愚痴日記

2003年12月29日(月) 挨拶

  年中無休のスーパーだから年末も年始もない
はっきり言って 年末はお正月用品を買ってください
年始は初売りですので 福袋や福財布を買ってください ということだ
従業員から見たら 12月31日の次の日は1月1日だというだけのこと
お疲れ様 また明日ネ となる
でも パートのおばちゃん達はたいていの人が主婦だから
大掃除やおせちの準備とかでみんないかにして年末年始の休みをとるか
掃除すんだ・・
おせち料理つくるの・・・
お正月 休めるの・・
今年はいつまで・・? と聞きあうのがいまは定番のようになっている
私は30日は出勤だけど31日は休みもらえた とか
31日まで来るかわりに3が日は休ましてもらうの  とか
だから すれ違いでもう今年は会えないと分かったら
どうぞ よいお年を、来年もよろしくネ 
と あちこちでパート同士 挨拶しあってる

そんな中で私は 明日の30日に出勤したら
なんと 1月6日までお休みがもらえた
まるまる1週間だ
そのうちの2日間は有給にしてもらえた
こんなラッキーなお休みは初めてかも・・
読書三昧の 寝正月になるだろうが 太らないように自重しなくては・・



2003年12月26日(金) 今日で仕事が終わる人もいるだろうな

ケーキもシャンパンもプレゼントもないクリスマスも終わって
あと何日とカウントダウンの毎日になる

スーパーは冬物の割引と春物の同居でにぎやかだ
もうすぐ福袋も追加される

いつも胸の中に巣食っている 寂しい病を抑えて抑えて毎日を過ごす
私はバカがつくくらいの単純な人間だ
どうしたん!  疲れとんのか・・  と
パート仲間に言われて自分の未熟さに辟易する
やけ食いをすることも 衝動買いをすることもないけれど
吐き出されたため息が全身にまとわりついている

仕事が忙しいのはある意味 救いになる



2003年12月24日(水) あ〜ぁ

電子メールの受信トレイに
件名が無記入で送信者がreiko...で始まるメールが着信していた
ん・・えっ、もしかして娘から・・
指先が震え、心臓の動悸がはげしく打つ・・
メールが開かれるほんの何秒かを待つのももどかしく あぁ血圧が上昇してる・・

アドレス変えました、よろしく!

そういや パート仲間のKさんは 玲子という名前だった
私はてっきり 宅急便が届いて 娘がやっとメールをくれる気になったんだと早合点した
申し訳ないがKさんに返信メールを出す元気はない
まだ心臓が口から飛び出しそうだが これが現実なのだ
がっくりだ・・!

宅急便のネットサービスをみてみたら
ご不在につき 持ち戻り とある
まだ受け取ってくれてないんだ・・
誰かとステキなイブを過ごしているのならいいんだけれど・・



2003年12月23日(火) ハリウッドの侍

パート仲間と 「ラストサムライ」 を見てきた
行く前は トムクルーズか渡辺謙かどちらが ラストサムライだろうネと言っていたが
やっぱり 渡辺謙だろうねぇ

「国にも人のように 運命というのがあるのだろう」 という台詞があって
この映画は 明治維新のころのものだが
何気に今の日本というか アメリカとイラクのことが重なって見えた

国のことでも 自分のことでも 何と言われようと筋を通さなくてはならないときがあるのだ
ハリウッドが仕立てたおとぎ話だという評もあるが
日本人ではなくてアメリカ人が表現した 武士道 と言うのが面白い
アメリカ人だからといって 誰もがブッシュではないのだ
日本人だって 小泉さんを否定する人も多いわけだし・・

一緒に行った人はますます トムクルーズのファンになったらしいが
私は 渡辺謙の息子役をした 原田雅人(?) という若い俳優さんが気になった

今日は23日で イブ・イブの日
街はもうクリスマスケーキが山と積まれていて平和な光景がひろがっている
娘への宅急便はもう着いただろうか・・





2003年12月22日(月) おばちゃんには道をゆずってくれない

お願いですから 信号のない横断歩道でも歩行者を優先してください
何故 歩行者が車の流れが切れるのを待たないといけないのですか
道路を横切る歩行者に 早く渡れ! とばかりに大きなクラクションは鳴らさないで
いくら 信号がなくても横断歩道は歩行者が優先ではないのですか
ドライバーさん 車に乗ってるんだからそんなに急がなくても
歩行者を先に渡らしたほうが安心だとは思いませんか?
交差点の青信号でも平気で左折して来るネ
これこそ 歩行者優先じゃないの

雨の日にも 危ないと思ってよけたのに
下手なよけ方だからまともに水溜りの雨水をかけられて
何度 情けない思いをしたことか
相手は車で走っているから追いかけることもできない
ナンバープレートを覚えても 訴えるほどの度胸も暇もないしネ

運転免許を持たないおばちゃんのひがみにも似た独り言・・でした



2003年12月20日(土) せめて・・

賞与とはとてもじゃないが言いがたい額の支給があった

寸志と書いたほうがいいくらいの額・・

せめて1ヶ月分は欲しい・・!

マネージャーも 「餅代です」 と言って明細書をくれた

私が たくさんお餅を食べる人はどうなるんですか・・? と聞いたら

今年は控えめにしてくださいと返事を返した

他のパートさんが まるで漫才やネ と笑ったけれど

せめてこれくらいのことを言い合いしないとネ

寒いのは 気温くらいにしておきたいが 財布も寒いわ・・

娘にクリスマスプレゼントでコートくらいはと思ったけれど セーターになりそう

でも 色違いで2枚送ろうと思う・・

白とサックス(うすいグリーンにしようか・・)

ケーキはとても送れないからチョコレートとクッキーの詰め合わせも一緒に

宅急便で送ろうと思うが ただの自己満足にしかすぎない親の気持ちか・・



2003年12月19日(金) まますてき と ハハキトク

 クレジットの明細書とか新聞の切り抜きとかスーパーでもらってくるレシピとかの
ちょっとしたものを入れておく引き出しの整理をしていたら
次のようなメモを見つけた

ま まめごはん
ま 丸干しいわし
す すき焼き
て てんぷら
き 切干し大根(きんぴらごぼう)


ハ ハンバーグ
ハ ハムエッグ
キ ギョーザ
ト トースト
ク クリームスープ

何年前になるのだろうかテレビを見ていて走り書きしたメモだ
まますてき というのはなるべく食べたほうがいいもの
反対に ハハキトク というのは避けたほうがいい食べ物
まますてき という項目には◎をつけてある
ハハキトク というのには×しるしをつけている
たしか まますてき というような食べ物のほうを子ども達に食べさせてあげましょう
というものだったように思う
うちの子供たちは まますてき より ハハキトクのほうの食べ物を好んだ
すき焼きは嫌いではないが お肉ならステーキのほうを好んだ
たぶん うちの子供に限らず たいていの子どもは ハハキトク の方を好むように思う
なるべく やわらかいものより硬くて歯ごたえのあるものを食べましょうということだった
日本は和・洋・中とほんとうに色々な食べ物に恵まれていてありがたいと思う反面 
テレビのグルメ番組とかレストランとかの食べ残しとかの状況を見ても
本当にこれでいいのかといつも思っている


美輪明宏さんがテレビで次のようなことを言っておられた

日本は戦後 アメリカに骨抜きにされて
物欲、性欲、食欲だけは増えた





2003年12月18日(木) 開き直りが増えてきた

若い頃は人様の年なんてぜんぜん気にならなかった
だから人の年も分からなかった
子どもの頃は大人になれば自由が待っていると思っていたから
セブンティーンとかお肌の曲がり角とか言って楽しんでいた部分もあった
育児で夢中だった20代が過ぎて
30代とか40代とかの大台と言われる年代を越して50の大台に乗った時
残りの方が少ないのに気がついた
ここまできたらほんとうに個人差がだんだんとはっきりしてきて
それなりに見える人や若く見える人、反対に老けて見える人と別れてきたように思う
エステなどでそれなりに努力すれば多少は若く見えるだろうが
年齢はどうあがいても現実なのだ
いくらお金を積んだところで若くは見えても若くはなれない
人間は見た目じゃなくて中身よ、(あ〜 私の中身は脂肪だらけ・・) とか
しわも人生の年輪だと、言って開き直るしかない
ここまできたらあとはどう生きるか・・だと思えてきた
女の平均寿命まであと30年余り・・
生まれた子供が親の庇護の元で大きくなって30歳になるのとは違って
これからの30年は自分の判断で生きれるはず・・
食べていくだけの少々のお金があれば
敵は健康のみ!





2003年12月17日(水) 報道も熱しやすくて冷めやすい

「この事件はあんたのお父さん(故・福田赳夫)が総理大臣のときに起こったものだ。
お父さんは拉致問題を知っていたはずだ。国権の侵害、人権の侵害という大事な問題を、
もし歴代内閣総理大臣が知らなかったというならそれはもってのほかである。
24年の間に総理大臣が21人も22人も代わっている。
歴代の総理がこの問題を放っておいたこの責任はどうなるのか。」

    北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 著  「家族」 より

平成14年9月16日、小泉首相が訪韓する前日に面会を求めた家族会が総理との面会が叶わず、福田官房長官に言った言葉だ

確かに 日本という国はアメリカという国のご機嫌は際限もなく伺うが
目の前に現実としてある国民の事件には冷たい国のようだ
国際協力とか世界平和とか耳に心地よい言葉でごまかすようにイラクへ行くのなら
100人とも300人とも言われている自国民の拉致被害者はどうするつもりなのか
だんだんとまた風化していくのではないのか



2003年12月16日(火) 日々だけは過ぎていく

半日かけて ダンナと私の年賀状を作成したら
もうお正月の準備が出来たような気になっている
あとは投函するだけ

大掃除・・う〜ん・・
台所のレンジまわりだけはするけれど・・
この間 押入れはかたずけたし それでええやろ・・
玄関の植木鉢に葉牡丹でも植えて落ち葉を全部掃いたら外はそれでOKだし
おせちのキライなダンナにはいつもどおりの食事の用意でいいしネ
来客の予定もないし、息子は帰ってくるだろうが、娘は・・
2階の子どもたちの部屋も掃除機をかけて寝具を用意するだけだし
お正月に読みたい本だけは用意したしネ・・
うちのお正月なんてそんなもんよ

その前にスーパーのパートとしてはさんざんしんどい思いをしなくてはならないし・・
今週には 福袋の商材も入荷する
デパートのように立派なものではないが 各売場としては大変だ
売場の人がするのか私達オペレーションが袋入れをするのか
いつもの年末商戦が繰り広げられる



2003年12月10日(水) ありがとうございます

仕事が終わったら 夕食の買い物をして帰る
当然 私服になっている
が 何人かお知り合いに会うこともある
「あんた 布団売場 辞めたんかいな・・
なんぼ 捜してもいてへんから布団買うのに困ったわ」
「布団売場にいてへんけど どないしてんの・・
他の人に聞くのもいややし あんたがいてへんから買うのやめたわ」
立て続けに二人の方から うれしい言葉をいただいた
別のパートさんからも
「今日 お客様から ここにいてたちょっと体格のええ人どないしはったん
私、あの人の雰囲気が好きやったわぁ」
ということも聞かしてもらった
何とうれしいことか!
いろいろあっても 一生懸命に仕事をしていたら見ていてくださる人もおられるのだ
私はほんとうに単純な性格だから こういうことで元気になれる!
心の中は寒いけれども(財布も寒い!!) もう少しの今年を乗り切って行こう!



2003年12月08日(月) 超、私見

本8日未明、我が帝国陸海軍は真珠湾に於いてアメリカ軍と戦闘状態に入れり

私は子どもの頃 父から軍隊のことをよく聞かされた
その頃はうっとおしい気持ちしかなかったので よく覚えていない
ただ 父の話は自慢話ばっかりだった
二等兵で出征したが伍長で帰ってきたとか
上長にいかに気に入られたか、
父の軍隊の話に悲惨なところは微塵もなかった
軍人恩給も支給されていたのだからそれなりの期間を重ねたのだろう
でも聞いていて気持ちのいい話ではなかった
ただ 父の本心は 過去を悔いたくなかったのだと思う
だが 母方の叔父たちはシベリアに抑留されたり
母自身も幼い二人の子ども(引き上げ途中に亡くなる)を連れての引き上げ経験者だから
それなりの戦争体験は子どものころから聞かされていた
でも母が亡くなったあとに叔母から聞いた
母の引き上げてきた時の話は まさにドラマや本の世界と同じだった
あの悲惨な状況が母の人生にあったのだ
そういう意識が心の底に積み重なっていたのか
私自身が息子を出産した時
男の子だから戦争が始まれば この子を戦地に出すのかと唐突に思った
それは絶対に出来ないと一人で密かに思った
人に話せば笑われるけれど 私は確かにそう感じたのだ
だから 小泉さんや川口大臣が
「テロに屈することなく お二人の意志を継ぎます」 と言うたびに
ほんとうはそうではないだろうと感じてしまう
二人の意志を継ぐのではなくて アメリカの願いを聞き入れます、だろうと・・
日本の国益とアメリカの国益は違うのに・・
でも 今の日本人が間違った豊かな生活を見つめ直さない限り 
えらそうなことは言えない(私自身も戒めなくては・・)
根は深い・・と思う



2003年12月06日(土) 当たってる・・けれど・・

基本的に仕切りたがりです
奔放で独創的で少しわがまま
ふやっ〜とモノを考えるのが好き
お互い、分かりあうのにけっこう時間がかかったりします

忘れてしまったけれど たどり着いたところでの自己診断サイトの結果
当たってるわ!
私って やっぱり何処からみても仕切りたがりかなぁ・・
少し遠慮すべきか
私は私だからと、開き直るか・・
ふうちゃんみたいな人もいてくれなあかん、と言ってくれる人もいるけれども・・
基本的には みんな仲良くすべきだと思っているし
お互い許しあったら もう少し生き易いとも思う
だけど たいていは見た目で判断されてしまう
自分では損な性格だと思っている



2003年12月05日(金) 本音

 たいていの場合 人間は認められたらうれしい 

寝具売場で私を必要としているので戻そうという話になったらしい

でも オペレーションマネージャーが絶対に手放さないと言ったらしい

新しい働き方になって半年が過ぎた

いろいろ弊害やら不都合が出てきた中で

古い場所と新しい場所の両方で私が認めてもらえたと思う

正直 うれしい

私は寝具売場に戻りたい気持ちと 今のままでいいという気持ちが半分

来年度(2月21日)からは さらに改革を進めるらしい

だんだんとパートだけで切り盛りできる店に変えていくとか・・

思い切って 足の手術をして 厚生年金の保険料を払うような働き方にしようか・・

定年まで7年ある

残り多いか少ないか・・自立まではとはいかなくても・・

よく考えようと思う





2003年12月02日(火) どの山がお好きでしたか・・

NHKのアナウンサーだった 相川 浩 さんがお亡くなりになった
新聞には 11月27日 肝不全で死去、70歳、
葬儀は30日、近親者で済ませた。 とある
びっくりした
私はこの方のナレーションが大好きだった
特に 「日本百名山」 
明治の登山家 深田久弥 が愛したこの山々を・・
という静かな語り口でのナレーションで私は山を好きになったと言ってよいだろう
私にはとても百名山を制覇することはできないが
清々しい山の空気を相川さんの語りで容易に感じることはできた
ビデオが販売されていることは知っていたが
目先のことに追われて購入には至っていない
追悼で 再放送してくれないかしら・・



2003年12月01日(月) 師走

  今日から12月、師走だ
それにしても暖かい朝だ
頬を刺すようなキリリとした感じが私は好きだけれども
今年は暖冬なのだろうか
あとから帳尻を合わすように寒くなるのだろうか
それともこういう風にして地球温暖に向かっていくのだろうか・・
スーパーもあまりにも暖かいので冬物の動きが鈍く
早くも一部のコート類や甚平や半纏といったものに割引札をつけ始めた
だんだんと季節感が失われて
同時に人間の感情も殺伐としたものになっていくような気がする
それでも クリスマスムードだけは盛り上げようと必死になっているが
何か白々しい感じがするのは私の年のせいか・・
月日のたつのがとても早く感じられて それだけで疲れるように思う
それでも 普段のツケを少しでも戻すためにも
ぼちぼちとお掃除を始めなくては・・


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