池ポエム
ハンス



 昼飯時の二人

 昼飯時に、そこを通りかかってしまったのが運の尽き。
 やたらごった返した生徒たちの塊。その隙間を縫って、玲は反対側を目指していた。別にここに用はないのだ。ただ、向こうの校舎へ向かう途中に、うっかりこの道を選んでしまっただけ。
 「ちょうど昼の鐘が鳴ったばっかじゃねーかよ」
 間の悪いことに。もっと他の道筋がいくらでもあったはず。やたら混む食堂前の道を、狭い思いをして潜り抜けていく。人波が縦に流れるところを横切っていくのは、思ったより疲れた。
 腹の減った人間の食べ物への集中力は凄まじい。特に、ここにいるのは育ち盛りばかりだから。
 決して背丈は低くない玲は、向こう側を目指してぐいぐいと進んでいく。黒い制服の中に白い制服が一つだけ混じった光景。この白服が、ここでの特別な地位と実力を示しているならモーセのごとく道がパカッと二手に割れてもいいものを。食欲VS権力では圧倒的に前者が勝つらしい。だとしたら、剣待生としてのトップよりも、食堂で働く人の方が今は優位なのだ。多分。
 「神門さん?」
 少し先に、白い制服が挟まっていた。間に黒を一つ挟んで、こちら側と向こう側に白。真ん中に挟まれた生徒は、珍しい白服同士の会話が自分越しに始まったのを聞いて、明らかに戸惑っている。いっそその生徒も白に引っくり返ってしまえばいい。
 くだらないことを考えていたら、もう静久は目の前まで来ていた。
 「逆走してますよね、さっきから」
 先に見つけたのは静久の方だったらしい。
 流されまいと、片手で玲の手を掴む。もう片方の手にはトレー。
 「つか、何普通に並んでんだよ、お前」
 仮にも、いや、れっきとした学園理事の補佐である静久が。ごく普通に、一般生剣待生入り混じっての昼飯争奪戦に参加しているとは。周りも、並んでいるのが誰なのかあまり気にしていない状況だから、誰も静久がそこにいることを驚いてはいないけど。
 静久は二三度瞬きをして、さも不思議そうに首を傾げた。
 「?いけませんか」
 「いや、いけないってことはねぇけど」
 どんな地位の人間だって腹は減る。玲は、静久の背後から230度ぐらいに渡ってある人物を探した。
 「ひつぎは?」
 「今日は会議があって学園内には戻られません」
 淀みなくスラスラと答える。つまりは、今日はまったくの単独行動。珍しい。馬の胴体と首が別々に歩いてきたら恐ろしいが、それに近い希少価値がある。早い話が、ひつぎがいないからこんなところで昼食を巡る戦いに身を投じているとも言える。
 どうでもいいけど、真後ろの生徒にハチマキの先がヒラヒラと掠めて若干迷惑そうだった。
 「あっ!こんなところで止まってると食べ損ねますよ」
 「ちょ、待て待て待て!!」
 列が前に向かって動き出す。
 玲はこの時、全体の流れに逆らうことは一個人の力では全く無理なのかもしれない、と思った。思いつつ、静久に引っ張られるままに前に進んだ。


 で、結局。
 目の前で、何の躊躇もなくご飯を食べ続けるハチマキの少女。何でか知らないけど、玲の前にも一人分の昼食がバーンと置かれている。無理やり並ばされて、なし崩しに配膳を受けた成果だ。
 「食べないんですか?」
 行儀がいいのでどこぞの米粒飛ばし罪で訴えられているチビと違って、静久は口の中の物を飲み込んでから玲に尋ねた。
 「先に人の話聞けよ……」
 「?」
 ぐったりとため息を吐く玲に心底不思議そうな顔をして、さらに静久は箸を進める。ぼやぼやしていた玲を引っ張ってご飯ゲットを手伝ってあげた。そう信じてやまない親切者に説明する気力が起きない。
 「お前って」
 渋々手をつけ始めた頃、静久はとっくに半分以上食べ終わっていた。
 「結構お節介だよな」
 ほうじ茶のいい香りがする。静久は持っていた湯のみを置いた。
 「そうですか?」
 「あぁ。割りとな」
 元々それほど急ぎの用だったわけでもない。静久と向かい合って食べる昼飯なんて早々機会はないだろう。何か食べてるところをそれほどじっくり見たことがなかったから、観察するのにちょうどいい。
 「神門さんて、意外と少食ですね」
 「そうか?」
 先に食べ終わった方はすることがない。静久を観察するつもりが、いつの間にか見られていてなんとなく気恥ずかしい。
 「そういうお前は、よく食うな」
 静久のご飯の量が1.5倍になっていることを、玲は見逃さなかった。
 「たくさん食べないと、大きくなれませんよ」
 「そういうのは、例のチビに言ってやれ」
 たくさん食べたからって、即大きさには繋がらない。玲の知り合いの小さいのもそうだし、静久自身もそうだ。馬力とは関係あるかもしれないが。
 「もしかしてお前……」
 涼しい顔して大食らいな友を見つめつつ、味噌汁を啜る。
 「でかくなりたいからたくさん食ってるとか?」
 ここだけの話、静久のことならなんでも知っているひつぎに聞いたことがあった。小さい、が静久にとってNGワードだと言うことを。
 解消するには、体格を変えるのが手っ取り早い。
 「子供の頃は、そうでした」
 喉に何か詰まったような、決まりの悪そうな顔。
 「やっぱな……」
 目に浮かぶ。とにかく頑張ってたくさん食べようとする子供の静久と、横でそれを見ていい笑顔になっているであろう子供のひつぎが。さすが、天然で人一人支える猛者。
 「そういや、みのりだってやたら食うけど全然でかくならねーしな」
 やや斜め上を二人揃って見上げた。同年の友人は、入学してきた時も小さかったが、今もまだ小さいの域を抜け出していない。食べる量と言えば、主にお菓子に限るが学年で大食い大会をやったら優勝候補に上がるレベルだ。
 しかし小さい。大きくならない。紅愛の側に常にちょこんと控えている。
 「でも、月島さんが大きくなったら何か寂しいですね」
 「うん……何か、な」
 こんなにも胸の隙間に風が吹きつけるような思いをするのは、冬のせいだろうか。どちらともなく黙り込む。お茶の温かさが染みる。
 「逆に、食わない方がでかくなるとか?」
 「そうでしょうか……」
 また、斜め上を見上げる。今度は、みのりの相方である紅愛の顔が出てきた。
 「いや、そうでもないか」
 紅愛は抜群に少食だし、背丈も小さい。体も軽い。
 「とにかくあいつは問題外だな。胸もねーし」
 「むっ!そ、それは関係ないのでは」
 静久が少し呆れたような顔をした。
 「どこ見てるんですか……」
 「あー、かと言って紅愛の胸が豊かになったら何か寂しいよなぁ」
 「……それは神門さん独特の感覚だと思います」

2006年12月24日(日)



 スピークイージー

 師匠も走る今年最後の月、12月。
 師匠でもないのに、その人は走っていた。なぜか12月に行われる学園祭と年の瀬が重なって、ただでさえこの学園の中枢は忙しい。学園の核の右腕であり、支え台であり、ツッコミ役であり、天然製造マシーンである彼女は……文字通り走っていた。

 今なら、あそこに行けば会えるはず。
 声をかけようにも、「ちょっと話が……」なら「ち」で、「おい待て」なら「お」。最初の一文字までしか言えてない。さっきも、「み」と言ったところで突風が玲の側を駆け抜けた。
 「あのバカ……」
 学園一高いところへと続く階段を、がしがし踏みしめる。出向いてやるのが悔しいし、あの場所へ行くといやでもその刃友のことを思い出すから。噴火しそうな心を押さえつけて、制服の胸元がくしゃくしゃになる。紗枝に見つかったら、またシワにして、と怒られるに違いない。
 今日は、星奪り以外で鐘に用がある、一年でも珍しい日。
 遥か高見から見下ろす学園の全景を前に、いつもと変わらぬ素振り。その景色を、必ず見せると誓った。たどり着くと決意した。奪い取って。全てを、今持つ者である貴方から、奪って。
 バケツ片手に、彼女は呑気に鼻歌。フンフンフーンと、軽快で、少し地声より高めの声。年の瀬だというのに、なんとも浮かれている。最近毎日忙しく過ごしているのに、疲れは微塵も感じられない。
 「ま、元々あいつは体力バカだしな」
 鐘の反対側の影でこそっとつぶやいたら、途端に歌が止まった。
 シーン。学園一高いところに、微妙な沈黙が下りる。しばらくして、カンカン、と控えめなノックが。金属だから、甲高い音。普段、拳で学園全体に轟く音を叩き出す人とは思えないほど、申し訳なさそうに。玲は黙って、同じようにノックを返す。
 こんなぎこちないコミュニケーションに、学園の象徴たる鐘を使っていていいんだろうか。いい加減、じれったいので顔を出してみた。大きな鐘を挟んで反対側に、玲とまったく同じような角度で顔を出している静久が。
 「よお」
 「み、神門さん!?いつからいたんですか」
 赤い顔で睨む静久の視線を避けて、頭を引っ込める。鼻歌絶好調のところからすでにいました、なんて言ったらタコみたいに赤くなって、逃げられかねないから。引っ込んでしまった玲を追いかけて静久が鐘の向こうから出てきたところを。
 「捕まえた」
 師走の君を、腕に感じる。真冬の風が二人を吹きつけた。
 「……離してください」
 逆回りから素早く回り込んで、捕まえた静久は大人しくなった。鼻歌を聴かれた恥ずかしさが徐々に鎮静化して、落ち着きを取り戻したようだ。静久は口で言うほど抵抗しない。このまま背負い投げされても文句は言えないのに、玲の腕を掴んで俯いている。
 「寒っ」
 こんな高い、壁のないところに立っていたらいくら若い静久でも風邪をひく。
 「コートぐらい着てこいよ」
 玲の背をヒヤリとする風が撫でる。静久より長身なのが、初めて役に立ったかもしれない。どうせ盾にはなれないのなら、こんなささいなことでも構わない。
 (つってもな、盾の盾ってなんなんだか)
 「この寒い中、ごくろうなこった」
 静久の手には雑巾が握られている。
 「一年間、お世話になったこの鐘にも感謝しなければ」
 生真面目に、はっきりと言い切る。
 学園の鐘の労をねぎらって、年の終わりには必ず鐘の守り人自らの手で清掃を行う。毎年そう。昨年までは、遠くから見ていた。風に吹かれ、一人高いところで、誰も寄せ付けず。丁寧に鐘を磨く彼女を見ていた。今年は、近づきたくなった。
 誰も貴方の側へ行かないのなら、それが禁忌のように感じられて。
 「なら、あたしも感謝しないとな」
 「そうですよ!」
 静久の声が弾んだ。この鐘を大事に思ってくれる賛同者が現れて、喜んでいるのだろう。玲は内心、苦笑した。腕に力を込める。今、後ろから抱きしめているこの自分が誰だか、わかっているだろうに。
 「神門さん、来年こそは会長のことは敬称をつけてお呼びしてくださいね」
 嬉しいついでに、無謀な要求をする。冷たすぎる風は皮膚を傷つける。真っ直ぐ過ぎる心と同様に。
 耳元に唇を寄せた。
 「あたしは紅愛と違って、お前らを否定はしねーよ」
 「神門、さん?」
 天地の意志、希望。戦いを見守る鐘は、目の前で起きている珍事に何を思うのか。
 「けど……ひつぎを肯定するわけにはいかない」
 寄り添っていたのが嘘のように、厳しく両腕が突き出される。いとも簡単に向きを変えて、玲は押されて一、二歩下がる。真剣な眼差し。静久が突き出した腕の分だけ、二人の間に距離ができた。この距離は埋まるはずがない。
 これ以上、近づいたら。お互いを守るためにきっと自分たちは傷つけあう。
 「掃除の邪魔して悪かったな」
 今年も最後まで、腕を下ろしてはくれなかった。予想はしていたけど、軽いとは言いがたい落胆が両肩を襲う。
 階段を半分ほど下りたところで、足音がした。
 最上段に静久が立っている。白い息が流れる。怒りではない、悲しいのでも嬉しいのでもない。眉をしかめて、頬を上気させて、彼女は叫んだ。
 「私を肯定してください!会長も含めて、私の全てを!!」
 開いた口が塞がらない。口の中が冷えていく。見透かしているのか、天然なのか。真正直はどんな策をも越える。
 今年最後の大暴投を受け損なって、玲は年末年始を抜け殻として過ごすはめになった。

2006年12月01日(金)
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