池ポエム
ハンス



 Sの人とYの人

 ロビーに出てみると、彼はベンチに腰掛けていた。白い壁にもたれて、いつものピンと伸ばした背筋で、腕を組んで。黒いシャツの薄い体が多少前のめりになっている。
 「?Sさん」
 台本は傍らに置かれて。考え事でもしているのかな、と思ってYはそっと近づいた。彼の眉間にしわを寄せた表情は、実に考え込んでいるという雰囲気が出る。それに、なんだか考え事が似合う。そんな人だ。ぼーっとしてるのも似合うけど。
 「お待たせ」
 Sの横に座り、顔を覗きこむ。と、そこで次に掛けようとした声と、触れようとした手を引っ込めた。
 「寝てる……」
 こんなに背筋を伸ばして、どこにももたれかからないで眠れる人をYは見たことがない。多分、電車の中で寝ても隣の人に迷惑かける確率0パーセントだ。すぐ間近で顔を見つめ、はぁーっとため息をついた。表情も、何か考えていて目を閉じているようにも見える。なんだかシリアスな寝顔だった。
 「かわいい、のか?」
 せめてわかりやすく気が抜けていたり、穏やかだったりすれば賛辞が思いつくものを。と考えて、男相手にそれもおかしいかと思い直す。台本の中の彼の演じている彼も、同じ寝方をしそうだ。となると自分が演じている彼は、やっぱり自分のような眠り方をするのか。
 「あ」
 軽く閉じられていたまぶたがぱちっと開いた。
 「お待たせしました」
 「あ……」
 いつもの顔よりやや呆然とした感じで、こちらを向く。首は動かさず、軽く瞳だけがYを捉えた。
 「俺、寝てた?」
 Yはこけたい気分になった。少し間を置いて、何を言い出すのかと身構えたら。
 この人の驚く顔はあまり見られない。割に感情表現は豊かだが、普段人と話す時には驚くことはあまりしない。よっぽど意外だと、黒い瞳を丸くして「えっ」と言う。
 「寝てましたよ、フツーに」
 「そっか」
 何事かぶつぶつ言いながら、髪を触りつつ立ち上がる。
 「Sさん?」
 なんでもないよ、行こうK君、と彼は率先して歩き出した。

2004年12月31日(金)



 共に在るように

 雷雨の中、一目散に駆ける。
 旧くからの友と別れて来た。いつかはこうなると思っていた。それが、偶々今だっただけ。どちらが正しいのか。そのことばかりが頭を占めて、気づいたら飛び出していた。もう戻ることはできない。この先お互いが無事でいられるかどうか。その保障はどこにもない。いや、むしろ。
 新八の歩みは止まらない。思えば、あの人を尊敬していた。しかしそれは、多分己と同様に誇り高く生きる人物だったから。あの人と自分が、共に同じ道を歩いてゆけると信じていたから。こうなった以上、自分にできることはあの人と歩みたいと思い描いていた理想を自らの手で実現するしかない。あの人に、抱いていた理想の姿を見てほしい。自分は貴方とこうありたかったのだ、と。願わくば……。
 何度目かの雷光が天を引き裂く。雨足は一層強くなる。驚いて少し追いかけてきた仲間たちも、もうついてこなくなった。泥が膝辺りまで撥ねる。

 選択肢は最初から一つしかなかった。
 自分をご指名だというのだから、行かないわけがないだろう。雨の中を一人で。飛び出して行って、放っておけるはずがない。もちろん、一人でもしっかりやっていける奴だ。だけど、ついて来てほしいと、暗に言っている。一人でもしっかり立っていられるのに、傍らに誰かがいないと物足りない。欲張りな男だ。
 本当は、たった今、意見が衝突して仲違いした男にそれを望んでいたことも知っている。それでも全然構わないのは、自分の性分のせいだろうか。
 口からは思ったままの言葉が出てきた。いつもそうだ。細かい理屈ではない。感情が自分を動かして、生かしてくれている。正義も正解も真実も知らない。関係ないとすら思う。自分にはこれしかない。
 槍を掲げて、全力で追いかけた。大柄な奴の体が雨の中を突き進んでいくのが想像できて、少し笑いそうになる。長年共に過ごした仲間達と別れてきたばかりだというのに、これ以上ないぐらいずぶ濡れになって走るうちに、気がすっとしてきた。高揚ついでに、名前を叫ぶ。気づいて立ち止まってくれたら、また肩を並べて行けるのだ。
 名を呼ぶごとに、雷が重なるようになって、邪魔をした。

 雷鳴と共に、名が呼ばれる。新八はごちゃごちゃした頭の中を打ち捨てた。その声が聞こえる度、頭ではなくもっと別の箇所がくすぐられる気がした。歩みは自然と緩くなる。軽い早足程度になり、そのうちゆっくりした散歩になった。雨が顔をつたう。
 「新八」
 男のたくましい腕が背中を強くぶった。

2004年12月11日(土)
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