池ポエム
ハンス



 山猫の操り笛

 「みのりも案外食えねーけどな」
 玲が傍らの資料を持って、机に放った。
 「この前、生徒会室にあいつらが先に来てたんだよ」
 「あら、珍しい」
 そこで玲が見たものは、ちょっと想定外の光景だった。
 ガチャ、と無遠慮に戸を開ける。どうせ中にいるのはひつぎか、静久かそれか空気みたいな誰かさんだけだろうと思い、何も考えていなかった。そこに星河or月島がいるなんて選択肢は玲の頭にはなかった。
 「あ?」
 二つの結った髪と、小柄な体が玲に背を向けていた。
 「みのり?珍しーなお前が早く来るなん……」
 玲が入って来たというのに、こちらを見もしないで。みのりは上体をかがめて、何かを覗き込んでいた。
 玲が少し立ち位置をずらすと、確かにみのりの隣にもう一つ白服が見える。人懐っこいように見えて、あまり生徒会の他の人間に近づかないみのりがこんなことをする相手は一人しかいない。
 「おい」
 少し大きな声を出すと、すごい勢いでその場から離れた。よそ者を警戒するネコみたいだ。相手が玲だとわかると、鋭い牙をたちまち引っ込めた。
 「あたしだ、あたし。ンな怖えー顔するな」
 「……な〜んだ」
 なんだ、というのも随分な言い草だが、ここで口論を始めても仕方ない。相手はみのりだ。口が悪いのは今に始まったことじゃなかった。そうそう、みのりは、存外に口が悪い。これも、しばらく経ってからわかったこと。何せ、紅愛の相槌以外の発言は少ないものだから、最初のうちは気づかなかった。
 何も考えてなさそうな顔してるのに、人見知りなのか警戒心が強いのか。常に紅愛にくっついて、単品で生徒会の誰かと積極的に関わっている姿を見たことがない。
 (ま、単に無関心なだけかもしれねーけど)
 お菓子以外には無関心。そんな高校1年もどうかと思うが。
 表情はいつもの糸目に戻ったが、それ以上距離を詰めて来ない。なら、こっちから近づいてやろう。みのりは玲と、さっき顔を覗き込んでいた紅愛を交互に見る。紅愛は珍しくみのりを放って、一人眠っていた。伏していて顔は見えない。よほどのことがないと、人前で隙なんて見せない策士様が。みのりはさしずめ、眠り姫を守るために横に張り付いていたのか。
 (いや、そいつは違うな)
 ただ警護してるだけなら、あんなに慌てて離れる必要はない。玲に見つかって驚いた、そんな風情。何か人に見られたくないことをしていたに違いない。
 玲が紅愛の方にスタスタ歩み寄って行くと、すぐにみのりも駆け寄って来た。
 「別に何もしねーよ」
 「紅愛に言われてんだ。玲が来たら近づけんなって」
 「ひでー言われようだな……」
 一時的とはいえ生徒会の同僚だというのに、嫌われたものだ。番犬は忠実に主人に寄り添った。ちょっかいを出すと本当に噛み付かれそうだったので、その時はそれっきり。
 缶の残りを一気に飲み干した。
 「みのりがねぇ」
 話が終わると、紗枝は一つため息をついた。信じるか、信じないかはご自由に。
 「あの子も、よく考えたら私たちと同い年だものね」
 よく考えないとその事実を忘れてしまいそうになるところが問題だ。紗枝はあっさりと玲の話に納得したようだった。てっきり否定されるかと思ったのに。
 「紅愛は知ってんのかな」
 相方の心の底に潜む、ある感情を。
 「あぁ。気づいてもいないでしょ、紅愛のことだから」
 「んじゃあ、あいつはみのりが何で楔束してると思ってんだ?」
 前に、みのり本人の口から「お菓子くれるから」と聞いたけど。まさか、それをまんま受け取ってるのだろうか。大体、星奪りして賞金が出るなら、誰と組んでたってお菓子は買えるだろう。紅愛がそこに気づいてないとは思えない。
 「それが恐ろしいことに、本気でわかってないみたい」
 「げっ」
 星河さんよ、アンタ知恵が売り物なんだろ?
 一番近くにいる人間の、気持ちすらわかってなくて、何ができるっていうんだい?
 「みのり自身も、どこまでわかってるかわからないしね」
 紗枝はぽつりと言った。全くの他人事なのに、こういうことに一番聡いのは紗枝だった。他人の気持ちまで推し量る彼女に、玲は常々感心している。
 「ところであたしらは何でよその刃友の心配してんだ?」
 「さぁ」
 そんな暇はないはずなのに。玲が立ち上がると、この話はお開きになった。みのりが誰をどう思っていようと、紅愛が鈍かろうと、知ったことではない。


 案外、星奪りの勝負の行方は刃友同士の絆に懸かっているのかもしれない。
 グラウンドを走りながら、何やら青春模様な会話を交わしている二人を見て、玲は思ったのだった。今日は夕日が目に染みる。
 「私たちは」
 「あ?」
 肩を並べて見届けていた紗枝が独り言のように言っていた。
 「気づいてないことなんか、何もないわよね」
 そう願いたい。玲は口には出さずに答えた。すぐ隣にいる人間でも、他人ならその胸の底は深くて見えない。覗き込んで、手を滑らせてハマりこむのも恐ろしい。
 「どうってことねーさ」
 バテてスッ転んだ紅愛を指しながら、玲は笑って見せた。
 「遅くっても気づきゃいーんだ」
 終わりまでに。

2006年07月31日(月)



 手が出せないお題・02「その時、君は」

 1000文字越えてしまって、ヤフーの裏日記で弾かれてしまったので、突発的にここに置きます。
 (今回の更新はナイショにしてください)




 ゆっくりと伸ばした腕の先に、少し口付けをした。彼女が少しだけ反応を見せたのが、意外だった。今日は湿気も少なく、ほどよい乾燥が心地よい。気候がいいと、体の調子も良いのだろうか。雨の夜は古傷が傷む、なんてハードボイルド物の主人公が口にしていたのを思い出した。古傷というなら、彼女の全身は古傷そのもの。それが傷むだなんて、一体どれほどの痛みなのか、味わったことがない者には一生想像もつかない。
 指先の、わずかな感触さえ感じ取ることができる。嬉しくなって、二度三度と繰り返した。その度に、微かに手が震えていた。些細なことは押し隠すのが上手い彼女のこと。素直な反応は珍しい。それだけ久々の身体感覚に戸惑っているらしい。決して性急でなく、ゆっくりと、指一本一本を愛撫するように口に含んだ。
 全ての指に愛を告げ終わると、甲に再びキスをする。
 目線を上げると、闇の中でも純度の高い輝きを秘めた瞳がこちらを見ていた。彼女の目は、それでいいと言っているようで。貴方の体調が良いことが、私は嬉しい。目だけでそれを感じ取ってくれたのか、潤いを帯びた瞳が柔らかく降り注ぐ。
 襟を大きく広げた。
 彼女の体を暴く。その下を、白日の下に曝す権限は誰にもない。だからこうして、真夜中の、権限などという堅い言葉が効力を無くした隙を狙って、手を掛ける。狼藉者。世界に一人、許された狼藉者。
 衣類の下を知ることは誰にもできない。してはいけない。常に側にいて、彼女を守る。その秘密から。その特殊性から。その過去から。
 その、悲しみから。
 拭い去るなら、涙まで。
 白い肌を侵す恐ろしい傷跡に、頬を寄せる。その時、彼女の瞳は凍る。完治はしている。だが傷跡は永遠に残る。傷も、何もない肌も、丁寧に手で触れていく。分け隔てはない。それが彼女なら、全ては愛する対象でしかない。
 きれいごとだと人は言えばいい。
 決意を知らぬ者は、軽く見ればいい。
 傷が、紅潮している。根本に大きく植わる、諸悪の根源のように、紅黒く。彼女の手が、それを覆い隠した。昂ぶっている時にのみ、蠢くその部分を。何年経っても、その様相には慣れない。たとえ自分の体の一部でも。消え去らぬ悪夢を思い起こさせる。抱き合うこの瞬間に。
 無理して手をどかしたりはしなかった。代わりに、きつく目を閉じた彼女の背を、ゆっくりとさすった。


 そうして陽が昇ると、全ては隠されて、一日が始まる。

2006年07月28日(金)



 その日、世界を見下ろして

 先日、自室の机の引き出しを整理していたら懐かしいものを発見した。
 「これ……」
 日に当たらないように、引き出しの奥深くにしまいこんでいたから、封筒は白いままだった。中には、やはりあまり経年変化が見られない便箋が一枚。丁寧に折りたたんで、わざわざ蝋で封がされている。形だけ見ると、完璧な大人の手紙以外何物でもない。が、裏返して見ると。
 自然、笑みがこぼれる。
 「私の名前、ひらがなだ……」
 9つの子供にしては達筆だけど、全てひらがな。宮本静久、は画数も多いし、特に静の字が複雑。友達からもらう手紙の宛名が、全て漢字になったのはいくつの頃だったか。封筒には、みやもとしずくさまへ、と黒インクで書かれていた。エンピツにしなかったのは、格好にこだわったからだろう。形にこだわるところは、今も昔も変わらない。
 「あまちひつぎより、か」
 今から8年前。


 朝目覚めたら、枕元にこの手紙が置かれていた。その日も、いつもみたいに天地邸に泊まっていたから、静久が起きる前にこっそり置いたに違いない。宛名を見て静久はワクワクした。こんな手のこんだ手紙だから、中身はきっと楽しいことだ。手紙を読んで、顔を洗って、早速当の本人を探し回る。手紙をいつ頃置いて行ったかわからないけど、急げばまだ屋敷内にいると思ったからだ。
 ところが。市原さんに聞いても、朝から一度も姿を見かけないと言う。もちろん自室にはいない。手紙の指定の場所に、すでに向かっているのだろう。一応行き先を告げて屋敷を出たら、後ろからどうかお嬢様を連れ帰ってください、とお願いが飛んできた。
 おかげで、朝から晩まである場所を目指して登山するはめになった。その頃はまだ子供だったから、その山は散歩感覚で気軽に登れるようなものじゃなくて。何度か休憩しながら、てっぺんについた頃には夕方になっていた。
 地平線の向こうに、真っ赤な太陽が沈んでいくのが見えた。
 「ひつぎさーん!」
 時間はかかったけど、ここが約束の場所。夕方までに、来てほしい。ただそれだけが書かれていた。ギリギリ間に合ったのか、遅かったのか。息を切らしつつ、ひつぎの名を呼んだ。見渡す限りには、人影は見えない。入れ違いで山を下りてしまったのかもしれない。静久は息を吐いた。折角の、ひつぎの誘いにうまく乗れなくて、悔しい。今日の太陽は、とびきり赤く大きい。目に染みて、オレンジの涙がこぼれそうになった。
 「静久っ!」
 「えっ」
 山の頂上の……一番大きな木の上で。
 「こっちだよ」
 太くて大きな幹が、空に向かって伸びていた。限りなく木の頭に近い場所で、誰かが手を振っている。その辺りの土地で、多分一番天に近い場所で。静久はすぐさま幹に飛びついた。そんな大きな木に登ったことはなかったけど、先日崖だって上れたから。その先にあの人が待っているなら、どこだって行けると思った。今も、それは変わらない。
 「ちょうどピッタリだよ」
 ひつぎの座っている枝にようやく手が届いて、腕を引っ張り上げてくれた。上半身だけ枝にたどり着く。
 枝の上でひつぎは真っ直ぐ前を指さした。
 「ちょうど?」
 一面が、夕焼けのオレンジ色に覆われていた。
 雲が空を薄く張っていて、裂け目から徐々に陽の光があふれてくる。次第に広がって、雲を破り、空は太陽に染まる。
 ひつぎは天に近い場所で、太陽の色に包まれていた。
 「すごい……」
 静久のつぶやきが聞こえたのか、振り返ったひつぎは満面の笑み。その後、慌てて山を下りた。すぐに訪れる薄宵闇の中、手を引かれながら。


 あれは、出会って最初の誕生日だった。
 その日見た景色と、その景色を見ていたひつぎの姿は今でも忘れられない。
 「ひつぎさんの見てたものは」
 目に映るのは、一面の空だったろうけど、その先には。同じものを見たいと思った。同じものを見ていれば、近づけると思った。
 静久は丁寧に手紙を畳んで、再び引き出しの奥にしまう。
 彼女の見ているものは、そんなちっぽけなものじゃないんだろう。
 家に着いた時にはすっかり暗くなっていて、案の定二人そろって叱られた。お説教の間に、ちらっと静久を見ていたずらっぽく笑う瞳があった。

2006年07月26日(水)



 もっさんの幸せを本気出して考えてみて間違えた

 静久がそろそろ寝ようかな、と自室に戻ると先客がいた。なぜか電気もつけずにひつぎの姿が。不思議に思いつつも、珍しい様子のひつぎを無碍にする理由など静久にあるはずもない。
 ひつぎは、静久のベッドに腰かけ、隣に座るように促した。何も疑問に思わず、電気をつけぬままひつぎの横に座る。曖昧な素振りなど普段はあまりしないひつぎにしては、どこか行動に焦点が合わない。ただじっと、暗がりで顔を見つめられて静久は内心穏やかでない。
 「あまりじっと見ないでください……」
 「ふふ。静久は可愛いから、つい見とれてしまったわ」
 ひつぎは、どこの貴公子ですか、的な口説き文句を真顔で吐いた。日本人離れした風貌のせいで、不思議と様になる。唇にそっと触れて、そのまま後ろへ押し倒される。ひつぎに上に乗られて、始めてそういう意味なことに気づいた。鈍い人が一人。もう一度口づけ。離れて、ひつぎは熱い眼差しで静久を見つめる。蠍座女の本気アイを至近距離で食らってポーッとなった。汽車みたいだ。
 「ひ、ひつぎさん」
 真っ赤になって固まる。
 「静久」
 「あの、わたし」
 「できればアナタとわたくしの気持ちが同じであるとこを、今は望むのだけれど」
 もし、そうでなくても。
 受け入れてほしい。いかなる時も自信に満ち、熱があってもサンバカーニバルなひつぎの瞳が不安に潤んでいる。超貴重ショットに驚きつつも、驚くのはそこだけではない。
 ひつぎの首に、静久の腕が回される。肩口に顔を埋め、耳元にこの世で一番愛らしい声が。
 「私も、同じです」
 アナタと。それを聞いて、ひつぎは小さく息を吐いた。拒絶されるのが恐かった。弱みを見せないひつぎの、意外なほど臆病な本音。
 静久は会長の髪を優しく撫でて、ふと大事なことに気づいた。
 「あの……」
 肩口から顔を離して、心配そうにひつぎの顔を覗き込む。やはりいざとなると心の準備が、等々のセリフが飛び出すのかと思いきや。
 「わ、私はそういうの……よく知らなくて。具体的には何をするんですか??」
 清純派もいいとこなセリフだった。真顔だったひつぎはぶはっと噴き出した。
 「どうして笑うんですかっ」
 「フフフ、だって静久ったら、何をするかもわからないのにOKするんですもの」
 もしこれからすることが、とんでもなく奇妙なことだったらどうするのか。勢いとノリで突き進むいつもの刃友らしさに緊張が緩む。
 「そうね。静久はまだ子供だから」
 知らなくて当然。静久はまだ小さいから、と幼い日に言った口調と同じ。静久も聞いてて似通ってると思ったのか、昔と同じく憤慨した。
 「ひつぎさんっ」
 そのまま勢いで、反対方向にひつぎを押し倒す。勢いだけで、唇に触れてすぐ離れて、真っ赤な真顔でひつぎを見下ろした。
 「もう子供じゃありませんよ、私だって」
 その幼いキスで大人だと証明したかったようだが、健気で純なところが際立つだけだった。ひつぎは右腕を伸ばして懸命な表情の静久の頬に当てた。
 「静久」
 「……はい」
 「こういう時は、もっと優しくするものよ」
 ひつぎの手に導かれて、今度はゆっくりと唇に下りていく。合わせただけで静久はピクリと反応した。しばらくして、静久の首の後ろにひつぎの指が這う。それを合図に、唇からお互いのものを差し入れる。
 「ん……」
 初めての他人の舌の感触に、声が漏れる。
 左腕が静久の背に回り、きつく抱き寄せられた。

……

 「ンだよ、このベタな初夜は」
 玲は紗枝の書きかけ原稿を手に取って、一気に出来上がっているところまで読んだ。隣で紗枝は続きを書くためにペンを走らせる。玲のつまらなそうな感想を耳にして、紗枝は手を止めてペンでこめかみを軽く押した。
 「王道を狙ってみたんだけどね」
 この二人だから、と。
 「まぁ宮本だからしょうがねーか」
 「でしょ。あんまり変化球でもかえって不自然というか……」
 「ちょっと待ってくださいっ!!」
 テーブルで仲良く語り合う刃友の正面から、抗議が上がる。二人は同時に正面の人物に目を向けた。真っ赤になって、原稿を持つ手がぶるぶるしている。頭から煙を噴きそうな形相で玲に叫んだ。
 「なんですかコレは!?」
 静久の懸命の抗議を受けて、傍らの作者に視線を送る。
 「だってさ、紗枝」
 「あら、気に入ってもらえた?」
 「き、気に入るも何も、この二人……何で私と会長の名前なんですか」
 文中では確かに、『静久』と『ひつぎ』なる人物が色んなコトを繰り広げている。決して気に入ってはいないだろうが、紗枝は気にせず続ける。
 「日頃お世話になってる静久には、ぜひ私と玲からプレゼントを贈りたいと思って」
 当人が主人公の小説なんてどうだろうか。それも、ちょっといかがわしいやつ。
 「紗枝はホント頭いーな」
 相方からこの提案を聞かされた時、玲は喝采を送った。ちょっと黒い笑顔で。
 「つーわけだ。宮本、エンリョなく受け取れ」
 「いりません!」
 即答だった。玲と紗枝の友を思う気持ちは、理解されないらしい。発露の仕方に問題があるのだけど。
 「それに、どうしてここのセリフ、祈さんが知ってるんですか!?」
 ここ。静久が指しているのは『静久はまだ小さいから、と幼い日に言った口調と同じ。静久も聞いてて似通ってると思ったのか、昔と同じく憤慨した。』の部分。読者の皆さんは回想シーンという形でばっちり目撃しているが、同じ世界の住人であるはずの紗枝が伺い知ることはどうしたってできないはず。
 「だって、私ちゃんと毎月読んでるもの」
 「何を!?」
 もう世界観が混迷を極めてきて、静久もぐったりと脱力した。
 「とりあえず……」
 テーブルの上に勢いで放り投げてしまった原稿が散らばる。静久は一枚ずつ集めて、全て揃ったことを確認するとセクハラ夫婦に向かって宣言した。
 「これは没収します」
 「いらないんじゃなかったのかよ」
 「どうせこれ、会長にも見せるつもりですよね」
 こんなものを、敬愛するあの人に見せるわけにはいかない。問題の束を、しっかりと両腕で抱え込む。玲が適当に腕を伸ばして来て、その手をべちっと振り払った。
 「そりゃー、モデルになった人間には一言断りを入れとかねーとな」
 「肖像権侵害になっちゃうものねぇ」
 「すでになってます」
 断りを気にする気遣いがあるのなら、書く前に言ってほしい。さっさと退散しようとする静久の背に、玲の声がかかる。
 「そーかそーか。後で一人でゆっくり楽しむつもりなんだな、お前は」
 振り返らなくってもわかる。今、最高にニヤニヤしてるに違いない。
 「ダメよ、玲。そういう野暮なツッコミしちゃ」
 一見、まともなようでより一層の問題発言が援護射撃のようにかぶさる。そこまで言われて、黙って立ち去れるはずもない。穏やかなようで、案外気が短い静久としては導火線に火はつきかけている。
 「二人とも、いい加減に……」
 「静久、どうしたの。そんなに大きな声を出して」
 あんたに言われたくない、と全員の思いと視線が一致した。小説の主人公にされたもう一人の人物が、素早く室内に歩み入る。反射的に、原稿を背に回して隠す。
 「な、なんでもないんですよ」
 背丈が5センチも違うから、勘のいいひつぎは静久の背を覗き込んでいた。
 「聞いてくれよ、ひつぎ。ついに紗枝の文学的才能が……」
 「わぁーーー!!」
 「あら? 祈さんにそんな特技があったとは、知らなかったわ」
 「読んでいただけます?」
 「もちろんです。優れた才能を見落とすことは学園の損失につながります」
 「さっすが。話がわかるぜ」
 「ダメです!!」
 「あ、こら宮本」
 「見事なパスカットね、静久。さすがわたくしの刃友」
 「ていうか、そのまま窓から飛び降りようとしてますけど」
 「有害図書は焼却します!」
 「うわー、待て待て。いくらお前でも死ぬぞ!」

 ……祈紗枝の処女作はこうして灰の彼方に葬り去られ、天地学園は貴重な才能を失うこととなった。しかし、天地学園出版部のどこかに、今でも件のひ●ぎ×静●小説は眠っているという。

おわれ

2006年07月18日(火)



 こんな夢の話

 今まで見た中で、一番怖い夢は何?

 誰が言い出したのか、話題はいつの間にかそんなものになっていた。
 窓枠に腰掛けて、玲は外を眺めている。後ろから3人があーだこーだ言っているのが聞こえる。
 「夢、ねぇ」
 なんとなく、目を瞑ってみた。夢。目を覚ました時には忘れてしまっていることが多い。とりわけ印象的なもの、と言われても玲には人に語っておもしろい夢を見たことはあまりなかった。何か印象的なものはないか、と記憶を探っているとふいに身体が外側に向かってぐらりと傾いた。
 「うおっ!」
 ここは3階。外側に落ちれば剣待生とはいえただでは済まない。こんなことをするのは、一人しかいない。玲が目を開けると、紗枝が涼しい顔して立っていた。
 「あっぶねーな……シャレになんねーぞ」
 「そんなとこで目閉じてると落っこちるわよ」
 「お前が率先して落としてんじゃねーか!」
 危険な行動に出た割に、どこか楽しそうである。玲は紗枝の顔をじっと見た。さっきからの会話を右から左へ流していたせいで、紗枝の怖い夢の話はまるで聞いちゃいない。
 (紗枝には怖い夢なんてねーンだろうな)
 現実に対して、ほぼ無敵。玲の知りうる紗枝の姿。それは夢の中でだって変わらないだろうから。


 「んーとねー、お菓子が目の前にあるんだけど、ぜってー手が届かないんだよね〜」
 障害物は何もないのに。空気の壁があってもどかしく、もがいていももがいても掴めない。じたばたして、力いっぱい拳を叩き込んで、ウーと唸っていると向こうから見覚えのある指先が差し出された。
 「そんで、あたしの口に入れてくれんの」
 「へー」
 紗枝が非常に平たい表情でみのりの話に耳を傾けている。そもそも、これは怖い夢というジャンル分けで正しいのだろうか。みのりにとっては、怖いというより残念な夢である。しかも最後は、食べさせてもらえるんだから、結局は幸せな夢。
 「その指はマニキュアがきれいに塗ってあったんだ?」
 紗枝が頬杖ついて暇そうにしている紅愛をちらりと見ながら、みのりに尋ねた。
 「うん!」
 もうその人物の正体は十中八九わかったも同然。みのりが能天気に元気よくお返事したのを聞いても、紅愛はノーリアクション。注意深く観察すると、ほんの一瞬だけ紗枝と目が合った。少しだけ頬が赤い。
 (孫悟空を岩から解放してくれた三蔵法師、か)
 指先のきれいな三蔵法師。いつだって、力だけでは得られない何かをくれる人。


 物理的な感覚は、夢の中ではどこまで有効か。
 いや、そんな話題を振るつもりはさらさらなかったのに。お菓子を食べた夢の話をして、早速食欲が湧いたのかみのりが側まで寄って来た。人のこと、売店か何かと勘違いしているらしい。紅愛に手持ちがなくてもあっても、とにかく寄るだけで安心するのだそうだ。
 「紅愛は〜?」
 「え?」
 みのりが顎をテーブルに乗せて、下から顔を覗き込んでくる。
 「夢〜」
 そういえば話題はお菓子じゃなくて、夢だった。
 「あんまり覚えてないほうね」
 正直な話だった。目覚めた時に、何か悲しい気持ちが胸を満たしていても、数秒で余韻が冷めていく。一体何がそんなに悲しかったのか、さっぱり思い出せない。みのりのように、鮮明に思い出せるほど内容に執着のある夢はない。
 「紅愛、こないだクルクル回った夢」
 みのりが指先をくるくると回す。思い出したくないことが頭をよぎる。確かにみのりには、衝撃のあまり内容を話したが蒸し返されたくはなかった。案の定、
 「?この間の」
 「おー、ついに夢にまで見たか。ご愁傷さま」
 がっちりハメてくれた張本人ズが身を乗り出す。
 「……誰のせいよ、この極悪夫婦」
 「夫婦言うな。で、夢ン中でもちゃんと目は回んのか?」
 極悪夫婦・夫が興味津々に身体をこちらに向けた。不安定な場所に座っているから、いっそそのまま向こう側に落ちろ、と呪ってみる。
 「回るわよ。もういやってくらい」
 「コーヒーカップみたいな感じ?」
 思えば実際身体に何か変化が起きているわけでもないのに、目が回っている気がするというのも不思議なものだ。
 「そういえば夢でも落ちてく感じとか、ちゃんとするわね」
 「刺さると痛いしね〜」
 「おっ、そうだ」
 極悪夫が、何か思いついたのか頭の上で組んでいた腕を下ろす。それまで、聞いてるような聞いてないような態度でいたのに、発言する気になったらしい。玲はそのまま、さらりと言った。
 「ギロチンの刑になる夢って見たことあるか?」


 もうこれから先はない。断頭台に連れていかれて、抵抗する気力も失って、係の者の誘導に素直に従って、装置に頭を固定された。上は向けないから、巨大な中華包丁みたいな刃は見ることができない。執行役が紐を引いて、すとんと落ちたら。
 夢はいつも、ギリギリのところで終わる。自分の夢なのに続きが気になった。あの後。何があの場に残った?
 考えて、それはおかしいと気づいた。夢の切れ目と同じく、夢の中の自分の意識も途切れておしまい。その先には何もない。その後のことを認識することは、できない。左胸に手を当てた。ドキドキと、奥の方から鼓動が響いた。

 「こわっ」
 怖い夢の話、を始めてから初めて怖いという言葉が参加者の口からこぼれた。
 「そうそう。怖い夢の話をしてたのよね」
 「怖いってゆーか、危ないんじゃないの?玲」
 紅愛があきれた顔をしている。
 「そういう時って何を思うのかしらね」
 最期に。
 「さぁな」
 「玲は?」
 この世からおさらばする、それも一瞬で。断頭台の王様は、最期に悔いるのか、恨むのか、嘆くのか、混乱するのか、呆然とするのか。
 窓の外に目をやった。
 「さぁ」
 それに近い気持ちは、少し想像がついた。


 怖い夢の話、はそれからどんどん逸れて、夕暮れが迫る頃お開きになった。部屋にはもう二人だけ。玲は帰る仕度もせず、同じ場所に。人影がして、誰かが近づいてきた。わかったけれど、知らんふりをした。
 頭部を優しく抱えられた。左耳が柔らかい。
 紗枝は、言い聞かせた。
 「玲が死刑囚だったこと、今まで一度だってないでしょ」
 断頭台の革命家は、大勢の前で敗北を思い知らされ、さらされるのだ。
 「大丈夫」
 頭部を抱く力が強くなる。
 「玲がもし捕まる時は、ちゃんと私が」
 でもその後に、紗枝はどうするの。
 この素朴な疑問は、決して口には出さなかった。

2006年07月10日(月)



 少しでいいのさ

 真夏の太陽に照らされて、静久は汗を拭う。額のハチマキはこんな季節は汗が流れ落ちるのを防いでくれる。やはり、精神的な面以上に、装備には実用性が伴っていなければ。
 生徒会室へ向かう途中、風景に黒いシャツを着た人物が映りこんでいた。
 真夏に黒シャツは、太陽の光を集めていかにも暑そうだ。見ているだけで暑い。よくよく顔を見たら、その暑そうな人物は知り合い。
 「今日も暑いですね」
 「……」
 黙って振り返った彼女は、不機嫌そうな顔。
 「お前なぁ、ご近所同士のあいさつじゃねーんだから」
 「?」
 「ま、いいや」
 静久の歩みに合わせて、後ろからふらりとついて来る。まるで道端で出会った野良猫が、気まぐれに後をつけてきているみたい。機嫌が悪いわけではないらしい。学内の人影は少なく、夏期休暇中に制服を着ている者はもっと少ない。静久の白い制服は、ほぼオンリーワン。希少価値が高い。
 『暑くないか(ですか)?』
 ほぼ同時。お互いの指が、着ている物を指している。
 「え? 神門さんの方が暑そうですよ」
 「お前こそ、さっきから光が反射してまぶしーんだよ」
 光。強い日差しを見事に照り返して、本人はともかく周囲の人間に被害が及んでいるらしかった。生徒会役員専用制服の、意外な攻撃方法。玲は目をしかめている。
 いつもは白い玲が、黒服を着ていると迫力が増している。じっと見つめられて、静久は少し気後れした。
 「白は膨張色なんだよな」
 「あ。逆に黒って引き締まって見えるんですよね」
 玲がすっと真横に寄ってきた。そのまま手を静久の頭の高さに合わせてかざした。
 「小さいんだな、意外と」
 玲の頭の方が、わずかに上に位置していた。
 「ち、小さくないですよ!」
 思わず声もでかくなる。小さい。NGワードも甚だしい。静久の中の、NGワードランキング10位以内に入っている。
 「……急にでかい声出すなよ」
 「でも、小さくはないです」
 昔々、初対面でそう言い放った人は、今でもやっぱり静久より大きいまま。あれから月日は流れ、背もそれなりに伸びたというのに。今度は、ライバル同然の玲に言われてついムキにもなる。
 「あ、ほら。背筋を伸ばせば神門さんとほとんど変わりませんよ」
 実は目一杯、限界以上に背筋をフル活用しているのだけど。顔だけ平気な顔して、びしっと固まる。視線は確かに、同じぐらいと言えないこともない。必死な静久の様子に、玲は何とも変な表情になった。
 「じゃあ、きっちり比べてみるか?」
 「え?」
 背筋を伸ばして固まっている静久の背後に、玲が回りこむ。そのままでいろよ、と背中からぼそっと声がした。背中に、玲の背中が合わさる。
 「??」
 背中合わせ体勢に何の意味があるのか、静久が振り返りかけると、動くなと言われた。
 「背ェ伸ばしてろ」
 玲も、姿勢を正したのが感触でわかる。再び手が頭に当たる。
 「やっぱり、1センチぐらいあたしの方が高いな」
 「1センチ……」
 玲の背中が熱い。体温が伝わってくる。こんなに接近したことはないし、することもないだろう。仕合いで間合いを詰める時以外は。
 思ったより長く感じた瞬間はすぐに終わって、背中がふっと涼しくなる。
 「あ、悪ィ」
 離れてすぐに、玲が頭を掻いて気まずそうに言った。この暑いのに、背中をくっつけたりしたから。ばさっ、と大きくシャツを振る。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ白い肌が垣間見えた。
 「やっぱり黒はあっちーな」
 この時期、誰だって汗が滲む。
 自分の白い制服の背に、静久はそっと触れた。うっすらと湿っている。それはどちらの汗だったか。太陽のせいか、心臓の鼓動が大きくなる。
 「宮本、牛乳飲め、ぎゅうにゅう」
 ぼーっとしていた静久の後頭部に、ポンとぞんざいな一発が当たった。



 ミカどん×もっさん……とこれは言い切れるのかどうか。ミカどんはもっさんより背がちょっとだけ高いのがいいな、という願望を込めて。ミカどんよか、いのりんの方が背が高そうだよなぁ。もっさんの背が綾那や順とそう変わらないところが微妙に可愛い。

 聖さま、リクありがとうございました。

2006年07月03日(月)
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