きよこの日記

2003年06月30日(月) アンチ若さ至上主義

26歳の誕生日を迎えました。
”26歳”
25という響きにも実感のないまま迎えてしまった。
この響きにはなにか漠としていながら、しかし確かな重みがありますなあ。

朝、妹から、ハッピーバースデーメールがありました。
最近まったく音沙汰がなくって、無事に生きているかしらん、と、気になっていたところだったので、うれしさ百倍です。
「誕生日を覚えていてくれたんだー♪るんるん」

授業に行った1年生のクラスで、
「先生、今日誕生日だよねー!」
って。
ちらりといつか話したことを覚えていてくれた。
ハッピーバースデーの歌なんて歌ってもらっちゃったよう。

これ以外にも、思いがけないところで、思いがけない人々からお祝いの言葉をかけてもらって、幸せ満載のきよこ26歳の誕生日でした。
誕生日を覚えてもらっている、こんな幸せなことってないね。
私が存在していることの意味をみんなに証明してもらったような、元気がわいてきます。

(去年の誕生日の日記を読み返してみると、とても興味深いです。)

こんな幸せな一日ですが、私のあまのじゃく気質にチラリとひっかかることがあります。
「もう26歳!やばいよ。もうすぐ30になっちゃうじゃん」
などなど、26という年を言ったときに、必ずといっていいほど、若くなくなってしまって残念だね、というようなニュアンスのことを冗談で言われます。

年をとることはそんなに敬遠すべき、絶望的なことなのでしょうか?
若いということはそんなにすばらしい、輝かしいことなのでしょうか?

むしろ、私は、若いということは、青臭く、恥多く、苦しいことだと思っています。
若いときに、たくさんの挫折と葛藤を繰り返し、その一つ一つを自分の成長の糧として、少しずつ、まともな、円熟した人間になっていくのだから、若いということはどちらかというと、恥ずかしいことのような気がします。

だけど、若ければ若いほど価値がある、というのが一般的な価値観なんですね。

「亀の甲より年の功」
語り継がれる言葉には、真理があります。




2003年06月29日(日) こういう日があるといいね

今日は一日なんにも予定のない日でした。
だから、昨日の夕方から、気分的にの〜んびりです♪

空は快晴、洗濯指数100%!
朝ごはんを食べて、お布団を干して、洗濯をして、アイロンをかけて、掃除機をかけて。
大きくなりすぎて鉢にいっぱいになってしまっていた観葉植物の植え替えまでできちゃった♪

い〜な〜。こういう休日!
生きているって感じがします。
(実際、先週からの風邪がようやく立ち去る気配を見せてきて、体が本当に軽かったっていうのもあるのですが)

調子に乗って久しぶりに街にでました。
雑踏にまぎれてそぞろ歩いてみたり。
ぶらりと立ち寄った本屋で、衝動買いをしてみたりしました。
小気味よい午後でした。

さあ、充電はばっちりだね。
来週もがんばろうね!




2003年06月28日(土) 三島由紀夫『真夏の死』

結局、今週は早退やお休みをもらったりしてしまった。
わが体、不如意なり。

ひたすらに体調の復活を待つ私は、やわらかな真綿布団の牢獄にとらわれた虜囚です。

体をよこたえ続けるものの、眠りが訪れないようなときや、思いがけず目が覚めてしまった夜中など、ぼんやりとした不安に取り付かれて、頭ばかりがくるくると働いてしまうのですが、三島由紀夫の短編集はそんな悪循環から救ってくれました。

表題の『真夏の死』をはじめ、比較的短い、そして、それぞれ非常に個性的な作品群で、三島由紀夫の底知れぬ才能を再認識したしだいです。

そして、ご自身による解説。

  自作自註というのは可也り退屈な作業だが、こういうことを自分にさせる唯一の情熱は、ありていに言って、読者のためよりも、自分のためである。即ち、第三者の手にかかって、とんでもない臆測をされるよりも、古い自作を自分の手で面倒を見てやりたい、というだけのことだ。

と、その冒頭で自身は述べていますが、読者にとって、自作自註ほどうれしいことはないです。
理由は、三島氏も指摘されているように、「解説者は作者の意図、真意を本当に正しく理解しているのだろうか」という疑念を抱いてしまうからです。
とくに、三島由紀夫ほどの作家になると、作品の奥に、どんな仕掛けが隠されているのかなんて、本人以外にわかりっこない気がします。

文学の研究に対しても、私は同じような疑念を抱いてしまいます。
どんなに高尚な論を打ち立てても、作者がその作品にこめたもの以上の意味はそこに発生しないんじゃないでしょうか?
文学史などは社会情勢、文化の潮流などの影響があるだろうから、またちがうんでしょうけど、こと、作品論ということについて、そんな風に思ってしまうのです。




2003年06月27日(金) 家庭医みたいな近さで

医学が対症と予防の連関の中で発展していくものならば、その行き着く先には、個人の病気レベルで、原因を明らかにすることがあってほしいなあ。と思うのです。

ここ最近、よく体調を崩します。
「先生って、体弱いの?」
といわれてしまうほど。
でも、私は自他共に認める健康優良児だったはずで、自分の中でも、
「おかしいなあ。
なんで、こんなによく風邪をひくんだろう?
どうして、こんなに養生しても治らないんだろう?」
と、もんもんとしてしまいます。

皐月風邪が過ぎたと思ったのもつかの間。
水無月風邪がやってきました。
そして、いつもの病院へ行ってきました。

「熱はそんなにないみたいだねえ。
 前みたいに食欲がないということはない?
 咳が出て、鼻水が出る。
 インフルエンザにかかった後、風邪を引きやすくなるってことはあるけれど、インフルエンザにはかかっていないんだねえ。
 薬を出しとくから、また、しばらく様子を見てください。」

「はい。ありがとうございます」

そうだよねえ。
どうやら風邪らしい、という診断と薬の処方をしてもらって、後は、回復を待つしかないよねえ。

でも、もしも、
「野菜の摂取不足、部活の生徒指導への熱の入れすぎでこういう症状が出たので、これからは緑黄色野菜をなるべく加熱調理して食べるように、そして、ちょっと生徒に自由にさせるようにしたらこういう症状は出にくくなると思いますよ。」
っていう、個人的な生活レベルでの原因がわかったらいいのになあ。

それはとても無理なことだとはわかっているんだけどね




2003年06月23日(月) 文学友達

「きよこ先生、三島由紀夫がお好きなんですか?」
「はい」
「いやあ、意外だなあ。
 三島由紀夫みたいなひねくれた、屈折した作品がお好きなようにはとても見えないのに。」
「いえいえ。
 私はすごくひねくれ者なので、あの屈折したところに共感するんですよー。
 だれも触れない人間の深層を、ずばっと言い切ってくれるところがたまらないんです。」

普通の学校だと、国語の先生2人か3人というところだと思うのですが、今の学校は5人もいます。
でも、国語研究室にいるのはたいてい私と、岩中先生ぐらい。
岩中先生は、もはや国語研究室で生活しているといっても過言ではない。
で、上記のような会話になります。

私は三島由紀夫はじめ、昭和初期ぐらいの作家が結構好きなので、岩中先生ととっても話が合う。
文学友達って感じ。
岩中先生は、昔ながらの国語の先生です。
一時間、生徒の興味をそっちのけでひたすら文学の話をしたり、青春時代の話をしたり。
しかも、授業はすごく怖いらしくって、あの現代っ子たちを、手はひざの上においた状態でずっと授業を受けさせているというのだから、只者ではない。

私にそれをやれといわれても、とっても無理です。
だいたいすぐにねた切れです。
いまだって、朝夕の学活の話題でさえひねり出すのに、四苦八苦だというのに。

この前、廊下で岩中先生に国語を習っている3年の男子数人に話しかけられました。
「きよこ先生、三島由紀夫が好きなんだって?
 じゃあ、中島敦は?辻邦生は?谷崎潤一郎は?
 なんか、三島由紀夫の話し教えてよ。」

国語の時間に岩中先生にいろんな話を聞いて、それを私に話してくれたんです。
えんえん、でるわでるわ。
ずっと話してくれました。

伝わっているなあ・・・。
勉強って、こういうことなんだろうなあ。って思いました。

係り結びが何だ。体言止めがどうしたって言うんだ。
そんなの覚えたって一文の得にもなりやしない。
テストが終われば忘れちゃうさ。
でも、きっと、この子達は、岩中先生の話を、文学に興味を持ったこのときの気持ちを、きっと大人になっても忘れないだろうなあって思いました。

「岩中先生、堀辰雄が好きだって言っていたよ。
 今度、国語の授業のときに、教卓の上に堀辰雄の本を置いておいたら、きっと喜んで話をしてくれるよ!」
みんなで図書館に行って、堀辰雄の本を借りました。
どんな授業になるんだろうねー。
私もそんな授業なら受けてみたいなあ。



2003年06月22日(日) 結果は時間差で

物事の結果は、時間差で現れる、というのが私の持論。

どうしても勝ちたい試合があって、それに向けて、一週間猛練習をしても、たいてい
「おかしいなあ。あんなに練習したというのに」
という結果に終わることが多い。
そして、「なーんだ。猛練習して損した!」という気分になってしまいがちだ。
だけど、私は知っている。
その猛練習は、忘れたころに結果として現れてくるということを。

同じことは、ほかのことにも言えます。

本題。
いつのころからか、ちやほやされるようになりました。
一目おかれたりするようになりました。
私は、ついぞそんなキャラなはずはなく、どちらかというと、いつも汚れ役、オチ役だったはずだけど・・・。
時々周りの人の私の扱いに、違和感を感じることもしばしば。

うぬぼれかも知れないんだけど、もしかして、ひょっとして、私が今、
ちょっとなんだかいい感じな雰囲気を出している、なんてことがあるとしたら、
それは今の私がどうこうというよりも、以前の私が、充実した毎日を送っていたからなんじゃないかなあ、と思います。

逆に言うと、私は半年後の自分がコワイ。
この逼迫した毎日から作り出される未来の私。
どんななんだろう・・・。
余裕のない精神状態がまるまんまあらわれた私の顔。
ひえーー!!
そんなの、子どもも寄りつかないよう。
気をつけよう。
いろんなことにやさしくいられる私でいよう!



2003年06月18日(水) うつが必要なんだな

学校生活はマラソンなんだな。
しかも全力疾走の。

一学期も後半にやっとさしかかってきたけれど、それにしても、つかれたわあ。
毎日毎日学校と家の往復だけ。
家に寝に帰るだけ。

あっっという間にまた朝が来る。

最近、ドーピングの業を身につけました。
リポビタンD です。
朝、コンビニに寄って一本ぐいっとやると、一日もつんだよね。

一日が30時間ぐらいあったらいいのになあ。
それくらいあれば、ゆっくり眠って、疲れを取って、自分の趣味をして、家事をして、そしてまた学校へ戻ることがでくるだろうに。
つくづく私って躁鬱病だと思うんだ。
人前では躁状態。
とても愛想がよくて、元気いっぱい。
学校では特にバリバリの躁状態。
だけど、家に帰るとぐたーっとうつ状態。
思い返してみると、子供のころからそうだったの。
学校と家では別人みたい。
だから、私にとっては躁状態もうつ状態も、私そのもので、どちらがなくてもだめなんだと思うんだ。
今は、躁状態が過剰です。
十分うつにひたらせてくれ〜。




2003年06月17日(火) 鼻くそたべちゃった☆

今日は研修の日です。
養護学校で一日体験学習。

私にとって、養護学校は未知の世界。
ちょっとわくわく。
自立支援教育は、「教育の原点」って言われているの。
個性も障害もさまざまな子どもたちを、それぞれの歩みに合わせて、支援していくことは、教育のエッセンスというか、もっとも重要で基本的な姿勢だもんね。

今日の研修では、朝の会から小学校1年生のクラスに入らせてもらったんだけど、すごい!
1クラス6人の生徒に3人の先生がついていたんだけど、
「せんせいだー!!!ぷろだー!!!」
って、超感動してなきそうになってしまった。

教具、手立て、言葉がけとかの支援、どれもこれも、すごい!!
すばらしいなあ、って泣きそうになってしまった。

朝の会の次は、泥んこ遊びの時間だったんだけど、ここから私も活動に参加させてもらいました。
一人の男の子を担当して、着替えから手伝いました。
ふと見ると彼の人差し指に、とれたての鼻くそが☆
わお!
「あらら、あららら、えーと、ティッシュはどこかなー、
って、ええ!!!!
鼻くそ食べちゃった・・・・」

・・・・すっごい久しぶりにこんな斬新な衝撃に遭遇してしまった。

でも、めげないもん。
一緒にどろんこだー!!
ぐちゃぐちゃ、ばちゃばちゃ。

一緒に一日遊んだら、ほんのすこーし、私に気を許してくれました。
私の言葉にすこーし反応してくれるようになりました。



2003年06月14日(土) とほほ〜

いつものように、テレビがわりにパソコンをつけて、メールを見たり、ネットを見たりしていたら、いきなり画面が真っ暗に。

DOS画面どすえ。
いやーなよかんが〜。

いかつい英文で、「ウィンドウズのファイルが見当たりません」
ですって。

はあ〜〜。
気のせいでしょ?と思って、電源ちょく押しして、再起動してみたんだけど、やっぱり同じ表示が・・・。

OH MY GOD!!! 

えーんえーん再インストールだよー。
えーんえーんせっかく快適なマイパソコンになってきてたのにー。

一番ショッキングなのが、今までつけていた家計簿が全部消えちゃったこと。
ちまちま毎日のレシートをもらさず入力して、グラフも作って、いい感じだったのにな。
また、やり直しかあ。

まったくもって、後悔先に立たずってやつだねえ。
壊れてはじめて、「バックアップとっておけばよかった」って思うんだけど、でも、家計簿ソフトとか、かなり大きくって、いままでも、圧縮してフロッピーに入れて運んだりしていたんだよね。
みなさん、もしものためのバックアップってどういう風にとっているのでしょうか?



2003年06月02日(月) 言われてうれしい言葉

「あなたは、かっこいい(かわいい)といわれるのと、勉強ができる(仕事ができる)といわれるのと、どっちがうれしいですか?」

これ、心理テストです。
潜在的に、自分にとってコンプレックスに思っていることをほめられたいと人は思うんですって。
だから、かっこいい(かわいい)といわれたいという人は、外見にコンプレックスがあり、勉強ができる(仕事ができる)といわれたい人は、能力にコンプレックスがあるということのようです。

私は?
実は、微妙だなあ。
と、いうのも、時と場合によるのです。
上司とかに「かわいい」といわれても、???だけど、「できる」といわれると、超うれしい。
ともだちに「できる」といわれると、「ヤメテー!」って感じだけど、「かわいい」なんていわれると有頂天になっちゃう。

だから、私はどちらに対するコンプレックスが強いのか、はかりきれずにいたんだけど、今日、とっと発見が。

今日、ひょんなことで、生徒に
「先生やさしいー!」
といわれました。
すごくうれしかったです。これは無条件にうれしい!
そうだよなあ。私、性格に難ありだもんなあ。


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