 |
 |
■■■
■■
■ 流した汗は
いつもと違って首元をさらしている彼女の背後にそーっと近づく。ちょうど髪を洗っているところだから頭を下げていて、背後から忍び寄る紅愛には気づいていない。頭から湯でもかけてやろうと汲んできたのだけど、少し趣向を変えてみることにした。 勢いよく吹き出すシャワーを確認すると、蛇口のレバーを赤い方から青い方へ一気に傾ける。 「うおっ! つめてー!!」 ガタンと座っていた椅子ごと後ろへ後ずさり。弾かれたように頭が上がった。目の前の鏡に犯人はばっちり映っている。玲が首だけ後ろに向けて、割合凶悪な目で睨んだ。 「お前なぁぁぁぁ!!」 いつもの跳ねっ毛が全体的にぺしゃんこになっている。なんだか迫力が3割減といったところ。彼女のファンがこんなところを見たら、さしずめ水もしたたるいい男などと言い出しかねない。 「……心臓麻痺でも起こしたらどーしてくれんだよ」 責任取れよ、とかブツブツ言いながらシャワーを止める。 「そんなことになったらとりあえず笑えるわね」 「笑い事かよっ!!」 笑い事である。白服最強の神門玲が心臓麻痺って。そりゃあ人間だからいくら鍛えてもありうるけれど。それにしたってあまりにもイメージに程遠い。そんなことでこの人が目の前からいなくなるなんてパターンは考えもしない。彼女がいなくなる時は、頂点を奪り損ねた時だけだ。何しろその執念深さときたら、前に聞かされただけで紅愛は胃がもたれた。 「このくらいで済むんだから感謝しなさいよ」 昼間の星奪り。策略と情報操作にかけては自信を持っていた紅愛を、ずっとずっと前からハメていたとんでもないタヌキがいた。単純馬鹿だと思っていたら。人のよさそうな顔をしているくせに。 知恵を使って楽に掴む。多少、人聞きはよくないこの信条を持つ紅愛よりよっぽど食わせモンなんじゃないか。憎ったらしい勝ち誇り顔をこちらに向けてくれたほんのお返し。 玲はタオルを首にかけて、きょとんとした顔をしていた。 「ぁあ? あたしなんかしたっけ」 持っていた空の桶がスカーンと軽そうな音を立てる。 「いってーな。ンだよ、ケンカ売ってんのかお前は」 「それはこっちのセリフよ。あんた健忘症なんじゃないの!?」 それとも体の鍛えすぎで、その他の箇所が退化しているのか。昼間にしたことを頭洗った拍子に一緒に流してしまったのか。 「会長のガセネタ。忘れたとは言わせないわよ」 ガセ。まさか同盟結んだ相手に、最後の最後の最後の仕上げで足をすくわれるとは。紅愛は玲ほど執念深くはないし、昔のことをあれこれ覚えてはいないけど、このことだけは胸に刻みたい。もちろん、教訓としても。 「だからガセじゃねーんだって、アレは」 「ガセでしょ、ぜんっぜん効いてなかったじゃない」 玲がうーんと唸って頭を掻く。 「ま、こんなとこでもなんだしな。特別に後で教えてやらぁ」 だからそれで勘弁しろ、と。立ち上がった玲は紅愛よりずっと背が高い。パシッと紅愛の肩を無遠慮に叩くと、さっさと湯船に向かって行く。 星奪りは続けるけど、再び頂点まで上がってあの二人に挑むかどうかはわからない。だから教えてくれるのだろう。やっぱり、損した気分だ。どうもいくら詰め寄っても水責めにしても、ハメられた分を取り返すことはできそうにない。そんな気がする。 何より玲の顔にはもう、張り合ってた頃の何か隠した様子はなくて。妙にさっぱりとした背中を見ていると、しつこく言う気持ちも失せた。本当に、ただの仲間になったのだ。もう欺く必要もない。 それでいいのだ。もう終わり。明日からはまた始まる。 「いつもでもグチグチ言ってると、どっかのミのつく玲みたいな人になっちゃうし」 「おい、それ思いっきり特定してねーか」 「あら、別に玲が執念深いとかしつこいなんて言ってないわよ」 「言ってるじゃねーか……」 湯船に顔をばしゃっとつけてヘコんでいる。事実なのに、他人に言われるとヘコむことってあるらしい。その玲の後頭部を、さらに容赦ない人がぐいっと押した。 「そうそう。紅愛は玲に比べたら全然さっぱりしてるわ」 湯に顔を押し付けられたままで、必死にもがく学園の憧れ。首を上げる、ただそれだけの動作もかなわないほど背後から現れた最強の人は腕に力を込めている。でも顔はとってもにっこりと微笑んでいる。真正面から受け止めると紅愛ですら背筋にうすら寒いものが走る。 「紗枝……あんたも来てたの」 「まぁねー。私達のためにわざわざ開けててくれるって聞いたから」 にこやかに微笑む紗枝と、引き気味なのを隠して会話を続ける紅愛と。 その真ん中でずーっとぶくぶく言ってる人。 別に心配はさらさらしてないけど。鍛えてるんなら、心肺機能だって高いだろうし。なんなら腹イセも込めて1時間ぐらいそのままで頑張ってほしい。 背後の悪魔なら、マジでやりそうなのが少しだけ怖かった。
つづく
2006年04月23日(日)
|
|
 |