おはなはんの日記

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驚き
2010年09月26日(日)

昨日仕事をおえて病院へ行ったら お向かいのおばちゃんがこういった
「すごいよ! 今日は感動したわ!」と
なんでも ベットでのリハビリの際に 5分間ほど座っていたのだそうだ
カメラがあれば奥さんに見せられるのに・・・というと
息子さんが 携帯があるわといって「写真」を取ってくれていた
メールで送ってくださった画像には 確かにひとりで座っている姿があった
あきらめるのは早すぎる・・・が持論だったけど
ほんとうに驚きだ この姿を目にしたら 希望がふわーっと広がった
あきらめてはだめだ
なにがあろうと しがみつき 絡まった糸はときほぐしていこう
おなじ痛みを知るもの同士のささやかな願いが 今日の出来事で深まり
それぞれの明日への希望へとつながりますように・・・・・
頑張ったね おとうちゃん!!
きっと 杖をついてあるこうね ♪

今日は 一歳と5ヶ月の孫の初運動会があった
ママと手をつないでよちよち歩き ご褒美をもらってうれしそうな姿に
うれしさがこみあげてきました
こんなに頑張って歩いている
その姿を重ねて自分も歩いていきたいと思った

秋がきてもまだまだ暑い1日
仕事を済ませて病院へ・・・・・・まっているからね
今日も 前進があればいい・・・・・


動くということ
2010年09月25日(土)

動いた!!という 感動
それは 生まれたての赤ちゃんの動きにも似ている

無力で無言だったものが 確実に「ビクビク」と動いた様は感動だったよ

どんな生き物にも 命があって それは 魂と神経とつながっているんだね
脳で考え 命令を下すが それらは神経の働きにより 生き返るんだね

脳が本来持つ力をどんなに駆使しようとも
神経が遮断されてしまっては意味をもたない
すべてが「パーフェクト」であった 過去の日々にはなかなかもどれない

ドクターははなからあざ笑うかのように言い放った!
階段を五段あがる?? 足で上がる?? そんな話なら引き受けない!!と
車椅子でもどうか・・・とでも言いたげな口調でそれもなげやりに言った
わらをもつかむ気持ちの患者の家族に対してそれが本音だとすれば
ずいぶん悪意に満ちていたとわたしは思えた
初診断の時もそうだった いい印象はもてなかった
それでも そのドクターに頼むしか道がないと思い込んでいた
なんでも兵庫では一番のリハビリの病院だという話がそこを選ばざるをえなくしていた 治ってもらいたい一心だったのだから・・・
「お願いします」と頭を下げることしかできなかった

いかにお偉いドクターかわからぬが まだ一度しか診察もしてなくて
百枚近いMRIのデーターを見たからといって・・・
人間の神秘がわかるはずないと私は思った
治りたい 治すんだ 生きるんだ・・・という願望や希望がどれほどの
力を発揮するものなのか 思い知らせてやるつもりだ

だから あの病院を選んだこと自体が間違っていたではすまされない
8月16日初めての診断のため 介護タクシーで きつい思いをしながら出向き
9月9日 入院予約に出かけていった (そのときの話だ)
ドクターは 変わりはないか?と聞いたので さほど変わりはないと答えた
すると 先ほどの答えがもどってきた
階段??薄ら笑いすらうかべて・・・・今すむ家へ戻るのは不可能
バリやフリーのマンションならなんとか車椅子で戻れるだろう・・・と言った そうでなければ この病院へは受け入れないと!!
だから 仕方なく 娘のマンションに引き取ってもらいますから・・・と
うなだれながら私はつぶやいた
それなら 引き受けよう!! とドクターは即答した
しかし 特殊な別途を用意するからしばらくまってもらいますよとも言った

あれから何日過ぎても音沙汰なし
病院へ連絡するとの返事も こちらの病院が聞いたら
「個人情報」の時代です 本人または家族にしか伝えられないと冷たい返事
だったそうだ それで9月18(土)電話したが 休み
9月21(火)電話で連絡お願いしたけど ドクターが休みだという
24日にドクターがでてきたら病院に相談の電話をしますからという返事が返ってきた
待つことにはもうあきあきするほどなれていた
この決断が間違っていたのであるからなすすべがないではないか
その24日がきてもなしのつぶて・・・・・
診察する気持ちがないなら最初に言えよ!!
この二ヶ月を無駄に過ごしてきたというのか
いい加減いやになってくる
何事もなく人生を過ごしてきた奴には 決してわかりはしない
自分が偉いと思い込んでいる奴は特にそうだ
しかし そういう奴にでもすがらねばならない人生をどう受け止めればいいのだろう 
やるだけやった 打つべき手は尽くしました それでも是だけの障害が残っています
あとは自分の努力で 希望を捨てず乗り越えてほしい・・・せめてこれくらいの 気持ちや心情をもてないものだろうか
「神の手を持つ「医者」たるものは・・・・・」
あぁ・・・それでも わずかに動き始めた 手のひらを眺め
わたしはつぶやく 明日はもっと動いてほしい・・・・・と

早く受け入れてリハビリを始めてほしい
今 少しずつ動きはじめているのだから 時期を逸しないでと願う
この世の中いい方向へ動かすことは いつの時代も不可能に近い
ありえない出来事が次から次へとでてくるのだから
信じられるのは自分だけなのかもしれぬ
今日も 私は生きていかねばならない 誰のためでなく自分のために
動かせる能力を与えてもらえていることに感謝を忘れず



あれから〜・・・
2010年09月11日(土)

あの日を境に始まった苦痛
それは 彼にもそして私にも始まったのだ
あの日 あの場所に なぜいなきゃならなかったというのだろうか・・・
今もって不思議
まったく別の場所にいて ちょうど携帯にでも誰からがアクセスしてくれていたら こんなひどい目には遭わずにすんだかもしれない
しかし 運命というものは えてしてこういうものだろう
思いがけない出来事の連続の中を私たちは実はかいくぐって生きている
そうなんだろうなぁ〜っと考えられるまでに 今日までかかった
おもえばながぁ〜い 42日間だったろう
彼は別途に括り付けられたまま 手足の自由を奪われて
わたしは仕事と病院通いに明け暮れて・・・・
しかし ひとつだけいえることは
なにも変わらないということ
人は以外と暖かい存在でえあるという事実に出会えたこと
思いがけない親切を受けると自分もいつかこういう人になりたい
いやならねばならぬと考えられるようになってくるものだ
日ごろ親しくしていたはずの人が 実際には冷たかったり
なにかを求めてはいないのに・・・・
ふと 寂しく感じるのは間違いなのだろうか・・・・
あれから いつまで続くかわからぬ坂道を
わたしはきょうもとぼとぼと上っていくのです
それでものぼろうと思う気持ちとその力が残されていることに
感謝をわすれることのないように 頑張ってみようとおもいます



生き様
2010年09月05日(日)

いきざまについて考えてみよう
生まれてきてから死ぬまでには どれほど多くの困難がくるのか
それは幸せの数よりははるかに多くなるのだろうとおもう
幸せが目に見えず 感じることも瞬間なのに比べ
不幸というものは じょじょにその人の人生を支配したり
苦痛の荒波を呼び込んだりするのである
今 私に押し寄せている不幸もその中のひとつである
目には見えない「偉大なるもの」
試されているのだろうと私は考えることにした
どう挑んでくるのか どう対処していくのか
その一瞬一瞬をくまなくみつめて その果てに 結論を下す
そうなんだろうなぁ〜と思えるようになってきた

だとしたら 気負いこむのはやめだ
なるようにしかならないものだから
あせらず あわてず立ち向かうことにしなくちゃね
巻き込まれはしませんよぉ〜だぁ!!ってくらいの気構えで
生きていこうかなと考えています
それくらい ちょっと余裕ができたんです

昨日三人の息子たちが集まって 私のためにあれこれと力を貸してくれた
頼もしい息子たちである
おなかの中でいとおしく抱きしめてはぐくみ
必死でこの世の中に送り出し
鬼みたいな「母親」といい印象もたれることもなく
羽ばたく姿を寂しさの中で見送った母に
息子も娘も精一杯の愛情でこたえようとしてくれる
なによりうれしく たのもしく感じられた
私の生き方を否定せず「今までよく頑張ったんだから」と労いの言葉をくれた

あぁこのことひとつ取り上げてみても 
人生が間違ってはいなかったのだとの確信がもてた


生き様って いまからも永遠へとつづくものだから
泣き顔をみせないでしっかり生きていなくてはなるまい

あのひとは 病院のベットの上で 
なにを思い なにを考え なにを振り返っているのだろうか・・・・・
同じように 明日への希望に向かってほしい!!
いのるだけです


なにもないこと
2010年09月03日(金)

何もないことがこうまでうれしいものだとは・・・・
なにかがあったり おこったり 
そのつどどれほどの衝撃に見舞われることか
今回の事柄ひとつとりあげてみても一目瞭然
振り回されないぞ!!としがみつくけど
その紐は以外にきつくて硬めに結ばれているようだ
ちょっとやそっとじゃ解けそうにはありません
そんなときは 少し時間を置くほうが賢明です
そうは 思うのですが なかなか実際にはそううまくはいかないものですね

だから 今私の体は「傷だらけ」です
無我夢中の境地の中で イライラがつのり かきむしっているようだ
これで 刃物でもそのあたりにおいてあったら
当たりかまわず さしているなぁ〜んてことにならぬよう
わたしは しっかりものだから 「刃物」はしまいこんでいます

なにもおこらない一生をどれほど強く願ったろう
それでも 大半は聞き入れてもらえるとは思わなかったが
こうまで残酷な現実をまのあたりにすると
ヘトヘトになり クタクタになってしまった
わたしの心
どこへも逃げ出すことのできない 羽の取れた小鳥・・・・
そう
なにもないことを祈ったのに
残念だわ


今日もまた
2010年09月01日(水)

今日もまた ため息がでた
そう大きなものではなかったけれど
ためいきひとつでちゃいました

6人部屋の病室にまたひとり新しいお客様?
くちをポカリとあけたまま眠りについていたじいちゃんが
いなくなっていましたよ
どうやら転院させられたらしい
そういえばこの部屋へ来てからというもの
何人の客が入れ替わっていったことやら
それも じいちゃんみたいな 身動きのできぬひとばかりだ

病院ってところは 心や身体の傷を治し 癒して送り出す場と考えていたけど どうやら そんな生易しい場所ではないらしい
あいにく 自分はいたって健康!!と一応思っているものだから
そういう場所に足をふみこんだことはないから知らなかっただけ
目にしたり 耳にしたり・・・・・で これからも随分と
しったかになるんだろうなぁ〜
それが世の中とつながるひとつの方法かもしれないなんて
思うだけで背筋が寒くなるよ
暖かい世の中なんて望むほうが間違っているのだろうか


懸命に生きてきて 迷惑なんてかけないつもり
かけることすら恥と考えていきてきたのに
知らぬ間に ・・・その渦に巻き込まれていた
嘆く無かれ これもまた人生

今日もまた おなじ時間を過ごしてしまった
そうせざるを得ないことももうなんとも思わなくなっていることが
哀しかったなぁ

自分らしく生きるつもりで そうしたかったのに
もう どこにも自分を見つけられないでいる

近所の人が言った 「うつになるんじゃんないか?・」気になったよと
あらそう! はっきりいって「わたしは ずーっと昔から”うつ”じゃけんね」そう心配せんでもええよ!
「躁と鬱が入れ替わり すれ違いながらやってくるんよ」
ほんとはね そう答えたかったんやけどさ
「心配かけてすみません 大丈夫よ わたしは元気!」と答えておいたわ

なんでも心にためこまないで 吐き出せば少しは楽になるよ・・・ともいわれた
そうやねぇ そうすれば気が楽になるんやったら なんぼでも吐き出すわ
吐き出すものがあるといいけど
噛み砕いて 飲み込んじゃったの・・・さっき



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