夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年10月26日(土) 実存的自己

 今日は、稽古に行く前に、プロジェクト・ナビ公演「想稿 銀河鉄道の夜」(北村想 作・演出)を観て来た。
 私が高校生だった頃(野田秀樹、鴻上尚史が登場する少し前)というのは、北村想の黄金時代でもあった。「寿歌」「シェルター」「碧い彗星の一夜」といった北村作品を我々のライバル校(H高)が毎回のように演じていた。H高の連中の演技は決してよくはなかったのだが、山梨県内の演劇コンクールでは毎回のように最優秀に選ばれていた(N高に敗れたのなら納得できたが、H高に負けたなんて絶対に納得できなかった)。今思うに、彼らにせよ、私らにせよ、下手な演技という点では一緒だったとも思える。実のところ、H高に敗れたのではなく、北村のホンの前に敗れ去ったのではないかと、私は思うようになった。
 あれから約20年の歳月が流れちまったんだな。で、今回のナビの芝居は、言わずと知れた宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」をモチーフとしている。まあ、それなりには面白かろうと思って前売券を購入しておいた。今回は、神戸浩が出演するというのも楽しみであった。
 順番に感想を述べていこう。まず、神戸は、演技の上手い・下手を超えた存在とでも言うべきか、そこにいるだけで十分に醸し出す雰囲気があった。看板女優・佳梯かこの演技も決して悪くはなかった。でも、私には芝居全体に関して不満が残ったね。宮沢賢治の世界に拮抗するような何物かが感じられなかった。それは、一つには脚本の問題であり、それと同時に役者の演技にも大いに問題があったと思うし、それらをうまく調整しきれなかった演出の責任も当然ある。上演時間1時間40分のうち20分ほどは無駄な時間のように感じられた。思わず、醒めた目で観てしまっている私自身に気づいてしまった。私の隣に座った女性は居眠りしてたぞ。
 とまあ、他人様の芝居の批評はいくらでもできる。でも、「じゃあ、そう言うお前はどうなんだ」と問われた瞬間に、どう答えるのか。そこでは、ある種の覚悟が必要だ。舞台の上でどのように存在するのか、観客の前に自らの存在をいかに投げ出すのか、まさに真剣勝負の行われる瞬間である。
 



2002年10月24日(木) ライク・ア・ローリング・ストーン

 高校生の時に私は演劇部に入って新劇風の芝居をやってたんだけど、卒業後は30才をすぎるまで専ら観劇する側であったし、まさか30代で再び芝居をするなんて思いもよらなかった。20代の頃は「障害者運動」にどっぷり浸かっていて、芝居に振り向けられるエネルギーはなかった。
 5年ほど前、私はそれまで関わっていた「運動」から少し距離をおくようになり、名古屋からも離れるつもりでいた。最後の見納めぐらいの気持ちで、スーパー一座の「ロック歌舞伎」を観に行ったところ、すっかりはまってしまい、すぐに座員となった。だが1年後、再就職(と言っても、契約職員だったが)とともに、一座を去り、これでもう舞台に立つこともあるまいと思っていた。
 それが1年ちょっと前のある日、pH-7の劇団員募集のビラ(今池「ウニタ書店」に置かれていた)を手にした時(このときは既に「正職員」としてある程度安定した社会的地位を獲得していた)、心の奥底から湧き起こってくる思いがあった。ほとんど衝動的に演劇の舞台に立つことを決めていた。確かに決めたのは私自身に違いないが、時の勢いみたいなものに後押しされたこともまた確かだった。
 一見すると人は自らの人生を主体的に選び取っているようにも感じられるが、その実、人間が選択できる幅なんてタカが知れているのかも。例えば、この時代に生まれてきたのも、日本国籍を有するのも、私があらかじめ望んだことではない。そして、人生でのあらゆる分岐点における「自己選択」にしたところで、実現可能な一定の範囲のなかから選んだものにすぎないのだ。
 人間が短い人生のなかで経験できることなど、本当に限られたものでしかない。しかし、だからこそ、そこで出会えたものは何らかの意味を持っているとも言えるのだ。今ここで私が芝居づくりにかかわれることも、私には貴重な経験なのだ。  先々のことは何も予想ができない。だが、今この瞬間を確実につかみとるために私は今日もまた稽古場へと足を運ぶのであった。



2002年10月23日(水) ヘルプ!

 今日は稽古がないので少し体を休めておきたかったのだが、職場で「職員全体会議」(月1回開かれる)というのがあったり、その後で明日以降の打ち合わせなどしていたので、帰宅が午後9時半くらいになってしまった。職場の仕事に関しては、9月も忙しかったが、10月はさらに忙しく、ホッとできる時がない。去年の今頃と比べても、倍ぐらい仕事してるんじゃないかと思えるほどだ(倍は、ちょっと大げさだけどね)。11月になれば落ち着くんじゃないかと予想していたが、その予想は甘かった。
 11月もびっしり予定が詰まっている。毎日「日常業務以外の何か」があって、有給休暇なんぞ実質とれやしないぜ。公演初日(11月15日)と2週目初日(11月22日)は午後だけでも休みを取りたかったのだが、それができないことがはっきりとした。加えて、公演初日(11月15日)の直前に泊まりの出張(「施設利用者」との小グループ旅行)がある。この疲れを残さずに初日を迎えられるか非常に心配である。さらにトドメは、「11月最終週(つまり千秋楽の翌日から始まる週)は、(特別の理由を除いて)決して休まないように」と厳命されている。おそらく11月は何とか気力で乗り切れるだろうが、それにしてもハードすぎる。何とかしてくれ、神様、仏様、ってなかんじでぇ。
 にもかかわらず、私は何物かに衝き動かされ、演劇を続けている。公演まであとわずか、目指すべき地点に到達すべく精進していきたい。




2002年10月20日(日) もはや趣味ではないのだ

 就職活動などをしてた頃、履歴書の趣味の欄にはよく「演劇・音楽」などと書いていたものだ。今でも便宜的には同様に書くかもしれない。しかし、内面的には演劇を趣味だというふうには考えられなくなっている。
 だからと言って、演劇で食っていこうとか、プロを目指そうとは思わないのだ。大体そんな才能はありはしないのだ。けれども、私は誇り高きアマチュアでありたいと願う。アマチュアだからと言ってバカにしてはいけない。技術の点ではプロに敵わないかもしれない。けれども、観客に感動を与えるという点に関しては、アマチュアであってもプロを凌駕することは十分にあり得ることだろう。何事に関しても不器用な私が勝負を賭けるとするなら、その点を措いて他はないように思う。
 本番まで1ヶ月を切ってしまったが、舞台の上で完全燃焼したいと切に願う。



2002年10月15日(火) 終わりなき旅

 北朝鮮拉致被害者のうち5名の生存者が日本に一時帰国した。四半世紀の空白を越えての再会は、ご本人にとっても、ご家族にとっても、万感迫るものがあろう。
この問題の解明はまだ緒についたばかりであり、今後さらにねばり強い交渉が望まれよう。
 小泉首相の訪朝の際に明らかにされた拉致の事実であったが、それ以来、日本国内において在日韓国・朝鮮人への嫌がらせが頻発しているらしい。そんな報告を耳にする時、同じ日本人として本当に情けない気持ちにさせられる。「罪なき人々」そして「弱い者」を狙い撃ちにする有形・無形の暴力に対しては憤りさえ感ずる(拉致の犯罪性を云々する前に「てめえのやってることは恥ずかしくないのか」、
胸に手を当てて考えてみてほしいよな)。
 美しく生きることは確かに難しいことかもしれないし、私自身そんなに立派に生きているわけではない。ある意味で醜さも許容されるべきとは思う。でも、明らかに「弱い者いじめ」でしかないような、恥ずべき行為に対しては、決して許されるべきではないとも思っている。
 と同時に、人間の持っている暴力性、そして暴力を内包した人間のつくり出す社会、というものについて、あれこれと考えてみる。だが、考えてはみても、答えを求めて同じ場所をぐるぐると回っているばかりだ。



2002年10月12日(土) 迷路のなかに

 この前、職場の行事(運動会)が一つ終わったばかりなのに、今週の木曜・金曜と「施設利用者」(「知的障害者」)との小グループ旅行に同行した。同様の旅行は施設全体では8回あるのだが、そのうちの3回が私の担当分だ(1回の旅行に大抵2人の職員が同行する)。ある「利用者」の母親からは「3回も旅行に行けていいね」などと言われたが、悪い冗談としか思えなかった。私たち職員は決して遊びに行くのではなく、仕事として同行するわけなのだから。行き先だって、私の趣味で選べるわけではないし。もちろん小グループでの旅の楽しみはあるし、仕事のなかにも何らかの楽しみを探し出すことはできる。しかし、何事かあった時の責任ということが真っ先に頭に浮かび、気苦労が絶えない(個人旅行の気楽さとは全くの別物であり、普段の仕事に「添乗員」の仕事が加わったみたいな感じと言ってよいだろう)。
 今回はその1回目だが、てんかん発作など身体的配慮を必要とし、他の「利用者」以上にケアを必要とするグループとも言えた。行き先は「富士サファリパーク」とその周辺地域。途中までは新幹線で移動し、その先はレンタカーを職員で分担して運転した。この運転が思いのほか疲れた(途中道に迷ったり、渋滞にも巻き込まれた)。そうそう、私は子供の頃よく乗り物酔いを経験したクチで、今でもナビゲーションなどした日にゃテキメンだ。今回運転しない場面ではナビに回ったが、見事に酔って気持ち悪くなった。それと、例えば個人旅行では新幹線のなかで寝ることもできたが、今回は眠たくてもそれに耐えねばならなかった。それでも、夜の睡眠がとれれば、まだいい。私は普段寝付きがいいほうなのだが、今回は睡眠不足になった。「利用者」のうち2人が小発作を繰り返す。また、「利用者」の1人の鼾はすさまじく、それで眠れない別の「利用者」が興奮気味になったりもした。それでも睡魔は襲ってくる。眠りにつきかけたその時に、また誰かのうなされ
たような声で起こされた。眠い目をこすってよく見ると、その声の主は某「職員」ではないか。う〜ん、無理もない、日頃から彼も大変に違いない。もしかすると、気づいていないだけで私もあんなふうにうなされているかもしれないな。
 ともかくも旅行は比較的順調に、無事に終わった。予想したとおり、疲れもじわじわと私を襲った。土曜日の今日は、家で職場の仕事をしてみたが、疲れもひどく、あまりはかどらなかった。

 今日は、久々の稽古。初めての通し稽古もあったが、ボロボロだ。
 私にとって、今回の芝居は、pH-7入団後に出演した前二作とは明らかに違っている。前二作は、あらかじめ用意された作家世界に自分をあてはめていくものだったが、今回の作品では、自分自身のこだわりがだいぶ前に出ている。問題は、それが演劇として成立するか、だ。それがうまくいった時に得られるであろう歓びは、前二作とは比べようもないほどに大きいだろう。
 本番まであと1ヶ月ほどに迫った。何とかして、今の閉塞状況を切り開いていかなくては。お前には必ずできる。そう、自分に言い聞かせている。



2002年10月06日(日) 振替休日だというのに

 先日の土曜日、私の職場(福祉施設)の運動会があり、その振替休日として7日(月)が充てられた。今年度の運動会の実行委員でもあったので、お隣の施設の職員とも打ち合わせを重ねてきた。実行委員の仕事などは、何でもないことのようでありながら、結構大変なことも多い。「何だってこんな些細なことでもめるんだよ」ってこととか、時には板挟み状態も経験した。雇われの身としていつも思うのは、仕事そのものはどうってことはない。むしろ、仕事に絡む人間関係に疲れ、ストレスを感ずることって多いんだよね。
 冷静にストレスの原因を探っていくと、きっかけは本当にくだらないと思うようなことが多い。その事実を知ると、ますます腹立たしく思えてくる。この前の金曜日なんかは、運動会前日の打ち合わせが長引いて、結局劇団の稽古に行けなかった。イベント前日の打ち合わせなんてものはポイントを絞った話し合いで時間を有効に使うべきだと思うのだが、ある若手の委員が本当に些細なことにこだわって紛糾した。ベテランの委員が冷静に話をしているのに一人でエキサイトして(普段は温厚な私だが、「諸先輩方に対して何だ、その口のきき方は」とよっぽど言ってやろうかと思った)、しかも「利用者(障害当事者)のため」みたいなことを言う。「君、冗談も休み休み言い給え。そんな口のききかたをしている君が『利用者』のことを大切に考えているとは到底考えられないんだよ」と言ってやってもよかったのだが、それでますます紛糾するのも嫌だと思って、黙っていた。でもね、この手の些細なことが重なっていくと、知らぬ間にストレスが溜まっていくから、適当なところで吐き出したほうがいいんだよね。
 運動会は無事終了した。これから反省を取りまとめて、報告書を作成しなければならない。なのに、こんどの木曜・金曜は出張(施設利用者との小グループでの1泊旅行)がある。それに加えて、この前の「知的障害関係施設職員全国研修会(奈良大会)」の報告書も早いとこ提出しなければならない。
 明日は振替休日なのだが、研修報告の作成で時間をとられることになるだろう。研修報告の作成自体はそんなに嫌ではないんだよ。でも、仕事はこればかりじゃないからね。今は、職場全体としても仕事が詰まっている。私は、基本的には勤務日以外は仕事はしないようにしているし、仕事を家に持ち帰ることも極力避けるようにしているのだが、まあ、今回は致し方ない。あ〜あ、折角の休日だというのに。



2002年10月01日(火) 魂は荒野をめざす

 「劇団態変」テント公演について先日リポートしたところだが、公演の際に「態変」の「機関誌」とでもいうのか、「IMAJU(イマージュ)」という小冊子の最新号を購入した。そのなかに、主宰・金満里さんとアーティスト・喜納昌吉さんの対談が掲載されていた。そのなかから、印象的だった言葉を引用しておこう。

 喜納 「僕は身障者といわれる人たちとのコンサートも、日本全国で百回以上やってるんじゃないかな。(中略)仮に魂というものに手と足があれば、かれらのは自由に動くけど、健常者の魂は動かないよ、全然。健常・五体満足とはいえ、生きながら死んでる人は多いと思う。自分の魂の足・手・目をもってるっていうのは、いいと思うよ。」

 金 「私は私自身の身体が武器だと思ってるし、態変の表現も武器だと思う。それは自分だけが自己満足でやるんじゃなくて、そこにあること自体が、別に強烈なメッセージを発しなくても、影響を与えることがある。そのことを意識することが武器になるんじゃないか、と思う。」

 喜納 「本当に生きてる人っていうのは、死と真正面に対話してるはず。死と対話できるってことは今の生を完璧に燃焼させることでしかできないんじゃないか、と思う。」

 「人生論」として、「芸術論」として、「演劇論」として、考えさせられるテーマを含んだ言葉として、それらを私は受け取った。


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