Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年10月30日(土) ぱどタウン

2004.10.31 3:43

ずっと忘れていたが、ぱどタウンからアクセスがあった。ということで、久しぶりに顔を出してみた。考えてみれば、一時期はずいぶん頻繁にアクセスしていたのだ。最近はほとんど顔を出さなくなったが、今でもインターネット上のコミュニティウェブサイトとしては、なかなか優秀な部類に入ると思う。もっとも、もっと洗練されたサイトがいくらでもあるのだが…。

予想通りと言うか予想以上と言うか、インターネットのコミュニティは、どんどん発展を続けている。どちらかと言うと、コミュニケーション手段に主眼をおいていかにコミュニケーションを取りやすくするかと言ったものより、あくまでも自分が主体で、それに対して他の人がアクセスするタイプのものが主流のようだ。つまり、このエンピツのような日記や、ブログと言ったものだ。一方で、ソーシャルネットワーキングサービスと呼ばれるものもある。グリーがその具体例だ。これは、先ほどの分類で言うと、コミュニケーションに主眼をおいたものと言えるだろう。

コミュニケーション中心型と自己主張中心型。この二つが、今後のコミュニティの中心となるだろう。これらには、今までのインターネットの世界でも見られた区別ができる。もっとも、僕の知る限りは、だが。

コミュニケーション中心型は、いずれもライトユーザ向けだ。登録して、他の人のページを訪れて、一言書き込んだりするだけでコミュニケーションが取れる。自分のページをいろいろと編集したりする手間はあるが、頻繁に更新しなければならないと言った煩わしさはない。逆に言えば、自分の管理スペースに対して手を出せる領域が限られている。グリーはブログとリンクできるので、一概に言い切れないが。ちなみに、現在グリーは、登録者の紹介がないと加入できないようになっているようだ。興味がある方は、メールなり掲示板なりで連絡してほしい。

コミュニケーション中心型に対して、自己主張中心型はヘビーユーザ向けだ。なぜなら、円滑なコミュニケーションのためには高い頻度で自分の意見を更新しなければならず、読む方も当然のことながら、それにすべて目を通すことが要求される。そして、そうやって意見を交わすことでより深い議論ができると思われるわけだ。ブログの場合、それに加えて、関連する意見に対してトラックバックを送る機能によって、その議論を次々とつなげることができる。ただ、読む方はそれをたどらなければならないわけで、それにはそれなりの時間を要する。この点もヘビーユーザ向けと言えるのではないだろうか。

なんだか眠い。寝よう。



2004年10月27日(水) ひずむMP3

2004.10.28

研究室の後輩が、ヘッドホンで音楽を聞いていたので僕も真似をすることにした。もともとヘッドホンを使った方が集中できるのだ。今まで遠慮していたが、後輩がやっているのだから先輩がやっちゃいけない道理はないだろう。おかげでまあ、はかどるはかどる。こんなことならもっと早くやればよかった。

で、それはいいのだが、問題は曲だ。僕はゲームのBGMというのが非常に好きで、自宅にあったいろいろなオンラインゲームのBGMを、Real PlayerでCD-RWに焼き付け、大学に持ってきた。テイルズウィーバーシールオンラインアスガルドのすべてのBGMを焼いて持ってきたので、かなりの量だった。

ところが、聞いてみたらとんでもないことになっていた。デジタルデータなのになぜそうなるのかはさっぱり分からないが、すべてのMP3データがひずんで記録されていたのだ。始まりの5秒くらいだけだったのだが、いったいなぜそういうことになるのだろうか。ともかく、リアルプレーヤーなんて使わずに、ちゃんとしたライティングソフトを使った方が良さそうだ。確か、ライティングソフトは持っていたはずだが…。CD-RWドライブに付属していたはずだ。



2004年10月26日(火) 職務適性テスト

2004.10.27

前にもこんなタイトルで書いたような気もするが、まあいいだろう。10月の上旬に受けた職務適性テストの結果が返ってきた。

このテストが示す、僕の性格の特徴は以下のとおりだ。

  • 物事のとらえ方は理論的なほうです。体系的な理解力や分析力も比較的豊かです。
  • どちらかというと創造的、改善的な意識よりも定型的な意識が感じられるほうです。
  • どちらかというと物事の判断や処理にはあまり気をつかわないほうです。
  • 物事に対するある程度の根気や忍耐力はみられますが目立たないでしょう。
  • 静かで落ちついた生活態度が特に目立ちます。
  • どちらかというと意欲的な態度はあまり感じられないほうで意識もやや受け身です。
  • 自立的な意識は比較的少なく気持ちは柔軟で同調的なほうです。
  • 親しみやすさは感じられますが社交的な態度や人間関係はそれ程目立たないでしょう。
情緒傾向
気分は普通より安定しているほうです。感情の変化は少なそうです。

とりあえずかな遣いが気に入らないが、とにかくこんな結果だった。僕は「〜の方だ」というように漢字を使うようにしているが、ここではかなを使っている。また、「それ程」の部分だけ漢字を使っているのが気になる。さらに読点が少ない。読みやすくする工夫は、あまり考えられていないらしい。さすがに、この程度の長さで読みづらいと思う人も少ないだろうが。

そんな重箱の隅をつつくような言葉遣いはいいとして、内容はかなり真に迫っている印象を受ける。八つの項目と情緒傾向の項目の、全部で九つあるわけだが、すべてが納得できるものだ。他人から見た場合は、優柔不断だから、物事の判断や処理に気を使わないとされていることに違和感を感じるかもしれない。しかし、自分の目で見ればまさにこの通りだ。優柔不断だからこそ勢いで物事を決定し、そのままの勢いで片付けようとする傾向がある。そうでもしないと、物事を前に進めることができないのだ。

さらに、自分を伸ばすためのアドバイスとして以下のことが挙げられている。

  • 思索的な態度が感じられるほうです。理論的、体系的な把握力もみられますので上手に生かしましょう。
  • 人に対する態度は比較的柔軟で同調的です。周囲に合わせる事は苦手ではなく他の意見等にも理解を示します。自分の考えや方向性をある程度持つようにすれば依存的な態度が目立たなくなります。
  • 生活態度の中に軽率さが感じられるほうです。もう少し日常の物事(判断、処理、態度、行動、発言等)には注意する習慣を身につけましょう。不注意はミスのもとになります。
  • 飽きやすいほうではありませんが長期にわたり成果を期待するためには今以上の忍耐力が必要になるでしょう。目標を定めて気長に頑張りましょう。
  • もっと計画的な発想を持たないと物事がうまくすすみません。その場しのぎの考えではなくきちんとした推進の計画をたてる事が必要です。目標を達成させるための具体的な手順を事前に考える習慣を身につけましょう。
  • 考えは定型的なほうで発想も比較的平凡です。改善意識は弱く生活態度も習慣的なため時間がかかります。自分からすすんでアイデアを出したり工夫をしたりすれば物事はもっと改善できます。
  • 日常生活に活発さが感じられません。もう少し態度や行動の活気が欲しいところです。自分で動いていろいろなものを見たり聞いたり感じたりする機会をつくりましょう。行動すれば直接的に新鮮な情報が得られます。
  • 意欲がやや不足しています。日常においても受け身の姿勢が感じられます。もう少し自発的な気持ちを持ち自分の方から動くようにすれば状況は早くすすむでしょう。
  • 人づき合いには関心がありますが多くの人とのつき合いではなく適度の範囲での親交を望みます。人間関係の範囲を今以上の水準に拡大することができれば活動の内容にもっと新しさを加えることができるでしょう。
  • 指導性はごく普通ですので組織や集団の運営の中心になって人をまとめながら動くような場合にはリーダーシップを発揮するための努力が必要になるでしょう。

意外と辛口だ。誰にでもそうなのか、僕の結果が辛口の結果を導くようなものになっているのか。こちらもすべて納得できるもので、特に違和感を感じるものはない。ただ、趣旨は理解できるものの、無茶を言っているような気がしてならないものがいくつかある。

一番気になったのは人付き合いの部分。この文章を作った人も無理なのは承知しているのか、若干控えめに人間関係の範囲を今以上の水準に拡大することができればと、「もしできればいいのではないか」というニュアンスになっている。しかし、それはそれとして、人間関係を拡大することがどれほど難しいことかは、社会人の人脈の話を考えれば容易に想像できる。人脈があれば有利になるのなら、だれだって人脈を広げることを考えるに決まっている。なのにできないのは、それだけ難しいからだ。

次に気になるのは、自発的に行動すれば、とか自ら進んでアイデアを、とか言っている部分だ。字面だけ見ればまったくその通りで疑いようがないと感じるが、これはよく考えてみれば、その前に出ている部分と矛盾する。「不注意はミスのもと」というところだ。不注意はミスのもとだから慎重に行動せよ、と前で言っているのに、後では積極的に行動せよ、と言っている。厳密に言えば矛盾ではないのかもしれない。積極的に、かつ慎重に行動せよ、ということは言えるのかもしれない。しかし、そうは言っても対極に近いことは確かだろう。ここでどちらかを選ぶのなら、僕は慎重を選ぶ。だいたい、積極的に行動しろ、というのはよく言われるが、実際に積極的な人がまわりにいた場合、従順な人でなければ迷惑することも多いのだ。従順であればいいのだろうが、もちろんここで言う「従順」は誉め言葉ではない。僕自身にも当てはまりそうな気もするが。

他にも言いたいことはあるが、研究をサボっている場合ではないのでこのくらいで…。



2004年10月25日(月) ゴッゴル

なんじゃそりゃ?と思われるかもしれない。ゴッゴルは、第 1 回 SEO コンテストのテーマだ。

では、SEOとは何か?細かいことはリンク先を見てもらえれば分かると思うが、要するに検索して一番上に出るようにする技術のことだ。で、前から何度か書いているが、この日記、書いてから数日はなぜかGoogleで上位に表示されやすい。ということで、参加してみようと思ったのだ。まあ、ブログもかなり検索されやすいので、おそらくみんなが競い合っている中で一番になることは難しいと思うが。逆に、これで1番になったとしたら、エンピツの力は実に恐ろしい。

結果はほとんどの人が見られるだろう。ゴッゴルという言葉で検索した結果を見て、トップになっている人が勝者だ。具体的に、いつトップに来ていればいいのかはよく分からない。開催期間があるようなので、できるだけ長くトップを維持すればいいのかもしれない。

参加するにあたって、SEO 検索エンジン最適化というサイトで、一応基礎的な知識を仕込んだ。驚くべきことに、このサイトに書かれていることのほとんどについて、僕はすでに実践していた。要は、簡潔で正しいHTMLを記述すればいいだけなのだ。もっとも、この日記のHTMLは正しくないのだが…。広告部分のタグ付けが間違っているらしい。

まあ、僕自身の結果はどうあれ、おもしろい試みだ。コンテスト開始時は1件も引っかからなかったそうだが、すでに45800件もヒットしている。やはり正しいHTMLを書いた人が勝つのだろうか。



2004年10月24日(日) 未回収債権買い受け

2004.10.25

大学の近くをフラフラ歩いていたら、未回収債権買い受けという看板があった。なかなか回収できない債権を買い取りますって、いったいどういう回収の仕方をするつもりなのだろう。なんとも怖い。

で、その看板を見かけたのが10月12日。すぐに日記に書こうと思っていたのに、気づけば25日に。時間はどんどん過ぎていく。1日が長く感じた中学生の頃が懐かしく思える。



2004年10月21日(木) 脳の溶けるプログラム

久しぶりにまともに作業をした。朝8時に大学に来て、9時に教授のところへ行って、それから16時20分の今までずーっとキーを叩いていた。昼食は食べたが…。さすがにこのくらいプログラムをいじっていると、脳みそがとろけてくる。趣味でやっているならまだいけるかもしれないが…。ミスをすると、後で困るのは自分なので、このくらいでやめておくことにする。あまりやる気はしないが、やらされたにしろ何にしろ、1日ちゃんとやることをやっていればそれなりに満足できるのだとしみじみ思う。それなら言われなくてもやれよ、とも思うが。やれやれ。大学院生にもなって。

23日の土曜日には同窓会があるらしい。今のところ行く予定だが…。正直に言って、会費が痛い。友達とか言う以前に、人と話さない生活が続いているので、なるべく行く予定だが。

今週はずっと朝が早かったので、なんだかボーっとする。7時、9時、6時、5時という起床時間だ。ちなみに、9時というのは本当は7時のはずだったが起きられなかったのだ。いや〜、教授から「不誠実だ」とか何とか「メールで」来て、なんだかびっくりした。なぜか、そういうことは面と向かって言うことはない。こういうことが、なぜか右側を下にして寝ると異常に気になる。左側を下にするとそうでもない。いったい何なのだろう。

最近日記を書いていなかったし、ちょこちょこ気になったこともたまっているのでまとめて書いてしまうことにする。まずは牛丼。最近になって松屋へ行ったら、牛めしが復活していた。以前より100円高い390円だが、それなりに人気があるようだ。本来なら、牛丼にとってありえないはずの希少価値が付いたのだろう。牛丼に希少価値とは驚くべき話だ。ただ、うまく認識して商売をすれば成功できるのかもしれない。

ほかにも、なんでもないものに突然希少価値が出てくるなんて珍しくないのかもしれない。普段はまったく気にしないものでも、手に入らないとなるととたんに気になったりすることは多いものだ。物が売り切れたとき、もっと需要があったのに売る機会を逸しているので損だ、という考え方がある。しかし、売り切れる程度の数しかなかったから、希少価値が出て売れたのかもしれない、と思う。具体的な例が思いつかないのでなんとも説得力のない話だが。



2004年10月20日(水) 愚痴に意味はあるか

2004.10.21

またフッと思いついただけのことなのだが、僕は時々、愚痴を聞かされることがある。僕でなくても、おそらくほとんどの人に経験があるだろう。

一般に、愚痴を聞かされるのはあまりいいことではないようなイメージがある。確かに、済んだ話をいくら言われても意味がないと思うかもしれない。自分が関わるのならともかく、自分に関係がないならなおさらだ。しかし、愚痴を聞かされたような状況と似たような立場になったとき、気分的に非常に役に立つことに気づいた。

上級生から「受験がつらい」とかなんとか言われると、「そう思うなら俺にうだうだ言ってないで勉強すればいいじゃん」とか思うわけだ。で、ある意味相手を見下すような気分になる。ここで本当に見下してしまっては人として問題だが、そうでなければあとあと役に立つのではないかと思うのだ。なぜなら、いずれ自分も同じ立場に置かれるわけで、そうなったときに、他人から見てどう見えるのかが印象に残るからだ。他人事として「そんなのたいしたことないじゃん」と思っていた場合、まったく未知の場合と比べて、気が楽になるのではないだろうか。第一印象が違うからだ。いきなり自分が体験した場合と比べて、他人を通した場合はそれだけ簡単そうに感じる。そういう印象を持っておくことで、大きな課題でも積極的に取り組めるのではないだろうか。

まあ、そうは言っても、聞かされるとやっぱり疲れるわけだが…。ただ、地文が同じ立場におかれたときのことを考えれば、悪いばかりでもないのかな、と思うのだ。



2004年10月15日(金) ももいろコミューン

ミーティングがあって少しはモチベーションが上がるかと思ったが、さっぱりだ。仕方がないな、もう…。

ところで、僕の管理下にある全サイトのうち、CSSが指定できるものについて、ももいろコミューンに賛同してみようと思っている。…そこで問題なのがこの日記だ。

ももいろコミューンは、StrictなHTMLであることを始めとして、いくつかの賛同条件がある。この無料版エンピツは、無料である代わりに広告を表示しなければならない。その広告のタグがStrictなHTMLという条件を満たさないのだ。さらにサーバが文字エンコード形式をx-eucという形式で指定している。これは、昔EUC-JPが公式に認められていなかった頃の名残なのだそうだ。HTMLは、頭に"x-"と付いていればどんな文字コードでも許容する、意外と融通の効く言語…らしい。XHTMLについては良く知らない。知っている人がいたら教えてほしいものだ。調べれば20分以内に見つかると思うが。

そんなわけでどうなのかと思うが、まあ、いいだろう。ちなみに、ももいろコミューンの全条件は以下のとおりだ。

  • ももいろデザインに心うばわれし者。ページの配色印象がおもいっくそももいろ!である事
  • かわいらしく恥ずかしいももいろデザインに気後れが無い事。
  • 文法的というより思想的に Strict な良き HTML を書いている事。またはそれを目指してる事。
  • もちろんレイアウト目的の table を使用してるとか、 font だの b だのが乱舞してるレガシー HTML は大却下
  • そして必然的にページのレイアウトデザインは CSS のみで行っている事。

最初の項目だけ句点がないのは気になるが、ともかく以上の内容だ。思想的に、ということであれば、この日記も大丈夫だろうか。XHTMLとか言われると話しにならないが、HTMLならp要素の終了タグも必要ないはずだし。…言葉の使い方、間違っていないだろうか。要素とタグの意味の違いをイマイチ理解していない。

まあ、それ以前に、あそこまできれいにCSSを扱えるのか…?という問題が…。



2004年10月12日(火) がんばるぬるぽ

未だに「ぬるぽ」というキーワードで僕の日記を見に来る人がいる。すごいことだが、MSNもYahooも、いい加減更新したらどうだろうか。Googleは3ヶ月くらい前に更新されて、既に引っかからなくなっているのに。一応リンクを張っておくか。6月28日の日記だ。

今日は久しぶりにミーティングがあった。だいぶボロボロに言われてしまった。言われたときは何ともなかったが、半日くらいたって、ちょっとヘコんでいる。いつもそうだ。およそ思考といい感情といい、人間らしい活動は日が沈まないとできないのだ。



2004年10月11日(月) 物忘れ

最近、また物忘れがひどくなってきた。だんだんひどくなっているような気がする。今は研究室にいるのだが、ちょっと夕食を買いに出かけていて、研究室に戻ってきた瞬間、研究室に戻るまで考えていたことを忘れてしまっていた。思い出せたのだからまだいいのだが…。研究室に戻るまで日記を書こうと思っていたのに、戻って席に着いた瞬間、明日のミーティング資料の準備を始めようとしてしまったのだ。そして、そのあとすぐにトイレへ行こうとして、研究室を出た瞬間に忘れていたことに気づいた。

この程度ならいいのだが、最近問題なのは、危機感を忘れることだ。「やらなきゃ」と思っていたことを、寝て起きたら忘れているのだ。布団の中で胸がキリキリするほど重大に思っているのに、起きたらもう忘れている。何かおかしくなっているのではないだろうか…。そう言えば、メモを用意して枕元に置いておこうと思っていたのに、まだ実行していない…。布団に入ったときが一番目が冴える。何度でも起きてきてメモをするしかないだろう。



2004年10月05日(火) 堀江社長

堀江社長とは、ライブドアの社長だ。数日前に「人の心は金で買える」という日記を書いたのはこの人の著作を知ったからなのだが、どうやら「人の心は金で買える」とGoogleで検索するとあちこちで物議をかもしているらしい。

これを見ると、彼の意見の是非はともかくとして、おそらく評判を落としたのではないかと考えられる。もっとも、意見を表明しない人の中で彼の意見に同意している人が多数いるとも考えられるので、言い切れるものではないのだが。わざわざ多くの金を出してプロ野球球団を買おうとしているのは、おそらく知名度を買おうとしているのだと思う。しかし、社長のイメージが傷つくと、プロ野球球団を持つことは逆効果になるのではないだろうか。もっとも、ジャイアンツだってオーナーがあんな人でもそれなりに利益が出ているようだから、それでもいいのかも知れないが。単なる思い込みなのだろうが、僕はジャイアンツのオーナーがあの人でなければ、ジャイアンツやプロ野球の利益はもっと大きくなったのではないかと思う。もっとも、人の目を引く力は大きかったようだが。それが利益につながるかどうかは定かではない。



2004年10月04日(月) 大学のシステム

2004.10.5

後期から、履修申請書が必要なくなった。インターネットからの申請のみでいいことになったのだ。それから、成績表も指導教官を経由するのではなく、事務室前の端末を経由してもらえることになった。大学統合を経て、少し便利になってきたようだ。だったら大学のいろいろな情報を、掲示板ではなくインターネットを経由して知らせてほしいものだが、それはまだ難しいらしい。学外からのアクセスを遮断するのは、それほど難しいことではないはずだし、事実今もやっているはずなのだが。履修申請書には指導教官の印鑑と、各講義担当教官の印鑑が必要だったので、これでずいぶん簡単になった。

今日は航路計画論という講義の1回目に出かけていった。プログラミングの勉強をしたいはずなのに、なぜこんな講義を受けているのか…。流されるままに選択するとこういう羽目になる。十分に覚えておくべきだろう。今さら後悔しても遅いのだが。ああ、地域計画研究室を選んでいれば…。まあ、それはそれで何か後悔したのかもしれない。常に自分の選んできた道が最善だったと思うべきだろう。過去には戻れないのだから、最大限プラスに捉えるべきだ。そして、未来の選択に生かすべきだ。なんだかんだで自由に活動できてるし、悪いことばかりではない。何の指導もされていないからひたすら自由なのだが。優秀な学生なら、さぞかしこの環境でうまくやってのけるのだろう。教授は比較的暇な方だし、相談しようと思えばいくらでもできる。他の教授だと、数週間大学にいないことなどザラだ。ましてや他大学では、たった一人の学生に時間をかけて指導することなど、学生の数が多すぎて物理的に不可能だ。いや、まあ、普通はその前に研究室の先輩もいるわけだが…。

それ以外に、何か変わった点はあるのだろうか。そう言えば、変わったわけではないが、大学院になって痛感していることがある。それは、自分で動かないと何もできないこと。今日、大学で職務適性テストというのを受けてみた。このたぐいのものは、学部の頃は講義でアナウンスされたので、意識していなくても自然と受けることができた。しかし、大学院となるとそもそも人と会う機会がない。自分で情報を収集していないと、そういうことをやっていることも分からないのだ。まあ、大学の掲示板を見るだけだからたいしたことではないのだが。10月8日に結果が出るとか出ないとか。教えてくれる友人もいないし、自分で予定などを意識していないと、気づいたら締め切りが過ぎていたなんてことがあり得る。



2004年10月01日(金) 人の心は金で買える

非常に主観的な問題だが、結論から言えば、人の心は金で買えると思う。それはなぜか。

そもそも、人の心を金で買おうと考える人は、以下のような特徴を持っていると考えられる。

  • 人の心がかけがえのないものだという発想がない。(でなければ金で買おうとは考えない)
  • 目に見えないような心と心のコミュニケーションを信じていない。あるいは価値を感じていない。(もし目に見えないコミュニケーションを信じているなら、どれほど金を積んでも怖いはず)
  • 個性に価値を感じていない(感じていれば、こんな問題は人それぞれだとすぐ気付く)

つまり、彼らは人の心の内面を見ていない。見えていないのか興味がないのかはそれぞれだと思うが、ここで心と言っているものに、内面は含んでいない。それ以外の部分、つまり行動に表れる部分だけが重要だと思っているのだ。言葉や身体、それが心のすべてだと思っているのだろう。内面まで見ていれば、金など関係なく、相手のことを知らなければ心を買うなどとは言えないことに気付くはずだ。だいたい人間は、自分自身の心ですら理解していない。そんなものを買えるはずがない。これが一点。彼らの言う心とは、あくまでも表面的なものだ。

次に、彼らの価値基準において心の優先順位は低い。金に換えられると考える時点で心を低く見ていることは明白だ。しかし、それだけなら、金で買える人もいるが、買えない人もいるということに気付くはずだ。しかし、ここでさらに条件を加えれば人の心は金で買えるという結論に結びつく。それが個性に対する価値だ。彼らは人の心の内面に興味がないのだから、個性にも興味がない。だから、もし買えない人間がいたとしてもそんな人間など見なかったことにして、他の人間の心を買えばいい。彼らにとって心とはあくまでも表面的なもので、内面など興味がないのだから、自分に対して愛など、望む心を表現してくれる人間がいれば、それで十分なのだ。

心は表面的な言葉、感情表現がすべてであり、それさえ得られるのなら相手は誰だっていい。そう考えれば言い切れる。人の心は金で買える、と。


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