長いお別れ
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2002年02月28日(木) 壊れる

今の私と過去の私は何が同じで何が違うんだろう。

今はネットカフェから閲覧したり書きこんだりしてるから、
こうやって書きこんでいるときは、少なくとも
人から見てそこまで不審に見えてないんだろうなって思う。
見るからに怪しかったら入店拒否だろうし。
そんなことを考えて安心する自分がおかしい。

何でここまでネットに拘るのかなって思う。
言いたいことがあるなら、医者に言うなり兄に言うなりしないと
治療にもならないしどうにもしようがない。
貰った薬を飲んで、ほんの少し前向きな気持ちになった時、
電話をしようかなと思うけれど思うだけで終わってしまう。
助けてと言う声は届かない気がするからだ。
届かないのは相手のせいだけじゃないって気づいている。

まだ健全な自分が残っていて、やり直せるんじゃないかと思う。
迷惑をかけた人、かけ続けている人に謝って、自分のしたことの
何分の一かでも返していかなければと思う。
このままで良いわけがない。

時々、座り込んだまま動くのをやめてしまいたくなる。
固まって動かなくなって思考することもなくなって心臓も止まって。
泥人形みたいにくしゃっと踏み潰されて壊れてしまいたい。


2002年02月27日(水) 遺書

この日記は遺書のようなものなんだと思う。
別に今すぐ飛び降りるわけでも首をつるわけでもないし、
この日記を書いているのが「私」だということを、私の知人や友人は
知らないのだから、書いても意味がないような気がするけれど、
人間、死ぬ前くらい素直になってもいいだろうと言うことで書いておく。

辛かったと過去形で言えない。それが余計に辛くさせる。
「知らない」
そう言った兄も、本当は覚えているのかもしれない。
でもそれを認めちゃうと、いろいろ面倒になるし、
認めることで私を駄目にすると思ったのかもしれない。
私だってそのくらいのことは考えられる。
でもそんな心配はいらなかったんだよ。

ごめんね。どんどん自分が駄目なほうにいってるのは、わかってるの。
でもね。心の底ではざまあみろって思ってるのよ、私。
誰に言ってるのかはわからないけどね。


2002年02月25日(月) こころ

自分が人とちょっと違うらしいと気づいたのは小学生のころだったと思う。
違うというのは決して優越感をもたらさない。疎外感だけ。

子供の頃、私は友達と脳みそを交換したかった。心でもいい。
「友達」の視点で人生を見てみたかった。
私でない人間から見える風景や人は、どんな風なんだろうと思った。

何故、昔のことを忘れられないんだろうと思う。
忘れたいと強く望めば、忘れられるんだろうか。
空っぽになって、やり直すことができるんだろうか。

嫌な記憶であっても、それが何かの証になっていると
思っているから忘れられないのかなと考えることがある。

証。たとえば愛されたことの?
どうしてこんなにも愛されたいんだろう。
どうして誰かに必要とされていないと辛いんだろう。

自分で自分を大切にするってどうすればいいの?
辛いって思うのは贅沢なの?
消えてなくなればいいのに。心なんていらない。いらないよ。


2002年02月24日(日)

泣く端で飛び散る涙の破片は何を含んでいるの。


2002年02月23日(土)

私は誰の気持ちも代弁なんかしない。
他人の事はわからない。
ただ、私だけ。

人より良い思いがしたい。
愛されたい。
甘やかされたい。
私だけが思ってることじゃないと思う。
心の底で誰でも一度は思ったことがあるだろう。

健康で、五体満足に産まれ、知能もそれなり。
容姿は端麗とは言えなくても、気に入ってくれる人もいる。
望んで、それに向かって努力さえすれば、
手に入らないものはないはずなのに。
なぜ私は幸福だと言いきれないんだろう。
何が足りないんだろう。
どうして普通の人のように生きられないんだろう。
何が違うんだろう。
脳みそだろうか。心だろうか。心って何だろう。どこにあるの。
それを取り出して交換したらもっと普通になるの?
普通ってなんだろう。足並みをそろえることだろうか。
少なくとも学生時代の私は「普通で真面目」だったはずなのに。

欲だけが膨らんで、自分でもどうすればいいのかわからない。
いっそ死んだら良いんじゃないかと思う。
でもどうやって?
死んだ後のことを心配するのは、そうやって心配することで
ごまかそうとしてるだけ。そう。死ぬのが怖いだけ。
自分がいなくなるのが怖い。今だって、死んでるのと同じなのに。
人は、人に認識されて初めて生きてる。
今の私は幽霊のようなものだ。
気づく人には気づいてもらえるけどそれだけ。

不慮の事故とか、大病や、殺されるとかで、本当に死ぬと悟ったとき、
私はきっと後悔して、今こうしている自分を罵るだろう。
わかっていても、「普通」に戻るのが怖い。
戻ったところで何があるの。
死んでしまいたい。
という言葉は、たぶん一番卑怯な言葉なんだろうと思う。
泣く子に勝てないのと同じように。
それでも。
何をどんな風に感じるか、それを表現するかはその人次第。
言わないのも自由なら、言うのも自由だろう。
人を傷つけずに生きるなんて、誰にもできない。
神様にだってきっと無理。

最近読んだ小説の兄妹愛が羨ましくて本気で泣いた。
馬鹿みたいだ。
その小説の中で、肉親が妹だけになった兄は、
妹に生涯の伴侶ができるまで
所帯を持たないでおこうと決めていた。
「家族を持てば、そちらが大切になってしまうから」

御伽噺だ。夢物語だ。誰だって自分の幸せが一番大事だ。
だけど私はあんな風に愛して欲しかった。
自分ができもしない事を、他人には要求するなんて卑怯だ。
だけどあんな風に愛して欲しかった。

自分のことを信じたり愛したり慈しんだりできない人間が、
他人を愛したり信じたり慈しんだりできるわけが無い。
身をもって知った。
私には基盤が無い。
人が生きていく上で一番大切なことを教わらなかった。
人は、教えられたことしかできない。

欲しいものは、本当はひとつだけ。
私じゃない人生。


2002年02月22日(金) 時間

時間が解決することって何だろう。
そんなもの本当にあると思う?
あなたは何が変わった?


2002年02月21日(木) 痛み

痛みって結局は一人一人違う。
私の痛みは私にしかわからない。
あなたの痛みがあなたのものであるように。

人の幸せが妬ましいのがそんなに悪いこと?
それを口に出すのは醜いの?
どうして憎んじゃ駄目なの?

わかってる。
そんなことしてても、意味が無いって言うんでしょ?
前を向いて、足を地にしっかりつけて、人のためになるように生きろって。
わかってる。
今日すれ違った全ての人が、何かを抱えて生きていること。
どん底だと思っていたって、まだちゃんと息をしてること。
可愛いものを見れば口元が緩むし、嫌な思いをすればカチンとくる。
本当に何もかもどうでもいいなら、感情なんて消えてしまうもの。

帰る所なんて、18のときからない。
私が忘れてただけ。
痛む心を、忘れようと、忘れたと思っていただけ。


2002年02月20日(水) 神経質

聴覚が少し発達しているのか、音に敏感になりすぎる傾向がある。
公共の場所で、マナーの悪い人を見るとイライラしてしかたがない。
必要以上に物音を大きく立てる人や、大声を出す人。
食事の時にクチャクチャと音を立てる人。
咳やくしゃみを、手かハンカチで押さえることもしないでする人。

どれもこれも些細な事なのに気になって仕方ないのは、
たぶん自分に余裕が無いからなんだと思う。
そして裏を返せば、自分はそれらを気にしすぎているという事なんだろう。
ちょっと自分でも神経質すぎるかなって思うことがある。
こういうのが、ぱっと治る魔法がほしい。

心療内科へ行った。
「今まで本当に苦しかったね。わかってあげられなくてごめんね」
きっと誰もに使いまわされた言葉に泣けた。
私は、この言葉をあの日、兄の口から聞きたかった。

どんなに否定されても、無かったことにされても、
刻まれた記憶は消えない。思い出ではないのだから。


2002年02月19日(火) 家族

家族が心の支えにならない人も案外たくさん居るはずだ。
少なくとも私はそうだ。
私の両親は早くに亡くなったので、肉親は兄しかいない。
この兄とは半分しか血が繋がっていない。異父兄だ。
歳も離れているし、15くらいからは、ほとんどあっていない。
父が亡くなってから逢った回数は数えられる程度だ。

小説や漫画やドラマでは、二人きりの兄弟だと、
ものすごく深い愛情を、たいていは上の子が持つが、
私達に限って言えば、そういうものはない。

兄が思春期の頃、恐らくは好奇心と寂しさでだと思うが
性的な接触をもたれたことがある。
ふくらんでもいない乳房を触ったり、性器をこすってみたり。
「三つ子の魂百まで」というが、私は自慰が習慣になった。
年齢的に言えば、それをするには少し早かったと思う。
悪いことだとは言われていなかったので、何も考えていなかった。
が、ある日帰省してきた兄が、その現場を目撃していった。
「いつまでそんなみっともないことをしているんだ」

おかげで…という言い方は、卑怯かもしれないが、
私は性行為は苦手だ。夢中になれないから。

そして数ヶ月前、兄は決定的に私を傷つけた。
性的な虐待については、「自分は」していないと言ったのだ。
当時、叔父や実父からも同じような行為を受けていた。
叔父と兄が一緒のことが多かった。
それなのに、彼にとっては何もなかった事になっているらしい。
うらやましい限りだ。
しかも「そんなことは早く忘れろ」とまで言った。
いつまでも囚われているから、駄目なんだと。

せめて一言、謝ってほしかったよ。
悪いことをしたって。まさかそれほど傷ついてるとは思わなかったって。
きっと死ぬまで待っても聞けないんだね。


2002年02月18日(月) 友達

「あなたのためじゃない。私は、私の都合であなたを救ってあげたかった」

ありがとう。


2002年02月17日(日) 孤独

私が思っているほど、私は情けなくは無いのかもしれないけれど、
うんと子供の頃になりたかった私には程遠いようだ。

なけなしのお金を持って、ふらふらする日々を始めた。
私がいてもいなくても、世の中はきちんとまわる。
ほんの少し、迷惑や面倒をかけているけれど。
良心や自尊心が痛むなら、今すぐもとの位置に帰れば良い。
叱られても見捨てられていても、謝ってしまえば済むことのほうが多い。

いつも思う。今日は電話しようかと。

受話器を持って考える。
今帰って、何がかわるんだろう。
寝る場所や食事に不安にならないところができるかもしれない?
笑って仕事をこなしていけるかもしれない?
私の内面は何も変わっていないのに?

いまはっきりと実感していることは、自由と孤独は違うということだ。
私は、捨てて逃げ出してきたものから、捨てられている。
自由になったわけじゃない。よりいっそう孤独になっただけだ。

死にたいという強い情熱は今の私には無い。
でも、死んでしまっても後悔はしないと思う。


2002年02月16日(土) 生きる意味

生きるって何だろう。
「生まれてきた。それだけで意味がある」
という言葉をよく聞く。
私も、そんな風に思われたんだろうか。
母親に抱いてもらった記憶もないし、
写真もないから顔も覚えていない。
何も記憶していないという事は、
ただただ、存在の薄さに不安がつのる。

みんな孤独なんだ、誰だってそれなりの悩みを抱えてるけど、
誰もがじめじめ暮らすわけじゃない。ようは精神力だ、やる気だ。
人は皆、努力して幸せを掴み取るんだ。
そういう事を熱っぽく語った先生が居た。
異論は無い。
何の行動も起こさず、寝て待っている人のところに
何か劇的な変化など起こらないのだから。

だけど。
普通の人生から弾き飛ばされるともとに戻るのは難しい。
そこから幸せになるように生きていくなんて至難の技だ。
人によってはこんな事、考えも思いつきもせずに暮らしている。
私が見出した私の生きる意味は、頭に浮かぶ事を考え抜くことだ。
いつかそれが自分自身の首をしめることになっても。


2002年02月15日(金)

あなたの声を聞いてみたい。
子猫や子犬に話しかける時の声。
落ち込んだときの声。
良い事があった時の声。
泣きそうな声。
怒ってる声。

私の名前を呼ぶ時は、どんな声なの。


眠るのは好きなことのひとつ。
眠ってるときに人生を決められるといいな。
それは何だかとっても幸せなことのようなきがする。

いい加減な人って思われるのが嫌だった。
いい子でいるのが使命みたいだった。
それでパンクした。
今はどうかな。
色々、しなきゃいけないことをほったらかして逃げてる。
心配してる人や困ってる人、怒ってる人がたくさんいる。
何もかも捨てるのって簡単にできることじゃない。
でも捨てた。……本当は捨てられたのかもね。

住所不定無職。
不安だし怖いし馬鹿だなあって毎朝思う。
戻りたい場所はあるけど、2度と戻れない。

それでも生きてる。

忘れたいことと、忘れられないことは似てるけど違うって
やっとわかった。

私の声を覚えてる?
どんな風に残ってる?
あなたの耳に。


2002年02月14日(木) あっち

私はあっちに行きたい。
だからこの道を行ってみる。
あなたはあなたの行きたい所へどうぞ。

間違ってると薄々気づいていても止められない事もあるよ。
ちょっとそこまでのつもりが、長い旅になりそう。
なんでも「果て」があるはずだから。
そこまで行って、駄目だったら引き返すよ。

引き返してきたときに、あなたがこの場所にいなくてもいいよ。
そこまで虫のいい事考えてないよ。
馬鹿じゃないんだから、そのくらいわかるよ。

手に入れられないとわかったら、
あなたの存在はもっと大きくなるんだろうけど。

長いお別れ。
でも、いつかまた会えると信じてる。


2002年02月12日(火) 私のこと*親との関係*

私の母親は事故死でした。病院の窓から転落したそうです。
何故、窓から転落するようなことになったのか、詳しい事は誰も教えてくれませんでした。
当時の私が5歳だったからでしょうか。それとも言えない理由があったのでしょうか。

何か良く無い事が起こると虫の知らせがあると良く言いますが確かにあると思います。

その日の私は朝から嫌な気分に包まれていて、保育園に行くのを嫌がり祖母を困らせていました。
ぐずって泣いていると、知らない人がやって来て、急いで病院へ行きましょうと言いました。
訳も分からないまま、引きずられるようにして辿り着いた先では、
九つ年上の兄が、学生服に身を包んだまま真っ赤な目をして泣いていました。
歩み寄っていくと、額に大きなガーゼをあてた母親はぴくりとも動きませんでした。
もう2度とおかあさんは動き出さないんだと気付き大声で泣きました。

父親とは10歳の時に死に別れました。胃ガンでした。
夏休みが終わりに近付いた朝、当時お世話になってた父の知人宅で、
朝食の時に「今日はお見舞いに行こう」と言われ「はい」と答えながら心の中では
行きたくないと強く強く思っていました。言い様のない不安が私を飲み込んでいました。
そうこうしているうちに電話が鳴って父親が死んだ事を知りました。
ああやっぱりと思う自分と悲しい自分とが、ごちゃ混ぜになっていました。

そうして両親を失った私に残ったのは施設へ行くという現実でした。
施設での生活は、快適とまでは言わないまでも、良い方だったと思います。
高校まで行かせてもらえたし、食事に不自由する事もありませんでした。
むしろ私は卒園する事が嫌でした。この先の人生をどうやってやり過ごせば良いのか
それを考えると、苦しくて怖くて悲しかった。
結局はこうしてドロップアウトしてしまったのですが。
もしかすると、私の人生は生まれた時が頂点で、あとは下るいっぽうなのかもしれません。
寂しいけれど、否定はできない感じです。いまのところは。


2002年02月11日(月) 私のこと*トラウマのようなもの*

私と兄は9歳の年の差があります。両親が再婚した後で私がうまれたので
半分しか血が繋がっていません。

私はこの兄と叔父と実父の3人と性的な接触を持っていました。
毎晩要求されるというようなことはなかったと思います。
たんにスキンシップがちょっと行き過ぎただけだったのかもしれませんが、
その後の私の人格形成にはやっかいな壁として立ち塞がることになりました。
私には小学校に上がってからの記憶がほとんどありまませんし、
父は亡くなり、叔父は行方不明、兄はこのことを否定しているので、
本当のことはわかりません。全部私の妄想かもしれないってことです。

中学に入って、心理学に興味を持った事で、「トラウマ」に気付きました。
しばらくは考える事をずっと止めていました。
あの時代に、そのことと真面目に向き合っていたら、今でさえこんな状態なので、
もしかしたら死んでいたかも知れないですね。若さがある分、失敗しない方法を選んだでしょう。
年令を重ねていけば、楽になるんじゃないかとおもっていました。
でもダメだった。
性的な悪戯(痴漢なども含んで)を「される方にも問題がある」という人もいます。
私にあった問題ってなんだったんだろう、今でも分かりません。

いつもいつも昔のトラウマに飲み込まれて生きてきたわけではありませんでした。
きちんと仕事をし、結婚することもできていたのですから。
それでも、どうしても忘れる事ができませんでした。
それは不意に襲ってきました。
好きな人と触れあっている時や、夜中にふっと目を覚ますような時です。
幸せになれそうになればなるほど、嫌な思い出が鮮明になっていきます。
そうして訴えかけてくるのです。「なかった事にはできないんだ」と。
好きな人といてもゆったりした気分になればなるほど、
本当は違う、こんな幸せが用意されているわけがない。
こういう思考パターンに陥っていたのでは、続くはずのものも続かなくなります。
人間関係、滅茶苦茶にしてしましまいました。
友達、本当に少ないです。

もう20年も前のことを、いつまでひきずっているつもりなんだ、と
別れる前の夫がよく言っていました。
好きでひきずってるわけじゃない。限界まで膨らんでしまって、ついにはパンクしました。
今では、普通だった頃の自分が、どんな風に笑っていたのかも思い出せません。
もう嫌だ、疲れちゃった、そう言ったところで、誰かに助けてもらえることじゃない。
自分で何とかしなければ、この痛みも寂しさもどうにもならない。
わかっていてもできないこともある。
自分だけが苦しんでいるわけじゃない、悲しんでるわけじゃない、何度言い聞かせても、
私の心は「私を見て。私を愛して」と叫んでしまう。
いつになれば、こういう事から抜けだせるんだろう。


2002年02月10日(日) 私のこと*日記を借りたわけ*

アナログの日記とか手紙では無く、webという方法を選んだのかといえば、
たとえそれが疑似的なものでも、「私を支え、受け入れてくれる場所」を
手に入れる事ができるかもしれないと思ったからです。
一人でいるのは好きだけど、孤独にはなりたくなかったんです。

「しなきゃならないこと」がある事が分かっていながら、どうしてもそれをする事ができない。
誰も彼もが頑張れって言う。もちろん頑張ってる、だけど上手くいかない。
目の前に、誰が見ても真っ当な人生を歩める道が用意されていたにも拘らず、
私はドロップアウトしました。
気がついた時には、何一つ手の中に残っていないという状態です。
心の病気は、目に見えません。見えない事が、余計に事態を悪くしていくような気がします。

私の正式な病名はわかりませんが、役所に提出するための診断書は「うつ病」となっていました。
とりあえず「一番表に出ている症状からこういう診断書を書いたからね」と先生は仰っていました。
今の病院に通うようになって約3ヶ月、心電図や脳波も調べてもらいましたが、
問題ないということでした。先生は、体では無く心の問題という事になりますねと言いました。

時々、もうもとの自分には戻れないんじゃ無いかと考える事もあります。
そんな時はもうどうしようもないので、薬を飲んで眠ります。

何もかも正直に書くわけにいかない事もありますが、自分を曝け出してみようと思います。
そして、「ここにこんな状態でも生きている人間がいる、だからあなたも大丈夫だよ」
と、今にも死にそうに悩んでいる人に伝わるといいなと思いますす。

いつかは。
この日記さえ放り捨てて、違う世界へと足を踏み入れる事になるかもしれません。
でもその後に、ほんの少しの間だけでも誰かに思い出してもらえたら、
それだけで嬉しいんだと思います。


志乃 |MAIL

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