夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年01月27日(日) 最後の休日

 1月最後の日曜日、自転車で出掛けた。
 まず、徳川美術館へ「浮世絵万華鏡」という特別展示を観に行った。北斎も広重も写楽もそれぞれにいいんだけどね、私ゃ、歌川国芳ってえ人の絵が好みだねえ。
 徳川美術館を出ると、次は今池のシネマテークにて映画鑑賞だ。「まぶだち」って日本映画だけど、今どきの中学生たちが日常のなかで揺れ動くさまを繊細なタッチで描き出した作品、とでも言おうか。決して明るくはなく、切ない物語ではあるんだけど、すごく感動したんだよね。
 「シネマテーク」、「シネマスコーレ」、「ゴールド」、「シルバー」。私が足を運ぶ映画館はほぼこの4館に限られると言っても過言ではない。なんとなく傾向ってあるのかなあ。自分では、いろんな映画を観ているつもりなんだけどね。
 そのあとは、本屋(古本屋も含む)をはしごして、と。私、本がいっぱい並んでいる風景が好きなんだ。もちろん、図書館も好き。立ち読みだけでも一日平気で過ごせちゃうだろうなあ。本の背表紙を眺めているだけで随分心が和むんだ。だから、自分の部屋も本がいっぱい。本棚に入りきらずにあふれかえっている。
 自由気ままな一日。それもおそらく今日限りか。芝居の稽古がこれから日曜も入ってくるし、仕事も忙しくなってくる。仕事と言えば、これから一週間ほどは猛烈に忙しくなりそう。
 気がつけば、2002年も、その12分の1が過ぎようとしている・・・。
 



2002年01月26日(土) 新年(うま年)の初乗り

 私には、乗馬という趣味もある。もともとはそこまで深入りする気はなかったのだが、去年の4月はじめに「全国乗馬倶楽部振興協会」認定の乗馬技能5級ライセンスを取得したのがきっかけで、乗馬クラブに通うようになった。スキューバダイビングに挑戦する前のウォーミングアップくらいのつもりが、乗馬の快感をあじわってしまったから、さあ大変。乗馬というものは何かと物入りで、クラブ入会費から始まり年会費、一回ごとの騎乗チケット代、乗馬用品(専用ズボン、靴、ヘルメット、鞭など)にかかる費用など、出費はかさむばかり。ハイソサエティーの人々に混じって(ちょっと前までは貧民だった私なのに)乗馬に興じてはいるが、一日も早くうまくなって3級ライセンスぐらいを取り、モンゴル乗馬ツアーに参加できたら、それを最後に乗馬からは足を洗おうと思っている。でなきゃ、お金がもちそうもない。ところが、芝居を始めてからなかなか通うことができず、月1回くらいのペースになっている。
 で、今日は今年初めての乗馬であった。「初心者駆歩(かけあし)」というレッスンを受けた。軽く疾走する感じ。「暴れん坊将軍」の緩めのやつ、ってところかな。1月はただでさえ寒いのに馬に乗るとなお一層寒い。レッスンを受けているうちに暖まってはくるけどね。
 今日は夕方から「pH−7」アトリエでの稽古だったが、名駅の本屋、CDショップ、楽器店などで時間を過ごし、気がつけば、稽古に向かうべき時間になっていた。4月公演に向けての稽古は始まったばかり。これから年度末にかけて仕事はピークを迎えるが、何とかやりくりしていきたい。
 「うま年」生まれの私、4月公演に向けて、サラブレッドのように、風を切って駆け抜けていきたいものである。



2002年01月14日(月) 十余年目の新成人

 私が新成人だった頃、この国は「繁栄」の真っ只中にあった。今日の経済状況など想像できなかったし、今日の私自身のことについても同様であった。福祉関係の仕事に就いているというのはそんなに不思議な感じはないのだが、芝居をやっている自分自身については予想外だった。
 高校の3年間、いつつぶれても不思議のない演劇部に所属していた。今から思えば「学芸会に毛が生えた程度」だったと思うが、当時としては一所懸命だった。顧問の先生は国語教師で「夕鶴」とか好きそうなタイプの方だった。彼も演劇に関しては門外漢であったが、でも熱かった。当時の私はアングラなどには目もくれず、「文学座」とか「民藝」みたいな芝居に取り組もうとしていた(野田秀樹や鴻上尚史が登場する直前で、当時は北村想がもてはやされていたっけなあ)。同期の女の子の一人はその演劇部のなかでは抜群にうまかったけど(卒業後彼女はさる劇団の養成所に入ったが、今どうしているのか私は知らない)、私はそれほどでもなく、大学に入ってからも演劇を続けようなどとは思わなかった。
 ある時期まで、演劇と言えば新劇以外にはあまり関心がなかった。大学時代に寺山修司とか土方巽といった人たちの表現を知り、はじめて前衛芸術に興味を抱いた。そのことがその後の私の人生に直接的にも間接的にも影響を及ぼすこととなった。とにかく20才くらいまでの私は「優等生」的色彩が強く、「変なヤツ」としての部分はさほど目立っていなかったはずだ。大人達が敷いたレールの上を真っ直ぐ歩いていきそうな雰囲気を持ち合わせていたと思う。その証拠と言えるかどうかわからないが、十余年前の成人式において、私は新成人代表でスピーチをしたのだった。
 20才をすぎてからの私は要所要所で自己主張しながら(普段は大変控えめな僕ちゃんなのさ)、なんだかんだ言いながら気ままな人生を送ってきた。波乱の日々もあったけど、何とかここまで生き延びてきた。
 (福祉関係の)仕事一筋だった20代の頃、演劇をしようなど思いも及ばなかった。30才をすぎ7年間勤めた先を辞めて「スーパー一座」に入団、舞台を2本経験するが、再就職とともに退団。3年ほどのブランクをはさみ、「pH-7」に入団し、今日に至っている。20代の団員に混じって日々稽古に励んでいる。
 決して悔いることのない人生を送っていきたいと思っている、そんな私は十余年目の新成人だぜぃ。



2002年01月13日(日) やっぱり芝居って最高だぜ!

 日記はいきなり1月13日に飛ぶ。日記のタイトルにも謳っているとおり、つれづれなるままに、ってやつだ。
 今年に入ってからは、ずっとMK二人芝居「祖父母の時代」の稽古が続いてきた。そこでの私の役割は「擬音(生音)を出すこと」。反省点も多かったが、楽しく参加することができたと思う。原作・小泉八雲っていうのもよかったけど、明治期に生きた日本女性の日記があんなふうに演劇になるとは思いもよらなかった。あんなふうにしっとりした芝居もいつか演じてみたいと思った。いろんなタイプの芝居ができると楽しいだろうなあ。
 前衛的な芝居は好きだけど、古典的なやつも結構好きなんだ。「横浜ボートシアター」の芝居なんかは、私の好みだなあ。日本の古典的語り物をアジア的な広がりのなかで演ずる独自の世界は、素晴らしい。他には、大阪の「維新派」とかも好き。あと、身障者たちによる舞踏集団「態変」(大野一雄との共演作品を観たことがあるのだが)なんかも気になる存在だ。名古屋の劇団で好きなのは、「クセックACT」、「スーパー一座」(以前1年ほど私はそこに所属していた)、「pH-7」(言うまでもなく現在の所属劇団)といったところだ。もちろん、他にもいい劇団は沢山あると思うけどね。だけど、「劇団四季」はあまり好きになれない(「四季」はたまたま槍玉にあがったにすぎないのであって、つまらない芝居は他にもいっぱいあると思う)。その理由はいろいろあると思うのだが。
 たぶん芝居ってのは「うまさ」ではないと思うんだ。要は、観客にどれだけのことを伝えられたかということではないかと思う。そうだ、役者の発する熱を観客に伝染させちまうんだよ。そこにある種の「共犯関係」が生まれたりしてね。
 とにかくお客さんはお金と時間とを「犠牲」にして観にくるわけだから。アマチュアだろうが何だろうが、何かを与えることができなくてはなるまい。
 私はあらゆる意味において不器用な人間だ。もしかすると役者には向いていないのかも、などと思ったりもするが、簡単にはあきらめられない。とにかく好きで始めたことだから、何とかかじりついていきたい。きっといいこともある、と信じながら・・・。



2002年01月01日(火) ふるさとは遠きにありて想うもの

 2002年元旦から、この徒然日記を始めることにしよう。
 今年の年明けを私は郷里の山梨で迎えた。甲府盆地の南に位置する片田舎に私は生まれ育った。四方を山に囲まれ、近くを笛吹川が流れる。南アルプスを遠くに望みながら、冬には八ヶ岳から吹き下ろされる「甲州からっ風」に随分と悩まされた。残念ながら私の家からは富士山を見ることはできない。山のかげに隠れてしまうのだ。
 私が育った町は田舎の小さな町であったから、ほんのちょっとした噂話も瞬く間に広がってしまう。保守的というのか、封建的というのか、ある時期から私にとっては居心地の悪い場所となってしまった。多分あの町が変わったのではなく、私自身が変わったのだろう。
 と言いながら私はほぼ毎年正月をふるさとで過ごす。そして、2、3日ほど過ごすと、そこから逃れるようにして名古屋に戻ってくるのだ。
 ふるさとというものに対して相矛盾する二つの感情が入り乱れる。時に郷愁さえ覚えるあの場所。まるで揺りかごに揺られるように安らいだ気持ちを呼び起こしてくれそうな場所でもありながら、そんな私の願望はものの見事に打ち砕かれる。そんな時、毎度の事ながら私は室生犀星のあの詩を想い出すのだった。

  ふるさとは遠きにありて想うもの
  そしてかなしく歌うもの
  かへるところにあるまじや

 1966年(ビートルズ来日のこの年)5月24日(ボブ・ディランの誕生日でもあるこの日)、私は山梨で生まれた。「ひのえうま」。そして、三十余年ののち私は名古屋で生活を送っている。障害者施設で働くソーシャルワーカーという肩書を持ちながら、役者としての顔も持つ。自称「前衛音楽家」でもあり、「ノンジャンル芸術鑑賞家」「乱読家」「アウトドア愛好家」といった側面もある。三十代シングル、夢見るメルヘン中年である。自己紹介というのはなかなか厄介なものだなあ。わが姓名は「そね・おさむ」なり。どうぞお見知り置きを。
 とりあえず本日はこれぎり。


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