宿題

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2005年10月31日(月) 女の文化ケモノ道/平山亜佐子
ギャルたちはモテるためにいろいろやっているけど、
実は男の子には見せない違う世界をもっていたりするかもね。



なにしろ、竹内結子がねぇ…あんなにモテるとは。盲点だった。
女の人はノーマークだったもんね。
雑誌の「グラマラス」に「玉の輿倶楽部」っていうのがあるんですけど、
そこに王子様が三人出てきてね、愛車の前で写真撮って、
「好きな芸能人:竹内結子」「好きな芸能人:竹内結子」って三人みんな言ってて(笑)。



それは正論なんだけど…つまんない(笑)。



居間じゃなくて、とにかく自分の部屋にいたな。
どうせくだらないことをしていたんだろうけど。


★女の文化ケモノ道/平山亜佐子★

2005年10月30日(日) 女の文化ケモノ道/堀越英美
(オリーブは)昔の女学生向け雑誌を女工が回し読みしていたようなものだよね。



女の子にF1層的であることを期待しているのは確かに男の人の方だと私も思う。
自我の薄い女の子の方が想像力が働いて萌えやすいというか、
下手に内面を見せられると萎えちゃうから。
でも彼女らは文化系ではない男子の方にいっちゃうから、
憎しみが生まれるんじゃないかな。



マイノリティは謙虚じゃないと。



男の子はみんなかわいい子が好きだから、
モテたい女子は美容をがんばればいいって努力の道筋が見えやすいでしょ。
けど、アンガールズが女の子に人気と言われても男子は何をがんばればいいものやら。



「宅間守がなんで5回結婚できるんだ?」っていうのがあるじゃない?



スノッブを嫌ってはいかん、って話だね。
サブカルが批判されるときに何が批判されるのか、って言うと、
他人の目を気にして自分の好きなものを追求してないんじゃないか、
「これ言ったらかこいいんじゃないか」って気にしてるんだろう、というのがあるんだけど。



「アイツらと違って俺は気にしてない」って言う人の方が
かえってカマトトぶってるんじゃないかと思うんですよ。
好きなだけだったらわざわざ公言する必要はないわけですよ。
言葉にした時点でそれはすでに政治だよ!って言いたいですね(笑)。
他人の視線を意識することを過剰に悪徳視するのは何なんだろう?


★女の文化ケモノ道/堀越英美★

2005年10月29日(土) 女の文化ケモノ道/野中モモ×浜名恵美子×平山亜佐子×堀越英美
堀越 私親にやってたよ。『ホットロード』にハマってた頃に、「読め」って渡した。
で、怒られてくじけるのね。

浜名 それは親にそういう適性があるっていうか。

堀越 ない、ない、ない。全然ダメだった。

野中 いいね、親にそんな「理解しろ」って。

堀越 いや、これは反抗期です。

野中 そんな下手の?

平山 そんなソフトに?

堀越 不良になっちゃうぞって(一同爆笑)。「いかにもアンタたちが好きそうな話よね」って
突き放したような感じで言われた。

野中 でも一応読んでくれて、意見の交換があるっていうのがすてき。

堀越 私の中では悪い思い出だったんだけど。

平山 いま浄化されたんじゃない?

堀越 よかった。救われた。

野中 心温まるエピソードでしたね。

堀越 なぜか氷室冴子を貸したりね。やっぱりバカにされるんだけど。


★女の文化ケモノ道/野中モモ×浜名恵美子×平山亜佐子×堀越英美★

2005年10月28日(金) 童謡/小沼丹
叔父は背は低いが二十四、五貫あって、たいへん肥っていた。
叔父がどこかを歩いていたら、小さな子供が、でぶ何とかと囃したてた。
あれは何と云ったのだろうと訊かれたから、叔父に教えてやったことがある。
でぶ、でぶ、百貫でぶ、電車に轢かれてぺっちゃんこ。
自分がでぶのせいか、叔父はすべて肥ったものはいい、
痩せたものは宜しくないと良く云っていた。
電車に乗って肥った女性を見ると
──美人がいる。
と機嫌が良かった。当然の成行として、痩せた女性は不美人と云うことになる。
尤も叔父の妻である叔母は痩せていたが、その辺はどう辻褄を合わせていたのか知らない。
何でも肥ったものが良い、鶏だって肥ったやつは旨いが、痩せた鶏は食えたものではない、
と云うのも聞いた。どこ迄本気で云っていたかは判らない。
上野の動物園にも連れて行って貰ったが、
叔父が河馬や象の檻の前に特に長く立停まっていたと云う記憶は無い。
あるとき、上野の美術展に連れて行って呉れた。
何故そんな展覧会に連れて行かれたか知らないが、一人ではつまらないから
子供でも連れて行く気になったのだろう。
そのとき初めて裸婦の画を観て、たいへん不思議な気がした。
──何故、裸の絵を描くの?
──何故…?
叔父は眼をぱちくりさせて暫く考えて、
美人、不美人が良く判るように裸にするのだとか云った。
裸にすると、肥っているか痩せているか一眼で判るだろう?
──御覧、これなんかいい画だ…。
叔父の讃めたのは、肥った裸婦の画であった。
何だか一つ利口になった気がしたのかもしれない、帰ってからその話を母にしたら、
まあ、何て下らないことを云う人でしょう、と母は腹を立てて叔父をとっちめた。
そんな話は黙っていれば良かったと思っても、もう手遅れである。
大体、こんな子供に裸の女の画を見せることは無いでしょう?
ほんとにつまらないことをする人ね…。
尤も叔父はにこにこ笑って、
──まあ、いいさ。そんなに怒んなさんな…。
と云っているから、怒る方も張り合いが無かったかもしれない。


★童謡/小沼丹★

2005年10月27日(木) 夕焼空/小沼丹
或る夜、草臥れたから酒でも飲んで寝ようと思って、ウイスキイを飲んでいると、
いつ来たのか気附かなかったが隣に吉田が座っていたから吃驚した。
而も吉田の方から、久し振りだから乾杯しようや、と云うからグラスを合わせて、
それから
──はてな…。
と思った。念のため、
──お前は死んだ筈じゃなかったのかい?
と訊いてみると、
──うん、そうなっているが、まあ、気にするな。
吉田がそう云うから、それもそうだと思って気にしないことにして暫く昔話をした。
野球場の外で会ったときと違って、改まった口を利かないから感じが好かった。
話をしている裡に気が附いたのだが、吉田が尻尾を垂らしていたので、これには驚いた。
椅子から床に垂れている。
──お前は変なものを着けてるな…。
と云うと、吉田は尻尾を丸めて此方からは見えないようにして、
──これはうっかりした。どうも失礼。
と謝ったが、別に謝る程のことではない。
それでもなんとなく尻尾が気になるから、何故尻尾が生えたのかとか、
あの世へ行くと皆尻尾を貰うのかとか訊いたら、
吉田は尻尾の話は苦手らしく、突然、
──あの女はね…。
と云い出した。どの女かと訊くと、上野の病院にいた女だと云うから、
漸く何さんに就いて詳しい話が聞けると思う。
──あの女はね…。
──うん。
──あの女はね…。
空廻りするレコオドのように、あの女はね…、ばかりで一向に先に進まないから焦れったい。
吉田の奴、酔い過ぎたのかもしれない。おい、しっかりしろ、
と云ってから気が附いたら吉田はどこにもいない。
一体いつ帰ったのかしらん?


★夕焼空/小沼丹★

2005年10月26日(水) 散歩道の犬/小沼丹
この一見日本犬らしい犬は、大抵コンクリートの床にごろんと臥転んでいた。
隅にちゃんと座っていることもあるが、これ迄吠えたことは一度も無い。
それが何を勘違いしたのか、鎖を一杯に引張って、此方を向いて猛烈に吠える。
立停まって小鳥の巣を見上げていたのを、胡散臭いと誤解したのかもしれないが、
それは認識不足も甚だしい。
──間違えちゃ不可ないよ。
と注意したい。
犬に注意しても始まらないから歩き出そうとしたら、
そこへ焚火していた嚏の爺さんがやって来て、
──これこれ、吠えるじゃない。
と云って犬の頭をぴしゃんと叩いた。
或いは犬の奴も、飼主の爺さんがやって来たので、
その手前吠えてみせたのかどうか、その辺はよく判らない。
爺さんが誤解すると不可ないから、念のため、頭上の小鳥の巣は何鳥の巣かと訊いてみたら、
──そう云えば鳥の巣があるとか云ってたっけ…。
と云うと、上も見ずに家のなかに這入って行ってしまった。
誰が鳥の巣があると云ったのかしらん?
判らないことが一つ増えて、面白くも何ともない。
そのとき犬の奴はどうしていたのか、吠えるのを止めていたのかどうか、
どうも想い出せない。


★散歩道の犬/小沼丹★

2005年10月25日(火) 連翹/小沼丹
─どうも暫く。
何だか久し振りに小山さんに会って懐かしいから、立話を始めたら、
どうも調子が怪訝しい。はてな?と首をひねった。小山さんが、
──あの人は、お元気ですか?
と云う。当然、あの人、の名前が出て来るものと思って待っているが、出てこない。
小山さんは拳で額をとんとんと叩いて焦れったそうな様子をする。
それから、手を押して東の方角を指すから、
──清水町先生ですか?
と訊くと、そうだと云うことになる。
小山さんは亀井さんと親しくて、亀井さんに世話になったという話を聞いて知っていたが、
その亀井さんの名前も口に出して云えない。たいへん驚いた。
その后、駅前通の珈琲店で小山さんと話したが、話をするのに大変苦労したと思う。
一体、どうしてそんな状態になったのか?
不思議でならなかったが、小山さんは、
──病気です。
それも遠からず癒る筈だ、と余り心配していないような口吻だったが、
内心はどうだったろう?
買物に行って、肝心の品物の名前が出て来なくて店員が間誤つく、
そんな話をして小山さんは笑ったりしたが、聴いている方はとても笑えない。
珈琲店を出て一緒に駅前の方に来たら、西の空が真赤に燃えていて美しい。
小山さんがそれを指して、別に痞えずに、
──夕焼だ。
と云ってたいへんうれしそうな顔をした。その顔がいまも眼に浮かぶ。
后になって誰かが、小山さんの病気は失語症と云って難しい、多分、
癒らないのではないか、と云うのを聞いて非常に淋しかった。
言葉に全てを懸けた人間が、その言葉を失ったら、一体どうすればいいのかしらん?


★連翹/小沼丹★

2005年10月24日(月) 大きな鞄/小沼丹
関口の頭は昔風に云うと蓬髪と云う奴で、のみならず、
それが一斉に逆立っていて頗る壮観であった。
怒髪天を衝く、と云う言葉があるが、関口は笑っていても髪の毛は常に怒っていた。
それから、いつも大きな皮の鞄を提げて、天の一角を睨むような恰好で歩いていた。
──この鞄は、俺の叔父が、昔、米国で買ったのだ…。
とか関口が云うのを聞いたことがあるが、成程、日本では御目に掛からないような
大きな古い鞄で、当時の学生や勤人の持っていた鞄の優に三倍の大きさはあったと思う。
いつだったか、昔の仲間が何人か集って酒を飲んでいたら、一人が、
──彼奴はどうしたろう?
と云う。彼奴だけでは判らないから、誰のことだと訊くと、名前を忘れたらしい。
──髪がぼさぼさで、大きな鞄を持ってた奴がいたろう?
と云ったら、聞いていた連中は直ぐ判って、
──そりゃ、関口だ。
と簡単に解決したから、蓬髪と大きな鞄は関口の商標みたいなものだったろう。


★大きな鞄/小沼丹★

2005年10月23日(日) すいか 第六話(未公開場面)/木皿泉
(電話してるスミちゃん)
電話相手の声だけが聞こえている。

「もしもし?もしもし?なんですかもう、いい加減にして下さいよー、もしもし?
ちょっと黙ってないでなんか言ったらどうなんですか?
もしもし?もしもし?」

(後ろから近づく教授)

「スーミちゃん」

(電話を切るスミちゃん。逃げ出そうとするが、教授が手をつかむ)


(二人で椅子に座っている)

「そっか、無言電話かけてたのか。
ハハハ、間が悪い時に声かけちゃったわね」

(教授、一呼吸して)

「あなたのこの間の論文、とっても良かったわよ。
自分なりの視点でとことん問題を解決しようとする姿勢は、とってもよろしい」

「先生…私、答え出そうにありません。
…妻子ある人なんです。どうやっても答えが出ないんです」

「無言電話かけて気は晴れた?」

(首振るスミちゃん)

「嫉妬するのは恥じゃないわよ」

「でも…ものすごくどす黒いものがここんとこに(胸に手)」

「そういうものは誰でも持ってるの。
恥なのは、そのどうしようもない気持ちを人にぶつけてしまうこと。
ちがう?
…そういう時は、じっと我慢するしかないの。
どんな嵐だってきっと過ぎ去る。絶対大丈夫だから。
どんなに自分の中が荒れ狂ってても、いつか元の自分がやってくる。
それを信じてじっと我慢するしかないの」

(教授がスミちゃんの頭をぐりぐり撫でる)


★すいか 第六話(未公開場面)/木皿泉★



■DVDのおまけ映像から。
「スミちゃんは実は不倫をしていました。
しかしキャラクターがぶれる事と、
「すいか」全体のトーンが崩れると判断して、カットしました」
という説明が最初に。

2005年10月22日(土) 少女マンガで号泣/中島らも×いしいしんじ
いしい 先日、とある飲み屋で、藤子不二雄Aの安孫子素雄さんと会ったんですよ。

中島 ほう。

いしい きさくな方で、僕も酔っ払ってたんですけど、
「安孫子さん、今日から僕、藤子不二雄Cって名乗っていいですか」
って聞いたら、「よし」って。
ナプキンにも、そう書いてもらいました。
だから、今日から僕のこと、そう呼んで下さい。

中島 略して「しー」やな。おい、「しー」。


★少女マンガで号泣/中島らも×いしいしんじ★

2005年10月21日(金) 下品な内臓/中島らも×いしいしんじ
いしい この夏、突然、右脚が曲がらなくなったんですよ。
洒落にならんから、急遽、健康保険に入りましてね。

中島 君、保険すらなかったんか。非国民やな。

いしい 大学病院言ったら、MRI検査っていうの、やらされたんです。
レントゲンの大袈裟なやつ。これがまたごっつ高くて、8000円くらいする。
で、結果が出たいうんで行ったら、写真眺めながら、
「いしいさん、あなたの半月版はでかい。いや、でかすぎる」
「はあ、それが原因なんでしょうか」
「いやそれは別に関係ないんだけどね」って。何じゃそれ。

中島 がっはっは。

いしい 「じゃあ、早く教えてくださいよ」
「あのね、わからない」「え?」「原因不明、はい、これ」って、
紙一枚渡されて、見たら、リハビリ体験基本8コースって書いてあって。

中島 はっはっは、おっかしいねえ。

いしい 冗談じゃない。体操一回あたり1000円ですよ。


★下品な内臓/中島らも×いしいしんじ★

2005年10月20日(木) 獣姦したい動物/中島らも×いしいしんじ
中島 しかし、君はイギリスの牛を(狂牛病騒ぎの時に)食うた男やからな。

いしい 今ここで僕が暴れ出したら、牛のせいです
脳が解けて、心身喪失。万能かつ一生もんの言い訳ですわ。


★獣姦したい動物/中島らも×いしいしんじ★

2005年10月19日(水) 野ブタ。をプロデュース/木皿泉
(お化け屋敷の最後に書いてあった言葉)
今、手をつないでいるその人に出会えたのは、
キセキのような、かくりつです。
光の中に出ても、その手をはなすことのないように。


★野ブタ。をプロデュース/木皿泉★

2005年10月18日(火) 僕らの音楽/宇多田ヒカル
たまっていた感情をばっと吐き出すような、
抽象画のような作り方もあると思うけれど、
自分はばっと出てきたものを、いろんな角度から眺めたり、
客観的になったりしていろいろ手を加えていく作業の方が好き。
その方が長く楽しんでもらえると思うから。



アーティスト一家に生れてどうですか?という質問に。

アーティスト(笑)。ええと、私は学校も行っているので
自分の母親のちょっと「違う」というところもわかる。
父親も母親よりの人なので、母の考え方を応援したりサポートすることが多い。
それを見ていて「大丈夫なのかな、とか、お金なくなっちゃうんじゃないのかな」
とかドキドキすることはあった。
紀里谷さん(紀里谷氏って呼んでいたかも)の家族に会って、
なんて常識的な人たちなんだ、素敵、と思った。



映画「春の雪」はどうでしたか?と行定監督自身に聞かれて。

(時間の話の後で)こんなにきれいな話だったんだ、と思った。



家で仕事の話をするのは好き。
仕事をしているとどうしてもわかってもらえないことが多いので、
「こうだったんだよ」とか話をしてわかってもらえるというのはすごく楽。


★僕らの音楽/宇多田ヒカル★

2005年10月17日(月) 深夜の初会/内田百間×古今亭志ん生
内田 しかしね、師匠、あんたさんはこないだ東横じゃ
とんがらしが乾いたような顔をしていましたね。(笑)
こうやって咫尺に伺ってみると、みずみずしいいいおじいさんだねえ。


志ん生 わたしは飛行機って大嫌いだから…。

内田 大嫌いってまだ乗らないんでしょう。

志ん生 乗らなくてもリクツで、わたしはそういう高いところへ行くのがきらいなんです。

内田 嫌いといえばきりがないや。そうお嫌いなさんな。一ぺん僕とのろうか。

──しかし先生もお乗りにならないでしょう。

内田 乗らないけど、志ん生さんを乗っけるんだもの。
つまり、人の嫌うことなら僕はしてもいいよ。


内田 僕のこれは近眼鏡だから、しかし度が狂ってるから、
これをかけて外へ出ると、外界というものはひどく漠然としている。
しかし、あなたの頭に毛がないくらいは見えますよ。
この眼鏡で…。(笑)

内田 逆さになぜるといくらか触りますかね。(笑)

内田 妖怪だね。光頭の勘か。

内田 あんたさんがああいうところの高座で出たり入ったりする様子を拝見して
僕はすっかり崇拝したね。いいかっこうしてお歩きになるからね。
腰は少々曲がってる、その曲がったところを利用してさ。(笑)
こんなたけだけしいじじいとは思わなかった。
とんがらしのような顔してると思ったら、
こうやってみるとお若いもの。やっぱりなぜてみればあるのかもしれない。

志ん生 あなた、それだけあれば大したもんだ。

内田 年とって毛が生えてるやつにろくな者はいない。

志ん生 わたしは二十三年生れ。

内田 これは驚いた。びっくり仰天だ。
僕は明治二十二年五月二十九日午前十一時、一つ上だよ。
だからさっき志ん生師匠を上座にしなきゃいけないと考えてたけど、
年の順だもの、年下のものは下座へ下がってもらう。


(対談が終わることになって)
内田 ちょっと志ん生さん、握手しよう。
クソじじい、よかったね。

志ん生 みんなクソじじいだ。年をとれば…。

内田 だって僕より年下じゃないか。

志ん生 一つ違いだから同じようなもんだ。

内田 ずっと智恵が違う。一年が大事だ。


★深夜の初会/内田百間×古今亭志ん生★

2005年10月16日(日) 深夜の初会/内田百間×久米正雄×神鞭常泰
神鞭 このごろのディスインフレなどというのは随分わからない。
八絋一宇みたいなものだ。

内田 デステンバーみたいなものさ。(笑)
お金と品物とどっちかが足りなくて、どっちかが多いから、
どっちかが欲しくなるんだ。つまりドッチラインさ。(笑)
両方が平均してごらんなさい。何も要らない。
寿命と無常と同じだったら命はいらん。


★深夜の初会/内田百間×久米正雄×神鞭常泰★

2005年10月15日(土) 深夜の初会/内田百間
ぼくは金は好きだけれども、金を儲けるために働くのが厭だな。
ぼくはネ、お金を勘定する仕事が好きだな。
五十銭札の耳を揃えたり、裏表を揃えたりして。


★深夜の初会/内田百間★

2005年10月14日(金) 深夜の初会/内田百間
お金を持っているのは貧乏人ですよ。
お金を持ってなくても、なんでも、したいことはどこに行ってもできなければ。


★深夜の初会/内田百間★

2005年10月13日(木) 深夜の初会/内田百間×河盛好蔵×辰野隆
河盛 内田さん、諏訪根自子は聴きましたか。

内田 聞きました。

河盛 どうです。ご感想は…。

内田 帰朝第一回の演奏会を聴きに行った時は呼吸がつまるような気がしましたが、
最初の音を聴いて、実は涙が出た。
大丈夫だと思って、安心しちゃった。
速記に載ると困るけれども、──日本は連合艦隊を失ったけれども、
諏訪根自子が帰ってきたからかまわないと思った。

辰野 全印度を失うとも、シェークスピア在りか。
東京を焦土と化するも百間を生かせか。
根自子君はコンセール・コロンヌのファースト・ヴァイオリンを弾いておった。
カントレールの弟子でしょう・

河盛 カントレールは林龍作氏の先生でもありますね。

辰野 カントレールは日本人のいいお弟子をもっているね。
ゆうべの演奏会で…。

内田 辰野さん、世間話をしましょう。
ゆうべの公会堂では、さすがに煙草をすっていない。
どうも学校の先生をしておった根性が抜けないためか、
そういうお行儀がひどく癇にさわるのでね。
やはりいいなと思った、夕べの会は…学生が多かった。
そのうちに休憩があって、一たん外へ出てまた入って来る。
そうするとぼくから少し離れた前の席に慶応ボーイがいる。
それが火のついた煙草を持って入って来た。
ぼくのステッキの届くあたりに腰かけている。
背中をこつこつ叩いてやろうと思ったが、持ってはいったきりで、とうとうすわなかった。
つまり棄てて来るには惜しかったのだろうね。
しかし持ってはいってみたらそこの空気ですえなかった。それでいいと思うな。


★深夜の初会/内田百間×河盛好蔵×辰野隆★

2005年10月12日(水) 深夜の初会/内田百間×徳川夢声×高田保
徳川 どうもいかん。こんな話をしていると宛らニキビ老年だ。(笑)

内田 ニキビ。ニキビというのは目出度い瑞兆だよ。
終戦後やっと今日になって、若い者の顔にニキビが出て来ました。

徳川 衣食足ってニキビ現わるか。出て来ましたか?

内田 二三確かに発見しました。
この次には神経衰弱が流行しなくっちゃ駄目だね。青年のね。

徳川 それに罹るほど、青年はまだものを考えない。

内田 あれに罹れるというのはやっぱり能力の一つですよ。
その能力が現れてくるまでに国力を快復しなくっちゃ…。

徳川 僕などどうも近頃、神経が健全すぎて面白くない。

内田 それはあなたが利口の峠を越したからだよ。


★深夜の初会/内田百間×徳川夢声×高田保★

2005年10月11日(火) 深夜の初会/内田百間×吉田茂×徳川夢声
吉田茂邸での対談。
犬も吉田茂の飼い犬。

内田 あなた(夢声さんに)たべるものないじゃないの。
いなりずしでもとってもらって…(笑)。

徳川 こういうひとはめったにこないでしょう。

内田 何か夢声君に差し入れを…(笑)。

徳川 いいですよ。

吉田 見ておって気の毒に感じます。(笑)



吉田 私は外務省に入ったころは評判がよくなかったもんだから…。

内田 そうでしょうね。あんまり愛想がよくないらしい、このじいさん。(笑)



内田 さっきあちらのお部屋にすいぶんバラがあったね。
あれみんないわくがあるのかと思って見たが、ろくなバラがない。
みんなくたびれちゃってね。(笑)

徳川 今ごろはしょうがないですよ。

内田 客を遇するの道にあらず。



徳川 これ(食堂に一匹いる)おとなしいですね。

内田 フン、この物体は犬ですね。雑巾を搾ったようだ。
どっちを向いてるんだか、顔だか尻だかわからない。(笑)


★深夜の初会/内田百間×吉田茂×徳川夢声★

2005年10月10日(月) 深夜の初会(教育について)/内田百間×吉田茂×徳川夢声
内田 要するにケンカですね。教育というものは…。
教え子、私はあの言葉が大嫌いだ、ケンカ相手である。
僕は一生懸命なんだ。彼らも一生懸命に僕に反抗している。
精神教育じゃない。
僕の始末の悪いことを彼らに見せないようにするには威張ってなければいけない。
このごろは売っていませんけれど、やはりあのシングルの立ちカラーでなければ
ダメですね。

内田 私は覚えたころを忘れるのは決して責めない。
一旦覚えさえすればいい。忘却しないというのはバカですね。
教わったことをみんな覚えているというのは職業教育には多いのでね。

内田 覚えていないことを忘れることはできません。だから…。


★深夜の初会(教育について)/内田百間×吉田茂×徳川夢声★

2005年10月09日(日) 深夜の初会(外国の話)/内田百間×吉田茂×徳川夢声
内田 僕は乗物の話が好きなんです。
あなたさまはもちろんたびたびお乗りになったかもしれないが、
僕は馬車に乗ったことは一ぺんしかありません。
それはおばあさんが亡くなったときに無理して葬儀馬車に乗った。
ポッコポッコ行くやつ。

徳川 鉄道馬車は乗ったでしょう。

内田 イヤ、ああいうものじゃない。あなたは…。

徳川 私はおととし乗りました。シャンゼリゼ…。

内田 あんたさん、外国の話ばかりして、みっともないね。


★深夜の初会(外国の話)/内田百間×吉田茂×徳川夢声★

2005年10月08日(土) 深夜の初会(呼びかたについて)/内田百間×吉田茂×徳川夢声
内田 きょうこうしてお話申し上げたり伺ったりするのに「吉田さん」ではおかしいな。
年上の長者にそういう呼びかけはありませんね。

徳川 呼びかけを今考えていらっしゃるんですか。

内田 ええ、今考えている。「閣下」なら一番手軽だけれども、
それはもう少しお酒をいただいてから…。

吉田 まず訂正していただきたいのは、年長は困りますねえ。

内田 それは疑いもありませんが、私の崇拝していた金貸しがございましてね。
昔の話ですけれども、台湾の巡査をして居りまして、生蕃の討伐に行って
足を撃たれて勤務できなくなったので、一時金をいただいてやめたのです。
そのお金を持って東京へ出て、志を立てて月給取り相手の金貸しを始めたわけです。
非常に立派な金貸しでして、立派というのは、外の教員上りのなぞの金貸しは、
人に向かって、私共に対して、それはあなたのお為にならない、
あなたの御人格がどうとかこうとかいろんなことを言うのですがね、
その生蕃討伐の高利貸しは、
「わっしは金貸しです。あんたさんの立場なんか考えてはいられませんよ」
と言うのです。
その金貸しの口癖だった「あんたさん」と言う呼びかけは、
しかし「あんたさん」のままではいけないから…。

徳川 呼びかけなんか使わなくていいでしょう。


★深夜の初会(呼びかたについて)/内田百間×吉田茂×徳川夢声★

2005年10月07日(金) 深夜の初会(天皇について)/内田百間×吉田茂
内田 人間天皇なんておしゃったけど、私は明治っ子ですから、
あんなこと言ったって信じやしません。
もともと神さまだとも思わない。今私が把握しているところの陛下はいい陛下です。

内田 こんないいものはない。日本で一番いいものは陛下だね。

内田 よくてよくてしょうがないが、どこがいいかということはわからない。

内田 陛下はいいですよ。
つまり僕の善意を彼が体現して人に与えているわけです。
僕がだれかにいいことをしたいというのをみんな陛下がやってくださる。
だから彼にまかしておこう(笑)。

内田 つまり僕の善意をみんな陛下が持っていらっしゃる。


★深夜の初会(天皇について)/内田百間×吉田茂★

2005年10月06日(木) 貧乏ばなし/内田百間×長谷川仁
内田 そういう貧乏文士とか貧乏画かきというものを
ほかの気持ちの人がみて気の毒がっても或いは清貧に甘んじているというので
尊敬しても、見当ちがいだろうと思うな、僕は。

─原稿なり絵なりかけばすぐ金になりますからね。

内田 だから金になるということが書きにくいということになる。
それはたしかに誰にもあるね。

─潔癖というのですか。

内田 いや潔癖でなく、お金がほしいからこれをかけばお金になるというのじゃいやなんだ、
潔癖でなく心事は陋劣なんだけれどもね、
だからそれをすっぽかしてただの原稿を書く。
お金をくれる原稿は書かなければくれないだけのことでそんな儀礼はない、
ということになる。
家でもそうでしょう、それで勝手に貧乏しているなどといわれても困りはしないが、
結局貧乏とか不如意とかということは話がむつかしくて困る。

─例えば上林暁とか尾崎一雄とかいう作家は楽しんでいるように書いているが、
実際は苦しいんだが、苦しくはないぞというような気取ってるところが見える。

内田 そうでなく、書かなければ米櫃が空になるだけで文士だからそれを書いた。
それを書けばいい、というのはわかっているが書けば金をくれるから書かない、
金持が金を儲けて銀行にふえるということはいいが、
困っているものが金をもらうというのは大事件だからね、
状況に激変を来すからね、だから日向ぼっこをしている方がいい(笑)。
一体ね、貧乏とか不如意とかいうものは非常にお金がほしいんですよ。
非常にほしいからもらうのにゃやはり順序がある。
順序というのは自分の気持で、余り困っているのに原稿を書けばすぐに金をあげますよ、
といわれたのでは書けない、それをすぐあなた方は清貧を楽しむとか、
貧乏を楽しんでいるという、そうじゃない、ますます辛いんだ(笑)。


★貧乏ばなし/内田百間×長谷川仁★

2005年10月05日(水) 貧乏ばなし/内田百間×長谷川仁
内田 私の友人に谷中安規という版画家がおりました。
もう亡くなりましたがね。
これは貧乏なんて特別の状態と貧乏となづく、というようなことをいうと
谷中画伯がおかしく思うような徹底した貧乏人でしたね。
この間9月9日になくなったがやはり食べ物がなくて亡くなったらしいですね、
風船画伯というんです。


★貧乏ばなし/内田百間×長谷川仁★

2005年10月04日(火) 悪童日記(10月11日)/水道橋博士
お笑い芸人が、彼女に出川くん、竜さんの悪口を言われると、
憤慨するとの話し、実にオモロ。


★悪童日記(10月11日)/水道橋博士★

2005年10月03日(月) 私の遺言/佐藤愛子
(山荘のストーブの上に置いてあったはずのコードレスフォンが行方不明に。
家中を探しても見つからず、ついにソファのクッションまではがしてみると、
その肘掛の付け根から電話発見。
呆然とするも、一日中電話を探していてお腹が空いていたので
とりあえず車で町まで出て何かを食べることに。
すると車のカギも紛失していることに気がつき愕然。
仕方なく手提げに入れてあったはずのスペアキーを取りに行くと、それもない)

この集落には「何かあったらいつでも走ってくるから遠慮しねえで電話しろ」
といってくれている人が何人かいる。
だがその人たちにいったい、何といってこの状況を呑み込ませればいいのか。
私にとっては異常だが、他人にとってはたかが車のキイが二つ、
なくなっただけのことだ。騒ぐほどのことじゃない。
電話が長椅子の中にあったなんて、どういえば信じてくれるだろう?
「とうとうおかしくなったんでないかい?いつも変ったこといってたもんな」
といわれるのがおちだ。
その時、「もしや?」という思いがきた。
立ち上がって、さっき電話が出てきた長椅子のクッションを剥がし、
肘かけのつけ根に手を突っ込んだ。
中は袋のようになっている。底をまさぐるとすぐ指先に触れるものがあった。
金属の感触。キイだ。
取り出して見定め、もう一つを探る。それもすぐ指先に触った。
二つのキイを手のひらに載せて、私は娘に向って、
「ほら!」とさし出した。「あったの!」
「あった…」
その時のわたしの顔は、まるでストレートパンチが決まった素人ボクサーのようだったと、
後で娘はいった。
私と娘は車に乗り込んだ。
私は「不動明王」のお札をスカートのウエストに挟み込んで、
「南無大日大聖不動明王!」
力を籠めて唱えつつ、車は山を降りて町へと向ったのであった。
もう南無妙法蓮華経では心もとない。
不動明王の憤怒の相、右手に降魔の剣、
左手に縛の策を握って悪魔を降伏せしめんとするとの力を恃むしかないという心境だった。
そうして私たちは町へ行き、宝龍ラーメン店で味噌バターラーメン(娘は大盛)
を食べて帰って来たのであった。
後にこの話を遠藤周作さんにしたら
(そもそもあんなボロソファをくれるからこんなことをされたのだ、といいたかった)、
遠藤さんは、
「そんな思いまでして飯食いに出たんなら、もうちィとマシなもん食えや」
といった。
遠藤さんはその時、私の話を信じたかどうか、私にはわからない。


★私の遺言/佐藤愛子★

2005年10月02日(日) 私の遺言/佐藤愛子
「本当に切実な経験というものは、主観的でも客観的でもないですね。
つねられて痛いと感ずる経験と同じです」
小林秀雄はそういっている。
私は経験した。
その切実な経験を人に語ることによって、それを理解したいと思った。
その結果得たものは、当惑や憤慨や嘲笑や、よくて好奇心だった。
「つねられて痛い」と感じたことをつねられたことのない人にわからせようとするのは無理である。
私は沈黙するべきだった。
だが私は沈黙していることが出来ずにこのエッセイを書き出した。
深く考えるためには書く必要があることに私は気がついた。
「考えるということは、対象と私とが、ある親密な関係へ入り込むということなのです。
だから、人間について考えるということは、その人と交わるということなのです。
そうすると、信じるということと、考えるということは、大変近くなって来はしませんか」
小林秀雄のこと言葉が私の背中を押したといえるかもしれない。


★私の遺言/佐藤愛子★

2005年10月01日(土) 私の遺言/佐藤愛子
払ってあげるといわれて私は美輪さんの家へとんで行った。
祭壇がしつらえてある部屋で、お経を上げる美輪さんの後ろに虚脱したように坐っていた。
悪夢の中にいるようだった。
しかしそのうち、なぜだ、なぜこんなことになるのかという怒りに似た思いは少しずつ消えて行き、
私の頬を涙が伝い出した。
美輪さんの慈愛が胸に染みた。
なぜ美輪さんがさほど親しくもなかった私のために、ここまでしてくれるのか、
それに思い至った時、凍土に春の雨が染みて行くように、私の心は潤ってやわらかくなった。
今から思うと美輪明宏さんは私の人生が変っていく最初の案内者だった。
私が美輪さんのすべての言葉を疑わずにそっくり受け取ったのは、
彼の霊能力への信頼というよりもあの華美な装いの奥にある「慈愛」ゆえだったと思う。
それに触れたことによって、私は胸の奥底に慈愛を秘めている人の心に敏感になった。


★私の遺言/佐藤愛子★

マリ |MAIL






















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