おはなはんの日記

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すぎゆく中で
2008年11月30日(日)

過ぎていく時間の中で
私はなにを考えようか
明日のことは きっと 明日が考えるだろう
昨日のことなら もうすでに去っていったのだから
深追いなどはよしましょう・・・・

くだらない ひとつのことにこだわっていたら
きっと 前に進めないでしょう
だから 私は 今だけを見つめていようと決めたのですよ

昨日は 嵐がやってきて 帰りそびれてしまったから
仕事に没頭してました
時間などというものは あの時の私には無かったみたい
なんとかきりのよいところまで・・・
気がついたら23時前でした
あぁ~あ  また 真っ暗な夜道になったわ
けれども やり終えた充足感には満たされていました

過ぎてしまえば ただの時間です
そのときそのときをいかに大事にできるかなのでしょう
昨日は なんとなく頑張ったかも・・・
そして 今日も 相変わらず 頑張っている 私です


去ることの潔さ
2008年11月25日(火)

立ち去る姿には 潔さがほしい
間違えたわけではない
自分の居場所をみつけられなかっただけ

いじめっ子問題は 子供たちの世界ばかりではないのだ
大人のほうがもっと陰惨で悲壮感がある

心を癒せる場所ではなかったので
もったいない気持ちはのこったが
立ち去ることにした

いつでも どこでも 気持ちさえあれば
自学自習が可能だと思えたから
自由の中で もっと時間を有効活用できるだろう

そこへ通った3年半
決してわすれないだろう
楽しかったのだから
学ぶということが楽しかったのだから

今日のこの決断が間違っていないように・・・・

これからがほんものの私の生き方なのだから




いまのままで
2008年11月24日(月)

詳しいことはわかりません
難しいことなどもっとわかりません

知りたいという欲望などはとんと持ちあわせてはいないのですから

だ け ど
私は生きています
いつまでの命なのかもわかりません
また 知りたいなどとも思いません

ただ 今がすべてなのですから

それが たとえば 苦しくても 哀しくても
ただ 黙って それらを 乗り越えていくのです
それしか 私には 今までも 今からもできないのです

欲望は そりゃぁ 人並みにはありますが
それを あぁだこうだと口にすることはしませんよ
到底かなわぬ「夢なのだと」知っているのです
しかし 「夢」だってなくしてしまってはいけないのですよ
心の中に存在する それだけで 十分「夢」の価値や意味はあるのです

そう わたしは思い生き続けています
ずっと そう・・・・ず〜っと  その日が現れるその日まで


追伸

私は 「言葉」をただ つらつらと書き続けているのです
心に浮かぶそのままを・・・ただ それだけなのです
「思うという動作」は 人それぞれです
言葉が旨いとか下手だから・・・は まったく関係ないのです!
自分の「言葉」で 書き記す
ただ それだけなのです そして それが一番大事なことなのだと思います
それが あなたにとってのまぎれもない あなた自身の言葉ですもの
私は これからも 自分の心と向き合っていろんな話をするつもりです


かしこくなれる
2008年11月15日(土)

頭は使えるだけ使うといいよ
なにも考えることもなく ぼんやりすごすのも
それはそれでいいかもしれないが
やっぱり人間である以上
使えるだけつかうほうがよい

人からこうだよ・・・と教わったなら
素直にありがたいと思えばよい
どんなちっぽけなヒントであっても
それはどこかできっと役に立つ
ありがたいことだと思えたとき
人は成長しているのだと私は思う

今日も実は あるヒントをもらえた
今まで知らなかったことを あるきっかけで知りえたとき
とても得をした気分になった
そして 教わったそのことを忘れぬうちに書き残すこと
更に 再度試してみること

ほんのつまらない人間だった私
まだまだすてたもんじゃぁないかもしれないわ!って

そういうありがたい友達を持てたことに感謝しています
いつか
わたしも 誰かの力になれるといいのですが
そういう やさしい気持ちをもちつづけていたいですねぇ

あぁ なんて気持ちのいい今日だこと・・・・・
ありがとう


ことば
2008年11月13日(木)

美しい言葉にであうと 心があらわれるようだ
最近そういう場面がすくなくなった

きれいな言葉で話せることが
なにより日本人なんだとおもう

こんなにも 美しい言葉があるのに
つかえないまま 終わるのだろうか

私は そうはなりたくはないから
今日からでも きれいな言葉を発したい

あの人の口からこぼれる 
きれいな言葉の洗礼をうけ
生まれ変われるかもしれないわ

日本語は本来すばらしいものなのだから
美しい言葉を話せるようになりたいものだ

心のきれいなひとは
言葉のきれいな人である


命について
2008年11月03日(月)

新しい「命」が、””ふたつ””うまれようとしている
ひとつの命”A”ちゃんは、もうじきこの世に誕生するはずだ
女の子だと知らされているそうで、かわいい名前も決まったそうだ
最近では、かなり凝った「名前」が多いようだ
例にもれず、その子が与えられるなまえも難しい
両親が、頭をひねって考えたようである

そういえば私の四人の子供たちもそうだった
長男は、私の父が何日もかけて考えなずけ親になった
次男は語呂合わせを考えてカッコイイ名前を私がつけた
長女には、「夏生まれに」ふさわしいようにと”夏の文字をつけた
三男は、私の一文字をいれた名前にした

赤ちゃんが生まれるたびに考える「名前」
ほんとうに命とむきあう一瞬は楽しいものである

だから息子たちが真剣に考えたという名前を私はうれしく受け止める
難しかろうがやさしかろうが、その子供が幸せになるように

そしてなにより「早く・・・」生まれておいで♪
みんな心待ちしているからね

あたらしい命を待ち望む日々のなんと切なくうれしいことだろう

私から始まった命へのつながりに
深く感謝の日々がつづいていく いつまでも〜・・・・♪



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