部長motoいっぺい
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2003年05月30日(金) Preschool卒園式

今日は久しぶりに会社を休んだ。
といっても体調が悪いわけではなく、娘のPreschoolの卒園式のためだ。

というと聞こえはいいが、実は「娘がPreschoolを卒園する」という事実に、あまり気がついていなかったのだ。。。
最近、仕事の山を一つ越えたので、「たまに休んで嫁とデートでもしようっかな♪」という怠け休暇のつもりだったのだが、なんと娘の卒園式にぶちあたってしまい、デートどころではなくなったというのが実際のところである。

「偶然に」休みが卒園式に重なったとはいえ、出席するとやはり感慨もひとしお。

なにしろ、2年前にこのPreschoolに通い始めたときは、彼女は全く英語が理解できなかったのに、今はうるさいぐらいにベラベラ友達としゃべっている。(実際のところ、どの程度理解しているのかは不明だが)

卒園式では、一人ひとり暗唱をする部分があったのだが、わが娘も見事まちがえずに大きな声で暗唱することができた。


卒園式に出席して、もう一つ感心した出来事があった。
それは、嫁に対してである。

娘同様、嫁も2年前は英語をあまり理解できなかったのだが、今や顔見知りになったクラスの母親と、流暢ではないもののきちんとコミュニケーションをとっている。
卒園式では、ボランティアでクラスを手伝った母親として、Preschoolから表彰を受けて、花束を贈呈されていた。

卒園式の様子はこちら↓



↑真ん中のデカイのがウチの娘です。。。



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2003年05月29日(木) ビデオカメラ調査依頼/調査結果

以前の日記にも書いたが、ビデオカメラの調子が良くない。
それに加え、バッテリーも充電できなくなってしまった。
これから迎える夏の行楽シーズンを、ビデオカメラなしで迎えるのはもったいないため、思い切ってビデオカメラを購入することにした。
・現時点で、嫁との交渉は決着していないが(笑)

ビデオカメラの購入といっても、こちらで買ってしまうと日本に帰ってから面倒なことになる可能性もあるため、この夏に遊びに来る両親に日本で購入をしてもらい、持ってきてもらうことにした。
・すでに、決定事項になってるし・・・(笑)

インターネットなどで、候補機種を検討した後、オフクロあてに次のようなメールを出した。


母上殿

架電の件、以下のモデルについてご調査願います。

【本命】
SONY : DCR-PC105K
特徴 : 何しろ小さい

【対抗1】
Panasonic : NV-GS70K
特徴 : 3 CCDで画像がきれいらしい

【対抗2】
Panasonic : VDR-M30K
特徴 : DVD Camera

【その他】
お勧めがあれば。

以上、よろしくお願いいたします。




すると、その翌日、オフクロからの返信。


お父さんは早速調査に意気揚々と出かけましたとさ。
以下報告
三機種とも見た。

1,ソニ、確かに小さいが、縦型のため、どうも持ち具合が
  しっくりしない。
2、パナ、DVD、静止画を利用することを考えると、これも
  今イチかなの感じ。
3,パナ、NV、ソニーにTRVー70Kという性能の似た機種がある。

  価格
  ソニー  両方とも  118,000円
  パナVDR       118,000円
  パナNV        132,000円

好みの問題もあるが、小生としてはソニーTRVが合うような
気がする。
以上 お父様からの報告でした。

追伸
カタログを今日、送りますので検討してから連絡下さい。



めっちゃ対応ハヤッ!(笑)



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2003年05月28日(水) カブース

昨日のこと。


息子:「今日学校で、カブースだったんだよ」

僕:「なにそれ、カブースって?」
↑最近息子に英単語を聞くことに抵抗を覚えない父

息子:「Door Holderのことだよ」

僕:「はぁ?」
↑ドアストッパーのことかといぶかる父

息子:「Door Holderのあとは、エンダダラインに並ぶんだよ」

僕:「なにそれ、エンダダラインって?」

嫁:「End of the lineのことよ」

僕:「あぁ、End of the lineね(笑)」


というところまでは会話が成立したものの、結局カブースが何のことを指すのか、会話からは理解できなかった。

そこで、電子辞書にKaboose, Kabooce,・・・と適当に打ち込んでいったら、
Cabooseで日本語訳が表示された。

その意味とは、「貨物列車最後尾の乗務員室」のこと。
つまり、学校でCabooseに指名された生徒は、教室から皆が外に出るまでドアを持ち続け、皆が出終わったあとドアを閉めて、列最後尾(エンダダライン=End of the Line)に並ぶのだそうだ。

ひとつ勉強になりました>息子どの



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2003年05月27日(火) メモリアルデー・一泊旅行(後編)

(続き)

日曜日の夜は、日ごろの疲れからか、はたまた温泉に入った疲れからか、とても眠かったので、午後10時くらいには寝てしまった。
そのおかげで、朝は6時半ごろに爽快に目を覚ます。

月曜日は朝から薄日の差す良い天気。

とりあえず、朝食をとりに1軒しかないレストランに行く。レストランはメインの建物の中にあり、宿泊受付や売店と併設されている。ふと受付の近くに目をやると、そこには焚き火用の木切れが売られていた。

「こんなの売ってるんだったら、10時なんかに寝ずに、焚き火ぐらいすれば良かった・・・」
と、軽くショックを受けるが、後の祭り。

朝食の後は、子供たち待望のボート遊び。
一時間ほどボートで遊んだ後、この日の目的地である温帯雨林(Rain Forest)へと向かう。

ここはガイドブックにもよく出てくる有名な場所で、木々にコケがむして独特の雰囲気をかもし出しているところだ。
車を降りて、一周1マイルほどの散歩道を家族で歩く。
子供たちには、つまらない場所かな?と思っていたが、意外にも楽しそうに歩いていたので、ちょっと驚いた。

Rain Forestの写真はこちら↓
(垂れ下がっているのはコケ)


また、ここには有名な巨木もあり、お約束どおりその木の前で記念写真

↑木が大きいのか、子供たちが小さいのか・・・。

Rain Forestからは、4時間半の道のりを経て午後7時前に帰宅。
次の小旅行は7月初旬に、両親が来る時だ。
いろいろ仕込んでおかなければ。


2003年05月26日(月) メモリアルデー・一泊旅行(前編)

月曜日はメモリアルデーのため、会社も学校もお休み。

というわけで、2週間ほど前に1泊旅行を計画した。
今回の小旅行は、今までに行ったことのない国立公園を一周しようと思い立ったのだが、メモリアルデーによる3連休の稼ぎ時のためか、2泊以上しないと予約ができないホテルが多く、1泊しかできない僕たちが予約をするのは難しかった。

そんな中、奇跡的に1件、わりと有名なリゾートのログキャビンを一室予約することができ、日曜日の朝に家を出発した。

初日の目的地は、国立公園内にある温泉。
駐在3号が去年行ったときには、まさに「イモ洗い状態」だったらしいのだが、僕たちが行ったときは混雑はしていたものの、まだスペースに幾分かの余裕はあった。
こちらの温泉は、温水プールに毛が生えたようなところが多いのだが、ここの温泉は水着は着なければならないものの、温泉自体は硫黄の香りがする本格的な温泉で、温度も今まで行った「温泉」よりは温かかった。
まあ、日本から観光に来てわざわざ行く程度でもないが、こちらに住んでいる日本人からすると合格点をあげても良いかもしれない。

子供たちは温泉もそこそこに、併設されたプールで一泳ぎ。。。
僕も試してみたが、冷たくて心臓麻痺を起こしそうだったので、早々に温泉に逆戻り。

温泉で1時間半ほど過ごした後、宿泊先へと向かう。

割と知っている人も多いリゾートで、しかもこちらのホテルとしては高めの1泊150ドル以上も払っていたので、結構いいキャビンなのかな?と期待していたのだが、
泊まった部屋はこちら↓



まあ、良くとれば「素朴なリゾートのキャビン」

なのだが、悪く言えば「掘っ立て小屋??」

とも言えない事もない。


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2003年05月24日(土) 歓送迎バーベキュー・パーティー

本日無事、BBQパーティを開くことができた。

朝方は日も差していたが、お昼ごろになって雲がかかってきた。
夕方になるにつれ、雨が降りやすいという予報になっていたため、BBQ開始予定の午後2時を、1時間繰り上げてスタート。

ちなみにこの午後2時という開始時刻は、日本語補習校を午後3時15分に終える息子が、後半のBBQに参加できるようにと設定したものであり、他の方々にとっては、そもそも1時の方がよかったのかもしれない。

メモリアルデー・ホリデーの初日なので、BBQを行えるピクニックエリアは混雑しているかな?と思ったが、天気のせいか人影もまばら。おかげで、スペースを広く使うことができた。

天気のほうは、最初のうちは雨は降らなかったものの、やや風が強く若干肌寒さを感じた。しかし、それぞれの家で下味をつけてきたお肉はどれも美味で、体の中が温まってくる感じであった。

午後3時前に公園を離れ、補習校まで息子を迎えにいく。
途中、結構大粒の雨が降ってきたので、「どうかな?」と思ったが、公園の方角を見ると空はそこそこ明るかったので、わずかな希望を抱きながら公園に戻った。

公園に戻るとパラパラとした雨が降っていて、撤収の様相を呈していたが、もう1家族の参加とともに雨が止んだので、そのままBBQを続行。

その後は風も弱まり、全く雨も降らなかったので、結局午後6時くらいまでBBQを楽しめた。

子供が騒いでも怒らなくて良いし、誰の家もかたずけなくて良いし(笑)、公園でのBBQパーティは、家族連れの歓送迎会として、なかなか使えるアイディアだと思う。



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2003年05月23日(金) 天気予報

明日はBBQの日。
どうやら「一時雨」の可能性もあるようで、天気予報が気になる。
いろいろなチャンネルの天気予報を見たり、ウェブサイトをみたりしたが、

見事なほどに、てんでバラバラの予報・・・

まあ、地域柄予報が難しいのは分かるんだけどね。



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2003年05月22日(木) SARSの影響

いくぶん下火になったようだが、SARSの影響について。

【僕への影響】

数週間前、日本から問い合わせ。

「そっちのSARSの状況って、どうなってるの?」

質問の背景は、ミーティングを開く場所の選定をしなければならないため。
どうやら当初はトロントで会議を行う予定だったのだが、渡航延期勧告の影響で、トロントで行うことが難しくなったらしい。

「どうもこうも、もし流行ってたら逃げ出してますヨ(笑)」
と言いながらも、とりあえず領事館に状況を確認して日本に報告する。


【嫁への影響】

今日、コミュニティー・カレッジでのこと。
少々のどがいがらっぽく、軽く咳をしたところ、

ちょっと前にいたアフリカ系アメリカ人女子学生が飛んで逃げたらしい(笑)



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2003年05月21日(水) アメリカン・アイドル

アメリカン・アイドルというテレビ番組がある。
この番組の名前は以前から知っていたが、あまり興味がなく先週まで気にすることもなかった。

ところが、である。

先週の水曜日、コミュニティーカレッジが終わったあと、夜9時頃に出張者とホテルのロビーで待ち合わせをしていた時のこと。

ロビーのテレビは、そのアメリカン・アイドルを映し出していた。
その番組は、いわゆるコンテスト番組で、全米から集められたアイドル候補生が、歌や踊りを審査され、一人のアメリカン・アイドルを選ぶというものである。

長く続いたコンテストも、どうやら佳境に入り、先週の段階で3名から2名に絞り込まれていた。そこで見た決勝に残ったアイドルとは、一人はいわゆるアイドル系男性クレイ(イメージ的には、マイケル・J・フォックス?)であり、もう一人は、ごっついアフリカ系アメリカ人のルーベン(イメージ的には、小錦?(笑))であった。

僕は、一目ルーベンを見たときから、もう彼の虜(笑)

アイドルと呼ぶには、あまりにごつい体型なのだが、抜群の歌唱力・リズム感と、チャーミングな笑顔。
もちろん、もう一方のクレイも、決勝まで残っただけあってとても魅力的なのだが、ルーベンのスケールにはかなわない。

クレイにとっては気の毒だが、ある種「異種格闘技選手権」のような戦いであった。

そして今日、その結晶の結果が発表され、第2期アメリカン・アイドルの栄光の座は、僕の予想通りルーベンに輝いた。

アメリカン・アイドルの公式ホームページはこちら(音が出ます)


2003年05月20日(火) Champion of Unnecessory Information

ウチの嫁は記憶力が良い。
いつ・どこで・誰が・どんな服を着ていて・どんなことを言ったか・・・など、かなり鮮明に思い出すことができる。

反対に、僕はかなり記憶力が悪い。
二日前の出来事を忘れてしまうことなど日常茶飯事で、いまさら慌てるほどのことでもない。


今日、プロジェクトの打ち上げパーティがあり、記憶の話題になった。
僕は、自分の嫁がとても記憶力が良いことを話したところ、以前にウチの嫁と同席したことのある取引先のエンジニアが、

「そういえば、あなたの奥さんは、僕の家内の名前を覚えていたよね」

と、相槌を打ってくれた。
ところが、「記憶力が良い」ということは、反対に「要らない記憶も良く覚えている」という現象にも現れる。

そのため、ウチでは家内のことを
要らん記憶チャンピオン!
としてからかっている(嫁もある種、自認している)のだが、そのことを英語で

I call her as a "champion of Unnecessory Memory"

と表現したところ、めちゃめちゃ受けた。

別のエンジニアいわく、英語表現上は
"Unnessesory Information"とした方が、よりニュアンスが伝わるとのことだったので、今度からはそう言うことにしよう。


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2003年05月19日(月) 犬も食わない・・・

珍しく嫁と口論をした。
原因は些細な行き違い。

息子が「まぁまぁ、けんかはよくないよ」と仲裁に入ったが(笑)、あまり見かけない光景なので少々ビビッていた。

あまりけんかをしない夫婦というのは

・仲が良い
・どちらかがどちらかの掌で転がされている

の、どちらかのケースではないかと思うのだが、さて我が家はどちらなのだろう・・・。


2003年05月18日(日) BBQ会場下見

今月末、研修生(2年)が日本に帰任する。

そこで、先日赴任した駐在1号一家の歓迎会と兼ねて、研修生一家の送別会を開くことにした。
いつもの歓送迎会であれば、駐在1号宅で行うのだが、今回は駐在1号も赴任したばかりということもあり、別の場所で行わねばならない。
とはいうものの、レストランなどで行うと小さな子供たちに静かにするよう強要しなければならないし、我が家で開くのも、スペース的に少々無理がある。

そこで、ひねり出したアイディアが、

「公園でのバーベキュー」

これならば、子供たちに「静かにしろ!」とかいちいち注意する必要もないし、スペースのことを気にする必要もない。

ところが、唯一の問題が「アルコールを飲める公園」が少ないこと。
確かにアメリカに来てから、キャンプ場などを除いて外でアルコールを飲んでいる光景を目撃したことがない。
インターネットなどでいろいろ調べてみたり、駐在室秘書のスーに聞いてみたりしたのだが、公園でアルコールを飲むことは難しいようだった。

僕はほとんど諦めて、アルコール抜きでのBBQパーティーを強行しようとしていたのだが、ビール好きの駐在3号夫妻が執念を見せた。
「市立公園」のほとんどがアルコール禁止なのに対し、意外なことに「州立公園」は、ピクニックエリアでのアルコールを認めているのを、インターネットで発見したのだ。

そこで今日は、一番近くにある州立公園に下見に行ってきた。
確かにBBQをしながら、ビールを飲んでいるパーティーもちらほら見られ、湖も見渡せる公園であった。ここならば何の心配もなく、ビールを飲みながらBBQを楽しむことができる。

BBQパーティーは今度の土曜日。
あとは天気が良くなることを祈るのみ。



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2003年05月16日(金) A4 vs Letter

日本で業務用に用いられる紙の中で、最も一般的なサイズはA4(210×297ミリ)だと思う。
ところがアメリカではレターサイズ(216×279ミリ)が最も一般的な紙である。
(メモ)レターサイズの定義は8.5×11インチ

大抵の場合、A4の代わりにレターサイズを用いることができるのだが、日本から持ってきた家庭用ファックスの用紙トレイには、レターサイズが入らない。
先日A4の用紙が切れたため事務用品店を数件回ったのだが、どこにもA4サイズの紙は売られていなかった。

そこで店員に
「A4サイズの紙って売ってないの?」
と尋ねたところ、その店員は「僕は知らないけど、マネージャーなら分かるかも知れない」と言って、マネージャーを呼んだ。

マネージャーはさすがにA4の紙のことを知っていて、
「あぁ、ヨーロッパで使われているサイズの紙ね」

と言ったので、僕は
「いや、インターナショナルで使われてるよ」
と言い返してやった。

結局A4の紙は買えなかったが・・・。


2003年05月15日(木) 『け』(またまたパクリ)

◇◆◇◆


今日は『け』である。


数年前から双方ともがこの日を忘れがちになっているのだが、今年は冷蔵庫のカレンダーに

『け』と書くことさえしない。

そう、結婚記念日である。


しかも、9回目だ。   なにが、しかも、なのかわからないが。



◇◆◇◆


一見、こちらの方と同じ結婚記念日のようですが、時差の関係で一日ずれているようです。
(ウチは5月15日)

来年は驚くべきことに「すい〜と10」

ダイヤはCOSTCOで買うってことでどうよ?(笑)>嫁





2003年05月14日(水) コミカレ(第7回目)/2万ヒット御礼

【はじめに】

おかげさまで、2万ヒットを達成することができました。
だいぶ、「アメリカびっくりネタ」が少なくなってきましたが(笑)、これからもぼちぼち日記を更新したいと思いますので、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。




ネタの宝庫と思っていたコミカレも、あまり日記のネタにしないまま今日で7回目。四半期で10回の授業なので、もう一息といったところだ。

クラスに参加することで、みるみる英会話の能力が向上した!と言えないところが残念ではあるが、こうでもしないとNEWS WEEKの原文を読もうなんて気は起きない。ニュース雑誌を読む必然性が生じるということだけでも、クラスに参加する価値があると勝手に信じている。

クラスは合計8名で、日本人学生2名、韓国人学生2名、ドイツ人学生1名、ベネズエラ人学生1名と、ロシア人のおばさんという人種構成である。

この中で抜群に英語が上手なのは、ドイツ人のマルタ。
僕にとってはほとんどネイティブではないか?と思えるほど、流暢な英語を話す。
日本人学生のT君は「単語はよく知っているが、もうちょっと頑張りましょう」、Yさんは「発音は流暢だけど、場数をこなしていない」という感じか。
↑もちろん、自分のことは完全に棚に上げているが(笑)

T君は積極的な学生で、どんどん会話に参加してくる。時には、他の生徒がうまくしゃべれないときに「通訳」をしてくれるのだが、その親切心?が他の生徒の発言機会を奪ったりすることもあるので、もうちょっと周りを見る余裕ができれば、もっと良い学生になれると思う。

いずれにせよ、学生のうちに海外で学ぶ機会を得ている彼らは、僕にとってはとてもうらやましい。



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2003年05月13日(火) The Most Extreme Elimination Challenge

ケーブルテレビのとあるチャンネルで、The Most Extreme Elimination Challengeという番組を放送していることに最近気がついた。
実はこの番組、日本で昔に放送した番組を英訳して放送しているのだが、日本での番組名を推測できる方はいらっしゃるだろうか?

直訳すると
最も極端な排除の難関
となるが、

実はこれ、















風雲たけし城!
↑久しぶりに、行間を空けてみました(笑)

20代前半より若い方は、何のこと??と思われるかもしれないが、これこそが当時一世を風靡し、今の「筋肉番付」への源流となる、天才ビートたけしの番組である。

番組を見ていて笑えるのは、なにしろみんな若い!ということ。

土曜日の夜9時から放送しているのだが、子供たちもファンになってしまったので、9時半まで起きていることを許している。


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2003年05月11日(日) お母さんにありがとうと言う理由

昨日の土曜日、日本語補習校でのこと。
嫁が娘を迎えに行ったとき、担任の先生が笑いを隠そうともせずに、その日の出来事を嫁に話してくれたそうだ。

その出来事とは・・・。


母の日を翌日に控え、娘のクラスでは担任の先生が次のような質問を子供たちにしていた。

「明日は母の日ですね、みんなお母さんにありがとうって言いましょうね〜」

「でもどうしてお母さんに『ありがとう』って言うのかな?」


するとウチの娘。

「は〜い!」

「じゃあ、○○ちゃん」

「あのねぇ、ママが怖いから」

「???」

「じゃなかった、まちがえた。はい、は〜い!」

「じゃあ、もう一回○○ちゃん」

「あのねぇ、ありがとうっていわないと・・・」







『ありがとう』は?って、ママに怒られるから!


返す言葉もございません・・・。



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2003年05月10日(土) ランドセル物語(後編)

前回の日記に書いたような出来事があった数日後、実家のオフクロから僕の携帯電話に電話がかかってきた。
僕は駐在室で、東京と電話連絡をとっている最中だったので、一旦オフクロからの電話は切り、仕事が終わった後に実家に電話をかけなおした。

電話の内容は、7月にオヤジと一緒に来る航空券の手配ができたという連絡だったのだが、それに加えてランドセルの話にもなった。

「日本の学校には、ランドセルで通っている子もいるのかい?」

賢明なる読者の方にはすぐわかるであろうが(笑)、この質問の背後には「孫にランドセルを買ってあげたい!」という母心ならぬババ心がある。

「そりゃあ、日本の学校から転校してきた子なんかは持っている子もいるけれど・・・でも、買わなくていいよ」

「でも、なんかずいぶん欲しそうにしてたじゃないの。かわいそうになっちゃって・・・」

まあ確かに、「絶対に買ってもらっては困る!」という積極的な理由がないのも確かだが、でも「おねだりをしたら、すぐに何かを買ってもらえる」と息子に勘違いされても困る。

とりあえずは、買ってこなくていいからね、ということを告げて電話を切った。

家に帰って、嫁にその話を途中までしたところ、

「まさか、買ってもらうことにしたわけじゃないわよね!(怒)」
と。。。

「買ってきてもいいよ」って言わなくて、本当によかった・・・。


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2003年05月08日(木) ランドセル物語(前編)

子供というものは、モノに執着する時期が繰り返し巡って来ると思う。
それは特定のモノに対してであったり、キャラクターに対してであったりするのだろうが、先日ウチの息子は「ランドセル」に、えらくご執心であった。

「○○くんは、どうしてランドセルを持っているの?」
とか、

「日本に帰ったら、おじいちゃんがランドセルを買ってくれるんだよね」
とか。

もちろん、この手の「質問」をするときは、「今」買って欲しいと思っている時なのだが、もちろんアメリカでランドセルを息子に買い与えるつもりは全くない。(っていうか、どこで売ってるのか知らない)


息子のランドセル熱が一番盛り上がっていた頃、実家のオフクロと電話をする用事があり、用事が済んだ後息子に電話をかわった。すると息子は、

「夏休みにアメリカに来るときに、ランドセル買って来て〜♪」
と、親の了承も得ないまま、おばあちゃんにおねだりをしていた。

僕は半分あきれながら、
「ダメだよ〜」
と軽く注意したのだが、嫁は大きな声で
「ダメーッ!」
と息子をきつく叱った。

オフクロも、僕たちが「ランドセルをおねだりしてはいけない」と息子に言っているのがわかったので、「日本に帰ってきたら買ってあげるね」と息子に約束していた。

息子はランドセルを(すぐには)買ってもらえないことと、お母さんにきつく叱られたことがショックで、その後電話に出たお爺ちゃんと、ろくに話もしなかったので、再度嫁が大噴火した。

「おじいちゃんと、おばあちゃんは、遠くに住んでいるあなたの元気な声を聞きたいのに、欲しいものを買ってもらえないからといって、きちんとお話ししなかったりするのは、とてもいけないことなのよ!」
と。

その後すぐ、息子はおばあちゃんに「ごめんなさい」と、泣きながら電話をした。


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(次回に続く)


2003年05月07日(水) 二日間の国際会議

昨日、今日の二日間、比較的大きな国際会議に出席。
初めて参加する会議だったが、なかなか興味深い内容であった。

わが社からの参加者は、駐在1号と関連会社のIさんと僕。

この手の会議に出席するときは、会議への貢献として少なくとも1回は発言をしようと心がけており、今回は2回ほど発言をすることができた。
(発言直前は、心臓バクバクなんですけどね(笑))

横に新ボスがいたので、発言する前に「許可」を求めようかと思ったが、わが社の主張としても至極まっとうなものであったため、許可を求めず発言をした。

会議の後、直接僕の発言について駐在1号が言及したわけではないが、僕の発言内容を肯定するような感想を聞けたため、少々ほっとした。
そして、なにより嬉しかったのは、僕の主張を聞いた同業他社(オランダの会社)が、休憩時間に握手を求めてきたことだった。
なんだか、仲間として受け入れてくれたような感じで、とても嬉しかった。



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2003年05月06日(火) 行ってきました!

今日の日記は、わかる人だけわかる日記です。
わからない人はごめんなさい。

今日の夜、7時5分から始まる「イベント」を見に行ってきました。
遠く自由の女神のある東海岸から、有名な日本人も来ていたので、いつもとはちょっと違う、特別なイベントでした。

子供も一緒だったので、最後まではいられなかったけれど、途中まででも充分盛り上がれました。

まだテレビでは、イベントの続きを放送していますが、まもなく地元の勝利となるでしょう。


めっちゃ感激!!



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2003年05月05日(月) 体脂肪計購入

日曜日にCOSTCOで体脂肪計を購入した。

ここのところの「ダイエットブーム」により、嫁が体脂肪計が欲しいと言い出したのがきっかけである。

今まで持っていたのは、たしか結婚を機にダイクマで購入した体重計(確か当時980円)であり、自分に都合のよいように目盛りが読めるタイプの(笑)、とてもクラシックなものである。

体脂肪計を購入といっても、アメリカでの重さの表示は基本的にポンド表示なので、これまた自分の都合のよいように解釈してしまう危険性がある。

というわけで、購入したのは「タニタ」の体脂肪計。
体脂肪計の裏面に、「ポンド」「キログラム」の切り替えスイッチがついており、COSTCO価格39.99ドルだった。

嫁いわく、
「新しい体重計を買うと、ますますやせなきゃいけない!っていう気になるわね」
と、やる気満々であった。

ところで、ここのところ日記に登場していなかった、「めちゃめちゃいい人キャサリンさん」であるが、今日我が家を訪れていったらしい。
目ざといキャサリンさんは体脂肪計を見つけ、英語で書かれた取扱い説明書を読んで、自分の体重と体脂肪を計測したのだそうだ。

ただし嫁には自分の体重を決して見せなかったそうだが(笑)



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2003年05月04日(日) 子供の読書といえば伝記でしょう

今日は家族で日本の本屋に行った。
普段はあまり本に興味を示さない息子が、「2年生が読むような本が欲しい」と言い出したので、単純な親ばかバカ親二人が、「息子の気が変わらないうちに・・・」と、即本屋行きを決定したのだ。

ところが実際本屋に行ってみると、息子が欲しそうにしている本は、仮面ライダーアギトなる、幼稚園児向けの本・・・。
さすがに小学校2年生に、幼稚園児向けの本を買い与えるわけにも行かず、僕はそれ以外の本を探してみた。

すると、一冊の大きな本が目にとまった。そのタイトルは

「決定版・心を育てるはじめての伝記101」

1人あたり2から4ページの伝記が101人分収録されている本である。
息子は日本語補習校の宿題として、毎日本の音読をすることになっており、その宿題用の本としても適しているように思えた。

実は僕も子供の頃、あまり物語は好きではなかった。その代わり読んだのは伝記と冒険・推理小説。

「この本買うの、どう思う?」

と嫁に尋ねたところ、

「いい本だと思うけど、この手の本を子供が読むか読まないかは、親の覚悟しだいだと思うわ」

「本を与えて、『ハイ、読みなさい』っていうわけには行かないと思うわよ」


と。

ウチの嫁は、たまにハッとするようなことを言うが、今日のはなかなかの名言だったと思う。
しかし、なかなか「これを読ませたい!」という本に巡り合うことも少ないため、結局この本を買うことにした。

ちなみにお値段は日本での正価2800円のところ、アメリカ価格39.20ドル。
かなり高いが、少しでも本に興味を持ってくれれば・・・と思い、思い切って買ってみた。



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↑家に帰って息子が真っ先に読んだのは、もちろんコレでした。。。


2003年05月03日(土) 日本語補習校授業参観

今日は日本語補習校の授業参観であった。

今年からは娘も幼稚園に通い始めたため、両方の授業を見なければならない。夫婦で分担して授業参観をしてもよかったのだが、嫁と一緒に同じ場面を見て、感想をすり合わせたほうがよいと思ったため、1時間目は息子の授業、2時間目は娘の授業に夫婦そろって参観した。

ところで、ウチの嫁は授業参観がとても苦手だ。
というのも、自分の子供(特に息子)を見ていると、ハラハラして、いてもたってもいられなくなるのだそうだ。男親の僕からすると、息子も他の子もそう大差ないのだが(落ち着きのなさが(笑))、やはり自分の子に視線を集中してしまうのが、女親の親心というものなのだろう。

息子の授業を一緒に参観し、ふと横に座っている嫁に目をやると、

視線が息子に釘付け!

まるで、酸欠になりそうな真剣な形相で息子を見つめていた。

それでも、去年の授業参観の時よりは、先生や教科書に集中していたので、嫁も少々は安心したようだったが、授業参観後はグッタリと疲れ果てていた。


2003年05月02日(金) 悪いことはできないものだ。

今日は金曜日。
ということは、日本はすでに土曜日になっているため、夕方に電話がかかってくることはあまりない。そのため、比較的心に余裕を持って仕事をすることができる。

しかし、ひとたび電話がかかって来るときは、逆に切羽詰ったときが多いので、こちらもバタバタと走り回ることになる。

今日は、朝に一件急ぎの依頼があったのだが、駐在3号がうまく処理をしてくれたので、午後は再来週のプロジェクトの締めに向けた準備などを淡々とこなしていた。

このように時間に余裕がある金曜日は、前駐在1号がいた頃には、「ちょっと早めに帰ろうか」とお声がかかることもあったのだが、今日は新駐在1号は引越し準備で駐在室には来ていないため、早帰りを許可してくれるボスがいない。

そこで、定時の30分くらい前の4時半ごろ、僕が駐在3号に、

「急ぎの仕事がないなら、30分くらい早帰りしようか?」

と言い出して、彼も

「そうっすね」

と同意はしてくれたのだが、お互いなんとなくそのまま仕事を続けていた。

すると4時45分ごろ、電話が鳴った。
電話は駐在1号からで、用件は引越しが週末ではなく来週の月曜日になりそうだ、という内容だった。

急ぎの仕事の電話ではなかったのが幸いだったが、なにより幸いだったのは「早帰り」していなかったこと。。。

駐在3号いわく、

「危なかったっすねぇ〜(笑)」

ほんと、悪いことはできないものだ。


2003年05月01日(木) 戦闘終結宣言に思う

今日、アメリカのブッシュ大統領が、イラク戦争に関して「主要な戦闘が終結した」との宣言を行ったそうだ。

僕が戦争突入当初に受けた印象では、もっと長引く(少なくとも数ヶ月)と思ったのだが、一月程度で戦闘終結に至ったのは、何はともあれ喜ばしい。


戦争が始まる前の日記にも書いたが、僕自身はこのイラク戦争に対して、「大義」がないと感じていた。
もちろん今でもその基本線は変わっていないのだが、やはりアメリカのメディアを通じた映像を見ていると、ちょっと複雑な気持ちになるのも確かだ。

確かにこの戦争により、「結果として」イラクの国民を、フセインという独裁者による恐怖政治から救った功績は、賞賛すべき面もあると思う。そして、それを喜ぶイラクの国民も、決して少数とは言えない。

しかし、だ。

結果論で全てを論じて良いのだろうか。
民主主義を世界に布教する教祖国として、「プロセス」も結果と同じように重要視すべきではなかったのか?

それとも国際政治の世界では、結果だけが全てなのだろうか。



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