鶴は千年、生活下手

2011年09月28日(水) 秋空

今日は母の命日である。
もう22年になる。
11日に23回忌を行った。
横須賀の一つ手前の駅、田浦にあるお寺さん。
副住職さんの言葉。

大事な人を亡くした悲しみは大きいが、この22年という歳月に
は、悲しみ以上に大事な出会いや喜びがあったことに思いを馳せ、
亡くした方の法要に際してこうして集まることができたというこ
とにも感謝する機会としてください。
そして、両親があって自分が生まれたこと、亡くなった方を含め
それまでの祖先があっての今であり、命をつないでいただいたと
いうことに感謝いたしましょう。
それが23回忌という、長い年月を経た法要の心です。

悲しみではなく感謝を、という言葉にはっとした。
法要というと、亡くした人を惜しんで悲しみにひたるもののよう
に思ってしまいがちだ。
しかし、こうして集まることができたことに感謝することもまた
大事なことなのだと思った。
亡くした人を惜しむだけでなく、命のつながりに感謝する法要。
そんな法要の心を教えてもらったのは初めてだったと思う。
なんか、気持ちがすーっとした法要だった。

今日はいい天気だ。
さすがに朝晩は寒くなってきたが、日中は半袖でも大丈夫である。
もぐちゃんは、学校に行くときは長袖を羽織って行くのだが、帰
りは忘れてしまうらしい。
(忘れないでねって、言っておくのだが・・・・)
今日の上着はランドセルに入れて、昨日忘れたジャンパーを着て
帰ると言ったが、暖かいので半袖のままでいいよと言った。
今日は学校へのお迎えの日であった。



2011年09月25日(日) 月を詠んで

久しぶりにぷらむ短歌会の話題。

1週間前に9月のぷらむ短歌会に行ってきた。
今回のお題は「月」で、前の日記でも「月」は詠みやすいようで、
難しいということを書いた。
月を描写するために使い修辞は、出尽くしているような気がして
しまって、困ってしまう。
ありふれた修辞をつけるくらいなら、「月」は何も飾らず、ただ
「月」として用いようと思った。

そんな感じで作った歌4首連作。
 「月は満ちて」
 月満ちて何になれたら満足かわからずにいる 影は濃くなる(市屋千鶴)
 月満ちて何になるのか知らぬまま朝の香りに変化していく(市屋千鶴)
 月満ちてすべてのものが帰属する場所を探して足を速める(市屋千鶴)
 月満ちてわたしの中の影に問う「心の中はまぶしいですか?」(市屋千鶴)

月が満ちるのは、満月であり、臨月でもある。
「月」は「月」として、そこから連想されるものを詠んでみた。

6首を提出したが、他の2首はどうということもない日常詠。
 半月に見守られてる校庭の花火は子らの笑顔を照らす(市屋千鶴)
 どこまでも月に追われているようで視線を落とす花火の帰り(市屋千鶴)

まあ、こんな感じでぼちぼちやってます。
次回、11月のお題は「橋」である。
これまた、どう詠んでいいものやら・・・・である。
きっと、切羽詰まったらなんとかできるだろうと、楽観的なまま
時間が過ぎて行くのだろう。

5月、7月と欠席していたので、みなさんが心配していたのよと
声をかけてくださる。
ほんとに、ありがたいことである。



2011年09月24日(土) 更年期と季節の変わり目

まさに更年期の真っ最中であると思われるわたしである。
なにしろ来月で52歳である。(う〜〜ん)

そんなわけで、かどうかはわからないが、何でも無いのにどうしよ
うもなくイライラしたりすることがある。
そして、生え際(つまりは顔の周り)と、うなじ部分にやたらと汗
をかくようになった。
どちらも昨年辺りからのことだと思う。

どうしようもなくイライラするということは、たいしたことでもな
いのにもぐちゃんが怒られたりすることになり、その度にお母さん
は更年期と言ってイライラさんが急にやってくるのだよと説明する。
そして、そういう時は深呼吸して、もぐちゃんにぎゅうっと抱きし
めてもらう。
少しは、楽になるのだ。
まあ、汗っかきになったのはどうしようもないので、せっせと拭く
しかないのだが。

この時期は、暑さや寒さの感覚の個人差に困ることがある。
扇風機をつけるかつけないか。
長袖にするか半袖のままか。
何か羽織るかそのままか。
などなど、9月から10月にかけて(春にもあるが)の、いわゆる
季節の変わり目というやつに手こずるのだ。

手こずりながらもああだこうだと毎日思い悩んでいるうちに、いつ
の間にか寒くなったり暑くなったりして、まっいいか、ってなる。
そんなことを繰り返しているうちにこの年齢になった。
きっとこのさきも、季節の変わり目には着るものやなんかで思い悩
みながら過ぎて行くのだと思う。

要するに、過ぎてしまえばどうってことないのだよ。(ムフフ)
なんて不適な笑いを浮かべつつ、今日も明日も半袖と長袖の間で悩
むことであろう51歳。

もう半世紀も生きてきたのに・・・・
乗り越えられない季節の変わり目のもやもやである。



2011年09月16日(金) 子に育てられる

子育ては自分育てとは良く言ったものだと思う。

自分の持って生まれた性格を、曲がりなりにも少しずつ修正して、
人間が丸くなったねとか言われるまでにやっとなったところだった。
それが、自分のおなかに居て一心同体だった子どもが一個人として
存在するようになると、いろんなことに対して本能的に反応するこ
とが増えてきて、生まれながらの短気さとか自分勝手な正義心とか
が暴走しそうになる。

相手を受け入れるということの大切さを、一番に教えてくれるのは
自分の子どもである。
自分の子であるが、それは別の人間であるということの難しさ。
自分の子であるが故に自分の思うようにしつけたいという欲求と、
別の一個人だから彼の人格や個性を尊重しなければならないという
理想との間でせめぎあう母性である。

生まれてきてくれてありがとうという気持ちを忘れなければ大丈夫
なのかもしれない。
君は生きているだけですばらしいことなんだと思えればいいのだと
思う。
寝顔を見てかわいいと、生まれてきてくれてありがとうと、そう思
える瞬間があれば、親としてなんとかやって行けるのだろうと思う。

それにしても、わたし自身が結構複雑な過去を引きずっていたわり
には、精神的にまいってしまうこともなく、自分自身を見つめ直す
ことができたことに感謝していかなければならないと思う。

自分が親になることで、自分自身の親に対する考え方も変わってく
ることもある。
両親が居たからこそ得た命であることを感じることもできた。

子どもは親を育ててくれるものであると実感する。



2011年09月15日(木) 花火

先週の金曜日は、支援級の子ども達の体験学習の日であった。
いつもの年は、1学期の終わりに宿泊学習として、2年生以上の
子ども達で行っているものなのだが、今年は台風のために9月に
変更になったのである。
宿泊はせずに、電車に乗ってファミレスに食事に行って、その後
に校庭で花火をやって、そこまでで解散である。

1年生は、食事には行かないが花火には参加できる。
昨年はわたしが入院中だったので、夫が花火につきあった。
もぐちゃんの初めての花火は、及び腰だったらしい。
今年は、宿泊こそ無かったが、食事に行くところから参加できて、
うれしそうだった。
夫が先週の後半は遅めの夏休みをとっていたので、花火は両親そ
ろって参加した。
わたしも花火は十数年ぶりのことで、子ども達以上にテンション
が上がった。
手持ちの花火の他に、校庭に小さな打ち上げ花火を設置してくれ
ていて、後半はみんなでそれをわいわいと眺めて終わった。
もぐちゃんが、「スターマインみたい。」と言って担任を驚かせ
ていた。
小さな打ち上げ花火をスターマインと言ってしまっては、本物の
スターマインに申し訳ない感じだが、担任はもぐちゃんがその言
葉を知っていることに驚いたようだった。

うん、布団に入っていて、遠くの花火の音を聞きながら、これは
きっとこんな花火だよと話して聞かせたときに、スターマインと
いう言葉を教えた。
テレビで花火が中継されたときに、これがそうだと教えた。

子どもの頃は、最上川のほとりで行われる花火大会に毎年行った
ものだった。
来年の校庭での花火を楽しみにしていたい。

花火って、無条件にテンションが上がる。

 半月に見守られてる校庭の花火は子らの笑顔を照らす(市屋千鶴)



2011年09月03日(土) 自転車並み

自転車並みのスピードで北上中の台風だが、1学期の終わりにも
台風が来ると大騒ぎをして、関東、というか相模原のこの辺りは
それほどではなかったような気がする。
今回も、相模原市に大雨・洪水警報が出たが、相模原市は合併し
てやけに広い市になったので、ひとくくりにはできないようだ。

父の死に際して、涙の一粒も出なかったのは、横たわっている父
が、最後に見た父の姿とあまりにかけ離れていたからなのかもし
れない。
もとから自分の中での存在感を薄くしてきたものだから、実際に
存在しなくなったことを実感できていないのだろうか。
すでに思い出の人になっている人は、改めて思い出の人にはなれ
ないのかもしれない。
わたしの中の父の思い出は、小学校の頃のものがほとんどなので、
そこから後のことは母の思い出の一部として存在してきたのだと
思う。
ともに苦労した母の死は、わたしにとってとてつもなく大きいも
のだったし、その後の自分の堕落ぶりを思い出すと、母の存在の
大きさを思い知ることができる。

ともに苦労したという点では、父に対する義母の気持ちは想像以
上なのではないかと思う。
がっくりくるものなのか、自由に動けるようになった自分自身を
楽しむ方向に考え直すことができているものなのか。
心配になってもなかなか電話もできないのが、まあ複雑な義理の
仲ということなのだろう。

このわたしが、母親になるなんて思ってもいなかった。
小さい子の親になるなんて、小さい子を育てているなんて。
まったく不思議なものである。
まあ、それが人生なのだけれど。

 ゆっくりと周りもちゃんと見渡せる自転車並みの日々を楽しめ(市屋千鶴)



2011年09月02日(金) 開放感と

昨日から2学期が始まって、久しぶりに自由な午前中。
夏休みは、透析日以外はなるべくもぐちゃんの希望に添うように
と、電車乗りに行ったり出かけたりしていたので、ひとりきりで
ぼーっとする時間がなかった。

子どもが大きくなって学校に行くようになると、毎日一緒にいた
幼児の頃が大変だったなあと思い返す。
それはもちろん、自分の体調が悪かったこともあるのだが。
わたしがもぐちゃんを産んだすぐあとくらいに、アパートの隣に
住んでいた奥さんが、「1年がんばれば、あとは楽になりますよ。」
と言ってくれたことがあった。
お隣さんは女の子だったから、大きくなるにつれて扱いやすくな
っていったのだろうと思う。
うちは男の子だからか、発達障害のせいなのか、大きくなるにつ
れて目が離せなくなった。
まあ、子育ての大変さは子どもの年齢によって異なるが、その時
期が過ぎると懐かしく思えるのは、どの時期も同じだろう。

過ぎてしまえば懐かしい思い出だと言えるのは、自分の中でそれ
がきちんと終わっているから言える言葉なのだと思う。
何事も終わってしまえば、何ということは無いのだ。
今が辛くても、それはいつかは終わることだと、現実はしっかり
と受け止め、前を見ていればいいのだと思う。
自分の中の辛い思い出は、きちんと終わらせなければいけないと
思う。
そうしないと前には進めない。
そのために書くこと、言葉にすることが大切なのだ。
人に話すのも大切なことだが、感情のままにとりとめの無い話に
なってしまいがちなので、一度文字にして気持ちを整理してから
人に話す方が、きちんと終わらせられるような気がする。

終わらせるからといって、それが無かったことになるのではない。
ただ、思い出として客観的に見ることができるようになるという
ことだ。

短歌にすることができるようになるのも、気持ちに整理がついて
からのような気がする。
しかし、亡くなった父のことは、気持ちの整理はとっくについて
いるにもかかわらず、短歌にはできないのはなぜなのか。


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