Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2007年05月31日(木) 陣内智則さん、藤原紀香さんの結婚披露宴



「 結婚前は目をしっかり開いていること。

  そして結婚後は半分閉じていること 」

     ベンジャミン・フランクリン ( アメリカの科学者、政治家、文筆家 )

Keep your eyes wide open before marriage,
and half shut afterwards.

                               Benjamin Franklin



今夜は早めに帰宅し、パワーポイントでプレゼンの資料を作成していた。

完了寸前、最近お付き合いを始めた女性から、携帯にメールが届いた。


メールを開くと、「 TV で 陣内 智則 さん と 藤原 紀香 さん の結婚披露宴が中継されているので観てちょうだい 」 という内容だった。

たまに、芸能人の結婚披露宴が中継されることは知っていたが、まったくと言っていいほど興味が無いので、当然、過去に視聴したことは一度も無い。

交際して日が浅いので、私を 「 芸能人の結婚披露宴マニア 」 だと勘違いしているのかと思い問いただすと、「 とても感動的だから 」 と答えられた。

しぶしぶ TV を点けたのが午後8時半頃だったので、披露宴は半ばを過ぎていて 「 まさしく “ 宴もたけなわ ” 」 という様子である。

知り合いでもない他人の披露宴を観て何が面白いのか、どこで感動すればよいのやら理解に苦しみながらも、とりあえず眺めてみることにした。


過去に十回ほど、披露宴の司会を努めた ( 仕事ではなく ) 経験もあるが、やはりプロの進行は見事だなと、最初は夫妻より司会者が気になった。

新郎、新婦のプロフィールについて詳しく知らないが、なんとなく芸能人的な空々しさが少なく、この両名には好感を持てる印象がある。

素人の披露宴とは違って、TV 的な演出というか、一つの Entertainment として成立させようとする意図が窺えるけれど、さほど不快なものでもない。

後半、新婦を喜ばせるために、新郎が3ヶ月の特訓を経て苦手を克服したというピアノの弾き語りを披露したあたりは、演出を超えた感動があった。

新婦による両親への謝辞も、芸能人という先入観を忘れさせる自然さで、親子の絆が強く感じられ、この結婚の真摯さを物語っていたと思う。


たかが他人の結婚披露宴ではあるけれど、両親への感謝や、愛し合う二人が将来を誓い合う姿に、招待客、視聴者は拍手喝采し、目頭を熱くする。

それは、地球環境の問題とか、政局の趨勢、現職大臣の自殺などに比べると、ごく小さな話題かもしれないが、たしかな 「 感動 」 がある。

いくら立派な肩書きや、お金や、地位があっても、人が死ぬ ( 自殺ならなおさら ) ことには感動がなく、強く正しく生きる姿にこそ感動はあるのだ。

中継が終わって、仕事の続きに取り掛かろうとした瞬間、彼女から電話が入り、「 観た?観た?感動的だったでしょッ! 」 と高揚した声が耳に響く。

また、「 私も早くしたいワッ♪ 」 などと先走るものだから、「 感動しました 」 と素直に答えてよいものかどうか狼狽し、にわかに緊張が走る夜だった。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月30日(水) ZARD 急死の真相は



「 哲学で唯一深刻な問題は、自殺である 」

                     アルベール・カミュ ( フランスの作家 )

There is but one truly serious philosophical problem and that is suicide.

                                  Arbert Camus



松岡農水相が自殺 ( suicide ) した日、歌手の ZARD も急逝した。

奇しくもその舞台は、松岡農水相が運び込まれた慶応病院である。


時代に左右されない曲調と、特に女性層からの共感を得やすい歌詞などの魅力によって、彼女の歌は世代を超え多くの人に愛され、親しまれてきた。

直接の死因は転落による脳挫傷ということだが、子宮から癌を摘出したり、それがまた肺に転移していたりして、入退院を繰り返していたという。

それで 「 病気を苦にしての自殺 」 なのか、なにかの拍子で足を滑らせての 「 転落による事故死 」 なのか、現在、警視庁の調査が続いている。

一部の目撃証言から、柵を乗り越えようとしていた可能性があり、事実だとすれば 「 自殺 」 の線が強い。

だが、身辺整理をした形跡がなく、復帰に向けて作詞や創作活動を意欲的に行っていたという関係者の証言もあり、「 事故 」 だとする見方もある。


真相は判明していないが、仮に自殺であったとしても、松岡農水相の場合とは、いささか状況が違うとみて間違いなさそうだ。

本来、人間には生きる義務があり、自殺などもってのほかと言いたいところだが、唯一、「 病苦 」 が重い場合には、これを例外と考えるべきだろう。

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのであり、それに抵抗して苦痛を長引かせることが、必ずしも正しいとはかぎらない。

鬱病の人がよく自殺を企図するが、彼らは 「 病人 」 ではあっても 「 瀕死 」 というわけじゃないので、これには該当しない。

単なる我侭や、甘えや、現実からの逃避で死を選ぶのとは別問題であり、精神的苦痛は肉体的なそれと違って、各自が乗り越えねばならない。


自殺を図る人間の 9割 は 「 鬱病 」 であるという統計結果があり、自殺を減らすには 「 鬱病患者を減らすこと 」 が最も効果的だと言われている。

誤解しないでもらいたいのは、あくまでも 「 自殺者の 9割 が 鬱病 」 なのであって、「 鬱病 の 9割 が自殺する 」 というわけではない点だ。

私の周囲にも鬱病の人がいるけれど、同じ鬱病でも 「 鬱 と 闘う人 」 と、「 鬱 に 甘える人 」 がいて、両者には雲泥の差がある。

私の場合、鬱病患者全体への偏見を持っていないが、「 鬱 と 闘う人 」 に対しては大いに尊敬するし、「 鬱 に 甘える人 」 には嫌悪感を持っている。

鬱病患者でも、鬱に立ち向かう人は自殺など考えず、粛々と治療に励み、他人の忠告を受け入れて思考を改め、他人に 「 死 」 をほのめかなさい。


他人に死をほのめかしたり、周囲に愚痴を吐くだけでは物足りず 「 ネットで泣き言を書き連ねる 」 ような御仁には、まったく鬱と闘う意志がない。

彼らは 「 鬱病に苦しんでいる 」 素振りをみせながら、実際には鬱を口実にして他人の関心を引き寄せ、ただ、甘えたいだけの弱虫である。

こんな人々を野放しにしたり、それに同調する風潮が、ますます鬱病を蔓延させる結果につながっており、ぬるい世の中を形成している。

また、本来なら鬱病の人は 「 言いたいことが言えない 」 から鬱病になったわけで、他人の悪口や、政府の批判などをするタイプではない。

自称 「 鬱病 」 と名乗るブログで、口汚く政府や閣僚の悪口を吐いている人は、鬱病から 「 分裂症 」 など別の精神病に進行している危険がある。


前述の 「 鬱 と 闘う人 」 は自殺に否定的なのだが、「 鬱 に 甘える人 」 は自殺者を庇い、自らも他人と交渉する手段として自殺企図を活用する。

一般的に 「 善い行い 」 とは、人々の模範となる姿勢であり、未来ある若者や子供たちに真似て欲しいと願う行動のことを指すはずだ。

そう考えたなら、自殺が 「 善い行い 」 であるわけがなく、悪しき、憎むべき醜い愚行であることは、火を見るよりも明らかであろう。

松岡農水相や ZARD の死を悼み、その心中を察するのには問題ないが、後に続く ( 勘違いした ) 人間が出てくることに危惧がある。

死者に鞭打つわけではないが、こういった機会に 「 自殺は悪いことだ 」 という意思表示を明確にし、特に、若年齢層に伝えることが望ましい。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月29日(火) 生きる義務すら果たせなかった松岡農水相



「 終始一貫して僕が自分の漫画で描こうとしてきたのは、

  次の大きな主張です。

 “ 生命を大事にしよう! ” 」

                               手塚 治虫 ( 漫画家 )

What I have been consistently trying to depict
in my cartoons is the big assertion
“ Let's respect life ! ”

                                 Osamu Tezuka



日帰りで遊ぶつもりが深夜になり、連れの女性がやたらと美しく見えた。

予約もしてないし、バカ高いスイートしか空いてないが、こうなりゃ仕方ない。


もう大人すぎるぐらい大人なんだから、いい加減に 「 こんな生活 」 は卒業すべきだと、頭では判っているのだが、なかなか性分は変わらない。

おまけに、なんで結婚しないのかと尋ねられ、「 世界中の美人を全部、どこかに隠してくれたら、君と結婚するよ 」 などと、寝ぼけたことを口走る。

洒落のわかる女性だからよかったものの、もし 「 サイテー 」 なんて言われ平手打ちを食っていたら、高級スイートに一人で泊まるところだった。

仕事は楽しいし、遊びも楽しいが、よほどのことがないかぎり 「 ふんぎり 」 のつかないまま、この女性ともいつか別れることになるのだろう。

まるでボツにされる漫画のような人生だけど、ただ一つ誇らしく言える事は、精一杯、自分の人生を 「 死なないように生きていく 」 という信念だ。


最近の若い人は 「 挨拶ができない 」 と嘆く諸兄も多いが、大勢の大人が、ご立派な政治家までもが 「 ごめんなさい 」 の一言を言えない。

人に謝るようなことはしないほうがいいけれど、「 過ちを犯さないこと 」 より大事なのは、「 過ちは認め、真摯に謝罪し、それを償うこと 」 である。

政治資金問題や、官製談合事件などで告発されていた松岡農水相が自殺したが、彼も 「 ごめんなさい 」 を言えない一人だったようだ。

おそらく、「 ごめんなさい 」 を言う代償としては、進退問題のみならず相当なリスクを抱えることになっただろうが、命まで奪われるわけじゃない。

一体、この御仁は大学や農林省で何を学び、何を目的に生きていたのか、まったくもって理解に苦しむばかりである。


あるいは、「 謝るぐらいなら、死んだほうがマシ 」 と考えていたのかもしれないが、もしそうなら、よほど頭が悪かったのだろうとしか言えない。

以前から私は 「 自殺を図る奴は人間のクズ 」 と考えているが、それでも、そんな人々に対し 「 自殺はいけない、命を大切に 」 と訴え続けてきた。

地球温暖化も、憲法の改正も、官製談合事件も、米国産牛のBSE問題も、なんでもかんでも 「 すべては生きている人間の問題 」 なのである。

今日、巷で闘わされる議論は、明日を生きる人間の問題であって、未来を恐れたり、絶望したりして、人生を放棄する人間のためには存在しない。

たとえどんな生き様であろうと、ただ生きること、人生に立ち向かうことが、世界を憂いたり、国の心配をすることよりも、はるかに優先順位が高い。


ほとんどの人間が 「 当たり前 」 と考えていることは、憲法や法律の条文に省かれている場合がある。

しかしながら、過去に 「 常識 」 と考えられていたことが、時代の変化やら、倫理の後退、文化や美意識、健全な精神の衰退などにより変化もする。

最近、ずいぶん多くの自殺企図者が現れ、あたかもそれを正当化したり、他人や周囲のせいにしたり、まるで仕方がないように語る人間がいる。

憲法には国民の三大義務として、「 教育 」、「 労働 」、「 納税 」 が課せられているが、現代は 「 生きる義務 」 も加えるべきであろう。

引きこもり は教育を受けず、ニート、鬱病 の人は労働の義務を果たさず、銀行は儲かっても納税しない時代に、こちらのほうがよほど意味がある。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月26日(土) 最近の仕事の楽しみ



「 世の中はやる気のある人間でいっぱいだ。

  喜んで働く者がいれば、喜んで働かせる者もいる 」

                      ロバート・フロスト ( アメリカの詩人 )

The world is full of willing people ; some willing to work
the rest willing to let them.

                                   Robert Frost



ビジネスの基本は、大企業も、中小零細企業も、さほど変わらない。

ただし、小さい企業ほど、従業員の “ やる気 ” が成果に影響しやすい。


すこぶる好奇心の強い性格なので、「 あれもしたい、これもしたい 」 などと色々な事業に興味を惹かれるが、なかなか、そういうわけにはいかない。

それで、他の人に勧めたり、ある程度までは自分が参加して後を任せたり、初期投資を回収したら経営権を譲ったり、ここ数年はそんな感じだ。

一応、本業は 「 経営コンサルタント 」 なのだが、これは、自分でやらないとクライアントが納得しないので、細々とやれる範囲で継続している。

少し前までは、頭脳明晰、容姿端麗の美人秘書を雇用 ( 実態は、自分が使われていた感じだが ) していたが、「 寿退社 」 されてしまった。

後釜を探している最中なのだが、前任者があまりにも優秀だったために、普通の能力の方では満足できず、とりあえずは一人寂しく働いている。


収益面では、中国で興した事業による貢献度が高く、こちらのほうは20名前後の従業員を常時雇用し、二ヶ月に一度は様子を見に行っている。

つまり、現時点で私が雇用している従業員は 「 すべて中国人 」 だが、日本に比べると、かなり低い賃金で 「 かなり能力の高い人材 」 が確保できる。

能力給制度を導入した結果、「 新入社員の5倍 」 を稼ぐリーダーも現れ、彼は現地で日本車 ( 高級車 ) を乗り回し、周囲の羨望を集めている。

近頃の日本人と違って、いまは所得の低いスタッフも 「 いまにみてろ 」 という意欲で精力的に仕事に励み、誰も 「 格差社会 」 だなんて愚痴らない。

急成長の続く中国経済を背景に、それぞれが 「 仕事が面白い 」 と感じており、地元の企業では満たされない才能溢れる人材が、いくらでも集まる。


経営者としても、「 どんどん能力を発揮して、どんどん給料を稼ぐ社員 」 がいることは頼もしく、お互いの利益に結びついて生活が潤い、しかも楽しい。

日本にいて、周囲の人々を眺めたり、ネットを覗いてみると、やる気のない言動を発する人ばかり目につくので、同じ日本人として情けなく感じる。

いっそ、しばらく上海にでも居を移そうかと考えたりもしているのだけれど、「 本業 」 の関係で、そうもいかないのが実状である。

そんな折、前回の日記でも最後に触れたが、ファッション業界に興味のある ニート と知り合い、就職の世話をする中で、彼の感性の高さに気付いた。

残念なのは、学歴、職歴などから判断して 「 理想的な就職先 」 に入れる可能性が低い点で、それなら 「 いっそ起業するか 」 という話になった。


当初は、商品の供給元を斡旋したり、ノウハウを伝授するだけという約束で協力したのだが、想像していた以上に資金力の乏しいことが判明した。

幸い、このところ中国で小銭を稼ぎ少し溜まってきたし、ここはひとつ、彼の持つ天性の才能と、やる気に賭けてみようと思い、投資することにした。

いま身近な日本人の中で、期待に値するのは彼だけで、それ以外はすべて中国の従業員諸氏に興味が移っている。

中国滞在中は、なるべく従業員と寝食を共にしているが、出資者、経営者として気を遣うだけでなく、彼らは私から 「 なんでも吸収しよう 」 とする。

その情熱は私に、ともすれば忘れがちになる 「 初心 」 を甦らせ、清々しい感動を与えてくれるもので、まさに 「 喜んで働き、働かせる 」 関係にある。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月25日(金) ニート を働かせる前に教えておくべき大切なこと



「 天才の極意は、子供の精神を老年まで持ち越すこと。

  すなわち、決して情熱を失わないことである 」

   オールダス・レナード・ハクスリー ( イギリスの小説家、エッセイスト )

The secret of genius is to carry the spirit of the child into old age,
which means never losing your enthusiasm.

                           Aldous Leonard Huxley



昔から 「 百聞は一見にしかず 」 というが、まさにその通りである。

体験したり、触れてみないとわからない事実が、世の中には多いものだ。


一般事務の仕事をされている女性に、「 あなたの主な仕事は何ですか 」 と尋ねたら、たまに 「 雑用です 」 という答が返ってくる。

おそらく 「 雑用 」 とは、コピーをとったり、来客に湯茶を出す業務を指しているのだろうが、私は、「 会社の仕事に雑用はありません 」 と言い返す。

どんな仕事でも、人件費を投じて従業員を雇用し、それらの職務にあたらせているわけだから、それは 「 必要な業務 」 であって 「 雑用 」 ではない。

勝手に小さい仕事だと解釈し、「 雑 」 に処理しているから 「 雑用 」 であると思い込んでいるだけで、実際は、それぞれが大切な仕事なのだ。

このように、自分に与えられた仕事を軽く考える人は、なかなか信頼されるビジネスマンにはなれず、彼らの思う 「 雑用以上の仕事 」 を任されない。


一般的に、成長できないビジネスマン諸氏は 「 仕事が面白くない 」 という共通点があって、若いうちはいいが、中年以降は 「 会社の害 」 になる。

努力不足とか、志が低いと言ってしまえばそれまでだが、実際には彼らが 「 なんらかの理由で、仕事の面白さを知らない 」 という不幸な現実がある。

そこへ至った背景には、「 面白くなる段階まで働いた経験がない 」 とか、「 上司から仕事の面白さを教えられなかった 」 などの原因が考えられる。

ただ、仕事が面白くないと感じる人々には 「 仕事が面白い 」 という心情が理解できなくて、それは別世界の話か、嘘としか思えないものらしい。

何事も、自分を基準に考えると視野が狭くなるのは当然だが、私も含めて、仕事が面白いと感じる人間は大勢いるのだから、認識を変えるべきだろう。


仕事を面白くないと考える人は、よく 「 余暇に遊ぶことと、平日に働くのと、どちらが楽しいのだ 」 などという理屈をこね、持論を主張したがる。

これは、「 セックス と 入浴 の、どちらが気持ちいいか 」 といったレベルの会話で、つまり、種類の違う快楽だから、比較すること自体がおかしい。

声を大にして言うのも変だが、かくいう私も、好きな女性とデートして、話題の映画を観たり、美味しい食事をしたり、セックスすることは大好きである。

しかし、それらの悦びと、仕事で得られる達成感、楽しさというものは異質なもので、両者を天秤にかけることなど不可能といってよい。

ドラマなどで、「 私と仕事と、どっちが大切なの? キー! 」 などと女性から詰め寄られるビジネスマンの光景を目にするが、まったく愚問である。


いくら気持ちよくても、セックスにばかり明け暮れて入浴しないわけにはいかないし、汗をかいたらシャワーを浴び、サッパリしたいのは当然だ。

それと同じように、遊び呆けているばかりでは不安だし、仕事でも活躍して、自信をつけ、他人から一目置かれる存在になりたいと多くの人は思う。

仕事も、スポーツや、音楽などの芸事と同じく、全員が一様に評価されて、スポットライトを浴びるわけじゃないから、そこには勝者と敗者がある。

最初から常勝だと 「 笑いが止まらない 」 ほど楽しいが、たいてい初心者のうちは失敗もするし、上司から叱責され、罵声を浴びせられるものだ。

そこで挫折したり、諦めてしまう人にとっては 「 仕事なんて面白くないわい 」 という印象しか残らないが、辛抱強く続ければ 「 別の世界 」 が開ける。


イチローが小学生時代にバントを失敗し、「 野球なんてつまらないもの 」 と思ってユニフォームを脱いでいたら、現在の活躍はなかったのである。

おそらく、仕事が面白くない、会社に行きたくはないと考えている一般的な人々よりも、私は多くの失敗を経験し、その分、成功の味を知っている。

ニート のことを取り上げているブログを発見したが、仕事なんて面白くないものだが 「 勤労の義務 」 なんだから働けなどと、乱暴に書かれていた。

こういう発想の人がいるから、若者の労働意欲が低下するわけであって、面白くないという意識のまま働いたところで、たいした役には立たない。

嫌々ながら働いても、ストレスが溜まって鬱病になるのが関の山で、どうせ働くのならば、「 仕事が面白い 」 ところまで到達して欲しいと思う。


私はカウンセラーとして数多くの ニート と接したが、彼らに労働意欲を抱かせる最初のステップで 「 仕事は面白い 」 ことを理解させてきた。

鬱病の人はよく 「 俺達がこんなに頑張ってるのに 」 と ニート を批難するが、実は、「 ニート の大半は 鬱病 」 という現実がある。

百人未満なのでサンプル数として十分ではないかもしれないが、面談した ニート の3分の1は治療中で、3分の1は適性検査で鬱症状がみられた。

そんな彼らを無理やり働かせても、自殺を図って電車を遅らせたり、やる気のない社員を増やし、世話になる職場の雰囲気を悪くするだけのことだ。

実は現在、知り合った ニート の一人に出資し、ノウハウを伝授して商売を始めさせたが、「 汗をかくことが楽しい 」 と、今日も東奔西走している。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月24日(木) 救急業務における トリアージ



「 私は成功の秘訣は知らないが、失敗の秘訣は知っている。

  それは、すべての人を喜ばせようとすることだ 」

                    ビル・コスビー ( アメリカのコメディアン )

I don't know what the secret to success is. But I know the secret to failure : and that is, trying to please everyone.

                                     Bill Cosby



TV番組の名司会者、コメディアンとして、エミー賞を5回も受賞している。

そんな人気者も、「 すべての人を喜ばすことは無理 」 だと悟っている。


東京消防庁は来月1日から、119番通報を受けて現場に駆けつけた隊員が、救急搬送の必要のない患者を選り分ける新制度を試験運用する。

近年、消防庁では、「 救急業務における トリアージ に関する検討会 」 が活発に行われており、全国に先駆けて都内で実践されることとなった。

トリアージ とは、「 選り分ける 」 という意味を表したフランス語で、つまり、重症度、緊急度に応じて、優先的に傷病者を搬送する考え方である。

良識ある人々には、「 安易な119番通報は慎むべき 」 という認識があるけれど、一方で 「 タクシー代わりに利用すればよい 」 と考える人もいる。

その結果、あえて救急搬送の必要がない軽度の患者に振り回され、肝心の重症者を搬送するのに、救急車の到着が遅れてしまう事例も多いのだ。


トリアージ が注目される発端となったのは、1995年に6千人以上の死者と4万人以上の負傷者を出した 「 阪神淡路大震災 」 である。

消防庁の中には、もしもあの時、トリアージ が徹底されていたならば、もっと多くの人命を救えたはずだという意見が根強い。

大型の災害時に効力を発揮するためにも、平常時から習慣的に トリアージ という概念やシステムを導入していくことは、とても意義深いと思う。

実際、救急車の出動件数をみると、平成 6年から15年までの10年間で、その数は 305万件から 503万件へと、約 65% も増えている。

それに対し、救急隊数は 4331 から 4711 と、わずか 9%弱 しか増えていないわけで、平常時といえども救急搬送は常に 「 パンク状態 」 なのだ。


救急車の到着時間も、東京消防庁の調査によると、平成7年には平均6分18秒だったが、平成17年には7分30秒と、1分12秒も遅くなっている。

トリアージ の導入により、都内だけでも 年間 約 5000件 の搬送が不要となる見込みで、救急車の現場到着時間短縮につながると期待している。

課題点は、救急隊員が正しく 「 選り分け 」 をできるかどうかで、判断ミスを叩かれたり、民間搬送を要請した傷病者に恨みを買う恐れもある。

とはいえ、出動件数と救急隊数のバランスを著しく欠いた現状では、本来、「 救えたはずの命 」 も救えなくなる危険が大きい。

救急隊員たちは、通報があれば出動しないわけにはいかないし、一部から苦情が出たとしても、マスコミはこの制度を批難しないでほしいと思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月23日(水) ロシアより悪意をこめて



「 もしもあなたが、私の足元に ハリネズミ を投げ込み始めたら、

  私は ヤマアラシ をあなたの足元に投げつけますから 」

           ニキータ・フルシチョフ ( 旧ソ連の政治家、最高指導者 )

If you start throwing hedgehogs under me, I shall throw
a couple of porcupines under you.

                               Nikita Khrushchev



当然、英語にも 「 けんか言葉 」 はあり、上文はその一例だ。

学校では教えないから、ご存知でない方も多いだろう。


概ね、どこの国にも美しい風景や、歴史上の名所、旧跡があって、名画などの優れた美術品、芸術品の数々が大切に保存されている。

それは、その地を訪れる観光客にとって、旅の大きな楽しみであるし、人によっては目的そのものであることも珍しくない。

冷戦時代に一度、モスクワ へ行ってみたいと思ったが、当時、訪米頻度の高かった私は、渡航暦を審査されて ビザ が発給されなかった。

ソ連の崩壊後、誰もが容易に行ける時代となったが、忙しかったり、興味が薄れてしまったりといった理由から、未だ、行ったことがない。

イタリアへ旅した際、夜間飛行の機上から眺めた サンクトペテルブルグ の街灯りも美しかったし、いづれは、かの地を訪れたいと思っている。


冷戦の終結を機に、大きく門戸を開放したロシアだったが、プーチン政権になって再び、国際社会との軋轢が目立ち始めているようだ。

今年の1月、違法移民の規制強化を目的とした 「 新移民法 」 が発令されたが、その影響で大衆にも 「 外国人を敵視 」 するムードが高まっている。

この新法を悪用し、市内を巡回する警察官の間には、外国人旅行客から 「 罰金と称して賄賂を巻き上げる 」 連中も多いらしい。

この問題について抗議したところ、プーチン大統領は 「 政権転覆やテロを目論む外国人がいる 」 と語り、今後も外国人規制を強める姿勢だという。

そんな一連のやりとりから、ロシアでは現在 「 排他的ナショナリズム 」 が盛り上がり、観光客や、駐在中の外国人には注意が必要とされている。


昨年の11月には、ロシアの元情報機関員 リトビネンコ 氏 が、ロンドンで放射性物質を飲まされ、毒殺されるというショッキングな事件があった。

イギリスの検察当局は22日、リトビネンコ 氏 の元同僚でロシア人実業家の ルゴボイ 氏 を容疑者と断定し、殺人罪で起訴すると発表した。

容疑者は現在ロシアに滞在している為、身柄の引渡しを求める姿勢だが、これに対しロシア最高検察庁はこの日、「 拒否 」 の声明を出している。

同氏殺害の背景には、プーチン大統領が大衆からの信頼を大きく失墜させる 「 チェチェン での非人道的行為に関する証拠 」 が絡むという説もある。

そのため、容疑者の身柄引渡しがこじれると、イギリスだけでなく、ロシアと国際社会全体の関係悪化が、避けられない状況へと陥りそうな気配だ。


また、旧ソ連バルト三国の一つ エストニア が、第二次大戦でソ連が勝利した記念像を首都の中心部から郊外へ移転したことで、両国がモメている。

ロシア国内では、これを 「 戦死者への冒涜 」 と批難し、エストニア製品のボイコットや、経済制裁をアピールする声が高まりつつあるらしい。

しかも、エストニアの政府機関や銀行のコンピューター・ネットワーク網が、ロシアからの 「 サイバー攻撃 」 にさらされ、現在、大打撃を受けている。

エストニア外交筋によると、サイバー攻撃は銅像を撤去した日から始まり、一度に大量のアクセスを集中させられ、通信網がダウンしているという。

ロシア側は関与を否定しているが、専門家が調査したところ、この攻撃にはクレムリンやロシア政府の IP アドレス が使われた事実が判明している。


ソ連の崩壊後、ロシアは西側自由社会との協調に努めてきたのだが、そうせざるを得ない事情としては 「 経済の破綻 」 によるところが大きかった。

ここ最近は状況が一変し、天然資源開発などを軸とした好況に支えられ、プーチンの政策に垣間見られる 「 強気の姿勢 」 が目立ち始めた。

冷戦時代に逆行するとは思えないけれど、ことある毎に国際社会と対峙し、強行に周辺諸国を威嚇するような態度には、ある種の不気味さを感じる。

テロ対策と称して外国人の監視を強化し、自らはサイバー・テロを仕掛け、体制固持のために暗殺まで企てているとすれば、これは危険な国家だ。

自由主義陣営の注意が、北朝鮮、中国に集中する最中、さらなる強大な 「 軍事的脅威 」 として、ロシアが再浮上しつつあることは間違いない。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月22日(火) 組織のDNA



「 子供は大人のいうことを聞くのが得意じゃない。

  だけど、真似をするのは、抜群にうまい 」

                 ジェームズ・ボールドウィン ( アメリカの作家 )

Children have never been very good at listening to their elders,
but they have never failed to imitate them.

                                 James Baldwin



歌を唄うのも、ギターを弾くのも、最初は誰かの模倣から始まる。

人は普通、オリジナルを創る前に、コピーから学んでいくものだ。


何も特別なことは教えなくても、真面目な両親に育てられるだけで、それは十分、立派な教育になる。

学生時代の恩師、会社に入ってからは先輩や上司、あるいは経営者など、自分に影響を与え、人格形成に加わったすべての人が同様である。

もちろん、友達もそうだし、恋人や、配偶者、いつも側に居る 「 お手本 」 が良いか悪いかで、模倣のレベルも格段に違ってくる。

今の自分は、偶然そこに居るわけではなく、長い年月の中で誰かに影響を受けて、模倣から始まり形を変えてきた 「 必然の結果 」 なのだ。

個人の努力もさることながら、とりわけ子供の頃や若いうちは、手本となる身近な人物の優劣によって、自分が 「 何者 」 なのか決まりやすい。


前回も書いたのだが、三菱東京UFJ銀行の不祥事は、事情を知るほど、組織としての問題が大きく、一個人の犯罪とは認めにくいものだ。

同行では、20代の若手社員に採用業務を手伝わせていたが、彼らには、入行志望者の名前、連絡先、出身大学、志望動機の閲覧が可能だった。

いわゆる 「 個人情報 」 を取り扱える立場に置かれていたわけだが、その使用に際し、慎重な姿勢が必要であることを教えていたとは考え難い。

それに、被疑者が 「 大学のOBであると嘘をついた 」 という事実も明らかになっているところから、志望者との接触方法も正しく指導していない。

銀行側は 「 正しく教えたが、被疑者が守らなかった 」 と弁明するかもしれないが、実行されていない以上、「 正しく教えた 」 とは言えない。


本日、住友信託銀行が13年ぶりに法人税を納付すると発表されたけれど、他の大手行は未曾有の利益を挙げながら、追随する様子がない。

組織そのものが 「 苦境に立てば国民に支援してもらって、後で儲かっても税金なんか払わなくてよい 」 という方針を、明確に打ち出しているのだ。

世間の風圧など気にせず、常識的な倫理観より 「 他人に迷惑を掛けても、自分さえ得をすればよい 」 という姿勢が、全行員の 「 お手本 」 なのだ。

こんな 「 お手本 」 をすぐ側に眺めながら、若干24歳の被疑者は、女性の個人情報と、採用担当者という肩書きを手渡されたのである。

己の 「 モラルの低さ 」 に気付きもせず、部下は正しい行いをするだろうと期待していたのならば、ますます 「 救いようのない状態 」 のようだ。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月21日(月) 三菱東京UFJの恥ずべき不祥事と、恥ずべき対応



「 人心の進歩は遅い 」

               エドマンド・バーク ( イギリスの政治家、思想家 )

The march of the human mind is slow.

                                 Edmund Burke



時代の変化する流れが早いことは、それなりに誰もが理解している。

ただし、なんとか潮流に乗れるか、乗り遅れるかには、個人差がある。


新しいモノに興味を持ち続けることも、「 時代遅れ 」 にならない一つの方法だが、同じモノを眺めても、老いた感性では価値を正しく理解できない。

仕事柄、若者向け新商品の開発や、市場を開拓する分野の企画に携わる機会があるけれど、この 「 感性の老化 」 には慨嘆する場面も多い。

そういうときは、古くなった頭で必死に理解しようとせずに、若い人の中から能力や情熱のある人を選び出し、思い切って任せるようにしている。

どうしても自分で判断せざるを得ない場合は、時代に呼応することよりも、「 いつの時代にも通じる正しい手法はなにか 」 を考え、それに従う。

若い人との付き合い方も同じで、時代を読む感性が不足していると思えば、普遍的な正攻法で臨むことが、たいていは最善のようである。


三菱東京UFJ銀行の社員が、岡山の女子大生を大阪市内のカラオケ店に呼び出し、内定をやるという条件で、20分間も猥褻な行為に及んだという。

逃げ出した女子大生が通報したことから、事件が明るみになったのだが、就職活動中の学生に 「 採用担当者 」 と名乗れば、相手も断り難い。

この社員は24歳ということだが、やっていることは 「 オッサン 」 の領域であり、その狡猾な手口には開いた口が塞がらない。

もともと銀行屋さんに対しては、「 他人のフンドシで商売する 」 稼業として、ほとんど良いイメージが無いけれど、それにしても今回は悪質すぎる。

これに懲りて、被害に遭われた女子大生や、その他、就職活動中の優秀な学生さんたちは、もっとマシな企業や商売を選ばれたほうが望ましい。


セクハラを 「 企業責任 」 とする認識は比較的に新しい発想であり、過去においては線引きが曖昧で、女性の社会進出を大きく妨げていた。

今回の事件後、三菱東京UFJ銀行のホームページを開くと、「 当行行員の逮捕について 」 という見出しで、わずか3行の詫び文が掲載されている。

たった3行のため、そこは 「 逮捕されました、すいません 」 というだけで、事件の詳細については一切なにも記されていない。

本気で反省しているのならば、事件を知らない利用者にも詳細を説明するべきで、こういう態度に企業の 「 不誠実さ 」 が窺い知れる。

また、「 当行行員が逮捕されました 」 という記述方法には、前述したような 「 セクハラは企業責任 」 という認識の低さが鮮明に現れている。


どこかの社員が法律を犯したとき、大半は 「 個人責任 」 であって、当事者が罰せられることはあっても、企業にまで責任の追及が及ばない。

しかし、それが 「 セクハラ 」 の場合には、組織そのものに問題があるとして、当事者のみならず企業側に責任を問うことが広く知られている。

今回の被害者は、入社前の 「 採用候補者 」 ということなので、企業内でのセクハラと判断するか、個人的な性犯罪と処理されるのかは不明である。

ただ、自行の行員に対して 「 セクハラ禁止の教育 」 が徹底していなかったことは紛れも無い事実で、銀行側の責任が皆無だとは思えない。

セクハラをする社員のいる企業、セクハラ教育の遅れている企業は、最も 「 時代遅れの企業 」 であり、こんな銀行にはお金を預けたくないものだ。


セキュリティを改善したり、最新のシステムを構築したり、技術面の革新を図ることも大事だが、「 人心の進歩 」 を疎かにしてはならない。

時代の最先端企業を目指すのならば、社会が要求する倫理基準の変化に対応するか、普遍的な正当性をもって大衆の信頼に応えるべきである。

会社なんてものは、形があるわけではなく、そこに集まる人間の質によって真価が問われるものであり、スタッフの人心こそ重要な意味を持つ。

近頃は、仕事を通じて鬱になったとか、なんでもかんでも会社の責任にする人が多いけれど、こういう時こそ 「 企業の責任 」 を追求すべきだ。

たとえ個人の犯罪と処理されても、犯罪者を出す企業は、企業そのものに問題があるわけで、特に 「 人心が進歩する 」 企業ではなさそうである。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月20日(日) 男として生きること



「 男は強くなければ生きていけない。

  優しくなければ生きている資格がない 」

                  レイモンド・チャンドラー ( アメリカの作家 )

If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

                              Raymond Chandler



以前にも登場させた名言だが、本当に的を得た表現だと思う。

女々しく弱々しく生きる人もいるが、それは 「 男 」 として生きていない。


尊敬する両親に恵まれ、心身の健康面に恵まれ、仕事に恵まれ、出会いを通じ人間関係に恵まれ、自分は幸せ者だと感じている。

ときに自分の姿勢は、「 恵まれない人間 」、「 弱い人間 」 の感情を察していないのではないかと、お叱りを受けることもある。

そう思われているのは自分の 「 不徳のいたすところ 」 だけれど、同じ人間である以上、辛いことや、悲しい出来事も、それなりには経験している。

実際のところ、たとえば両親を早く亡くしたことや、結婚を誓い合った相手が重病を患って去ったことなど、自分にも不幸や痛手はあったはずだ。

しかし、かといって物の見方を歪めたり、弱気になったり、不幸を第三者のせいにしたり、後ろ向きの生き方をすることが、正しいとは思わない。


平凡な一市民として地味な毎日を過ごしながらも、「 ちょっと良いこと 」 や 「 ちょっと悪いこと 」 ぐらいには、それなりに遭遇する。

今週も 「 ちょっと良いこと 」 があったが、私のいう 「 ちょっと良いこと 」 というのは、だいたい、魅力的な女性との出会いを指している。

ふとしたキッカケから、初対面の女性を車に乗せることとなったのだけど、意気投合し、お互いに特定の相手もいないので、また会うことになった。

彼女は、「 “ 長澤まさみちゃん ” と “ 井川はるかちゃん ” の両方を足して2で割り、ワインセラーで15年ほど寝かした感じ 」 の30代後半美女だ。

車に乗り込んで、「 遠ければ途中までで結構ですが 」 と言われたときに、「 いいえ、地の果てまででも 」 と答えたのは自然の摂理だろう。


とても生意気な言い方かもしれないが、長くは交際が続かないのだけれど、おかげさまで美女との出会いは多く、それほど珍しいことでもない。

魅力的な女性との出会いに、若い頃は夢中になり、小躍りして喜んだものだが、最近は慎重になったのか、鈍感になったのか、静かなものだ。

感動しないわけじゃないが、せいぜい、「 ちりめんじゃこの中に、ちっちゃなタコの赤ちゃん 」 を見つけた程度のはしゃぎ方である。

まだ始まったばかりで、この先どうなるかわからないが、仕事も忙しいうえに、他の予定も色々あるから、それほど頻繁には会えないだろう。

以前であれば、他の用事は断ってでも会うぐらいの情熱を傾けたが、いまはどこかで、あまり本気にならないよう、ブレーキをかける自分もいる。


そんな、ニヤッとする 「 ちょっと良い話 」 があった直後に、入れ替わりで 「 かなり悲しい話 」 が飛び込んできて、いまは珍しく落ち込んでいる。

具体的な内容には触れないが、自分にとっては親が死んだ以上に ( 誰も死んだわけではないが ) 胸を裂かれるほど悲しい知らせである。

最近、商売のほうは順調だが、お金で解決できる種類の問題ではないし、少し先の話ではあるが、解決策が見つからないので悩んでいる。

私が、たとえば鬱病の人に 「 甘えがある 」 と考えるのは、こんな悲しみを体験したら、きっと彼らは自殺を企図したり、生きる気力を失うからだ。

男なら、どんな状況においても、絶望に耐え、自分を見失わない強さを持ち続ける使命があり、それを放棄した時点で 「 男の生き方 」 ではない。


ちなみに、「 かなり悪い話 」 のほうは自分の問題ではなくて、それを抱える人間への想いが強いので、胸が裂かれるし、少し気落ちしてしまった。

男なら、自分の問題で鬱になったり、愚痴や泣き言をこぼしたりはせずに、黙って自力で解決するのは 「 当たり前 」 の話である。

世間には 「 最近の日本人は 」 と総称して若者を責める人もいるが、老いも若きも 「 最近の男 」 に難点のあるケースがほとんどのようだ。

アキバ系のオタク以上に、ブログを書いている中年男性には 「 軟弱 」 な人が多く、なんでも国家権力の悪口につなげるのだから情けない。

憲法改正がどうとか、イラク戦争がどうとか、チマチマした問題をウジウジと批難する前に、男として生きる試練を自分に課すべきだろう。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月18日(金) 日本はいつから社会主義国になったのか



「 忙しいだけでは十分でない。 アリだって忙しい。

  問題は、何をしていて忙しいかということである 」

            ヘンリー・デビッド・ソロー ( アメリカの随筆家、詩人 )

It is not enough to be busy; so are the ants.
The question is : What are we busy about?

                           Henry David Thoreau



私の記憶によると、日本は少し前まで 「 資本主義社会 」 だったはずだ。

海外出張へ出掛けている間に、クーデターでも起きたのだろうか。


出版社2社で掛け持ちアルバイトをしていた女性が自殺したことについて、東京労働者災害補償保険審査官が労災を認定した。

女性は杉並区のコミック誌出版社に社員として勤めていたが、2004年9月に新宿区の別の出版社にアルバイトとして採用された。

このため、杉並区の出版社では正社員でなくなり、両社をアルバイトとして掛け持ちしたが精神疾患となり、静岡県内の実家で自殺した。

両親は、労災保険給付を申請したが、新宿労働基準監督署は06年1月に 「 業務と精神疾患に因果関係はない 」 と判断した。

仮に、因果関係があったとしても、「 自殺して当然です 」 などという結論に辿り着くわけがないのだから、この判断は正しい。


ところが 「 東京労働者災害補償保険審査官 」 などという頓珍漢な役人が現れ、先の判断を覆して、愚かにも労災認定をしてしまったのである。

両社合わせた時間外労働が月147時間に及び、自殺の前日に杉並区の出版社社長から 「 兼業を約4時間もしっ責された 」 ことを重視したらしい。

この 「 東京労働者災害補償保険審査官 」 のことはよく知らないのだが、今回の裁定を下した人間は、一体、何を考えているのだろうか。

彼のスローガンは 「 ブルジョアは敵だ! 」 という 旧ソ連 みたいなもので、社会の在り方を根底から覆し、革命でも起こそうというのだろうか。

労働者の味方を気取って資本家と戦いたいのか、さもなくば、よっぽど頭の悪い人間だとしか評価のしようがない。


自殺した人間に労災認定をする必要のないことは、前回の日記でも触れたので、それは別の問題として、ひとまず置いておくことにしよう。

一億歩ゆずって、自殺者に労災認定をするとしても、それを今回のケースで適用することは、まったく道理に合わない。

まず、“ 社員として勤めていたが、別の社にアルバイトとして採用された ” というところに、対象者の 「 仕事に対する倫理観 」 が疑われる。

通常、正社員はアルバイトを禁じられており、まして同業他社の仕事を兼務するというのは、明らかに 「 背信行為 」 とみなされる。

会社は新入社員に対して、時間と労力を費やし、給料まで払って一人前に育てたのに、競合他社の仕事を請け負うなど、もってのほかである。


また、本人が意図する、しないに関わらず、重要な企業秘密や、ノウハウ、情報などが漏洩してしまう恐れも高い。

正社員を外されたのも当然だし、「 兼業をしっ責された 」 のも当然の話で、むしろ、損害賠償も請求されず、雇用の継続を許されたことが不思議だ。

時間外労働が月147時間あったというが、これも、1社ではないわけだし、雇用側に全責任があったとは判断できない。

いづれの会社も、他所で何時間働いているかなど、知る由も無いわけで、本人が希望し、仕事があれば、法定労働時間の範疇で雇用する。

正社員と違って、アルバイトという特性上、勤務時間、勤務先は融通がきくと考えてよいし、長時間労働は本人の意志によると考えて妥当だろう。


けして、「 アルバイトには労災を適用しない 」 と言うつもりはないけれども、この御仁のように兼業をしている場合、それを認定するのは難しい。

正社員も同じだが、「 健康管理も仕事の一部 」 なのであって、働きすぎたから体を壊しましたなんて理屈は、本来、通らないのである。

まして、アルバイトを兼業している時点で、よほど体力に自信がないかぎり 「 体調を崩すのは予測のつくこと 」 であり、自己責任といってよい。

お金が必要だったかどうかは本人の事情によるものだし、それが同情に値するとしても、無謀な労働に対して労災を認める理由にはならない。

労働者を保護することが目的の労災だが、こんな 「 過保護 」 は誰のためにもならず、本来の主旨を逸脱したものと言わざるをえないだろう。


もともと労災は、業務上の事故や、職業病などに対して支払われるもので、無謀な行為や、自業自得の傷病を対象としたものではない。

能力が足りないのに難易度の高い仕事を続けて精神疾患になったり、体力も無いのに長時間労働を引き受けて病気になるのは、本人の無謀である。

しかも、「 病気になったから 」 ではなく、「 自殺したから 」 という尺度により認定を決めるのは、筋違いも甚だしい。

この事例でいうと、気の毒なのは 「 兼業をしっ責した社長 」 のほうであり、何も間違ったことはしていないのに、すっかり悪者扱いである。

今回のような 「 悪しき判断 」 が、日本人の労働意欲を低下させて、経済を地盤沈下させている要因であることを、十分に理解する必要がある。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月17日(木) 僕らはみんな生きている



「 火熱に耐えられなければ、台所から出て行くべきだ 」

           ハリー・S・トルーマン ( アメリカ合衆国第33代大統領 )

If you can't stand the heat, get out of the kitchen.

                               Harry S. Truman



親が最も子供に教えるべき事柄は、すべての生き物に共通している。

それは、種が絶滅しないために、最も必要な事柄でもある。


つまり、それは 「 自分の命を大切にしなさい 」、「 生き残りなさい 」 という教育であり、他の何事もそれに勝るものではない。

人間にかぎらず、砂漠や、ジャングルや、海中や、地中に棲む動物までもが、子供に 「 生きる術 」 というものを、身をもって教えている。

それは教育というより、本能に近いものかもしれないが、親がいて、子供がいて、また次の世代が育つ繰り返しで、種は保存されていくのだ。

いくら過酷な環境に棲み、生きる作業が苦痛であったとしても、辛いから、面倒だからといって 「 死に方を教える 」 ような動物はいない。

他者の生命など何とも思わない下等動物でさえ、必死になって自分の命を守ろうとし、その姿を通じて次の代は、命の尊さを学び、また伝えていく。


国民投票の是非だとか、憲法改正がどうとか、教育基本法がなんだとか、国の批判をする人間が多いので、今夜は私も少し文句を言ってみよう。

昨年 ( 2006年度 ) に、過労やストレスによる自殺で労災認定を受けた人の数が、過去最高の66人だったことが、厚生労働省の調べでわかった。

数の問題ではなく、「 自殺者に労災認定などするな 」 というのが私の考えであり、論拠は、「 自殺者を無くすため 」 である。

政府は片方で 「 自殺者を減らしたい 」 と言い、もう片方で 「 自殺しやすい環境をつくる 」 という矛盾した行為を行っているのだ。

遺した家族が心配で自殺を躊躇している人間に、「 たとえ自殺しても、後は労災にお任せください 」 と、自殺を幇助しているのと同じではないか。


交通遺児に救いの手を差し伸べる 「 あしなが育英会 」 という団体があるが、ここも、最近は自殺遺児の支援などという 「 愚行 」 に走っている。

労災もそうだが、こういった団体は 「 自殺後のケアを充実させ、自殺者を増やしたい 」 のだろうかと、まったく理解に苦しむばかりだ。

たしかに自殺遺児は可哀想だし、とても気の毒ではあるが、そんな状況をつくりだした犯人は、社会でも職場でもなく、自殺した本人である。

もちろん、自殺遺児が生きるための支援は誰か ( 最終的には国 ) が行わざるをえないが、そういうことは大々的に宣伝すべきでない。

自殺したら 「 何の補償もない 」、「 家族が悲惨な目に遭う 」 という認識を持たせたほうが、自殺者を減らす効果が高いに決まっているではないか。


前述した通り、たとえ下等動物でも、親というものは子供に対して、必死に生きる姿を見せ、生きる術だとか、生きる意味というものを教える。

福島の首狩り少年は 「 テロや戦争が無くなればいいのに 」 と渇望しつつ、自分の母親を殺したが、それでも自分自身の命までは棄てていない。

どれだけ口先で偉そうな理屈をこねようと、自殺する人間なんていうのは、下等動物以下、首狩り少年以下の存在にしかすぎない。

それも、不治の病に苦しんでいるとか、重度の障害を抱えているのならまだしも、仕事が嫌だとか、辛いとか、ストレスごときで死ぬのはサイテーだ。

なぜならば、難病からは逃れようがないけれど、仕事のストレスなんてものは、自分の能力に合ったレベルへと、容易に転職できるのである。


過労だ、ストレスだと騒ぎ立てる人の仕事内容を検証すると、就労時間数にしても、仕事の難易度にしても、私よりはるかに低い人が多い。

つまり、同じ仕事が私に与えられていたならば、「 しんどいなぁ 」 程度には愚痴ったかもしれないが、心身ともにすこぶる健康に従事したはずだ。

もし、自分の能力では処理しきれない場合でも、他所の職場に活躍の場を求めればよいだけの話で、自殺する理由などまったく皆無である。

こういう話を書いたら、「 簡単に転職というが、現在の収入が維持できない危険があるので、簡単には辞められない 」 などと反論する御仁が現れる。

それは、「 転職先で得られる評価が、その人の正当な評価 」 なのであり、現在の仕事への対価が、能力や実績に見合っていないという証である。


世間では、親や先祖を敬いなさいと言うが、私が両親を尊敬しているのは、自分の親としてだけではなく、一人の人間として尊敬できるからだ。

辛いからといって生きることを放棄し、親として最低限度の 「 自分の生命を大切にしなさい 」 という事柄さえ教えられない親を、どうして尊敬できよう。

自殺遺児が気の毒なのは、生活費に困ることよりも、「 尊敬できない親 」 の元に生まれてしまった不幸に対してである。

経済的な支援は親でなくても可能だが、親から学ぶべき一番大切なことを、彼らは学べずに人生を歩んでいくのだ。

だから、自殺は絶対にしてはいけないし、それを容認する制度などは即刻廃止し、誰も自殺など考えない風土を、築いていく必要がある。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月16日(水) 自分の心配より世間の心配をする猟奇殺人少年



「 人生の最大の目標は知識ではない、行動だ 」

            トーマス・ヘンリー・ハクスリー ( イギリスの生物学者 )

The great end of life is not knowledge but action.

                           Thomas Henry Huxley



私の両親は、ただの一度も 「 良い学校へ進め 」 とは言わなかった。

教育には熱心だったが、それは 「 将来、役立つから 」 という理由だった。


親の育て方や口癖によっては、学校の勉強を 「 受験のため 」 としか捉えられず、良い学校、良い会社に入る手段としか考えない子供も育つ。

その結果、予定通りに良い学校、良い会社へは進んだものの、そこで学ぶことを止めて、それ以降は成長しない人物が現れる。

あるいは、「 知識こそ力だ 」 と勘違いして、頭デッカチで行動能力の乏しい評論家タイプの人間になってしまうケースも多い。

本来、知識とは 「 自分の人生を創造するスパイス 」 であって、それ自体に価値を求めるのではなく、自分の行動に反映させなければ意味がない。

子供時代からの 「 何のために勉強するのか 」 という認識の違いによって、世の中で 「 使い物になる人 」 と 「 使えない人 」 の差が出やすい。


福島県会津若松市で、高校3年生の少年が就寝中の母親を殺害し、その頭部を切断して持ち運んだ状態で、警察に自首する陰惨な事件があった。

少年は調べに対し 「 誰でもいいから殺そうと思った 」 などと供述しているが、動揺する様子もなく、淡々と調べに応じているという。

なぜ、「 誰でもいいから殺そうと思った 」 のか、なぜ、殺害した後に頭部を切断したのか、そのあたりの事情は未だ明らかにされていない。

いづれにせよ、正気の沙汰とは思えない事件であり、彼の心理状態を理解しようとしても、納得できる類の答は見つからないだろう。

精神鑑定の結果に関わらず、何らかの意味で彼が 「 異常 」 であることは間違いなく、疑いの余地など無いものと思われる。


頭が悪い人間と、「 バカなことをする人間 」 は同義語でなく、異常な行動の背景にあるものは、知力の問題よりも、心理的な歪みのほうが大きい。

少年が通っていた高校は県内有数の進学校として知られ、中学までの成績は優秀だったことから、けして頭の悪い人間ではなさそうだ。

ところが、その知力を正しい行動に役立てる術を知らず、今回の猟奇的な事件を発生させてしまったようである。

分析の結果は出ていないが、何らかの精神異常や、ストレスによる鬱などの症状が処理し切れなかったという結論が出るものと予測される。

いづれにせよ、ここまで異常な事件の場合、犯行の背景や、被疑者の心理状態を常人が理解できるものではなく、とにかく 「 異常 」 としか言えない。


特筆すべきは、少年が警察の調べに対し 「 テロや戦争がなくなればいい 」 などと、地球規模ともいえる問題を語っているところだ。

自分が何をし、どのような状態にあるのか、そんなことは少しも気にせず、世の中の心配をしているところに、時代の抱える深刻な不気味さを感じる。

彼のように、「 自分の問題からは逃避し、社会不安を語る 」 という習慣を持つ人は、実は最近、どんどん増えているのである。

その温床になっているのが、私がいま書いているような 「 インターネット上の日記、ブログ 」 といった類のものである。

余暇を利用した趣味の範囲内ならば問題ないが、「 そんなもの書いている場合じゃないでしょ 」 という人たちまで、どんどんはまり込んでいるようだ。


たとえば、このエンピツ日記の場合、「 更新時間 」 というものが記録されるので、誰が何時頃に更新したのかが判る仕組みになっている。

私のように勤め人ではない人間でも、夜勤の仕事じゃないかぎり、平日の昼間は働いているか、通勤や移動で忙しいはずである。

ところが、サラリーマン と称されてながら、夜間や早朝でもない時間帯に、せっせと日記の更新に励んでいる人がいる。

その内容は、それこそ 「 テロや戦争がなくなればいい 」 類の話なのだが、世の中の心配より 「 ご自分の仕事は大丈夫なの? 」 と思ってしまう。

ときおり、ご自分の状況についても語られているが、天下国家の問題とは正反対に、仕事が嫌だとか、ずいぶん後ろ向きの話が多いようである。


当然、殺人事件の犯人とは 「 しでかした結果 」 が違うのだから、そういう人々を悪者扱いする気はないし、まったく中傷するつもりもない。

ただ、同じ日記を書く同朋として、やっぱり心配はするし、他人事に対する老婆心ではあるが、ご自分の私生活も大事にされてほしいと思う。

私の場合、暇があったら書くけれど、仕事や私生活の忙しいときは休んで、それなりにバランスをとりながら日記を更新している。

楽しみにされている僅かな読者の皆様には失礼だが、「 世間の心配よりも自分の心配 」 のほうが、はるかに大事なことは間違いない。

プロじゃないんだから、熱心にブログを更新されるのも結構だが、その辺のバランスを欠いてしまうと、あまり良い結果にはならないだろう。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月15日(火) サムライの誇り



「 お前は名誉を取り戻した。

  俺も名誉ある最期を遂げたい 」

                          映画 『 ラスト・サムライ 』 より

You have your honor again.
Let me die with mine.

                              The Last Samurai



映画の後半で 渡辺 謙 が 死ぬ間際、トム・クルーズ に語りかける台詞だ。

サムライ とは何か、男らしさとは何か、そのすべてが凝縮されている。


私は信心深いタイプじゃないので、人生は一度きり、生まれてくるのも一度なら死ぬのも一度、だからこそ有意義に生き、有意義に死にたいと願う。

いつの世も、この 「 有意義に生きる 」 という点においては、異論を唱える人が少なく、誰もが自分の生き方に価値を見出そうと努力するものだ。

しかし、「 有意義に死ぬ 」 という点に関していうと、最近は疎かにされがちで、重要に考える人が少なくなってきた感じがする。

些細なことに躓いて自殺を図ったり、若くして無謀な事故で命を落としたり、つまらない犯罪に手を染めて人生を棒にふる人間のいかに多いことか。

世の中はこうあるべきとか、地球の環境保護がどうだとか、周囲の問題はとやかく口を出すくせに、自分の命をちっとも大切にしない人間も多い。


国民投票法案が成立したことから、「 憲法9条が改正されて、将来、日本が軍国化する 」 などと本気で心配している人が多いという。

私自身、けして戦争をしたいとは思わないが、独立国家としての誇りを感じられない現在の憲法を改正することは、大いに賛成である。

もちろん、違う考え方があって良いし、たとえば、幼い息子さんを持つ母親が、「 この子を将来、戦地に行かせたくない 」 と願う心情も理解できる。

憲法が改正されて、日本が集団的自衛権を発動できたとしても、なるべくなら戦争になんぞ加担しないほうが良いに決まっている。

それでも、選択肢を得たいと願う理由は、国際的紛争を調停する役割や、弱者を守ったり、あるいは己の身を守る 「 誇り 」 の問題である。


先般、特急列車の中で若い女性が暴行され、約40名の乗客が救いの手を差し伸べなかった事件に、各ブログで様々な意見が寄せられた。

その中には、「 下手に手を出して、自分が怪我をしたら損だ 」 という記述があったり、その意見に対し 「 卑怯だ 」 という意見もあった。

私からみると、その論争は 「 改憲論議 」 に似ていると思うのだが、先ほども述べた通り、いろいろな意見があってよいと思う。

どこかの国が救いを求めても、自分たちが危険を冒してまで武力を行使する必要はないという意見があっても、けして不思議とは思わない。

そんな輩には、「 リスクを冒しても立ち向かうべき 」 と思うのは、私が男性に生まれてきたことや、体格的な影響があることを認めざるをえない。


唯一、理解できないのは、前述の暴行魔には 「 命を賭して戦うべきだ 」 と言いながら、憲法9条は頭ごなしに反対するタイプの人である。

特に男性の場合、その矛盾は 「 嘘くさい 」 としか思えず、片方では英雄を気取り、片方では見て見ぬフリというのは、どうにも合点がいかない。

女性は別として、男性で憲法9条に反対している意見の大半は、どう贔屓目に眺めてみても 「 器がちっちゃい 」 としか言いようのない理屈だ。

なんでアメリカに協力しなきゃいけないのとか、遠い他国の争いに日本人の犠牲者を出さなきゃいけないのとか、イジイジした話ばかりである。

ならば正直に、「 憲法は改正したくないし、特急列車で女性が襲われていても、私は見て見ぬフリをします 」 という意見のほうが、まだ信用できる。


国民投票法案が成立したといっても、9条を含む憲法が改正をされるとはかぎらないわけで、しかもその決定は3年以上先の話である。

私の理想は、国民の過半数が賛成して改正されることだが、もし反対意見が多くて改正されなかったとしても、特に困るわけではない。

賛成派が多くて改憲されれば、改憲されなかった場合よりも、私の中にある “ 日本人像 ” の評価が上がり、「 尊敬 」 の念が深まる程度の違いだろう。

もし、改憲されても、されなくても、自分の生き方が変わるわけではないし、国民投票という民主的な採決の結果を支持し、それに従うだけだ。

ただ、日本人の男性諸氏に対し、「 卑怯者として生き残ることが、そんなに大事なのか 」 という疑念を残すのは、性分として仕方ないところだろう。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月14日(月) 中国人雇用の実態



「 自分より立場の弱い人に対する接し方に、人の偉大さは現れる 」

            トーマス・カーライル ( イギリスの歴史学者、文筆家 )

A great man shows his greatness by the way he treats little men.

                                Thomas Carlyle



ビクトリア時代を代表する学者で、ゲーテの文通相手だったという。

夏目漱石も、カーライルの影響を受けたことが史実に記載されている。


冒頭の原文を直訳すると、「 立場の弱い人 」 ではなく 「 身分の低い人 」 になるのだが、なんだか嫌な言葉なので、解釈を変えさせてもらった。

イギリス人に傲慢さを感じるのは、アメリカの人種差別を揶揄しておきながら、内輪では貴族だなんだと、人間に階級を与え続けているところだ。

上から見下しながら、「 身分の低い人にも、丁寧に接しましょうね 」 なんて言い方は、立派な考え方のようにみえて、優位者の傲慢さが感じられる。

身分に上下の無い国でも、立場の強弱は存在するはずで、たとえば雇用者と労働者とか、上司と部下とか、売り手と買い手などの力関係がある。

たとえ自分が強い立場であったとしても、相手側に横柄な態度をとったり、権力を振りかざして無理を強いるのは、自分の品性を貶める行為だろう。


現在の私は、小規模だが 「 経営コンサルタント 」 みたいな仕事をしているけれど、皮肉なことに収入の大半は 「 投資業 」 によって成果がある。

中でも収益が大きく、今なお伸びているのは、中国で出資している繊維系の会社で、私は 董事長 ( とうじちょう = 日本でいう会長 ) に就任している。

優秀で信頼できる中国人の 総経理 ( そうけいり = 日本でいう社長 ) のおかげだが、顧客はすべて日本企業なので、私も頻繁に訪中している。

問題点は、現地の法制によって、配当は持ち帰れるのだが、利益を海外に持ち出すには制限があって、儲かっても日本円に換金し難いところだ。

仕方がないので、上海にマンションを買ったり、設備投資したりして、将来の二次的な利益に還元できるよう、投資の分野に労力を割いている。


こんな商売が中国で成長している背景には、日本の繊維業界がコスト競争に弱く、衰退の憂き目に遭っている現状がある。

実際、百貨店、専門店の一部高額商品を除くと、現在、日本で販売されている繊維製品の大半は中国製で、日本製の商品はごく僅かである。

長年、繊維業界に携わってきたが、この状況が打開される可能性は低く、原産国がシフトするとしても、それはベトナムやインドで、日本ではない。

将来は、日本での販売目的だけでなく、発展が著しい中国の市場に商品を売ることも期待され、ますます中国生産の利用価値は大きいようだ。

その流れは、現地の人もよく理解しており、儲け話に乗り遅れないように、多くの人々が活発に参加して、中国の繊維産業は好況を極めている。


日本とは商習慣が異なるので、いろいろと難しい運営上の課題も多いが、「 郷にいれば郷に従え 」 の教訓通り、なるべく現地に任せている。

特に気をつけなければいけないのは、不満があっても人前で中国人を恫喝したり、大声で叱ったり、怒鳴ったりしないことである。

これは、多くの日本企業、あるいは日本人担当者が失敗しやすい部分で、気持ちの一部に 「 日本人のほうが優秀 」 という慢心があるようだ。

叱ったり、要望を申し入れる際には、対等のパートナー意識を理解させて、相互の利益になる話をし、けして大勢の前で個人を責めるべきではない。

彼らとて、儲かる話は大歓迎なので、丁寧に、どこが悪いのか、どこを改善すればさらに良くなるかを説明すると、熱心に聴くし、素直に受け入れる。


青森県の縫製会社で働いていた中国人の女性3人が、過酷な労働条件と低賃金に耐え切れず職場を逃げ、支援団体に保護される事件があった。

こういう話には 「 不法就労 」 のケースが多いのだが、彼女らは 「 外国人研修・技能実習制度 」 を利用して、合法的に働いていた人々である。

彼女らは、日本語研修費や保証金として、中国の送り出し機関に 約30万円 ( 現地サラリーマンの年収2〜3年分 ) を出国前に支払っている。

それは、高い技術の習得や報酬を期待して、親族らから借金をしたりして、必死の思いで工面したに違いないお金である。

だが、彼女らや親族が思い描いた 「 日本 」 はそこになく、待ち受けていたのは想像を絶する過酷な労働条件と、不当な差別的待遇だった。


1年目の研修手当ては月給6万円で、朝8時から夜11時までアイロン台やミシンに向かい続け、残業手当は時給350円であった。

2年目から月給10万5800円になったが、寮費、光熱費などで約3万円を差し引かれ、ほとんど生活に余裕はなかったという。

これでは日々の生活がやっとで、両親に仕送りをしたり、出発時の借金を返済したりすることもできず、ただ、ただ、疲れるばかりである。

会社は負債が多く、日本の繊維不況をもろに受けていたので、10人以上いた日本人のパートを退職させ、9名の外国人研修生を受け入れた。

日本人の作業者に比べると作業が遅く、仕上がりが見劣りするとなじられ、会社の業績が落ちた責任を 「 君たちのせいだ 」 と社長から叱責された。


青森県が定めた最低賃金は時給605円で、昨年の11月には、3人からの訴えを受けた十和田労基署が同社に是正勧告をしている。

ここの社長は、「 経営に切羽詰って受け入れたが、最低賃金を払うのなら、そもそも彼女たちを雇わなかった 」 などと言っているらしい。

日本人より安い賃金で中国人を雇用している人の多くが、実は、このような発想を持っていて、その考えを改める様子もない。

根底には、彼らが中国で得る収入 ( おそらく月収1〜2万円程度 ) に比べれば、十分に高いではないかという認識があるようだ。

だが、月に5〜8000円もあれば暮らせる環境と、日本の物価は比較にもならないため、相応の対価を得なければ生活が困窮するのは当然である。


彼女たちは取材に対して 「 中国人は奴隷としか思われていなかった 」 と語り、日本で身につけたものは何もないと嘆いた。

現在、東シナ海のガス田問題や、靖国問題など、中国政府に対して不満に思う事柄は数多いが、民間の一部には、日本側の不誠実な実態がある。

アジア諸国との価格競争に負けた日本の繊維産業が、中国人らを奴隷のように働かせてよい理屈などなく、この問題は明らかに日本の恥部だ。

こんなことをしているから、いつまでたっても 「 日本に軍隊など持たせれば、すぐに戦争を仕掛けてくる 」 などと懸念されるのではなかろうか。

久々に長くなったが、同じ日本人として、あまりにも情けないというか、恥ずべき事柄として、ここに書き留めておきたかった次第である。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月13日(日) 誠実な男性



「 誠実な男性を探したって無駄です。

  誠実な男性ってのがいるとしたら、彼は病気です 」

          ジャ・ジャ・ガボール ( ハンガリー出身のハリウッド女優 )

What's the point of looking for a man who will be faithful?
If he's faithful, he's sick.

                                 Zsa Zsa Gabor



この言葉を聞くと、ちょっと安心できる。

少なくとも私は、「 病気 」 ではないらしい。


おそらく ガボール の言う 「 誠実 」 とは 「 女性に対する誠実 」 という意味であって、男性の人格すべてを否定するものではないのだろう。

仕事に対して誠実な男性、食べ物に対して誠実な男性、趣味やスポーツに対して誠実な男性なら、大勢いるのではないだろうか。

私も、男同士の友情や、仕事や、その他諸々の事象については、なるべく相手の信頼を裏切らないように、誠意をもって接してきたつもりだ。

しかしながら、すべての女性との交際において 「 誠実 」 を尽くすことができたかというと、恥ずかしながら自信がない。

それは、女性を蔑視するとか、軽く扱っているというより、「 誠実 」 な対処の仕方を知らなかったり、実行できなかった結果のように思う。


少し前に東京で、過去に交際した女性と会ったとき、彼女の口から懐かしげに 「 TAKA は誠実に愛してくれたわ 」 と言われ、戸惑ったことがある。

むしろ、そんな時には 「 サイテー 」 とか 「 人でなし 」 ぐらいの言われ方をされたほうが、気分的には スッキリ して楽なように思う。

けして、カッコつけて悪ぶるわけではないが、さほど間隔を開けずに何人も交際してきたし、いちいち 「 誠実だったわ 」 なんて言われると気が重い。

実際、そんなことを考えてる時点で 「 誠実ではない 」 のだが、女性の多くは、思い出を美化したいのか、「 誠実だったわ 」 で締めくくろうとする。

どうせ別れるなら、「 騙された 」 と思うより 「 誠実だった 」 と思い込んでるほうが、記憶の部分で幸せな気分に浸れるものかもしれない。


恋人と呼べる女性がいるときには、けして浮気めいたことをしないのだが、そうでないときには、複数の女性と テキトー に遊んでいる。

週に6日は外食するが、2日は接待で、残る3日は複数の女友達、1日は男友達というのが、特定の彼女がいないときの生活パターンだ。

すべての女友達と深い仲ではなく、映画を観るだけの関係だったり、口説くけど何もしない関係だったり、そこから少し発展するケースもある。

1ヶ月に3人付き合って、2人別れたり、時間があれば1日の前半と後半で2人付き合ったり、仕事以上の過密スケジュールに疲弊したりもする。

それぞれに 「 君だけだよ 」 などの嘘をつかないことと、「 性的風俗 」 には行かないことぐらいが、相手に対する誠意かと思っている。


たぶん、本気で女性を愛したのは、生涯で二度か三度ぐらいのもので、あとは 「 ちょっと好きになった 」 ぐらいのものかと思う。

この先はわからないが、まだ相手にしてくださる女性もいらっしゃるし、鼻が利くせいか、そういう奇特な女性を嗅ぎ分ける臭覚を備えているようだ。

40代半ばを過ぎてから、逆に 「 遺産目当て 」 なのか若い女性とのご縁も増えており、ヤラシイ言い方だが 「 不自由しない 」 状況にある。

そんな大人気ない生活が幸せかどうかは微妙だし、このままで良いなどとも思っていないのだが、毎日が楽しいし、仕事や、趣味の妨げにもならない。

もう少し先、いまの仕事で目標が達成されたとき、それからの人生を一緒にエンジョイできる相手を見つけたら、その人に 「 誠実 」 を示したいと思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月12日(土) 民主主義を知らない人は小学校からやり直し



「 大多数の決定が常に真実とは限らない 」

                       ヨハネ・パウロ 1世 ( ローマ教皇 )

The truth is not always the same as the majority decision.

                              Pope John Paul 



言葉には、その語感から連想されるイメージというものがある。

ときにそれは、本来の意味との間に微妙な隔たりが生じる。


たとえば、スイスなどによる 「 中立 」 という国家の姿勢からは、なんとなく平和な印象を受ける人が多く、好戦的という印象を持つ人は少ない。

実際には 「 中立 = 平和 」 ということでもなく、いづれの国とも同盟しないというだけの意味なのだが、なぜか、曲解される場面が多いのである。

もちろん、どこかと軍事的な同盟関係を結ぶと、他の国に緊張感が高まり、戦争の火種になることもあるので、まったく違う意味とも言い切れない。

しかし別の角度からスイスを眺めると、たとえば 「 所帯あたりの銃保有率 」 ではアメリカを超え、世界1位になっているという実態がある。

有事において、スイスの高速道路は 「 戦闘機用の滑走路 」 に転用できる設計が施されているのも、広く世界中に知られている話だ。


日本やアメリカの政治形態である 「 民主主義 」 とか、「 民主的 」 といった言葉についても、微妙な勘違いをしている人が多い。

民主主義の対極にあるのは独裁主義であるが、「 民主主義 = 正義 」 で 「 独裁主義 = 悪 」 という単純な解釈をしている人も意外と多いのだ。

本来、民主主義の原則は 「 多数決 」 であることから示される通り、大勢の意見に従って物事を決めてゆくことこそが、民主主義のシステムである。

だから、極端な話だが、大多数の国民が狂人で、独裁者一人が良識人だという国家があったならば、その国は独裁主義なほうが正義を実行できる。

そんなことはまず考えられないので、大多数による決定を尊重し、国民全員の意見で国を治めてゆくことを善とする考えが、民主主義なのである。


安倍総理が 「 憲法を改正してはどうかな 」 と国民に問い掛けているのも、日本が民主主義国家であることの証明といえるだろう。

これが独裁国家であれば、国民に意見を求めることなく執行機関が決めるわけで、当然 「 国民投票 」 なんて話が出てくるはずもない。

しかしながら、「 憲法を改正しようなどと企てること自体がけしからん 」 と、安倍総理は独裁者だ、日本は独裁国家だなどと騒ぎ立てる御仁がいる。

彼らは 「 民主主義とはなにか 」 を知らず、総理大臣の人柄や方針だけを眺めて、日本が民主主義国か、独裁主義国かの判断をしているのである。

公正な選挙により過半数を得た政党が政権を執り、その政党の代表者が総理に就いているのだから、方針、性格にかかわらず、民主主義なのだ。


安倍総理が憲法を変えようが変えまいが、戦争をしようが、悪いことをしようが、それは 「 国民の信任を得た人間 」 の政策なのである。

彼がどのような政策を提議しようと、過ちを犯そうと、彼を選んだのは国民 ( 有権者 ) の意志なのだから、責任は有権者に帰属する。

その際に、「 いや、私は彼の政党に投票しなかった少数派だ 」 と言って、部外者面をする人がいたならば、その人こそ 「 民主的でない人物 」 だ。

議員には任期が定められているので、前に投票した有権者が 「 こんな人 ( 政党 ) に入れるんじゃなかった 」 と思えば、次回に存続はできない。

選挙という監視制度、評価制度があって、国民の意見 ( 大多数の意見 ) が反映される仕組みである以上、この国は民主主義国家なのである。


大体、「 安倍総理は独裁者だ 」 などと中傷する御仁は、独裁的か民主的かなんてことに、ほとんど興味を示していないのが実状のようだ。

権力者に対する憧れと嫉みが強く、自分の思い通りにならないことで駄々をこね、空回りの論拠で悪態をつき、憂さを晴らしているだけである。

そういう連中を擁護する気はないが、彼ら少数派の意見が正しく、多数派の意見が間違っているという可能性も、絶対に無いとは言えない。

多数派の意見を鵜呑みにして採用するだけでなく、少数派の言い分も聞き入れ、できるだけ大勢の意見を反映するのは民主主義国家の使命である。

ただ、だからといって 「 安倍総理は独裁者、日本は独裁国家 」 などと暴言を吐くのは、社会科の勉強が足りないか、脳に異常があるとしか思えない。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月07日(月) フランスの新大統領 サルコジ氏



「 フランスには246種類もチーズがあるんだ。

  こんな国を統治できると思いますか 」

                    シャルル・ドゴール ( フランスの大統領 )

How can you be expected to govern a country that has 246 kinds of cheese?

                              Charles De Gaulle



フランスの新しい大統領に、右派のサルコジ氏が当選した。

初の女性大統領を目指したロワイヤル氏は、惜しくも敗れ去った。


この結果を最も歓迎したのはイギリスで、イラク戦争などで対立した英仏の関係改善が、今後は急速に進む期待が高まっている。

近年、アメリカと共にリベラルな社会の実現を目指すイギリスと、社会福祉型モデルを堅持するドイツ、フランスの間には、大きな溝があった。

それが、ドイツではメルケル首相、フランスはサルコジ氏と、ともに中道右派の政権となったことで、すっかり状況は変わってきたようだ。

これで、EU の構造的問題解決や、政治的な結束の強化に拍車がかかり、欧州連合の改革が進展することも期待される。

日本にとっても、親日家で知られたシラク大統領の後任がどのような人物になるか興味深いところだったが、サルコジ氏ならば不安も少ないだろう。


右派か、左派か、という面だけにスポットが当てられがちだったが、結局、有権者は 「 公約の具体性 」 を評価し、サルコジ氏を選んだ形となった。

旧ソ連の崩壊も含め、左派勢力、社会主義勢力の掲げる 「 理想主義 」 というものに、大方の人間は騙されなくなってきている。

日本でも、格差を是正しろとか、もっと弱者に優しい政治をしろとか、理想論ばかりを展開する政党や人物も多いが、結局、最終的には支持されない。

いくら体裁のよい言葉を並べても、実体的経済を改善する力が無かったり、民主主義の流れに逆らう人々を、大衆は支持しなくなってきているのだ。

公約そのものは立派でも、実行できる力が無ければ、福祉も、弱者救済も成り立たないわけで、これは世界的な潮流として定着しつつある。


個人も同じで、職場で人並みの仕事もできていないのに、ブログでは政府の批判を熱心に説いたり、世直しみたいな文句を並べ立てる人がいる。

それに共感する人も多少は現れるが、所詮 「 傷の舐め合い 」 でしかないわけで、たとえば選挙結果を左右するとか、社会の流れには影響しない。

自分は恵まれていないとか、正当な評価を与えられていないとか、社会に対する 「 恨み、嫉み 」 のある人物が、ごく一時的になびくだけのことだ。

そんな病的思想の持ち主が増えてはいるものの、全体的には、自らの力で具体的な未来を構築しようとする 「 マトモな人間 」 が大多数を占める。

けして、経済力がすべてではなく、政治に夢や理想を描くことも必要だが、真のリーダーに望む条件は、やはり 「 具体的な実行力 」 なのである。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月06日(日) ジェットコースター脱線事故



「 経験とは、すべての人が自分たちの過ちに与える名前である 」

           オスカー・ワイルド ( イギリスの詩人、小説家、劇作家 )

Experience is the name everyone gives to their mistakes.

                                   Oscar Wilde



賢者は、過ちを避ける唯一の方法が 「 経験を積むこと 」 だと知っている。

ただ皮肉なことに、経験を積む唯一の方法は 「 過ちを犯すこと 」 である。


今年のゴールデンウイークで最も印象に残った事故は、大阪・吹田市内の遊園地 『 エキスポランド 』 で起きたジェットコースターの脱線事故だった。

大勢の家族連れやカップルが、楽しい思い出を求めて出かけた遊園地で、このような悲惨な事故に遭遇するとは、誰にも予測できなかっただろう。

後日の調査で、脱線車両の折れた車軸が金属疲労を起こしていたことや、15年前の運用開始から一度も交換されていないことなどが判明した。

ジェットコースターなどの遊具施設について、普通、一般客は 「 乗り物 」 と呼ぶが、安全基準は建築基準法に基づく 「 構造物 ( 建物 ) 」 の類だ。

自動車、電車などの 「 乗り物 」 なら定期的に検査される機会も多いが、「 建物 」 の場合は、建築時の手続きと検査しか行われないことが多い。


過去においても、同様の事故例が無かったわけではないようだが、今回の死亡事故を受けて、今後、法整備の見直しが進む可能性は強い。

悲しい話だが、「 安全管理に問題あり 」 と、たとえ誰かが気付いていても、実際に死亡事故が発生するまで、見過ごされる例は少なくないようだ。

昨夏も、プールの給排水溝に子供が吸い込まれ死亡する事故があったが、構造上、危険が察知できていても、犠牲者が出るまで対応が遅れる。

過ちを犯さなければ経験が蓄積されないことも事実なのだが、人命の喪失という 「 取り返しのつかない過ち 」 を犠牲にするのは、なんとも悲しい。

事故や災害から教訓を得ることも大事だが、願わくば、未然に防ぐ技術や管理方法の向上に努め、さらなる悲劇の発生を予防してほしいものだ。


私生活では、季節はずれの鼻風邪をこじらせたうえ、この連休期間中に 「 二人の女性からフラれる 」 という、まれにみる悲惨な一週間だった。

少し前の日記 『 恋愛リサイクル篇 』 にも登場する女性 ( 昔の彼女 ) が、すごく気になって仕方がないので、現在、交際中の女性に打ち明けた。

さほど真剣な交際と思ってなかったので、軽〜い気持ちで相談したのだが、それがかえって先方の 「 逆鱗 」 に触れたようで、その後、消息不明に。

その直後には、前述の 「 気になる昔の彼女 」 からも 「 気のないメール 」 が来て、結果、「 三振ゲッツー 」 最近の阪神みたいな窮状である。

恋愛に関しては、「 人並み以上の過ち回数 」 を記録しているつもりだが、なぜか経験が蓄積されないもので、また、振り出しに戻るしかないようだ。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月05日(土) 理屈じゃないのよ憲法は



「 日本は偉大な国だ。

  そろそろ、それにふさわしい行動をとっていい頃だ 」

            ジョン・C・ダンフォース ( アメリカ上院貿易小委員長 )

Japan is a great nation.
It should begin to act like one.

                               John C. Danforth



今から60年前、戦勝国は日本に 「 何もするな 」 と命じた。

以来、日本人の多くは 「 何もしない 」 ことを善しと考えるようになった。


昭和20年代の文献を読むと、新生日本国憲法の制定を、当時の日本人が満場一致で受けいれたのではない事実が、あちこちに記されている。

なぜ 「 いま、憲法を変えなきゃならないのか 」 という問題より前に、なぜ 「 このような憲法を日本は受けいれたのか 」 を知ることが大事だろう。

この憲法が、平和を愛し、民主主義を尊び、あくまで国民主権で、すべての国民の人権を守ろうとする、素晴らしい憲法であることは間違いない。

ただ、内容の一部に 「 日本人らしからぬ憲法 」 だと言わざるをえない点があって、日本人の美学、哲学、古来よりの価値観に、どうも相容れない。

いま私が感じる違和感と、昭和20年代、この憲法に反対し続けた人々の懸念は、偶然なのか必然なのか同じ問題において、ほぼ一致している。


ごく簡単に言うと、この憲法には日本人の魂とされる 「 武士道 」 の精神が抜けているので、大筋は理解できるが、どうも納得できない点があるのだ。

前回も書いたが、特急列車の中で強姦されている婦女子を横目に傍観して、平和主義、非暴力主義を貫くのが、日本男児の本懐ではないだろう。

たとえ我が身に危険が及んでも、悪い奴は徹底的に叩きのめすべきだし、その過程で同盟国と協力し合うのも、正義が目的なら当然の話だ。

ただ、終戦から時間の経っていない昭和20年代、日本が人並みの防衛権や交戦権を要求できたはずもなく、武士道は置き去られたのである。

いまは、集団的自衛権がどうとか、違憲行為だからどうとか、世界の紛争に巻き込まれない理屈をこねる前に、少しは他人の役に立つことも考えたい。


憲法改正と言えば、すぐさま 「 軍靴の響きが聞こえる 」 などと軍国主義に回帰するような表現をされる方もいるが、現代の日本では在り得ない。

けして、好戦的な国にしようとか、他国を侵略しようということではなく、誇り高く、自分も、周囲も、本当の意味で “ 自衛 ” していたいのである。

仮に、今よりも戦争のリスクが高まったり、流れ弾で死ぬ危険が増えたとしても、「 卑怯者 」 として長生きするよりはマシであろう。

会社をズル休みしてパソコンに語るしか能のない 「 鬱病オヤジ 」 や、強姦魔に立ち向かえない臆病者の 「 身の安全 」 が、それほど大事なのか。

大体、ちょっと嫌なことがあれば 「 自殺しちゃおかな 」 なんて口にする馬鹿が、平和と安全なんて話をしても、まったく説得力など無いのである。


と、まぁ… 「 憲法論議 」 になると少し熱くなってしまうのも仕方ないのだが、そろそろ日本人も 「 平和と安全 」 一辺倒ではどうかと思う。

少しは危ない目に遭っても、自分たちの力で身を守ったり、弱い奴を庇ったり、悪い奴をやっつけたり、そういうことも必要なんじゃないだろうか。

とにかく、しつこいようだが、私は先日の 「 特急列車内で衆人看視のもと、女性が強姦された事件 」 を聞き、現憲法のデメリットを痛感した次第だ。

こんな事件が起きたのは、「 何もしないことが善 」 とする現憲法の悪しき面でもあり、「 武士道精神はどこへ消えたのか 」 と嘆くより他に無い。

改憲により、「 戦争ができる国 」 にしたいのではなく、日本人が一人前の名誉や、自尊心や、羞恥心や、侍の魂を取り戻せるように、私は願う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月04日(金) 憲法改正と列車内女性暴行事件の嘘と茶番



「 我々の憲法は、その時々の政治の風に吹かれて入ってきた判事達に

  よって洗い流されてしまうような、砂に書かれた憲法ではない 」

               ヒューゴ・ブラック ( アメリカの政治家、裁判官 )

Our constitution was not written in the sands to be washed away by each wave of new judges blown in by each successive political wind.

                                   Hugo Black



フランクリン・ルーズベルトから最高裁判官に指名され、任務に就いた。

任期は歴代2位と長く、20世紀で最も影響力の大きかった裁判官の一人。


アメリカ人は、「 いい加減なもの」、「 長期的に保証されないもの 」 などを指して、よく 「 砂に書かれた○○ 」 という表現を好んで使う。

かなり古いが、パット・ブーン が唄った 『 砂に書いたラブ・レター 』 なんて曲を、思い浮かべる オールディズ・ファン も多いのではないだろうか。

日本国憲法を、「 砂に書いた テキトー な約束 」 と思っている人は皆無で、だからこそ、変えるべきだという人もいれば、違う意見の人もいる。

この問題は日本の将来にとって重要なことだから、議論が白熱することは大いに結構だし、私自身も、まだまだ色々な意見を知りたいと思う。

ただ、どんな問題でもそうだが、正常な思考回路から逸脱しちゃうオツムが病気の人、問題の本質を勘違いしている意見は、単なる雑音にすぎない。


病的で、本質を勘違いされていると思う人は、「 憲法改正は得か、損か 」 ということをよく問題にされていて、そこから発想を広げることが多い。

もし、この 「 憲法改正は得か、損か 」 が大事なら、憲法を改正して日本人が得をすることはあまり考えられないので、「 損だから反対 」 となる。

現状の憲法ならば、どこかで民族が迫害されていようが、おとなしい小国が武装国家に侵略されようが、「 平和主義なので、見て見ぬフリ 」 ができる。

自分が攻撃されたら反撃する ( 自衛隊以外は自分の手を汚さないで )が、そうでないかぎりは何の武力行使も行わないので、出費も危険も少ない。

世界中で、イジメや、弾圧や、迫害や、民族浄化や、地域紛争やら、ありとあらゆる争いが起きているけれども、そんなこと気にしないのが現憲法だ。


なぜ、「 憲法改正で日本人は得をするのか? 」 という思想の人を病的だと思うかといえば、先日の 「 特急列車内強姦事件 」 を思い出して欲しい。

車内に居るのは、レイプ犯、悲鳴を上げる若い女性、約40名の乗客だが、彼のような乗客は 「 女性を助けて得をするのか? 」 と考えるのだろう。

犯人が凶器を持っていて刺されたら損、相手を殴って過剰防衛なんて言われたら損、逆恨みされたら損、被害者に感謝されなきゃ損、…てなものだ。

損か得かじゃなく、目の前にいる 「 自分の助けを必要としている女性 」 に手を差し伸べるのか、見て見ぬフリをするのかが重要な違いである。

この列車内で起きた 「 見て見ぬフリ 」、「 世界がどれだけ危険でも、自分の安全と平和だけが大事 」 という発想が、現憲法擁護の背景にあるのだ。


誤解のないように付け加えるが、すべての憲法擁護論を 「 卑怯者 」 扱いしているわけではないが、先の 「 損得論 」 についてはそのように感じる。

実際、世界の動きに目を瞑って、条文だけを読みふけると、これほどまでに美しく、知的な憲法は他に類を見ないわけで、なんとも素晴らしい。

多少、「 ここに書かれている内容と、世界の実態には隔たりがある 」 かなと疑いつつも、戦後60年、日本はそれを信じ、運命を共にしてきた。

結果、世界からは 「 軍隊を持たない ( 軍事力を行使しない ) 平和な国 」 と評価され、軍備に係る莫大な費用を、産業界の活性化に投資できた。

日本国憲法と共に歩み、軍事力を放棄することによって、経済的な豊かさと、平和国家というポジションを、日本人は世界の中で確立してきた。


過去において現在の憲法が効力を発揮し、それが 「 日本人にとっても 」、「 世界にとっても 」 良い結果を残したのは、疑いようのない事実だと思う。

だから、過去を否定したり、この憲法自体が間違っていると指摘するつもりはないのだが、「 これからも、このままでよいか? 」 は気になるところだ。

60年前の終戦直後、日本に向けた世界の要望は 「 二度と戦争をするな 」 だったわけで、戦争に加担させないことが最優先だったのである。

それから60年が経ち、世界の中に、日本を 「 けして野蛮ではなく、良識的な判断で軍事力を行使できる国 」 と認める国が増えたのは名誉なことだ。

つまり、数十年前までは 「 何もしない 」 ことが日本の役割だったけれど、最近では 「 何か役に立って欲しい 」 と、世界に期待され始めている。


けして、アメリカの真似をしたり、中国に張り合ったりということではなくて、日本は独自の見地で、経済面、軍事面まで幅広く関わればよいと思う。

前述の 「 列車内強姦事件 」 などは、現憲法上の 「 集団的自衛権 」 には抵触しないが、日本古来の武士道精神からみれば 「 恥 」 でしかない。

憲法を改正して日本人が得するかと尋ねられたら、答えは 「 ノー 」 だが、ここらで改正しないと、日本人の自尊心、羞恥心が崩壊する危険がある。

けして好戦的になる必要はないが、自分が正しいと思ったら、凶暴な相手を武力で鎮圧する使命感と、それを行使する権利を、私は欲しいと思う。

そして、列車内強姦事件の傍観者は卑怯だと糾弾し、憲法問題では改正に反対し、世界の傍観者でよいとする 「 矛盾発想 」 は、変で病的だと思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年05月01日(火) 子供に希望を抱かせる方法



「 子供というのは、あなたが子供の何を信じてあげるかによって

  育つものなのです 」

      レディ・バード・ジョンソン ( アメリカ合衆国第36代大統領の妻 )

Children are apt to to live up to what you believe of them.

                             Lady Bird Johnson



言葉の主は、第36代大統領 リンドン・B・ジョンソン の奥様である。

首都美化プロジェクトを発足し、ワシントンD.C.の環境改善に努めた。


大人が子供を語るとき、年輩者が若者を語るとき、どうも否定的な意見が多いような気がするのは、私だけだろうか。

ゆとり教育で子供の学力が低下しているとか、犯罪が低年齢化しているとか、ニートや引きこもりが増えてけしからんとか、あまり良い話がない。

たしかに日本の将来の為、子供たちにしっかり勉強してほしいし、ちゃんと働いて納税してほしいし、立派に成長してもらいたいとは思う。

しかし問題の多くは、子供たち自身ではなくて、親や教育現場など、子供を育てる環境のほうにあって、子供そのものではないようである。

つまり、大人がだらしないからツマラナイ子供が増えるわけで、良い子供を育てたければ、大人が変わらないとどうしようもない。


最近は、インターネットカフェに寝泊りする 「 ネットカフェ難民 」 と呼ばれる若者が増えていて、ちょっとした社会問題になりつつある。

なぜ 「 なりつつある 」 のかというと、現時点で、そこに寝泊りすること自体には何の問題もないのだけれど、彼らの将来に不安があるからだ。

家賃が払えないので住居はなく、流浪生活のため、人によっては身の回りの荷物も、銀行口座も、着替えも、携帯電話も持っていない。

彼らの生活手段は、無料で登録できるメールアドレスに送られてくる日々のアルバイト情報を頼りに、日払いの日当を稼ぐことが中心となる。

いわゆる 「 その日暮らし 」 だが、そこそこの大学を出て前科もなく、身体が不自由でもないのに、なぜ、そのような生き方を選ぶのだろうか。


社会制度的に問題があるとすれば、それは正社員の雇用が減り、派遣や、アルバイトの比率が増えている 「 雇用行政のありかた 」 に根が深い。

ただ、それよりも大きいのは、「 会社なんかツマラナイ 」 とか、仕事が嫌で仕方がないなどと、恥ずかしげもなく口にする大人の存在だ。

昔とは違い、やる気が失せたら精神科か心療内科に行けば精神科医が、ロクに診察もせず、安直に 「 はい、鬱病です 」 と認定してくれる。

鬱病になった人すべてを責める気はなく、黙って治療に専念して再起を目指す人は、社会全体が応援する仕組みも必要だと思う。

しかしながら、なかには都合の良いとき ( 会社を休みたいときなど ) には病人だと主張し、会社や仕事への批判は元気に語る御仁もいる。


父親が、「 気分が鬱なので会社に行きません 」 と仕事を休んで、ブログを書いたり、どっぷりネットに浸っている姿を子供が見て育つ。

そんな環境で、いくら立派な大学へ行かせても、お上品な習い事をさせても、子供が将来に希望を持つはずがない。

昔の男は、たとえ辛いことがあっても、仕事が嫌だとか、上司が嫌いだとか、公言することをはばかる 「 恥 」 を知っていた。

子供はそれを 「 美学 」 だと悟り、また、苦難の先には成果もあることを、父親の背中をみて学び、自分もそれを超えようと努力したのである。

仮に、自分の父親は立派でも、現代は 「 ダメな大人が発信するマイナスの情報 」 が氾濫し過ぎていて、子供や若者は希望を失いつつある。


子供に希望を抱かせるのには、親が自分の仕事に誇りを持ち、やりがいを感じながら楽しく取り組んでいる姿勢をみせることが一番である。

技術職ならば、そういう先人に弟子入りさせるのも一つの方法だし、雑音の入らない海外で留学させるのも、ネガティブ発想を抑止するのに効果的だ。

また、たとえ 「 そんな仕事で大丈夫? 」 と懸念しても、子供が本当に就きたい仕事を尊重して、その将来を信じてやることも大事である。

無理やりに就かせた仕事と違って、自分で選んだ仕事なら、たとえ失敗しても立ち直れるはずで、経験上、そういう例を何度もみている。

親という漢字を分解すると、「 “ 木 ”の上に “ 立 ” って “ 見 ” る 」 という文字になっている通り、信じて眺めることが最善なように思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加


 < PAST  INDEX  NEXT >


Oldsoldier TAKA [MAIL]

My追加