笑う角に光りあれ...オレステス・デストラーデ

 

 

桜並木と白髭のような曇り空 - 2004年03月30日(火)

今日は告別式だった。


わんさか泣いたなぁ。


本当は、一緒に作ったベニヤ板の将棋盤も焼いて欲しかったんだけれど、汚いし、大きいしで、結局入れなかった。でも、生前おもちゃのようにかぶっていた海軍の帽子と杖は一緒に焼いたなぁ。


うちのじいさんは、戦時中、海軍の大尉として千島列島に行って、それから終戦までは館山で学徒出陣してきた人たちの教官をやっていたみたいだ。


だから出棺の直前、そんな海軍時代の教え子の人たちが「教官っ!」って言いながら敬礼していたのが印象的だった。僕らの視線から見れば前近代的なふるまいなわけだけれど、戦争から何年経ってもまったく風化しない思いを胸に生きている人も何人もいるわけで。一概に日本の旧体制を批判することはできないなと実感。


それにしても、早かったのか、遅かったのか。
まるで夢のような葬式だった。


そういえば、押井守イノセンスの特集が載っている『ユリイカ』最新号にはこんなことが書いてあったな。


「〈現実〉が〈現実〉であることを確認する手段として何があるのだろうと考えると、当たり前だと思っている〈現実〉を〈夢〉ではなく〈現実〉であると証明する手段はあるようでないのです。」




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最期 - 2004年03月26日(金)

早朝5時半に起床し、家を飛び出し、線香の匂いが充満する我が家に帰宅。


家族がひとり減りました。


遅かれ早かれこういう風な事実に直面するだろうと、心の準備は昨年同じように東京を飛び出した時にはすでにしていましたが、いざ直面してみるとなかなかヘヴィなものです。


そして、そういったヘヴィさはその魂の抜けた体を横から眺めているよりも、その所有者に取り残された数々の思い出の品、多くの親族、そしてこうやって文章化された言葉を見た方がより強烈なものになる気がします。


もう二度どかぶられることのなくなった帽子。
小学生の時に一緒に作ったベニヤ板の将棋盤。
家中に張り巡らされているバリアフリー設計。
茶碗、皿、箸。




いってらっしゃい。









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結果 - 2004年03月24日(水)

もうすぐ春休みが終わる。
明日は後期の成績が渡される日だ。

大学生という名のモラトリアムもあと3年。
別に将来に絶望しているわけではないが、日を追えば追うほど自分が負わなければならない責任が増してくる。

思えば昨年のまさに今日、僕は京都にやってきた。
深夜バスで京都駅にたどり着いた僕は、早朝のがらんとした構内を歩き、あまり人気のないマクドナルドに入った。
そして、この時温かいココアを飲んだ気がする。

荷物のまったくない部屋。
そして、段ボールで埋め尽くされた部屋。
初めての食事は、どうやらレトルトのハヤシライスだったようだ。

この一年間で自分がはたしてどれだけ成長したのか、何を獲たのか、自分自身のことでありながら、自分にはよくわからない。

僕は今、走っているのだろうか?
それともまだスタートラインにも立っていない?
みんなはもうゴールしたの?

自分が成長してきた結果を、たとえば大手企業への就職なんかで簡単に見出せる人はある意味幸せだろう。
なんかの賞をもらうとか、大きく評価されるだとか、そんなものも一緒だ。
それなら、自分自身もなんとなく嬉しいだろうし、第一あかの他人からも簡単に評価してもらえる。

でも、そんなあからさまに目に見えるものなんて、なかなか手に入らない。
それに、そんなものでしか人間は測れるものじゃないって思っている人も結構いるはずだ。

でも、もし自分自身がそんなものを一切もらえなかったなら、自分が一体なにをしたらいいのか路頭に迷うんじゃないかとも思う。



日記を読み返していたら、入学式を目前に控えた夜にこんなことを書いているのを見つけた。


「明日は入学式。
切実に人間関係を求めている自分にとっての最大の課題は、
如何にコミュニティーから距離をとるかということである。
勝手に群れてろ馬鹿共。」



この頃の自分は何を考えていたのだろう。


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深夜の中華 - 2004年03月21日(日)

今日は昼から夜中の12時までバイト。
そんでもって家に着いたのが1時半。
で、ただいまマーボー丼を食べ終わって午前3時。

こんな時間にあんな脂っこいもん食べてていんでしょうか。
体がまにょまにょしています。
壮絶に眠い!

あーあーあー!


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木陰を見つけひと休み - 2004年03月19日(金)

バイトが一段落。
ホッと一息、発泡酒を帰り道に買って、冷凍しておいた焼肉用の牛肉150gと一緒に食べた。

明日は大阪ではっちゃける予定。
もう地図はいらないだろうし。



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間と間 - 2004年03月17日(水)

異常に暖かい。
どうやら今日の京都は24℃もあったみたいだ。
年を追うごとに季節がどんどん前のめりになっている気がするにはするんだけれど、とりあえず馬鹿みたいに寒い京都の冬が終わってくれるようで今は嬉しい。
たぶん、これから6月ぐらいまでは天国のような気候が続くんだろうな。

そうそう、今日某バンドの人と連絡をとって、今度インタビューをとることになった。
インタビューというのは、誌面で見ている以上にスリリングで、インタビュアーの力量がもろに試させられるものだから、すごく難しい。
以前、音楽ライターの小野島大氏の講座を受けていた時にも1回やってみたんだけど、自分の聞きたいことと、そのインタビュー全体のリズムをうまく噛み合わせていくのにだいぶ苦労した。
ってか半壊だったな。

もちろん、そのバンドのことを引き出し、このHPを見て下さっている方に意味のあるものを届けるのが第一だけれど、自分のスキルを磨くためにも精一杯がんばりたい。




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メリア - 2004年03月16日(火)

どこもかしこも卒業シーズンってことで、僕のバイト先でも連日○○大学卒業パーティーなんかが開かれています。
料理は自分で食べたいものを取るビュッフェ形式で、人数は200人ぐらいから最高1600人ぐらい(今週木曜はコイツがくる)までさまざま。

まぁこういった大人数のパーティーは、残飯を整理し、食器を洗浄し、収納する僕らバイトにとってはかなりキツイ仕事なわけですが、そのかわり無数のおこぼれをちょうだいすることが可能なわけで、結構お腹いっぱいになって帰路につけたりするわけですよ。
地味に食費を浮かせるぜーと。

で、今日もそんな卒業パーティー(300名弱)があったんですが、何気なくその学校名を見たらビビりました。


「聖母女学院短期大学」


一体全体どこにそんな大学があるんだ、っていう基本的な疑問点は抜きにして、このいかにもインチキ麻雀ゲームなんかにでてきそうな名前はなんなんだとしばし反芻しました。
一応、あとで調べてみたら京都から電車で30分ぐらい南に下ったとこにある、名前のとおり幼稚園の先生なんかを多く輩出しているキリスト教系の大学だったんですが、なんだかなぁと。
何回見てもいかがわしい絵面しか思い浮かばない僕がバカなのか、それともこのセンスのない(いや、ある意味ある)名前がおかしいのか。
謎ですね。

たしか山口らへんにはザビエル高校っていうのもあったはず。






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忍び - 2004年03月15日(月)

一日中グダグダする。
結局顔も洗わなかった。

オリンピックに出るマラソンの選手が決まったみたいで、茶の間のワイドショーじゃえらいことになってるんだなぁと想像しつつ、ただひたすらグダグダと。

そうそう、今度友だちと伊賀上野にある忍者村に行こうということになった。
なんとなく関西一円の地図を見ていたら目にとまって、なんとなく行こうということになったから。
京都からは約2時間、往復2000円ぐらいで行けるみたい。
手裏剣が欲しいな。

八幡市にある男山っていうのも気になる。
岩清水八幡宮があるとこみたいだけれど、それ以前に名前が魅力的。

そうそう、岡山の方には宮本武蔵って駅があった。

なんかコタツをいれなくてもすごせる夜って不思議。

明日はガソリンを入れてからバイトに行かなくちゃ。




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明日と昨日 僕と君 希望と絶望 - 2004年03月13日(土)

最近、先日ジュンク堂で購入した現代思想3月号を読んでいる。
特集は「死刑を考える」。

最近では全く報道されていないみたいだが、先日行われたオウム麻原裁判をネット越しに眺めながら、自分の中では一体何が正しいのかよくわからない日々が続いていた。
それはただ単純に有罪or無罪であるとか、死刑or無期刑であるとかではなくて、なんだか得体のしれないもどかしさというか、生と死の境界についてのことだったような気がする。

境界に対する考えごとはずいぶん前から僕の中にある。

というか、境界とは何なのか、僕にはよくわからない。

世の中には科学的に証明できる境界線があって、また一方でグレーゾーンのようなどっちなんだかよくわからない部分も存在している。

でも、僕の中にはどうして物事が全て2つに割り切れないんだろうという心がずっとある。
なんか気持ち悪い。

そういえば、先日見た押井守監督の『イノセンス』は、人間とロボットの境界線を至極問い詰めた作品だった。





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音作り - 2004年03月07日(日)

自分が所属しているサークルの4回生追い出しコンサートなるものが明日、明後日とあるもんで、その準備に追われる。
今回はギターをやっているノイズバンドと、キーボードをやっているエレクトロニック・ハードコアバンドと、ドラムをやっているピクシーズ、ペイブメントのカバーバンドの3つがあるのに加えて、PAをやるためになおさら忙しい。

普段何気なくライブに行って、何気なくライブを鑑賞するわけだけれど、やっぱりその時の音の良し悪しってのは大きいものだと思う。
バンド側が真に鳴らしたいと思っている音を観客側に伝えるのがPAの役割であって、そこには大きな責任が伴っている。

しかし、実際自分がそんな立場に立ってみると、音作りの難しさに慌てふためく。
たとえば自分のお気に入りのCDを聴いて、こんな音のバランスがいいなぁとか、こんなスネアの音がかっこいいなぁなんて思うわけだけれど、実際それを自分の手でツマミをいじって作ろうするとなかなか難しいもんだ。
なかなか絶妙な音はでないし、第一こちらの設定を1回決定してもバンドの演奏は生ものなのだから随時変化していく。
まるでイタチごっごのようだ。

ステージ上からは常に沢山の音がこちらに向かって流れ続け、そしてその全ての音が重なるところにそのバンドの姿が浮かび上がってくる。
自分の作品を作る時にも、きっといいヒントになるはずだし、もっと勉強したい。



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インソムニア - 2004年03月03日(水)

バイト4連勤が終了。
ひゃーくたびれた。

最近なかなか寝付けなくて、眠りに落ちるのが大体4時頃になってしまう。
まだまだ春休みの最中だから大した支障はないのだけれども、こう布団の中でひたすらモヤモヤしているのはかなり苦痛だ。

変な夢も見る。
昨晩は、両親を射殺する夢だった。
不吉すぎる・・。




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