池ポエム
ハンス



 上がり調子

 どうでもいいことだったとは今でも思わない。
 でも、それ以上に。



 「なんで?」
 千明が少し眉をしかめる。
 「なんでって、変な質問じゃない?」
 「そうかな。そう思ったから、言っただけ」
 「私だって、聞きたかったから聞いただけ」
 「そ、か」
 日が落ちる。ふかふかとした足もとの感触。草の匂い。
 「千明は誰か好きなんだ?」
 彼女は何を思い浮かべただろう。家族や、兄弟や、友達や。清磁の母は、たまにしか家にいない父は、規律の向こうに情が透けて見える優しい人だ。
 「こら、質問に質問で返しちゃいけません」
 「そんなの知らないよ」
 「先生が言ってた」
 目の前の麻川千明という人は。
 3つも年下には思えないくらい、強くて優しい。公園のぼこ山の中の闇で見た一筋の五本指。夢中で掴んでいた。今、それがこうしてまた引いてくれる手に繋がっている。
 あの時会えてよかった。
 「後でさ、清磁が、泣きやんだら、言うから」
 涙はとうに乾いてた。たまらなく悲しいという気分が大波のように押し寄せて、止まらなくなっていたのに。いつの間にか悲しいことなんか忘れる。だから悲しいというのは怖いことではないのだと。これもまた、三つも下の彼女に教え諭された。
 4年経って。
 彼女の好きな人を知っている。
 好きとはどういうことかと聞かれたら、きっと一文字も答えられない。


2003年12月26日(金)



 出会いの不思議

 「おーい」
 カンという乾いた音を立てて、小石が窓に当たる。
 「むっちゃん」
 窓を割られる前に素早く応対。さすがに小石程度で割れたことはないが、数ミリのヒビが入ったことがあった。あの時は六時家と清磁家の関係にも軽くヒビが入った。
 「母さん、今日いるよ」
 「げっ」
 清磁の母は御年37歳になる。現役の小学校教師だ。
 「なんでいるの?今日平日だよ」
 「それを言うなら、むっちゃんこそ学校は?」
 窓の下で首をほぼ垂直にして見上げている隣家の一人娘は、正真正銘高校生だった。
 「あー、まぁね、高校生にもなりゃあ色んな事情ってもんがあってね」
 「はぁ」
 小学生相手にため息つかれる高校生。
 「おかげで守の顔を見に来れるってもんじゃないか」
 「大丈夫だよ」
 「そうね。おばさんいるなら大丈夫だ。じゃ」
 右手を素早くあげて、走り去る。
 「え、ちょっと!」
 二階から声をかけても止まらず、そのまま六時家の敷地にも入らず、どこかへ駆けて行ってしまった。追いかけようにも、今さら追いつくはずもない。何より清磁と彼女では全然足の速さが違う。
 「ほんとに、何しに来たんだろ」
 「誰のこと?」
 気づいたら母が後ろで片付け物をしていた。
 「今、むっちゃんが来て……」
 「あら」
 母は顔だけ窓の外に向ける。窓から見える景色のどこにもいないのを確認すると、すぐ洗濯物に視線を戻した。
 「アンタのこと心配して、来てくれたんだわ」
 母の出身地独特の抑揚のある言い回しが返ってくる。毎日、朝出かけて夕方まで戻らないのに、なぜか母は色んなことを知っている。
 「むっちゃんね、毎日来るんだよ」
 「そう。さすが、頼りになるわ」
 意外だった。時々顔を合わせても、母と彼女はさほど言葉を交わさない。うちの娘をよろしく、などの定番の言葉も使わない。
 でも、わかっているらしい。何をか知らないが、清磁の知らないところで、何かを。
 寒くなってきたから布団に戻りな、と言いつつ部屋から出て行った。


2003年12月19日(金)



 残された者

 坂を登りきると、小さな門があった。つる草が覆われた丈夫そうな石柱に、真新しい木の扉がついている。黒い蝶番には錆ひとつない。
 几帳面な友人の性分を思って、自然と口が曲がる。
 「ご苦労さまです、新家主殿」
 左の柱の前に座る人物に声をかける。
 「遅い」
 赤い工具箱にはネジ回しなら金槌やらがしまわれている。たった今彼がこの門を完成させたのだ。
 「時間通りだろ」
 銀の懐中時計を首元から引っ張り出して、しゃがんでいる彼の眼前に垂らす。少しも変わらない蜜色の髪をした友人は時計を払いのける。
 「時間のことじゃないよ」
 「はて」
 「お前、僕がここに来てから何ヶ月経ったと思ってるんだ」
 「三ヶ月、ちょい?」
 「正解」
 長いローブを引きずり上げて、二人は肩を並べる。
 「新しい仕事に就いたなら手伝いに行くって言ったのはそっちだろ」
 確かに、友人の就職を祝う席でそんなことは言った。もちろん心もその通りのつもりだった。ただ、赴任地と気候が悪かった。
 「まぁ、確かにオレが悪いんだけどさ、一応言い訳聞いてくれる?」
 「あぁ」
 修行時代と変わらないやりとりに、一瞬変な気分になる。目の前にはいつも困ったような怒ったような顔をしていた男の、少し成長した姿がある。
 「北の山ってどういうことだよ」
 「何が」
 「遠いし、怪しいし、冬は雪で閉ざされてるし」
 「そうらしいな」
 「人間が来るとこじゃねーよ。住むとこではもっとない」
 きれいに整備された庭を抜けて、小さいが整った小屋に着いた。冬の様子の恐ろしさを盾に言い訳しようにも、今の風景では説得力がなさすぎる。
 「みんなそういうけどな。僕はずっと住んでたんだ。来てみれば大したことないよ」
 「行く気がしねー」
 「結局、来る気がないんじゃないか」
 招き入れられた室内には暖炉があって、側には古い安楽椅子が揺れていた。
 「ったくよ、どういうつもりだね」
 安楽椅子に腰を下ろそうとして、すぐに思い留まる。指一本触れただけで不気味な軋み音が立つ。
 「それ、座れないよ」
 「今わかったよ」
 ミルクも砂糖も入ってない紅茶を渡された。
 「お前や俺や、他の同じ研究室の奴らでこんな辺鄙な場所に勤めてる奴なんていないぜ」
 数年間過ごした、古い本の臭いに満ちた部屋を思い出す。
 「お前は、どこにいるんだったっけ」
 手紙も数回やりとりして。でも住所を暗記する程ではなかった。
 「協会の資料部」
 「へぇー、合ってない」
 「うるせぇ。言われなくてもわかってる。どっちかってぇとああいうのはお前向きだよ。なんなら、代わろうか」
 元々はそれを言いに来た。手伝いなんて、引っ越して三ヶ月も経てば何もないのはわかっている。なのにこんな秘境を訪ねたのは、戻したかったから。
 「イヤだ。お前にここを任すなんて、とんでもない」
 「でもなぁ、不便だし何かあったら誰も助けに来れない」
 「こんなとこ、何も起きないよ」
 「そんなはずはないだろ。北の魔女が残した呪いが……」
 暖炉から炎の爆ぜる音がする。
 安楽椅子がそっと揺れた。彼は綿のようにそこに乗っていた。
 「留守を預かってるんだ」
 北の魔女は呪いを解いた。今では教科書の一番新しい歴史の教科書に載っている、暗記事項。果たしてそれが本当か否かは、確認されていない。一人の青年が、後に協会の研究室に入り、呪いについての事細かな論文を提出した。
 それだけが魔女の不在を示す証拠である。


2003年12月12日(金)



 雨子供

 雨が降る。子供が外に立たされている。横殴りに、頭上から叩きつけるように。霧雨やバケツを一気にひっくり返したようなのや。雨の種類は体で覚えた。どこにも避ける場所は無かった。子供はいつも雨の中にいた。それが村の風景の一部だった。
 雨の日になるとつい音に耳を澄ませる。
 窓際で黙って一心に外を見る彼を、ただじっと見ている。一度もこちらを気にかけないし、何か言ってくれることを期待してなんかいない。これは義務だ、とジェインは思っている。その義務は彼が脅迫しているに等しい。
 「どこにも行かないでよ」
 女みたいなセリフに自分でも恥ずかしくなる。でもまさにそんな気分だ。
 「こんなセリフ、好きな男にも言ったことないのにねぇ」
 雨音にため息を混じらせる。馬鹿な相棒が心配で心配でしょうがない。それは彼のせいじゃない。余計なお世話だ。世話焼きだと、たまに人に言われる。
 「あんた、たかだか旅の道連れだってのにさ」
 「……ジェインさん?」
 「あ、聞こえてたんだ」
 深緑の瞳は一層翳りを帯びていた。

2003年12月05日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME