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■ また書いてみる、こっちで。
いかんせん、ヒトの反応を気にしながら文をつづるというのは、楽しくもあり、またわずらわしくもあり。
webに公開している以上完全にプライベートなものにはならないのだけれど、それでも知ったヒトには読まれたくないものだって書きたい時もある。
mixiでさえ、うちの親の参入が間近である。
これまでずっと、「期待されることが嫌なのだ」と思ってきたが、どうやらそれも違うらしい。
本当の意味で、私の意欲を奪うのは、
「自分の思い通りになるように期待されること」
だったのだ。
無意識のうちに、それが続いていたことが、私にとって実家や地元が生き辛い場所になってしまったことの要因だろうと、今は思う。
期待される人物としての私。
・キチンと大学院を終了し ・地元に住み ・大手の企業に就職し ・家柄の知れた、誠実で、稼ぎのいい婿養子をとり ・親と本家の墓の面倒を見続け、長女としての役割を果たす ・頼れる存在
これが、求められている私の姿。 25年間に渡って、期待されている私の姿。
けれども、本当の私(この言い方は陳腐すぎて出来れば使いたくはない)は実は違う。
・進学して1年目が終わることには、辞めたくて仕方が無かった ・中退という事が許される家庭ではない ・嫌過ぎてうつ病の軽いのになった ・いっそ消えてしまいたかった ・地元に帰らず、この街で、必要としてくれる人と一緒にいたい ・"期待されている役割"など、こなしたくもない。 ・無名でも、大企業でなくても、やりたいことをやりたい ・出来る人なんかじゃない。むしろ、何も出来ない情けない人なのだ
何も知らないで、 何も考えないで、 生きていた方が、 みんなが、幸せだったのかもしれない。
けれど、知ってしまった。
虚勢を張らない、 自然体の自分を。
見栄っ張りでプライドが高くて、世間体を気にしていた自分を、知ってしまった。
もう後戻りは出来ない。 進むしかない。
けれど時折、折れそうになる。
2007年07月20日(金)
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