今年の暑〜い夏は熱〜いオリンピックの終わりと共に幕を閉じようとしている。 スポーツ嫌いの私だし、日頃日本人だと意識して過ごしているわけでもないけれど、 自然と、起きていられる範囲でテレビ観戦し、日本の活躍を応援しているのだった〜! できれば、日本の選手たちにたくさんメダルを取って欲しい! 頑張れ〜!他国に負けるなぁーーー!とテレビの前で応援してきた!
そうはいっても、眠さに勝てずオリンピックをライブで見ることはほとんどできなかった私なのだった。
最終日の男子マラソン!! やはりテレビを見つつ寝てしまった。夜中に目がさめるとすでに後半をかなりすぎているところだった。 日本人の姿がないので、がっかりしているところに「あの事件」が起きた! 乱入事件・・・ 彼のこれまでの努力を剥ぎ取るような出来事に私は一瞬にして目がさめた。 それまでは何の関心もなかった先頭を走る他国の人だったけれど、親兄弟のような気持ちで彼の不幸に憤ったり、応援する私だった。
オリンピックにむけて力を作り、力を貯め、すべてのエネルギーを極限まで注いできた成果を発揮して、先頭を走っていたはず。 人生に何度もない舞台の日。 力の出し加減をコンマ単位で調整しながら、計算しながら走っていただろうリマ選手の気持ちや状態を考えると胸が痛んで仕方なかった。
狂ったリズムを戻すことができるんだろうか? このまま先頭で走るきることができるのだろうか 彼の本来の力を出し切れないかもしれない事態に祈る気持ちだった。 リマさん頑張ってーっとテレビの前で応援したけれど、結局あっけなく追い越され銅メダルで終わった。 爽やかなゴールに不思議な気持ちを持ちながらも拍手を送った。
それにしても、あの乱入はなんだったんだろう。 明日のワイドショーは絶対に見なくっちゃ!と心に決めて就寝。
けれど、朝のワイドショーのトップニュースは日本人の活躍の軌跡や ドーピング事件に終始していた。 それらが一区切りした後に男子マラソンのことを取り上げていたけれど 私が想像していた半分も深刻な雰囲気で取り上げている番組は少なかった。 この乱入を「ハプニング」という言葉を使っている番組があった。 確かにハプニングかもしれないけれど、乱入にあったのが日本人だったら 「ハプニング」という言葉を選んだだろうかと思ってしまった。 ハプニングという言葉で片付けられない、一人の人の人生がかかっている、 もっと深刻なもののように思った。
オリンピックは国と国のスポーツという形をとった戦いの場かもしれないけれど、 でも、今回のことは国境を超えて、ブラジルの人たちと同じようなボルテージで 怒ったり、驚いたり、悲しんだりできないのかなぁと淋しく思ったのは 私だけなんだろうか〜
生まれた瞬間は誰もがただの「赤ちゃん」なのに、成長すると「いろいろな人」になる。 愛される人、愛されない人、運の良い人、悪い人、素敵な大人、情けない大人、人のために尽くす人、人に迷惑ばかりかける人、勝ち組、負け組、騙す人、騙される人、時には悪魔に魂を売って「人」という称号さえ捨ててしまうものもいる。
恵まれてばかりで終わる人はまずいない。みんなどこかで、つまづいたり、転んだり、傷ついたり、苦しんだりする。 そんな時にまた新たな「いろいろな人」に変化するのかもしれない。 優しかった人が優しくなくなってしまうこともあるかもしれない。 その逆もあるかもしれない。
でも、生きているだけですごいことだ。 時々私も忘れてしまうけれど、生きていることが未来への架け橋、希望そのものだ。
私は生まれることさえできなかった命をたくさん知っている。 私は誕生を大歓迎されて、まもなく、またはしばらくして、消えていった命をたくさん知っている。
そういう私から見ると大人になれただけで奇跡だ。 大人になれたことが財産だ。 大人になれた、年を重ねることが出来たという幸運を時々思い出せたら、辛いとき、また「人間としての誇り」を捨てようとするときに、思い直したり、 もう一度がんばれるのではないか。。。
話は変わるけれど、海外旅行などで長期間家を空けるときに一番困るのが 観葉植物たちのこと。 たいした観葉植物ではない。安物やもらいものを根分けしたり、挿し木したりして、 増やしたものばかりだ。 全部をあらためて買ったとしても5000円もしないかもしれない。 けれど、同じものを買えばいいわけではない。 今のこの観葉植物たちでなければ意味がないのだ。 小さな「命」だけれど、それだって大事な命。 見捨てるわけにいかないし、殺してしまうわけにもいかない。 愛情だってある。 代用品では癒されない。
今回のホノルル旅行では近所の人に迷惑を承知の上で、恥をしのんで水遣りをお願いした。 大事な大事な命たちですからね!
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