

「おまえの好きなことなら何でもやってやるよ」と言い、すべてを受けいれる吉蔵。定の望むこと―、愛液をつけた椎茸を食べさせたり、老芸者を抱けと言ったり、快感が増すからとセックスの最中に首を絞めてみたり・・・何でも許してしまう吉蔵。
印象深いシーンは、床屋から帰る吉蔵が軍隊とすれ違う場面。ただすれ違うだけのシーンだが、国のために死んでいく兵隊たちと、命を懸けて女を愛する吉蔵が見事に対比されていました。
| 2003年01月21日(火) |
映画グリーンディスティニ−の作曲賞タン・ドゥンさん |
チョウ・ユンファ主演のグリーンディスティニ−でアカデミー作曲賞を取ったタン・ドゥンさん、Shinchanはタンさんのレコーディングのため何度90年にニューヨークへ行ってから息投合して、その後何度もあっています、その彼からメールがきました。以前、グリーンディスティニ−の作曲のため、日本の太鼓を使いたいという相談がありまして、だったら鼓童を紹介するよ、というやり取りでしたが、日程の調整がつかず、あの時は断念しました、今回香港映画の製作で始めて鼓童の演奏が録音されました、そのお礼と後ほどMDを送るよというメールでした。
ウォーターパーカッション
ウォーター・パーカッション とオーケストラのための協奏曲〜武満徹の追憶に(1999)」(日本初演)を演奏。その見事な音楽作りに多くの聴衆に深い感動をあたえました。その時のウォーター・パーカッションの奏法はこのようにして演奏します、Shinchanも和太鼓の作曲作品「海わたる風」で使用しています。
タンさんは言います「いま中国では、古くからの伝統的な文化や習慣が忘れ去られようとしています。こうしたものを捨てて、便利で合理的な西洋の文明だけに身をゆだねてもよいものでしょうか。
日本にも古くから伝わる美しい文化があると思います。それを思い起こして、考えてみて下さい。」
なかなか会えないタン・ドゥンさんと共通の友人、馬友友さん「日本の音詩情」間宮 芳生 編曲、というCDになりました、YOYO-MAさんのセロとShinchanの小鼓でソロの掛け合いなんかもあって、彼はヨーと掛け声をしてセロを叩いて遊んでました、あのCDはニューヨークには未だ売ってるらしいのです。
ついでにチョウ・ユンファ(周潤發)さん男達の挽歌を観た時、なんか日活映画みたいで、俳優の小林 旭さんに雰囲気が似てるなーと思ったら、本人云く「小林旭さんは子供の頃からのあこがれで、香港で日活の映画を研究していてあの[男達の挽歌」になっていた。」と言っていた。
わかる気がしますね。
| 2003年01月20日(月) |
神の子どもたちはみな踊る[村上春樹] |
Shinchanはあの時、東京のマンションで朝5時頃までワープロで企画書を書いていました、何時もならNHKは東京の渋谷の風景を写して、全国の天気がテロップでながれるのですが、5:50分頃"大阪で強い地震がありました"という地震情報が流れました。ふーん?震度4と出たので、東京でもたまにあるよな、という感じでそのまま寝ました。
Shinchanはその頃神戸市北区に家を持っていて、東京、京都、神戸と慌しく移動するのが日課になっていました、もちろん妻子は神戸にいます、実家も西宮なのです。
朝何時だったか友人からTELがあり「テレビ見てる、神戸が大変な事になってるぞ」
高速道路が落ちて、神戸の何所から煙が出て燃えていました、京都の弟子にTELして「とにかく京都まで行くから、それから車で神戸に行くぞ」
で事務所にTELして、仕事を当面キャンセルすることと、Shinchanのかわりを探してもらう事を頼みました。そして事務所の携帯電話を借りて、出発しました。ぞくぞくTELが入り、仲間がカンパを銀行に振り込んでくれました、感謝しています。そして京都から大阪の淀川を越えて豊中の手前までなんとか、車でたどりつきました。
とりあえず携帯から自宅と実家には連絡がつき、全員無事だというのも確認出来ました、自宅の息子は「箪笥や食器が落ちて大変やけど家は壊れてへんよ、避難所でボランティアしているので忙しいねん、ただママが精神的に参ってるからはよー帰ってきたって」なんて言っていた。自宅の親父は「大丈夫やけど、携帯ガスコンロのボンベが欲しい」と言っていたので、リュクサック、ヘルメット、ミネラルウオータ、使い捨て懐炉、手袋などを買って歩いた・・・さーそれからが大変、車は大渋滞、消防車や救急車がサイレンだけを鳴らして渋滞の中にいる、崩れた家の廃材をどけて救助している自衛隊員、消防士、警官と一般の人達に混ざって救助を手伝いました。
あ!赤ん坊が・・・皆涙を流しながら・・・毛布に包む・・・おーい機械ないんかー、まだ声がしてんねぞ!・・・男10人がかりでコンクリートを動かそうとするが・・・あかーん・・・どないせえちゅうねん!!・・・。
で武庫川を北の方から渡ってようやく自宅についた、一つ丁目が違うだけで被害の差が大きい、幸い自宅周辺は不思議なくらい家が倒れてなかった、なんだか知らんけどその夜はすき焼きだった、ビールも酒も飲んだ、親父がしきりと笑う・・・西宮の酒工場では倒れたタンクの中で乾杯して酒飲んでるおっさんがおった・・・あの頃皆、多少変だった・・・。
阪神高速ぞいに神戸に向かって歩いてました、阪神電車の魚崎駅前商店街が火を吹いて燃えていた、でも消防車がいない・・・Shinchanが育った神戸が燃えている!
三宮で三菱地所に勤めている友人と会う「銀行も地所もメチャメチャやねん、南京町でラーメン食べよ、10円やで」美味しかった寒さに震えていたShinchanは涙が出るほど嬉しかった、南京町の方有難う御座いました。
そして友人のスクーターで自宅に向かった。
妻の言葉
「今ごろ何しに来たん!」

「・・・ごめんな・・・」
生命と家は無事でした、でも心はお互いに崩壊しました、村上春樹さんの『地震のあとでー神の子どもたちはみな踊る』をお読み下さい。
| 2003年01月19日(日) |
秋野豊Last Samurai |
国連の事で忘れられない人が秋野豊さんです・・・その死はあまりにも惜しく残念です・・・。
外務省から国連タジキスタン監視団(UNMOT)に政務官として派遣され、PKO活動に従事しておられましたが、搭乗する国連車が首都ドウシャンベ東方の山岳地帯を走行中、身元不詳の武装集団による待ち伏せを受け、秋野氏は同乗のシェフチク少佐(ポーランド)とシャルペジ少佐(ウルグアイ)の両軍事監視員、タジク人のマフラモフ通訳兼運転手とともに射殺されました。殉職された4人の国連関係者に対し、合掌。享年48歳
タジキスタン共和国
Republic of Tajikistan
あれはモスクワへ向かう飛行機の中でしたね、隣り合わせになり、日本酒、ウォッカをお互いに飲み、世界情勢を語り合いましたね、スッチーのお姉さんが呆れてたで兄貴。そしてモスクワで又何年かたって会った、「寒いからさー、1本柔道でもやるか!」と言いながら又二人でヘベレケになった・・・ 僕も今年、彼と同じ歳を迎えます、秋野さんに言われて忘れられないのは「民族音楽で分かち合える事は素晴らしいね、俺達が食料や薬を運んでて何か足りないと思ったのは、歌なんだよな、だからこれからShinchan達と共同作業しなくちゃな!」
これは未だ実現できてません、今、大変なイランや北朝鮮で世界民族芸術祭を大きな規模でやれば、攻撃なんて出来ないのになー、なんて思っています。
いい兄貴だった、一緒に柔道したかった・・・もっと飲みたかった・・・Shinchanも頑張ってその遺志を継ぐからね、待っててね。
秋野先生論文
http://www.mars.dti.ne.jp/~asanos/articles.html
秋野 豊さんを慕う古くからの仲間たちが、秋野さんを偲び詠ったCDを制作しました。
CDの構成は、
1) 秋野さんを偲ぶ詩 ラスト・サムライ〜真の勇者へ〜
作詞小笠原 理、 三枝史子
作曲 半谷 譲
歌 半谷 譲
2) 秋野さんの講演
秋野さんが自らの夢と使命を語った1997年「北方領土返還要求・青森県大会
記念講演」での「動き出したユーラシアと日露関係」の講演の一部を収録。
となっております。CD入手ご希望の方は下記にお問い合わせください。
http://www.akinoyutaka.org/about/board/aimono.html
| 2003年01月18日(土) |
ピグミーその素晴らしき音楽 |
国連の報告から
★コンゴ民主共和国で兵士による人権蹂躙を確認
国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUC)は15日、同国における兵士による重大な人権侵害に関する報告を行い、コンゴ解放運動(MLC;Congolese Liberation Movement)及びコンゴ民主連合(RCD-N;Congolese Rally for Democracy/National)の兵士による組織的な略奪とレイプに関する被害を確認した。
★安保理、コンゴ民主共和国の全勢力に平和協定遵守を要請
安全保障理事会は15日、コンゴ民主共和国の将来に影響を与える全勢力に対し、2002年12月17日に調印されたプレトリア合意(the Pretoria Agreement)を遅滞なく履行し、人権・国際人道法・それぞれの勢力化にある国民の安全と健康の尊重を示すことを要請した。
以上国連デイリー・ハイライトより
http://www.issue.net/~sun/dh200301.html
まずクリミア・コンゴ出血熱について。
ザイールの首都キンシャサから北へ500キロメートルほどのところにヤンブクという村があります。1976年8月末、ヤンブク村に住む44歳の教師が熱を出し、ヤンブク伝道所病院でマラリアの治療薬の注射を受けました。しかし、嘔吐、下痢、歯茎、 鼻、消化器からの出血という症状を示し9月8日に死亡しました。その後同じような 症状の患者が続々と現れ、最終的には患者数318名、うち280名が死亡するというかつてない致死率の感染症となりました。
※この病気はヤンブクの近くを流れるコンゴ川の支流であるエボラ川にちなんで、エボラ出血熱と名付けられました。
Shinchanは'89にザイールでマラリアに罹り、軍隊の飛行機でパリに搬送された経験をしています、80〜90年代はエボラ出血熱のためドゴール空港のアフリカ経由は神経質なほど検疫を強化していましたね。
国境なき医師団日本
http://www.japan.msf.org/
ピグミー族はアフリカ中央部、中央アフリカ、カメルーン、ザイール、コンゴ、ガボンなどの森林地帯に住む民族です。成人男子でも150センチ以下という小柄な民族です。住んでいる地域によって、大きく AKA族 ・ MBUTI族 ・ MTWA族 の3つの部族に分けられます。森林で30〜40人程度の集団(バンド)で生活しています。狩猟などにより生活し、食料が乏しくなったり環境が悪くなると集団で移動して新しい生活の場を求めます。そして、雨期になると森林の近くにある農耕集落に出て来て生活をし、雨期が終わると再び森林へ帰って行きます。ただし、自由気侭に密林の中を彷徨するわけではなく、ある程度決められたテリトリー内を転々とするのです。長い農耕民との共生によって、ピグミー本来の言語もすでに消滅し、とくに1970年辺りから、その文化さえも消滅する危機にあります。
ではそのピグミーの密林のポリフォニーを聴いてみよう。
Sound1
Sound2
| 2003年01月17日(金) |
ピグミーの人達の悲劇 |
Marcus Perkinsさんのレポートを読んで驚愕しています。
ピグミーとは、英語でPygmiesは小人という意味で通っています、この写真もスキンヘッドのPerkinsさんとピグミ―の大人達とのショットです。
(掲載許可済)
An official with a rival rebel group, the Congolese Rally for Democracy-Liberation (RCD-ML), said: "We hear reports of MLC and RCD-N commanders feeding on sexual organs of Pygmies, apparently believing this would give them strength. We also have reports of Pygmies being forced to feed on cooked remains of their colleagues."
Shinchan訳
ライバルの反逆者グループを持った職員[民主主義解放(RCD-ML)のためのコンゴの解放者]は言いました「私たちは、MLCに関する報告書およびRCDN指揮者が見たところでは、これが強さが宿る事を信じて、ピグミーの生殖器を常食にするのを聞きます。さらに、彼等の仲間の料理された残りを常食にすることを強いられているピグミーに関する報告書を今、書いています。」
げ!ほんまかいな!
ShinchanはCNNのサイトと国連高等難民弁務官事務所のサイトを調べてみました
2002/12/27
コンゴ民主共和国(DRC:the Democratic Republic of the Congo)の北東部において、反政府勢力の軍事攻撃が継続していることについて、アナン事務総長は深い懸念を表明。
2003/01/09
コンゴ民主共和国の北東部において恣意的処刑や深刻な人権侵害が行われていると伝えられる事態を受けて、国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUC:the UN Organization Mission in the DRC)は、調査のために、専門家チームを同地に派遣。
このようにイラクと北朝鮮の問題に目が行っている時に国連もこのような手配をしているのですね、でジュネーブの国連支援事務所にいる葵ちゃんに電話したところ、各部族のシャーマニズムによる食人の問題と虐殺は分けて考えないといけないと言ってました。
それでShinchanはPerkinsさんにメールを送りました、"旧ザイールのバントゥー系フツ族は宗教慣習から食人をしているのではないか?それと内戦による虐殺と処刑は分けて考えた方がいいのではないか?"
その返事は「Shinchanもここにお出で」という事でした。
なぜ、コンゴでは軍事衝突と混乱が続くのだろうか。表面的な動きだけをみても、その理由は見えてこない。根底には、国境を越えたいくつもの民族対立とゲリラ闘争がある。そして対立の源は、1994年にコンゴ(当時はザイール)の東隣のルワンダで、多数派のフツ族が少数派のツチ族を大量虐殺したことにさかのぼる。
※フツ族とツチ族の対立がコンゴに飛び火
ルワンダにはもともと農耕民だったフツ族が住んでいたが、15世紀に牧畜民だったツチ族がやってきて、武力によってフツ族を支配した。1962年に独立したが、90年代に入ると両民族間の抗争が激化し、フツ族が実権を握る政府に対して、ツチ族のゲリラが優勢になっていった。1994年、フツ族の大統領がなぞの飛行機事故で死去したことをきっかけに、フツ族政府は組織的にツチ族を殺害し出したが、結局ツチ族ゲリラが政権を奪取し、復讐を恐れる多数のフツ族が西隣のコンゴに亡命し、難民キャンプがつくられた。
つづく
Marcus Perkinsさんはこの写真で後方左で赤のトレーナーを着てスキンヘッドにしています。彼はプロの報道カメラマンで、Shinchanとは空手を通じてパリで知り合いました。
(掲載許可済)
この写真は元英国海軍パイロット、John Sykesさんのご家族と元帝国海軍零戦パイロット原田要さんご夫妻がロンドンで邂逅した時のPerkinsさんの写真です。 Perkinsさんは真珠湾攻撃の日本側のパイロットと当時真珠湾にいた米海軍の元兵士を尋ね、詳細な調査によるインタビューを重ねて、元兵士同士の顔合わせを実現している男です、最近は米空母に特攻した神風特攻機の残骸から日本刀を保持していた米国人から日本刀の返還を希望され、日本で詳細な調査と遺品返還実行委員会の協力で、その日本刀を遺族に返還を実現したという実績の持ち主です。
Perkinsさんのサイトでは上の写真で1942年第二次世界大戦中、イギリス領セイロン上空で闘った零戦戦士(原田氏)の本を読み、雑誌にその紹介記事を書いたところ、英国元海軍兵士John Sykesさんから「それは私です」という連絡があり、直ぐに調査が開始された。



双方の記憶がそのデイテェールまで一致した為、John Sykesさんは原田さんに手紙を書いた「是非お会いしたい」と、それで実現したのが最初の写真です。
この写真はあのアフガン戦争の時難民キャンプで撮影されたものです、Perkinsさんはこの時、メールで写真を添付して送ってきました「500万人が今今後数か月の間飢餓の危険にいます。「本当に黙示の」ものと、アフガニスタンで働く英国の機関の連合による最近の報告書は、人道主義の状況を評します。3年間の失敗した政策は、パキスタンとイランへ、アフガニスタンへ、その境界を横切ったキャンプへ流れ込む何十万もの難民に会っています。」
これは米英軍によるアフガン空爆時のリアルなメールでした。
昨日のPerkinsさんによるアフリカ、コンゴの現状のレポートは遠い日本にいるとピンとこない内容ですが、けっして平和ボケしてはいられない日本だという事をPerkinsさんは静かに訴えているようです、正にガソリンが満たされた部屋でピストルをお互いに向け合って、脅しの文句を言っているような現実をしっかり見つめなければならないと思います。
最後にアフガニスタン難民の写真です、少女に見える女性は母親で子供を抱いている表情が全てを物語っています。
| 2003年01月15日(水) |
緊急報告アフリカ・コンゴの実情 |
Shinchanの友人でロンドン在住のジャーナリストMarcus Perkinsさんからのコンゴ取材報告が届きました。
The United Nations is investigating reports of cannibalism by rebels in north-eastern Congo, where the slaughter of civilians continues unabated despite peace agreements.
The Congolese call themselves a "cursed people". With a war that has left an estimated 3.5 million dead, the people of the Democratic Republic of Congo (DRC) have probably suffered the worst massacres of any single nation since the Second World War.
Shinchanの訳
国連は、北の東コンゴ(ここで民間人の虐殺は引き続き和平協定にもかかわらず衰えない)で反逆者による食人風習に関する報告書を調査しています。コンゴのものはそれら自身を「呪われている民族」と呼びます。概算350万人の死者を残した戦争で、コンゴ民主共和国(DRC)の人々は、第二次世界大戦以来任意の単一の国家の最悪の大虐殺を恐らく受けました。
Manodje Mounoubai, a spokesman for the UN mission in Congo, told the Associated Press yesterday that during the past week UN investigators had been looking into reports that Congolese rebel troops had killed and eaten Pygmies. The rebels of the Congolese Liberation Movement (MLC) and Congolese Rally for Democracy-National are apparently killing the Pygmies if they return from hunting expeditions without food.
Manodje Mounoubai(コンゴの国連の使命のスポークスマン)は、過去の周辺国連中に、コンゴの反逆者軍隊が殺した報告書および食べられたピグミー族を調査官が調査したと昨日AP通信社に伝えました。見たところでは、それらが食物のない遠征をすることから生じる場合、民主主義国民のためのコンゴの解放運動(MLC)およびコンゴの回復の反逆者は、ピグミー族を殺しています。
ピグミー族の人達は伝統を重んじ、平和主義者にして誇り高き民族です、このような事になっているとは夢にも思いませんでした。
皆さんはあの鈴木宗男衆院議員のコンゴ人私設秘書、ジョン・ムウェテ・ムルアカ氏を覚えてられると思いますが、身長2メートルでビッグジョンという渾名がついていましたね、Shinchanは彼と何回か会っており、ザイールパーカッショニストB・Bモフランさんも彼に紹介してもらいました。
ザイールパーカッショニストB・Bモフランさんとは大の友人です。
モフランさんのレクチャー
http://www1.seaple.ne.jp/nia/Culture/mo-franck.htm
Shinchanがザイールに訪れたのは1989年でパリのテレビ局の仕事だった、ザイールは音楽に満ち溢れた平和な国だった。Shinchanの見た限り、1年以上も給料を貰っていない兵士達でさえ決して銃を人に向けることなく、トラブルには説得で臨んでいた筈だったし、最も好戦的な人が多いと言われていた中西部カサイ州を旅したときでさえ、人々は非常に穏やかで、激昂して罵り合うことはあっても、暴力をこの目で見たことがないほどでした。
コンゴ(旧ザイール)はアフリカ諸国の中で内戦の絶えない国です、又先進国のグローバル化政策の影響がこういう所にも影響されているのですね、日本から遠い国で遠い話ですが、成人した若者達は一度こういう地域に行ってみるといいでしょう、現代科学、政治、宗教でも如何ともしがたい現実を見て人生観が根本から変わるでしょう、国境なき医師団、キリスト教のボランティア、NGOと少数ですが日本の若者も活躍しています、皆さんはどう思われますか?
しかしながら渡航するためには、コンゴ出血熱やマラリア等の予防接種や事前の情報収集が絶対に必要となります、蚊や蝿、野菜、果物、生水は要注意です。

コンゴ民主共和国
97年5月、ザイールで政権交代があり、国名及び国旗が変更
されました。現在も政情不安定のため、日本政府は、
退避勧告・渡航自粛勧告を続けています。
隣に「コンゴ共和国(Republic of the Congo)」があり、区別するために、コンゴ・キンシャサ、またはコンゴ・ザイールと呼ばれることもあります。
ロンドン在住のジャーナリストMarcus Perkinsさんのサイト
http://www.marcusperkins.co.uk/frames/latest.html

Shinchanの所属しているNPO法人日本音楽集団
M君とは20代の頃、日本音楽集団で出会いました、彼は尺八奏者です、若手の為の練習が終わると、当時練習所がT音大にあったので、池袋の安い飲み屋さんで、今の邦楽界はどーのこーのとか現代邦楽はあーだこーだと、議論しながら酒を酌み交わしました。
彼の実家は名古屋でお寺さんをやっていました、彼も僧侶としての資格があり、後に僧侶をしながら、プロとして尺八も吹くという生活に入りました、名古屋へ行くと近所の串かつ屋へよく行きました、味噌煮込みなのでShinchanは少し苦手でした。
S「そろそろ所帯持ちーな、彼女かわいそーやで」
M「寺にはなかなか難しい問題があってなー、そう簡単にいけへんねん」
S「で、ナニは終わったん?」
M「そんなん出きるわけないやろー!こう見えてもわしゃ僧侶やで」
S「ヒェー!戒律守ってんの?京都の坊さんにその垢飲ませてやりたいわ」
M「そういう訳じゃなしに、結婚するまではあかんねん」
S「まさかマダやないやろ?」
M「遊びの交わりは別や、親鸞さんが言うとる」
S「話の解るええ教祖さんやなー」
ちなみに浄土宗は法然さんが開祖で知恩院が本山
西本願寺は浄土真宗本願寺派
東本願寺は真宗大谷派という、東西とも開祖は親鸞さん
M君は今から4年前心臓発作のためアッという間に浄土に召されました・・・親鸞さん、ちょっと呼び戻すのが早過ぎるのとチャイますか?・・・
日本音楽集団のサイト
http://www.promusica.or.jp/index.html
| 2003年01月13日(月) |
比叡山で思った事�� |

Shinchanは宿坊でうつらうつら夢を見ました。
幼児こ頃、あの伊勢湾台風の最中小さな川に落ちて、不思議な体験をした事です。
・あれーここは?・・・Shinchanはどういう訳か解りませんが、白い服を着た病院の先生が太い注射をShinchanに刺しているのを見ています、看護婦さんはShinchanに管のあるマスクを被せています。
「奥さん、呼吸は戻りましたので大丈夫ですが、急性肺炎を併発しています、全ての処置はしました、後は息子さんの体力、気力です、今晩がヤマです。」
外は益々風と雨が強くなり、病院の蛍光灯も点いたり消えたりしました。お母さんはずーと側にいます、Shinchanは・・・大丈夫ここ・・・と言いたいのですが、フワフワしていてお母さんの側になかなか行けません。
「Shinchan、Shinchan、あんたは絶対大丈夫、死んだりせーへんよ、お母さんはねー知ってるの」と手を取って話しかけています。
「・・・・」
すると又綺麗な光の玉がやってきました、そして目が眩み、眠たくなりました。
この体験はなんだったのでしょうか?この時Shinchanは言葉が遅れて、近所
の子供達から唖のShinchanと言われていました、でもこの時の記憶は今でも
鮮明に覚えているのです。
この事を考える上で
近代科学の本源とも言えるギリシャでは、どうだったか。古代ギリシャの哲学者
プラトンは、この世を本来の世界の影のごときものと考えていた。しかも、この
賢人は名著『国家』の中で、火葬寸前に蘇った兵士の、死亡中に体験したこと
(現代でいう近似死体験)を語らせ、詳しく記録してもいる。また、肉体は死す
べきもの物質的なもの、霊魂は不死なるもの形而上のもので、この二つは個人
の生涯にあって、ただ一時のあいだ連合しているにすぎない、すなわち
「肉体は霊魂の牢獄である。肉休から魂が解放されることが死である」
と述べている。さらに『共和国』の一節には「正しきものに与えたまえる
神々の祝福は、現世の富や栄華よりも尊く、また永久的なものである」とあり
、このようなプラトンの霊魂観は、初期キリスト教の哲学者に影響を与えるこ
とになる。
『純粋理性批判』などで名高いドイツの哲学者イマヌエル・カントも、心霊や
超常と呼ばれている現象に対して、柔軟な態度でその研究価値を認めていた。
比叡山で見た夢は生命(魂)は三世に亘って続くという事です、
そして微かな記憶では、人相の悪い人達が、俯いて、打ちひ
しがれてある方向へ歩いているのです、その様子は大変寂しく
悲しい感じがしました。
ふと外へでると満天の星が輝いていました、広大無辺の大宇宙じたいが誕生と死を包含して、そこには愛や慈悲に満ち溢れているような気がします。
年末から寒波が到来してここ延暦寺にもかなり雪が積もりました、目的は能囃子の稽古と寒さ対策のため和太鼓を打ち込む事です。朝5時には魚版、鐘が打たれ朝の勤行が始まります。
Shinchan達が合宿のためお借りした宿坊の近くのお寺から法華経を読む声が聞こえてきます。
妙法蓮華経 方便品 第二
爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。
甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。
所不能知。所以者何。仏曾親近。百千万億。無数諸仏。尽行諸仏。無量道法。勇猛精進。名称普聞。成就甚深。未曾有法。随宜所説。意趣難解。舎利弗。吾従成仏已来。種種因縁。種種譬喩。広演言教。無数方便。引導衆生。令離諸著。所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足。舎利弗。如来知見。広大深遠。無量無碍。力。無所畏。禅定。解脱。三昧。深入無際。成就一切。未曾有法。舎利弗。如来能種種分別。巧説諸法。言辞柔軟。悦可衆心。舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。止舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。
現代語訳
そのとき、釈迦牟尼世尊は、身も心も安らかに、不動の境地に入っておられた。やがて、ゆっくりと静かに立ち上がられて、み仏の弟子で智慧第一といわれた舎利弗尊者に向かって、こう告げられた。
もろもろの仏の智慧は、まことに深い。仏以外のものには、とうていはかり知ることはできない。
もろもろの仏によって、さまざまに説かれた智慧の門は理解しがたく、その中に入っていくこともむずかしい。仏の教えを聞いて悟りを求めるものや、ひとり修行して悟りを開いたすべての仏弟子でも、これを知ることはできないほどである。
なぜなら、仏はかつて、百千万億の、いやそれ以上のとても数えきれないほどの間、もろもろの仏のそば近くで親しくつかえ、悟りを得るために計り知れないほど教えを修行しつくし、その名があまねく聞こえるほど、勇気をふるい立たせ精進をかさねて、ひたすら悟りを求めてきたからである。
しかも、きわめて深く、いまだかつて聞いたことすらない最高の悟りを成し遂げ、その悟りきわめた教えを聞くものの状態に応じて適切に説いてきたために、仏の心をたやすく理解することはむずかしいのである。
舎利弗よ。
わたしは、仏になって以来、さまざまな実例やいろいろなたとえ話をひいて、広く教えを演説してきた。たくみな手だてを数えきれないくらい用いて、一切の人々を仏の道に導き入れ、もろもろの煩悩の執着から離れさせてきた。
なぜなら、仏は、いろいろな手だてを用いて悟りに導き、智慧をさずけて悟りにいたらしめる道とを、すでにことごとくそなえているものだからである。
舎利弗よ。
仏の智慧は、広大で深く、はるかに長くはかり知れない。それは、楽しみを与え苦しみをとり除き、喜びをもたらし迷いをぬぐい去り、いかなる障りにもさえぎられない力をもち、いかなるものにもおそれることのないものである。
仏は、身も心も動ずることのない平静な心に入り、煩悩からまったく解き離れた完全で平安な境地に住み、限りなく深い、いまだかつてない教えをすべて悟り、仏の道を成し遂げているのだ。
舎利弗よ。
仏は、よくさまざまの考えをめぐらして、たくみに、もろもろの教えを説いている。やさしい言葉で人々を導き、人々の心に悦びを与えている。
舎利弗よ。
要するに、はかり知ることのできないほどの限りない、いまだかつて示されたことのない教えを、仏はことごとく悟りきわめているのである。
舎利弗よ。
もう、やめよう。ふたたび、このことを説いてもしかたがない。
なぜなら、仏の成し遂げた悟りの境地は、もっともすぐれており、まことにたぐいまれで、たやすく理解することのできない教えだからである。ただ、仏と仏とが語りあうことによってのみ、その教えをきわめつくすことができる。それは、仏のみがあらゆるものごとの真実の姿を悟っているからである。
あらゆるものごとの真実のすがたとは、いったい何か。それは、もろもろのものがいかなるすがた形を示しているのか。いかなる性質をもっているのか。その本体は何であるのか。どのような力をもっているのか。いかなる働きがあるのか。それらのものごとがおこる原因は何か。ものごとの関連性や結びつきはどのようであるのか。それらの結果はどうであるのか。その結果のあとのありさまはどのようであるのか。こうした、はじめから結末にいたるまでの事がらが、たがいにかかわりあいながら、それぞれ等しく、つねにはてしなく結びあっている、ということである。
これが、すべてのものごとの真実を悟りきわめた仏の深い智慧なのである。それゆえに、かたよった見方や少しばかりの悟りにおちいらないよう、平等で真実を見とおす仏の智慧をそなえるようにつとめはげむがよい。

朝は雪かきから始まります、すると汗びっしょりになるので、大急ぎで宿坊へ走って戻り着替えるのですが、水行をしている僧侶を見ていたShinchanは、水行への参加をお願いしました。すぐにお許しが出ました。、六尺褌を購入して、雪かきをして汗びっしょりになったまま褌一丁で水を被るのです"気持ちいーいい"
仏は三世の生命を説いています、死に向かって1歩1歩進むんですねー、理屈では解っていますが、死に対する精神的な備えなんかは、全く持ってません、したがって自分が何故生まれてきたのか?を問うた貴重な時間となりました。はたして他人の為に無償の行為が出きるのでしょうか?今後残された人生最大の課題となりました。
・・・仏の智慧は、広大で深く、はるかに長くはかり知れない。それは、楽しみを与え苦しみをとり除き、喜びをもたらし迷いをぬぐい去り、いかなる障りにもさえぎられない力をもち、いかなるものにもおそれることのないものである・・・。
Shinchanの叔母(81歳)さんの旦那(叔父)さんが病床に伏し入院したとき、姪に"もし死んだ場合、約300万円の貯金があるから、葬式代に使ってくれ"と実印と通帳を渡したそうだ、そして姪の言うには、"妻を老人ホームに入れて、土地家屋を売ってもよい"という内容だったという。
しかし遺言に対する民法には大変細かく規定されており、姪親子の言うような幼稚な言い分は通用しない。
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第969条 公正証書によつて遺言をするには、次の方式に従わなければならない。
1.証人2人以上の立会いがあること。
2.遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること。
3.公証人が、遺言者の口述を筆記し、これを遺言者及び証人に読み聞かせ、又は閲覧させること。
4.遺言者及び証人が、筆記の正確なことを承認した後、各自これに署名し、印を押すこと。ただし、遺言者が署名することができない場合は、公証人がその事由を附記して、署名に代えることができる。
5.公証人が、その証書は前4号に掲げる方式に従つて作つたものである旨を附記して、これに署名し、印をおすこと。《改正》平11法149 第969条の2 口がきけない者が公正証書によって遺言をする場合には、遺言者は、公証人及び証人の前で、遺言の趣旨を通訳人の通訳により申述し、又は自書して、前条第2号の口授に代えなければならない。この場合における同条第3号の規定の適用については、同号中「口述」とあるのは、「通訳人の通訳による申述」又は「自書」とする。《追加》平11法1492 前条の遺言者又は証人が耳が聞こえない者である場合には、公証人は、同条第3号に規定する筆記した内容を通訳人の通訳により遺言者又は証人に伝えて、同号の読み聞かせに代えることができる。《追加》平11法1493 公証人は、前2項に定める方式に従つて公正証書を作つたときは、その旨をその証書に附記しなければならない。
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★姪の言い分
�…鳴△伴属�鑑、キャッシュカードで現金を引き出そうとしたが、通帳にはほとんどお金が残っていなかった。
�△世�ら私夫婦で約200万円の葬式代を立て替えた。
�E效呂伐伐阿良床然曚鮖碧―饂里僕蠅鵑把瓦戮討發蕕辰拭�
�そ派磴琉筝世暴召ぁ⊇琶譴鮗�児島の老人ホームに移す手続きをした。
★現実には
�〔い世防毀世猟鳴△肇�ッシュカードがあり、叔父と叔母の銀行貯金、郵便貯金、国債証書の行方等を大阪弁護士会から調査が開始された。
��Shinchanの調査では、ある通帳には姪は叔父が死亡する3日前に叔父と叔母の年金を全額引き出しているのが解る、その使い道は不明。
そしてもしその時、貯金が残っていなかったら、叔父死亡時に叔父の親戚と話し合った「200万ぐらいの葬式を出そう」という方向には決まらなかったはずである。
��あくまでも憶測だが、最初から密室の談義で叔母を老人ホームに入れて、土地家屋を売却し、叔父の300万円の貯金も着服して、200万円の葬式代を立て替えたと叔母に請求した★なんと叔母の借用書も存在していて、叔母の記憶には書いた覚えはない、Shinchanがみるところ、姪の手紙等でその筆跡は限りなく姪のそれに近い、ましてや叔母は大正生まれで女学校を出ているため、Shinchanや姪の世代が書くような字ではない、これも弁護氏会を通じて科学的筆跡判定をしていただいている。
�い海譴鮟颪�と切れそうになるが、叔父の告別式終了後、約2週間後、かってに荷物も整理し★金の指輪、ネックレス、時計等行方不明。高価な物を持ち出し、箪笥貯金や畳貯金でもあるとでも思ったのか、箪笥は開けたまま、畳は上げたままの状態でほったらかしていたという近所の人の証言があり、それを叔母は震えながら見ていたそうだ。そしてShinchanのお母さん(叔母の妹)や他の姉妹に電話したという。
★姪の父(叔母の兄)は鹿児島で牧場を経営していて、ローンを組んで大きな邸宅を建てた後、狂牛病でかなり借金を抱え疾駆八苦している。
★姪の旦那は土建業を営み、昨年からは失業している。姪は夜の仕事に出ている。
このような家庭環境で200万円の立替はさぞかし大変だっただろうと推察する。

Shinchanとお母さんは大阪の福祉事務所とも相談して、叔母の家にキッチン、風呂場、トイレに繋がる所に手すりを付けることにしました、そしてShinchanからのプレゼントはトイレにセンサー付きの暖房を取りつけるよう電気屋さんに頼みました、叔母は未だ介護を必要とはしていませんが、お風呂に入る時にはヘルパーさんの監視をお願いしました。
愛犬のコロ君は叔母と同じ布団の中で寝ます、そのコロを保健所に出し、八匹の猫達を追い出しそうとした時叔母は泣きながら「やめてくれー」と言ったそうです、Shinchanが子供の頃は大きな秋田犬3匹に柴犬1匹がいました、名前は[力][龍]を覚えてます、Shinchanはリキの背中に乗って大喜びしていたそうです。
叔母さんが半年ぶりにお風呂に入ったと言っているのを聞いて涙が出ました、一人暮しなので心配ですが、関西に仕事で行った時には、というか出きるだけ叔母の家に行くようにしようと決めました。

大雪の比叡山延暦寺、宿坊に泊まり、石油ストーブ、それも古いやつが一つと囲炉裏に薪をくべるだけ、内部もやっと5℃、朝5時には魚版が鳴り、鐘が打たれ、最初夜型のShinchanにはとても辛かったです。そして各坊で朝の勤行が始まります、般若心経だったり法華経だったり、そのモノフォニーが各坊で響きあって心地がよかった、朝の掃除は道を作るための雪かきに変貌して零下の中で汗だくになる、急いで戻って下着を着替えていたのだが、ある場所で御僧侶が水を被る行をしていたのを思いだし、参加をお願いしたところ、まず褌をつけるように言われ、六尺褌を購入する、そして雪かきで汗だくになった体に、未だ表面が凍っている水を足にかけ、そして手、頭からサブ―とかける、"快感"そして褌のまま雪の中を走って宿坊にもどる"気持ちいいー"別に修行というよりはサウナの後の冷水のようなものだ「Shinchanもやるやんか!」なんて、でも夜が長い、仲間とあまり良くない相談をして下界におりようかと・・・でも雪の深さに断念してな・なんと、夜10時には眠たくなる、1日10時間は稽古している、めったにやらない能囃子を選んで、稽古する、テレビもインターネットもないただ携帯電話のe-mailだけが届くだけ・・・新製品〜とか出会い系〜とか・・・。
母から電話あり、母の姉、Shinchanのおばさんがとんでもない事になっている、さっそく友人で検事をやっているY君に相談の電話をかける、「最近な一人暮しの老人の財産を乗っ取ろうとする犯罪が増えてるんや!えー弁護士、紹介したる」というわけで、除夜の鐘を聴いて、2日に能舞台に乗り、その足で実家に戻った。
ようするに叔母の旦那が亡くなり、口約束で実印、通帳を預かった母の兄(長男)の娘(姪)が通夜葬式を仕切り、約200万円を立て替えたということで、叔母とその旦那の年金まで引き出し、スッカラカンになってしまった、そして挙句の果てには49日も終わらない内に無理やり荷物を整理して、高価なものは持ち去り、田舎(鹿児島県の東)の老人ホームに入れて、土地家屋を売る算段をしていたのだ、叔母はキャリアウーマンとして定年まで働き旦那もそうで、かなりな資産家だったのだ、ただ残念な事には子供がなかった。

Shinchanは子供の頃大変可愛がってもらった、高価な玩具などは全て叔母が買ってくれた、その叔母が「もー老人ホームで死ぬんやーさよーなら、老人ホームには行きたくないけど、主人が管理していたお金がないんならしゃーない、さよーなら」と母や兄弟に電話をしまくったのだ、そして母の母の家系だから従姉妹が、いよいよ連れていかれる日に「裁判所に訴えるから」ということでストップさせたのだ。

Shinchanは叔母の家へ行った、頭もしっかりしていて犬のコロ君と暮らしていて猫達が自由に出入りをしていた「Shinchan、あの姪はなー猫を捨てて、コロを保健所に入れようとしたんやでー」
Shinchanは切れました・・・
つづく