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俗にいうカップリングなんですが。ちょっと今日はふと思いついたのでその話をします。 まず、小学生の頃から同人話をしている友人Aさんという人がいます。なんでか大抵彼女と好きなカップリングはかぶりません。でも、そのAさん(描き手さんでもあるのです)の描いた逆カップリングの作品は読めるのです。抵抗はないし、むしろ楽しんでいます。私は常々思います。Aさんと私は攻め受けに関する必要条件が違うのではないか。だから、真逆のカップリング話なのに私は読むことができる。むしろ私の攻めはAさんにとっては受けで、私の受けはAさんにとっては攻め。そんな気すらしてきました。 BBという作品、あのハイテクゴマを回す小学生たちを描いたアニメです。その同人の新刊をもらいました。その中のとあるほのぼのマンガに、今回の疑問を湧かせて、また回答も与えてくれたセリフがありました。が、許可とってないのでセリフは書きません。そのマンガは彼女いわく、M×Tらしい。でも私にはT×Mに思える。 さて、ここで考えました。私は「もっと自分を見て」というようなニュアンスのセリフを口にしちゃう人は、受けと認識します。これは私の同人腐女子回路です。んで、色恋沙汰には疎そうにみえるけどちゃんとわかってる部分もあって、いざとなったら許容してやれるほう、が攻めです。ま、ぶっちゃけていうとワンピースのルフィをこのタイプだと思っています。だからAさんは、「アプローチするほう⇒攻め」「アプローチされるほう⇒受け」というイメージなんじゃないかなぁ、と思います。私とは逆です。私は「アプローチするほう(前述の、もっと自分を見て、のような)は受け」、「されるほう(一見鈍感)」は攻めです。 いつも意見が合わない理由、合わなくてもけんかにならない理由がなんとなくわかった気がします。もっといろいろ突っ込んで考えてみたいのでまた後日続きを書くかもしれません。
こういう己の萌え分析みたいなのしたくなるのって、中島梓の小説道場最終巻を読んだせいかなぁ。
2002年10月28日(月)
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