鶴は千年、生活下手

2004年10月31日(日) カーニバル

昨日はわたしの45歳の誕生日だったので、この週末は
 「ちーちゃん祭り」  ということに。

要するに、わたしの行きたいとこに行き、食べたいものを食べる
ということなのだが。

しかしながら、我が家の一番の問題点であるところの、テレビ。
そう、赤くなったテレビを、なんとかしなくてはということで、
相模大野でテレビを見てみたが、なんだか夫が値段とデザインが
気に入らないといい、中央林間で購入。
値段は安かった。希望のメーカーではなかったが、まあいい。
3日の祝日に配達してもらうことにした。
あと3日の辛抱だ。

その後、リニューアルオープンした東急ストア中央林間店を見た。
「フルッタフルッタ」で元気が出そうなジュースを飲んだ。
ワイルドパッションフルーツジュース。アマゾンの力だ。
(今日も飲んだ。二日続けてだ。)

人も多かったし、子連れでもあるしで、なかなか見たいところを
見て回ることはできなかったが、夫の努力には感謝している。
ずっともぐちゃんを抱っこしていたのだから、さぞ疲れたことだ
ろう。
今日は雨がほとんど降っていなかったので、ベビーカーで行った。

ほんとは「ちーちゃん祭り」なんかしてる場合じゃないと思うが。
週末は、たまった家事を片付けることに当てなくてはならないと、
自分自身でも思っているのだが、夫が休みだと、どうしても夫に
甘えたくなってしまうのだ。
夫にもぐちゃんを見てもらって、自分はたまった家事をするとい
うのが理想的だし、それはよくわかっているのに、できない。
できないのではなくて、したくないのだろうと思う。

わたしの夫離れはいつになることやら。

そして。
深夜になってあわてて、ぷらむ11月歌会の詠草をメールした。
お題は「眼鏡」。
歌を作ってもいなかったので、即詠のように題詠で三首。
これでまた、推敲の「す」の字もないのだ。(しくしく)



2004年10月29日(金) 通院日

いつもより1本早いバスに乗りたくて家を出たはずだったのだが、
結局いつものバスになった。

診察前検査の順番を待っていると、待合室でお話をしている方が
先に呼ばれていた。
「田中○○○さ〜ん」
ああ、あの方は田中さんとおっしゃるのだなと思いながら、自分
の順番を迎えた。
いつも、わたしの方が先に検査もして、診察も先なので、わたし
の名前が呼ばれるのを、田中さんは聞いている。

前回お会いした時に教えてもらったストーローでの飲ませ方のこ
とを報告した。
ほんとうに教えていただいたようにやったら、もぐちゃんは一発
でストローで吸えるようになったのだ。
報告する方も、報告を受ける方も満面の笑みで。(笑)

最初の日こそ、わたしだけがしゃべっているような状態だったが、
その後はお互いに話をするようになったので、待ち時間が楽しい。
1歳半のお孫さんの話は、楽しいし参考にもなるのだった。

先に診察を受けるので、診察後に今回の結果報告のようなことも
言葉をかわしつつ、別れの挨拶をしてくる。
今回は、前々回と同じくらいの検査結果。
タンパク質も塩分も摂取量は多めだったのにもかかわらず、検査
の結果が良かったのはなぜなのだろうか。
クレメジンの飲み忘れが2度だけだったことが良かったのか。
飲み忘れがある時点で駄目な感じはするのだが。(苦笑)

まあとにかく、食べ物には気をつけようと、いつも診察の後には
そう決心するのだ。
そして、そのすぐ後には、それも来週からね、と思うのだ。
だめじゃん、自分。



2004年10月27日(水) 落ち着いたか

もぐちゃんは、月火とお昼寝も良くして、疲労回復に努めていた。
今日は、子育てサロンの日。
帰ってから離乳食(遅めに1回目)とフォローアップミルク。
その後うんちをして、わたしがトイレにうんちを流しに行き、手
を洗っているうちに、一人で寝てしまった。
実は昨夜、夫が丁度寝る時間に帰宅したので目が冴えてしまい、
24時近くに寝付いたのだった。
今朝は8時過ぎに起きたので、お昼にはもう眠かったのだね。

やっと日記を書くことが出来た。
書いてみると、なんだか特別な場所に行っていないことに気が付
いた。
初めてのもぐちゃんの旅行は、まあまあだったね。
小さい子が3人いるので(それもまだ訳の分からない子ばかり)、
どこかの施設に入場したりということもしなかったし、外で体を
伸ばすような場所ばかりだったし。
一緒に旅行すること自体が目的みたいなものなので、そんな感じ。
アメリカの従妹の娘が12月で3歳になるので、七五三の写真を
撮るために帰国したのだ。
みんなで旅行するのは、一昨年の日光以来。
もぐちゃんやアメリカの二人の子供がだんだんと大きくなって、
いろんな場所が楽しめるようになったら、また遊べる場所に旅行
するようになるのだろうと思う。
日光江戸村やスパリゾートハワイアンズにも行ったっけなあ。

天気予報よりも少し天気が悪い。

土砂崩れ現場の車内から、男の子が助け出された。
中継しているテレビカメラが激しく揺れる。
昨日は、ショック死した2か月の赤ちゃんのことが頭から離れな
かった。
突然奪われてしまう命は、その長さによって尊さが違うわけでは
ないのだけれど、2か月で失ってしまう命のその運命とは。
神様がいるなら、どうしてこんなことをなさるのか。
天に召されることが幸せならば、その赤ちゃんは短い期間に両親
に喜びを与えるために生まれてきたのだろうか。
しかし、たった2か月の喜びと引き換えに、その後の何十年かの
悲しみを両親にもたらすようになるなんて、あんまりだと思った。

大事な人を失った人。
大事な場所を失った人。
大事な物達を失った人。
人生は、本当に辛い。

そして、たくさんの人がいろんなものを失う中で、命も生まれる。
人生の終わりもあれば始まりもあったのだ。



2004年10月24日(日) 旅行2日目

3時頃、ふと目を覚ましたら、もぐちゃんが座ってわたしを見て
いた。
あれま、どうしたの? といいながらおむつを換えるとまた寝た。
朝の6時半頃にミルク。
朝食には、もう着替えて登場。
大根と厚揚げの煮物、湯豆腐の豆腐を、わたしや夫からもらって
食べていた。大根はおいしかったようだ。

旅館を出発して、海産物のお土産屋さんに寄った。
皆で試食して、なんだか皆でイカやアジを買っていた。
それから箱根に向かい、芦ノ湖畔で昼食。
2歳児とその母親(もうすぐ40歳)、姪(24歳)、従姉の子
(中学1年)とで、スワンボート(アヒルボート?)に乗ってい
た。
他の面々は、ボートから手を振る2歳児に手を振って応える係と、
0歳児係、1歳児係。
大観山も経由したが、あいにく富士山は見えなかった。

もぐちゃんは、海老名のSAでのトイレ休憩でおむつを替えたら
泣き出した。
その後、東林間につくまでの間、1歳児と交互にぐずっていた。
帰りはことのほかスムーズで、3時半頃には東林間付近に到着し、
わたしたちは先にバスを降り、ベビーカーで家まで歩いて帰った。

この2日間、移動はバスの中だし、初めて見る人達が全て自分に
対して愛想を振りまいてくれるという環境に置かれたもぐちゃん
は、泣かない子だねぇとか、おとなしいねぇとか言われていたが、
帰宅してからの反動は大変なものだった。
なにやら大声は出すし、やんちゃぷりに拍車がかかった感じ。
両親以外の14人の大人と2人の子供との2日間は、かなりの刺
激というかストレスになったのだろうか。

台風の爪痕は、人里にも、山の中にも等しく残されており、道路
から見える山肌が、崩れているところがたくさん有った。
誰も知らないところで、山は崩れていたのだなぁと思った。
そんなこと、当然なことなのに、なぜか忘れてしまっている日常。

帰宅してテレビで見た新潟に様子は、更に凄いことになっていた。



2004年10月23日(土) 旅行1日目

今日は27日である。
パソコンを開く機会がないまま、1週間経ってしまった。
遡って、先週末の親族旅行の報告から。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
台風が、思ったよりも早く通り過ぎてはくれたものの、その爪痕
はいたるところに残っていた。

朝、8時45分に多摩センターで待ち合わせ。
我が家は、7時半過ぎに家を出た。
夫が抱っこしてわたしがベビーカーを引っ張ってという異様な姿
である。
外に出た時に、ベビーカーの方が楽なところもあるかもしれない
からということと、バスのトランクに入れられるからということ
でそうしたのだが、待ち合わせ場所までが面倒だった。
帰りは確実に使うので、まあ良しとする。

多摩センターの改札前で、もぐちゃんは初対面の親戚達から挨拶
をされ、眠りそうになっていた目がぱっちりと開いた。
アメリカからの従妹夫婦は、二人乗りのベビーカーで登場。
2年ぶりの従妹のハズと挨拶を交わし、それぞれの子供の紹介を
したりした。
もぐちゃんは、バスに乗るまでわたしの叔母に抱っこされていた。
誰に抱っこされて嫌がったりしないので、喜ばれた。
バスの中では、走る自動車を見て「う〜う〜っ」と言ってみたり、
実に機嫌が良かった。(バス以外でも機嫌は良かったが。)

親戚一同でのバス旅行というのは、実に気楽なものである。
しかしながら、城ケ崎海岸のハイキングコースを歩いたのは失敗
だったのではないかと、親戚一同の一致した意見。
なにしろ、0歳児1名、1歳児1名、2歳児1名と、筋肉にあま
り負担をかけてはいけない従姉もいるののだから、足場の悪い道
は避けるべきだったと思う。
しかし、バスが入って行けない以上、ある程度の距離は歩かなけ
ればならなかったのだから、まあしょうがないか。
しかし、高所恐怖症のわたしは、吊り橋を渡ることはしなかった。

各人が疲れと汗をかいた体で旅館まで一直線。(北川温泉)
旅館では、宴会までに時間で、もぐちゃんを部屋のシャワーで洗
ったり、着替えさせたリ着替えたり、離乳食のうどんを食べさせ
たりと、まあもろもろ。
部屋は暑いくらいだったが、宴会場は火を炊くことも有って涼し
いくらいだった。
もぐちゃんは、半袖のTシャツに半ズボンというスタイルで、ほ
んの少しだけ取り分けた食べ物を食べると宴会場で一眠りし、起
きたと思ったら皆が座っているテーブルのまわりをハイハイした
りしていた。
両親が食べている間中寝ている辺り、偉いやつだ。
部屋に戻ると、新潟の地震のニュースが流れていた。
そういえば、宴会場でも少し揺れたような気がしていた。
なんだかものすごいことになっていて、本田さんは大丈夫なのだ
ろうかとひそかに心配していた。
叔母達は、山形の親戚に電話をしたらしい。震度4。
宮城県沖地震の時も震度4だったなあと思い出した。

宴会が終わって部屋に戻ったあと、皆が集まる部屋に行ってみた
ところ、男性陣は混浴露天風呂に行っていて、叔父が一人で留守
番していた。
結局、部屋で遊んでいたもぐちゃんだが、やっぱりテーブルに頭
をぶつけて泣いた。(笑)
同じ部屋の姉や姪がお風呂に行った後で、なにやら気張り始めた
もぐちゃん。
うんちしていなかったので、1日分、まとめてしたようだ。(笑)
その後、ミルクを飲んで1時間ほどで寝た。

結局わたしは、温泉に浸かっていないのだった。



2004年10月19日(火) ポケタン

土曜日に行われた「かばん」の20周年記念イベントは、とても
楽しいものだった。
1500円で、あれほど楽しめるなんて、大満足であった。

イベントは、「ポケタン歌合わせ」というもの。
短歌をポケットモンスター、作者をトレーナーとして、6人のレ
フェリーの支持がどちらか一方にすべて集まるまで何ラウンドか
を戦う。
レフェリーの意見を聞きながら、トレーナーはポケタンの疲労を
回復したり手当をしたり(改作)して、次のラウンドに進むのだ。
試合の間、トレーナーに発言権はない。

これが3試合行われた。

それぞれのレフェリーの支持した理由などを聞いているのも面白
いのだが、スクリーンに映し出されるそれぞれの短歌が改作され
ていく様子を生で見ているのはとても刺激的だった。
パソコンの画面をスクリーンに映し出していて、トレーナーが消
したり書いたりするのがそのまま反映される。
自分で気に入っていた箇所が消されたりすると、ええ〜っと思う
のだが、反面、次に書き出される言葉を待つ楽しみは大変大きい。

こういった、パソコンとスクリーンをつないで見せるということ
する場合、ちょっとした不具合が起きて、時間がポッカリと空い
てしまうことがよくあるものだ。
そうでなくても、書き慣れないタブレット上での消したり書いた
りというのも、時間がかかるものなのだ。
その空白の時間を、いかに観客をしらけさせないでテンションを
保ったままでいさせるかが大事だと思うのだが、これは司会者の
力によるところが大きいと思う。
今回司会をなさった千葉聡さんは、最初の挨拶の部分からのつか
みが良かったと思われ、その時の好印象をその後の進行へも持続
させることに成功したと思う。
たぶん、それは人柄なのだ。
レフェリーのコメントに対する、たったひと言が笑いを誘う。
パソコンをスクリーンに反映させてみせたデジタルな部分と、司
会者の話術というアナログな部分とが、上手い具合に溶け合って
いいイベントになっていたと思う。

もう一度言うが、短歌をどんどん手直しして行く様子を生で見て
いるのは、本当に刺激的だった。
面白い。
ただ、残念なのは、最終的に決着を付けようとした時に、短歌が
最初の状態に戻ってしまったりすることであった。
短歌の作者にとっては、最初に作り上げた時に自分なりの完成度
があって、それは手を入れたくないものなのかもしれない。
しかし、どんどん変化して行く短歌を楽しむというイベントにお
いて、そういう状態になるのは残念な気がした。
改作はしてみたものの、前の方が良かったなあと思うことは確か
にあることなのだが、改作して冒険をしながらいい短歌にしてい
くというイベントの趣旨を考えると、やはり果敢に改作して欲し
いなと思うのだった。
が、それでも、そこまでの紆余曲折を楽しむことができたのは、
やはり楽しかった。

会場では、受付をしていらした本田瑞穂さんの歌集を買った。
ご本人にサインもしてもらった。うれしかったなぁ。
とてもきれいな装丁の歌集で、素手で触るのはもったいないなと
思うくらい。
帰りの電車も混んでいたし、家に居たら平日のもぐちゃんが寝て
いる時間にしか読めないしで、まだ読めていないのが情けない。
今日は今日で、もぐちゃんの寝ている時間にまとめて日記を書い
ているのだから、まだ歌集を開くことはできないでいる。
ああ、楽しみ。
他にも欲しい歌集はたくさんあるのになぁ。
ふう。



2004年10月18日(月) 週末のこと

先週の金曜日。
もぐちゃんの乗り合いバスデビューは、すこぶる順調だった。
予想通り、きょろきょろと周りを見回していたが、帰りのバスで
は途中から寝てしまった。
バスに乗って病院に行き、検体を提出したら終わりなので、産科
のフロアでおむつ替えをしたり麦茶を飲ませたりしてひと休みし、
再びバスに乗って帰るという簡単な用事だったので、約2時間半
の外出だった。

さて、土曜日。
念願の「かばん」20周年記念イベントに行くことが出来て、と
ても満足な日だった。
具体的なことは、また日を改めて書こうと思う。
ぷらむのひろたさんと一緒になった。
帰りの別れ際、今日は息抜きになったかと訊かれ、うんと答えた
が、わたしの日記を読んで気にしてくれていたのだなと気付き、
帰り道のわたしは胸が暖かかった。

帰ると、夫が力を入れて掃除をしていてくれた。
それなのに、帰った途端に、テーブルの上が片付いていなくて弁
当(夕食はスーパーのお弁当になった)を置く場所が無いなど、
細かいことを言ってしまい、夫に悲しそうな顔をさせてしまう。
いい子にして待っていたのに、褒めてもらえないばかりか文句を
言われた子供のような気分だと言われた。
ああ、わたしは、将来、留守番していたもぐちゃんを最初にほめ
るということをしないで、散らかっていると文句を言う母になる
のだろうかと思うと、悲しかった。
猛反省した。

日曜日。
朝方、半端な時間にもぐちゃんが起きて、空腹を訴えたのだった。
というわけで、いつもよりも早い1回目の離乳食。
お昼寝のおかげで、2回目からはいつもの時間になった。
2回目の離乳食後、3人でヨーカドーまで出かけた。
夫はほんとに縦抱っこして行くのが好きだ。
秋葉原のパソコン族が、リュックを背負っているのは両手が自由
になるからで、その両手でいろいろと見たり触ったりして品物を
選ぶからだ。
夫も、その部類に入るので、通勤にもリュック。
34歳で、未だにリュックというのもどうかと思うのだが、本人
はやはり両手が開くことが魅力であるらしい。
それに、電車で長距離通勤をしていた時には、座って眠るときの
毛布代わりになるのだという。(抱えるとおなかが暖かいって。)
なので、子供も同じような感覚で、両手が自由になる抱っこ紐が
お気に入りなのだ。
だんだんと重くなって、それも大変になってくるまでの短い期間
のことだから、今のうちだと夫は言うのだ。
旅行の時も、夫の縦抱っこで待ち合わせ場所まで行く。

本日、わたしがバイバイと言うと、もぐちゃんがブンブンと腕を
振るようになった。
もぐちゃんがブンブンと腕を振っている時に、わたしも一緒に手
を振って、ブンブンブンブン、バイバイだね、と言ってみたとこ
ろ、バイバイという言葉で腕を振るようになったのだ。
言葉の意味はわかっていないのだろうが、かわいい。
手は、グーのままだが。(笑)

 手を振って見送る人を持つことは幸せなのだと吾が子に伝える(市屋千鶴)



2004年10月14日(木) 少しの晴れ間

少しの晴れ間を見つけて散歩に出た。
今日、穏やかでいられたのも天気のおかげか。
昨夜から、左だけ鼻水が出る。(今は鼻栓してる。)
何かのアレルギー反応なのか、鼻風邪なのか。(ずび)
風邪だとしたらもぐちゃんに感染さないように気をつけなくては
と思うが、マスクをすると抱っこした時に取られるしなぁ。

今週は、蓄尿の予定だった。
というのも、土曜日に病院が開いている週を選んで、検体を持っ
て行くからだ。
が、今週は土曜日に吉祥寺に行く予定なので、その前に病院に寄
ると1時間は早く出なくてはならないから、明日検体を持って行
くことにした。
したがって、今日が蓄尿の日。

明日はもぐちゃんを縦抱っこして、バスで病院に行く。
診察ではなく、検体を持って行くだけなので、気は楽だ。
もぐちゃん、乗り合いバスデビュー。(笑)

 きょろきょろと周りを眺める様子まで思い浮かべて赤子を寝かす
                          (市屋千鶴)



2004年10月13日(水) もう雨は嫌です〜

もう、いい加減、雨はうんざりだ。
午後になって、道路も乾いてきたので、郵便局まで行った。
湿度が高いと、暑いのか寒いのかわからなくなる。情けない。
部屋干しするから、余計に湿度が上がる。
いっそのこと、暖房を入れられる気温に早いとこなってしまえば
いいのにと思う今日この頃。
十月って、もっとお天気の日が続いたような気がするのだが。
明日から、晴れ間がのぞくようだが、待ち遠しい。
お天気が良くなれば、暗いことばかり考えなくなると思う。

最近は、おとなしく抱っこされていなくなったので、もぐちゃん
が寝るまではニュースも見られない有り様だ。
テレビは今のところ、赤くならない時間の方が長いのになぁ。(笑)

伝い歩きもするが、3秒くらい、手を離して立ったりもする。
片手で段ボールにつかまりながら、しゃがんで物を取ったりする
ようになった。
うんちも、立っている時にするようになった。
そういうときは、おむつ替えの用意ができるまで、脇にかかえる
ようにして、立たせたままでいるようにしている。
(そうすると、トイレに流すのが楽なのだ。)

寝返りができるようになった頃、腹這いになるとうんちするよう
になったっけ。
初めてできるようになったことには、とても力がいるんだろうな
と思う。
何回も立ったり座ったりして疲れるのだろう。
睡眠時間は依然として13、4時間だ。
21時から22時くらいに寝て、8時くらいに起きる。
昼寝は2時間くらいする。(昨日は3時間だった。)

それにしても、家の中が冷たい空気に満ちている。
湿度高いなぁ。

 振り向けばいつも支えてくれる手があるのも今のうちだぞ吾が子よ
                           (市屋千鶴)



2004年10月12日(火) ふりかえる

このところ、古い日記原稿を読みふけっていたが、この際だから
変換ミスや入力ミスを治しながら読むことにした。(笑)
昨夜は、昨年の4月まで。
我孫子のアパートを出ることが決まった辺り。

振り返ると、夫と二人の生活がやけに楽しそうだった。
なんだか、やるせなくなってしまうのだ。

もぐちゃんはかわいい。とてもかわいい。
その成長を見守るしあわせを感じている。
でも、時々、憎たらしく見えることもある。
なんでこんなに短気なんだろう、わたしは、と思う。
母親になるべきでは無かったのだろうかと、時々思う。
しかしながら、振り返ったところで二人に戻れるわけでもなく、
母親になるべきだったかどうかなんて今さら言っても仕方がない
し、もぐちゃんはしっかり成長しているし。

ただ自分の気の短さだけを恨めしく思う、雨の日。
こんな母で申し訳ないと、もぐちゃんが生まれてから、何度詫び
たか知れない。
夫が家に長く居て、もぐちゃんを見ていてくれる時間が長いほど、
その反動のように短気になるわたし。
いったい、なぜなのだろう。
夫が余裕を持ってもぐちゃんに接しているように見えて、嫉妬し
ているのかもしれない。
自分はいっぱいいっぱいなのに、と思うのかもしれない。

二人の時は、自分に余裕を持って夫と接したいと思っていた。
いつも笑っていたかったから。
母親になって余裕が無くなったわたしは、すっかり独身時代のき
つさが戻ってきているような気がして、悲しい。

わたしは短気だ。
特に自分に対しては、格別短気だ。

とりあえず、「かばん」の20周年記念イベントの予約はした。

 肝っ玉かあさんまでの道のりを自分自身で遠ざけている(市屋千鶴)



2004年10月11日(月) 子供いっぱい

今日、夫ともぐちゃん連れで隣駅まででかけた。
行く先々で、同じくらいの赤ちゃんたちと遭遇した。
いつもより子供連れが多かったような気がする。
みんなベビーカーだった。
うちは、夫が縦抱っこで行った。(夫が好きなのである。)

一昨日から3回食にしているのだが、もぐちゃん本人はまだ2回
食の習慣のままなので、昼寝の時間が食事の時間とかぶってしま
うようだ。
昨日は、2回目の食事の時間に思いっきり寝ていたそうで、結局
食事は2回になった。
今日は出かけたことも有って、2回目は軽く済ませてなんとか3
回にした。
母子ともども2回食のリズムから抜け出せないでいる。

それにしても、お天気がぐずついてばかりなのは困る。
洗濯物がすっきりしない。

 低気圧ばかりが居座る秋空をうらめしそうに母は見ている(市屋千鶴)



2004年10月10日(日) ぷらむの日

今日は、ぷらむ吟行の日。
わたしは午後の歌会からの参加だった。お茶当番。

今日は、新しく会員になられた方が一人と、通信会員の方が二人
いらしていて、初対面の方が三人。
それぞれの歌を一覧にして選歌していると、各人の好みがわかっ
て面白いものだ。

わたしは、南大沢に行くまでの電車の中で三首作った。

 待つ人のためにかけだす人を待つ楽しげな顔の人を楽しむ(市屋千鶴)

 抱きごこち抱かれごこちの相性を忘れたような街にまぎれる(市屋千鶴)

 半袖の人もコートの人もいる十月十日は秋をさがす日(市屋千鶴)

さすがに30分で作っただけのことはあって、再考の余地のある
歌ばかりだった。
まあ、かろうじて三首目がそのままで面白いという評価をいただ
いたくらい。

一首目は、上の句が読むほどに分かりにくくなってしまう歌。
一読してすっと受け取ってもらえた人と、なんだかわけがわから
なくなってしまうという人と分かれた。
作った時に、言葉遊びのような感覚だったことが災いしたようだ。

 彼の待つ場所に駆け出す彼女(ひと)を見る楽しげな顔の彼を楽しむ
                           (市屋千鶴)
こうすれば情景はわかりやすいのだろうが、自分が歌を思い付い
た時の感覚が薄れてしまいそうな気がする。
むずかしい。

2首目は、「街に抱かれる」という言葉があるように、街と人と
の相性というものがあると思うのだが、それを無視したような街
を歩いている感じを詠んでみたものだった。
「忘れたような」あたりが、もっと工夫の必要なところか。
おそらく、自分にとって、場違いな街を歩いているという感覚が
ある街は渋谷だろう。

 抱きごこち抱かれごこちの相性を今日は忘れて渋谷を歩く(市屋千鶴)
といったところか。

三首目は、今日の吟行のことを思って作った。
十月十日といえば、もとは体育の日だが、今は普通の日。
しかし、今日はみなさんが吟行で秋を探しているのだろうなと。

来月のお題は「眼鏡」。
これまた難しいお題だなぁと思う。

さて、我が家のテレビ。
朝、テレビをつけたらやっぱり赤いので、少し早めに家を出て、
家電量販店でテレビを買ってしまおうと思った。
ところが、テレビを置く場所のサイズを測って行かなかったので、
夫に電話で問い合わせたら、今日はだめだから買わないようにと
言われた。
電話する時、きっと怒られるだろうなと思っていたから、案の定
駄目だしをされたので、すごすごと電車に乗った。(ふぇ〜ん)
今日買って、明日には届けてもらえるようにしたかったのだが、
測って行かなかったわたしがいかんのだとあきらめた。

家に帰ってみると、夫はテレビをつけないでいたらしく、わたし
がテレビを付けてみたところ、元に戻っていた。
そのまま、普通に見ることが出来ている。
まあ、いつまでもつか、だと思うが。
だって、ぷらむの方にテレビが赤いと言ったら、それはもうだめ
でそのうちに映らなくなるわよ、自分のとこのテレビも同じだっ
たわと言われたから、うちのもきっと近いうちに映らなくなって
しまうのだろう。

今月は親戚の旅行があるので、出費は痛いんだけどなぁ。



2004年10月09日(土) 台風直撃なのか、追記

一昨日、昨日と、夫が早く帰って来れたので、パソコンを開いて
いなかった。
昨日は、秋の健康診断の日だったのだが、休み扱いで健康診断と
ちょっとした用事を済ませに行っただけだった。
19時前に帰宅し、夕飯を一緒に食べ、もぐちゃんをお風呂に入
れてくれた。
もぐちゃんが寝てしまうとなんだか眠くなってしまって、24時
前に二人とも寝てしまった。(笑)

一昨日(10/7)、和室の隅の段ボール箱(着られなくなった
もぐちゃんの洋服が入っている)に手をついて、横移動した。
ほんの1、2歩だったが、初めての伝い歩きだった。
昨日は、同じ場所で更に数歩ばかり横移動し、夫の腕に向かって
方向転換して腕伝いにも歩いていた。

離乳食を食べていても椅子の上で立ち上がってしまうので、片手
でもぐちゃんを支えつつ片手でスプーンを持って口に運ぶ。
ビスケットなどを食べている時は、おとなしく座っているから、
ご飯も自分で食べたくなったら、座ってくれるだろうか。
今日から3回食に。
パンとか、自分で持って食べてくれるといいのだが、柔らかいも
のを握って食べるのは少し抵抗があるらしい。
ビスケットは自分で上手く食べるのにね。

さて、またしても台風が上陸しそうだが、さらに直撃するような
気配。
速度が速いのと、暴風域が狭いのとで、突然暴風雨がやってきて
去って行く感じになるのだろうか。
明日には、台風一過の上天気になるらしい。
明日はぷらむの吟行なので、晴れてくれればいいなと思っている。
わたしは午後からの歌会のみの参加だけれど。

過去日記原稿読み返し、2003年1月でストップ中。

 「振り返る過去を持つのもいいことよ」過去ごと全部が君の存在(市屋千鶴)

追記
 我が家のテレビが赤くなった。(涙)
 昨日の朝、テレビをつけたら赤かったのだが、夕方になって
 元に戻っていたので、ケーブルの関係かと思っていた。
 今朝も一時普通に映るようになったが、昼前からずっと赤い。
 結婚してすぐの頃、買ったんだったと思うから6年か。
 もう少しもってくれると思っていたのになぁ。
 とりあえず、今日は台風だし、明日はぷらむなので、明後日
 買いに行くことになるだろうが、それまで赤いままなのかと
 思うとがっかりする。
 いっそ、白黒の方が見やすいのになぁ。(しくしくしくしく)



2004年10月06日(水) 読みふける

昨夜から、日記を書き始めた頃の原稿を読みふけっている。

アクセス解析で、「絶倫」という検索でヒットして来られた方が
いたらしく、そんなこと書いたっけかと、過去の日記の原稿を読
み返したのがきっかけだ。

2年前の今頃、何を書いていたのだったか。
読んでみて、最初の時期だからか、書き貯めていたテキストや歌
からの手直し的な内容が多かった。
それから、高校の東京同窓会関係の話題や、旅行の話題。
夫と二人の生活を楽しんでいる様子が書かれている。
それに、受け狙いの言い回しも多かった。(笑)

最近では、もう2年前に書いたかどうかも思い出せなくて、同じ
ことを書いてしまったりしていたかもしれない。
それにしても、すっかり環境が変わったものだ。

今日も明日もいい天気。
とにかく、うれしい。
朝など昨夜と同じ室温なのに、神経痛が全く痛まないのは素敵な
ことだ。

さきほどの地震のときは、揺れの大きさを確認した上で、さらに
もっと揺れるようならば、もぐちゃんを抱っこして柱の多い場所
に行こうと身構えたりした。
我孫子に居たら、もっと揺れたんだなぁとNHKのニュースを見
ながら考えていた。

過去日記原稿、再び読みふける予定。



2004年10月05日(火) 骨身にしみる

今日は、もぐちゃんもわたしも朝からきちんと長袖。

梅雨の時期よりも、酷暑を乗り切った後の秋雨の方が神経痛には
辛いのだった。

最初に座骨神経痛で寝込んだのは、19歳の9月末だった。
1週間、ほぼ寝たきりだった。
その頃は、従姉と住んでいたので、ずいぶんと世話になった。
なにしろ、ショーツでさえ一人では脱ぎ着できずに、従姉の肩に
つかまって履き替えたのだもの。
片足で立っていられなかったし、座っても無理だった。
(トイレは途中までしか下げないから、一人でなんとかなった。)
足がつっても自分で治せないので従姉に起きてもらった。
「つった!」と叫ぶと、従姉が起きて治してくれた。
専門学校の友達が見舞いに来てくれた。

そんなことを思い出す、今日の寒さと雨。
あれ以来、神経痛で何日も寝込んだことは無い。
寝込んでも1日だ。
今は、寝込んでいるわけにもいかないということもあるが、体重
も軽くなったので、寝込むほどひどくなったりはしない。

どうして、この中途半端な温度がだめなんだろう。
冬になってしまえばへっちゃらなのに。

それにしても、骨身にしみる湿度と温度。

 ふるさとの冬で鍛えたはずなのに秋雨如きに打ちのめされる(市屋千鶴)



2004年10月04日(月) 長袖を出す夕方

土曜日。
張り切って洗濯をしたらば、干すときにもぐちゃんにぐずられて、
無理矢理夫を起こしてから干すのを再開してなどとやっていたら
お昼近くになってしまい、保育園の運動会は見に行かなかった。

そのかわりというか、もぐちゃんのお昼を済ませてから、わたし
達のお昼は外食にしようと、勇んで出かけた。
もぐちゃんは、お昼寝タイムに突入し、歩いている途中から寝始
めて、わたし達の食事がテーブルに届くまで寝ていた。
行きは良かった。 太陽に背中を向けていたから。
帰りは太陽が真正面から照りつけ、眩しいやら暑いやら。
もぐちゃんとわたし、鼻の頭をほんのり赤くしてしまった。(笑)
夫は平気だったようだ。(この違いはなぜ?)
なんだか、いつもより余計に疲れたような気がした。

日曜日。
雨で出かけないので、本や書類や雑誌類を整理することにした。
といっても、ほとんどわたしのテリトリーで、もぐちゃんを夫と
遊ばせておいて、ひたすら選別したり入れ替えたりしていた。
リビングは雑誌や本でいっぱいになってしまったので、遊ぶのは
もちろん食事も台所ですることになった。
もぐちゃんの2回目の食事と、わたし達の夕食も。
もぐちゃんが寝るまでにはなんとか片付き、今後増えるであろう
月刊誌のスペースを確保した。
あと少しファイリングし直したいものがあるが、それは次の週に。

日曜は、雨が降っていても、それほど寒くはなかったが、今日は
寒い。
まあ、それでも、日中はわたしももぐちゃんも半袖で居た。
買い物に出た時は、縦抱っこにコートを羽織っていたし、室内は
一応20度を上回っていたから。
しかしながら、夕方から寒くなってきて、風呂上がりはやっぱり
長袖だろうと、もぐちゃんの寝間着も長袖にし、わたしも長袖の
Tシャツにした。(その下にはもちろんラン型肌着)

3週間後の旅行には、何を着せたらいいのか迷いそうだ。

とりあえず、もぐちゃんのもわたしのも、長袖はタンスの中に入
っているから大丈夫。
夫のパジャマを出さなくては。
(暑い間はパジャマなんて来ていなかったから。)

 一か月飛ばして寒さがやってくる 神経痛は秋雨が嫌い(市屋千鶴)



2004年10月01日(金) 通院日

結論から言うと、食べ過ぎである。(笑)
とかって、笑ってる場合ではないのかもしれないが、あまりにも
原因がはっきりしているので笑えてしまうのである。

夫の遅めの夏休みの間、やはり食べ過ぎていたようである。
検査結果はどの数値も良くなかった。
医師に、またがんばるように、と言われた。
確かに、ちゃんとしなくてはと思う。

次の通院日の前の週末は、親戚一同の旅行だから、そのためにも
普段の食事をきちんと制限しておかないと、旅行で食べられなく
なるものなぁ。

というわけで、今週末のご褒美飲み食いは抑えめにしておこう。
いつも、通院日からの週末は、ちょっと食べ過ぎても良いことに
しているのだ。  今週末は控えめに。

前回の通院日に話し相手になってくださった方と、今日も会えた。
次に会った時は、自分ばかり話してしまったことをまずは詫びよ
うと思っていたので、挨拶してすぐにそのことを詫びた。
その方は、にこやかにそんなことないですよと言ってくれて、待
ち時間は暇ですものと付け加えてくれた。
その後もお互いの病気の話や、もぐちゃんとその方のお孫さんの
話、離乳食の話、ストローの練習について、などなど、あっとい
う間の1時間だった。
また4週間後に、お話しできればいいなと別れの挨拶をしながら
思っていた。

検査結果は少し悪かったが、なんとなく晴れやかな気分で帰り道
を歩けたのは、その方のおかげであるような気がした。
わたしより、10歳くらい年長なわけなのだと思うが、とても穏
やかな笑顔で話をする人だ。
その方の膠原病は、どこにでも血栓を作ってしまうという病気で
あるらしい。
自分で自分の免疫を壊してしまうのだとも。
「頭とか心臓とかに血栓ができてしまったら終わりなんですよ。
だから血流を良くする薬とかを飲んでるんですよ。」、と笑って
話しておられたが、同じような不安を抱えた姉を持つ身としては、
他人事ではないのだった。
膠原病の治療と、それによる腎機能の低下と、その治療。
きっと、大変な時期を過ごして来られているのだ。
穏やかな笑顔は、姉とも通じるところがあるような気がした。

帰宅してから、もぐちゃんと近所の薬局に行くと、おじさんとお
ばさんがもぐちゃんに声をかけてくれ、抱っこしたりもしてくれ
るのだった。
声をかけてくれるのは、散歩の時も、いつもだ。
おまけに、毎回、おもちゃをくれる。
今日は、おもちゃのカメラ。
ファインダーをのぞきながらシャッターを押すと、見える絵が変
わるやつである。
戦隊ものの絵が、何種類か有って、それが回っているのだ。
もぐちゃんは、中をのぞいたりはしないのだが、あちこちいじく
り回していた。 気に入ったらしい。
おむつ替えに時に使わせてもらおうと思う。

明日は、近くの保育園の運動会を見に行こうかと思っている。
もちろん、夫は寝かせておいて、というか寝かせておいてあげる
ためにだ。(笑)

まあ、そんなこんなで、ぼちぼちな感じ。

 難病を抱えた同士 微笑みは苦労の数と背中合わせか(市屋千鶴)


 < 過去  INDEX  未来 >


市屋千鶴 [MAIL]