鶴は千年、生活下手

2012年02月22日(水) 学習発表会という名の授業参観日

先日、2年生の学習発表会という名の授業参観があった。
もぐちゃんが交流級の一員として参加するので、見に行ってきた。

4クラスあり、1組から順に発表が行われていった。
もぐちゃんは4組で、出番は最後である。
発表前というのは緊張しているためか、比較的おとなしく座って
いるものだ。
母を見つけて駆け寄っては来たが、「来たよ。がんばってね。」
というと自分の場所に戻っていった。

4組の発表のテーマは、「猫」だった。
みんなが黒タイツで作ったしっぽをつけて、頭には布で耳をつけ
たカチューシャをつけていた。
最初にピアニカで「雪」を演奏しその後で歌うのだが、頭につけ
ていたカチューシャがはずれそうになって直そうとしたら、今度
はピアニカのホースがはずれて、困った風なもぐちゃんだったが、
パニックを起こすことも無く、カチューシャはあきらめて演奏に
専念することにしたようだった。
演奏が終わって、カチューシャをつけ直しながら歌を歌っていた。
母はパニックを起こすかなと思い、先生は手を貸そうかなと思っ
たようだったが、1人で立て直したのを見ていて、感激した。
その後は、一茶や蕪村や漱石の、猫を詠み込んだ俳句を1人ずつ
発表し、そして猫ダンスを歌って踊って終わった。
猫ダンスをみんなと同じように踊っている姿を見て、なんだか涙
がこみ上げてきて、困ってしまった。

発表会の後の懇談会の後で、先生とその話をした。
日々成長しているんですねと、うれしい言葉をいただいた。

支援級の子ども達の発表会は何回か見ているので、みんながんば
ったんだなという感慨とともに見ていたが、運動会や今回の授業
参観のように、他の2年生と同じことを同じようにやっているの
を見ると、やはり感激してしまう。
保育園のときは、なんとかかんとか一緒にやっていられた感じだ
ったし、1年の運動会のときはずっと並んでいられなかったりと、
もぐちゃんなりのがんばりを認めて褒めるものだった。
2年生になっての成長は驚くものがあり、運動能力も上がってき
たんだなあと、感激したのである。
交流で体育をやるようになって、成長が目覚ましいように思う。

そんなもぐちゃんの小学校も、1年と2年で1クラスずつ、学級
閉鎖が始まった。
さらに増えなければいいのだがと、授業参加ウィークに思う。



2012年02月13日(月) 母と子の歯医者さん

先週の金曜日は、もぐちゃんの歯科検診の日だった。
昨年に抜けた上の前歯が2本とも生えてきていないので、次まで
に生えてきていなければ開窓しましょうと言われていた。
開窓とは、歯茎を切って出口を作ってあげることらしい。

麻酔液を塗って、横一線に切るのだと思っていた。
その様子を見ていると、麻酔液を塗ってから麻酔薬を注射するよ
うだった。
えっ、歯茎に注射は嫌がるんじゃないか、と一瞬思ったが、ここ
はずっと見てもらっている歯医者さんに任せておけば大丈夫と、
励ましながら見守った。
少し嫌がりはしたが、歯医者さんのみんなと母とから思いっきり
励まされたり褒められたりしながら、我慢していたようだ。
そして切る段階になって、ただ横一線ではなく、楕円形に切り取
るのだということがわかってきた。
ぐりぐりと押される感覚が嫌なのか、少し身じろぎをしていた。
歯医者さんが、「痛くはないよね。でもぐいぐい押されるのが、
いやな感じだよね。えらいね、がんばってるね。」と声かけして
くれる。
自分の気持を歯医者さんに代弁してもらって、もぐちゃんはまた
がんばれるのだと思った。

前歯は2本とも開窓した。
長かったように思えるが、ほんの少しの時間である。
肘掛けをぐっとつかんでがんばっている息子の姿に、母の思いを
超えて成長しているのだなと、感激してしまうのだった。

帰り道、よだれが垂れそうでハンカチを口から離すことのできな
いもぐちゃんを、歩道の真ん中で2回もギューッとした。
ほんとはもっとずっとギューッてしていたかったが、2回で我慢
した母だった。
次は、2週間後に新しい葉の生え具合をチェックする。
帰宅して、もぐちゃんは偉いぞと、夫に写メールを送った。

そして、今日は母の歯医者さんの日。
母と子は、それぞれ別の歯医者さんなのである。
先月、詰め物がとれて2年近くぶりで、母も歯医者さん通い中だ。
つめるところは終わったが、今日は奥歯の被せものを被せ直しを
するために、はずして型をとった。
52歳にもなって、歯医者さんに磨き方のこつを教えてもらった。
なるほど、そうすればオエーッとはならずに上手に磨けるのかと、
目からうろこの助言だった。
来週は、型をはめる。
そのうちに、1本だけ残っている親知らずの抜歯を予定している。
もぐちゃんのがんばりに負けないように、母もがんばって通う。



2012年02月12日(日) 思い出の変遷

自分の子どもの頃のことは、どこまでが本当なのかわからないも
のなのかもしれない。
思い出は、思い込みの産物である場合もあって、実際に起こった
ことと少し違っていたりもするのだ。
思い込みから美化することも有れば、重大さを増して覚えている
こともある。

事実は事実として確固たるものだが、そこに体験した自分自身の
感情が加わってくると、少しだけ事実と異なる思い込みが生じる。
同じ事実を別の人間から見ると、また少し違ってくる。
そうやって思い出というものは作られていくような気がする。

その思い出を整理する必要はあるのか。
たとえばわたしの場合、両親の離婚に関わる様々な事実を、自分
はこう記憶しているが、母はどうなのか、姉はどうなのか。
そして、当の父親はどう記憶しているのか。
整理できるのは自分の中の思い出だけで、他の家族の記憶は照ら
しあわせてみなければわからない。
しかし、姉とであってもその話を突き詰めて話したりすることは
無いし、父も母も亡くなってしまった。
姉が父に対してどう思っているかということも、あまり真剣に話
したことはないと思う。
ちらっと話したときには、自分勝手な父親を責める気持ちとあき
らめの気持ちとが垣間見えたが。

父が借金を作って愛人と失踪(文字にするとなんかすごいことに
なってる)しなければ、姉は山形で会計事務所に就職し、地元で
結婚していたであろう。
高校生生活の3年間を山形の下宿先で過ごした姉である。
姉にとって、山形には捨てがたいものがたくさん有ったはずだ。

わたしは、まだ中学生だったし、足を踏み入れがたい聖域のよう
な場所を持ってしまったという気持ちが強かった。
生きてきた場所を捨ててしまったという意識が強かったから、捨
ててしまった場所には戻れないものと思っていた。

その辺が、わたしと姉との違いなのかもしれない。
捨てさせられたという思いと、捨ててきたという思い。
その違いが故郷の友人達とのつきあい方の違いになっているのだ
ろうとも思う。
わたしは、転校したときにみんな捨ててきたのだと思い込んでい
たし、一緒に卒業できていないことの重みはかなり大きいものだ
と思っていた。
8年も一緒に学校生活を送ってきたのに、最後の1年が一緒かど
うかで感じ方が違うのだと思う。
一緒に卒業すれば名簿に残るのだから。

東日本大震災で、一緒に学べなくなった子ども達のことも考える。
幼なじみと、親友と、学友と、再び共に学べる日が来るのか。
亡くなってしまった子ども達、生き別れた子ども達。
どうかみんなの思い出は、変わらずに楽しいものであるようにと。



2012年02月04日(土) 何になりたかった?

着々と2月のカレンダーの空白が埋まっていく。
3月もぼちぼちと書き込まれている。

昨日、もぐちゃんに訊ねられたこと。
「お母さんは、何になりたかったの?」
大人になってからは久しぶりに訊ねられた事柄である。
「小さい頃は、学校の先生になりたかったなあ。」と答えた。
「どうしてならなかったの?」と、もぐちゃん。
「そうだねえ、お母さんは早くお仕事ができる方を選んだんだね。」

教師になるには、大学を出なければならず、大学には時間もお金
もかかり、それほど教師への執着が強くなくなっていたわたしは、
就職率の高い方を選んだというべきか。
教師になりたいと思ったのは、小学校の5、6年の担任がとても
良い先生だったので、同じようになりたいと思ったのがきっかけ。
そして、中学生で両親の離婚を経験した際に、全くわたしの変化
に気づかなかった担任に若干幻滅し、そうではない先生になろう
と思ったこともあった。
しかしながら、高校に入って自分の能力の限界、つまり継続して
努力する才能に欠けていることに気づいたとき、自分には他人で
ある生徒にがんばれという自信が無いなと思った。

努力し続けることができるというのは、一つの才能だと思う。
優れた業績を残した人が必ず持っている才能だとも言えるだろう。
わたしはもう、その才能を持っていないのだと思われる。
惰性で続けることは有っても、ずっと努力し続けるということは
とても難しいことなのだ。

いろんなことで、おそらくは全力の7割くらいで生きてきたので
はないかと思える。
したがって、うつなどにはならないのであろう。
精一杯がんばったりしないからねえ。
精一杯がんばって、それでも足りないと思ってまたがんばって、
その努力が報われないとき、報われないと感じたときの無力感は
並大抵ではないと想像できる。

小学生の頃は、がんばればなんとかなると思っていた。
しかし、子どもである自分がいくらがんばっても、両親のケンカ
は止められなかったし、離婚は止められなかった。
思春期に、がんばってもできないことがあると思い知らされて、
転校したわたしは体育でも何でも、手を抜くことを覚えた。
がんばり続けることをやめた。
努力を継続する才能を手放したのである。
まあ、子育ては継続する努力そのものだと言えるかもしれないが。

今は、もぐちゃんに、がんばることは大切だと教えている。
しかしながら、発達障害の特性として無理なこともあるので、が
んばりすぎなくてもいいよと言うことも多い。
夫のように継続できる才能を、もぐちゃんも持てますように。


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市屋千鶴 [MAIL]