池ポエム
ハンス



 失せ者

 わんと元気よく鳴いた子犬が主人の元に駆けてった。茶色の柴犬だ。
 浅葱と別れてここに来てからしばらく経つ。いつの間にか、簡単に時間は流れてしまうらしい。彼女がいないのに耐えられないかも、なんて思ってたのは余計な心配だった。
 葬列のための花を運んだ。あの人のではない。
 久しぶりにみた弔いの花は鮮やかに咲いていた。きれいな門出になるだろう。一年前の雨の中で見た花よりいい。太陽に映える。この人は幸せだ。
 たまに見かける。似たような髪を、少し縛った人を。ああ引っ張りたいと思う。そして、振り返って若作りな顔をしかめるのだ。本気で。そういう幻を何度も見た。でもいやではない。
 嬉しい幻覚はいい。幻覚でも。楽しくないよりは。
 「陸」
 「路、を忘れないでつけてくださいよ」
 巨体がこちらを見下ろしていた。犬のように呼ばれたい。偶然はち会わせたこの人は、その望みを聞いてくれる唯一の人だった。呼び名のわけは知らない。尋ねたら、なんとなくとはっきり言われた。
 「何してるんですか」
 巨体の持ち主は表情のあまりない顔で笑う。
 「仕事で来たんだ」
 「車は?」
 「別のヤツが見てる」
 クラクションが鳴る。向かいの通りに止まっているワゴンから、若者が手を出している。
 「早く行ったほうがいいんじゃないですか」
 大きな手が伸びて、頭をかきまわした。
 巨体の人は黙ってガードレールを越えて、無造作に迫り来る車をふらふらと避けて、待たせていたワゴンで去って行った。
 名を呼ばれても追いかけない犬。
 結局、離れてしまった。何があっても離れないと言ったけど。離さないと言った人はいなくなったし。
 今、あの人に呼ばれて、ついていけたら。
 少しはマシだっただろうか。
 見知らぬ町で一年。少しだけ離れた場所で、引っ張り出してくれた人をなくして一年。


2003年06月30日(月)



 あなたの隣にほら百合が

 百合カップル目撃話でもひとつ。
 朝10時半、市バス内。前から四番目と五番目の一人掛け席に座っていた友人同士らしき学生(何学生かはノーコメント)。朝は誰でもテンション低めだが……この二人は何やら楽しそうにアップテンポな会話を繰り広げていた。他のグループとの違いを察知し、素早く真横に立ちつり革につかまる自分。ウォークマンをしてるから話を盗み聞いているようには思われまい。顔は見なかった。どうやら、後ろの席の子が前の子にいちゃいちゃちょっかいを出してる。後ろの子はなんというか、かわいいキャラというか、端的にいうと誘い受け風味というか。前の子はそんな後ろの言動に引かず、鋭いつっこみこそないが暖かく受け流してる。やがてバスは学校に近づき、二人の会話はクライマックスを迎えた。前の席の子が「未来のお婿さんが気の毒」みたいなセリフを言った。すると後ろの子、「未来のお婿さんは○○(前の席の子の名だと思われる)」。なに?今なんて言いましたか貴方。ベタな小説みたいな展開。世の中ってすごいなぁ。どうやら前の席の子は後ろの子にとっての理想の身長でもあるらしい。後ろの席の子も165センチあるらしく、女の子にしては大きいとかなんとか言っていた。前の席の子の恋人の理想の身長は177?という発言も。ほほう、前の子はノーマルですか。そして二人はバスを降り、傘を差して雨の中校舎へと向って行った。その後姿を見て更に驚いた。さすが、理想身長の持ち主だけあって、前の子は大きい。紛れもなく女性だとは思うが、170は越えている。それに体つきもがっちりしていて(not太い)たくましい。黒のパンツに真っ白なカッターシャツみたいなのを着ている。どことなく服装も男っぽいではないか。後ろの子は今時珍しいくらい女の子服装をしていた。草原を駆ける少女というか、民族衣装風というか、フォークロアというのか、言葉はわかんないけど茶髪では似合わなさそうな服だ。実際、髪は真っ黒。肩ちょい下ぐらいの長さ。こんなにいかにもでいいんだろうか。まるでマンガみたいな人物像に感慨と疑念を覚えた。後ろ子の片恋から始まり、紆余曲折を経て前の子が後ろ子の思いに気づき、一度は拒絶しつつも後に受け入れハッピーエンド……そんなドラマが起こってもいいかもしれません。
 ところで栄地下で手つないで歩いてる女の子二人を見た時も片方は派手めがね&もんちっちショート(茶)のボーイッシュと女性らしい女の子だった。ボーイッシュ&ガーリッシュというのは創作上のパターンだけではないのだろうか。


2003年06月25日(水)



 真夏の夜の悪夢5

 転げている社長は、それでも何事もなかったかのように起き上がった。しばらく地べたに座ったまま、やっぱり動かない傍らの老婆を眺めている。
 「どうすると思う?」
 ちょっとわくわくした声で三鞍が言った。仮にも仲間が幽霊に対面してるという危機的状況下において、楽しそうでいいのか。
 「さすがに気付くんと違うか」
 医者の声も明らかに好奇心で満ちていた。楽しくていいらしい。
 「何に気づくんだ?」
 一人だけ、普段とまったく変わらない調子で高田が怪訝な顔をする。
 「何って、あのばあさんの正体だけど」
 「正体?ばあさんはばあさんじゃないのか」
 運転席という、この場合の特等席で高田は目を凝らした。
 この人は一人だけ気付いてない。視力は2,0なのに、夜でもよく目が見えるという特技を持っているというのに。
 「高田?念のために聞いておくが、国道1○○号に幽霊が出るって話は知ってるんだよな」
 「ああ、そんなような話を聞いたな」
 高田はあの晩、医者と一緒にいたのだ。
 「周りに街や村がない、この道のど真ん中で、夜、老人が一人。加えて幽霊の噂。さぁ、どうでしょう」
 一つ一つ指を立てながら三鞍がにやりと笑った。
 「どうって、それがどうかしたのか」
 「思いっきりしとるだろうが」
 助手席から医者がツッコんだ。
 「?」
 「あのばあさんは幽霊なんだよ」
 後部座席から静かな声がした。言ってしまってから、我ながらぞっとしないセリフだと思った。まだ盆には早いというのに。いや、そもそも生涯で霊体験をするなど、三鞍の予定にはなかった。多分、医者の予定にもない。高田と社長は知らない。限りなく白紙に近いから、何が起きても予定内で予定外という可能性がある。
 「それなら、早く乗ってもらった方がいいんじゃないか」
 「はぁ?」
 「乗せるんだろ」
 そのために今、幽霊相手にナンパを繰り広げている人間が目の前にいるのだが。
 「乗せるって、幽霊乗せてどうする。体がないなら意味ないだろう」


2003年06月22日(日)



 気持ちよさの単位

 ヒノエウマ
 ■説明
 気持ちよさを表す単位。
 ■定義
 ヒノエウマに1時間マッサージをされた時の気持ちよさの総量を1ヒノエウマとする。やっとでたくしゃみ=600ミリヒノエウマ。

 「でもさー、気持ちよくって何が悪いのさ」
 「まぁ、な」
 「三鞍は賛成だよね、ヒノエウマに」
 「……」
 「どうしたの?」
 「いや、社長は1000ヒノエウマだよな、ほんとに」
 「そう?自分じゃよくわからないけど」
 「そうだな」
 「三鞍が言うんならそうなんじゃない?」
 「(軽く赤面)人前では言うなよ、それ」
 「??」


 「いたたたたたっ!」
 「うるさいな。少し静かにしとれ」
 「だって、痛いよドクター」
 「お前が最近左肩が痛いというから中国四千年のマッサージ技術を披露しとるんじゃないか」
 「それはわかるけど……ドクター、ほんとにうまいのか?」
 「下手そうだよね」
 「社長。何を根拠に?わしはこう見えてもじいさんから直伝の……」
 「いやぁさ、ドクター、うまそうに見えないもん。せいぜい100ヒノエウマぐらい」
 「だからプロだって言っとろうが」
 「え〜?1000ヒノエウマライセンスの持ち主である私からすれば、まだまだだね」
 「それ、意味が違うぞ、社長」
 「おんなじようなもんじゃないの?どっちも、体に触って気持ちよくすればいいんでしょ。同じじゃん」
 「全然違う。体をよくするのが目的だ」
 「んじゃあちょっと代わってよ。三鞍を気持ちよくすることぐらい簡単だって」
 「ちょ、ちょっと待て!……ん」
 「ほら、三鞍ってすぐ反応するからさぁ」
 「……わしは向こうへ行っとるわ」

 単位認定委員会?だっけ。キーワード入れてボタン押すと何かしらの単位を作ってくれます。皆さんもぜひどうぞ。


2003年06月21日(土)



 真夏の夜の悪夢4

 とりあえず老婆を頼まれた場所まで送らなければならない。いぶかしげな三人を尻目に、代表して颯爽と社長が車から降りて行った。
 「なぁ、三鞍」
 さっきから微妙に老婆から視線を外している医者が低い声で言う。
 「この辺りに街か村はあったか?」
 「いや。国道1○○号線といえば何もない荒野を一本ぶった切る道として有名だ」
 「なら、あのばあさんどっから来たと思う?」
 三鞍は何も言わない。医者とは反対に、サングラスを外して老婆を凝視してみた。さっきから何も言わないが、高田も怪訝な顔をした。
 外では老婆と社長が対面していた。窓を開けて、会話に全聴力を傾ける。
 「さぁ、行きましょうかレディ」
 車の中の三人はなんとなく脱力した。
 「あんなあやしいばあさんにまで紳士気取りとは……本格的におかしいんと違うか」
 「社長らしいよ」
 「見ろ!」
 運転席で大人しく黙っていた高田の腕が、フロントガラスに伸びた。
 「え?」
 「なんだなんだ急に……って」
 社長が爽やかに左手を差し出す。しかし老婆はその手を取ろうとしない。少し間が空いた後、更に歩を進めて老婆に接近する。老婆は動かない。
 そして。
 高田は決定的瞬間を見てしまった。
 「すり抜けた……」
 後に残されたのは勢い余って地面に転げている社長の姿だった。


2003年06月19日(木)



 真夏の夜の悪夢3

 一日の長いドライブの後の水はうまい。
 「うおー、きれいだなー」
 天気は晴天。雲ひとつない青みがかった暗闇に、数えるときりがないぐらいの星が浮かんでいる。
 「ほんとになんにもないからな、ここは」
 折角作った国道1○○号線は、利用者がほとんどないことでも有名だった。
 あまり丁寧に脇に寄せていなくても、クラクションを鳴らす車など通りはしない。だからといって、道路の真ん中に大胆に止めっぱなしにしているのもどうかと思うが。
 「みくらー、チェンジ」
 大柄な高田が近づいてきて、ハイタッチ。
 運転手交代である。
 「行くぞ社長」
 いつまでも空に向って両手を突き上げている社長を引っ張って、車に乗り込んだ。
 高田は極めて安全運転である。中型トラックでは力を発揮しきれていないのではないかと思えるぐらい、余裕でハンドルを回す。大型車を至極丁寧に乗り回す、心優しきトラック野郎の風体が漂っている。
 「ドクター、地図見てなくてもいいんじゃない?」
 やっぱり場所を変わらないのは医者だけだ。助手席で地図を見ること。この仕事だけは譲らない。
 「それもそうだな」
 「そうそう。一本道で迷えって方が難しいよ」
 しかし稀代の方向音痴にかかると、自分たちがどっちを向いているのかわからなくなって、一本道でも迷えてしまったという実績があった。斜め後ろで夜だというのにサングラスをかけている人物には。
 「なぁ」
 運転中かそうでないかに関わらず、常に寡黙な高田からふいに声がかかった。
 「ん?」
 利き手だけをハンドルに残して、真っ直ぐ指で前方を指す。
 「人か」
 「そうだろうな。止まるぞ」
 その人らしきものがはっきりと視界に入ったところで、車は止まった。
 背筋の曲がった老人が一人。
 道路の真ん中に。
 「おばあさんか。何してんだろ」
 「どっちにしろ危ない。おい!」
 高田は窓を開けて首を出し、叫んだ。
 「は?」
 女性の老人、老婆は何も言わなかった。高田が一人、危ないからどいてくれと叫んでいる。老婆は少し何か身振りをした。高田は大きくうなずく。
 「乗せてもいいか、あの老人」
 「何で」
 「どうもどこかへ行きたいらしい」
 前方には老婆がぽつんと立っている。
 「いいか」
 後部座席の社長に向って、身を乗り出して聞いた。
 「いいよ」


2003年06月18日(水)



 真夏の夜の悪夢2

 「あー、聞いた聞いた」
 同じ場所に複数の人間がうろうろしていると、大抵同じ噂を耳にするもんらしい。
 翌朝、トラックのエンジンをかけながら昨夜の話をしてみると、残りの二人は即座にうなづいた。
 「どこで?」
 三鞍と社長は確かに宿の一階にいたが、医者と高田は姿が見えなかったはず。
 「あぁ……二軒隣の店だ」
 なんとなく医者は顔色が悪い。
 「?なんかあったのか」
 「なんかも何もあるか。あいつと一緒にいると寝る暇もないわ」
 小さな白衣の人物は、この大陸の真ん中に位置するという、小さな国の一地方の独特なアクセントで苦情を申し立てる。
 「寝る暇って、あんた高田と一緒だったんだろ」
 その高田は、現在積荷の確認を荷台で行っている。朝ちらっと見た限りでは、いたって健康そうな様子だった。と言っても、高田は早朝のジョギングを毎朝欠かさないとでもコメントしそうなランニングの抜群に似合う健康体である。
 「まさか高田があんたに手ぇ出すとは思えないし」
 「当たり前だ、アホかお前は!……イタ」
 こめかみを押さえてうずくまる。
 一見口が悪そうだが、アホというのはいわゆるバカよりもきつくない突っ込みの言葉であって云々、と医者はいつだか言っていた。よって愛情表現込みの口癖である。
 「深酒という言葉はあっても、長酒という言葉はないな」
 なぜか体育座りをする。落ち着きを取り戻したようだ。
 「まさか、高田に付き合ってたのか?ずっと」
 「離さんのだ、あいつが」
 それは文字通りかつ物理的に離さないという意味だった。1m80はあるでかい図体と、1m50の小柄である。抱きしめてもう離さない、というとなんかロマンチックなセリフだが、よく考えると苦しく暑い。拘束である。
 「それは、なんというか、ご苦労さまでした」
 ついでに言うと、医者は割合下戸に近い。
 「社長と高田組ませればよかったんだよね」
 いつもの組み分け通りだと、そうなる。三鞍と医者でもでこぼこコンビだが、二人は同郷ゆえに息が合う。
 「それで、社長が幽霊を見に行くとか言い出しとるんだろ」
 「当たり」
 荷台の方でバタンと大きな音がした。こっちはOKだ、とハスキーな声が響く。
 「そんな時間あるんか?」
 丈の高い運転席へさっと乗り込む。隣には医者が座った。
 「偶然一緒だから」
 「は」
 医者は地図を広げた。昨日つけた赤ペンの道を走行中指示するのが役目だからだ。国道1○○号にぐるぐると幾重にも丸がつけてある。
 「予定通りに進むと、夜12時頃にちょうど通るはめになるんだ」
 「そういうことなら、別に、構わんが」
 助手席の日差し避けに挟んである、交通安全のお守りをなんとなく目で追ってみた。
 「魔除けにしとけばよかったか」
 「車乗る時に魔除けつける人は珍しいでしょ。霊媒体質じゃあるまいし」


2003年06月16日(月)



 真夏の夜の悪夢

 「聞いた?」
 ベッドに寝転んでいた社長が、唐突に言った。
 「何が」
 隣で明日のルートを確認していた三鞍は、地図から目を離さずに答える。今はまだ二人しか室内にはいない。
 「この近くのさ、国道1○○号でお化けが出るんだって」
 仰向けからうつ伏せに体勢を変えながら、言葉を続ける。長いまつげのついた青い目が、好奇心で潤んでいる。こういう時のこの人はタチが悪い。
 三鞍は軽くため息をついた。
 「それがどうした?」
 「おもしろそうじゃない」
 「ちっとも」
 実際、三鞍はおもしろいともつまらないとも感じていなかった。地図片手にもごもごとつぶやく。ノリの悪い態度に、社長は頬をふくらます。
 「えー?三鞍嫌い?こういうの」
 肘をついてあごを乗せ、両足を宙でぶらぶらさせる。小学生ぐらいしかしないそんなポーズが、なぜか微妙に似合っていた。
 「嫌いも何もないだろ。ただの噂だよ」
 別に社長だけではなかった。三鞍も隣でビール片手に街の人の語る幽霊話を聞いていたのだから。ただ、耳に入ってすぐさま耳から抜けただけで。お茶片手に聞いていた社長の上半身が妙に前のめりだったのが印象深い。冷めるよ、と小さく呼びかけたのも聞いていなかったくらいだ。
 「ばかだなぁ、三鞍。火のないところに煙は立たないって言うじゃん」
 「どこに火があるんだ?火種のない焚き火は不可能だよ」
 付箋を挟んで地図を閉じる。明日の道程は大体覚えた。ドライバー役を買っているのだから、余計なことは考えたくない。隣の社長には悪いが、一足先に休むことにした。
 「あっ、ちょっと!」
 靴の紐をほどきにかかった三鞍に、制止の声がかかる。
 「何?」
 ベッドから腕を伸ばしてじたばたしながら膨れるという難しい態度を取ってみせている。
 「今さ、寝ようとしたでしょ」
 「そうだけど」
 そう長くない腕が精一杯伸びてきて、三鞍のシーツをつかんだ。
 「まだ話途中だよ」
 「話って……何する気?社長」
 国道の幽霊、必要以上に元気な社長。三鞍の細い目がより一層すぼまった。
 そんなすぼまり目に見つめられた社長は、首の後ろが凝りそうな姿勢のままにっこりと笑う。
 「確かめようよ。そのお化け」
 「言うと思った」
 伸びた手をパシっとはたく。白くて小さい手の騒動屋。
 「そんな寄り道してる暇はないぞ」
 昨日ですでに一日半分は遅れている。いくら急ぎの依頼ではないといえ、あまり遅いのも感心しない。目の前の社長は代表者だというのに、ヒラの三鞍より何も考えていないようだった。
 「えー。国道1○○号だよ?ちょっと寄るだけで……」
 「待った」
 枕元に投げた地図を取る。赤ペンでなぞったルートをたどり、その道の名称が書いてある箇所を素早く探す。
 三鞍はゆっくりと社長の顔を見た。
 「そこ、寄るわ」



2003年06月15日(日)



 ベタ

 「浅葱ってさ、陸路のどこが好きなの?」
 「(激しく紅茶を吹く)な、なに?!」
 「そんなにびっくりすることないでしょ。ただ陸路のどこが好きで一緒にいるのかなーって、思っただけ」
 「どことか、そういう問題じゃない」
 「じゃあなんなのさ。今時、彼のすべてが好きなの、とか寒いこと言わないでよ」
 「言うか!!それ以前に彼じゃないだろ、あいつは」
 「どっちでもいいじゃない」
 「よくはないだろ」
 「結構こだわるんだ?」
 「お前の基準で物を言うな。普通はこだわる」
 「へぇ。まぁいいや。単純に知りたいんだよね。一回離れたんだろ」
 「なんでお前がそれを……」
 「千歳から聞いた」
 「あのおしゃべりモヒカンめ」
 「他にも色々聞いてるけどね。千歳って口堅いのに誘導尋問に弱くてさぁ」
 「訂正だ。ばかモヒカンめ」
 「あの頭ってモヒカンていうの?」
 「そんなことはなんだっていい。とにかく、陸路がいいとか悪いとか、そういう次元で説明できるならとっくにしている」
 「はぁ。じゃあそういう次元を超えて浅葱の人生に密着している、と」
 「違う!変な言い方をするな!!」
 「浅葱〜、もう行くけど、用事済んだ?」
 「お、噂をすれば」
 「何々?社長と浅葱の話題に上るなんてなんか光栄だなぁ」
 「別にこいつが一方的に話題に出しただけだ。帰るぞ」
 「はいはい。それじゃあ失礼します」
 「これからも末永く仲良しでね」
 「そりゃあもう」
 「余計なこと言うな!(陸路の耳を引っ張る)」
 嵐のようなカップルが去った後。
 「ふぅ。大人しいくせににぎやかな二人だなぁ」
 「(コーヒーを置く)お疲れ様です」
 「ああいうのって、なんなんだろうね。仲がいいほどケンカするというか、浅葱が世界一のひね曲がり者なのか」
 「うらやましいですか?社長」
 「……まさか。アニーこそ、どうなのさ」
 「私は、何とも」
 「ふぅん。やってみたくなくはないけどね」
 「え?」
 「柄じゃないよ」
 「そうでも、ないですよ」
 「私がじゃない。アニー、君がだ」
 「私ですか」
 「そう。ああいう騒々しいのと、素直じゃないのは君らしくない。君は静かだし、いつも言うことをきいてくれるだろ」
 「まぁ、そうですね」
 「慣れないことを無理にするよりも、そうだな。いつもと同じことをしたいな」
 「(赤くなる)まだ仕事中です」
 「もう来ないよ、誰も(椅子から立ち上がって背を伸ばす)」


2003年06月11日(水)



 配達屋と見張り台

 大量の砂を吸ったらしい。村まであと500メートルもないところで突然止まることもないじゃないか、と口の中で繰り返しつつ押し歩く。日差しは大したことない。ただ少しばかり、小柄な自分にはこの風はきつい。許容範囲を超えている。
 わかってて毎回ここに来ている。それでも独りで言うグチくらい許されるはずだ。
 「おばあちゃん……やっぱ厳しいよ、この生活環境」
 優しく、時には抜け目ない依頼人の姿が強風の彼方にうっすら浮かぶ。
 配達屋はようやく村の入り口に立っていた。ここに来る途中でくじけそうになると、いつのまにか老婆の幻影が現れ村まで導いてくれる。案外、自分が毎回この荒野を越えられるのは実力でもスクーターの性能でもなく、老婆に憑かれているだけなのかもしれない。
 村に一歩入ると、いくらか風はマシになった。
 「こんちはー」
 小さな村に不似合いな見張り台がある。その上には誰がいるのか、よく知っている。
 「いつもの見張り番の子、いるんだろ」
 配達屋がここに来るようになってすぐに、そのメガネの見張り番に会った。もうずっと前のことになる。配達屋は青春真っ盛りと名乗ってもブーイングがこない程度の若さだったし、見張り番は若いというより幼かった。
 「そのわりにはもうメガネかけてたよなぁ。筋金入りの近視か遠視だな、ありゃ」
 老婆の幻影のようにふいに現れたりはしないが、曲がった黒ぶちのメガネの子供の顔も結構すぐ思い出せる。
 今、目の前にあるのは顔ではなくて足だけど。
 「おい。一ヶ月にいっぺんしか会わない客を迎えるのが自慢の健脚ってのは冷たいんじゃないの」
 膝から下が二本、木製の天井から伸びている。パッと見、人足の生る木だ。
 「降りようとしてたらあんたが来たんだよ」
 顔があるはずの上の方から声がする。上半身は見張り台の二階部分、膝下だけ一階に突き出て配達屋と鉢合わせしたらしい。
 「降りてこいって。久しぶりにかわいい顔でも見せてよ」
 「うわ。絶対やだ」
 かわいくない声が響く。
 「なんで?別に取って食ったりしないって」
 そこまで言うと、急に険のある声音に変調した。
 「そんなこと言って、あんたは館の女の人相手に鼻の下伸ばしてるじゃんか」
 「!お前、未成年の癖に入ってきたらダメだろ」
 「たまたま通ったんだよ。アニエスさんにピアス届けに行った時に」
 確かに身に覚えがありすぎた。どうせ部屋に入った時に偶然居合わせて、隣の部屋にでも隠れたんだろう。まさか同じ部屋のクローゼットの中に隠れたとかいう、ありそうでなかなかないパターンだったりして。
 「あれはなぁー、その、アニエスとは別に単なる茶飲み友達であって」
 なぜか浮気がばれた夫調のしゃべりになった。年下の子供相手に。
 「別に子供だからってごまかさなくていいよ。あんたが村にいる間はいっつも館で遊んでることは知ってるから」
 「あ、そうなんだ」
 二階に突き出た方はどんな顔をしてるんだろう。一ヶ月に一度でも、積み重ねれば成長していくということか。
 「お前、大人になったなぁ」
 階下のダメな大人は、足に向ってつぶやいた。
 足は器用に、親指の角度で照れを表現している、ように見えなくもない。同時に小さな声がする。
 「でもさ、まだ、名前がないんだよ」
 子供のことを呼んだことはない。呼びようがないから。
 「あぁー……そうか」
 十数年来の知り合いなのに、名前も知らない。村の人からは、この子は芽菜の子と呼ばれている。
 最初に聞かされたのは、この子が同じ年くらいの村の子供に呼ばれたのを聞いた時だ。
 「ナメコかタケノコみたいでしょ」
 「あぁ、確かに」
 幼い高めの声で、自身は鈴寧と名乗る少女は笑った。その芽菜の子は慣れているのか、ふてくされて横を向いた。
 あれは幼なじみ同士のたわいない、繰り返しの冗談。それ以上ではないはずだけど。
 「そうだ。今回帰るまでにさ、考えとこうか」
 「何を」
 「お前の名前。人の名前なんてつけたことは一度しかないけど、もしよかったら」
 足はスッと天井に引っ込んだ。
 「親方に聞いて、いいって言ったら、よろしく」
 人一人通れるぐらいの穴から、半分解凍しかけたような声が降りた。


2003年06月09日(月)



 今、ほしいもの

 「親方」
 「親方だなんて、また。芽菜の娘、私のことは……」
 砂漠の小さな嵐が現れてから一時間後。村の中心にある館の二階。
 老婆はため息をついた。顔中に刻まれた人生の様々な紆余曲折がそのまましわになっているような老婆だ。目の前の突然押しかけてきた、自分の孫ほどの年の子供に手を焼いている。
 子供は村の見張り台を自分の巣のようにしている。勝手な縄張りを作るんじゃない、と軽く小言を言うために呼びつけたはずなのに、いつの間にか一時間も居座られていた。
 「わかってるよ。でもあんたは私にとっては親方だ。それより」
 「仲間に入れたつもりはないよ。勝手に勝手な呼び名で呼ばれる筋合いもない」
 甘くしたつもりはない。厳しくしているつもりもないが、この子供は他の村の連中と違って優しくはできない。
 万年ゆがんでいるフレームのメガネから覗く瞳は、子供だった。
 「名前がほしい」
 「だめだ」
 「だって、不便だよ」
 「何遍も話した通り、ここでは自分の女親以外に名づけの資格は誰にもないんだ。たとえ管理人の私でも、ね」
 よその人間が聞くと奇妙極まりない話だが、子供は名前がない。
 「それがわからないんだよなぁ。別にいいじゃん」
 「そんな風に軽く考えているうちは余計名前を与える訳にはいかないよ」
 この問答は、子供が生まれてから何百回と繰り返されている。
 「なんで?名前ってのはつまり、人の呼ばれ方でしょ」
 「違う。それならただの呼び名にすぎん。お前が芽菜の娘と呼ばれているのと何も変わらない」
 「変わるよ。芽菜の娘ってのは私のことだけど、私の名前じゃない」
 「芽菜という者がお前の母親だったんだ。仕方なかろう」
 その母親は、今はもういない。
 「でも、それと私の名前は関係ない」
 子供にとって、顔も見たことのない母のことなど、何度言われても他人同然なのは仕方ないことだ。老婆も、母のことは名前以外は話したことがなかった。
 「ほぅ、ならばお前は名前とは何だと思う?」
 「名前ってのは、その、私のことだ、と思う」
 風に吹かれすぎて始終ざわざわしているような脳みそで、なんとか答えた。ほんの時々だが、この子供はちゃんと考えることができる。
 「だろう?大切なことだ。軽々しく他人が決められない。たかだか、町外れの駆け込み宿の管理人風情が」
 「でもさ、私はあんたのこと嫌いじゃないんだよ」
 「その程度ではだめだな」
 老婆はこの子が嫌いではない。

2003年06月07日(土)



 先取り

 「夏ですなぁ」
 「まったくもって夏ですなぁ」
 「……どうしたんですか、二人とも」
 「ん?佑もそんな涼しげな顔してないで、こう夏らしく暑そうなだるそうな態度を取ろうよ」
 「いや、それってわざわざやることじゃないでしょう」
 「甘―い。わざとやることによって本気の本当に暑くなった時ごまかしがきくだろ」
 「何をどうごまかすんですか」
 「今暑く感じるこの熱気はいつものごとく演技による気のせいだ、と激しく思い込むことができる」
 「無理ですよ」
 「無理じゃなーい!ナサネバナラヌナニゴトモ」
 「千歳さん、カタコトになってる」
 「そんなことしてないで、涼しい所へ行くとか、他に方法が」
 「脱ぐ?」
 「うわ、極端だなこの人」
 「多分服脱いでも暑いことには変わりないと思います」
 「うぬぬ、いっそこの人皮を脱いだら」
 「中身は何?何か違う生物が出てきたりして」
 「それはアレだ、あの……メソ」
 「メソ!?」
 「それじゃ逆ですよ」


2003年06月05日(木)



 プレブス

 足りなくなっていたオイルを充填した。
 昨日の晩、オイル切れの警告がついたのだ。前に一度、不精なのが災いして切らしたまま走らせ、あげくエンジンを悪くしてしまっている。自分のならいいのだ。直すの自分だし。問題はこれがほぼ四人の共有の乗り物だってことで。
 「お、ちゃんと整備してんだ。珍しいな」
 エンジンから真っ黒な煙が吹いた時に、真っ先に後頭部を強打してくれた人物がにこやかに現れた。
 「また誰かに頭はたかれちゃたまんないからね。大事な脳が調子悪くなっちゃうよ」
 「大丈夫。社長は少し叩いた方がまともになる」
 「おい」
 彼女はきれいに拭き終わったシートをなでた。どちらかというと、これに一番愛情を懸けているのは彼女だった。もっと大型のバイクはあるのに、一番小さいこいつは別枠で気に入っているようだ。
 「明日、行くんだっけ」
 「そうそう」
 「目一杯ふかすなよ。チビなんだから」
 前カゴに入れっぱなしになっていたスティックシュガーをつまみ出しながら言った。
 「これ、何」
 「あぁ。こないだパン屋でもらってさぁ。出すの忘れてた」
 半分黒ずんでいる。
 「変なもん入れていくなよ……仕事なんだから」
 薄暗い電球の光でも、とってもいやそうな顔をしているのがわかった。
 裸電球には蛾がたかっている。
 「あの辺、風強いから、気ぃつけて」
 明日行く村は強風の中にある。よほどの用事がなければ部外者が訪れることはない村。この白いスクーターは、部外者ではない。
 「飛ばされないようにするよ」
 「あぁ、人一倍気をつけてよ。社長も乗り物も両方小さめなんだから」
 気づかないうちに、前に貼りつけたステッカーを指でなぞっていた。鈍い光の下で、DSの文字が輝いていた。

2003年06月03日(火)



 見張り台の上のめがね

 黄色い土ぼこりが舞う。この村へたどり着くには、いやでも強風にさらされて全身黄色くならなければならない。一番近くの町からざっと一昼夜歩き通してようやく到着するような距離。この村は、距離だけ見ればそうS級の中のS級の辺境ではなかった。
 口の中まで黄色になるかと思うほどの風に吹かれてまで、ここに来る者は少ない。なぜかといえば、それほどの価値がないからだ。金になりそうなものは何もない。ただの貧しい岩肌と砂塵ばかり。
 一筋の飛行機雲が、地上に現れた。
 「おー」
 双眼鏡なしでもはっきり見えるが、格好いいから双眼鏡を使うことにしている。
 訪問者だ。岩肌の上を滑るように、砂煙が湧き立つ。見張り番は、二階建ての家の上に無理やり作った三階ぐらいの高さから、身を乗り出して観察する。
 歩いているぐらいじゃ、ああはならない。あの真っ直ぐ伸びる蛇の足跡のような、くっきり一本の黄色い嵐。
 「来たな、配達屋」


 懐かしい風景を見ていた。
 朝目を覚ましていた時には残っていた感覚が、急に冷めていく。あれはなんだったのか、ぼんやり思ううちに早くも忘れてきた。
 「おはよー」
 気のいい、テンションの高い同僚がにこやかに笑った。

2003年06月02日(月)
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