あのメロディーを思い出して。

2002年02月28日(木)
きのうは、かなりイライラした文章を書いてしまった。

というのもねぇー!…いや、細かく話すのはよそう。
虚しくなるだけだし。

ただひとつ、ここに書いても差支えないものといえば。
きのうコンビニから帰って来る時、ウォークマンの電池が
「メロディーフラッグ」の寸前で切れて。
それが、とてもとても悲しかった。
たいしたことではないのだけれど。
すごく、悲しかった。
イントロのアルペジオ2音ぐらいのとこでピーって、
終わってしまって。

その時、私の中もピーって終わったような気がした。
大袈裟だ。すごく大袈裟なんだけど、そう思えた。

悲しい気持ちのまま、ボソボソと「メロディーフラッグ」を
口ずさみながら歩いて帰ったんだけど。

私、この曲好きだな。
とても好きだ。
優しくて、強くて。
大事な誰かにも贈りたい、そう思える唄。

とてもイライラしてたし、悲しかったんだけど。
人の感情なんて一度にいくつもあるもんだ。
怒ってるのに嬉しかったり。
悲しいのに暖かかったり。

 
 変わる景色に迷う時 微かな音が確かに響く
 消える景色のその中に 消せない旗がある

 ここで 今 君の手を 掴む為のメロディーフラッグ
 遠い約束の唄 深く刺した旗





春が嫌い。2

2002年02月27日(水)
昨日バインのラジオを聴いていたら、田中さんが「春が苦手」と言っていた。おお。私と一緒じゃない。

近頃、店頭のお菓子がイチゴ味に変わり始めた。
実に腹立たしき衣替えである。
私はイチゴ味のお菓子が嫌いだ。
だってアレ、イチゴの味しないじゃない?
チョコレートは普通のやつが一番おいしいし、イチゴだって生で食べるのが一番おいしいのだ。
イチゴ(もどき)味なんかで春を感じられる訳もない。

しかも。
今日コンビニに行ったらラーメンが塩味ばかりではないか。
まさか春イコール塩とか言い出すつもりではないだろうな。
すると、某製品のパッケージ
「春の塩味」
なんっじゃそれ。
初めてタグ使ったぞ、おい。

何を以って春イコール塩?
塩って春作るものなの?もしそうならば許す。
塩関係者の方、いましたら教えて下さい。

ちっきしょう。
嫌な春っぽさが色めきたってきた。
田中さん、一緒に春を乗り切りましょう…ね。





こたつの中から

2002年02月26日(火)
時計に目を遣る。

…まだこんな時間。

こたつに潜りこむ。

…あったかい。

目を閉じる。

…お腹空いたな。


あったかいのは、こたつだけ。
時計のデジタル表示は私の感覚とはズレて。
身体はバカ正直にも腹を空かす。

あほらしい。

私が今、食べ物を喰らって血肉を肥やしたところで
一体何の為になるというのだろう。


それでも私は生きよう。
大袈裟な言葉であっても。

君が居ても、居なくても。
それでもまだ先が見たいから。




春が嫌い。

2002年02月25日(月)
花粉症だから。
でもまぁそれは、鼻炎持ちの私にとっては一年中花粉症みたいなもんだし。春だからどうっていうものではない。

学年が上がるからってのもある。
また学年始の慌しさとか身体測定とかしんどい行事がある。授業を組むのも面倒だな。
でもまぁそれは、小中学生の頃のクラス替えの憂鬱に比べたら大した事ではない気もする。

服装が微妙ってのもある。
暑いんだか寒いんだかの中間季節は、何を着て出掛けようか悩んでしまう。あまり服の持合わせもないしコーディネイト?できん!
でもまぁそれは、ファッションセンスの無さであるし。春も秋も中間季節っていう意味では一緒よね。うん。


では、春の何が嫌いなのか。

それは「春っぽさ」だ!!

新しいことが始まる予感!
新生活応援!
すべてが希望に満ち溢れるよう!
華やぐ町並み!
春るんるん!

みたいな。
オープン・ザ・マインド!
みたいな。
うげぇ。
そういう空気感がたまんなくイヤ!

ここまで言ってしまうと人間性疑われる危険性大だな。

いや、でもホントだし。
ただ補足するのであれば、上記以外の春らしさ、例えば「春眠暁を覚えず」的な感じはかなり好き。
花が咲いてるのを見てボーッとしたりとか。
そういうのは好き。

冬が好きだから、それが終わるのが悲しいっていうのもある。
楽しい冬を切ない感じに、楽しくない春をウキウキな感じにまとめ上げようとする世相が気に食わんのかも。

今日外を歩いていたら花の香りを感じてしまった。
それ自体は幸せなことであるのに、春が来る…と思ってしまった途端にローテンション。

こんな時はバインの曲を聴くのだ。
まだ冬…大丈夫。そう、まだ冬だ…
え?なに?
 春はもうちょっと先の事でしょ あれま もうすぐかい
うそーん。
そんな事言わないで、もう少し待ってて…




脱線。(モラトリアム)

2002年02月24日(日)
きのう、久しぶりに高校の時からの友達と会った。
久しぶりって言っても2ヶ月ぐらいだけど。

彼女たちは短大生だったり専門学生だったりで、あと1年で社会人にならなくてはいけない。
1年後自分が何してるか解んないよ…そう言う彼女たちの表情は明るくない。

私にはまだ猶予がある。
あと3年もある。
ギリギリの力で手に入れた4年間。

1年前、この4年間を手に入れた事がどれ程嬉しかったか。
ずっと行きたかった学校で過ごす4年間。
その内の1年がもう終わってしまった。
私は学校で何をしただろうか。
何を学んだだろうか。
才能溢れる同級生がたくさんいた。
良い先生もいた。
学校の環境は、私の憧れを裏切ることはなかった。

1年間を充実感いっぱいに感じられないのは何故?

新しい環境に身を置いても、自分が前へ進まなくては何も変わらないのだ。
私はその一歩を踏み出さないまま1年を終えた。
いや、踏み出したものも引っ込めたのかもしれない。

いろんな課題や授業を通して、私は自分の力の無さを嫌というほど思い知らされた。
その時「なにくそ!次こそは!」というやる気が生まれてこなかった。力の無さに落胆し落ち込んでいき、やがてはそれを忘れようとする。
その繰り返し。

悪循環だと解っていても抜け出せない。
要は自分の甘さなのだ。

社会に放り出されるという同級生の現実。
私は残された猶予の間、放り出されるのではなく自らの力で社会に歩み出て行ってやる、という気持ちになれるだろうか。





ライブ映像。

2002年02月23日(土)
 ライブでの空気はあの日のものでしかなくて、例えどんな
 カッコイイ映像でも忠実な再現にはならないのだけど。

…と言ったのは水曜日の私。

この一文を書く時、実は私の中で様々な想いが交錯していた。

我ながら酷なこと言いやがる。

忠実な再現にはなり得なくともライブ映像には様々な意味があるのに。
良いライブを形として残しておく為であるとか、ライブを観た事のない人に行きたいと思ってもらう為であるとか。

それらの意味を成す映像をつくる事は、とても難しい。
どうしたら、そのライブを一番良い状態で映像に残せるか。
それには表現の工夫が必要なんだ。
躍動感や息遣い、そういう臨場感を「再現にはなり得ない」映像で「伝える」のは、とても力量の要ることなんだ。

つくり手の意識がなくてはいけない。
つくり手の意識が入りすぎてもいけない。

私はGRAPEVINEのライブ映像を見て、あの日の興奮をよみがえらせる事が出来た。
それはつまり、つくり手の想いが伝わったという事だ。
彼らのライブを多くの人に届けたい。

そう思って働く人が彼らの周りにたくさんいる。
その人達がいるから私たち、多くの彼らの音楽を好きな人間に、今日も彼らの音楽が届くのだ。

そんなことを思いながら音楽を聴く(あるいは映像を見る)のは、もしかするとあまり良い見方ではないのかもしれない。

でも考えちゃうもんは、しかたない。
彼らと、それを支える人がいて、なんつーか幸せ…っていうか、良かった…とか思うわけでして。
特に映像で伝えるっていうのは音楽にとっては必要だ、と私は思うし。でもそれには、いろんな人の手が必要なんだ。

なんかそういうの言いたかった。
言い足りないような気もするし、言い過ぎたような気もするが。

私は音楽が好きだし、映像も好きだし、それを伝えようとする人たちを尊敬できる。とても。





一週間です。

2002年02月22日(金)
にんにん。

日付2並びということで。

このエンピツ日記を始めて一週間が経とうとしている。
昨日の投票数が4票だった。自己新記録。
バンプ効果かバイン効果かは不明。
でも嬉しい。
自分の書いた文章を読んでくれた人がちゃんといるんだなあ。
という目安になる。数字は。

メールも頂いた。
これは、かなり予想以上に嬉しかった。
私の日記を読んで嬉しい気持ちになったと言ってくれた。
全然知らない人から、あんなに嬉しい言葉が頂けるなんて。
エンピツ、ちょっといいじゃない。
そんな始まりの一週間。


きのう、『jupiter』聴きながら寝たら今日の朝方、もんのすっごい怖い夢を見た。
バンプのせいじゃないよねえ。
幸せな音楽が悪夢をもたらす訳ないわ。
怖い夢を見なくなる方法が知りたい…



爆笑ミュージック。

2002年02月21日(木)
素晴らしい音楽がたくさんの人の耳に届く事は、とても当たり前だけど難しい事だったりする。
その点において、BUMP OF CHICKENはすごい。
音楽が素晴らしい上に、CDも売れている。
それだけたくさんの人々が彼らの新しい音を待ち望んでいたのだ。
私もその中の一人だ。

そわそわしながらCDをプレイヤーに入れる。
耳が私の手を焦らせるんだ。
まぁそう焦るなよ。すぐに最高の音を聴かしてやるから。

音が、スピーカーから溢れ出して私は思わずにやけてしまう。
囁きから始まった2年前のアルバムとは全く違う。

なんて力強いんだ! この音は!

これでもかと言うように「君」の背中を押している。
そんなに押さなくっても大丈夫だよ
私は、また笑ってしまう。

そうなんだ。
ずっとこいつを待ってたんだよ。
この人達の音楽を待っていたんだよ。
ひろい宇宙を唄うような。
力強くて、でっかくて。

確実に前へ進んでいる。
確実に骨太になっている。
彼らはあんなに華奢なのになぁ。



私はバンプの曲を聴く時、痛くてたまんなくなる時がある。

ヒリヒリする傷口を見せられている気がする。
それを見て自分にも同じような傷があることに気付かされる。
気付かないフリして、見ないようにしてきたのに。

思い出させるなよ って思うのに。
なんでそのまま曲を聴いていてしまうのだろう。
その曲には決して傷を治す力はないのに。

治す力なんかなくても、きっと違う力があるのだろう。
痛い傷を一緒に泣いてくれる力。
早めに治そうな、って笑いかけてくれる力。
そっと傍に居てくれる力。

聴く人にとって、その力は違うだろう。
聴く時によってだって違ってくるだろう。

今回『jupiter』という作品に出会って、私はそんな想いをより一層強くした。

彼らの新しい音楽に触れられて、そのことが嬉しかった。
予想を裏切られる新しさにも、今までと変わらないものに触れるのも、嬉しくて私は笑う。

いつまでも大事に持っていられる音楽がまたひとつ、増えた。

同じように思っている人が何十万人(ひょっとすると何百万人?)もいるかと思うと…すごいなぁ、というのと共にバンプに「良くやったよ!ありがとう!」って言いたい気分になる。






贅沢な時間。

2002年02月20日(水)
なんだか、すごく贅沢な時間を過ごしてしまった気がする。

というのも。今日CDを3枚も買ってしまったからだ。
バインのライブ盤、バンプの新アルバム、くるりの新曲。

もう、3枚のCDをレジにどすーんと置いただけで変な汗が滲む。
だって、合計で8144円ですよ。
日常SEIYUと100円ショップでの買物に軸を置いている私が。
ええどうせ小心者ですよ。

でも。
帰り道、自転車の籠の中で3枚のCDと中国緑茶とコロッケパンが揺れているのを見て私はものすごく幸せな気分だった。
それだけで。


まず最初にバインのDVDを観た。このパソコンちゃんでね。

ものすごい…笑った。
テンション上がりきった。
あの日の感覚が少しずつ戻ってくる。
あの日、とても幸せで楽しくて最高っ!って思ったライブ。

田中さんの笑う顔。
西川さんのギターさばき。
亀ちゃんの開いた口。
金やんの頭のタオル。
高野さんのジャンプ。

もう、全部がオモシロくてしょうがない。

あのライブでの空気はあの日のものでしかなくて
たとえどんなカッコイイ映像でも忠実な再現にはならないのだけど。

あーやっぱりイイ!!

っていう再認識には最高の素材。

またライブに行きたくなっちゃたじゃないか!
このやろう!!



ご飯を食べて、テレビを見て。

『ワールズエンドスーパーノヴァ』を聴いて。
『jupiter』を聴いて。

こんなに、すっごいものを一日で体感してしまって。
いいのか?
やっぱり、贅沢すぎる気がした。

新しい作品に関しては、もっと聴きこむ必要がある。
感じたことも、また後日書く事にする。







脱線。(ロッテと基次郎)

2002年02月19日(火)
今ロッテのアーモンドチョコ食べてて思ったんだけど
私ロッテのお菓子好きなのかも。

小さいころ一番好きだったのがコアラのマーチ。
母親に「お菓子1個だけ買ってあげる」って言われると絶対コアラのマーチ。

その後ハマったのがチョコパイ。
あの1箱に6個入ってるやつ。
あれは小学校高学年位の時に祖母がよく買ってきてて。
結構高いから自分では買えないんだよね、チョコパイ。
3人兄弟だから1人2個しか食べらんないし。
そのへんの、ちょっとした高級感がたまらない。
今は1個ずつのバラ売りもしていて、初めて見つけたときは感動したなー。
「50円で味わえちゃうのか!」とかって、チョコパイ熱、再熱。

別にロッテの回しもんとかじゃないけどねえ。
好きなブランドって言ったらロッテとか言っちゃうかも。
それぐらいのノリだろうなぁ。



脱線ついでに、昨日読んだ本の話。
梶井基次郎の『檸檬』の中の短編を幾つか読んだ。
「泥濘」「冬の日」あたりは、かなり好きだな。
何か暗いものを抱えながら街を彷徨う主人公の姿や、その周りの風景が見えてくるような描写。
暗いものを振り払えるわけでもなく。
いや、振り払ってしまってはいけないのかも知れない。
抱えているから、生きていける。
何も持っていないと軽さに身体が浮いてしまいそうだ。
浮いた身体は、何処へいってしまうか解らない。

少なくとも、今の私はそんなふうに思う。

暗いものは、たくさん抱えている。
明るいものは、少し、でも大事に抱えていよう。




我思う、故に…。

2002年02月18日(月)
この日記の名前を見て「おっ」と思い、読んでくれた人がいるかと思う。
その「おっ」は、おそらく的を得ている。
[discord] はGRAPEVINEの曲から拝借した名前だ。

『discord』は昨年の6月に発売された。
3ヶ月連続リリースの1発目であり、リーダー・西原誠の休養後の1発目でもあった。
サポートメンバーを迎えるも、GRAPEVINEは3人体制となっての活動。
その第1作目が『discord』(=不協和音)とは。
「これだからこの人達は…」
と、正直「やられた感」で一杯にさせられたのを今もよく憶えている。

リーダーが患っていた腕の治療に専念するとして休養に入ったのが4月。
手術をして、なんとかベースを弾けるぐらいの状態にはなったという情報が入ったのが12月。
最近のインタビュー等からは「今年中には4人で…」なんていう言葉も聞かれるようになってきた。
リーダー復帰の話題になると必ず田中さんの口から発せられる言葉がある。

「復帰するからといって、それを感動話にはしたくない」
「復帰記念ライブで、帰ってきたー!どぉーん!とか絶対にしない。いたって普通にする。休んだことも、戻ってくることも当たり前のことだから」

この発言を聞く度に私の中で納得しきれない想いが湧き上がる。

確かに、彼の言うことは間違ってはいないけれど。
リーダーの腕が悪くなったのは以前からの事で、私達ですらいずれは休養をとるだろうと予測していたけれど。

リーダーの休養も、復帰も、全部普通のこと?
GRAPEVINEが4人でステージに立つという、あんなに当たり前のことすら出来なかったのに?

昨年のツアーで得たものはたくさんあったと思う。
私は音楽の技術的なことは全然詳しくないけれど。
きっと。いつもとは違う環境で、新しいサウンドを創り出して。
リーダーが戻って来たら、また以前とは違った響きが生まれてくるんではないかという期待すら持たせてくれた。

だからこそ、普通のことだなんて言って欲しくない。
「当たり前のことやから」で済ませて欲しくない。
3人での活動には大きな意味があったのだから。

とは言えど、私だって感動ヒストリーにしたいわけじゃない。
ライブで「西原誠、帰ってきたぜー!」とかされるのは気持ち悪いし、勘弁して欲しい。
ただ、あの発言は少し気になるだけ。
やっぱり、リーダーには早く戻ってきて欲しいし。(←結局それが本音か?)

こんなふうに、いつもなんやかんや考えてしまう。
「これだからこの人達は…」
なんて嘯きながら笑みが零れてしまうのは…私の弱さか。




ワールズエンド・スーパーノヴァ

2002年02月17日(日)
真暗な部屋に帰り着き、私はいつものようにステレオのスイッチを入れる。
床に誘われて、その場に寝転がる。

流れ出す音楽はゆっくりと私の身体の中に満ちてゆく。
奥のほうをさわさわと撫でるように。
背中を伝うリズムが私を少しだけ、揺らす。
身体が床に沈んでゆく。

「重なる夢 重ねる嘘 重なる愛 重なるリズム」

毎日嘘をついてるのは決して本望ではないんだけど。
でも、そうすることでしか、やっていけなくて。
ごめん。
本当は、いつも言いたいのに。

朦朧とする意識の奥、エンドレスなメロディーが支配する。
世界の終わりの深みを流れる風に乗る。
目を閉じて。


「どこまでもゆける」


時間はどこへ流れたのだろう。
カーテンを開けると、山の向こうが白んできていた。
その眩しさに、私は思わず目を細めた。




思いつきだっていいじゃない。

2002年02月16日(土)
さて。
まだ夕方だけど、登録した勢いで書いてしまおう。

そう。
勢いです。これはすべて。
友人が2人この「エンピツ」を使ってて、自分はHP持ってないけど暇だし、いっちょやってみようかと。
投票システムになんかも参加してみたりして。
「音楽」カテゴリで良かったのか?
たぶん、日々音楽の事を考えてるし。
ハズれてると思っても、そこは勢いでなんとか。

やるからには続けたい。
誰か読んでくれる人がコッソリできたら尚ヨシ。

うおらっ!
初日の日記これでオーケイ!
…っと。




もくじ 次の日 pd / mail / MY+ / A+

Design : maybe / Illustration : ふわふわ。り