笑う角に光りあれ...オレステス・デストラーデ

 

 

動く - 2004年10月31日(日)

昼、知恩院へ古本市を見に行く。
時折小雨がパラつく悪天候だったが、結局2時間半も古本を物色。
自分の探していた生命倫理系の本が全然なく、結局何も購入しじまいだったが、あぶらだこの載っている1988年のフールズメートを発見したり、懐かしい本に出会ったり、とてもいい時間をすごした。


その後は、すぐ近くの進々堂でお茶。
アレルギー性鼻炎の鼻先を余裕で突き抜けるバターの香りに感動。


夜、ファンジンの連載を頼んでおいた友人から原稿が届く。
期待していたように、あいかわらずいい文章。
こういうのはやっぱり編集者の特権だと実感。
肝心の自分はまだ一文字も書いていないが、彼らに負けずにいいものを書きたい。


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倫理 - 2004年10月27日(水)

学校の本屋に行ったら『現代思想』の11月号が置いてあり、
特集が「生存の争い−医療・科学・社会」だったため即購入。
まだ冒頭の数ページしか読んでいないが、やっぱり考えさせられることは多い。


1つ引っかかったのは、立岩真也氏の文の中に書かれていた清水哲郎氏の引用。
「倫理的な境界線を引くとすると、積極的な行為と消極的な行為の間ではなく、「死を意図して」と「緩和を意図して」との間が有効である、というのが緩和医療の倫理である」


前半部分の「積極的な行為」と「消極的な行為」の間に明確な境界線を引くことが困難なことは理解できる。
これはピーター・シンガーの『実践の倫理』の中でも書かれていることだが、もしある重度の病気をもった患者がいた場合、医者が何か行為を行うことによって死に至らせるのと、何の行為もせずに死に至らせるのとでは、一見異なるように見えるが、意図が同じであればその行為の違いはほとんど関係ないように見える。
しかし一方で、意図が同じ、つまり誰かを意図的に殺そうとした場合、包丁で真正面から刺すのと、ブレーキが効かなくなりつつある車を貸すのでは、現在の法の下では罪の重さは異なるだろうし、確実性の問題からも違いがある。
このように、境界線は状況によって二転三転してしまう。


しかし、後半部分には何か疑問を感じる。
たしかに、後半部分では前半部分の根拠を証明するかのように、意図が異なることが行為の線引きを可能するものとなっている。


おそらく、誰もが医者が人命を救うという命題を放棄し、自ら死を導き出すような行為をすることは正しいとは思わないだろう。
しかし、ここで述べられている「死」と「緩和」というのは、決して2つに分けることができない入れ子状のものなのではないかと僕は思う。
「痛みを緩和するための死」であり、また「死が痛みを緩和させること」なのではないんじゃないだろうか。


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感情線 - 2004年10月26日(火)

誰しも時には怒りの気持ちを持つことがあるわけで、
人によってはそれを自らの身体をもって爆発的に放出し、
人によっては必死に震えながら我慢したりする。
僕はたいてい後者であり、最後に自らの身体を投げ出してまで怒りをぶつけたのは、
もう10年近くも前のことだ。
それ以来、多少の怒りを感じることはあっても、必死に飲み込み、
口先から何かが零れ落ちることはあっても、実際手を出したことは一度もないまま。


何だか、自分の周りには平気で他人を傷つけることができる人がいて、すごく苦しくなる。
もちろん、そういう自分だって知らず知らずの間に人を傷つけていることは十分承知だ。


でも、でも、闇雲に感情をぶつけたって何も変わんないよ、ってやっぱり思う。
その一方通行的な感情の導火線の先に誰が立っているかなんて、みんな全然考えてない。
何にも解決してない。


何なんだろう、すごく苦しいな。
散々怒鳴りあげたのにも関らず、数時間後には崩れるような笑顔で笑っている姿を見ると、
もうほんとに悲しくなる。


何だか負け犬の遠吠えみたいだな。


でも、「人の気持ちを考える」ってことがどんなに大切なことか。
ほんとに身に沁みた。



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連日ライブ - 2004年10月25日(月)

難波でライブ。
大きさといい、汚さといい、僕が高校の頃よく出ていた江古田のライブハウスと似ていて、なんだか懐かしい気分。
演奏はひっちゃかめっちゃかだったが、音はよかったし、スタッフの人は親切だったし、でとてもいい気分。
次のライブもすんなり決まり、隔月ペースでふらっと楽しい小旅行に行けるのが、何より楽しみだな。


明日は明日で学校でライブ。
体は疲れに疲れきっていることだろうけれど、久しぶりにドラムを叩いて、二人で無謀にもメタリカのコピーをする予定。
馬鹿なこともたまらない。


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好評絶頂中 - 2004年10月24日(日)

夜、突然壁の向こうから女性の喘ぎ声が聞こえてくる。
マンガみたいな展開に独り騒然。
思わず壁に耳を近づけてしまった。


あいかわらず風邪は治らず、ティッシュがどんどん減っていく。
明日は大阪へライブを見に行くのではなくやりに行くので、どうにかして快方へ向かわせなければ。


今日からの2週間は死ぬほど忙しい。


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柔らかな雨粒とコンクリート - 2004年10月19日(火)

朝、目が覚めると車が水しぶきを上げている音がする。
曇りガラスの向こうはおぼろげな灰色。
家から出る気概も生まれず、昼すぎまで呆ける。


午後、なんとか学校にたどり着くも、授業がつまらない。
とりあえず、2限連続で自分の知識外のことが何一つ話されなかった事実に辟易。
何のための授業なんだか。


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from otaku to new ones - 2004年10月18日(月)

我が家にはテレビがなく、それをむしろ美徳として生活している僕には、当然近頃のアイドル事情などわかりもしない。
がしかし、最近ネットを徘徊中ふと横道に入ってしまい、不覚にもモーオタ(モーニング娘。の熱狂的ファン)のblogにはまってしまった。
とりあえず、そこでは田中れいなさんという人と、高橋愛さんという人がフューチャーされているんだけど、その熱の入り方が尋常じゃなく、笑いを通り越して感動してしまう。
テレビに映る彼女たちに一喜一憂しているのは序の口で、この間見ていたところの管理人さんは、夢の中に彼女(モーニング娘。)が登場、なのに冷たいことを言ってしまい、起床後激しく後悔の念に苛まされる、という現実も妄想も軽く通り越した症状を発症していて圧倒された。


とにかく、みんなすごすぎ。


今や、こういったモーニング娘。を軸にした真面目な論文が発表される時代であり、彼女たちの登場は明らかに僕たちの世代の価値観を分かりやすい形で変えたんだなぁと思う。
それは例えば、こういった大人数で結成されているグループが、1ファンによってそれそれ完全に解体され、各々の好みによって再構築されているところにもよく表れている。
それはつまり、コンセプチュアルなものが成り立たない(成り立ちにくい)時代を暗示しているに他ならない。


どんなに作者が明確な意図をもって作品を作ったとしても、それらは容易に解体することが可能であり、それらをまた自分の好みでつなぎ合わせたり、コピーを作ったり、オリジナルなもののように再生することは十分可能だ。
そして、ここではこういった流れが良い悪いは問題ではなく、むしろここで使われるだろう「新しい」という言葉がはたして何を示しているのか、これをつきとめることが重要な気がする。


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冷蔵庫はカラ - 2004年10月17日(日)

賞味期限が4日すぎたドラ焼を食べたら、白身系の刺身の味がした。
若干、腹が震える。


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エーテルと共に - 2004年10月14日(木)

寒い。
この間、やっと新しい靴を手に入れたが、早く暖かい服を購入しないと、おめおめ街にも出られなくなる。
秋はもう終わりかけの気配。



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感謝 - 2004年10月13日(水)

翻訳に手間取っていた某バンドへのインタビュー文を送信したら、ものの数時間で返事が返ってくる。
その真摯な態度にいたく感動。
形容詞以外はほとんど辞書なしで読めるような非常にシンプルな英文で、
そのプロフェッショナルな対応に、ただただ脱帽する。
そんでもって、作品に対する想いを読んでいくうちに、どんどんと今まで見えなかった作品の側面が現れてきた。


それはまるで、僕が中学高校時代にMUSIC LIFEやBURRN!をむさぼるように読んでいたあの頃を思い出させ、そうだ、僕はこうやって音楽を楽しんでいたんだ、といつの間にか心の格納庫に収められてしまった感覚を蘇らせた。
今では、なんとなしにネットで得た評判を足がかりにCDを買うことが多くなってしまったが、昔は雑誌なりライナーノーツでたしかな確信を得てからお店に足を運んでいた気がする。
そんでもって、そういった雑誌やライナーノーツを読みながら、作品の中に自分を投影し、意味を探ろうとしていたものだ。


しかし、今僕が買っているようなCDの大多数は、数千枚しか流通していないようなものが占める。
当然、大きな音楽誌がそんな作品を取り扱うはずもなく、作品の意図も歌詞の意味もわからないまま聞き流してしまうことが少なくない。
もちろん、耳に入ってくる音がかっこよければ悪い気持ちはしないだろう。
しかし、もしプラスアルファを付けるだけで新たな価値観を見出せるのであれば、それに越したことはないはずだ。


ファンジンに対する熱意、それは日増しに強くなる。





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つまりそれは僕が地上に立っていることを意味する - 2004年10月12日(火)

つまらない授業はサボったり、寝倒したり、落書きしたり。
90分という授業枠がなかったら、時間はあまりにも拡散的で僕は路頭に迷ってしまうけれど、そんなはずもなく区切られる賽の目のような時間に、じぶんなりの直線で鋭角を作るのが楽しいな。


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曲がる - 2004年10月10日(日)

夕方、学校の喫煙所でタバコを吸っていたら、突然くるりの岸田繁がやってきた。
どうやら12月に西部講堂で行われるイベントのビラ貼りに来ていたようで、一週間前にも来ていたらしい。
別にファンではないがビックリ。
思っていたより小柄で、ちょっとダサい格好。


一応、彼は僕の所属しているサークルの卒業生であったりして、勇気をもって話しかけたサークルの友人によると、少なからず今のサークルにも興味があるようだった。
お互いの電話番号を交換するぐらいに。


なんだか、非常に気さくに話している姿を遠目に見ていると、メディアが内蔵している不可避の屈折装置みたいなものの力の強さを感じた。
どんなに本音が語られているインタビューでさえ、そこに挿入されている写真だとか、抜き出されて太字で書かれている言葉がしらけた雰囲気を演出してしまえば、本音は本音の効力を失ってしまう。
人間が放出したエネルギーが何かのフィルターに当たった時、そこでは必ず方向や質量が変わってしまうんだろうな。


かと言って、実際直に向かい合えばそこに真実がある、というわけでもないし。


でも、久しぶりにくるりでも聴いてみようか、という気分にはなったような、そんな1日。







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一歩前進 - 2004年10月07日(木)

夕方、インタビューのコンタクトを取っていた某バンドのcaseyさんから返信が。
僕でも簡単に理解できる英語で「喜んで答えるよ」のメッセージ。
嬉しすぎて死にそう。笑いが止まらない。
今まで外国人とまともに会話なんかしたこともないのに、僕の書いたメッセージは太平洋をしっかり越えてがっちりコミュニケート。
すごいなぁインターネットは。
まだまだこれが現実なのかって、信じられない気持ちでいっぱいだけど、しっかりとした意志と勇気があれば、自分の夢は少しずつ叶えられるんだなぁと、青臭い想いでいっぱい。
自分の考えた質問にどう答えてくれるのか楽しみ。


そんなこんなで、今日も授業以外はほとんど質問作りと翻訳作業。
あと2発はインタビューする予定だけど、その内の1つはまだ未決定だから早いとこ決めなくちゃ。


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詰まってなきゃ - 2004年10月06日(水)

昼間、近くのコピー屋さんにて、ちょっとした真実を知る。
どうやら、一般的なコピー機にはA5サイズの紙がないという事実。
慌ててネットで色々調べてみたが、A5サイズの紙はアスクルなんかで取り寄せないと普通には売ってない模様。


『ユリイカ』なり『現代思想』のあのコンパクトなサイズが、批評をメインにした僕のファンジンでは最適だと思っていたが、どうやらB5サイズにしなければならなそうだ。
せっかくレイアウトを固めつつあったのに残念。
B5サイズぐらいになると、うまい具合にビジュアルなり何なりを入れないと無味乾燥になって絶対に見辛い。


夜、久方ぶりに登場 さんと さんの叔母さんと一緒に先斗町へ焼肉を食べに行く。
こういう食事会はもう2回目。
案の定ガチガチに緊張するが、次から次へと机に並ぶ肉に興奮し、暴食。
結果、肉死にしそうになる。


今日も翻訳いっぱい。



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擬似京樽 - 2004年10月05日(火)

連日の雨でずいぶんと気温が下がってきたのにもかかわらず、
ちと大学に足を運べばまだまだ腹部を露出した女性が多い。
彼女らはきっとセクシーだと思ってやっているんだろうが、それはタンクトップから露わになる二の腕や、ミニスカートから覗く太腿と比べれば、まったくとるに足らないセクシーである。
ってか、そういう女性に限って微妙に腹部が緩んでいるのが通例で、
そのお稲荷さんみたいに歪んだ無法地帯を見るたびに悲しくなる。


それにしても雨はいやだな。
毎日毎日びしょ濡れ。


今晩は、コンニャクとひじきを煮込んだやつに生卵をかけて、ご飯にぶっかけて食べた。
コンニャクは意外とお腹を膨らましてくれたけれど、肉っ気がないとやっぱり物足りない。



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膨らめ膨らめ - 2004年10月03日(日)

ファンジンの作業を進める。
とりあえず、創刊号の鍵を握る某激情バンドと、現在来日中の某バンドがやっている某レーベルのインタビュー用の原稿を作る。
まだ、インタビューを受けてもらえるかどうかわからないが、了解を得次第すぐにでも送れるように、聞きたいことを整理する。


それにしても、メールでインタビューというのは想像以上に準備が難しい。
基本的に一問一答という形になるため、一文にある程度の膨らみをもった回答が得られるような内容を持たせなければいけない一方、あまり複雑な質問にすると今度は英訳が追いつかなくなり焦る。
まぁ、一回メールの往復をやってみて、足りない部分は再度聞けばどうにかなるし、英語に関してもうちの父親に頼めばどうにかなるはずなんだが。
とりあえず、よくありがちなメールインタビューには終わらせたくない。


多くの先人が残したさまざまなファンジンを読みながら、頭の中ではどんどんと夢が肥大化していくばかり。
楽しすぎ。
明日は、早速1つ目のバンドにメールを送信予定。


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具現化 - 2004年10月01日(金)

11月中に出そうと思っているファンジンの構想をいろいろと練る。
とりあえず今のところ、タイトル、サイズ、大まかなページ割、特集、連載は決まった。
まだ、タイトルと特集は書けないが、A5サイズで20ページほどのものが出来そうだ。


レイアウトもいろいろと考えてみる。
ビジュアルで見せるというよりは、とことん文章で押すものにしたいため、『ユリイカ』や『形の文化誌』を参考にちょっと硬めのレイアウトにしてみる。
ちょっとプリントアウトしてみたら、意外と様になっていて感動。
でも、硬すぎない適度な明朝体のフォントがなくて、購入しなけばと痛感。


まだまだ他にも問題はある。
たとえば、CDのジャケットを載せるにはバンドの許可が必要なのかとか、もし有料にするのであればどのようにして他の人やお店に卸せばいいのかとか、未知のことがいっぱいいっぱい。


でも、それにしても、あれこれと試行錯誤しながらメモしていく過程が異常に楽しい。
自分で形になるものを作っていくのが、これほどまで楽しいとは思ってもいなかった。
まだまだ中身が何もないが、何とかしていいものを作り上げたい。


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ふりだしへ
ありしの君へ  未だ見ぬ君へ

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