたことや
そして 大きな関心ごとであるダンナと私の老後のこととか・・
気になることは山ほどあるのですが
いくら 私が答えの出せないことをうだうだ思っていても
例えば大きな地震がきて 一瞬のうちに今の生活が壊れてしまうのではないか・・
そんな思いが頭から離れない
成るようにしか成らないという思いもあるのですが
あまりのマイナス思考にひとりで疲れている



世の中の決まり事や国会でのことも
みんな みんな茶番のような・・・

神のみぞ知る真実はすでに用意されていたりして・・・



2005年01月23日(日) 下水道


都会じゃないので 完全下水道ではない
我が家は浄化槽です
が やっと市から下水を通す話がきた
県道のある通りは何年も前に下水が通っていたが
うちの家は少し奥に入り込んでいるので 後回しになっていたようだ
それがようやくというか やっとというか工事の見通しがついたようで
水道局が各家庭に説明に回っているようだ
私はパートに出ていたのでダンナが説明を受けていた
もちろん各家庭に費用の負担はあるようだが
私は下水道が通るのを楽しみにしていた
3ヶ月毎の浄化槽の管理もなくなるし
何より年1回とはいうものの汲み取りをしなくてすむもんネ
もちろんそれらのことを私がするわけではないが
自分の出した排泄物の始末を目に見える形で他人にしてもらうことが
何とはなしに気になっていたのだ
業者の人はそんなことなど露も気にしないかのように
浄化槽を覗きながら鼻歌をうたっている人もいた
でも 私は恥ずかしかったのだ・・
それが 普段は人の目には映らないような処理方法になるのだから
うれしいなぁ・・

子供時代はあたり前だった『ぽっとん便所』では もう絶対ダメだろうなぁ・・
尾篭な話でお食事中の人にはたいへん失礼いたしました




2005年01月22日(土) ほんとうに求めているもの


空回りというよりもちぐはぐな感じ

お客さんの欲しい商品がない
主に介護用というか
ゴムが替えられる下着とか
綿100%だけれど軽くて薄くて縮まなくておしゃれな感じのシャツとかショーツとか
男性用でもU首じゃなく丸首の長袖シャツとか
セール品じゃなくて○ンゼの国産縫製の商品とか
幼稚園児くらいの希望色のニーソックスとか
冬だけれど旅行に行くのでクレープの肌着とか・・・etc・・・

お客様承り票を記入しても
いつ見てくれているのか
店長でストップしているのか
直接 商品部に伝わるシステムになっていない
たまに巡回に来た商品部に直訴してもその担当者の思惑と違ったら却下

作業は入荷したら返品、売れなかったら値下げか閉店する店舗への振り替えの繰り返し
自社ブランドは食料品はまあまあ好調のようだが
衣料、その他家事用品、日用品は概ね失敗か
半額でも売れ残る商品があって、値下げ札の付け替え作業に忙しい

事業部長は価格を下げることだけが売り上げを伸ばす策だと考えている節があるが
私はそれは消費者をバカにしていると思う
安物買いの銭失いになるだけだ
値段が安くて消費が伸びるのなら
今の日本でのブランド志向はどう説明するのか
駅前のデパートに行ったら
お肉でも魚でも産地や表示をよく見て念入りに買い物する人をよく見かける
一般論として安かろう、悪かろうという意識は強いように思う
そりゃぁ、安くていいものを誰でも求めている
でもそんなうまい話はそうそうない
やはり たいていは価格と中身はつろくする(釣り合う)ものだと私は思う
経済の仕組みを恥ずかしながらよくは理解できないが
価格を下げることばっかりでは売り上げ低迷の解決にならないように思う
もっと違うもの・・よく分からないが・・を消費者は求めているような・・




2005年01月20日(木) 今日は大寒

最近 人は寒さのほうが弱いんじゃないだろうか・・と感じている
年のせい・・だということは百も承知だが
身体が縮こまるように心も縮こまっている
心なんて萎縮してるかと思うくらいだ
私はふつうの人よりも老化が早いと感じているけれど
ダンナも何だかんだと強がりを言ってるわりにはじわじわと老いが忍び寄っているようだ
(口には出さないが私は何気にそう感じる)
そのダンナの口癖が人生50年・・ということ
そのとき私は
それはひと昔前の話で今は寿命が延びているから7掛けか8掛けだよ、と返事している
50歳だと35歳か40歳の感じかなぁ・・と思っている
50歳代のことを男盛りだとか働き盛りだという人もいるが
本人に頑張る気持ちが薄らいできたらあまり意味が無いかも・・
今は男性にも更年期のような症状が出ることがあるらしいけれど
私のは本物の更年期だろうが
ダンナの場合は寒さに参っているような気がしないでもない
それと なまじ社会保険庁に行って年金の概算を聞いて予想していたよりも少なかったことに
がっかりしているような・・
ダンナの年なら一番初めに就職したところでずっと我慢していれば
そこそこの年金になったと思われる
何かにつけ 理性ではなくて
感情で生きてきたことに多少は後悔の念を感じているような・・
私らの年になれば はっきり言って人生の先が見えてきて
つつましい人生だった、と自己満足の世界だ
心豊かに生きるというか気持ちの持ちようだろうが
何気に寂しくてならない・・




2005年01月19日(水) 年金のこと

55歳になったら 年金の概算が出るようで
ダンナは 仕事の手隙を利用して社会保険庁に出かけてきた
ひとつところにずっと勤めていたら パソコンでも見れるようだが
厚生年金、国民年金、厚生年金と渡り歩いて(?)きたダンナの場合は
やはり職員の方に計算してもらわないと分からないようだった
ダンナの場合は60歳から報酬年金というのが支給されて
65歳から本来の年金の支給になるようだ
ガ〜〜ァン・・!
その支給額ではとてもじゃないが生活できない
学校を出てからすぐの厚生年金はいいようだが
最近の厚生年金は掛けていても たいした反映はないようだ
はっきり言ったら
大企業と中小企業ましてダンナのような個人企業では
いくら厚生年金といっても弱いようだ
最近の年金に関することは国民の関心ごとだけれど
老いて生活できないなら お小遣い程度の年金しかもらえないのなら
みんなもっと もっと本当に老後のことを真剣に考えないとヤバイよ
会社自体が 正社員を減らして
派遣やパートやアルバイトに移行しつつある現状を見たら
ほんとうに 今の30代・20代はもちろんのこと
日本人の老後は真っ暗闇だ


まだ書きたいことがあるけれど
今日は朝一番のシフトだった
お弁当を入れて
しがないパートに行かなくっちゃ・・



2005年01月17日(月) あれから10年・・

 今朝は 冷たい雨が降っているが
10年前のあの日のことはよく覚えている
体調の悪かった娘が 何度か吐いていて私はダンナのお弁当を作りながら
娘の背中をさすっていた
あんな大きな地震とは露も思わずパートに出たら
電気売場の照明器具がいくつか落下していた
社員食堂にあるテレビが12時から休憩に行った者と
1時から行った者との情報の差を伝えていた
一言であれから10年とはいうけれど 
被害にあった人それぞれの口に出せない10年もあろう・・



 過ぎ去りし 月日数えて 雨の朝

 思い出を 紡いで生きる 生かされる

 雨降れど 人の思いに 区切りなし



2005年01月15日(土) 5年後はどうしてる・・

コンピューターの勘違いで年が明けたら 水道やガスが出ないかもしれない・・
といわれた5年前(2000年問題)
大晦日の病院は そういうことを気にもかけられないというか
死に直面していた患者が私の母も含めて4人もいた
病院の廊下はそれぞれの家族が一塊になっていた
そんな人達のひそひそ声に混じるように看護士のひたひたという小走りの足音だけが響く
日付が1999年から2000年に変わるころ一人が亡くなられた
コンピューターのことは何事も無かったようだが 元旦のお昼頃にまたひとり亡くなられた
その後 あとひとりの人も私の母も持ち直したようだったが
8日にそのひとりの人が そして15日の夜、私の母が78歳で亡くなった
父が亡くなって 4ヶ月半しかたっていない
熟年離婚した両親だが 
まるで仲の良かった夫婦が先を越された連れ合いの後を追ったようだ
互いの晩年のことは 両親の間を行ったり来たりしていた私の口からしか知らなかったのに・・
最晩年は離婚したことを後悔した父が母を呼び寄せた気がしないでもない・・
そうなるとあの世とこの世は繋がっているのか・・


小雨がぱらついてきたので
ダンナに車を出してもらって お墓参りに行く
お墓のお花がキレイなのは たぶん下の弟がお参りしてくれたのだろう

5年前の今日を思い起こすと やはり歳月の流れをつくづく思う






2005年01月13日(木) 個人情報保護法案


最近 テレビのニュースなどで個人情報が漏洩したことを伝えている
たいていは個人のうっかりなどで
お客様の情報がはいったパソコンなどを紛失したというものだ
今年の4月からそういう場合にも法的に罰せられるらしくて
会社でパート、アルバイト、派遣の人も含めて全社員に説明会があった
コンプライアンスプログラムとかいって
プライバシーマークを取得する予定もあるらしい
本社で作成したらしいビデオを見て
会社のいう約束事を皆で読み上げさせられた

 ”要以上の個人情報を聞かない
◆,客様から見えるところにおかない
 クリアーデスク・ポリシーを順守する
ぁ(欖匹垢訃貊蠅砲聾阿鬚ける
ァ“銃媛椎修幣態で捨てない
Α‘伴の判断で収集したり、データ化しない
А.丱奪献襦璽襪鮟膽蕕垢

その後 確かに説明を受けましたという確認のために
サインと押印させられた
それは 受講記録と共に誓約書になっていたようだ
これで 何かあれば個人に損害賠償の請求も出来るということなのか
社会的の目というか、社会的責任とともにお客様の目を意識しているのだろう
個人情報に関する社内規定を作成して全社員に順守させようというものだろう
事務所に新たにシュレッダーも設置された
会社としては ここまでしていますので 後は個人のしたことです、ということか



2005年01月10日(月) 服のサイズは120、靴は18センチ

姪が4月に小学校に入学する子供の服を買いに来た
制服のない小学校なので トレーナーやパンツ(昔はズボンと言ったものだが)を数点買っていた
入学式に着るスーツも他の店と見比べているようだ
姪は11歳で姉を、15歳で妹を亡くして、
結婚しても目に見えない因縁のようなものを感じて子供を作ることをためらっていた
やっと決心した時は 子供が出来にくい体になっていたようで
不妊治療をしてやっと授かった一人娘の入学式だ
まだ1月だよ、という言葉は当然のことながら口にはしない
机は買わないがランドセルはおじいちゃんが買ってくれるらしい
4月の入学式が親子ともども待ち遠しくてならないのだろう
おばちゃんが靴を買ってあげる、と約束した
(節分が過ぎたら早めに大安の日にダンナと一緒にお祝いに行こう)
それにつけても 
特に第1子の小学校入学は子供はもちろん親にとってもほんとうにうれしい晴れの日だ
うちの息子は小学校の入学式には肺炎で入院していて出席できなかった
入学式のその日
とてもいいお天気で病室から見える晴れ渡った青空をみて親の私のほうが涙した
息子は高熱で眠っていたから覚えていないらしいが
「入学式に入院させるとは何て親だ」という姑の言葉にも傷ついていた
その時 「入学できなくても卒業できたらそれでいいんよ」
と慰めてくれたのが きょう買い物に来た姪の母親だった
すべて過ぎ去ったことではあるけれど・・

私が 靴を買ってあげる、と言ったら
姪の背中に顔をかくすようにはにかんで見せる幼子がほんとうに可愛い
私らの子供時代と違っていろんな意味で難しい社会になったが
学校生活を思い切り楽しんでほしい、と心から願う






2005年01月07日(金)


3年半前に他店へ転勤していった Nちゃんが会いに来てくれた
2月20日付で退職することにしたと言う
残っている有休を消化するので 働くのは実質今月いっぱいとか
退職したら実家のある福岡へ帰るのでその前に 報告と挨拶に来たと言う
いつも行く喫茶店へお茶しよう、と誘ったら
そこのママに私の娘かと言われた
何か雰囲気が似てるとも
娘ではないけれど娘みたいなものよ・・なんて笑っていたが
実の娘とあまり人には話せない辛いものがあるので
娘さん・・?と聞かれたときは 何気にうれしかった
反面、寂しい気持ちも正直あるけれど・・

たぶん たいていの親がそうだけれど
自分の子供ほど可愛いものはない
自分の子供が可愛いから
それに繋がる友達とか 社会に対してセーブできる面もあるのだと私は思う
子供を育てるということは
自分も親として成長することだ
そういう意味でも私はまだ親になれていないような気がしている
そんな 未熟な親である私を Nちゃんは 『奈良のお母さん』と言ってくれる
福岡に帰る前にもう一度来ますネ
と言って 帰っていったが 寿退社でないのがちょっと残念かな・・






2005年01月05日(水) 気をつけて歩こう

普通 歩いてて躓いたわけでもないのにこけますか?
私はこけました!
何故か 足がもつれてこけました・・
少し前なら 人前で無様にこけたら 恥ずかしいやらみっともないやらで
少々の痛みは我慢してさっさとその場から離れたでしょうが
もう 恥じらいは忘れたのでしょうか・・いいえ・・痛かったんです
すぐには起き上がれませんでした
膝を手術した左足の靴が吹っ飛んでました
側を歩いていた若いお兄ちゃんが
「大丈夫ですか?」 と 起こしてくれました
何とか 歩けそうでそのお兄ちゃんが靴を拾ってくれたので
そろりと歩き始めて ダンナが待つ車に戻った
私がこけた事など露も知らないダンナは あきれ果てております
車に入って 足を見てみたら
靴が脱げたせいなのか
足先を擦ったようで ベロンと皮膚が破れています
それも2箇所も・・!
痛みも酷いし 靴下も血で染まっています
膝を必死で支えたのか、手のひらには擦り傷と大きな血豆ができています
あ〜ぁ、情けない!
確かに私の足は衰えています
それも実年齢以上のものがあるようです
何で正月、早々からこけるかなぁ〜

私はこれから死ぬまで今日のように何回こけるのかなぁ・・と大いに不安になっています
今回は足先を削ったような傷で済みましたが
満が悪ければ骨折する場合もあるでしょうから・・ねぇ・・
首から肩にかけて 何かが張り付いたような凝りもあるし
人が死ぬ夢を2日も続けて見るし
一体、どんな一年になることやら・・






2005年01月02日(日) 今年もよろしくお願いします

 初詣にも行かず きのうも今日も家から1歩も外にでていない


角田 房子 著 の  『責任 ラバウルの将軍 今村 均 』 を読んだ

私には法律で罰せられない罪がある−戦犯として服役をすませた後も、ラバウルの軍司令官には狃戦瓩呂覆った。釈放後も、自宅先の三畳の小屋に自らを幽閉して戦没者を弔い、困窮している遺族や辛くも生還した部下たちへの行脚の旅を続けた。

今 日本の大人たちは不祥事があっても誰も責任をとらない
警察や社会保険庁やNHKやその他 枚挙のいとまがない
何かあって当座は騒いでも 昔なら『人の噂も75日』とか言ったが 
今はもっと短いサイクルで忘れさられる
今村 均も ラバウルの戦犯収容所で自決を図ったが 失敗している
昭和20年8月15日朝、一切を語らず劇的な自決を遂げた陸相、阿南惟幾もいる
何も自決をすることが正しい責任の取り方ではないが
今の日本人は 今村 均 や 阿南 惟幾 くらいの 自覚は持ち合わせていないのか
直接の担当者が板ばさみになって自殺するケースはあるようだが・・
「・・・・・堪え難きを堪え、忍び難きを忍び以って万世の為に太平を開かむと欲す・・・・・」 
という言葉でもって終わったあの戦争で 天皇の責任はどうだったのだろうか・・
今日の一般参賀のニュースを見ながら ふと感じたことだった





恐らくは 一人の正月(はる)を いかにして

世のことは 今さらながら 順送り


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