部長motoいっぺい
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2003年01月31日(金) バスルームからの水漏れ(修理編)

わが家のオーナーは、本当に素晴らしい。
昨日水漏れの連絡をしたところ、今日すぐに修理屋をよこしてきた。
まあ、家のためにも、早い修理が望ましいこともあるのだろうが。

嫁によると、午後2時頃修理屋がやってきて、水漏れ箇所の特定を始めたらしい。
ところが、いくら水を流しても、水漏れの兆候が現れなかったとのこと。

修理屋はいくつかのポイントを点検し、バスタブのオーバーフロー・ポートの金具が緩んでいることを見つけ、そこを締めなおして帰っていったらしい。

彼いわく、

「また溢れたら連絡してね♪」

とのこと。。。
まあ、水漏れ箇所が特定できないのだから、これ以上どうしようもないのだろうが。

仕方が無いので、本日は再度メイン・バスルームにて入浴。
水漏れが始まったら、すぐに原因が特定できるよう慎重に風呂に入るが、「残念ながら」水漏れは起こらない。

嫁に確認したところ、確かに昨日は湯量が多く、オーバーフロー・ポートに水が入ったかもしれないとのことなので、修理屋が締め直したところから水漏れが発生した可能性は否定できないようだ。


さて、今後は本当にOKかどうか、これから見極めねば。


2003年01月30日(木) バスルームからの水漏れ

昨日の夜帰宅すると、嫁が、

「お風呂の水が漏れてきちゃった!」

と騒いでいた。
よく見ると、食卓のうえに漏れた水を受ける缶が置いてあった。
なぜ食卓の上かというと、わが家のお風呂は2階にあるからである。
つまり、食卓の真上がお風呂になっており、そこから漏れた水が天井から落下してきたのである。
(バスタブにひび割れは認められないので、排水管からの水漏れだと思われる)

日本の感覚だと、一戸建ての建物の水周りはだいたい1階にあるものだが、1階のスペースを広く取るためだと思うが、アメリカでは2階にバスルームがあるお家の方が多いような気がする。

オーナーの娘にEメールで連絡を取ったが、すぐに直せるわけでもなく、仕方が無いので本日は別のバスルームで入浴。(バスルームが二つ以上ある家は珍しくない)
普段は物置として使っている小さめのバスルームを掃除し、会社帰りに買ってきたシャワーカーテンを取り付け、子供たちと一緒に入浴。
もちろん、僕は広い方のお風呂が良いのだが、子供たちはいつもと違うお風呂に興味津々の様子。

さて、いつ直ることやら。



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2003年01月29日(水) NBA初観戦

本日は、取引先のご招待により、NBA(プロ・バスケット)を観戦。
在米歴1年半にして、初めてのNBA観戦である。

ご招待頂いた理由というのは、今、我が社は取引先と重要な商談中であり、そのご接待の一環でということ。
まあ、バスケットを見せてもらっても、そこの会社の製品を買うか、それとも他社の製品を買うかという判断に影響はないと思うのだが、先方も何もしないわけにも行かないのだろう。
普段であれば回ってこないであろう、スイートルームでのリッチな観戦であった。

どのスポーツでもそうであろうが、ひいきのチームがあるときの観戦は面白い。
(アメフトにいまいち乗り切れないのは、地元チームのゲームを見る機会が少ないからだと思う)

今日の地元チームは、前半に大差のリードをつけたものの、後半追い上げをくらい、終了20秒前になんと同点に追いつかれるというドキドキの展開。
結局、終了4秒前に3ポイントシュートが決まり、なんとか相手を振り切っての勝利。
3ポイントシュートが決まった時は、会場が割れんばかりの歓声であった。

今度はスイートじゃなくて良いので、コートレベルで観戦したいな・・・>取引先の方へ(笑)



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2003年01月28日(火) 今日はお仕事

昨夜から再び飲み始めた解熱剤の効果もあり、今朝は36度ちょうど。
平熱に比べるとまだ若干「高め」ではあるが、もちろん仕事に向う。

今日は駐在室での業務ではなく、別の場所での終日会議。日本からの出張者と会議場所で合流する。
先日TOEICというミソギを済ませたせいか、それとも単にそういう時期が過ぎたからなのかわからないが、最近は英語に対するスランプ感が和らいできて、ごく自然体でミーティングに参加できるようになってきた。

体の方も、若干熱っぽさは残るものの、まあとりたてて帰りたいと思うほど辛くもなく、無事一日を過ごす。
帰り際には取引先から夕食(それも高級レストラン)のご招待を受けるが、さすがに風邪ひき中ということもあり、丁重にご辞退して帰宅する。

家に帰って夕食をとり、昨夜の読み残しである宮部みゆきの「理由」を読み終える。

あ、別に「理由」の先が読みたかったから、帰ってきたわけじゃないですから・・・(汗)




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2003年01月27日(月) 闘病?の日曜日

今日は文字通り一日中ベッドに横になっていた。

風邪の自覚症状は水曜日の悪寒からなのだが、日曜日の今日まで一向に熱が下がらない。
熱といっても最高37度5分程度なのだが、問題は36度5分以下に下がらないことだ。
もちろん、解熱剤を使えば一時的には熱が下がるのだが、薬が切れるとまた37度前後に逆戻りをしてしまう。
体が疲れているのかとも思うのだが、水曜日の午後から日曜日の今日まで、家にいる時間の8割以上は、ベッドの中で休んでいる。
これ以上、どうせいっちゅうねん・・という感じだ。

当然スノボのレッスンも本日はお休み。
息子は補習校のお友達のお家の車にのせてもらい、スキーレッスンに行くことができた。

ベッドで横になっていても、そうそう寝続けることもできないので、先日本屋で買ってきた宮部みゆきの「理由」(文庫版)を読み始める。
(11ドル90セント也)

面白くて早く先が読みたいのだが、やはり疲れているためか、ある程度まで読んでは休み、また起きて読み始めるという感じで、今は全体の3分の1を読み終えたところだ。

早く読みたいのは山々なのだが、明日からの仕事のことを考えると体も休めねば。



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2003年01月26日(日) TOEIC受験

昨日は業務時間中に日記を書き(ヲイ)、家に帰ってから書き足そうと思っていたが、体調悪化により再びダウン。

翌土曜日(すなわち本日)はTOEIC受験を控えていたため、家に帰ってからひたすら暖かくして横になる。
今朝までには、なんとか外に出られるくらいまでには体調が回復し、本日は午前10時からTOEICテスト。

受験の理由は、会社での昇進プロセスの一つが、TOEIC「受験」のため。
あえて「受験」と強調したのは、何点以上取らなければ昇進させない、とかそういうのではなく、単に受験することが昇進の資格になっているためだ。
(目標レベルは600点らしい)

なんか変な感じもするが、「英語は出来ないが、昇進させるに値する人」を救うためなんだろうと思う。
まあ、我が社の上層部を見ても、あまり英語がバリバリできる人を見たことがないので、自分に出来ないことを部下に強要できないだけかもしれないが。

僕も日本にいたときは、会社の斡旋で、1回1000円か2000円でTOEICが受験できたこともあり、何回かTOEICを受験したのだが、最後に受験したのが99年12月。昇進の条件には、「2年以内のTOEIC受験」となっているため、本日「補助金なし=65ドル」で受験することになった。

99年以降受験しなかった理由というのは、当時の自分のレベルとしては、「もうこれ以上とれまへん」という良い点数をとったため。とりあえず今日まで、その点数が人事評価上、自分のTOEICの点数となっている。

そんな背景もあり、冗談ではなく

日本に住んでいた時の方が点数が良かった・・・(泣)

という可能性も排除しきれなく、テストを受けるにあたって多少はナーバスになる。
「幸いにして」今回は、風邪をひいて体調が悪かったという「言い訳」ができたこともあり、今日はリラックスをして試験を受けることができた(笑)

受験会場は、日本からの留学生と思しき学生さんが9割以上(残りは中国・台湾・韓国からの留学生らしい)。日本からの留学生が、こんなにも多いことに、しばし唖然とする。
当然ながら、その会場に来ているのは留学生のごくごく一部であり、果たして何人の留学生がこの地域にいるのか、見当もつかない。

男女比は男性3に対し、女性7。女性の留学生が多いのか、留学した中で真面目にテストを受験するのが女性の方が多いからなのか、おそらくその両方なのだろうと思う。

年齢構成に関しては、間違いなく僕が最高齢で、30代はおろか20代後半の受験者も皆無。ほとんどが20歳前後。僕は、完全に試験会場で浮いた存在だった・・・。

試験の結果は数週間後に帰ってくるのだろうが、受験した感覚としては、

日本にいたときよりは点数がよいだろう

という、しごく普通の結果であった。


特にTOEIC対策をしたわけでもなく、また久々の受験で「受験のコツ」を忘れていたぐらいなのだが、割と良い感触であったこの状況を例えるならば、


多少は腕に覚えのある草野球選手が、何故だかプロ野球の試合に出場し続けて、普段は三振ばかりしているが、ふと気が付いたらたまにはバットにボールを当てられる状態になっていた。

という感じか。
なんか違う感じもするが。



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2003年01月25日(土) 意外なところから日記更新

といっても、どこから更新しているかを書いてしまうと、僕の職業がばれてしまうので、内緒。

僕の職業を知っているしばこあさんなら、どこから更新してるか分かるかも・・・

本日の日記の更新は、また別途。


2003年01月24日(金) 今シーズン2回目の風邪ひきさん

というわけで、昨日は久々に日記をお(ゴホゴホ)休み。

会社に行くまでは、若干咳がでるかなという感じだったのだが、会社で仕事をしていると、どんどん寒気がしてきて、お昼をもって会社を早退。

「いまならまだ間に合うかな?」と思って、早引きしたのだが、帰宅して熱を測ってみたら37度5分。
薬を飲んで、暖かくしてベッドに横になったが、今朝起きても37度。

今日は出席しなければならないミーティングがあったため、少々無理をしてミーティング場所に向う。
薬の種類を、熱さましを含むものに替えたせいか、仕事をしているにもかかわらず、どんどん体調は良くなってきた。

会議は3時半頃終わったので、会社に電話をして本日は直帰。

明日は、もっと体調が回復しているといいな。



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2003年01月22日(水) ホ○疑惑

3人しかいない駐在室の中で、僕が庶務・会計業務を担当している。
そのため、長期滞在研修生の住宅の契約業務も僕が担当で、6ヶ月研修生の交替時期には、毎回アパートの管理事務所に行って、契約を更新することになる。

アパートの契約は、ある事務的な理由により会社(駐在室)としての賃貸契約ではなく、僕個人がそのアパートの住人として契約をし、研修生は僕のルームメイトとして登録している。
(もちろん僕は実際には住んでいないが)

今のアパートは、1年半ほど前に初めて契約を行い、今回で3人目の研修生を迎えることになる。
当初の契約の時は、会社として契約をしたい旨を交渉したり(結局は個人契約になったが)、なんやかんやとあったので、僕が住むわけではないというのは、当時の管理人は知っていたのだが、その管理人もいなくなり今は別の管理人が事務所に勤めている。

ということは・・・

その新しい管理人にとって見たら、僕は

1年半もの間に、3人もルームメート(しかも男)を替えた住人!

としか、映っていないのではないか・・・ということに最近気が付いて、ちょっとブルーになった・・・(泣)



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2003年01月21日(火) 言葉の教育って難しい

息子は今、現地校の1st Gradeである。
毎日、「英語の」文章を読むことが宿題として課されており、彼のレベルに見合った冊子を持って帰ってくる。

最初のうちは、本当に簡単な内容の冊子だったのだが、徐々にレベルがアップしてきて、最近では辞書を引かないと意味がわからない単語も含まれるようになってきた。

息子のほうも、少しずつではあるが語彙も増えてきて、簡単な文章であれば僕達のヘルプなしでも、文章を読めるようになってきた。
読めるようにはなってきたのだが、次に問題となってくるのが、文章の読解である。

最初は、英語を発音することで精一杯だったのだが、次のステップとしては、文章の意味を理解する必要がある。
もちろん、英語文を僕達が日本語訳して教えてあげることはできるのだが、果たしてそれが適切な教育方法なのかどうか、正直言ってわからない。

どういう意味でわからないかというと、例えば次の文。

The teacher was clearly unhappy.

日本語訳すると、

先生は明らかに不満そうだった。

となるのだろうが、ここに二つ問題がある。

一つは、「明らかに」という日本語表現を、息子が知らないということである。
Clearly (またはClear)は知っているかもしれないのにである。

二つ目は、「Unhappy」という英語表現を「不満そう」と意訳していることにある。
「Unhappy」はあくまで「Happyではない」という意味であり、「不満そう」と訳すのは時と場合による。


ということは、先の文章を息子に教えるにあたっては、

先生はClearlyにhappyではなかった

と教えるのが、文章の意味を捉えるという観点だけからすると、良いのかもしれないと思うのだ。
もちろん、こんなへんてこな日本語はないし、息子には「明らかに」という日本語表現も覚えてもらわねばならないのだが、どうするのがよいのか、未だに結論が出ていない。



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2003年01月20日(月) 共通テストの思い出

日本では共通テストが行われたということで、エンピツ日記もその話題で一杯。
で、僕もひとつ思い出話を。

北の大地生まれの駐在2号。は、当時H大学を目指してはいたものの、完全にボーダーライン上であった。
当時「共通一次」は1000点満点(国語200、数学200、英語200、理科選択200、社会選択200)だった。
共通一次自体は、それほど緊張して受けたわけではないが、頼みの数学が160点前後と振るわなかったことと、英語が最悪の120点と、合計点で760点前後だったように記憶している。
(当時は英語が苦手だった・・・(笑))

僕の志望のH大学理1系は、共通一次で800点ぐらい取っておく必要があり(特に2次の苦手な僕としてはなおさら)、2次で逆転を狙ったもののあえなく落選。

浪人したくなかった僕は、M工業大学の2次試験を受験したが、これも落選。
やむなく浪人生活を送ることになった。

翌年、大学入試のシステムがかわり、共通一次は共通テストになり、満点も800点満点(国語200、数学200、英語200、理科選択100、社会選択100)になった。
また、前年までは国公立大学を1校しか受験できなかったのが、A群・B群に分かれたため、2校受験できることになっていた。
(注:駐在2号。家の財政事情により、私立大学の受験は許されなかった)

そこで受験したのが、リターンマッチのH大学と、もうひとつは僕の成績に見合ったN大学(当時、特にN大学に対する思い入れはなし)。

共通テストの結果は、800点満点中710点。友人も驚く超特大ホームランだった。
(↑満点が200点もかわったのに、得点は同じ700点台・・・)

その結果もあり、無事H大学・N大学とも合格することができた。
両親としては、地元のH大学に通って欲しかったようなのだが、僕は

・去年落とされた大学に通うのが悔しかった
・大学のレベル(偏差値レベル)としては、N大学の方が上だった

ことと、何より

・一人暮らしをしてみたかった

ので、無理を言ってN大学に通うことになった。

まあ、そのおかげでいろいろな人との出会いがあり(嫁もその一人)、今に至る訳で・・・。

今振り返ってみると、1年目落ちたことにも意味があり、2年目N大学を選んだことにも意味があり。
人生どこの選択で、どういう結果になるかわかりませんな。



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2003年01月19日(日) 後任からの電話

「後任からの電話」といっても、僕の帰国が決まったわけではなく、今年の春に帰国する海外実務研修生(2年)の後任から電話があった。

彼とは以前から面識があり(以前は社宅の2軒となり)、彼が後任ではないかと勝手に推測していたのだが、やはり予感は的中した。

まだ人事部との面接も終わっておらず、内々示もされていない状況で、現地に連絡を取るのはご法度なのだが、慎重な彼が電話をかけてくるぐらいだから、相当に嬉しかったのだろう。

奥さんも海外経験はないものの、海外赴任をよろこんでいるようで、とりあえずは一安心。
ただ逆に心配なのは、海外赴任をよろこんでいる人に限って、「理想と現実のギャップ」に悩む人が少なくないという事実だ。
ウチの嫁とも話したのだが、ウチのように「海外生活はイヤ!」と思って来たほうが、現実に起こる全ての出来事を「諦観」の一言で受け入れることができるのではないか。
(本当に耐えられずに、帰国してしまう家庭もあるが)

もちろん理想に近づくために努力する人も多いと思うのだが、人間なかなかそう強くい続ける事も難しい。

彼の家庭がこちらでの生活に上手く馴染み、2年という限られた期間を有効にエンジョイできることを願う。



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2003年01月18日(土) ビデオ直輸入

年末より、日本の新聞(衛星版)の購読を始めた。
新聞には、日本のテレビ欄もそのまま印刷されており、どんな番組をやっているかを読むことができる。

ある日、ふとテレビ欄に目をやると、

あるある大事典、お腹のたるみ大特集

という文字が目に入り、嫁と「これ見たいねぇ〜」ということで意見が一致した。
とはいうものの、ここはアメリカ。日本の番組は限られたものしか見ることができない。

その翌日のこと。

いつものとおり、My登録してある日記を読んでいると、なんとしば子さんがあるある大事典を録画したとのこと。
(補足:後日のBBSで、ご主人であるこあらさんが録画したことが判明)

しばこあさんとは、秋に出張帰国した際にプチオフでお会いしたこともあり、思い切って、「今度お会いする時までビデオを消さずに保存していただけないか」と、BBSでお願いをしてみた。
するとビデオを保管するだけではなく、こあらさんがこちらまでビデオを郵送してくださるとの、ありがた〜いお申し出。

背に腹は変えられず(使い方が違う・・が、なんとなく似てる)、こあらさんのご厚意に甘えることにする。

数日後、無事ビデオが到着。
早速その夜、嫁とビデオの鑑賞会。

ビデオはテレビ番組を録画したものなので、当然コマーシャルが入っている。
コマーシャルになって僕が早送りをしようとすると、


「待って!コマーシャルも見たいの!」

との懇願が、嫁より出される。
確かに、日本のコマーシャルを見る機会は、こちらではほとんどないため、言われてみればその気持ちも良くわかる。


で、あるある大事典自体は、「腸のずれ」によるお腹のたるみを主眼にしていたため、そもそも余分な脂肪によるお腹のたるみには、あまり関係がない番組であった・・・〈涙)


しかーし!

そのビデオには、もう一つ番組が録画されていた。

それは、

「トリビアの泉」

完全にウチの夫婦は、ハマリました。
知っていても、そう役には立たない雑学を紹介するこの番組。フジテレビの深夜番組だそうだ。

フジテレビは、この手の深夜番組の制作がとてもうまいと思う。
古くは「カノッサの屈辱」、ちょっと前だと「ボキャブラ天国」(深夜枠の頃)。


久々に、フジテレビの深夜枠の楽しさを満喫し、大満足の駐在2号。夫婦であった。

しばこあさん、ほんとうにありがとうございました。




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2003年01月17日(金) こんな研修生ですみません(タイトルパクリ)

赴任したばかりの研修生に、業務用携帯電話を渡した。
この携帯電話は前任の研修生が使っていた物で、新任の研修生に引き継ぐ必要があった。

使い方、特に留守番電話サービス(Voice Mail)について説明しようと、携帯電話を手に取ったところ、すでにVoice Mailを受信しているサインが出ていた。

前任が帰った後に、誰かが電話したのかな?

と思い、内容を確認したところ、前任の研修生が赴任した頃のVoice Mailから最近のものまで、次々と流れてきた。
どうやらVoice Mailの消し方がわからなかったらしい。

Voice Mailを消去するために、次々と聞いていったところ・・・


「昨日はありがとうございましたぁ。楽しかったですぅ。」
「ちょっと電話しちゃいましたぁ(はあと)」


のようなVoice Mailも・・・。




彼は一体、何を研修していたのでしょうか??



↑本日の日記は、文先生風に仕立ててみました(笑)



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2003年01月16日(木) 新入研修生

僕の会社には、駐在員とは別に実務研修生として6ヶ月間海外研修を行う制度があり、今日は昨年末に帰国した研修生の後任が赴任した。

研修生の研修および生活全般の面倒を見るのは、僕の業務の一つでもあるため、本日はオリエンテーションを行い、諸々の手続きを一緒におこなった。


まず、研修生が住むアパートの契約。
次にレンタカーを借り、銀行口座の開設。

基本的に研修生に手続きをさせるのが僕の方針なのだが、銀行口座の開設だけはそうは行かない。
一応、オリエンテーションで、アメリカの銀行口座の仕組みについて説明をしてから口座を開設に行くのだが、なにしろ初めての人は英語を聞き取れないのに加え、用語をしらない。そのため、僕がいつも通訳としてつきっきりになる必要がある。

口座開設の手伝いをしながら、

僕の口座開設の時も、結構わからなくて苦労したなぁ〜

としみじみ思った。

僕が赴任してから、これまで3人の6ヶ月研修生が赴任し、自分の分も含めて都合4回も銀行口座の開設に立ち会ったことになる。
さすがに4回もやれば要領がわかってくることもあり、スムーズに手続きが終わった。

久しぶりに

ちょっとは英語が上達したかな?

と思えた一日だった。
(慣れただけ・・・というツッコミ禁止!)


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2003年01月15日(水) 平日のお休み

本日は会社をお休み。
といっても、体調が悪いわけではなく、計画的な有給休暇である。

有給休暇を入れたのは、息子の学校がお休みなのに、嫁の学校はあるため、子供の面倒をみるというのが理由だった。
ところが、当初火曜日と木曜日にコミュニティカレッジに通う予定だった嫁が、月曜日と水曜日のコースに変更をしたため、嫁の学校も今日はなく、結局娘だけがプリスクールに通うという変則的なスケジュールになった。

ちょうど僕の車も30000マイルに達したため、朝から車をディーラーに持っていき、定期点検をしてもらう。
(1ヶ月2000マイル弱ペースなので、17ヶ月で30000マイル達成・・・(泣))

その間、嫁の車で僕・嫁・息子の3人は、ダウンタウンに行きショッピング。
娘がいるとオチオチ買い物もできないが、息子だけであれば比較的落ち着いて買い物が出来る。

昼食はフードコートのヌードルショップで、「トムヤンヌードル」をチョイス。
程よい辛さで、なかなかの美味であった。

昼食の後、娘のプリスクールの近くまで戻ったが、ピックアップまでまだ時間があったので、3人でボーリングを楽しむ。
僕のスコアは150ぐらいと悪くなかったが、スノボで痛めた尾てい骨が痛んだ。意外な運動に尾てい骨は活躍しているようだ。

ボーリングの後、娘と点検が完了した僕の車をピックアップし、一旦家に戻る。
その後、子供たちのスイミングスクールのためジムに向かい、なんとなく嫁と僕も小一時間スイミングをする。

なかなか充実した平日のお休みであった。



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2003年01月14日(火) Pledge of Allegiance(親ばか&真面目な話)

I pledge allegiance to the flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

(訳)
忠誠の誓い:私はアメリカ合衆国国旗、及び見えざる神のもとに一つの国家であるすべての人民に自由で公正な共和国に忠誠を誓います。



ウチの娘は、1年以上毎日プリスクールでPledge of Allegianceを唱え、このたび完璧にマスターしました!
↑でも、絶対に意味わかってない(笑)


以上、親ばかモード。
以下、ちょっと真面目な話し。

ウチの娘がPledge of Allegianceをマスターしたということは、全く言葉がわからない他国の子供でも、毎朝呪文のように唱え続ければ、アメリカへの忠誠を誓う言葉を、歌の歌詞のようにコピーできるということを示している。

ある意味、結構怖いと思うのは、僕だけだろうか。

彼女はアメリカに忠誠を誓っているわけではないだろうが、思想は言葉から刷り込まれるような気がする。
アメリカ人がアメリカを愛するように、日本人も日本を愛するべきというのが、僕の考えなのだが、「刷り込み」「洗脳」的な方法以外に、愛国心を持たせる方策はないのだろうか。
(日本を愛さないサヨク思想は、洗脳以外の何者でもないと思うが)

それとも、教育というのは、形を変えた洗脳なのだろうか。


【メモ】
上に書いたPledge of Allegianceは、多くのアメリカの学校で毎朝子供たちが胸に手を当てながら、呪文のように唱えるのだが、「one Nation under God ...」の部分が政教分離の憲法に反するという訴えがなされ、連邦地裁で違憲判決がだされている(上級審でくつがえされるというのが、大方の見方)



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2003年01月13日(月) スノボへの道(レッスン2回目)

本日、2回目のスノボレッスン。

1回目のレッスンの後の自主練習で多少のコツを掴んだと、また根拠のない自信をもってしまった僕であったので(笑)、いい感じでレッスンに入る。

頭の中で体の動きをイメージできるスポーツは、僕にとって「ものにできる」スポーツなのだが、イメージできないスポーツは、どんなに練習しても出来ない(と思い込んでいる)。

前者の代表例は、テニス・ゴルフなど。
あまり上手ではないが、体の動きを頭の中でイメージできたので、多少の練習で、楽しめる程度にはなった。

後者の代表例は、マット運動。
体の硬い僕は、どうやって開脚前転をするのか、頭の中で体の動きがイメージできない。同様に側転も、体の動きがよくわからない。
不思議なのは、前方宙返りはできるのに、バック転はできないという点。
これもまた、イメージのなせる仕業である。

で、スノボなのだが、今日レッスンに入る時点においては、イメージトレーニングはOKで、実際レッスン中は割とよくスノボに乗れていたと思う。

レッスンを終え、息子と二人で車に戻り家から持ってきたカップラーメンにお湯を注ぎ昼食として食べ、再びスキー場へ。

息子と二人でリフトで上に上がり、そこから雲行きが怪しくなってきた。
どうも体が思うように動いてくれない。
そうこうしているうちに、肝心のイメージのほうもおかしくなってきた。

あれれ??

どうやら、体が疲れて思うように動かなくなっているようだ。



というわけで、午後はリフトを2回登っただけで、本日のスノボ練習は終了。
来週までに、体の疲れはとれるのだろうか・・・。



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2003年01月12日(日) 忙しい金曜の夜(その2)

(昨日の日記の続き)

日本人会の新年会を終え、家に帰った僕は着替えをして、次の目的地であるOさんのお宅に向った。

Oさんとのつきあいはとても「浅く」、年末に紅白を知人の家で一緒に見ただけの仲である。そんな僕が、なぜOさんのお宅を訪問したかというと、目的は

麻雀・・・・。

どうやらOさん麻雀が大好きらしく、麻雀をする人を探していたようなのだ。
僕も大学時代は、ほぼ毎晩といっていいほど麻雀にのめりこみ、はっきり言ってそれが卒業を危うくさせた理由の一つでもある。
(仲間の数人は留年、一人は退学している・・・もちろん麻雀だけのせいではないが)

そんな僕も、会社に入ってからはほとんど麻雀はせず、今回牌を握るのは少なく見積もっても5年ぶりぐらいである。

Oさんのお家にお邪魔すると、早速こちらで購入した麻雀牌を見せてもらった。
みかけは日本のものとほとんど変わらないが、

アラビア数字が牌の片隅に彫りこまれている

ところが、アメリカらしさをかもし出していた。
その他にも、牌の色使いが若干違い、緑一色という役は、この牌ではできなかった。


Oさんは、もう1セット麻雀牌を持っており、それは中国で使われる麻雀牌であった。その特徴はというと・・・

とにかくデカイ!
の一言に尽きる。
Oさんの発案で、その夜の麻雀はそのデカイ麻雀牌で行うことになった。
大きな牌でやっていると、だんだんそれが普通にみえてくるから不思議(笑)


Oさん以外の面子は、日本からの留学生一人と、Oさんの元同僚。
実力は、みなそれほどでもなく、結果も一番素人に近い留学生がトータルでトップになった。


ゲーム終了がなんと午前4時。

おかげで、土曜日は一日寝倒しましたとさ。



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2003年01月11日(土) 忙しい金曜の夜(その1)

金曜日の夜は、めずらしく予定が二つ入った。

一つ目は、当地日本人会の新年会。
もともとは、僕が出る予定の会ではなかったのだが、ウチのボスが日本に一時帰国しているため、2号である僕が代理出席。

ボスも毎年出るという会ではないのだが、来年の会の役員をお願いされて、それを丁重にお断りした後に誘われた新年会のため、どうしてもウチの会社から誰かを出さなければならない状況だったとのこと。

僕にとっては、今まで一回も出たことがない会なので、当然知り合いも少なく、かつ今回は嫁は一緒ではなかったため、ひとりぽつねんとしていたら、息子の日本語補習校の同級生の両親がいらっしゃっていたため、しばらくお話しをさせていただく。

そこの奥さんと嫁は実家同士がとても近いらしく、かつご主人と僕は同じ町の大学に通っていたことから、ローカルなネタでひとしきり話し込む。

ご主人はもともとエンジニアだったのだが、今は営業をされているとのこと。
とても人当たりの良いナイスガイであった。
他人に与える印象は、かくありたい。

新年会の終わりには、ラッフルズタイム。
これもあまり参加するつもりはなかったのだが、何となく最後に2枚クジを購入。
あまりクジ運の良くない僕であるが、めずらしくポロシャツ(企業ロゴ入り)の2枚セットをゲット。

午後9時半に会場を後にし、一旦家に戻って着替えた後、その夜二つ目のスケジュール会場に向う。

(翌日の日記に続く)



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2003年01月10日(金) 学校で習わないイディオム

1月は来年度の予算申請の季節である。
3人しかいないわが駐在室にも、当然ながら予算というものがあり、総務・会計担当を兼務する僕が、予算案作成を行った。

来年度の予算の目玉は、スキャナー機能つきのファックスの購入である。
(話しがちっちぇー!という突っ込みはなしで・・・)

今まで使っていたファックスは、3年前に3年間のリース契約を結んで借りているもので、かなりの高性能ファックスらしく、一ヶ月に164ドルのリース料を払っている。
つまり、この3年間で6000ドルもの金額を、3人しかいない駐在室のファックスのためにつぎ込んできたわけで、もったいないことこの上ない。

ということで、リース期間満了にともない、機能をしぼった安価なファックスを購入する方針を立てた。

そこで駐在室秘書のスーに、ファックス業者に連絡をとり、いくつかの候補をあげてもらうように頼んだのだが、僕がお願いした期日までにファックス業者から、機種の提示はあったものの、見積もりの提示は間にあわなかったとのことだった。

その会話の中で、

「Ball Park Figureでいいなら・・・」

というくだりがあった。

なんでお金の話しをしている時に、「Ball Park」=「野球場」が出てきたのかと思い、尋ねてみたところ、Ball Park Figureというのは、「野球場の観客人員のような数」という語源で、ニュアンス的には、「ざっくり」というところらしい。


いろいろ勉強になります>スー様



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2003年01月09日(木) 侮りがたしUS Postal Service

アメリカで郵便サービスを行うのは、US Postal Serviceという会社である。
日本から送られる郵便は、US Postal Serviceにより、アメリカ内の各家庭に配達される。

年末から年始にかけて、わが家にはクリスマスカードや年賀状が数通寄せられた。

今日も一通、嫁の友人から年賀状が届いたのだが、その年賀状を見てわが目を疑った。


まず、

名前が日本語でしか書かれていない!

まだこれだけならば、「書かれた住所に届けたんだな」と思うのだが(今までにも数通届いている)、なんと住所の数字の部分が


漢数字で書かれている(笑)

つまり12345と書くべきところ、一ニ三四五と書かれているのだ。
一ニ三四五の横には、US Postal Serviceの社員が書いたとおぼしき、

12345?

という字が書き添えられていた。
誰か中国語が読める人が訳したのかなァ・・・


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2003年01月08日(水) ローマの休日(追記あり)

本日、僕の日記をMy登録してくれている方の人数が、僕の当面の目標に達したことを確認いたしました(数はあえて内緒)。
My登録して頂いている方、ブラウザのお気に入りに登録してくださっている方、何気にいつも読んで頂いている方、本当にありがとうございます。

これからも、ぼちぼち書いていきますので、お引き立てのほどよろしくお願いいたします。




アメリカでも、クリスマスホリデーシーズンのテレビ番組は、いつもとは若干編成が違うようで、とあるチャンネルでは名画特集をしていた。

休暇中、たまたまケーブルテレビのチャンネルを回したときに(いまどきチャンネルを回すやつはおらんが)、オードリヘップバーンの「麗しのサブリナ」をやっていた。

を!これはと思って、前後の時間帯に放映する映画を確認してみたところ、案の定「ローマの休日」がやっているではないか。
ということで、ビデオに録画をして嫁と二人で子供が寝た後に見ることにした。

経験上、ストーリーのわかっている映画の英語は、全くストーリーがわかっていない映画の英語よりも断然聞き取りやすいため、英語のヒアリングのレッスンもかねて、ビデオ映画鑑賞が始まった。

が・・・

思ったようには、英語が聞き取れない!

で、原因を考えてみて、「時代の違い」が原因ではないかという結論に達した。
(↑ローマの休日は1953年)

日本語同様、英語も時代によって若干の変遷を遂げており、昔は使っていた言い回しを今は使わなかったり(またはその逆)するため、今の英語しか知らない僕達には聞き取りにくいのだと思う。

ウソだ!それはお前達の英語力の低さの言い訳に過ぎない!

とおっしゃる御仁もいらっしゃるかと思いますが、一度字幕無しのローマの休日をご覧になってからご感想をいただければ幸いでございます。。。



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2003年01月07日(火) クリスマスツリーのリサイクル

昨日の日曜日、スキーから帰ったその足で、クリスマスツリーのリサイクルに行ってきた。
(その時点で腰の痛みは最高潮だったのだが、気力で任務遂行)

日本では馴染みのない、クリスマスツリーのリサイクル。
どのようなものかというと、各家庭に飾ったクリスマスツリー(生木)を回収して、再利用するというものだ。

日本のようにイミテーションのクリスマスツリーでは、リサイクルといえば中古品として売り出すという意味になるが、生木ではそうはいかない。

リアシートを倒して、クリスマスツリーを車に無理やり詰め込み、リサイクルの場所に向った。そこでどのようにリサイクルをしているのかというと、


回収した木を粉々に砕いて、空き地に撒き散らす!


という、ごくごくシンプルかつアメリカンなものだった。
この撒き散らされた粉末を回収して、どこか別の場所で堆肥にするかどうかは知らないが、あまり期待できそうにない。

まあ、燃やして二酸化炭素を発生させるよりは、環境に優しいことは間違いないが。




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2003年01月06日(月) スノボへの道(レッスン1回目)

本日、スノボレッスンの1回目。

インストラクターは、50代のオジサン。
アメリカにはもう30年くらい住んでいるらしく、スノボは5〜6年前に息子さんと一緒にやってから、ヤミツキになったとのこと。

今日は一回目なので、下のほうで「まっすぐ滑って右を向いてとまる」、「まっすぐ滑って左を向いてとまる」という基本動作(Jターン)の練習に終始した。

一緒にレッスンを受けているのは、10代後半の若者二人と、30代のオジサン二人。もう一人のオジサンは、息子が日本語補習校の同級生どうしであり、直接お話ししたことはないが、以前に顔はあわせたことはある方だった。

息子さんは、おとうさんがレッスンをうけている間は、お母さんといっしょにソリで遊んでおり、レッスンが終わったらお父さんが息子に、習ってきたことを教えるということだった。(ホンマにそれでいけるんかいな?)

スノボののり方には、レギュラーとグーフィーという2つののり方があり、レギュラーは左足を軸(谷足)にするのり方で、グーフィーはその反対である。

僕はレギュラーなのだが、滑り始めるとどうしても右足を先にして滑ってしまい、これを修正するのに苦労した。

なんとか、左足を先にしてまっすぐ滑って、右側に止まるところまではマスターして、本日のレッスンは終了。

息子と合流して、ホットドッグをパクついた後、午後は息子と一緒にリフトに乗り込む。息子は午前中のレッスンで、10回以上リフトに乗ったらしく、リフトの乗り降りも手馴れた物だった。

僕もリフトをなんとか降り、そこからは午前中に習ったことのおさらいを開始。
山側を向いて、左足をやや下側にし、ずり落ちるような感じで滑り始める。
この姿勢でなんとかバランスをとることは身に付いたようだ。

難しいのは、谷側を向いて左足をやや下側にしてずり落ちる姿勢。
この状態では、かかと側のエッジを立てるために、重心をややかかと側にかけるのだが、スキーではかかと側に重心をかけるポーズは厳禁であるため、なかなか馴染めない。また、谷側をまっすぐ向いているのも恐怖心をそそる。

とはいうものの、得意な方ばっかり滑っていても練習にならないし、なにしろ目的の場所に行けないので、不得手な方も練習してみる。

徐々にバランスをとるコツを身に付け、ちょっと調子に乗ってきたところで、アクシデント発生。

多少スピードが出て、山側を向いた状態で、谷側にノーガードの状態で転倒。
(プロレスで言うところの、バックドロップに近い)

でん部と後頭部を、硬い雪面に強打する。
幸いヘルメットを着用していたため、頭への影響は軽微であったが、しばらく息ができず、立ち上がる気力も失せる。

が、息子はまたしても下のほうに行っているので、気を取り直して滑り始める。

そうこうしているうちに、スノボスクールのヘルパーをボランティアでしている、駐在3号夫人が、颯爽とスノボでやってきて合流。
下のほうに先に行っている息子の面倒を見てもらう。

気持ちは江戸時代の浪人(かたじけない・・・)

家に帰ってからもでん部の痛みは消えず、とりあえず嫁にマッサージをしてもらい、風呂であたためた後サロンパスを貼って今にいたる。

明日からは5日連続の国際会議。
はたして普通に椅子に座っていることができるのだろうか・・・



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2003年01月05日(日) 新聞購読

こちらに来た当初は、新聞など購読していなかったのだが、昨年夏ぐらいに現地の新聞を取ることにした。

取り始めた当初は、メジャーリーグも真っ盛りの時期であり、スポーツ欄ぐらいには目を通す「こともあった」のだが、冬になると一切目を通さないようになってしまった。
加えて、家を空けるときに新聞の配達を止めるのもいちいち面倒で(まして読まない新聞ならなおさら)、先月購読を止めてしまった。

その代りというわけでもないのだが、今度は日本の新聞を取ろうかと思い立ち、年末から配達を始めてもらった。
アメリカで配達される新聞は、衛星版と呼ばれるもので、約一日遅れで配達される。
さすがに日本語で書かれた新聞には目を通すのだが、一日遅れていることもあり、内容は、すでにWeb Newsで読んだものばかり・・・。

まあ、人生相談欄とか、Webじゃ読めないものも少なからずあるので良しとしよう。
(↑人生相談欄好きの夫婦)


先日、新聞を読んでいた嫁から、こんな名言が飛び出した。





テレビ欄を見れば、日本の動きが全てわかる!

うーむ。納得。



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2003年01月04日(土) スノボへの道(事前ミーティング編)

日曜日から息子のスキースクールと、僕のスノボスクールが始まる。
事前説明会が金曜日の夜に開かれたため、親子ともども参加してきた。

僕達の通うスクールは、「日系」のスキースクールなのだが、ミーティングに顔を出したインストラクターの半分くらいは、日本語の話せない日系人のようだった。

あらためて、日本人の顔をしていても日本語が話せない人々が多くいることを実感した。

そんな中でも、息子の担当、僕の担当とも日本語が話せるインストラクターだった。
説明会終了後、息子に

「先生にちゃんとご挨拶しなさい」

と言ったところ、息子はインストラクターの前に行って

「I'm your class!」

と、すまし顔で言った。
どうやら、日本語を話すことができないと勘違いしたらしい。
インストラクターも、息子が日本語を話さないと勘違いしたらしく、

「What's your name?」

「My name is Tatsuro.」

と、日本語がしゃべれるもの同士で、英語での会話が始まった。

息子はインストラクターが言った

「Have you ever ski?」

という現在完了形での質問の意味がわからなかったらしく、僕にヘルプを求めたところで、息子が日本語を主に話すということがインストラクターに伝わり、そこから先は日本語での会話になった。


現在完了形はわからなかったけど、君がお父さんに頼らず英語で会話を始めたことに、お父さんはちょっと感動したよ>息子へ


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2003年01月03日(金) 陪審員召喚状

今日は年明け最初の出勤日。
とは言っても、Eメールは自宅からチェックしていたので、特にどうということのない業務のスタート。

日本はまだお正月真っ最中なので、駐在室もやや早めにクローズし帰宅。

すると、郡の裁判所から、陪審員の召喚状が届いていた。
手紙には、

「召還された陪審員に、意図的に出頭しないことは犯罪です」

と、いきなりの脅し文句。
僕は、

をを、これが噂の陪審員召喚状か

と説明文を読み始めた。

陪審員召喚状は、国民の中からランダムに選らばれた者に送られるとのことで、正当な理由がない限り拒むことはできない。
雇用者は、使用者が陪審員として召還された場合は、最大限の配慮を行わなければならず、有給休暇扱いとなるようだ。
また病気を理由に陪審員を断わる時には、医師による診断書を提出しなければならない。

で、僕がその陪審員として出頭しなければならないかどうかということなのだが、


1. 18歳以上であること
2. アメリカ国民であること
3. 召還された裁判所管轄の住民であること
4. 英語によるコミュニケーションが可能であること
5. 犯罪歴により、市民権が停止されていないこと


という陪審員になる条件のうち、2.に該当しないことから陪審員にはなれない。
(4.で、という話しも、無きにしも非ず・・・(笑))


ホッとしたような、ちょっと残念なような。。。



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2003年01月02日(木) 初詣 in アメリカ

昨年の正月同様、元日は「初詣」に家族で行ってきた。

このあたりにも、少ないながらも神社・仏閣の類はあり、我が家は車で小一時間の場所にある神社にお参りをしてきた。

去年、初めてその神社に行った時は、アメリカ人の神主さんと巫女さんが、日本語で祈祷を行っており、それに加えて「なんとかの舞」とか言う踊りを巫女さんが披露したりして、なんだか日本の神道文化紹介「フルコース」(しかし何かがちょっと違う)という感じであった。

今年はというと、そのお二人は神社にはいたものの、祈祷自体は若い日本人の神主さんが行っており、昨年見た「なんとかの舞」も見ることはできなかった。
なんだかちょっと残念な気分。

ご祈祷の後は、昨年同様交通安全のお守りを10ドルで購入。
嫁は、「暦」を、これもまた10ドルで購入(嫁は「暦」ファンであり、毎年欠かさず読んでいる)

お参りの後は、これも昨年行った中華料理のバイキングレストランに行き、お腹いっぱい食べてから帰宅。

すっかりこれがアメリカ駐在2号。家の、初詣定番コースになったようだ。


明日からは通常勤務。
休みが終わるのは本当に早いものだ。



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2003年01月01日(水) まだ、明けてないんですが。

現在、12月31日午後3時(太平洋標準時刻)
お正月までは、あと9時間もある。

が、日本は既にお正月。
子供たちに、日本のおじいちゃん・おばあちゃん宛てに電話をさせようかな。


今日のお昼は年越し蕎麦も食べたし、あとは知人の家に行って「紅白」を見て寝るだけ。



では、米国在住の皆さん良いお年を!
日本のみなさん、明けましておめでとう!


心機一転、頑張ろう!!



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