鶴は千年、生活下手

2011年02月28日(月) これは迷子というのか

昨日は、わたしは午前中に患者の会の役員会に出席して昼に帰宅。
急いで焼きうどんを作って食べ、父と子は出かけていった。
わたしは花粉で目がかゆくて仕方がないので、ひきこもっていた。
病院まで行って帰ってくるだけで、目がかゆかゆなのだから・・・・

今日は朝から雨なので、花粉症は楽である。
もぐちゃんが保育園児のころは、夫と出かけると何回か叱られる
ことがあったのだが、最近ではあまり叱られることもなくなり、
2人で楽しく出かけられるので、任せてしまうことが多い。
だんだんと父親と出かける機会が増えていくのは、男の子として
はうれしいことだと思っている。

とはいえ、夫はおたくちっくであるからして、キャンプに行った
り海水浴に行ったりするタイプではないので、父と子でキャンプ
とかいう絵に描いたような父子旅はしたりしないと思う。
しかし、歩くのは好きなので、2つ先の駅まで歩いて行ってみよ
うとかいう提案はするらしく、迷子にならないかと心配するもぐ
ちゃんに、そろそろ駅の方に戻ろうよと言われたりするらしい。
知らない場所ではちゃんと手をつなぐ子なので、1人で迷子にな
るようなことはないが、父と2人でどこにいるかわからなくなっ
たことはあるのだった。(笑)

以前、町田の方に行こうとして、どこだかわからなくなったこと
があり、わたしがメールで「いま、どこ?」とたずねたら、「わ
からん」と帰ってきたことがある。
その日は、ずいぶん長い時間うろうろしたらしかった。
そんなことがあったので、もぐちゃんは駅から離れた方向に歩き
出すと、心配して戻ろうというのだろう。
昨日も、夫の知ってる場所に行くために駅から離れていくと、急
にもう帰ろうよといいだしたそうだ。
父と2人で迷子になったのが忘れられないのかも。
保護者が一緒でも、迷子っていうのだろうかと思いつつ、母と出
かけた時は迷子にはならないのは、冒険しないからだということ
はもぐちゃんもわかっているようだ。

 「冒険は人生だけで良かったの」息子に言うにはまだ幼くて(市屋千鶴)



2011年02月25日(金) 24時間

昨日の朝から、24時間観察の心電図検査(ホルター心電図検査)
をやっていた。
もう3回目だが、今回は特に貼付けるシールがかゆくてたまらな
かった。
1回目もかゆかったがこれほどではなかったし、2回目はあんま
りかゆくなかったので、今回はつらい。
眠っていてもかゆみで起きてしまうこともあり、何回も目をさま
して、まだ朝にならないのかとがっくりしたりした。
9時過ぎにやっと終了時間が来てはがしたが、これまたはがすの
が痛かった。
こんなにぴったりくっついていたのかとびっくりである。
おもいっきり、かいてすっきりした。(笑)

ものすごい晴天だが、風も強い。
もうすでに花粉が飛んでいるため、外干しはしていないのだが、
外に干していたら、洗濯物がぐるんぐるんしてただろう。
もう、朝のうちにお金を下ろしたりして、外に出なくてもいいよ
うにして、ひきこもっている。
昨夜、何度も起きたので、午後になって眠くて仕方ないのだが、
透析を始めてからあまり昼寝ができなくなった。
姉が、くも膜下出血で倒れたあとは1人で寝るのが怖いというの
と似ているのかもしれない。
眠気覚ましに、こうしてパソコンに向かっている。
花粉症で目がかゆいので目薬をさして、それも目覚ましにする。

こんなぽかぽかで風の強い日は、もぐちゃんを迎えにいくのさえ
若干ゆううつである。
今日は、帰宅したらポ○モンカードバトルかなあ。
なにしろ、昨日、ひとりでシミュレーションしてたから。(笑)

 一日中監視されてる心臓のあなた以外にときめかぬ鼓動(市屋千鶴)



2011年02月23日(水) 重複

なんでも前向きにひたすら進む人たちがいて、そのなかに入って
しまうと、考え方が前向きなので短歌が作れなくなる。
前向きだと短歌が作れないというのは変な言い方だが、立ち止ま
って思考に沈むということが少なくなってしまうのである。
思考に沈んでいく時間がないと、詩文なんて作れないよなと思う。
少しだけ、ひたすら前向きな人たちから離れてみると、こんな風
に毎日のようにパソコンに向かって文章を綴っていたりする。
不思議なものである。

夏に入院してから、自分の体調を過信しないようにしていこうと
決めた。
なんとなくゆるゆるとがんばりすぎないで暮らしていくのだ。
短距離選手ではなく、長距離を走り抜くようにゆっくりと自分の
ペースでいこうと思う。
ひたすら前に進む人たちの中で、がんばりすぎるのは禁物だ。
穏やかに暮らせればそれでいい。
おだやかに、それでいて誰かの助けになればなお良いのだが、そ
んな虫のいい話はないよなと思う。

従姉の娘の結婚式が、小学校の運動会と重なることが判明。
早速、従姉に連絡すると、運動会が終わってから最後の方だけで
も披露宴に参列できないかと、夫と相談してと言われた。
式は3時からで、披露宴は7時半くらいまでかかるらしいので、
運動会の後に来てくれてもみんなと一緒に写真が撮れるくらいの
時間には到着するんじゃないかと。
わたしは、運動会だから行けないやで終わっていたので、運動会
終了後に出かけるという考えにはいたらなかった。
そうか、その手があったかと思ったが、やっぱり曜日変更しない
といけないのかという意識もちょっとあった。

もぐちゃんはといえば、運動会と結婚式が同じ日だと告げると、
どっちに行こうかなとの発言。
おいおい、学校行事優先なんだぞというと、そうだよねと納得。
子どもって、そういう発想なのかとちょっと笑ってしまう。
運動会って、楽しいイベントの一つだと思っているのだろう。
学校行事は勉強の一環という意識がないようだ。
まっ、そんなもんだろう。(笑)

運動会の後で出かけるかどうかは、夫との相談次第だ。

 めでたさとめんどくささがくるくるとまわりつづける重複の日(市屋千鶴)



2011年02月22日(火) ニコニコ

土曜日、もぐちゃんは夫と2人ででかけ、ポ○モンカードバトル
の初めてセットを買って帰ってきた。
相手をするのは、父ではなくて母である。
デュエル○○スターズよりもルールが簡単で、カードに書いてあ
る小さい字もたくさん読まなくても良いので、老眼の母でも大丈
夫なのである。

昨日は、午後から小学校の授業参観と懇談会。
授業は、ニコニコ集会という楽しく過ごす時間なのだが、その中
でこれから行われる行事の予備学習をしたりする。
昨日は、3月に実施するお別れ遠足(6年生を送る行事)の予備
学習だった。
学校から歩いて駅まで行き、切符を買って電車に乗り、3つ先の
駅で降りて映画を見て、その後はファミレスで昼食をとって帰る。
映画はドラえもんだが、もぐちゃんは映画館の大きな音が嫌だか
ら、映画館では見ないといっていた。
音が大きすぎて嫌なんだったら、耳あてをしようかと提案したら
それに同意してくれて、みんなと一緒に行く気になってくれた。
彼にとっては、映画よりもファミレスの食事が魅力なのだと思う。

授業参観の後は懇談会。
懇談会の間、子どもたちはプレイルームで遊んだり、別室でドラ
えもんのビデオを見たりして待っていた。
特にどうということもなく、懇談会が終わり帰宅。
帰宅して、先生からの連絡を見てみたら、どうも話すことが苦手
なお友達に対して、意地悪をしていたらしい。
車のおもちゃに乗って、座っているその子に椅子にぶつかってみ
たり、ちょっかいを出していたらしい。
先生は、「やめて」と言えないお友達にそうしていることが特に
気になっているようだった。
「注意しましたが、お母さんからも話して確認してください。」
とのこと。

噛み砕くように話してきかせた。
言葉が出ない他の子に対して、少し軽く見る傾向があったので、
彼らはお話しするのは苦手だけど、ちゃんと聞いているし何でも
よくわかっているのだと話した。
彼らに、もぐちゃんは意地悪なやつだなあと思われてもいいのか
と問うたら、それは嫌だと言う。
自分は遊びのつもりでも、やめてと言えないお友達は嫌かもしれ
ないから、ぶつかったりちょっかい出したりするのはやめようね
と話した。

様々なことを、何度も繰り返して教えてきた。
繰り返し繰り返し、辛抱強く言い続けることが必要なのだ。
だから、この件も繰り返し繰り返し、話していかなくては。

 繰り返す言葉の意味が本当にわかるときまで語り続ける(市屋千鶴)

一度でわかってくれることなんて滅多にあるものではない。



2011年02月20日(日) チクチクの心

夫が100円ショップでチリンチリンを買ってきてつけ直してく
れた。
今はかなりのものが100円ショップで扱われていて、自分で直
せるのが便利だ。

水曜日だったか木曜日だったか、学童に迎えにいったとき、指導
員の方と3年生の男の子が言い合いしていた。
言い合いというよりも、男の子は何かを返せと強く要求していた。
しかし、その口調がどうしてそんな激しい口調なのかと抱きしめ
たくなるような悲壮さを含んだ激しい怒りだったのだ。
たかだか9歳のその男の子が、何に対してそれほどの悲しいまで
の怒りを持つことになったのか、それがとても心配だった。
それは指導員さんも同じで、君のことが心配なのだと何があった
のかと問い続けていた。

帰り道にもぐちゃんと、今日はあの子は気持ちがチクチクしてた
んだねと話しながら帰った。
もぐちゃん、お母さんとけんかしたとき、心がチクチクしたよね
と訊くと、そうだねと答えた。
あの子はどうしてチクチクしてるんだろうねと、静かに話しなが
ら家に着いたのだった。

 「チクチクで痛いんだよね」抱きしめてちゃんと涙を出させてあげる(市屋千鶴)

思い過ごしかもしれないが。



2011年02月18日(金) 原因

昨日、もぐちゃんを学童に迎えにいくために自転車に乗ったら、
そこで初めてベルが壊れていることに気づいた。
ベル=チリンチリンがくるんとそっぽを向いていた。
チリンチリンを止めているベルトが割れていた。
困った、というか、またチリンチリンが壊れたのかよと思った。
前の自転車もチリンチリンのふた部分がどこかに行ってしまって
ならせなくなっているのだ。

今朝、学校で授業の準備をしているもぐちゃんのすぐそばに、他
の児童のコートが落ちた。
机の中にノートや筆箱を入れるのに懸命だったもぐちゃんは、そ
のコートを踏んでしまい、踏んでしまったことに気づいていなが
らも足をどかせないでいた。
机の中にものを入れ終わって、初めて足をどけた。
それを見ていた担任が、もぐちゃんに注意して、あやまろうねと
促したが、その謝り方がどう見てもいやいやしているようだった。
そこまでは、母であるわたしはただ静観していたが、きちんと謝
らないので呼びつけて叱り、もう一度謝らせた。

落ちたコートは、昨日の日記に書いた子のもので、それを拾おう
としていたのは彼のお母さんだ。
くしくも、絶対許さないともぐちゃんがつぶやいた相手である。
そんな意識はなかったかもしれないが、苦手意識というのは残る
もので、もぐちゃんの視野には入っていなかったのかもしれない。
それに、机の中に入れる作業と呼びかけに耳を傾けて足をどかす
という作業が同時にできなかったのかもしれない。
自分の中で、作業の順番があって、自分のやりかけたことを止め
ることができなかったのかもしれない。
だから、踏んでしまって足をどかせなかったことは、仕方がない
こともあると思っている。
だから、そこは先生にまかせた。
母親の出る幕ではないと思った。

しかし、すまないことをしたとは思っていても、注意されたとい
うことにカチンときて、ちゃんと謝らなかったのは見過ごせない。
これは、母親のしつけの問題だ。
謝るべきときはちゃんと謝る。
それができなかったので叱った。
生きていく上でどんな人にも必要なことだから。

だが、そのときのもぐちゃんには、母親は先生と同じに叱っただ
けに思えたかもしれない。
自分が叱られた原因の行動について、母親が理解しているという
ことを伝えないままに叱ってしまったので、帰ってからフォロー
しようと思う。
問題行動の原因はどこにあるのかを模索することが支援教育の基
本なのだと思う。
もぐちゃんが足をどかせなかったことの理由を2人で考える。

 無意識と意識の境をあいまいにしたまま君は今を生きてる(市屋千鶴)



2011年02月17日(木) 曇天と強風

曇っていて風が強い。
透析を終えて帰るまで、なんとか雨にはならないことに期待して
自転車で病院まで行った。
帰るときに自分の自転車が見えないと思ったら、倒れていた。
買ってから1年で3回倒れた。
すぐに前かごはゆがんでしまうし、後ろにもかごをつけたために
後ろのホイールカバーも少しずれてしまった。
かわいそうな自転車である。

自閉症の子を抑えよう抑えようとしているお母さんがいて、毎日
の登下校時に見かけるが、抑えるのは大変だろうと思う。
おそらくは彼のために介助員さんの1人は割り当てられているの
だと思われるが、プレイルームで遊んでいる彼はとても楽しそう
である。
一度、教室の中でお母さんが携帯電話を操作していて、彼はそれ
がとても嫌でお母さんにやめてもらいたくて食い下がっていた。
しかし、お母さんはよほど急ぎの用だったのか、彼を振り払って
携帯電話の画面を見ていた。
そのとばっちりをくって頭をぶつけたもぐちゃんは、絶対許さな
いとつぶやいたが、その声は誰に向けたものだったのか。

きっと、毎日大変なんだろうなあと思うしかない。
さっきも病院から戻ったときに、学校帰りのその2人を見かけた。
彼は残った雪の固まりに、傘をさして遊ぼうとしていたが、お母
さんはそれを止めようとしていた。
一緒に何かして遊んだりすることがあるのだろうかと、ふと疑問
に思う。
あのお母さんは、きっと彼を見ているのだろうなと思った。
じっと見守っているのだろうなと思った。

 真っ黒になった雪にもつついたら白いきれいなものがみえるよ(市屋千鶴)

雪をつついて遊ぶのは、楽しいよっ。



2011年02月16日(水) 晴天

毎日それなりの品質の歌をつくるのは、ほんとに大変だと思った。
以前は毎日日記を更新していて、毎日のように短歌をつけていた
が、それはいい歌かどうかとかまったく考えていなかったし、そ
れはいまでもあまり変わらない。

しかし、それがちゃんとした企画のもとで歌人がやることととな
ると、それはもう大変な作業なのだと思う。
東直子さんの「十階」を読んでいるが、一年間毎日綴られた歌の
数々が、その大変さを物語っているように思う。
(2007年の一年間の日記短歌である。)
東直子らしさを維持しているのか、では何が東直子らしさなのか。
いっときはそんなことも考えてみたが、読んでいるうちにそんな
ことはどうでもいいのだと思った。
わたしが日記の最後に締めの言葉のように短歌をつけるように、
品質はだいぶ違うけれども、そのときに思ったことをそのときに
思い浮かんだ言葉で歌にする。
ただ、それだけなのだと思った。
それは批評したりされたりするたぐいのものではないような気が
する。
人目にさらす以上、誰かが批評するのだろうし、技巧的な批判も
あるのだろうが、それはそれとして、わたしにはその日に実際に
感じたことを言葉にして残していくことにこそ意味があるのだと
思える。
振り返ってみるときに、歌に綴られた言葉によってそのときの自
分の感情や状況が思い起こされればそれでいいのだと思う。

わたしがこうして今年に入ってまた日記の更新と短歌をつけるこ
とを復活させたのも、いろんなことをちゃんと考えて言葉にした
いと思ったのと、のちのち振り返るときのためにと思ったから。

 しぼりだすように言葉を紡ぐとき繭よりいでよ白きひとひら(市屋千鶴)



2011年02月15日(火) 招待

従姉の娘の結婚式によばれることになり、少々困惑気味。
恒例の今年の新年会では、うちはよばれないはずと聞いていたか
らである。
本人たちが再検討して、よぶことにしたのだと今夜電話があった。
5月の土曜日である。
つい、透析日であることを考えてしまう。
姉もわたしと同じ透析日だが、姉ならば曜日をずらして出席する
ということが当たり前になっているだろう。
わたしはまだ曜日をずらしたことがない。
土曜日に何かある日も、たいていは午前中のことだったり、昼の
イベントだったりで、時間帯をずらすことですんでいたのだ。

結婚式は3時からということ。
その日は順番が一番遅い日だ。(カレンダーで数えた。)
どうがんばっても3時までに八王子は難しい。
やっぱり曜日変更しなくてはならないだろうか。
めでたいことなのに、なんだか少し気がめいってしまう。
曜日を変えるなんて簡単なことなのに・・・・

夫ともぐちゃんと三人宛に招待状は届くのだとか。

いつもならもぐちゃんと一緒に眠ってしまっている時間なのだが、
今日はあまり眠くならないのは、困惑のせいか。

 めでたさもめんどくささも飲み込んで結婚式に一族集う(市屋千鶴)



2011年02月14日(月) 湿布薬

雨が降っている。
まだ雪にはなっていないが、夜にはまた雪になるのだろうか。
朝はあられが降っていた。
学校に行く時間にはかろうじて傘をささなくても良い状態だった
が、その後一度は晴れて洗濯物も外に干せたが、さっきから雨に
なった。

我が家の三連休は、雪のためもあって家にいることが多かったが、
昨日は良く晴れたので、昼をバーミヤンで食べて父と子はさすら
いの旅にでかけ、母は買い物をして家に帰った。
さすらいの旅は、今回は割と近場の町田までだったらしい。
パソコンに画面に貼付けるシートを買ってきてもらった。
新しいパソコンの画面はきれいで良いのだが、ピカピカしていて
明るすぎるのでマットになるようにシートを貼った。

この1週間くらい、左手の甲と手首近くが時々痛くなる。
重いお皿を片手で持ったときとか、自転車の向きを変えようとし
て左手で引っ張ったときとか、土鍋を持ったときとか。
透析している病院で症状を説明すると、腱鞘炎みたいなものです
と言われ、以前からもらっている湿布薬で様子を見るようにと言
われた。
さらに、雪のためか神経痛が出始めているようなので、温かくな
る湿布ももらったが、これがとてつもなく湿布臭くてかなわない。
食事のときは、申し訳ないくらいだ。
そんなこんなで、湿布薬は貼ったり貼らなかったりで、効果があ
るのかどうだかわからないという有様である。

こんな雨の日は神経痛がでるものだが、臭い湿布薬を貼るべきか
いなか悩みどころである。

 湿布薬ひとつに思考を占拠されバレンタインの日は過ぎていく(市屋千鶴)



2011年02月12日(土) 話しかける

先日、もぐちゃんを学校に送った帰りに、一人の女性から話しか
けられた。
どうやらお孫さん(2年生の女の子)を送り迎えしているようだ。
昨年に転校してきて、なかなか気が弱くて学校に行くのにも一人
では行けないのだとか。
孫には甘くなってしまって、とおっしゃるその女性は、でもうち
は孫に寄り添っていてあげたいんですよと付け足した。

お母さんは昼も夜も働いているとちらっと言った言葉から、離婚
して母親と暮らしているのだろうかと思った。
女の子二人と、5ヶ月になる男の子の三人兄弟だそうである。
お母さんが忙しい分、祖母であるその女性はお孫さんの面倒を見
ているのであろう。

もぐちゃんを送り迎えしているわたしを見ていて、一度お話をし
てみたいと思っていましたとおっしゃった。
わたしも孫を連れているように見えたのだろうか。(苦笑)
木曜日に病院から戻ったところで、学校帰りのその方を見かけ、
こちらから挨拶したが、覚えていてくださってありがとうと言わ
れた。
一度話をしたことがあれば、挨拶をするのは当然のことと思って
いたわたしは、ありがとうと言われたことに逆に驚いてしまった。
それほど、人間関係が希薄になっているのだろうか。

どんな年齢の人であれ、人との会話は必要なことなのだ。
だれかとつながっていると思えること。
一人ではないと思える瞬間が必要なのだ。
たとえ家族がいたとしても、他者とのつながりは必要なのだ。
社会とのつながりが必要なのだと思う。

とりあえず、挨拶だけはいつもにこやかにできるようにと。(祈)

 ひとことで落ち込むことも救われることもあるとは校長の言葉(市屋千鶴)

2月の学校だよりに校長先生がこんなようなことを書いていた。



2011年02月11日(金)

朝から雪が降っている。
2月11日に雪が降ると、ちょっと切ない。
もう37年も経つが、やっぱり雪の思い出は消せるものではない。
猛吹雪の中を、幌のジープで姉の下宿先まで母と行ったこと。
その道中で、母から父の失踪について説明されたこと。
前を覆い隠す雪を、手で払うのがとても冷たかったこと。
姉の下宿先で、みんなでこたつに入って話をしたこと。
などなど。

今は、わたしが血圧を測る音で目を覚ましたもぐちゃんと、雪が
降っているのを見ながら、つもるかなあと話をしている。
おなかが空きすぎて、胃のあたりが痛いと訴えたもぐちゃんだが、
ミルクティーを飲んでパンを食べたら治ったらしい。
その後は元気にポケモン中で、エンディング後の世界を堪能して
いる。
新しいパソコンでペアレントコントロールをかけているが、使用
時間は平日週末を問わず1時間、夜8時半から朝7時までは使用
不可に設定している。
当然、使えるアプリケーションなどの制限もしている。
本当に今はいろいろ便利になっているなと感心するばかり。

雪の降る中、アパートの隣室ではなにやら改修中なのである。
今週は日替わりで業者さんがやってきて、ガタガタゴトゴトと音
を立てている。
畳や壁やふすまや水回りや、次の入居者が決まったのだろう。

今日がわたしにとっては忘れられない日だが、姉とその話をした
ことがないような気がする。
37年前の冬の話は、身内にもきちんと話をしていないのだがと
あらためて思う。
一度くらいは、姉とこの話をしてみるのもいいかもしれないと、
今年はそう思っている。

 雪だけは何も変わらず降っており年を重ねて記憶は変わる(市屋千鶴)



2011年02月09日(水) 本を貸す相手

東直子さんの「十階」を購入した。
三月のぷらむ短歌会で使用するのだが、注文してから届くまでに
二十日くらいかかった。
届いて読み始めるが、ゲームやパソコンで目を使った後は、特に
小さい字が見えにくく、日記文の小さい文字に苦労している。
 老眼にまたむち打って文庫本
といった気分である。

昨日、親戚から山菜の「うるい」が送られてきた。
もとは山菜だが、最近は栽培されるようになってきている。
昨年も送ってくれたが、今年も予想通りの量だったので、我が家
だけでは食べきれないと、もぐちゃんをいつも預かってもらって
いる(最近は預かってもらうことが少ないが)お宅におすそわけ
をしに行ってきた。
ついでに、冷凍のずんだ餅と、クライブ・パーカーの文庫本上下
巻と、ぷらむ短歌集3をもって行った。
クライブ・パーカーの本は以前から面白いので貸しますよと言い
ながらなかなか持っていけなかったもので、借りる方もどんな本
だっけ?と思い出さなくてはならないくらい。
冷凍のずんだ餅は、明日のお客様用にちょうど良かったと言って
くれた。
おかえしに、おいしいパンをおやつにいただいた。

面白い本の話をしていて、西洋絵画の本の面白さを語ってくれた
のだが、そこで聖書の挿絵の話になって、更に宗教の話になって、
行き着いたのが「聖☆おにいさん」という漫画の話だった。
話をしていて面白いので、それも貸してくれと言われた。
夫の許可を得たら、貸しにいこうと思う。
そういえば、以前は「理○の人」という漫画が面白いよと教えて
くれたり、「生協の○○さん」を貸してくれたりしたっけ。
面白いと思うツボが同じで、よかったよ。

今日伺ったお宅は、もぐちゃんが1歳の頃からのおつきあいだか
ら、食べるものにしても本にしても好きそうなものが予想できる。
初対面の人でも、好きな本が何なのかで、相手のことが少しわかる
ような気になってしまう。
本や音楽は、なんか性格が出るような気がするんだよね。

 簡単に本を貸したり返したりするようにまだ愛は貸せない(市屋千鶴)

って、愛は貸したりしないよね、たぶん。



2011年02月06日(日) 母親の孤独

NHKの番組で「4ヶ月までの母親の孤独」について取り上げてい
た。
思い返せば、わたしもそうだった。
一日中ずっと家の中にいて、帰宅後の夫以外の誰とも話をしない
ままに一日を終える日々が続いた。
わたしはミルクと母乳の混合だったし、2ヶ月を過ぎた頃からミ
ルクオンリーになったので、その分だけ楽だったと思う。
夜はミルクをたっぷり飲んで、よく寝てくれた。
夜中のミルクの準備は、夫も手伝ってくれた。
泣き声で、おなかが空いているのだなとわかる子だった。
ミルクは母乳よりも腹持ちがいいので、母乳よりも授乳感覚が長
いし、他の人間に頼むことができるので夫に替わってもらったり
することができた。

わたしは2ヶ月の頃から、ベビーカーに乗せて買い物に出たりし
ていたので、よくいくスーパーのレジのおばさんたちが声をかけ
てくれた。
それがうれしくて、いつもそこに買い物に行くようにしていた。
ほんのちょっとの声かけがうれしかったのだ。
かわいいわねえと声をかけてもらうだけで、がんばってるのねと
励ましてもらっているような気持ちになった。

いちばん辛かったのは、退院した日の夜だった。
退院したのは昼過ぎで、夫は午後から仕事納めのために出て行き、
夜8時過ぎまで帰らなかった。
わたしは、ろくに出ない母乳を一生懸命に飲まそうとしていた。
入院中からうまく飲ませることができなくて、搾乳器が欲しいと
真剣に思っていたが、退院のときには急いでいる夫に言い出せな
いままだった。
そのまま一人になり、うまく飲ませられないまま、泣きそうにな
っていた。
退院したその日に一人っきりにされた母親は少ないだろうと思う。
レンタルしたベビーベッドは、組み立てられることもなくおかれ
たままで、そのこともとても悲しかった。
夫は、父親になったのに、退院までの間、何も用意していてくな
かったのかという思いがますますわたしの心を暗くしていた。

その後はいろいろと手伝ってくれて、もぐちゃんの面倒もよくみ
てくれて、いうことなしの父親だが、この退院の日のことだけは
忘れることができない。
いつまでも悲しくなってしまうのだ。
だから、なるべく思い返さないようにしていた。

誰かと話をしたいのだろう。
夜中の孤独な授乳の時間に、同じように孤独に授乳している人が
いるとわかるだけで、楽になるという。
ツィッターで他のママさんたちとつながることで、孤独から抜け
出すことができているというママさんたち。
とてもよく気持ちがわかった。

つながりを探せた人はいいけれど、一人で悶々としている母親が
いたら、それはどうやって探し出してあげればいいのだろうか。

 表には出ない孤独を探すとき耳を澄ませて目を見開いて(市屋千鶴)



2011年02月04日(金) 立春

立春にふさわしい暖かな日になった。

もぐちゃんは昨日、学童から豆菓子をたくさんもらってきた。
本人は豆が食べられないので、ほとんどは母のおやつになってし
まうが、それでいいのだともぐちゃんはにこにこしていた。
そうか、母へのお土産がいっぱいでうれしいのだなとこちらもう
れしくなった。

2月は、わたしにとっては悲しい思い出の多い時期でもあるが、
昨年の今頃は、療育相談室の入学前指導なんかを聞きにいったり
していたのを思い出す。
小学校入学を前に、今から慣しておいた方がいいこととか、学校
関係の場所をきちんと設置した方がよいとか、なるほどと思うこ
とがたくさんあったように思う。

今ではすっかりもぐちゃんコーナーが確立されていて、どんな本
がどこに入っているかをわかってくれているので、いちいち片付
ける方法を指示しなくてもよくなった。

1年なんてほんとにあっという間だと思うのは、1年が51分の
1になってしまったからだろうか。
もぐちゃんにとっては、7分の1だが、母にとっては51分の1
なのである。
ほんとにあっという間。
あっという間だからこそ大事に暮らさなくてはならないのだろう
が、それこそ1週間は瞬く間である。
3回透析を受けると1週間経ってしまう。
なんだか4日で1週間みたいな気になっている。

 春を待つ気持ちがひとつおきにきて一週間を四日にかえる(市屋千鶴)



2011年02月02日(水) 鬼カレンダー

もぐちゃんの通っている支援級では、図工の時間に毎月のカレン
ダーを作っている。
昨日は、二月のカレンダーを持って帰ってきた。
いわゆるカレンダーの部分と、紙を切り貼りして各月にちなんだ
絵を作る。
たとえば、一月は雪だるまだった。
12月はクリスマスツリーだったり、6月は雨とかえるだったり
と、先生方も絵柄を考えるのも大変だなあと、美術的才能が皆無
のわたしは感心するのだ。
二月は、赤鬼と青鬼が豆を投げられて逃げている絵だった。
逃げているにもかかわらず、鬼たちはにこにこしている。
なんだかほのぼのとした鬼の絵だった。

つのつのいっぽん青鬼さん、つのつのにーほん赤鬼さん
だったろうか。
角の数で鬼の格が決まるという話を聞いたことがあって、という
ことは赤鬼の方が偉いのかと思ったりする。
鬼っていったいなに? という話は小難しくなるのでやめておく
が、節分に追い出される鬼は、きっと赤鬼でも青鬼でもなく家の
中や心の中の鬼。
人間の心の闇であろう。

まだ起きてもいないことをあれこれ心配したり不安がったりする
心だったり、もう起きてしまったことは後戻りなどできないのに
過去にとらわれて悔やんでばかりいる心だったり。
後ろ向きな心を追い出して、前向きな心を呼び込むのだ。
過ぎたことにはくよくよせずに、気持ちを切り替えて一歩を踏み
出すのだ。

春を迎えるにあたって、気持ちを切り替えるために豆をまいて鬼
を追い出し、新しい気持ちで福を呼び込むのだ。

そう思うと、カレンダーの鬼たちさえも自分の心の分身のようで、
かわいらしく逃げる姿にも親しみが持てる。

 にこにこと逃げる鬼にも角はあり人ならぬもののうすく輝く(市屋千鶴)


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