夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2005年12月31日(土) 百八つの煩悩とともに

 朝、私は実家を発って、東京へ、いや「さいたまスーパーアリーナ」へと向かった。総合格闘技「PRIDE」の試合を観るために、ね。メイン・イベントの小川直也vs吉田秀彦の対戦は「平成の巌流島対決」とか「因縁の柔道王対決」などと話題にもなっていたが、他11試合も含め6時間を超える長丁場であった。面白い試合ばかりではなかったが、それなりに楽しめた。去年の「K−1」に引き続いて、今年は「PRIDE」と、2年連続して格闘技で締めくくった。
 さらば2005年。新たな年がやってくるという実感はないが、凡夫である私は百八つの煩悩とともに来るべき2006年を迎えることになるだろう。



2005年12月29日(木) 心のなかの故郷

  右左口峠(うばぐちとうげ)にあかり連ねて
   炭売りが雪踏みくだる遠きまぼろし (曽根寿子)
 
 冒頭の短歌は、「方代の里なかみち短歌大会」にて特選(4等)となった母の作品である。母の幼き頃の記憶を歌にしたものだが、実際私は目にしたことのない山里の情景が目に浮かんでくるようだ。故郷と古き思い出は、人々に特別な情感をかき立てるものらしい。
 と、まずは身内自慢になってしまったが、郷里の山梨に帰ってまず、母の入選のニュースを知らされた。
 「実はね、僕もある短歌大会に応募した作品が入選したんだよ」と、今度はこちらから返した。「筑波の里愛の歌百選」に選ばれたのは、次の歌だ。

  君となら歩いてみたい雨の道
   二人のゆくてに虹をさがして (夏撃波)

 と、次は自らの自慢になっちゃったね。でも、沢山応募したなかの一首だけなので、まだまだだと思っている。
 さて、郷里に帰った私だが、帰りたいはずの場所が私には同時に帰りたくない場所でもあった。愛すればこそ、いつだって自らの思いは裏切られ、傷心のまま遠ざかっていく故郷。そうなのだ、私は未だに故郷との距離を測りかねているのだ。
 ああ、夢は今も巡りて、思いいずる故郷。



2005年12月21日(水) Happy Xmas(War Is Over)

 今日もまた、星が丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に出演。
 で、『舟唄』(八代亜紀)、『Happy Xmas(War Is Over)』(ジョン・レノン)、そして『Amazing Grace』の3曲を演奏。だけど、お客のなかに酔っ払いがひとり、演奏中に調子はずれの歌声を上げるものだから調子が狂ってしまった(まあ、ご本人に悪気はなく、ノッてるつもりのようだったけど)。まあ、そんなのに負けてちゃいけないのだとも、同時に思ったけどね。



2005年12月18日(日) 雪の降る街を

 雪の降る街を、私は出かけていった。午前中は、知人のダンス公演を観に、午後は詩の朗読会「ぽえ茶」へ。

 今月の「ぽえ茶」の課題詩は、「マウンテン」「キャラメル」「白雪姫」の3つのキーワードを用いた詩、ということだった。今回も、私は短歌(2首)でそれを表現。内容は、以下のとおりだ。

  キャラメルと白雪姫の毒リンゴ
   これが噂の「マウンテン」だね

  マウンテンバイクに乗ってやってくる
   キャラメル噛み噛み白雪姫が



2005年12月15日(木) 詩「新解釈・忠臣蔵(2005)」

   ある朝、私、グレゴール・ザムザが目を覚ますと、
  自分が大石内蔵助に変わっているのに気がついた。

   「そんなバカな!」
   私は現実に起こっている現象が信じられず、つい
  つい「我輩は猫である」などと口走ってしまうが、
  言うまでもなく私は人間、考える葦、「我思う、ゆ
  えに我あり」、というわけだ。

   知らず知らずのうちに、私は見えない糸にあやつ
  られ、自らの運命をたぐり寄せている。
   もはや逃れることはできない。私は、いつの間に
  か身も心も大石内蔵助になってしまったのだ。

   「武士道とは死ぬことと見つけたり」
   主君・浅野内匠頭の敵・吉良上野介を討ち果たし、
  自らも切腹へと向かっていくしかない。
   私は、ハムレットの心境になってつぶやいてみる。
   「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」

   元禄十五年十二月十四日、雪の降りしきる夜、吉
  良邸にて上野介のお命頂戴。私は、主君の無念を晴
  らした。
   けれども、これですべてが終わったのだろうか。
   上野介が今際の際に叫んだあの言葉が、今も私の
  耳に残る。

   「生まれてきてすみません」
   「すべては太陽のせいなんだ」

   上野介の最期の言葉、その声は紛れもない私自身
  の声に他ならなかった。



2005年12月14日(水) ハシゴする

 今夜、俺は出かけた。バックパッカー・ギター背負って、八事へ、そして星が丘へ。
 毎月第三水曜は、朗読イベント「詩のあるからだ」開催日。八事「ポップコーン」にて、自作詩「想像してごらん2005」の朗読と、「アメージング・グレース」の演奏を行なった後、足早に立ち去り、星が丘「スローブルース」へ急行。
 そう、水曜日の夜は「生音くらぶ」だ。俺は、ギターやボンゴ、カズー、それにサウンドホースなどを使って、『つぐない』(テレサ・テン)、『クリスマス・イブ』(山下達郎)、『アメージング・グレース』(言わずと知れたゴスペルの名曲)の3曲を演奏した。
 ライブのハシゴはしんどかったけれど、一方ではとても楽しい経験であった。

 途中で、今日が「赤穂浪士討ち入りの日」であったことを思い出すが、時すでに遅し。明日にでも、「忠臣蔵」をテーマにした詩を発表するとしよう。



2005年12月08日(木) 詩『想像してごらん2005』 

  ジョニー、想像してごらん
  地上は地獄の苦しみにあふれている
  国家が、民族が、宗教が、
  戦争の火種をつくりだす

  今日もどれだけの血が流されたのか
  どれだけの叫び声をきいたことか
  
  恐怖と寒さにうちふるえる兵士たち
  その一方で権力者はぬくぬくと私腹を肥やす

  空爆に逃げまどう子供たち
  小さな棺の前にひざまずく母親の後ろ姿

  ジョニー、
  あなたがかつて夢見た世界は未だ遠い

  それでも、僕は決して絶望はしないよ
  地平線の向こう側には、
  虹色に輝く世界が広がっているのだと、
  僕はこれからも想像していこうと思う

  ジョニー、
  ねえ、ジョニー、
  それでいいだろ
  ジョニー、
  ジョニー、答えてくれよ、
  ジョニー

  けれど、
  ジョニーが再び目を覚ますことはない

  ジョニーは永遠の眠りについたまま、
  今なお終わりなき夢を見続けているんだ



2005年12月07日(水) 師走のスローブルース

 今日もまた星ヶ丘「スローブルース」の生音くらぶに出演。
 自作詩『ボージョレヌーボー解禁の夜に』に続いて『ワインの匂い』(オフコース)を演奏、ジョン・レノン『イマジン』からインスピレーションを得て作った詩『想像してごらん2005』に続けて『イマジン』(ジョン・レノン)を演奏、そしてボンゴ&サウンドホースを使いながらゴスペルの名曲『アメージング・グレース』のコーラス付きバージョンを一人で行う。今回は、お客のノリもよく、非常に盛り上がった。



2005年12月05日(月) 劇団pHー7『檻に棲む』

 劇団pHー7公演『檻に棲む』を観に行ってきた。
 pHー7独自の作劇法として「ヒポカンパス」と呼ばれるものがある。今回はその「ヒポカンパス」の手法を用いている。ざっと説明すれば、こうだ。あらかじめ用意された台本がない状態からスタートする。役者一人ひとりがそれぞれ「ひとり芝居用」(と言っても必ずしも「ひとり芝居」である必要はないのだが)の台本を用意し、稽古のなかで演ずる。そのなかから芝居の素材になりうるものを選び、それらをつなぎ合わせ、ひとつの芝居として構成していく。これが不思議と芝居となるものなのだ。2002年秋の『幻想ヒポカンパス〜太陽と王権〜』を最後に私は芝居から離れることになってしまったのだが、あの芝居は私にとって非常に重要な意味をもつ経験となった。
 で、今回の芝居を観ての感想だが、ひとり芝居はそれなりに面白いものもあったのだが、芝居全体を通してみると何か物足りない。一つひとつの「ひとり芝居」がバラバラに並列されているだけで、まとまりに欠けているように感じられた。観客として物語に入り込めないままに芝居は進行し、ひとり置き去りにされたような感じとでも言おうか。
 pHー7の芝居には思い入れもあり、思いはさまざまに交錯するが、もっともっと面白い芝居を観てみたいものだと思う。



2005年12月03日(土) 大須師走歌舞伎『由比ヶ浜ノ仇討』

 あれからもう7年の歳月が流れたわけか・・・。
 7年前(1998年)の12月、私は大須演芸場の舞台に立っていた。当時「スーパー一座」の新人役者だった私は、師走歌舞伎公演『奥州白石噺』に端役で出演していたのだ。宮城野・信夫の姉妹が父の敵・志賀団七を討つという仇討ちの物語をベースに、いくつかの物語が重層的に絡み合いながら展開するという芝居だった。
 その『奥州白石噺』を<江戸バージョン>というなら、今回上演の『由比ヶ浜ノ仇討』は<上方バージョン>とでも呼ぶべき芝居である。元の話は一緒だが、<上方バージョン>のほうが全体にユーモラスに表現されているようだ。
 休憩を挟み3時間40分の長丁場だったが、時間を忘れて芝居を楽しんだ。終演後の「富くじ」で見事「味噌かりんとう」が当たるというおまけつき。やはりスーパー一座の師走歌舞伎を観ないでは新年も迎えられないというもの。
 大須演芸場を後にして、私は夜の栄(某ロック居酒屋)へと消えていった・・・。


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