鶴は千年、生活下手

2020年11月01日(日) 食べられないもの、食べてはいけないもの

息子が学童保育に行っていた頃のこと。
一年生の男の子が、アレルギー反応のため帰宅途中に倒れ、救急搬送さ
れたことがあった。
その子はナッツアレルギーで、その日のおやつのケーキにナッツが使わ
れていて、チョコでコーティングされていたため、気付かずに食べてし
まったのである。
当然、保護者はアレルギーについてはスタッフ側に連絡済みでもあり、
なぜそのケーキを食べさせたのかが問われた。
問題のケーキは、生地にもナッツを使っていて美味しいと評判の菓子店
のものだったそうだが、それがわからなかったとしてもトッピングにも
ナッツが使われていることには気付いただろうということだ。
スタッフへの周知徹底ができていなかったということだったようだが、
アレルギーに対する認識の甘さが露見した。

何かを食べる時、「うちの○○ちゃんはそれが食べられないのよ。」と
よく言うかもしれない。
「食べられない」というのは「食べることができない」ということで、
匂いや食感が嫌で食べられないという、息子のような感覚過敏の場合も
あれば、食べると命の危険があるので食べることができないという場合
もあり、両方に使う言葉なのである。
そこにアレルギー反応への認識の甘さが出るようにも思える。

一般に「食べられない」と聞くと苦手だからという印象を受け、好き嫌
いのようにも聞こえる。
しかし、「これは食べてはいけないものなのよ。」と言ったらどうか。
「食べることを禁じられている」ということがはっきりとわかるような
表現をすべきではないのかと思う。
命の危険がある食べ物を抱えているということの重大さは、「食べられ
ない」といった程度の表現では不十分ではないのか。

「食べられない物がある」と「食べてはいけない物がある」の違い。
アレルギーに対する認識の甘さを、少しでも改善したいものだ。


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市屋千鶴 [MAIL]