池ポエム
ハンス



 大したことじゃないさと君は笑った

 いつのことだったか。あれは、まだ利用できるものは何でも掻き集めて、必死に上を目指していたあの頃。

 「知ってるよ〜」
 意外な言葉に、一瞬耳を疑った。みのりは複雑な理由を口にしない。YesかNoか、明確な答えをくれるからいつでも手間が掛からなくいい。そのみのりが言うのだから、“知ってる”ということは“知ってる”以外の意味を持たない。
 「みのり、意味わかってる?」
 先刻、あまりに煮詰まってついみのりに言ってしまった言葉を思い返す。みのりは首を縦に振って、飴を口に放った。
 「知ってる」
 「誰の?」
 ライバルの情報は多い方がいい。それも、直接的な弱点よりも相手の事情や都合など、取り巻く諸々について調べるのは欠かせないこと。あちこちに顔を出したり、繋がりを作ったり、相手方に有利な条件を出して都合をつけたり。楽してると人には言われるけれど、卒業までにSランク入りできた功績は己の実力によるものだ。剣の腕を磨く、という方向に行かなかったのは単にそちらの方が得意だっただけ。
 みのりにはひたすら強くなってもらうことにした。
 「会長と静久」
 みのりの口が、他人の名を出すのはめったにないことだ。
 「ど、どんな?」
 声が上ずる。そこいらの剣待生ではない、いつか狙うべき二人の名前。のほほんと、みのりは飴を舐めている。
 「ん〜」
 あてにしてなかったところから、一撃必殺の爆弾が発掘できるかも知れない。書くものを用意する。ペンを握る手に力が入る。放課後の教室には他に誰もいない。
 「チューしてた、生徒会室で」
 誰もいなくて本当によかった。プチッ、と音を立てて折れた芯が行方不明になった。常に斜め後ろに控えている静久が、珍しくひつぎの正面に立って、二つの頭が重なる姿。
 夕景に颯爽と浮かぶ情景。頭の中で、それはあまりにも美化されて映った。
 「……見間違いじゃないの?」
 真偽はともかく、似合ってるなんて言ってやらない。死んでも。
 「あたし視力いーんだけどなー」
 2.5だかんなー、とみのりがぼやいた。
 「確認しようがないわ……」
 よってボツ、と。事務的に取ったメモに×をつけた。


 今でも、あれが本当だったか嘘だったか、確認できていない。
 あの頃よりもっと、知ることのできないところへ離れてしまった。正直に言うと、興味もあまりない。奇跡的に、みのりがあの時のことを覚えていて、逆に驚いてしまった。
 「お菓子の話でもないのに」
 「考えたんだけどさ〜」
 みのりは体を乗り出して、唇を舐める。
 口づけなんて格好良いものではなく、舐めるというのがふさわしい。格好良くなくても、想像の中の美しい二人と比べて滑稽でも、今はもう悔しくない。
 「あたしらも一緒だな〜」
 それが弱みとして誰かに握られて、追い落とされる?
 少し難しい顔をしたみのりの頬を掴んで、唇を寄せた。
 「もういいのよ。そういうことは」
 そうだ、もうどうでもいい。
 もし、彼女たちが同じ穴の狢なのだとしたら……次は天地を手にすることができる。甘い匂いに満ちた部屋の中で、全ての計算はすでに狂ってしまっているのだから。

2007年12月15日(土)



 いらっしゃいませ、狼さん

 食事を摂る姿を見て、ふいに口をついて出た。
 「神門さん」
 「ふぁ?」
 口に物が詰まっているせいか、いつもの反抗的な返事もどこか間が抜けて聞こえる。もごもごしながら睨まれてもちっとも怖くない。むしろ動物が懸命に食物を摂取しているようで、愛らしくさえある。
 「それ」
 白い皿に一つだけポツンと残っているプチトマトを指す。他はきれいに食べ尽くして、後は小さな赤い物だけが皿の上でやけに目立っていた。真正面に座っているひつぎには、それが気になって仕方ない。
 「頂いてもよろしいかしら?」
 「ダメだ」
 速攻、拒否。
 「どうして?」
 不機嫌な顔で、口の中の物を飲み込む。不思議そうな顔をしているひつぎを尻目に、ぶすりと容赦なく一撃。中から少しの汁が滲む。こうなってしまってはもう、横取りはできない。玲は口の端を上げると、意地悪くひつぎの目の前に掲げて見せて、次の瞬間トマトは口の中に消えていった。
 どうやら見込み違いだったらしい。
 「悪ィな、ひつぎ」
 全て平らげて、優雅にエプロンの端で口を拭いながら玲は真相を告白した。
 「あたしは好きなモンは最後まで取っておくタチなんだ」
 「そう」
 ひつぎはその正反対なので、玲の告白を聞いてそういう考えもあるのかとただ驚くしかない。まったく、困ったことに目の前の人物は同じ物を見ている癖に出す結論が違う。それがおもしろい。
 また一つ、興味深い生態を知って深く考え込む。だが、観察対象は意外な情報を付け加えた。
 「それは、お前に関しても同じだぜ」
 「……そう」
 周りの物を全て食べ尽くして、何もなくなった皿の上でひたすらポツンと待ちぼうけている状態。まさに今のひつぎの心の景色そのもの。意地悪なこの人の、お気に入りのやり方。
 「できるだけ早く食べに来て頂戴。わたくしはいつもまでも同じ場所で待っているとは限らないわ」
 トマトは転がりやすいけど、それ以上に立ち消えてしまいかねない我が身を鑑みてしまう。だからと言ってこちらの事情を玲に告げる気にはならなかった。
 何も知らないまま、ただ口に放り込むためだけに現れて欲しかった。

2007年12月08日(土)



 君のとこまではたどりつけないさ

 ちょっと連絡したいことがあった。ポケットから携帯を出して、登録してある番号を選んで、発信ボタンを押すだけ。番号すらいちいち押さなくていいもんね。文明の利器は便利だ。
 電話帳を開く度、ああそうか、と呟く。
 マ行、もしくはア行。いるはずの君はいない。
 「そりゃ、あたしのために、とは言わないけどさ」
 君のこと好きな人は、君が思ってるより大勢いるんだから。いくら言っても信じてくれないけど。君と話したい、ちょっと声が聞きたいなんて人は、この世の中に結構存在してるんだよ。無愛想で、暴力的で、引きこもりがちで。でも優しくて真っ直ぐな君のこと、好きな人は。
 寮にかけて、取り次いでもらえばそれで済むことではあった。それをするには、明確な用事が必要になるけど。
 「綾那の声、聞きたい」
 これ以上、重要で重大で切羽詰った用事が他にあるだろうか。
 いくら探してもいるはずのない名前。あきらめて携帯を閉じる。出先で思い出してしまった時は、こうするしかない。早く帰って直接伝えよう。待っててくれるだろうか。いや、同居人のことなんか忘却の彼方でゲームに興じているだろうな。
 それでもいい。帰ったら一番に伝えたいことがあるんだから。ドアを開ければ、そこに君がいるんだから。

2007年12月01日(土)
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