おはなはんの日記

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まぁ〜だぁだよ・・・♪★
2007年02月26日(月)

わたしには まだまだなんだ
そらに向かって両手をひろげ
掴み取りたいものがあるけれど
まぁだだぁよぉ〜と返事がもどってくる

それがいったいなんなのか
わかってるようであり
わからないのである

そらをみあげて首をかしげてみた
???
両手を差し伸べ掴み取ろうとしても見たけど
やはり???
空気のようなものだから
風のようなものかもしれない

しかし きっとこの私にも
いずれやってくるだろう
だからしばしそれまでは 心のリボンを緩めておこう
いつでもそれがやってきやすいようにである

The Best is Yet to be !
《最上のものは これから来る》
しずかにまとうと私はおもう


鈍感になろう
2007年02月25日(日)

「鈍感になる」って言葉の意味が理解できた
この「鈍感になる」には多くの要素が含まれている
ほんものの「鈍い」人間になるのかと思ったら
そうではないらしい・・・
「鈍い」風にみせかけて、実は「鋭い感覚をもつ」
したたかさを身にまとい、ゆるぎない自信をももつ
これってなかなかまねのできるものじゃないよね
人間だもの・・・・

しかし、この「鈍感なまでの人間性」をもしも、
もしも身に着けることがかなうならば
もう不確かな満足感などに惑わされる必要はないのだ

わたしは「鈍感さ」を求める生き方をしたいとおもう
気に入る、きにいらないは別にしても
わたしにとって決して損にはならぬであろう

「鈍感」「鈍感」 しかし 「鋭感のもちぬしに」
わたしはなりたい



ありがとう
2007年02月23日(金)

ありがとう・・・と心から言えることがすくないこのごろ
本心からの「ありがとう」をあなたに言おう
弟に生まれてくれてありがとう
ねえちゃん!っとづっと呼び続けてくれてありがとう
幼いころもそして今日まで
ほんとうに弟でいてくれてありがとう
ありがとう・・・・ありがとう
なんとなくでもこの日まで生きてこれたのも
きっとあなたが私の背中の後ろにいたからだ
見られていると感じることは「しっかりしなきゃ」ということだ
その思いが強いほどわたしは前に確かな足取りをきめられた
これからの日々
背中を押してくれるあなたはいないけれど
いつもそうやって生きてきたように
前とかわらず足をはこぼうとおもうのです
それがああなたへの感謝の気持ちなのだということをわかっているから
ありがとう
ありがとう
いまはどこをふかれていますか
”千の風になって”どこを旅しているのでしょうか
ときには思い出して
わたしの周りにも吹かれてください
ありがとう


記憶のかたまり
2007年02月16日(金)

生きてる間にどれほどのものを記憶のかごにいれるのだろう
そのひとつひとつのかごにはきっとそれぞれの色がつけてある
うれしい記憶にはうれしいって!感じるいろが塗りこめてあり
さびしいなぁというような記憶のかごはきっとはかなげな絵の具が似合う

今日の記憶はどう呼べばよいのだろうか・・・・

命の重みなんてものを、私は実際に感じて生きていただろうか?
悲しいことがやってきたら呼びもしないのに涙がわいてくる
むかつくような出来事の束が押しかけてきた場合には
眉間にふた筋しわをきざんだりもした。
けれども決してこの世をすてようとは考えなかった
きっと勇気がなかったのだろう
死にたいとおもって何度涙をこぼしたことか
しかし踏ん切りというか・・・・なかなか勇気がでそうにもなく
ただただ生きながらえてしまったみたいだ    わたし

記憶ってやつほどやっかいなものはない
大事にしたいと願うものほど消そうにもきえぬ
だからといって通常思い出してばかりいるわけではないのだが
ここぞ!というときがくれば必ず頭をもたげる

今ならっている言葉なんてものは
覚えた端から消してしまって
先生に授業のたびに口癖のように言われているのは
あなたの頭は消しゴムですか?なんだけどなぁ・・・

消してはならぬものは即消去
消し去りたいものはいつまでも居座りをきめこむ
記憶の束をねこそぎ抱きかかえ
あの一番高いといわれる橋の真ん中あたりから
ふぅ〜わり飛び降りたい心境の時間がながれる

魂ってやつがあるのなら いつでも私のよこにおいでよ
詩でもきかせてあげるから

記憶の一番深みのなかに あなたの思い出をしまいこむ
大事な大事なわたしの宝物
いつかきっと会える日がくるからその日まで



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