部長motoいっぺい
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2003年12月28日(日) 娘、日本でも「舌」好調

昨日友人夫妻と会い、昼食を一緒に食べた後、僕たちは大丸にある書店で本を物色。

僕は話題の本「バカの壁」、嫁は子供のドリル、息子は名探偵コナン(マンガ)、娘は「おじゃ魔女ドレミ」の本を買うことにし、唯一日本円を持っている僕がレジに並んだ。

僕がお金を払おうと、財布を開けたところ、

「パパ、銀行にいってお金おろしたの?」

「そうだよ」

「へえ〜、いいなあ!」
「じゃあパパは今、大金持ちなんだ!」

レジに並んでいる人たちが、一斉にクスクス笑い出す。。。

「あんた、頼むから黙っててくれない・・・(汗)」



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2003年12月27日(土) 実家その1到着

サンフランシスコで一泊し、成田&羽田経由で、昨夜北の大地にある実家その1到着。

本日は友人夫妻その1とステラプレイスなるところで昼食。

「どこじゃあ、そりゃあ!!」

っちゅう感じ。

今浦島太郎也。


2003年12月23日(火) 遠足前日

遠足前日に、必ず熱を出す子っていたよね。





今、僕がその状態。。。
果たして、明日は無事帰国に向けて出発できるのだろうか?


ってなこと書いてる間に、早く寝ろってか(笑)


2003年12月22日(月) 英語しゃべってぇ〜♪

今年の年末は、家族で日本に帰省する。前半は僕の実家、後半は嫁の実家に滞在する予定だ。

2年半のアメリカ生活で、家族そろって帰国するのはこれが初めてである。帰省先では、友人と会ったり親戚に会ったりと、そこそこ予定が詰まっているのだが、子供を連れて行ったときに「英語しゃべってぇ〜♪」とリクエストされると予想するのは、自意識過剰だろうか。いや、僕なら絶対言うだろうなぁと思うから、そう思うだけなのだが(笑)

そんなことを考えていたので、昨日の夜に子供たちとお風呂に入っていたときに、

「日本に行って、『英語しゃべって〜♪』って言われたら、どうする?」
と聞いてみた。すると、

「My name is ○○!」
と娘が言うので、

「ん〜ん、それじゃあ、簡単すぎてインパクトがないなぁ(笑)」
とダメ出しをした。息子は、

「じゃあ、I go to △△ Elementary school!」
と言うので、

「それもつまんないなぁ〜」
と、再度ダメ出し。
(↑めっちゃ、わがままな親)



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ちょっと、引かれるかも・・・(笑)


まあ、なんだかんだいって、子供が英語をしゃべっているのを一番見て欲しいのは、他ならぬ僕なんだけどね。。。


2003年12月21日(日) 違法?なビデオ店

日本で録画したテレビを有料でネット配信していた男が、著作権法違反の容疑で逮捕されたとのニュースを数週間ほど前に見た。このサービスを利用していたのは、主に海外に住む日本人だったという。

このニュースを見てふと考えさせられたのは、僕の家の近くにある日本のビデオレンタル店についてである。というのは、ウチの近くにあるお店は、日本のビデオレンタル店で貸し出している映画やVシネマなどの他に、日本で録画されたテレビ(ドラマやバラエティー)などを貸し出しているのだ。どう考えてみても、明らかな著作権法違反であると思うのだが、国外の場合は問題にならないのだろうか。

わが家はこの手のビデオを借りたことはないのだが(別に著作権法に違反しているから・・・という理由ではなく、単に面倒くさい興味がないだけ)、この手の店が数件あるということは、駐在員や留学生相手に、そこそこのニーズはあるのだろう。

ニーズがあるということはビジネスのチャンスがあるというわけで、違法ではないサービスを提供できる会社ができれば、結構儲かるのかもしれない。



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2003年12月20日(土) Theater & Theater

今日はウチの子供たちが出演する演劇の最終日。
午後1時からと午後7時からの2回公演だったので、最終公演である夜の部に行くことにした。

子供たちと嫁は午前11時ごろに家を出てしまったため、とりあえず僕はゴルフの練習に行き、お昼ご飯を家で食べた後にとりあえず昼寝。

午後3時すぎに起き、日本語補習校に言って子供たちの宿題を受け取り、その足で映画館へ直行。多くの人がロード・オブ・ザ・リング3に並ぶ中、僕はザ・ラストサムライを観る。

「明治初期に、こんな上手な英語をしゃべる侍(渡辺謙)はおらんちゅーの!」

という基本的な突っ込みを除けば、よく出来た映画だった。
トム・クルーズの殺陣も、「さすがハリウッドスター」と思わせるほどの上手さだったが、何よりケン・ワタナベ(渡辺謙)の存在感はさすが。アメリカ人にどう映ったかはわからないが、トム・クルーズに全くひけをとらないように見えた。

ラストサムライを見終わったその足で、子供たちのでる演劇が行われるシアターに直行。

子供たちは無難に役どころをこなしており、息子の大人びた台詞の部分では、くすくす笑ってくれる人もいた。

200席ほどの客席はほぼ満席で、終わった後の拍手喝さいを浴びた子供たちは、さぞかし気持ちよかったと思う。


2003年12月19日(金) ランドセル物語(完結?編)

今日のこの日記を読む前に、ランドセル物語(前編)と、ランドセル物語(後編)をお読みすることをお勧めいたします。



先日オフクロに、年末の帰省について電話をしていた時のこと。

「○○ちゃん(娘)って、来年小学生になるんだっけ・・・」とボケたことを言う。

「そうだけど・・・」と僕は答えながら、「初孫でもない孫だと、学年までわすれられちゃうのね・・・(笑)」と思っていた。

その翌日のこと。おフクロから一通のメールが届いた。



タイトル「とうとう買っちゃった!」

先程はどうも。
△△(息子)には内緒にね・・・・ランドセル・・・・・
とうとう買ったよ。
それも黒と赤二つも。
以前から気になって会話にでていたランドセルですが
今日、お父さんが地下街で格安で見つけ電話が
あったので、あなたに電話で確認したのです。
それで、納得したでしょ。

あなた方には無駄と言われそうですが
それでも子供たちの喜ぶ顔が見たくて買ってしまいました。
ジジ、ババ馬鹿とお思いでしょうが、ご勘弁を。




僕はこのメールを嫁に「論評抜き」で転送したところ、嫁は「すんごい、びっくりした!」と、驚いていた。
そりゃあ、実の息子でも驚くんだから、義理の娘は驚くわな。。。



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2003年12月18日(木) パーティー期間終了

本日のクリスマスパーティーにて、本年の「公式」クリスマスパーティーは終了。
来年のクリスマスにはもうここにはいないかもしれないので、本当の意味で「ラストクリスマス」かもしれない。


ともあれ、本当にお疲れ様でした>嫁


2003年12月17日(水) 公開リハーサル

ウチの子供たちは、今年の秋は市民劇団のようなものに参加していて、これまで練習を重ねてきた。
本番は明日12月18日から20日まで、市内の小劇場で行われる。

今日は明日から公開ということで、関係者を呼んでの公開リハーサルが行われた。普段の練習中と本番はビデオ撮影禁止なのだが、今日だけはビデオ撮影をしてもかまわないと言うことだったので、午後7時からのリハーサルに行くことにした。

演劇の題名は「It's a Wonderful Life」というもので、ウチの子供たちの役柄は「天使その4」と「天使その5」である。
(その4・その5かどうかは不明だが、子役の天使は合計5名いる)

始まってすぐに台詞が少しだけあるのだが、嫁がビデオを僕に持ってくるのが遅れたため、

肝心の台詞を言っている所が映せず・・・(涙)

後半でちょっとだけ舞台の中央に出て演技をしたが、基本的にはステージ袖の椅子に座っている大天使の周りに、ちょこんと座っている役。結構長い間、ステージの脇で静かに座っていなければならないので、その意味では子供たちにはキツイ役かもしれない。

舞台を見ていたら、ウチの娘は大天使の衣装を引っ張って怒られたり、息子は息子で、出番でもないのに大天使のそばに行って追い返されるし・・・。

明日からの本番が、少々心配な最終リハーサルであった。



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2003年12月16日(火) ウェディングギフト(後編)

(前回からの続き)

持ってきたリストと、その場でプリントアウトしたリストの内容が全く異なっていたため、僕は混乱した。

すぐに考え付いたのは、「買おうと思っていたものを誰かが先に買ってしまったため、リストから消去された」というものだったが、それにしてもリストの内容が違いすぎる。

「もしかして週末のうちに、アシスタントAがデパートに来て、リストを書き換えて行ったのか?」とも考えたが、そんなことをする理由が思いつかない。

そんなことを考えながら、手に持っていたリストを見たところ、

手に持っていたリストには、アシスタントAではない他人の名前が書かれていた!!!

どうやら、先日そのリストを店員にプリントアウトしてもらったときに、別の人のリストをプリントアウトされて渡されたようだった。。。


そのため、「奥様会議」で決定したプレゼントを贈ることはできなくなってしまったが、嫁が「金額を見て決めただけだから」と言っていたのを思い出し、僕の判断で同じ金額の商品を贈ることに決めた。

端末に表示される指示に従って商品を選び、最後にクレジットカードを通した・・・が、反応がない。30秒ほど待ったところ、

「この機械は故障しました。係員にお尋ねください」

との非情なメッセージが。。。

そうこうしているうちに、その端末は自動的に再起動を開始した。3分ほど待ったところ最初の画面に戻ったので、気を取り直してもういちどアシスタントAの名前の入力、プレゼントする商品の選択を行い、クレジットカードを通した。

すると、

「この機械は故障しました。係員にお尋ねください」

との非情なメッセージが。。。

そうこうしているうちに、その端末は自動的に再起動を(以下省略)


仕方がないので、店員に別の端末の場所を聞いて、3回目のトライをしたところ、そこではスムーズに購入手続きを完了することが出来た。



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2003年12月15日(月) ウェディングギフト(前編)

以前の日記に書いたが、このたび駐在室アシスタントのAが結婚することになった。そこで、この地区に住む駐在、研修生でお金を出し合って、記念品を贈ることにした。

ご存知の方もいらっしゃると思うが、アメリカでのギフト(出産祝い・結婚祝いなど)は、ギフトを受け取るほうがデパートなどに行き、欲しいものをあらかじめ登録しておくという仕組みがある。ギフトをあげるほうはその店に行き、プレゼント相手の名前を言うと、その「欲しいものリスト」が店のコンピューターからプリントアウトされるため、その中から自分の予算にあったプレゼントを選ぶというものだ。

これだと、欲しくないものをもらったり、同じものを複数もらったりということがないため、とても合理的なシステムだと思う。きっと遠からず日本のお店にもこの仕組みは導入されるのではないか(すでに導入済みの店もあったりして)。

先日の駐在1号宅での餅つきパーティーの前に、僕がアシスタントAに聞いたお店に行って「欲しいものリスト」を受け取り、「駐在・研修生合同奥様会議」により、共同購入する記念品を決定した。

僕は早速今日の会社帰りに、奥様会議で決定されたプレゼントを買いにデパートに行った。先日「欲しいものリスト」をプリントアウトしてもらったカウンターに行ったところ、係の人がいなかったため、ふと周りを見ると、自分で端末を操作してプレゼントを購入することができる装置が目に入った。

僕はその端末を操作し、アシスタントAの名前を入力し、奥様会議で指定されたプレゼントを選ぼうとしたのだが、何故か指定されたプレゼントがリストの中に見当たらない・・・。


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以下次号。


2003年12月14日(日) 餅つき(機械式)

土曜日は駐在1号宅にて、年末恒例の餅つきパーティー。
餅つきといっても、機械式の餅つき機が活躍するのみで、別に杵と臼を使う本格的なものではない。まあ、年末忘年会といったところか。

帰りの車の運転は嫁に託し、久しぶりに運転の心配をせずにお酒を飲む。最初はビール、中盤からはワイン、途中に日本酒をはさみ、再びワインに戻り・・・と調子に乗って飲んでいたら、飲みすぎてしまったようだ。

自分としてはそんなに飲んだつもりはなかったのだが、酒席が減ったこともあり、ずいぶんとお酒に弱くなっているため、日曜日は久々に二日酔い。

昼間は、嫁と子供たちは娘の友達の誕生日パーティーに出かけていたので、ソファーに横になりテレビでアメフト観戦。皆が帰ってきた後は、年末帰国の際のお土産をまとめ買いするため、COSTCOに行く。

買い物の途中に日本から緊急の依頼事項が携帯に入ったため、家に戻ってしばしお仕事モード。

夜は先日しばこあ夫妻から送っていただいた、CoCo壱番屋のカレーを美味しくいただく。もちろんチーズをつけて(笑)


2003年12月12日(金) なんでだろ〜う♪

何回か日記に書いているが、僕の日本の持ち家は、借家として他人に貸している。
とあるリロケーション会社を通じて貸しているため、高額な手数料を取られて手取り家賃は安いものの、一定程度の安心感があること、かつ定期的に家の様子を写真に撮って、外観検査レポートとともに送ってくれるというサービスがある。

今日郵送されてきたレポートを見たところ、壁面にコケが生えているところがあるというので、どの部分かな?と思い、写真をじっくりと見てみた。

すると、カーポート(屋根なし)に面した壁の一部が、確かに変色しているように見える。しかし、その変色は「まだらに」というよりは、「長方形状」に変色している。

あれ?と思ってよ〜く考えてみたところ、


↑答えが読める、小癪なエンピツ投票ボタン


コケが生えているのは、どうやら北側の壁面で、隣家に面している風通しの悪いところだと思われる。


2003年12月11日(木) 子供たちの成績表

子供たちが通う現地校の成績表は、年間3回自宅に郵送されてくる。先日1学期の成績表が送られてきた。なお、「1学期」と言っても始業式や終業式があるわけではなく、単に日付で区切られているだけである。

息子の成績は、可もなく不可もなくといったところか。英語に関してはReadingが弱いのに対し、Writingは多少評価が良いようだ。算数に関しては、日本語補習学校で現地の学校よりも進んだことを習っているので、最高グレードである4をとって欲しいところではあるが、残念ながら標準の3であった。

娘の成績は、ずいぶん良かった。特にReadingに関しては「4(標準を上回る)」をもらっており、僕たちを驚かせた。Readingに関しては、日ごろは息子のReadingに力を注いでいるため、どうしても娘のReadingに割く時間が少なくなっているのだが、「自力」で学んだようだ(笑)

日ごろの態度については、息子はいつも良い評価なのだが、娘の成績表は、「人の話を良く聞くことができる」の欄が「2(標準に近づいている)」であった・・・(汗)

真面目に頑張っているのに、そこそこの成績の息子と、人の話を聞かないのに良い成績をとってくる娘。。。

まあ、そういうこともあるよね。



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2003年12月10日(水) サイレント・オークション

先週水曜日のクリスマスパーティにて、オークションが行われた。

オークションと言っても、絵画などを取引するようなオークションではなく、参加者から寄付されたものを、欲しい人が買うというものである。

例えば、市場価格200ドル相当の旅行カバンがあったとして、そのカバンの前には、50ドル・70ドル・90ドル・110ドル・130ドル・150ドル・170ドルといった値段があらかじめ書かれた紙があり、買いたい人は買いたい値段の横に、自分に割り振られた番号を記入する。

制限時間内で、最も高い値段での購入を希望した人に、その商品がその値段で落札される。こういった形態のオークションを、サイレントオークションと言うらしい。

元の商品は寄付で集められたものなので、オークションで集められたお金は、慈善事業などに寄付される。

去年まではオークションで何も買ったことがなかったので、今年は寄付と思って何か買おうと思っていた。しかしながら、なかなか購買意欲をそそる商品がなく、今年も何も買わずにいるのかなァ・・・と思い始めた締切時刻直前に、とあるスキー場近くのホテルのスイートルーム・ペア宿泊券を見つけた。

嫁と顔を見合わせてどうしようか迷っていたところ、「終了時刻で〜す」とアナウンスがあったので、何となく勢いで自分の番号を記入してしまった。

終了時刻に番号を記入するということは、そのまま落札が確定するということであり、パーティーの途中で「落札おめでとうございます」と係りの人が知らせに来てくれた。

落札内容をもう一度確認してみたところ、スイートルーム・ペア宿泊に加え、レストランでの一人50ドル相当のお食事券と、ワインがセットされていた。

あまり確認をせずに入札していたので、ちょっと得した気分であった。


2003年12月09日(火) クリスマスパーティー

先週の水曜日と金曜日に、クリスマスパーティがあった。
昨年まではベビーシッターを、知りあいのKさん、またはKさんに紹介してもらった方にお願いしていたのだが、今年は駐在1号の娘さんが高校生ということもあり、アルバイトがてらベビーシッターをしてもらうことにした。

息子と娘はベビーシッター大好きで(きっと怒られないからだろう(笑))、息子なんかは火曜日の日記に「明日はベビーシッターが来る!」と書いていたほどだ。

水曜日も金曜日も、同じテーブルだったアメリカ人は、取引先の契約担当であるJH夫妻。昨年も何回かご一緒したことがあったため、うちの嫁とも話が弾んでいた。

それにしても、嫁の英語は本当に上手くなった。確かにしゃべる方は「じゃぱにーずいんぐりっしゅ」ではあるが、聞くほうはかなりの部分を理解しているようだ。

これも毎日テレビドラマを見て過ごしている真面目にコミュニティー・カレッジに通った賜物か。

今年のパーティーは、あと1回。
来年はもうここにいないかも知れないので、これが最後かもしれないね>嫁。


2003年12月08日(月) Flu Shot

今年のアメリカは、インフルエンザが大流行する兆しを見せているらしい。
テレビニュースでは、インフルエンザの予防接種のためのワクチン(発音的には、ヴァクチン)が不足し始めていると言っていたので、土曜日に家族で近くの病院に予防接種に行ってきた。

【駐在2号のワンポイント英語】インフルエンザ予防接種=Flu Shot

予防接種は、ごく普通のスーパーなどでも一回20ドル程度で行われることがあるのだが、スーパーで注射を受けることに抵抗があったので、病院に行くことにした。

もともとは、嫁と僕だけが行くはずだったのだが、木曜日・金曜日の強風によりこのエリアに大規模な停電が起こった影響で、土曜日の日本語補習校がお休みになったため、子供も連れて行くことにした。

病院にいき、事前の問診表に記入をして、案内に沿って進むと、病院の「廊下」で看護婦が注射器をもって待っていた。。。
息子は注射器を見ただけで、既に涙目になっており(笑)、嫁に「泣くな!」と怒られていた。

まあ、確かに半べそ状態ではあったが、大泣きをしたり注射を拒んだりしなかったのは、若干の成長のあとが見られるとも言える。

何かとお兄ちゃんに対抗意識を燃やす娘はというと、

「私は泣かなかったもんね〜」

と威張っていたが、やや涙目になっていたのを、僕は見逃してはいない(笑)

注射が終わって、会計はどこですれば良いかを看護婦に聞いたところ、「この病院のメンバーであれば無料」だという。
僕たちは病院の診療カードは持っているもののメンバーではないため、その旨を伝えたところ、「診療カードを持っていれば大丈夫」という。

ちょっと怪しいな、とは思ったが、とりあえずお金は払わずに病院を後にする。もしかしたら、後日請求がくるかもしれない。

今日聞いた話では、駐在1号のお子さん二人が今日(月曜日)予防接種に行ったところ、「既にワクチンが品切れした」とのことらしい。

とりあえず、土曜日のうちに行っておいて良かった。



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2003年12月07日(日) 娘のバースデー・パーティー

12月6日は娘の誕生日。今年で6歳になる。
思えば、3歳半で渡米した娘は、「人生」の半分程度をアメリカで過ごしていることになる。

先日娘に、「一番古い記憶は何か?」と尋ねたところ、僕の母と嫁の母が一緒に七五三のお祝いに来てくれたこと、というのだから、そんな彼女でも、一応日本での記憶が一番古い記憶ではあるようだ。

今日はそんな娘のバースデー・パーティー。現地校で一番仲の良いフィリピン人のアーブリーを呼びたいということだったが、以前に日本の子供たちと遊んでいたときに、日本語が分からなくて泣いてしまったことがあったため、今回は誕生日パーティーに呼ぶのはやめにした。
結局、今回パーティーに呼んだのは、日本語補習校で同じクラスの女の子たち。

息子のときと同じように、プールでのパーティーとした。
最初の一時間はプールで遊び、お昼からは嫁の作ったおにぎり・いなり寿司などと、アイスケーキを食べる。

息子のパーティーの時は、とてもうるさいにぎやかなパーティーだったのだが、今回は日本の女の子だけだったせいか、とても静かなパーティーで、パーティーコーディネーターのお姉さんも、とても驚いていた。

ともあれ、友達からいっぱいプレゼントをもらった娘は、大変満足なようでよかった。


2003年12月06日(土) リアル・クリスマスツリー(アドバンス)

今年でアメリカ3回目のクリスマスとなる。

一昨年のクリスマスツリーは、大き目のクリスマスツリー(イミテーション)、去年は買ってきた生木のクリスマスツリーに飾りつけを行った。
(ホームページ写真集参照)

今年は、昨年のリアル・クリスマスツリーを少々進化させ、木を切るところからスタートした。つまりは、クリスマスツリー狩りというわけだ。

郊外の農場まで車で出かけ、貸してもらったノコギリを手に、家族でどの木が良いか物色。10分ほど迷った後、枝振りの気に入った高さ2メートルほどのツリーを、根元からノコギリで切り取る。

こんなことは、日本では経験できないことなので、一部始終を嫁にビデオに撮ってもらう。木を切るのに時間がかかるかな?と思っていたのだが、1分もせずに切り倒すことができた。
(形だけではあるが、子供たちとの「共同作業」で切り取った)

切り取った木を、受付のところに持って行きシェイクしてもらう。シェイクとは、ツリーを機械でシェイク(揺する)して、すでに抜け落ちた余分な葉を、木からふるい落とすことである。

その後、ネットに包んでもらい、車の屋根に結びつけて家に持ち帰る。




すご〜く、いい気分♪で、笑顔がこぼれる。


2003年12月05日(金) ウィスラー旅行記(後編)

ウィスラーを離れる日曜日の朝。

前日、息子がスキースクールにストックを忘れてきたため、スクールにとりに行くも見当たらず。やむなく、ストックが見つかったときに連絡してくれるよう、住所などを書き残してウィスラーを後にする(一週間たった今日現在、連絡なし)。

昼ごはんは今回もバンクーバーで。バンクーバーには「ヤオハン」があるとインターネットで調べていたので、ヤオハンに行ってフードコートで食事を取る。アジア系のフードコートが立ち並ぶ中、結局は日本のラーメン屋でラーメンを食べる。ここも美味。

昼食後ヤオハン巡り。
中に入っている店は、日系と言うよりは中華系の店が多かったのだが、店内はとてもきれいで、日本のスーパー(イトーヨーカドーとか)のようだった。
結局、その日の夕食の買い物をしてからスーパーを離れ、米加国境を目指す。

国境は1時間ほどの渋滞で、結局家に着いたのは午後6時過ぎだった。


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2003年12月04日(木) ウィスラー旅行記(中編)

ウィスラー2日目の朝。

体中が痛くて起き上がるのに一苦労。
一応、息子と娘に、「どこか体痛くない?」と聞いてみたのだが、「どこも痛くな〜い」と当然の答え。「子供には、乳酸が分泌されないのね・・・」と嫁と妙に納得しあう。

体が痛いとはいえ、せっかくウィスラーまで来たのだから、やはり滑りには行きたい(この辺が貧乏性のなせる業か)。
痛む体を引きずるようにして、子供たちをスキースクールに連れて行き、嫁と二人でウィスラーマウンテン側のゴンドラに乗る。

土曜日の天候は、薄曇りの絶好のスキー日和。
ゴンドラを降りたあたりの雪は、11月ということが信じられないほどのパウダースノー。天気は悪くないものの、上のほうは若干風が強かったので、寒風吹きすさぶ中のリフトは避けようということになり、ゴンドラの中間地点乗り場まで、二人でゆっくりと滑っていく。そこから山頂付近までゴンドラで上り、また中間地点まで降りていくと言う繰り返し。一回だけウィスラービレッジまで降りていき、コーヒーショップで休憩したのだが、上から下まで滑り終えた充実感があった。

初日は、僕のスノボと嫁のスキーのレベルが、それほど変わらないか、嫁のほうが優位にたっていたのだが、僕は徐々にスノボの感覚をつかみ始め、嫁はどんどん疲れていき・・・というわけで、後半は立場が逆転。

午後3時にスキースクールで子供をピックアップし、ホテルに戻る。

初日はジャグジーに入って体を休める余裕があったのだが、2日目はジャグジーに行く元気すらなく(もちろん大人が)、部屋にある風呂で済ませる。

夜はたまたまテレビで放送していた映画「ホーム・アローン」を家族で見て過ごす。子供たち(特に息子)のつぼにはまったらしく、隣の部屋まで聞こえるんじゃないかと思うぐらい、大声で笑っていた。


2003年12月02日(火) ウィスラー旅行記(前編)

11月27日、午前9時半にウィスラーに向けて出発。
米加国境で30分ほど費やし、お昼過ぎにバンクーバーに到着。

バンクーバーでは、あらかじめ地元のウェブサイトなどで情報を仕入れていたラーメン屋である「金太郎」に行く。

ここのラーメンは豚骨ベースのラーメンで、はっきりいってかなり美味い!!日本のラーメン屋に全く引けをとらず、個人的には、ほぼ100点満点をあげても良いくらい、麺もスープもチャーシューも美味しかった。

久々の美味しいラーメンに大満足し、一路ウィスラーへと向かう。暖冬だった昨年とは違い、途中の道にも積雪が見られ、雪山への期待は膨らむ。

午後3時頃にウィスラーに到着。期待どおり、そこは一面の雪景色。去年はゲレンデの土がむき出しだったゴンドラの脇まで雪が積もっており、上から下までスキーで滑ってくることができることを確認(去年は上の方だけが滑走可能で、スキーの後再びゴンドラで戻ってきた)。

その日はホテルのジャグジーで温泉気分を味わい、早めに就寝。

翌朝、子供たちをスキースクールに連れて行く。ウィスラーのスキースクールは、午前9時から午後3時まで子供たちを教えてくれるので(昼食付き)、スキーを楽しみたい親にとっては、デイケアとしても使えるのでお勧めである。

子供たちをスクールに預けた僕と嫁は、ブラッコム・マウンテン方面のゴンドラに乗り込む。僕は去年始めたばかりのスノーボード、嫁はスキーをする。

久々にスノボをした感覚としては、「思ったよりも何とかなる」というものだったが、普段使わない足の筋肉を急に使ったため、すぐに疲労の限界に達する(笑)

天気もあいにくの大雪であり、上のほうはかなりの強風が吹いていたため、ちょっと滑ってはレストハウスに入り・・・といった、完全におじさんボーダー・おばさんスキーヤーと化す。。。

子供たちを迎えに行く午後3時よりもずい分早くにウィスラー・ビレッジに戻り、コーヒーショップで暖かいものを飲みながら、「学生時代にここに来ていたら、もっとバリバリ滑ってたのにね」などという会話を嫁と交わしながら、時間を過ごす。

子供たちをピックアップした後、ホテルに戻って昼寝。その後ジャグジーで疲れを癒し、早々に就寝。