池ポエム
ハンス



 某鋼の兄弟みたいに

 一度目のノックでは、誰も出てこなかった。
 二度目、三度目を叩くうちに、とりあえず出直そうという気になって、そのまま足を反対方向に向ける。5時半を過ぎていたから、どちらかは帰宅してるだろうと思っていたのに。
 今日は星奪りもなくて、平和な平日の夕方。夕歩は帰りに見かけなかった刃友のことが気になって、自分の部屋に戻った後すぐにここに来たのだ。
 無道・久我。この部屋の二人の主。どこで何をしているのか知らないが、いまだ戻らず。
 二、三歩歩いて、夕歩の中にある直感が生まれた。
 「いる、かも」
 出て来ないだけで、いるかもしれない。ふと頭を掠めた思いは、絶対的なものに膨れ上がって、夕歩はそのままノブを回した。やっぱり、と小さく呟く。
 鍵はかかっていない。
 「順?綾那?」
 ドアを開けるとすぐ中が見渡せるような間取りだから、開け放ったドアの前に立つ夕歩の位置から静かな部屋が広がる。一応、呼びかけた。が、まるで人のいた気配がない空気が漂っていた。
 「鍵の掛け忘れ?」
 どうにも隙だらけな二人だなぁ、と思いつつ歩み進む。そこで、夕歩の耳に小さな物音が掠った。
 自分の呼吸もできるだけ押し殺して、音の出所を探る。こういうのは刃友のほうが抜群に得意で、野生の犬みたいに耳も鼻もいい。今だってここにいたら、すぐに「そこだ!」と手裏剣でも投げているだろう。
 ただ、この場合は少々簡単すぎる。視線の先の、二階のベッドに人影があった。
 ゆっくりとハシゴを上がり、その先にいる人物を発見してほっとした。
 「見つけた」
 二人の主のうち、夕歩の刃友の方。順がそれこそ隙だらけな顔で眠っていた。傍らと、腹の上に雑誌やら薄めの本やら載せていて、非常に身動きがとりづらそうな状態である。
 ずり落ちそうな腹の上の雑誌を手にとって、夕歩は眉をしかめた。
 「またこんなの読んで」
 ピーナッツ娘。別に刃友の趣味にまで口を出すつもりはないが、ちょっと15歳女子としてどうなんだろう。一般論は夕歩にもよくわからないから強く言えないけど、何か違う気がした。
 とりあえず本や雑誌を全部集めて、寝ている本体の周りをすっきりさせて、夕歩は満足した。それから順の体に目が行った。背は夕歩より高いから、長い手足がベッドをギリギリまで使っている。順は夕歩の体を気遣ってばかりいるが、自分はどうなんだろう。
 細い、思ったよりずっと細い手足と、それから腰。
 なんというか、シャツの裾がめくれて順の白いお腹が出ている。そこに視線が行って、それからハッと我に返った。
 「もう、順はまたおなか出して寝て」
 シャツを掴んで、無理やり下に引っ張る。その仕草に、自分でも懐かしさを覚える。夏に昼寝していた時も、夜泊まって一緒に寝た時も。いつもはお姉さんぶる順に世話を焼けるのが嬉しかったのだ。
 感慨にふけっていて、シャツを掴んだままだったらしく、順の手がいつの間にかそこに重なっていた。
 「あれー?夕歩?」
 ぼんやりした目つきの順が、ゆっくり起き上がる。そこに重なった夕歩の手と自分の手に目を留めると、時折見せるニヤけた顔つきになった。
 「なーんだ、言ってくれれば、夕歩にならいくらだって」
 見る?見る?と夕歩の手を取って下ろしたシャツを再び捲り上げる動作をする順。お腹を見せたがる犬じゃあるまいし。
 「……見たくない」
 今度はガーンとひどくショックを受けたようで、後ろに仰け反った。
 「夕歩が、夕歩があたしのお腹見たくないだなんて……」
 逆にどうして見たがらなきゃいけないのか、教えてほしいぐらいである。
 「そんなの、今更」
 「へ?」
 夕歩の言いかけた言葉を聞いて、今度は順が変な顔をした。
 「今更だって言ったの」
 「それって」
 見慣れてるってこと?と声ではなくて目で訴える。夕歩もまた、目で合図した。なんとなくお互い沈黙してしまう。順の耳がほんのり赤い。
 というか気づいてなかったんだ。
 生まれてこの方、裾を直す夕歩の手に。びっくりするぐらい鈍い。
 「順、よくおなか出して寝てるから」
 「えー、全然わかんなかった」
 夕歩が側にいる時は見つけた端から直していくからいい。普段はどうしてたのか、少し気になった。まさか綾那がそんな親切行動をしているはずがないし。してたら気持ちが悪い。
 綾那、と考えたところで当の本人が入って来る音がした。ハシゴに乗った夕歩と、寝起きの順をチラッと見ると、少々ヤケになったような笑顔で言った。
 「また腹出して寝てたんだろ、あんた」
 「え、何?綾那、そんなにあたしのお腹凝視してるの?やだー」
 さすが同室。気色悪い声音を出してくねる順に、綾那は教科書を投げつける。ハシゴからさっと下りてかわす夕歩と、座ったまま受け止める順。
 もうこれ以上は危険だろう。
 激しい学用品の投げ合いが開始される前に、夕歩はそっと部屋を出た。閉めたドアから、「削った鉛筆は投げるの禁止ー!」と叫ぶ順の声がした。

2005年10月28日(金)



 洗濯にまつわるエトセトラ

 寮の一角から、ゴーッというよく聞き慣れた生活音がしている。扉のついていないその部屋は、複数の洗濯機が回っていて、音は二倍三倍になって廊下の奥から響いてきていた。大抵の使用者は、自分の洗濯物を入れた後、回しっぱなしにして出来上がるまでよそへ行っている。室内では洗濯機ばかりが熱心に仕事中で、人影はまばらだった。
 早朝7時。一人の寮生が、腕を頭の上に回して呑気に回る洗濯機を眺めている。蓋も閉めずにゴーと音を立てる泡を眺めては、時折鼻歌を混じらせていた。
 「アンタか……」
 カゴを抱えた綾那が、中を覗いて呆れた声をあげる。
 「おっ、早いね綾那」
 「朝っぱらから能天気に歌なんか歌ってるから、どこのバカかと思えば」
 部屋からここまで歩いてくる間に、順の呑気な歌声は聞こえてきたらしい。綾那は手近な空いた洗濯機に洗い物を放り込んで、傍らの洗剤を手に取った。
 「ん?そういえば」
 洗濯機の前に椅子を置いて、器用に体操座りしている順の背中を見る。同室だというのに、今日順を見たのは今が初めてなことに気がついた。
 「あんた、昨日部屋に戻った?」
 「ん?あ、うん」
 順はこちらを振り返らずに、また蓋を開けては飛んでくる泡に目をしかめた。自分のスイッチを押した後、順の様子をそれとなく観察してみる。
 なぜだか頻繁に蓋を開け閉めしている。一般的に洗濯機が洗っている最中に、中を確認する必要はない。
 「綾那も早いねー」
 口を開きかけた瞬間、先に相手に言葉を挟まれてしまった。
 「あ、あぁ」
 「何洗ってんの?」
 開けた蓋からこぼれたしゃぼん玉が、こちらに流れてくる。
 「昨日、半分寝ながらゲームやってたら……」
 手でTシャツの形を作る。真ん中に染みの形を描いて、順はあぁと納得した。
 「アレほど、きりつけて寝なよって言ったのに」
 「眠くなるようなつまらんシナリオが悪い」
 次の日早起きする必要がない日など、よく綾那はゲームに時間を費やした。いつもは遅くまでやるといっても限度がある。音を消してやるのでは、心から楽しめない。昼間にわざわざ部屋を暗くしてゲームするのは好きだが、本当の夜中にはゲームをやらない綾那だった。
 昨日はいつまで経っても同室の順が戻らなかったから、つい遅くなったのだ。遅くなるのを見越して、順は出掛けに忠告してくれたと言うのに。案の定、睡魔に襲われて手を引っ掛けたらしい。
 缶コーヒーだったのが余計仇になった。
 「それ、何てシャツ?」
 「『琉球の塩』」
 「まぁ、元々濃い色してるから、ちょっとぐらい落ちなくても着れるでしょ」
 その時、ピーと音がして洗濯機が完成を告げた。
 よっ、と軽い掛け声がして、順の手が中から何やら引っ張り出している。
 「何洗ってたのよ」
 ようやく、最初から気になっていたことが聞けた。見た限りでは、随分長くて大きい。脱水してあるとはいえ、そこそこの重さもあるようだ。
 質問には答えず、順は鼻歌を再開した。
 「……じゃ、先行くわ」
 無理やり手持ちのカゴに押し込むと、何事もなかったかのように片手を上げて去って行く。その背中に、聞いてくれるなという男の意志が感じ取れた。女だけど。
 ペシペシという格好のつかない足音が遠ざかっていく。
 「なんでスリッパ?」

 晴れた日は屋上がいい。
 綾那が『琉球の塩T』を干していると、背後からちびっこい奴がアタックをかけてきた。
 「うわー、あやなかっこいい!」
 はやては綾那のTシャツを大絶賛している。大多数からは不可思議な顔で見られるTシャツを褒められて悪い気はしない。つい胸を張って、はやてに言った。
 「ほら、貸せ」
 「え?」
 「あんたの背じゃ届かないでしょ」
 本日最も日当たりのいい物干し場は、少々位置が高かった。はやては台を持ち出してそこに干すこともあったが、大抵はうっかり忘れてもっと低い物干しを使う。
 「ありがとう!!」
 その日の太陽なような笑顔全開。年下も悪くないな、とそれまでの綾那を覆す考えがひっそり浮かぶ。が、浸る間もなく今度はバカでかい叫び声がした。
 「どうしたクロ?」
 「じゅんじゅんとシグマがいるよ」
 つられて見ると、確かにさっき先に出ていった順と、夕歩がいる。物陰になるような人目につきにくいとろこに、二人は立っていた。何となく周囲を窺っている感じもする。
 「なんであんな日当たりの悪いところに……」
 そのまま見ていると、二人は協力してシーツを広げた。横で見ていたはやても不思議に思ったらしく、すぐさま駆けていって、目立つ位置に立つと下に向かって叫んだ。はやてが走り出した瞬間、綾那の脳裏に真相が閃く。
 が、疾風の名はダテじゃない。
 「じゅんじゅーーん!こっちの方がおひさまが当たるよーー!」
 慌てて追いついて、更に何か叫ぼうとするはやての口を後ろから押さえる。腕の中でバタバタと子供みたいに暴れるはやてを抑えつけて、綾那は遠くにいる二人になぜか頭を下げていた。
 “このバカがデリカシーがなくてごめんなさい”
 遠くで順が手の平を振って、横で夕歩が俯いているのが見えた。

2005年10月18日(火)



 犬と桃

 桃香の体の下には、五十鈴が仰向けで倒れている。じっと見上げてくる顔は、どうしたらいいものかという困惑がはっきり表現されていた。このままでは立ち上がることもできない。
 どうしたらいいのかは、桃香も同じだった。誰か知っているなら教えてほしい。体の下に五十鈴を置いて、上から多いかぶさって顔を見つめ合う。かれこれ7分は経つだろう。そろそろ何か言わないと、何かしないと。頭の中でそう思うばかりで、指一本動かない。五十鈴の体を潰さないようについている両腕も、そろそろしびれてきた。
 「あの」
 相変わらずの地獄からのビブラートといった調子の声が、桃香の下から聞こえた。
 桃香は一瞬体をびくっとさせた。
 「つ、つらくないですか、桃香さん」
 理不尽な体勢で沈黙を強いられているというのに、五十鈴の言うことは優しい。桃香は状況を忘れて少し感動した。
 「いや、つらいっちゅうことはないんじゃけど」
 「そうですか……」
 五十鈴がほっと一息つく。
 本当は限界まであと5分ほど。でもここでそれを言ったら、この状況は終わってしまう。別に終わらせたっていい。桃香の頭は確かにそう思っているのに、体が動かない。何がそうさせているのか自分でもわからなかった。
 目のすぐ前に、五十鈴の顔がある。不気味な髪に覆われていた時は想像もできなかった可憐な顔。正直、14年生きてきてこんなにギャップのある素顔の持ち主は初めてだ。世の中には意外性のある人はいくらでもいるが、五十鈴はかなり上位クラスなのだろう。
 嬉しい予想外、と一人の時にふいに口をついて出て、桃香は一人で大いに慌てた。
 「別に、そういうつもりと違う……」
 そういう、とはどういうつもりなのか。独り言の言い回しがどこか気にかかっていた。
 楔束以来、一途に自分を慕ってくれている瞳が桃香を見上げる。少し変わった人柄なのはもう十分にわかってる。そんなことはもうどうでもいい。頭に血が昇った。
 「桃香さん」
 「ん?」
 五十鈴は片手をついて少し体を起こした。顔が一層近くなる。反射的に桃香は自分の顔を近づけた。
 「いや、じゃないですか」
 「してもうてから聞かれてもなぁ……」
 遠慮しているのか恥らっているのか、その両方なのか。五十鈴は桃香の腕の中で体を縮こまらせている。
 「や、やっぱり私とじゃ、いやですよね」
 悲しげに顔を俯かせる。影のようなオーラが彼女の周りにできた。この特殊効果だけはいまだに謎だ。桃香は五十鈴の顔を覗き込んだ。
 「まだなんも言っとらんじゃろ」
 自信をすぐに失いやすい相方を持つと苦労する。いつも表してやらないとしょげてしまう。そんなところも犬みたいで、名前にふさわしいと思う。
 「あんた以外と、こんなことようせぇへん」
 五十鈴の目のふちに光る涙を、桃香は舌で舐め取った。
 塩辛いけど甘い。
 「桃香さん」
 「わんこはなんちゅーか、冷やっこいな。夏じゃからちょうどいいわ」
 暑い部屋の中を風が通り抜けていく。風?
 桃香が首を捻ると同時に、五十鈴は小さく「あ」と言った。玄関から入ってきた空気が止まっていた時間を動かした。
 五十鈴の位置からなら向こうが見える。
 「わーー!」
 桃香は叫んで後ろに飛び退いた。飛び退き過ぎてハシゴの最後の3段ぐらいをすっ飛ばして床に転がる。桃香が転がったのと同時に、「ただいまー」という呑気な声がした。
 「あれー、もかちゃん何してんの?あ、犬ちゃん」
 「く、くろがね……」
 逆さまに見てもピンクのチビはピンクのチビ。元気に片手をあげて五十鈴にも挨拶する。五十鈴がベッドの二階にいることは何も気にしていないらしい。気の利いた言い訳を考えていなかったから、ちょうどよかった。
 「もしかして邪魔だった?」
 能天気な調子で、風貌にそぐわないセリフを吐く。桃香は立ち上がろうとしてつんのめり、上からはヘリに頭をぶつける音がした。
 「そ、そーゆーんとちゃうわ」
 五十鈴と視線が合って、桃香はまた頭が痛くなった。一目でわかるほど、ヘコんだオーラを出していたから。はやての前ではフォローもできない。送ってくる、と言って二人して部屋を出た。
 さて、今度は何と言おう。

2005年10月08日(土)
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