愚痴日記

2004年09月30日(木) 世論調査

朝日新聞の全国緊急世論調査によると
新しい内閣で一番力を入れてほしいことは
「年金・福祉問題」 と 「景気・雇用」 で8割を占め
「郵政改革」を挙げた人は2%に過ぎず
首相と有権者の意識のギャップが浮き彫りになった、とある
でも 内閣の支持率は45%で8月末の前回調査の39%から上昇して
不支持率35%で、5月の調査以来、4ヶ月ぶりに支持が不支持率を上回った、ともある
なんで・・?
このへんが私にはよく分からない
小泉さんの改革にOKをだしていないのになんで支持率が不支持率を上回るのか?
派閥にとらわれないからいいのか
でも 中山参与のダンナさんや
民主党の岡田代表の義兄を登用するあたりなんか何だかなぁ・・と私は思う

それにしても何故、今 郵政民営化なのか
私が仲良くしてもらってる筋向いのおうちは郵便局にお勤めされている
近所の郵便局に楽なお勤めだったようだが
最近になって 部署変えだとか転勤だとかが目立ってきたらしい
今までが気楽過ぎたのよ、と 奥さんは言われるが
ダンナさんは戦々恐々のようだ
私は郵政を民営化するということは
とてつもないドロドロを掃除することだと思う
それをあえて行おうという小泉さんのねらいは何処にあるのか
私らの知り得ないことがありすぎるような・・
でも そういう姿勢が支持率の45%なのか
でも順番が違う・・と 言いたい
拉致問題はどうするの・・
曾我さん一家の帰国で終わりにするつもりなのか・・
横田めぐみちゃんや有本恵子さんはどうなる
一日でも早く 御両親に会わせてあげてほしい!!!



2004年09月29日(水)

イチローの活躍がめざましい
確かに すごい事だとは思う
何たって大リーグの記録に残るんだもの
でも 私は 松井の3割、30本、100打点のほうが興味がある
これだけ日本の選手が活躍してくれたら
それに繋がる日本人の消費もさぞかしすごいだろうなぁ・・

何年か前 イチローが日本でも活躍していたころ
パート仲間が「あんな息子がほしいわぁ」 と言ったことがある
そこにいた人がみんな それに同調した が
私は負け惜しみでも何でもなく 自分の息子で充分だと思った
あまり連絡もしてこないし
稼ぎも少ない普通の男ですが
どんな立派な息子にも負けないかけがえのない唯一のものです
ハイ、思いっ切り親バカでした・・

それと同じ気持ちで
背中を向けたままの娘ですが
いとおしくて気になってしかたがない

夢が気になるけれども・・





2004年09月27日(月) 人生訓ではないけれど・・

    ぼけたらあかん 長生きしなはれ


年を取ったら出しゃばらず
憎まれ口に 泣きごとに
人のかげ口 愚痴いわず
他人のことは褒めなはれ
聞かれりゃ教えてあげてでも
知ってることでも 知らんふり
いつでもアホでいるこっちゃ

勝ったらあかん 負けなはれ
いずれお世話になる身なら
若いもんには 花持たせ
一歩さがって ゆずるのが
円満にいくコツですわ
いつも感謝を忘れずに
どんな時でも へぇおおきに

お金の欲を捨てなはれ
なんぼゼニカネあってでも
死んだら持っていけません
あの人はええ人やった
そないに人から言われるよう
生きてるうちに バラまいて
山ほど徳を積みなはれ

というのは それは表向き
ほんまはゼニを離さずに
死ぬまで しっかり持ってなはれ
人にケチやといわれても
お金があるから 大事にし
みんな ベンチャラいうてくれる
内証やけれど ほんまだっせ

昔のことは みな忘れ
自慢ばなしは しなはんな
わしらの時代はもう過ぎた
なんぼ頑張り 力んでも
体がいうこと ききまへん
あんたはえらい わしゃあかん
そんな気持ちでおりなはれ

わが子に孫に 世間さま
どなたからでも 慕われる
ええ年寄りになりなはれ
ボケたらあかん そのために
頭の洗濯 生きがいに
何か一つの 趣味持って
せいぜい 長生きしなはれや

         四国八十八か所 巡礼のしおり



2004年09月26日(日) 彼岸に思う

今日は彼岸の明けで 結願の日
母のお墓参りに出かける
彼岸の入りの20日には父の骨を納めたお寺に行ってきた
私の両親はいわゆる熟年離婚で そのため別々のお寺で眠っている
ダンナに
お前のとこは彼岸に2回もお参りせなあかんなぁ・・と多少あきれたように言われる
いつもいつも彼岸に2箇所のお寺参りに出かける
でも私が自分の足で歩ける間はいいが 
歩けなくなったら母のお墓には二人の弟が行ってくれるだろうが
父の骨を納めたお寺には誰も行かないだろうなぁ・・きっと・・
離婚という状況にふたりの弟たちはやはり父を疎ましがった
実は 二人の弟たちも私もそれぞれが両親を離婚させた・・と思っている
いろんな細かい事情はここでは書かないが
父の利己的な横暴さと母の繰り返される愚痴に弟たちも私もほとほと参っていた
上の弟と私がそれぞれ市役所で離婚届をもらってきて
同じことを考えていたのだ、と両親との間に入って 
子供である弟と私とが 両親の離婚届の保証人欄に印鑑を押した
イヤな思い出だ
そのとき 父の老後は私が
母の老後は上の弟が見る、と決めたのに 
その後 弟の妻と母の間が険悪になり 結局は両親ともに私が死に水をとった
弟は何もしてくれなかった
父と母の入院が重なっていた時 別々の病院通いのしんどかったこと・・
そのとき 私がどんなにダンナの前では辛かったかを弟に話したことはないが 
私は自分の親を看取った、という満足感はある
弟の嫁に 親がお世話になりました、というお礼をいう必要もなかったし・・

そんなことを つらつら思い出しながら
彼岸花の咲いている道をのたりのたりと歩いて帰ってきた

彼岸が明けたら 本格的な秋
8月に出かけた穂高と乗鞍ではススキが出ていたが
下界はいつまで暑い日々が続くのだろう・・





2004年09月24日(金) イヤな出来事

スーパーにとって万引きは珍しいことではないけれど
先日も書籍売場でアニメ本が約100冊ほど無くなった
棚3段ほどがそっくり 空っぽになっていた
情けないことに 防犯カメラはダミーであります
事件が起こってから 警備に入っても何をか言わんや・・です

その矢先 若い男の子というか中高生が着るような洋服売場が荒らされた
売場のある一面にカフェオレらしき飲み物が撒き散らされた
ハンガー吊りしてあったジャケットが80着くらいと
棚置きしてあったトレーナーとTシャツの約100数枚が商品としての価値を失った
正にカフェオレを引っ掛けたような大きなシミとか
霧吹きで吹いたような細かいシミが点々と付いている
そして甘いにおいも・・
あれだけのシミをつけるのに いったいどれくらいの量のカフェオレを撒き散らしたのか・・
売場が手薄になる夜8時過ぎのことらしくて
そしてその売場の担当者がお休みの日でした
警察に被害届けを出して 商品には保険がかけられているようなので
万引きと違って証拠があるため保険金は下りるようです
書籍売場でも その紳士服売場でも
直前に高校生くらいの数人のグループがいたことは確認されているようですが
とても後味の悪い出来事です
単なる悪ふざけかもしれませんが どちらも犯罪です
日本はある意味平和で 物が有り余っている反面
自分でお金を稼いで
本当に欲しいものを手にする喜びが感じられなくなっているのでしょうか・・




2004年09月23日(木) 物忘れ

 年相応の物忘れとはどのくらいの程度なのだろう・・

ダンナがある物(・・内緒です・・)が無くなったといって 私に知らないか、と聞く
それはダンナにとっては大事なものだということはわかっているから
私はめったに触らない
知らんよ! といったものの 何かひっかかるものがある・・
先月 テレビをアナログからデジタルに変えるために
ケーブルテレビの会社の人が工事に来るからとテレビの下を片付けたのだ
でもテレビの下には 道路地図とかダンナの必要なものがあるから
私は手を出さなかったはず・・
でも ダンナの片付けが大雑把だったから 私が何処かへ入れ込んだような気もする
かといって何も覚えていない・・
反対側の壁際に私が読むつもり・・と積み重ねている雑誌と本がある
その中にないんか・・とダンナが聞くけれど
その中は私のもんばっかりや、と言う私に遠慮して見もしない
が 、私はふと気になって一冊づつ調べてみた
あった・・!
誰がこんなとこに置いたん・・私しかいてへんやろ・・
でも でもそこに置いた記憶が全然ない・・
以前も 警察に遺失物届けを出した健康保険証やダンナのメガネや
みんな私の物忘れというか失念したこと
そういうことがあったから
私もあまりキツイことは言えずにいたし
ダンナもたぶん私の物忘れだと認識していたのか 責める口調もゆるいものだった
でも 私はそこに置いた記憶が全然ないので不思議な気分でいる
でもその雑誌やら本やらを積み重ねているのは私のしたこと
読み物にはとんと興味のないダンナは触りもしないし
あ〜ぁ 今度も私の物忘れか
こうして人は、私は呆けていくのかなぁ・・




2004年09月21日(火)

 今日は 朝一から催事場で敬老の日の売れ残り分の撤去
各売場の担当者が自分の部門の商品をバックルームに引いていく
私は今日からインナー売場でパジャマの担当になった
(前は寝具担当で今度はパジャマの担当・・?・・寝ることばっかりだね・・)
箱に入ったパジャマと赤い下着のセット物を引いていく
ことしは申年で赤い下着を身につけると
病が去る・・とか
下の世話にならない・・とか言われがあるようで
かなりの量の赤い下着のセット物が陳列された
申年の申の月の申の日から身に着けるといいらしくて
けっこうお客様の反応もいい
でも自分で買ったらダメらしくて 人からプレゼントされて効き目があるらしい
私は今年の終わりくらいになって 値下がり指示がきたら買ってみようかなぁ・・
効き目がない、といっても誰にも買って!とは言えないから自分で買うよ!

撤去の作業をしていたら
店長が店内巡回にやってきたのか
今日からですね・・と言って通りすぎた
話し合おう・・と言っていたことはすっかりお忘れのようだ
それともわざと忘れたふりをしてるのかねぇ・・

インナー初日は静かに過ぎたけれど やはり初めての売場は疲れた!!






2004年09月19日(日)

明日は敬老の日
そして彼岸の入り
祝日を月曜に持ってくるように考えた人たちは ゴミのことなんか思わなかったんだろうな
月曜日がゴミの日にあたっているところは
他の日がゴミの日のところと比べたら住民サービスに差があると思う
まぁ 細かいことかもしらんけどネ・・

高齢化がだんだんとせまってきて
かなり前に人生の折り返し点を過ぎた身としてみれば
あと何年 元気で暮らせるだろうか・・と思う
平均寿命より元気で暮らせる健康年齢のほうが気になる
自分のことは自分でする
が・・何故にこうも子供が気になるのか
亡くなった母を思い起こしてみても
私が子供のころにはとても気丈な人だったのに
晩年は何かと子どもを頼りにした
私も今よりは若かったから うるさいなぁ・・としか思えなかったけれど
今となってみればその心情がとてもよく理解できる
老化現象もいろいろあるけれど
老い先を考えての寂しさとか死に対する恐怖とかも大きな要因だろう
満90歳になる義母は「死んでたまるか・・」 という
でも すぐに 「早く 死にたい」 ともいう
どちらも 本音だろうが 
ここまでくれば いかに生きる、かではなくて
いかに死ぬか、だろうなぁと思う



2004年09月18日(土)

きのうの話の蒸し返しになるが
21日から 売場に戻されてインナー売場に行くけれど
本心は少々、苛立ちが入っている
会社がいう新しい働き方には皆んなが反対だった
たいていのパートが反対したが
会社は 「これは説明会であって 相談会ではありません もう決まったことです」 と言った
どのパートも危惧したとおり 売場が手薄になった
そのことに気づいたからなのか
万引きの多さに対策のつもりもあるのか 
お客様案内係りと商品店出しのチームが解体されたのだ
だが そのことについての説明がなかった
パートは機械の歯車か何かそういう考えでいるから
別に説明なんていらないと思っているのか・・問いただしたい思いでいる
この働き方はパートの間に溝というかぎくしゃくしたものを残した
売場担当からみたら
お客様案内はただ店内をうろうろしているだけに見えたし
店出しチームは売場担当の部下のような錯覚を生んだ
店出しチームがいるのだから売場担当は接客だけをしてたらいい
そんな考えも生まれてきて お客様がいないときは雑談をしていた
でも自分で店出ししていないから新規の入荷商品のチェックがおろそかになった
私も含めて他のパートのことを悪く言うつもりはないが
ほんとうにただの歯車になってしまったように私には思えた
食堂で数人のパートと 
はずみから店長とちょっとばかりそんな話になってしまって
店長は改めて話し合おう、と言ったけれど
それから店長はすれ違うたびに目をそらしている・・

秋の人事異動の季節だし 忙しさにかまけて話し合いを忘れているのだろう
それでもいい
私は 確かに心機一転の気持ちになりつつあるのだから・・



2004年09月17日(金) トラバーユかな・・?


会社が打ち出した 『新しい働き方』 は失敗したことになる

正直に 売り上げが欲しいんや! と言えばこちらも理解するのに
『お客様 第一』 だなんて いうごまかしの言葉が始まりだった
 。毅化機覆弔泙螳貲間)を考えた売場つくりと発注
◆,客様案内
 商品の店出し
ぁ.譽言貲

私は自分の足のことを考えて 事務所の商品管理に変えてほしかった
だのに 
「いくら 商品が入荷しても店出ししないことにはお客様に買っていただけないから ベテランの貴方にリーダーシップをとってもらって ぜひこの改革を成功させたいので店出しチームに行ってください」 そういう話だった
だが そういう会社の改革に反発して何人ものパートが辞めていった
いくら新しい人を入れても いかんせん売場に人がいない
新店舗なら 最初からそういうシステムで出発しているだろうが
この店は年配のお客様が多いせいか店員にいろいろ尋ねる方がけっこうおられる
そんなとき 私達が見回しても売場担当がいない
お客様担当 といってもつっこんだ商品のことは理解していない
レジなら確実に人がいるから、とお客様はレジにお尋ねにこられるが
レジ係りは商品の説明はできない
そんなこんなで 何処でも人がいないというお客様のご意見があったのか
お客様案内と店出しチームが解体して 売場担当に戻されることになった
私にも もとの寝具売場に戻れ、と言う
私は 自分の足のことを考えて 医者の診断書を提出した
それでも 事務所は人減らしをしつつあるから、ということで商品管理にはいかせてくれない
私は 商品管理に行きたかったからPCの勉強をしたのだ
だってマウスも動かせなかったもんね・・
(別に息子とメールのやり取りをしたかったからという理由もあるが、息子が広島に行ったころは今のようにまだ携帯でメールができなかったから)

それで私が選んだ部署はインナー(肌着)売場
そんなに大きくて重い商品のないところ
小さい台車で商品の運搬ができて
絶対にお客様のお買い上げ商品を駐車場まで運ばなくてもいい所・・
スーパーは本来、セルフだということを理解してお客様自身でレジに並んでいただけるところ・・
私はある意味、今度のことはトラバーユだと思っている

落ち込むことも多い日々だけれど 
また 心機一転でもう少し、頑張れるだろうか・・



2004年09月12日(日) センチメンタル・・・

きつそうにも
おもうてはみたが
やっぱりわたしはよわいんだから
虫のようにないてくらそう
おおきなせかいよ
かまわずめぐってゆけ
わたしはせつなくほそくうたうばかりだ
おそれのかたまり
なげきのかたまり
わたしはころげながらうたうばかりだ
わたしにできる成功もなければ
わたしのねがう成功もないんだ
よわいくせに
余りにも世とへだたったことのみをねがうはかなさ
きのうきょうのあらしのあとのように
きゅうにはつあきのむしがほそくなく
ハッとおどろけば
あまりにもわがみににたる名もしらぬむし

八木 重吉 詩集

















2004年09月09日(木) あの頃は・・


先日 唐突に 石川 啄木 の詩を思い出してから 昔読んでいた詩集を読みかえしている
今でこそ 図書館の本を借りて読んでいるが
私が高校生やお勤めをしていた頃は そんな住民サービスはなかった
自分の働いたお金で読みたい本を買う
そんなことがとてもうれしかった日々を思いだす
若い頃は詩が好きで よく詩集を読んだが
自分でも正に駄文というようなものを書いていたこともあった
確か ノートに書き溜めていたはずなのに そのノートがどうしても見つからない
子育ての合間に 若いころの自分の書いたものを読んで
何て甘ちゃんだったんだろう・・と 捨てたような気もするが・・う〜〜ん・・

その昔 読んだ詩集には買ったと思われる日付が入っている

S43.2.5 とある

私 17歳、36年前・・

そして かなりの個所に線が引いてある
その頃は ほんとうに ひとつひとつの言葉に酔っていたような気がする
まぁ 今でもその傾向はあるけれどね・・・・・


「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止せ 止せ 問答


こころよく
人を讃めてみたくなりにけり
利己の心に倦めるさびしさ


高きより飛びおりるごとき心もて
この一生を
終るすべなきか


死ぬことを
持薬をのむがごとくにも我はおもえり
心いためば


どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな


死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を避けて
怖き顔する


叱られて
わつと泣き出す子供心
その心にもなりてみたきかな

石川 啄木 「一握の砂」



2004年09月07日(火) 地震


朝 8時30分 頃・・また揺れた

先の2回の地震はダンナが家にいたから 正直なところそんなに恐怖感はなかった
(もっとも うちのダンナは地震や地震や、と叫ぶだけだったが・・)
でも いくらせまい家でも一人だととても怖い
まだ心臓がバクバクしてる・・
5日夜の地震のショックで51歳の女性が気を失った、と新聞に出ていた
51歳くらいで少し大袈裟かな・・と思っていたが分かるような気がする
やっぱり 昼間というか 家族が出払っている時間帯の地震は怖い
日頃は少々、うるさい! と思っているダンナに電話まではしないけれど
やっぱり 一人は心細い

うちも やはり非常持ち出し袋を作っておこうか・・

娘はひとりでどうしているだろう・・



2004年09月06日(月) 今日の風景

9月1日の防災の日に先駆けて防災コーナーというか防災グッズが並べてあった

でも見向きもされなかった品々が
きのうの地震で今日はお問い合わせもあったり 大人用の防災ずきんは売り切れるほど
子供用の防災ずきんはキャラクター物だけが売れ残っている
その他 家具と天井とを固定するつっぱり棒もよく売れている
7140円の19点セットの非常持ち出し袋は中味を見て
これなら普通のリュックに適当に詰めればいいわね、と参考にされるようだ
店長は 「ある意味、今の売れ筋だから防災グッズをもっと前面に出すように」と
指示していた
急遽 その防災グッズのコーナーに 乾電池や懐中電灯、簡易こんろやガスボンベなどが新たに山積みされた

約、10年前の阪神淡路大震災のときの光景が思いだされた
あの時は全壊した店の水浸しの商品が何故か振り替えられてきて
損害額を大雑把ではあったけれど計算していた
それにひきかえたら 今回はそういった被害は何もなくて何よりです

それにしてもきのうの地震は揺れが長かった
パートに出ても
あの時、どうしてた・・? と お互い聞き合う光景が見られた
実家や子供のところに連絡をしたり
反対に 親、兄弟から何事も無かったか、と聞いてきたり・・
もし昼間の出来事だったら 家族はそれぞれの場所にいてバラバラだ
そういえば 損害保険の会社から
普通の火災保険では地震による火災は保証されません、という案内がきていたなぁ






2004年09月05日(日)

われは知る、テロリストの
かなしき心をー
言葉とおこなひとを分かちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵になげつくる心をー
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。

はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を

               石川 啄木 「一握の砂」
                 
               1911.6.15 TOKYO



子供が犠牲になるテロには言葉もないが
テロリストたちの心は何故にこうも屈折するのか・・
暴力で思い通りになるはずもないことを
ほんとうはテロリストたちが一番、分かっているのでは・・
虐げられる者の悲しい目をテロリストたちも投げていたのだろうか・・



2004年09月01日(水)

いつも一緒に映画を見に行くパート仲間が9月20日でパートを辞めるという
辞めるときは1ヶ月前に言わなくてはならないので8月20日に売り場長に申し出た
この Fさんはインテリア担当ということもあって
カーテンやカーペットのアクリル製品を手にするようになってから
アトピーがひどくなったようだ
特に手がカサカサになって掻き毟るからかよく血がにじんでいた
もともと軽いアトピーはあったようだが
売り場長に辞めます!と 言ってから 不思議なことにアトピーが快復してきた
本人が言うにはかなり ストレスを感じていたようだ
もう ほとほと疲れた・・と言う
確かに売り場の人間が減らされる一方でかなりの負担もかかっていた
休みの日でも発注に来ていたし お昼の休憩も満足に取っていなかった
結局は休みでも換わって発注をしてくれる人間がいないのだ
社員は社員で私ら、パートにはよく分からない仕事に追われているようだし・・
(でもスーパーなんだから売り場がすべて!だと私は常々思っている)
Fさんに限らず そんなパートは何人かいるけれど
5月には直接の因果関係はないかもしれないが たぶん過労だと思われるが
パート仲間が一人、亡くなってもいる
たかがパートだけれど
さりとてそのたかがパートにかなりの責任がかかっているのも事実だ
それでそのFさんが言うには
こんどのことでつくづくダンナさんのことを見直したらしい
Fさんのダンナさんは 何年か前に出向を命じられて
そのままその出向した会社で引き取られたらしい
つまり親会社をリストラされたわけだ
それは収入の減額をも意味する
そして今は福岡へ単身赴任されている
Fさんは 自分がパートの身でさえ宮仕えの辛さ、しんどさを直に体験して
ダンナさんのサラリーマンとしての大変さを身をもって感じ
ダンナさんがいろいろな目にあっても仕事を辞めるとは言わなかったことで見直したらしい
自分はパートだから辞めます! と簡単(?)に口にしたけれど
ダンナさんがそれを口にしたら 生活が苦しくなる
家庭を持った男の人の大変さを思い知ったと言う
私もそれについては同じ思いでいる

でもFさんには辞めないでいてほしい・・と思う



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