宿題

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2006年04月30日(日) 富士日記(5月31日)/宮沢章夫
■青山真治さんからメールをいただく。このあいだ書いたように、
青山さんは「宮沢さんの舞台で泣かされるとは思ってもいませんでしたよ」と
終演後に言っていたのだが、そのことにあらためて触れ、
次のように書いてくれた。

泣いた理由は、言うまでもなくあのチェーホフの引用が始まったからです。
で、そのとき娘は掃き掃除をしており、義母は仕事に出かけようとしている。
元は他人の母子が、男たちのいない場所で共生し、チェーホフを共有している。
その様ほど僕を泣かせるものはないのでした。
そして男たちの三つの様態、ひとりは呑気に眠り、ひとりは夢に生き、
もうひとりは逡巡する。そしてそれらをかれらは決してやめようとしない。
これもまた僕を泣かせる要素なのでした。
二大泣かせる要素が重なれば、これはもう嗚咽しかない。
条件反射的に。

そしてそのとき、その舞台に、たとえ儲かっていなかった、としても(笑)、
とてつもない「これでいいのだ」感が横溢し、
これは幸福感といってもいいわけですが、
その幸福感に捧げられるひとりのサンチョパンサの行き場のなさ、
これがまた泣かせるわけですから、
儲かってなくてもこれでいいのだ、なんとかやっていくのだ、と思われ、
集客の大いなる問題を抱える自分自身、明日からもつづけようという気になれる、
それこそ演劇や映画をつづけることの真の意味でなくてなんだろう、
と考えるとまたいま泣け、あらためて「これでいいのだ」と感謝する次第です。

ありがてえ。青山さんのメールを読んで僕もまた、
「これでいいのだ」という思いを強くした。
互いに共通するのは、「観客動員がのぞめない」ことばかりではなく、
あるいは、かつて長髪だったのにそれをばっさり切ったところも共通しているが、
視線の向こうに「文学」があることだろうか。
だから「観客動員はのぞめない」とも言えるが、
べつに無理してそうしているわけではないし、
「観客動員がのぞめない」ような作品を意図して作っているのでもない。
そういうふうにしか生きられないという決意において、
もっとも共通しているのである。
青山さんのメールにわたしこそ励まされた。ほんとにうれしかった。


★富士日記(5月31日)/宮沢章夫★

2006年04月29日(土) モーターサイクル・ドン・キホーテ(5月24日)/友部正人
いろんなことを思いました。
赤ちゃんのときにはじめて口にした言葉、
それと芝居のせりふとはどう違うのか。
どうしてぼくたちは生きていることをお芝居だとは感じないでいられるのか。


★モーターサイクル・ドン・キホーテ(5月24日)/友部正人★

2006年04月28日(金) 富士日記(5月18日)/宮沢章夫
あ、そうだ、忘れちゃいけないのは鈴木慶一さんが来てくれたことだ。
それで少し話しをしたとき、このノートを読んでいた慶一さんが、
「メンバーは五人までだよ」と言っていたのが面白かった。
僕が、「バンドはいいよなあ」と書いたこと(25日付のノート参照のこと)
についてだが、バンドはバンドで、もちろん大変なのだろうことは承知していた。
やっぱり苦労は絶えないようだ。
それでムーンライダーズは今年が三〇周年記念。すごいな。


★富士日記(5月18日)/宮沢章夫★

2006年04月27日(木) まとまったお金の唄/松尾スズキ
「僕、親子で手えつないで教会に行く蒼木さん見てたから(泣く)
あそこの子が幸せですて。
親も神様もついている、町一番幸せな子です、て、ちくったんです!」
「ほんまかいな。あんた、ようゆうてくれたなあ!」
「え?」
「手に書いとこ。町一番幸せ。忘れへんで、なあ、お父ちゃん」


★まとまったお金の唄/松尾スズキ★

2006年04月26日(水) まとまったお金の唄/松尾スズキ
「しょいこんだるよ。
リアルなもじゃもじゃは、うちがしょいこんだろやないの。
お母ちゃんのことも、うちに任せたらええがな。
逆にフェスティバル的なことは、あんたに任すわ。
東京行って、詩を書き、踊り、不思議な笛を吹いたら、ええがな。
泣きながら、吹いたらええがな」


★まとまったお金の唄/松尾スズキ★

2006年04月25日(火) まとまったお金の唄/松尾スズキ
「おばあちゃんもお母ちゃんも微妙に嘘をついていました。
でも、新宿さんが現れて、
みんながあからさまな嘘をつかなあかんようになって、
蒼木家の真ん中に嘘の小宇宙ができあがってもうたんでした。
そのちいちゃい宇宙の真ん中には地球があって、
その真中にはオオチャカがあって、そして1970年、
オオチャカ万博の真中には太陽の塔がありました」


★まとまったお金の唄/松尾スズキ★

2006年04月24日(月) まとまったお金の唄/松尾スズキ
「冗談することと、それが伝わることは別ですわなあ」
「伝わるまでが冗談なんですわ。伝わった瞬間に冗談は消えてしまうんですわ」


★まとまったお金の唄/松尾スズキ★

2006年04月23日(日) まとまったお金の唄/松尾スズキ
「おもろい人ほど堕落も早い。
なんじ、おもろうなかれや。
堕落しーひん男は、皆、男前ー」


★まとまったお金の唄/松尾スズキ★

2006年04月22日(土) まとまったお金の唄/松尾スズキ
「お菓子の神様、我にお菓子のことばかり考えさせたまえ」


★まとまったお金の唄/松尾スズキ★

2006年04月21日(金) 新堂本兄弟/深田恭子
「最後に女の子たちは質問ないの?
本当にこれで最後だよ、3、2、1」

深田「はい!」

(くるっと振り向くみんな)「恭子ちゃん、なに?」

深田「ただ(福山さんに)、こっちを見て欲しかっただけなんです」


★新堂本兄弟/深田恭子★

2006年04月20日(木) マバリア/中川翔子
ママが翔子の名前を薔子にしようとして、
区役所で人名に薔はつかえないっていわれて喧嘩して、
ひらがなで書きなぐってきたせいで翔子の名前は戸籍上では『しようこ』
ってことをつい一昨年の終わりくらいに知ったんだが、
名前を変える作業って大変なんですか?
勢いで書きなぐったから『よ』が大きいなんてありえないよママ。
しょうこですらないのか。意味すらないじゃないか、一生の名前なのに。
母子手帳とかもしようこ、になっちゃうの?絶対やだ…

しょこたん、というよりしよこたんなんですね…絶対嫌です…


★マバリア/中川翔子★

2006年04月19日(水) 戦場のボーイズライフ/小沢健二
この愛はメッセージ!祈り!光! 続きをもっと聞かして!
この愛はメッセージ!祈り!光! 続きをもっと聞かして!
この愛はメッセージ!祈り!光! 続きをもっと聞かして!
この愛は…

泣いたり 恋をして走るよ
みんなせつない夢を抱いて
ずっと火花散らすバトルのあいだ
夜空に高く見てるラッキースター

胸の奥にそっとロザリオ隠して 人はみな歩く
この戦場の町 吹いてくる風に
涙なんてすぐ乾くはずさ!

勇気を出して歩かなくちゃ
宝物をつかみたいから
心すっかり捧げなきゃ
いつも思いっきり伝えてなくちゃ
暗闇の中挑戦は続く 勝つと信じたいだから

何度も君の名前を呼ぶ
本当の心捧げて呼ぶ
この愛はメッセージ
僕にとって祈り 僕にとって射す光

いつだってSOULは すごくハード!猛スピードで いっそ地獄まで!
いつだってSOULは すごくホット!猛スピードで いっそ地獄まで!

勇気を出して歩かなくちゃ
上を向いて胸を張って
心すっかり捧げなきゃ
いつも思いっきり伝えてなくちゃ
暗闇の中挑戦は続く 勝つと信じたい今は!

そしていつか夏のある日 太陽のあたる場所へ行こう
子供のように手をつなぎ 虹の上を走るように
この愛はメッセージ 僕にとって祈り 僕にとって射す光
いつだって信じて!いつだって信じて!

この愛はメッセージ!祈り!光! 続きをもっと聞かして!
この愛はメッセージ!祈り!光! 続きをもっと聞かして!
この愛はメッセージ!祈り!光! 続きをもっと聞かして!
この愛はメッセージ!祈り!光! 続きをもっと聞かして!


★戦場のボーイズライフ/小沢健二★

2006年04月18日(火) 春にして君を想う/小沢健二
凍える頬も寒くはない
お酒をちょっと飲んだからなあ
子供のように喋りたいのだ
静かなタンゴのように


★春にして君を想う/小沢健二★

2006年04月17日(月) back to back/小沢健二
あのさ…
また誰かワインをこぼす baby
甘く香る煙 何度もバカ 積み重ねたから
もうひとつくらいはいい

Back to Back 臆病なくせに
Un Deux Trois 無茶をするわけは
恥ずかしがり屋で シャイ そんな自分がいやだってこと

月影でDance踊る君を見て もやもやが溶けたよ
二十歳の僕 傷を作りつつ 深い愛を知ったよ

Back to Back 臆病なくせに
Un Deux Trois 無茶をするわけは
恥ずかしがり屋で シャイ そんな自分がいやだってこと

夜中のコーヒーを 濃いブラックにして 炎みたいなこんな時
夜中の通りを渡りとぶだけ 炎みたいなこんな時
夜中のコーヒーを 濃いブラックにして 炎みたいなこんな時

Back to Back 臆病なくせに
Un Deux Trois 無茶をするわけは
恥ずかしがり屋で シャイ そんな自分がいやだってこと


★back to back/小沢健二★

2006年04月16日(日) 満月の夕/中川敬 山口洋
風が吹く港の方から
焼け跡を包むようにおどす風
悲しくて全てを笑う
乾く冬の夕

夕暮れが悲しみの街を包む
見渡すながめに言葉もなく
行くあてのない怒りだけが
胸をあつくする

声のない叫びは煙となり
風に吹かれ空へと舞い上がる
言葉にいったい何の意味がある
乾く冬の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕

絶え間なくつき動かされて
誰もが時代に走らされた
すべてを失くした人はどこへ
行けばいいのだろう

それでも人はまた 汗を流し
何度でも出会いと別れを繰り返し
過ぎた日々の痛みを胸に
いつか見た夢を目指すだろう

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕


★満月の夕/中川敬 山口洋★

2006年04月15日(土) music tide/鈴木慶一
(リリースされた76年の音源というのは、
いじっていない76年そのままのものですか)

ただし、あのー、元の音質がすごく悪かったので、
その音質を回復するための作業はいっぱいしましたけどね。
それと、えーと途中で切れちゃっている部分もあったりして、
で、それをなんとか復元するには、当時客席で撮っていた
お客さんから送ってもらったり。

(本当ですか)

まあ、違法行為だよね、今ね(笑顔)。


★music tide/鈴木慶一★

2006年04月14日(金) 母洋子さんについて/陳健一
国際結婚に偏見が強かった時代である。
しかも健民氏から
「アナタワタシと結婚シマス。でもワタシ香港と四川にオクサンいる。
だから給料半分コね」
というキテレツなプロポーズに
「うむ、この人は正直でよろしい」
と感心して結婚を決めたというから洋子さんもタダモノではない。

心に境界線を引かない洋子さん、なんと四川に暮らす健民氏の娘も、
香港で暮らす2番目の妻とその子どもたちも自宅へと招き入れてしまう。
当時、健一さんは多感な高校生。
「そりゃあ、正直言えば心中複雑でしたよ。
いじわるな言葉を一生懸命、これは思っていても絶対言っちゃいけないと
抑えつけていました」

心を閉ざしたまま数日が経った頃。
父の2番目の妻であるその人が手際良く作ってくれたのが蟹チャーハン。
「これがびっくりするくらいおいしくてねえ、
心を開くようになったのはそれがきっかけかな」

その人のことを香港ママと呼び、今でも子どもたち共々、交流が続いている。


★母「洋子さん」について/陳健一★

2006年04月13日(木) 白い一日/小椋佳
真っ白な陶磁器を
眺めてはあきもせず
かといってふれもせず
そんな風に君のまわりで
僕の一日が過ぎてゆく

目の前の紙くずは
古くさい手紙だし
自分でもおかしいし
破りすてて寝ころがれば
僕の一日が過ぎてゆく

ある日踏切のむこうに君がいて
通り過ぎる汽車を待つ
遮断機が上がり振りむいた君は
もう大人の顔をしてるだろう

この腕をさしのべて
その肩を抱きしめて
ありふれた幸せに
落ち込めればいいのだけど
今日も一日が過ぎてゆく

真っ白な陶磁器を
眺めてはあきもせず
かといってふれもせず
そんな風に君のまわりで
僕の一日が過ぎてゆく


★白い一日/小椋佳★

2006年04月12日(水) 「裸の島」について/岡本敏子
ものすごくリアルなんだけれど、ここまで来ると、
もうそれをとっくに超えているのね。現実を超えた現実感。
これは決して、シュールレアリズムなんかではないのよ。

シュールっていうのは、どうしても個人の枠から出られない、
つまりスタイルのひとつに過ぎないの。
でも現実は違う。目の前にある日常を突き詰めていくと、
その向うに、ぽっかり開いた世界があるのよ。

日常とその向こう側の世界を、私たちはいつも行き来している。
普通にしているから気づかないけれど、いつだって、
こちらとあちらの境目を、私たちは越えているの。
そういう力を持っていることに気づかせてくれるのが、映画じゃないかしら。


★「裸の島」について/岡本敏子★

2006年04月11日(火) SELDOM-ILLEGAL 時には、違法/坂本龍一
とにかく、それまでパブリック・プレッシャーってのは全くなかったし、
プレッシャーを持たないように気をつけて生きてきたでしょう、
子供の時から学生の時まで。
どこにも所属してなかったし、就職もしなかったし、片足はいつも外に出していて、
いつでもホイッと逃げられる態勢でずっと生きてきたわけです。
それが、なんか両足しばられて社会という容器の中にポンと放り込まれたような感じで。
ごく普通の人が大学を出てサラリーマンになる時は
みんなそういう経験をするのかもしれないんだけど、多分、
それがぼくには遅れてやってきたんだと思うんです。


★SELDOM-ILLEGAL 時には、違法/坂本龍一★

2006年04月10日(月) おしゃべり倶楽部/黒柳徹子×森光子
森光子さんは、十五年くらい前、パンダに関する私の話を、
馬鹿にしないで聞いてくれた。
それ以来、私は森さんを勝手に友だちと決めた。
仕事でも人生でも大先輩なのだけど、やはり私は、友だち、と思っていたいのです。
ニューヨークにいたとき、私は森さんに手紙を書いた。
「朝、インスタントじゃないコーヒーを飲んで、
昼間、公園のベンチでぼんやり過すっていう生活を、森さんにもしてほしいの。
居候にいらっしゃい」。
すぐに返事が来た。
「仕事の都合でどうしてもダメ。おこづかい困ってませんか?送ります」
森さんの、体に似ない大きい字の手紙の上に、涙が落ちた。
こんなに優しくて哀しい人は、そういない、と思ったから。


★おしゃべり倶楽部/黒柳徹子×森光子★

2006年04月09日(日) おしゃべり倶楽部/黒柳徹子×森光子
森「森川信さんが道頓堀で軽演劇を始めて、
そこに呼ばれて舞台もやるようになった。
軽演劇といっても、名作があったのよ。『にしん場』とか『性病院』とか。
これが戦後の昭和二十二、三年ぐらいかな。
この後に結核が再発して、ずっとねこんで…。
でも、ねてたんでは食べれないから月に一回ぐらいは
会社の慰安会なんかに行って唄ったの。
でもひどくて、楽屋でも、ねてるくらいの状態だった。
結核は歌なんか唄っちゃよくないの、でも食べられないから」

「ところが二十五、六年にはどうしようもなくなって入院。
でも私って運が良かったのね。
小学校の同級生のお父さんがお医者さんになってて、
その人の叔父さんの療養所に入れてもらったの。
お医者さんは、もう駄目だと思ったくらいに悪化してたらしいんだけど、
私は駄目だと思わなかった。
ちょっと良くなった時に、かげでは、「奇跡的に持ち直したけど、
直っても一生仕事はできないだろう」っていうのに、
どんどん良くなって。私は私で「歌はもう駄目だろうけど、
ラジオドラマならいいな」って。
助かるとばっかり思ってるから、当時出来たばかりの民放ラジオのことを
考えてて…」

「病は気からって本当。
そのうえ、いいことにいい薬が出はじめてきて。
ストレプトマイシンも、一本一万円ぐらいしたのに、
実験材料みたいに使ってもらって。
それからパスも試したし、ヒドラジッドで決定的に良くなって。
新薬が巧い具合に全部効いてくれたの。
胃が丈夫だったのね。こんなに大量に薬を投与しても平気だったんだから」

「直るとすぐ、二十七年の二月に、大阪のNHKに知り合いがいて、
売り込みに行ったの」

「でもラジオは安いの。一本千五百円。
それも月に四本で、一回に二本録音するか月に二回行けばいいだけだけど、
それじゃ暇なうえに、食べられないでしょ、
それで小さい頃から存じ上げていた裏千家の家元の奥様に呼ばれて、秘書になったの」


★おしゃべり倶楽部/黒柳徹子×森光子★

2006年04月08日(土) おしゃべり倶楽部/黒柳徹子×森光子
森「私の家は京都の花柳界にあって、
黙ってると私も祇園の舞妓さんになるんですよ。
ところが舞妓さんがいいとはちっとも思わなくて、
それより輪っかの入ったフランス人形みたいな衣装を着たかったの」

「(映画は)戦争が始まった年にやめたの。
映画に慣れてくると、毎日毎日同じような役でしょ。
町娘にしても、武家の娘でも、袖の持ち方や手の置き方なんかが変わるだけで、
ほとんど同じなの。何だかイライラしちゃって。それから歌手になった」

森「流行歌を唄って。それと『真白き富士の気高さを』なんていう健康的な歌も。
でも戦争中だったでしょ、戦地に慰問にも随分行ったり」

森「中国には二回行ったわ。それから東南アジアへ一回。
ボルネオ、セレベス、ジャワ。
シンガポールからインドシナ半島を北にのぼってペナンまで。
この時は八ヶ月くらいかかって」
「(空襲にも)遭いましたよ、何回も。東京で始まるよりもずっと前」

森「(戦争が終わると)進駐軍のキャンプ。
百八十度の転向。さっきまで日本の軍隊の前で唄ってたのに…。
空襲で東京の家が焼けちゃったので、京都に帰って、関西のキャンプ巡りですよ」
徹子「ご自分の中に抵抗がなかった?」
森「そんなことより、生きる方が先よ。食べなくちゃ」


★おしゃべり倶楽部/黒柳徹子×森光子★

2006年04月07日(金) おしゃべり倶楽部/黒柳徹子×森光子
黒柳「私も、うんと若い時に『放浪記』を初めて読んだ時に、
人間としてギリギリの生活をしている人はたくさんいるだろうけど、
これほど自分の本当のことを書ける才能って素晴らしいと思った。
どう思ってても、こんなに上手に自分の気持ちを言い表すなんてできないもの。
お芝居のなかにも出てくるけど、
『今はとっても苦しい、でも今度、幸福になったら、すぐに死んじゃおう』
って思うところなんか…」

森「そうそう。幸福が逃げていかないうちに死んじゃおうって思うのね。
女の子は一度は是非読んで欲しいわ」


★おしゃべり倶楽部/黒柳徹子×森光子★

2006年04月06日(木) 学校でも学べるんだなともお/小田扉
本田先生は、本質的には間違ってないんじゃないだろうか。
あそこまで覚悟決めて意地を張れる本気さが私にはないんだ…。
子供達に目線を合わせているようで、実は地平線を見てる我の強さ…


★学校でも学べるんだなともお/小田扉★

2006年04月05日(水) さあ冒険だなともお/小田扉
「人間の想像力にはすごい力があるからな。
お前が本気でそう考えてたら、俺死んでたよ、きっと」

「でもな、地に足つけて生活するだけでも、冒険みたいなものだ」

「親父は俺達にこの世界を遺してくれたんだぜ!!
こんなのつかいきれないよなあ!!」


★さあ冒険だなともお/小田扉/小田扉★

2006年04月04日(火) ハリケーン・リリ,ボストン・マリ/真島昌利
臆病者が唱えてるやさしさはいつも無責任
耳に心地良い言葉にいつまでも酔っぱらっている
死んだ後まで見栄をはるつもりだな
俺は手強い日々を走り抜けてゆく


★ハリケーン・リリ,ボストン・マリ◇AAA/真島昌利★

2006年04月03日(月) 今日の家元(2006年4月)/立川談志
4月1日 人生がツマラナクなりました。こんなに幸福なのにネ。
2日 東京の焼肉は高い。
3日 「談志百席」ねぇ、ネタどうする・・・。
4日 死ねば幸福と本気で考えてますよ。
5日 本当にあと一年だと思ってます。
6日 ジェイソンウィリアムズは出てナイ。
7日 家元はビール中毒也。
8日 何ィ、小沢だァ。民主党なんざぁどうにもならない。
9日 “歩かなくちゃぁ不可ナイ”っていう意識は何処かに持ってる。
10日 全くまとまらない。
11日 云い訳ばかりしているんぢゃぁないヨ。
12日 無性に腹が減る。睡眠薬のせいか。
13日 「ためしてガッテン」ナァ・・・。
14日 人間、嘘をつかなきゃ生きられナイ。
15日 たまには喧嘩でもしてみるか。
16日 元気がないヨォ。
17日 本当にもう駄ァ目ー・・・。
18日 まだ耳の具合がよくない。
19日 “面白い”なんてぇものはないネ。
20日 日本海を「東海」だとサ、家元は前から日本のことを“東朝鮮”と呼んでいる。
21日 本来国として領土問題が一番大変なことなのだ。
22日 家元には先見の明がある。
23日 練馬の八重桜も見納めである。
24日 うつらうつらよく寝てる・・・。
25日 人間なんざァ生まれてきたから生きなきゃならナイ。
26日 大していいもの喰ってないヨ。
27日 楽天だって勝つときはあるんだから民主党もたまにゃぁ勝つだろう。
28日 志の輔も「ためしてガッテン」なんてぇ番組をやってるうちは駄目である。
29日 ねぎ喰って糖尿の数値が良くなったみたい・・・。
30日 自慢噺はしたほうがいい。


★今日の家元(2006年4月)/立川談志★

2006年04月02日(日) 米国芸術協会における公演(1971年)/カート・ヴォネガット
勘が鈍ければいっそうよいのです。
わたしの父と祖父は鈍物でなかったために、
ムース協会やなんかに加入せず、むしろ孤独を選びました。
孤独は麻薬や大学のフラタニティーみたいに心を慰めてくれることがあります。
自分の住む社会が民俗社会からどれほどかけ離れているか、
そのことを教えてくれる人間が孤独な人間のそばにいないからです。
私の父が人生最良の日にいっしょにいたのは、若い妻だけでした。
その日、私の両親は一心同体でした。
祖父が人生最良の日にいっしょにいたのは、たったひとりの友達でした。
ほとんど話もしない相手でした━━なにしろ、機関車がものすごい音をたてていたもので。
わたし自身の最も幸福な日について言いますと、
わたしはこれから入れてもらえるシカゴ大学人類学部こそ、
同じような志を持った人々から成る小さな家族だと信じて
大きな幸せを感じていました。


★米国芸術協会における公演(1971年)/カート・ヴォネガット★

2006年04月01日(土) 米国芸術協会における公演(1971年)/カート・ヴォネガット
わたしたちの内面には、わたしたちが民俗社会(@ロバート・レッドフィールド)
に属することを要求し、もしそれに属していないと、
年じゅう不快に感じるような化学物質が充満しています。
わたしたちは、ちょうど魚がきれいな水のなかで生きるよう
化学的に操作されているのと同じように、
民俗社会のなかで生きるよう化学的に操作されている。
にもかかわらず、もはやわれわれの属すべき民俗社会はないのです。



年をくった連中はクラブや協会などを形成し、人生のあれこれの
狭小な分野に関心を向けているようなふりをします。
ライオンズクラブのメンバーたちは眼病の治療と予防に関心を持っているようなふりをします。
実のところ、彼らは孤独なネアンデルタール人であり、
こういう<人生の第一法則>に従っているのです━━
「人間は、民俗社会の素朴で兄弟愛に満ちた生活条件に
近づけば近づくほど、ますます満足を感じる」
米国芸術院も米国芸術協会も、わたしの考えでは、
文学や芸術をほんとうは屁とも思っていません。
彼らもやはり化学的な働きに従って、迷信的で、愛情のこもった閥ないし村、
ないしは一族を形成しようと努力しているのです。


★米国芸術協会における公演(1971年)/カート・ヴォネガット★

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