鶴は千年、生活下手

2003年10月31日(金) 小さいもの、届く

午前中、従姉からの荷物が届いた。
新生児用の衣類と、大きめのバスタオル。
箱を開けて、一つ一つを手に取ってみると、その小ささやかわい
らしさに思わず笑みがこぼれてしまう。
肌着はもう十分に揃った感じ。
ベビードレスも何枚か有って、ほとんど買い足さなくてもいいく
らいである。
少し大きくなってから着られるものも入っていて、従姉のところ
は二人とも女の子なのに、なんだか男の子っぽい服があったこと
に少し驚いた。選んで送ってくれたのだろうけれど。
送られてきた衣類を見ながら、こんなに小さいものを着る赤ちゃ
んがわたしのように大きく育つのだと思うと、まったく不思議な
ものだと思った。

やりたいことを制限されることは、少なからずストレスになるの
だが、周囲の目が優しいということを感じるのは悪くない。
しかし、自分自身は、妊婦さんやママさんに対して、なるべく関
心を持たないようにしてきたようなところが有り、わたしがして
もらっているように優しく接していたのだろうかと思ってしまう。

自分にはなり得ないものだと思っていた母親という存在への強い
嫉妬がそうさせていたのだろうか。
妊婦であることを体験し、母親であることをこれから経験してい
くということを考えると、経験者は優しくなれるのだろうなと思
うのだった。

朝、目が覚めると、必ずお腹をさすって妊娠していることを確認
してしまう。毎朝のことだ。
いつまでたっても、目が覚めると妊娠していなかったりするので
はないかと思ってしまうのだ。
お腹をさすって、お腹が大きいことを確認し、もぐちゃんの位置
を探したりして、妊娠していることを確信するのだ。
これは、不安なのか、安堵なのか。

 目覚めには胎児の位置を確認し夢ではないと安堵する日々(市屋千鶴)



2003年10月30日(木) 44歳だからって

44歳になったからって、何も変わらないのだけど、今年は違う
のかもしれない。
一応、母親候補になったわけだし。
まあ、未だに候補と言ってるいるのもなんだが。

雲一つない青空を見上げると、きっと北日本は曇りなのだろうと
思いを馳せる季節になってきた。
昔は、この時期に稲刈りを終えたお祝いをやっていたんだなぁと
不思議な気持ちになった。
なんだかやっぱり、昔は時間がゆっくり流れていたんだろうか。

44歳の記念に、というわけでもないが、前に東林間に住んでい
た頃行きつけだった美容院に行ってみた。
(その前に、郵便局やATMに立ち寄ったりしたが。)
家の近くの美容院は、お店の人も感じがいいのだが、何かがもの
足りないと思っていた。
う〜ん、そうだ、シャンプーの仕方が物足りないのだ、と気が付
いたので、以前に通っていた中央林間の美容院に行ったのだった。
相変わらず、その美容院のお姉さんとは話が合う。
こんにちはと言うと、「あらぁ、どうしたのぉ。」と声がかかる。
かなりうれしい一瞬。
赤ちゃんの話をしたり、東林間に戻ってくる時のあれこれの話な
どをとりとめも無く話していたら、いつのまにかカットが終わっ
ていた。
シャンプーは気持ち良かったし、髪型も思い通りにしてもらった
し、言うことなしだ。

今は自転車に乗れないので電車を使ったりするが、産後は自転車
で中央林間まで通うことができる。
やっぱり、あの美容院にしようと決意して帰宅した。
夫と暮らし始めた頃からの思い出が、たくさんあふれだしてくる
ような気がした。

誕生日だが、今さら特に何もする予定はなく、夕飯はうどんだ。

 懐かしい顔が迎える美容院に通った日々の暮らしを思う(市屋千鶴)



2003年10月29日(水) 強風につき

あんまり風が強いので、お洗濯は明日に延期。
風は、ちょうどベランダ側をゴーゴーと吹いていたのだった。
昼寝をしていても、風の音で目を覚ましたくらいだ。

今日は、ちょっとお腹が張りぎみだったので、買い物には行かず
にあるもので間に合わせている。生協の配達もあったし。

さてと、先日、高校の東京同窓会の案内のメールが届いた。
日時は、11月21日18時半から。終了は20時半頃である。
そのころのわたしは、34週。
やっぱり、参加するわけにはいかないのだった。
せめて、1、2か月早い時期に開催されるんだったらねぇ。
来年だって、1歳に満たない子供を誰に預けていけばいいのか。
なぜ金曜日なのかというと、ホテルの使用料が安いからだ。
なにしろ、会費が1万円というところからずっと変わっていない
らしいから。
金曜日の夕方早くから夜遅くまで、いったい誰に預かってもらえ
ばいいのだろう。やっぱり、来年も出席できそうにない。

12月から来年1月にかけて、見たい舞台がいくつかあった。
それもみんなお預けである。
一時の楽しみと子供を天秤にかけてはいけないのだろうが、もう
若くもないし、それなりに楽しみを見つけて暮らして行きたいと
思っていたわたしにとって、少し寂しい気もするのだった。

お腹の中でもごもごと動いている赤ちゃんを想像するのは、実に
楽しいし、実際にその動いている様子を早くこの目で見たいとい
う願望は強くなって来る。

それでも、妊娠しなかったら出来ていたことなどを考えてしまう
のは、どうしようもないことだろう。
そんなこと考えないわよ、という方には読まなかったことにして
いただくとして、妊婦の100%が喜んでばかりとは言えないと
思うのだった。

この手に抱けば、喜びと同時に、もうあれこれ考えている余裕は
なくなってしまうのだろうが。

 よその子を抱く夢を見る朝方の妊婦の腹は波打っている(市屋千鶴)

ほんとは、波打つってほどじゃあないんだけど、そこはそれで。



2003年10月28日(火)

今朝も、起きてトイレにいって体重を測ってみたら、やっぱり
少し減っていた。(出てないけどさ。)

今日は雨になると予報されていたから、昨日のうちに駅前まで
出かけて銀行関係をすませ、スーパーにより、ふとん屋さんで
長座布団を買って帰ってきたのだが、ちょっと重すぎたみたい
だった。反省。
ときどき立ち止まり、もぐちゃんにもう少しで家だからねぇと
話しかけながら帰ってきたのだが、その様は妙にひとりごとを
連発する妊婦という姿だったのだろう。

なんだかすごく疲れてしまい、いつもより早め(22時過ぎ)
に帰宅した夫の食事が済んだところで、足をさすってもらった
りしていた。
夫は「アフタヌーン」を読みながら、ずいぶんと長いこと足を
さすってくれていた。ありがとう。

こうして、毎日食事内容を書き出して、夜遅くに食べないよう
にすると、朝は起きた時にはすでにお腹が空いていて、朝食の
支度をするときも腹ぺこだ。
夫も、少し早く夕食を取るようになったので、朝は食べたくな
いということがなくなった。

夕方のニュースワイド番組を見ていると、食べもののネタが多
くて、空腹に拍車をかける。
ラーメンの話題なんか取り上げないでくれー、と密かに力説す
る夕食の支度前のわたし。(笑)
夕食の時間は20時頃の予定。

さて、姉の家に預けっぱなしだったわたしのミシン。
どうやら壊れてしまったらしい。当てにしてたんだけどなぁ。
家事全般と同様に、裁縫とか編み物とかも苦手なのだが、適当
でよければミシンを使ってスカートなんか作ったことも有った。
だけど、編み物は中学の家庭科でやったっきりである。
ふと、編み物してみようかなぁと思ったりする雨の夕刻。

 絵に書いたような光景生まれ来る命に与える暖かき糸(市屋千鶴)

いや、もぐちゃんの靴下を編んだりはしないけどね、絶対。
たぶん、編むのは何か適当に。(笑)



2003年10月27日(月) ぼわっと週末のこと

金曜日は、夫は打上げだったのだが、すっかりプロジェクトに
けりがついているわけではない。
まあ、そこそこ落ち着いてきたということもあって、土日は休
むことができるようじなってきた。
とはいっても、仕事用のノートPCを持って帰っていて、夜に
メールのチェックをしている。
土曜日の夜も、その仕事用PCでメールをチェックしていた夫。
打上げだからと、自分の分を記入した報告書を渡してあったの
だが、それが自分宛に送信されていたらしい。がっくりする夫。
いろいろと確認し、おかしなところを修正してまとめて、報告
書を送信していた。ご苦労さま。
打上げじゃなかったら、自分でまとめて送信していたんだろう
けどね。

日曜日、きわみちゃんとお昼に待ち合せしてバーミヤンへ。
秋の新メニューなるものを二品を食べてみたが、香味あんかけ
チャーハン(夫の注文、一口味見)がおいしかった。
わたしときわみちゃんは、カレー味の焼きビーフンを分けて食
べ、他の二品を三人で分けて食べた。
プレゼント交換のはずが、わたしの方が忘れてしまい、帰りに
我が家に寄ってもらった。
きわみちゃんからのプレゼントの写真たては、ちょうどい案配
にかわいらしくて、とても気に入ったのだった。
夫は早速、写真を入れて飾った。

夫はパチンコに行きたいというので、散髪してからならとOK
して行かせた。
きわみちゃんは、その後しばし歓談してから帰って行った。
しばらく帰ってこなければいい(勝ってるってことだから)と
思った夫は、あっという間に帰ってきて、夕食の支度を手伝う
はめになった。(笑)
久しぶりの鍋。やっぱり鍋はいい。
たくさん食べても、ローカロリーだからぁ。
白菜とネギとしらたきとキノコ類と豆腐と、それに塩たら。
夫は銀杏も入れてみたいと、水煮になっているものを入れた。

今朝になって体重を量ってみたら、ほんの少しだけ減っていた。
きっと出るものが出たからだろう。うわぁ〜ん(爆)

日曜の朝は、「寂しい女は太る」ように「寂しい妊婦も太る」
のだろうかなどと考えていたのだが、夫に完全否定された。
「いやっ、単純に食べ過ぎだろ。」って。(笑)

体重増加にあれこれと理由を付けて考えてみたところで、現象
としてその原因はよ〜くわかっている(食べ過ぎ)のだから、
考えるよりもまず食事内容を修正する方が先だ。
食べ過ぎているのに痩せて行くとしたら、それは糖尿病が悪化
しているときくらいのものだからね。
太るのは、食べ過ぎているってこと。
いくら野菜中心だとしても、調理方法如何ではカロリーは高く
なってしまうものだし。
とにかく、きっちりと書き出せるような食事内容にすることが
一番の近道。書き出せない=買ってきたものや外食、だから。
よ〜くわかっているはずなのに、できていなかったんだよねぇ。

そんなこんなで、悩んだり、くじけたり、開き直ったり、反省
したり、喜んだりの週末だった。(笑)
いや、夫がいればそれで嬉しいんだけどね。(惚気ています。)

 向き合った写真の中で微笑んでいるわたし達 君を待ってる
                          (市屋千鶴)



2003年10月24日(金) 産科検診、内科診察

午前中は、内科の診察前検査と産科の検診。
昼食を病院で食べて、午後から内科の診察。

今日の産科検診では、後期の血液検査と栄養相談が有った。
これまで、ほとんど何も言われなかった産科だが、今日はさすが
に体重増加について指導が有った。
午後からの内科でも言われることだからと、助産師さんは控えめ
に言ってくれたが、やはり体重増加に歯止めがかかっていない。
9月の後半から、どうも食事の嗜好が変わってしまったようで、
買い物に出かけると必ずと言っていいほど揚げ物が食べたくなる
のだった。
妊娠前には、そんなことなかったのだが、どうに欲求に歯止めが
利かなくなっている。

原因は自分でもよ〜くわかっているのだ。
だから医師も助産師も強くは言わないが、あと6週間、なんとか
がんばってくださいと、ガッツポーズで諭された。
ほんとに、がまんしなくちゃね。
夫にもメールして協力を要請した。返事は無いけどさ。(笑)

他には、特に問題は無く、二週間後の検診で超音波検査を行う。
尿蛋白も尿糖もでていないし、むくみもない。
血圧はかろうじて正常値内なのだが、これ以上体重が増えると、
高くなってしまうから、内科ではハラハラしているらしい。
いつもどきどきしながら検査結果を見るのだと言われた。
わたし自身は、自宅で測っている数値が120前後と80弱と
いうものなので、安心しきっているのだが。

というわけで、揚げ物食べたい病を克服しなくてはならない。
お惣菜コーナーには寄らないことにしなくては。
意志の強さあるのみか。

ちなみに、重曹のおかげと体格のおかげで、今のところ胃液の
逆流とか胸焼けとはほとんど無縁なのだが、内科で重曹を休む
わけにはいかないですかと訊ねたら、即座に駄目と言われた。
そりゃあそうだよなぁ。(笑)
重曹を休んだら、胸焼けして食欲も減るかななんて思ってみた
だけさ。(ぐすん)

今さらながら、丈夫な胃腸と大きな骨格が恨めしい。
それ以上に、変化する食事の嗜好と、欲求の強さにたじたじな
のだった。

がんばれーっ!  食欲に負けるなっ!

てなわけで、短歌はなしである。(へけっ)



2003年10月23日(木) 妨げるもの

わたしの昼寝を妨げたのは、玄関チャイムだった。
「はーい」と返事をして玄関先までいくと、「水道のちょっとし
たチェックと〜」という声が聞こえた。
昼寝を20分で妨げられたわたしは、極めて不機嫌な顔でドアを
開け、「今休んでいますから別の時にお願いします。」と返事を
してドアをばたんと閉め、大きく音を立ててロックをかけた。

水道のちょっとしたチェックだとぉ?
我孫子にいた時に、カップラーメンをさんざん伸ばしてくれた、
あの業者と同じようなものかと思うと、余計に腹立たしかった。
ちゃんとした点検だったら、前もって必ず通知されるはずだから、
飛び込みでチェックだなどと言ってくるのは、セールス以外の何
者でもないのだ。

あらためて寝直すが、起きてしまったものはもう眠れない。
昨日は母親学級で少しだけ昼寝して行ったが、明日は検診で昼寝
が出来ないから、今日はしっかり眠っておこうと思っていたのに。

今日はお昼に「いも煮」を作った。
もちろんこんにゃくは、手でちぎる。
あんまり美味しく出来たので、お代りをしてしまい、反省。
それにしても、特別なものは何も入れていないのに、なぜ美味し
いのだろうか。
もしかしたら、食べ慣れている味だから、美味しいと感じている
だけなのかもしれないが。
山形県出身者にとって、やっぱり秋は「いも煮」なのだ。
夫も「いも煮」は気に入ってくれている。
料理がそれほど得意ではないわたしだが、我が家の味になればい
いなぁと思う料理はいくつかあって、「いも煮」もまたその一つ
なのだった。

我が家の煮物は、「真空保温調理鍋」を使う。
ちょっと煮たら、あとはそれに入れて放っておけばいいのだから、
らくちんなのだ。
カレーもシチューも同じ方法で、少し煮くずしたい時は、出して
からかき混ぜればいい。お手軽。
結婚祝いに健保からもらった品物で、おせち料理にも便利である。
今年は、おせちを作っている余裕はないんだろうなぁ。
入院してるか、退院直後くらいかもしれないもんね。

明日は、30週の検診。血液検査も有るから、費用がかさむ日だ。

 何回も作ってきた味さしあたり苦情の無いのが我が家の味か(市屋千鶴)



2003年10月22日(水) 病院の母親学級、三回目

生協の配達は、出かける数分前にやってきた。
ナイスなタイミングである。

徒歩で小田急相模原駅まで行くと、バスがもう停まっていた。
ふーふーいいながら乗り込んで、待つこと5分、発車してから約
20分、北里大学病院に着いた。

1回目、2回目とも一緒だった方が一人いらして、隣に座った。
最初に、赤ちゃんの生理について、ということで、2回目の時に
見たビデオをもう一度見たのだった。真っ黒なウンチ、再び。
その後、人形の赤ちゃんを使い、縦抱き、横抱き、ゲップの姿勢、
おむつ替えを、一人一人実践してみた。
わたしは、相模原市のハロー・マザークラスでやったことでもあ
るので、まあそこそこの出来だったが。

一人一人、実践しながら、自己紹介などもし、今悩んでいること
なども話し合ったりした。
その後の休憩時間も、隣同士や、担当医師が同じもの同士で話を
していた。 24週から30週までの妊婦たち。

休憩後は育児用品の説明。
助産師さん二人で、微妙に説明のニュアンスが違うのが興味深い。
専門の人でも、それぞれ違う見解を持つものなのだなぁと感心。
終了後も、助産師さんを相手にあれこれと質問していて、20分
ほど超過してしまった。
お洗濯のこととか、規則的に動くのはしゃっくりだと思うのだが
頻繁にあるものなのかとか、いろんな質問が飛び交うが、やはり
一番知りたいのは、何をいつごろ用意すればいいのかということ
だったように思う。

入院準備は32週くらい。(わたしはもう準備できているが。)
育児用品はもう準備しても早くはないですよということだった。
一番先に用意しなくてはならないのは、衣類のようだ。
従姉からもらうことになっている新生児用の衣類とベビー布団。
早めに送ってもらうことにしようか。
退院時に着せる衣類は、もう買って水洗いしておこうかな。

哺乳瓶はとりあえず1本あればよくて、あとは母乳の様子で考え
ればいいようだし、おむつに関しても、入院中は病院の布おむつ
なので、その間に考えればいいようだし。

などなど、あれこれ考えながら帰宅したのだった。

 あれこれと用意するものしないもの一番大事なものはわたしだ
                           (市屋千鶴)



2003年10月21日(火) 寝る子は

昨日、日記を更新してから昼寝をしたのだが、目を覚ましたら、
もう3時間も経っていた。
自分で思っていたよりも、日曜日に疲れていたようだ。
お昼ご飯の時間もとっくに過ぎていた。
3時半過ぎにお昼を食べたのだった。(汗)

それでは、夜はなかなか眠くならないだろうと思っていたがのだ
が、横になりながら夫と話をしていて、気が付いたら暗かった。
知らないうちに寝てしまっていたらしい。
夫が寝てから少し経った頃に、わたしの目が覚めたらしかった。
といっても、またすぐに眠りについたのだが。

今朝、出かけて行く夫にひと言、こう言われた。
「寝る子は育ってるねぇ。」
う〜ん、そうなのかぁ。
ちなみに、今日の昼寝は約2時間。
買い物から帰って、お昼ご飯を食べて昼寝をすると、すぐに暗く
なってしまう時間になる。
寝る子は育つといっても、母体まで育てしまってはいかんのだが。

和歌山に里帰りしている近所の妊婦さんからもらって手紙の返事
が、まだ書けないでいる。
わたしは、無類の筆無精であり、最近は字を書くこと機会が極め
て少なくなっている、というよりもほとんどなくなっているので、
字が下手になってきている。筆無精に拍車がかかる。
なるべく字が汚く見えないように、横書きの便せんを買わなくて
はならないようだ。(しくしく)

ご祝儀袋などに名前を書く時には、ほとほと嫌気が差してしまう。
我孫子でパートの仕事をしていたころは、毎日字を書いていたの
で、今より少しは見栄えのいい字が書けていたような気がする。
今さらながら、夫婦揃って字が汚いことにため息が・・・・

こうして、パソコンのキーボードを打ってばかりだから、自分の
手で字を書くことが無いんだなぁ。
明日、横書きのちょっとかわいらしいレターセットでも買って、
手紙の返事を書くための、まずは練習をしなくては。(笑)

明日は、病院の母親学級三回目。
赤ちゃんの生理と育児用品について。
生協の配達時間の、少し前に家を出てしまうことになるのだった。
また、玄関前に箱が積まれることだろう。

 気づかないままに忍び込んでいる睡魔と疲労と肥満の種と(市屋千鶴)



2003年10月20日(月) 衣替えの顛末

土曜日はお天気が良くなかったので、二人でごろごろしていた。
お天気がいいはずの日曜日に、衣替えをと決めていたから。

土曜日、以前に東林間に住んでいた頃、2度ほど行ったことのあ
る回転寿司屋に行ってみた。
なんだか、安っぽくなっていて、がっかりした。
我孫子にいた頃に、30分ほど歩いては食べに行っていた、夫の
事務所近くのお店が良かったので、見劣りしてしまったようだ。
どこか、他のところをさがさなくてはと思いつつ、その帰りに、
ビデオとDVDを5本借りた。
「マトリックス・リローデッド」は土曜の夜に二人で。
「ロード・オブ・ザ・リング二つの塔」は日曜の午前中に一人で。
この2本は、すぐに返すので、夫が寝ているのに見てしまった。
「ヒルコ妖怪ハンター」を日曜の夜に二人で。
そして、テレビで「トリック」の映画を二人で。
まだ見ていないのは2本。「ハリー・ポッターと秘密の部屋」と
「カウボーイ・ビバップ天国の扉」。
統一感が有るようで無いような5本。

日曜日。
予定通りに衣替えに着手したのだが、開始直後、ハンガーラック
の高さ調節部分が壊れていて、コートをかけることが出来なくな
ってしまったことにひどくショックを受けた。
一気に、どうすればいいのか分からなくなってしまった。(涙)
やっぱり、もう一つロッカータンスを買わなくちゃ駄目かぁ。

気を取り直して、おもむろに衣替えを進めて行くと、引っ越し以
来の5か月近く、まったく確認もしていなかった箱の中身を直視
することになり、再び唖然としてしまった。
衣替えと言えば、半そでと長そでを入れ替えるだけだったはずな
のに、今回はそれに引っ越しの際にやみくもに詰め込んだものの
振り分けもしなくてはならなかった。
引っ越しが夏前だったから、ひと夏の間、日の目を見なかったも
のたちが抗議しているようだった。(しくしく、ごめん。)

衣装箱を何箱も開け放ったまま、呆然としてしまうわたし。
何から手を付けていいか分からなくなった。
夫に助けを求めても、わたしのやりたいことにはほど遠いので、
あえて助けを求めたりはしない。
わたしの指示そのものが、的確でないとね。
それでも、キーッとヒステリーを起こす手前で自分を抑えること
ができたのだから、えらいぞっ。(誰もほめてくれないので。)

何とか整理して、もぐちゃん用に衣装箱を一つ確保した。
わかるように名前をと思って、それなのに「もぐ」と書いてしま
うわたし達。それでいいのか?
今は、入院用の品々が入れられて、出番を待っている。

すっかり疲れ果ててしまうが、夫が二日間一緒だったので、それ
だけでも救われる感じがした。甘え放題である。

 寝る前に甘え始めるわたくしと起きて甘える君のバランス(市屋千鶴)



2003年10月18日(土) 似合うというセンス

毎日、時間がたっぷりあるので、考えることもたくさんあるし、
書きたいこともたくさんあるのだが、いざ書こうとするとふいに
書けなくなってしまう。

胃酸が上がってくるので胸焼けするというのが、妊娠後期の特徴
らしいのだが、わたしは重曹を飲んでいるので少しは楽らしい。
重曹で胃液が少し中和されているようだ。
それでも、ときどき胸焼けする。
しかし、食欲の方がまだまだ勝っていて、困ってしまう毎日。

人間、センスがどうのこうのと言うよりも、自分には何が似合う
のかを知っているということが大事だと思う。
好みの洋服に体型が合わなければ、体型を変えるか似合う洋服に
するかだと思うし。
独身時代は、洋服にもお金をかけていたが、今は夫のお給料で暮
らしているのだから、制限付きである。そんなことは当たり前。
だから、安い洋服で自分らしい洋服を着ていけばいいのだと思う。

いいものは高い、かもしれない。
が、それが似合うかどうかは別問題なのである。
安物しか似合わない、などと言われるのは少しばかりさみしいが、
高いものだからそれがいいとは限らないのだ。

似合うということは、単純にそれを着ているとその人らしいとい
うことであり、その人らしいというのは分相応であるということ
でもあると思う。
夫のそれほど高くない給料で、ブランド品ばかりを買っていては、
それは分不相応なのではないか。
働いて貯めたお金で、自分へのご褒美として、いつもより高額な
ものを購入する。
するとそれは、とても大事なものとして一生ものになるのだろう。

幸い、わたしはブランド品というものにほとんど興味がない。
というのも、着られるサイズ売られていなかったからである。
独身時代に洋服にお金がかかっていたのは、専門店でないと買う
ことが出来ない状況で、すなわちそれは値段も安くなかったとい
うことだったからである。
最近では、大きいサイズの洋服も、手ごろな値段で入手できるよ
うになっているのがとてもうれしかった。
わたしの好きなブランドは、大手スーパーのオリジナルだったり
するのである。

今の自分に似合うものをきちんと認識するということを、最初に
子供に教えるべきではないだろうか。
いつも読ませていただいている方の日記から、こんなことを考え
たのだった。

 柔らかな色が似合うと言われおり君の隣に暮らし始めて(市屋千鶴)



2003年10月17日(金) スーツは作業着

洗濯物を干す時に、いつも考えること。
アイロンがけは嫌いだということ。
特にハンカチにアイロンがかかっているのはとても嫌いなのだ。
あの、汗を拭いた時に汗の方にくっついてしまうような感じが嫌
なのである。
だから、アイロンをかけなくてもいいように縦に四つ折りにして
干す。
乾いてから、太腿という名のアイロン台と、手のひらという名の
アイロンで、ぴしっと伸ばしてたたむのだ。

こんなわたしなので、「しわすっきり○フランC」や、形態安定
のシャツは必需品だ。夫のワイシャツも形態安定。

夫は、スーツは作業着だと思っているので、特にイベント用のも
の以外は、安いスーツで一向にかまわないと言う。
会社に行ってしまえば、専用の上着(ジャンパー)があるので、
寒い時はそれを羽織るらしい。
○○ジャンと呼ばれている。(○○は会社名)
それに、コンピュータ仕事というのは案外よごれるもので、開発
体制が変わる度に、模様替えだといっては這いつくばってケーブ
ルを引き直したり、ホコリだらけのパソコンを持ち上げたりする
のだから、夫が作業着だというのもうなづける。

もともと、洋服など、まったく気にかけない男だったので、これ
でもがんばって教育してきたつもり。
付合い始めた頃の洋服のセンスは、今よりもおじさんくさかった。
それでもスーツはとても似合っていて、その背中に惚れたのだ。
が、デートの時に着て来る私服は、ほんっとにおじさんくさくて、
そんなに高額ではない上着をプレゼントしたりした。
一緒に住むようになって、衣替えの度に、なかなか捨てられない
という夫の洋服を少しずつ取り替えてきた。

今でも、とてもセンスのいい男性ということはないが、とりあえ
ずわたしの好きなようになってきているので、良しとする。
まあ、男性のLサイズを買うと、二人で着られるという便利さが
あるので(爆)、わたしが着てもいいかなと思うものを買うよう
にしているのだから、わたし好みになるのは当たり前かぁ。
ネクタイの趣味も、二人が歩み寄ったところで落ち着いているし。

スーツ姿の夫はやっぱりとっても格好いいと思うのだから、まだ
まだ我が家はラブラブ、だと思う。(笑)

 似合うのはわたしだけだと言い聞かす君の隣に立つ人じゃなく
                          (市屋千鶴)



2003年10月16日(木) 妊婦服の不思議

妊娠するとお金がかかる。
子供が産まれる前からかなりの出費である。
なにしろ、安売りのマタニティーウェアというものでは、体が入
らないのだから、致し方ない。
一人しか子供を産む予定ではないので、その数カ月のためだけの
洋服や下着やもろもろが、一般の衣類よりも割高感がある。
産後も着ているようじゃ、だめなんだけどさぁ。(笑)

捨てずにおいた、太っていた頃のシャツやあれこれが以外と活躍
していることも、また確かなのだが。
おかげで、妊婦だと思ってもらえないことも、未だにあるのだが。
ということは、一度痩せていなければ、本当に着るものがなかっ
たということだと思うと、空恐ろしいばかりだ。
なんとかLLサイズのマタニティーが着られて良かった。
いや、ズボンだと太腿がパツンパツンなので、はけないけどね。(笑)

うんと大きい人の妊婦服って、いったいどこで買うんだろう。
一度、秋田の従弟にメールで訊ねてみたが、返事はこなかった。
いや、大きい人というか太っている人は、体重を増やさずに出産
までこぎ着くのだろうか。
とすると、大きいサイズのお店で普通に買うのだろうか。

少し一段落したらしい夫は、少し帰りが早い。
といっても、22時半とかだけど。
今度の週末は、土日とも休むよと言っているので、土曜日こそ、
衣替えしなくちゃと思っているのだが、大丈夫かなぁ。

今、一番欲しいもの。ボックスタイプのスツール。
丸椅子じゃあだめで、ボックスタイプのスツール。
中に物を入れることが出来て、ちょこっと腰掛けられて、それが
なんだかとてもいいような気がしている。
ソファーや、ダイニングテーブルセットのような大げさなもので
はなくて、スツールが欲しい。

いくら念じていても、どこからかやってくるものではないのだが、
なかなか見つけることが出来ずにいる。
町田の大正堂まで行っておけば良かったかなぁ。

日がな一日、しょうもないことを考えている。

 「BABY IN ME」とプリントしてある妊婦服を
             買うべきだろうか悩む日もある(市屋千鶴)



2003年10月15日(水) 写真たて

10月も、もう半分過ぎてしまった。
今月は、きわみちゃんもわたしも誕生日。来週と再来週。
きわみちゃんはわたしより1週間早い。同じ蠍座。
わたしは、きわみちゃんにネックレスとブレスレットのセットを
あげようと(勝手に)決めていて、注文したものが届いた途端に、
ブレスレットとかするんだっけか?と思い、本人に確認した先週。
ネックレスは、品切れでおそらく来週あたり届く予定。
皮に銀色の飾りがちょっとついている、いたってシンプルなやつ。
さりげなく付けて欲しいと思って。

その話をしていたら、わたしの誕生日には何が欲しいかときかれ、
わたしは写真が2枚入る写真たてが欲しいと言った。
今持っている写真たては、甥が小学校に入学した時に母と一緒に
撮った写真がおさめられている写真たてと、わたしの写真が入っ
ている少し大きめに写真たてである。
こちらに戻ってきた時に引っ越しの手伝いにきた姪は、わたしの
写真だけが飾られているのを不思議がっていた。
「なんで、おばちゃんの写真だけなの?」って言われた。
本当は、昨年の12月に結婚5周年で松島に旅行した時の写真を
飾りたいのだったが、飾りたい写真が2枚あるので躊躇していた。
今、わたしだけが納まっている写真たては、もぐちゃんの写真を
飾ることに決定し、松島の写真は、きわみちゃんにもらう写真た
てに飾るのだ。(ふっふっふっ)

15時からぼーっと横になっているうちに眠ってしまったわたし
は、地震で飛び起きた。
震源地は千葉県北西部。あのバッテン印は千葉市のあたりか。
我孫子にいたら、もっと揺れていただろうか。
先日のゆらゆら揺れる感じの地震よりも、短く細かい揺れだと感
じたのだが、それは寝起きだったからだろうか。

それにしても、地震が来ると玄関に走ってしまうのは、姉の所で
身に付いた習慣なのだろう。
姉の家は5階建ての団地の1階なので、地震が来たらまず逃げ道
を確保するために、ベランダへの扉と玄関の扉を開けに行くのだ。
玄関先で、台所に電灯の揺れを見つめているわたし。
きっと、変な光景なんだろうなぁ。

 かたかたと揺れる電灯眺めつつ部屋着のままで逃げるかを迷う
                           (市屋千鶴)



2003年10月14日(火) おそらくは嫉妬

9月の終わりに、三人でお茶を飲み、その週の土曜日には早々と
里帰りなさった妊婦さんから、手紙が届いた。
早々と里帰りした理由は、低置胎盤ぎみだと診察されたというこ
とも有ったのだということだった。
2月にはこちらに戻って来るとのことで、その頃には我が家でも
一か月を経過することでも有るし、かなり家が近いし、いろいろ
と交流したいものである。


人は、同じ経験を持っていないと、その人の気持ちに共感するこ
とはできないのだろうか。
相手の立場を思いやって発言しているつもりでも、見当違いなこ
とを言ってしまうことだってあるのだ。
ちょうど、きわみちゃんから猫のことで電話を貰ったのに、妙な
点にこだわって言い合ってしまった時のように。
わかったつもりで、相手にひどく嫌な思いをさせてしまっていた
のではないか。

親を亡くしたものにしかわからない喪失感。
子供を授からなかったものにしかわからない焦燥感。
重い病気の身内を持っているものにしかわからない切迫感。

慰めの言葉を書き綴るのは容易いが、受け取った方はその文面や
内容から、敏感に感じ取ってしまうことがある。
ああ、この人は、本当のところをわかっていないのだなぁ。
そして、そのこと自体にも気付いていないのだなぁと。

決して、わかることだけがいいことだとは思わない。
経験したことの無いことをよくわかるという方が不自然なのだし、
ほとんどあり得ないことだろう。
想像だけで理解できるほど、人生は簡単ではない。

しかしながら、疑似体験を通してしか知らないことに対して、ま
るで本質を知り尽くしているような発言は、やっぱり相手に嫌な
思いをさせてしまうのだ。
そんなんじゃないんだよと言いたくなるのだ。
それくらいなら、自分には想像するしか無いけれどと、はっきり
言ってもらった方が、ずっとうれしいのだ。

しかしながら、それは、そういう体験をせずに暮らすことができ
る人への、おそらくは嫉妬なのかもしれない。
所詮あなたにはわからないことなのよと言う前に、自分自身のこ
と(嫉妬する感情)を見直さなくてはならないのかもしれない。

久しく忘れかけていた嫉妬という感情にこれほど手こずるとは。

今、一番羨ましいと思うことは、母親が生きているということだ。

 「孫を見せたい」そんなことではない我の思いはおそらく甘えに過ぎず
                           (市屋千鶴)



2003年10月13日(月) 衣替えできなくて

昼まで寝ると宣言した夫は、宣言通りに13時頃に起床。
ちょうどその頃、台風のような強風と豪雨に見舞われていた相模
原市。

今日は衣替えの予定だったのに、何だよこの暑さと天気は、とい
うことで衣替えせずに過ごしてしまったが、明日から涼しくなる
のに大丈夫なのか?>自分
まあ、長そでがまったく出ていないわけではないので、大丈夫だ
ろうと楽観的。

暫くすると、日が差してきて、まぶしいほどの天気になった。
天気になったので、夫と二人、買い物に出た。
サンダル履きで、ぷらぷらと。

買ってきた魚を、ガステーブルのグリルではなく、四角い焼きも
の専用の鉄板みたいなやつで焼いたらば、台所中、魚臭いこと。
やっぱり、ガステーブルのグリルで焼くべきだったか。(涙)
まあ、美味しければ良しとして、匂いが消えるまで我慢だなぁ。

同じく、買ってきた柑橘類、オーストラリア産のマーコックとい
う名前のオレンジみたいなやつ、を食べたが、小さい割に種が多
くて時間がかかった。美味しいんだよ、とっても。
でも、そのもどかしさに、欲求不満になってしまい、小さいオレ
ンジジュースのパックを買ってきてもらったわたし。
種を取った状態でいくつも並べておいて、どさっと食べたら?と
夫に笑われた。
そうかぁ。その手が有ったのか。
ジュースを買いに行く前に言ってくれよぉ。(しくしく)

 「一口でなんでも食べてしまうのが君なんだから」夫は笑う(市屋千鶴)



2003年10月12日(日) ぷらむ、秋の吟行の日

昨日の土曜日、夫は午後から夕方まで仕事に行った。
帰りに相模大野で待合せをし、家具屋さんを眺めてから餃子屋に
行った。
水餃子が美味しいらしいが、一般的な焼き餃子と麻婆豆腐の中皿
と白いご飯を注文した。
麻婆豆腐は、今までに味わったことの無い味で、夫婦揃って感激
してしまった。山椒の辛さがあれほど心地いいものだとはっ!
本当の麻婆豆腐の味なんて知らないのだけど、あれは気に入った。

この三連休は、土曜日に出勤するだけで良かったので、今日は夫
を心行くまで眠らせておくことが出来た。
何と言っても今日は、「ぷらむ」の秋の吟行なので、わたしは朝
から出かけていたのだから、誰にも邪魔されずに眠れたらしい。

本日の吟行。
まず、多摩センターのベネッセの21階でプラネタリウムを見た。
秋の星座とオーロラだった。
秋の星座は、「ペガスス座(ラテン語読み)」から始まり、エチ
オピアの王女アンドロメダを救ったペルセウスの話に発展する。
ペガスス座、アンドロメダ座、ペルセウス座、カシオペア座、ク
ジラ座。
そして、南の魚座、水瓶座、魚座、などなど。
ペルセウスの話が、動かないアニメで映し出された時には、少し
だけ笑えた。
その後のオーロラ。心地よい音楽とオーロラが映し出されるだけ
の天井を見ていると、眠くなってしまった。
途中にナレーションが入らなければ、確実に寝てしまっていた。
その後、各自散策しながら、歌を三首。

本日の吟行で作った歌。

 オーロラに想像力を問われおり「光のカーテン」以外の何か(市屋千鶴)

 照明を落とせば動く腹の児に偽の夜と言うプラネタリウム(市屋千鶴)

 星の名も樹や花の名も知らぬ我を母に持つ子に空を教える(市屋千鶴)

午後からの互選会では、一首目と三首目に四点、二首目に二点を
いただいた。(参加者は東先生を含めて11人。)
選んでくれた方の名前がだぶるところを見ると、やはり好みとい
うものが出るようである。

一首目は、直すようなところは無いが、好みが分かれる歌だろう。
二首目は、プラネタリウムという言葉を最後に持ってきたために、
オチを言われたような格好であると言う意見や、四句目の言葉の
つまり方がという意見等などが出た。
プラネタリウムという単語を入れたかったし、上の句は直せなか
ったので、四句目がぎちぎちになってしまっていたのだが、全体
を思いきって構成し直したほうが良さそうだ。
でも、暗くなると動きだすということに共感してくださった先輩
ママさんがいらして、ちょっとうれしかった。
三首目は、三句目、四句目を直すべきだった。
たとえば、
 星の名も樹の名も花の名も知らぬ我は子供に空を教える(市屋千鶴)
とかね。
「空を教える」という結句は、評判が良かったのだけど。(笑)

いずれの歌も、わたしは作るまでにそれほど時間をかけていない。
思い付いてから直そうとして、直しきれてないことがほとんどだ。
こらえ性が無いなぁ、と改めて思ったりして。

言葉を吟味するということをしていない。
だからこそ、歌人ではあり得ないのだけど。(笑)



2003年10月10日(金) 日曜日でなけりゃあ

昼頃、電話が鳴った。

昨日、鶴間に行こうとしていて、東林間の駅で遭遇した妊婦さん
からっだった。
その人は、わたしよりも10歳若く、旦那さんはさらに5歳若い。
予定日が同じ、12月31日である。
その彼女の用事と言うのは、今度の日曜日にご一緒しませんかと
いうものだった。
明日の土曜日から、相模大野で「まんどうまつり」というものが
開催される。
わたしはあまり良く知らないのだが、このお祭りに一緒に行って
屋台のものをパクつきながらお話ししようという話が出ているの
だということだった。

ああ、日曜日でなければご一緒できるのになぁ。残念である。
土曜日とか、月曜日とかねぇ。
今度の日曜日は、「ぷらむ」の吟行なのである。
10時半に多摩センターに集合し、プラネタリウムを見てから散
歩して、歌を作る。
来月以降、行けるかどうかが微妙なところなので、今回の吟行は
ぜひ行っておきたいのである。

これこれの用事があるのでと、吟行の説明をするわたし。
「短歌をやっていて、」と言った時に聞き返されたので、「五・
七・五・七・七のやつ」と説明したくらいだから、かなり意外な
ことだったようである。
きっと、日曜日に話題になるんだろうなぁ。(笑)

先日、妊婦さんと二人で散歩コースを散歩した時に、通りかかっ
て話をしたお宅のすぐそばに住んでいるのが、今日の電話の彼女。
次の出産のことも考えていて、産んだら体型を戻して、次の子を
産んだらまた体型を戻してと、スタイル維持には真剣そうだった。
体操も必ず実行している模様。
旦那さんは、沐浴体験で人形を振ってしまった旦那さんの一人。
(うちとおんなじ。)
夫婦揃って、すらりと背が高くて、格好いい。
(ここは、うちとは大違い。うちは夫婦揃ってがっちり農家風。)

今日、昼寝のつもりで3時間も寝てしまったわたしは、石焼いも
屋さんの声で目を覚ました。
窓の外の暗さと、時計を見て愕然。
散歩がてらの買い物という予定が・・・・

昼寝をしないと、睡眠時間は約5時間。
昨日、昼寝をしなかった分、寝てしまったのだろうか。(しくしく)

 ガタガタと雨戸を閉める音がして影絵の町を閉じ込めていく(市屋千鶴)



2003年10月09日(木) 入院準備品を揃える

一応ね、いつ入院しなければならない状態になってもいいように、
準備だけはしておこうと思ったのだった。

病院の資料をもとに、今現在、準備可能なものを袋につめておき、
あとは買いに行かなくてはと思っていた。
今朝、洗濯をしていると、きわみちゃんから電話が有った。
今日はお休みだというので、洗濯の後で買い物に行くことにした。

鶴間駅(小田急江の島線、大和駅の一つ手前の駅)で待合せして、
「オークシティ」と呼ばれる、ヨーカドーとジャスコの並ぶ場所
に向かった。
まずは、きわみちゃんのお目当てのジーンズを買いにジャスコへ。
それからジャスコのマタニティ売り場を眺めてから、昼食。
そして、ヨーカドーのマタニティ売り場へ。
買わなければならなかったもの(産褥ショーツとか、乳房パット
等々)を購入し、お茶を飲んで帰ってきた。

きわみちゃん曰く、「あんたが妊娠しなかったら、こういう売り
場には無縁だったわよ。」。
それは、わたし達自身も、まさかっ、のことだったからねぇ。(笑)

東林間についてから、八百屋さんに寄って帰るはずが、ふとん屋
さんで座布団を買って帰ることになってしまった。
前から欲しいなと思って、お店の外から眺めていた座布団。
とりあえず1枚。
もう少しすると、長座布団が店頭に並ぶと聞いて、それから長座
布団を買いに行くことにした。
帰宅して、早速、座布団カバーをつけて、座ってみた。
やっぱり本綿の座布団はいいなぁ。
今まで使っていた座布団は、中身が安物のウレタンだったから、
2枚重ねにしても薄いと思っていたのだ。

今度は、夫と一緒に鶴間に行ってみようと思う。
今日の歌はお休みということで。



2003年10月08日(水) 言い訳めいている

10月3日の日記で、わたしはこう書いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
誰が何を言おうとも、わたし達はわたし達。
他の誰かをまねて暮らしているわけでもないし、真似できるもの
でもない。
一人一人、立場も条件も違うのだから、一概にこうだったからと
言われても気にしないことにした。
自分は自分、人は人なのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

読み返してみて、これだと誤解を招いてしまうなぁと思った。
これでは、まるで聞く耳を持たない人のようではないかと。

いつだったか、ある方から言われた言葉に対して過敏に反応し、
へこんでしまったことがあった。
夫から的確にわたしの心情を指摘されて、それで落ち着くことが
できたのだが、夫にも迷惑をかけた。
いつも日記を読ませていただいている方に愚痴をこぼしてみたり、
助言していただいたりして救われた気がした。

上記の決意は、自分自身を見失わないようにしようという気持ち
の現れだった。
思いがけぬ妊娠で、いろいろと不安定になってしまいがちな自分
の心理状態を、自分でなんとかしないでどうするのだと思った。
先輩ママさん達からの助言は、とてもありがたい。
勇気づけられる。
周囲の人からあれこれ言われた時には、自分で取捨選択すればい
いのだ。
自分達にはあてはまらないことに対してまで、あえて反応して落
ち込んだりする必要は無いのだ。
そんなことを、いろいろ考えた結果のことだった。

こう書いていても、言い訳めいていて、どうもいま一つなのだが。
書かなくては自分の気持ちは整理できないこともある。

今日から8か月である。
今のところ、体調は、いたって良好。(ちょっと便秘ぎみ。)
あと2か月ちょっとがんばれば、もぐちゃんと会えるのだ。
その先の長い子育てという道のりは、取捨選択の積み重ねだろう。

 胎動を与える吾子よわたくしを強い母にと成長させよ(市屋千鶴)



2003年10月07日(火) 妥協する方言

昨日の歌の「」の中の意味は、
「まだ家に戻っていないようだったら、かあちゃんを迎えに行っ
 てきなさいよ。」
である。

ひらがなで書くと、やたらとわかりにくくなるものだ。
山形県をこよなく愛する人達のサイト「ヤマガタン」のなかに、
「んだんだ方言掲示板」というものがあって、そこでは山形弁以
外の言葉は原則使用禁止なのである。
同じ県内でも異なる方言と、方言を文字表示することの難しさに、
初めはかなり困惑したものだった。
ポイントは、どこで区切るのかをはっきりさせることだったが。
そこでも、山形県尾花沢市というのは珍しい存在で、言葉自体も
他のメンバーには不思議なニュアンスを与えるらしい。

一般に「ズーズー弁」と呼ばれる方言の特徴をみごとに備えてい
るというかなんというか。
語尾に「ずぅ」がついたり、「ずねゃぁ」がついたりする。
「ずねゃぁ」は、東京育ちの義兄には「にゃー」と聞こえるらし
いのだが、わたしの母に子守りをされていた姪は、正確に発音す
ることができる。
義兄は少しだけ音痴でも有り、やっぱり耳は大事だ。(笑)
聞こえる聞こえないではなく、わかるわからないの耳である。
正確に音を再生することができるということは、正確に聞いたも
のを認識できるということだから。

もぐちゃんは、きっと自分のことを「わし」と言うに違いないと、
夫もわたしも確信しているのだが、それは二人とも自分のことを
「わし」と言うから。
一口欲しいという時は、「わしにもくれ。」と言う。
自分の分がないときは、「わしの分はぁ?」と言う。
これは明らかに夫の影響だ。
尾花沢弁では「わし」とは言わない。
男女を問わず「おれ」である。
もっとも、最近では女性はわたしと言うようになっているが。
「おれさもけろ。」「おれの分はぁ?」となる。

この二日ばかり言葉のことを考えている。
もぐちゃんが、公の場に出るようになった時、訛ってますよと言
われたら、わたしはどう応じるのだろうか。
訛ってたってかまわない、というのがもうすぐ44歳になろうと
しているわたしの気持ちである。
失われつつ有る方言に、懐かしさと物悲しさを感じるようになっ
てきているのだろう。
わたしの小学校時代は、「汚い言葉遣いをしないように」という
目標を掲げ、「おれ」「おまえ」「うさ」「われ」、などの呼び
方を禁じたものだった。
「おまえ」は汚い言葉遣いではなくて、相手を敬う言葉だったは
ずなのに。「御前」から来ているのだものね。
最近では、テレビの影響も強く、わたしの方言はもう古いと言わ
れてしまう。
他の土地に住む人にもわかるように話さなければならないのか。
お年寄りが話すような方言ではなく、妥協した方言を皆が話すよ
うになっていってしまうのか。

地方の色は失われつつ有るのか。
一番いいのは、使い分けができることなんだけどなぁ。

 思い出と直結している方言は帰る家なき我のふるさと(市屋千鶴) 



2003年10月06日(月) なんだかなぁ

秋らしい良いお天気が続いていたが、今日は雨だ。

最近、気になっている表現に、「XXで○○が売っていた。」と
いう表現がある。
わたしはこういう使い方を全くといっていいほどしない。
「XXで○○が売られていた。」と表現する。
現代の言葉遣いということなのか。
たとえば、「ら抜き言葉」と同じようなものなのかな?
「ら抜き言葉」は使われるようになってから、かなりの年月が経
つように思うが、わたしが挙げた例は、最近になって気になって
いるものなのである。

「わたしはあなたが好きです。」の「が」は、「を」と置き換え
ることができる。
同じように、「XXで○○が売っていた。」の「が」も、「を」
と置き換えることができる。
「XXで○○を売っていた。」 これなら納得できる。
同じような用法なのに、わたしが後者の方に違和感を覚えてしま
うのはどうしてだろうかと思った。(ふしぎ、ふしぎー。)
う〜む、とよく考えてみると、「わたしはあなたが好きです。」
には、「わたしは」という主語が有るが、「XXで○○が売って
いた。」には明確な主語が無い。
となると、「が」を主語につく「が」だと思ってしまうのだろう。
だから、「○○が」を主語として「売られていた。」というつな
がりにしたくなるのだと思った。

わたしが生まれ育った環境で使われる言葉は方言であるからして、
上京して他人に何か伝える場合は、当然標準語に置き換えてから
発語することになる。
(今は、何も考えずにあちこちの言葉が混ぜこぜに出て来るが。)
その時に変換する言葉というのは、国語やNHKのアナウンサー
が使うような言葉を参考にするのである。
そして、さらにその言葉を崩して若者向けにして話していた。
そして、なぜかその言葉は男言葉だった。(汗)

かなり、気を使っていたんだよね。
それは、イントネーションやアクセントがどうのこうのという以
前に、単語レベルで使われる言葉が違うのだから仕方が無い。
少しでも方言を入れてしまうと、他人には分からない言葉になっ
てしまうのだから。

漫才などで使われる関西の言葉は、方言であっても広く知られて
いるから、通じないこともない。
細かいニュアンスは分かりあえないのかもしれないが、通じると
いうことは便利なことでもあり、その言葉自体を使わずに暮らし
ていこうとは思わないだろう。
根本的に、わたしの方言とはそこが違う。

耳が良くなければ、方言と標準語の違いを聞き分けることも話す
ことも出来ないと思っている。
「す」と「し」と「すぃ」のような発音の違いが分からなければ、
方言から抜け出すことはできないしね。
言葉は真似ることから始まるのだから、よく聞こえるとか違いが
認識できるということは大事なことなのだなぁと。

なんだかなぁ、そんなことばかり考えている秋雨の日。
中学生の国語から成長してないような・・・・・(笑)

 「まだえーさもどてねごんたらかあちゃんばむがえんげな」と
                    祖母は指示する(市屋千鶴)



2003年10月05日(日) ストレス発散

たばこは吸うが、ゴルフもマージャンもやらず、飲みに行くこと
も無い夫の唯一の道楽は、パチンコ(スロット)である。

昨日の土曜日も夫は出勤して行ったが、14時くらいに着けばい
いいということだったし、ちょっと顔を出してデータを用意する
だけだから早く帰ることができると言っていた。
では、二人でお気に入りの蕎麦屋さんでなべ焼きうどんを食べた
いというわたしの希望に答えるように、17時半頃にこれから帰
るから、中央林間駅で待合わせしようということになった。

わたしは、ちょうど散歩にいいやと思い、中央林間駅まで歩いた。
20分くらいかと思っていたが、30分かかった。
今のアパートから中央林間駅に行くには、我孫子に行く前に住ん
でいたアパートのところを通るようになる。
そして、夫がわたしと一緒に暮らす前に住んでいたアパートへの
道の蕎麦も通るのだった。
懐かしくて、もぐちゃんに、この辺は君の父と母が一緒に暮らし
始めた場所なんだよと、小さい声で話しかけながら歩いていた。
(それで30分かかってしまったのだろうか。)

中央林間駅に着いたら、ちょうど夫も着いたばかりで、わたしが
いないのできょろきょろしていたところだった。
3年以上前に行ったきりの蕎麦屋さんは、相変わらず美味しかっ
た。
そのころは、なべ焼きうどんは夫がよく食べていて、わたしはい
つも蕎麦を食べていた。
ほんとにそこの蕎麦が好きで、きわみちゃんと二人で一杯飲みな
がら、仕上げに蕎麦を食べたりしていた。
(大の蕎麦好きの甥っ子が、電車乗りの合間に見つけてその名前
を知っていたお店でもある。)
美味しいものは、人をしあわせにするなぁ。
高級料理でなくても、好きなものはしあわせを運んで来る。

その後、やはり以前によく行ったパチンコ屋さんに行った。
2軒ならんでいるのだが、どちらも空いているコーナーを見つけ
て並んで座ったりした。(たばこを吸う人がいないところ狙い。)
まあ、わたしの方は、それほど欲求が有ったわけでもないので、
自動販売機とテレビが置いてある休憩コーナーで休みながら、夫
の様子をうかがいに行ったりしていたが、夫は久しぶりに出てい
たのでかなり楽しそうだった。
ストレス発散になったかと聞いたら、うれしそうに笑っていた。
先月と先々月の負けた分を取りかえした勘定になるか。
しかし、損得を重視しているとかえって嵌ってしまうのがギャン
ブル(パチンコ)の世界だし、楽しむつもりで勝ったら儲け物だ
というくらいの気持ちでやるのがいいのだと思う。
十数年前の嵌っていた頃の経験から、そういう風に思えるのだが。

帰宅してゲームを買いに行った夫は、朝方の4時まで遊んでいた。

わたしは念願のなべ焼きうどん(もちろん汁は飲まない。)を食
べて、夫はスロットとゲームで、互いにストレスを発散した夜で
あった。

今日の夫は、やっぱりまだ寝ている。(笑)

 この町は君と最初に住んだ町離れがたくてまた舞い戻る町(市屋千鶴)



2003年10月03日(金) 検診の日

今日は、産科の検診日。
内科を予約外で受付けてもらい、診察前検査を受けてから産科へ。
蛋白も糖も出ていないし、血圧測定器で測った割に血圧は正常値
だった。(測定器に慣れてきたのか?)
体重は、かなしいかな、三週間で1キロほど増えていた。
産科では、相変わらず特に問題なしとのこと。
そのせいか、次回も三週間後の予約になった。
次回は、妊娠後期の血液検査と、二度目の早産チェック。

産科が終わって内科にまわったが、予約外なので順番がわからな
いまま、二時間ほど待つことになってしまった。
こんなに待つのならば、昼食を食べてしまえば良かったと思って
いると、順番が回ってきた。
やはり、体重が増えてことを指摘されるが、他の項目はおおむね
横ばいで、尿酸値は前回より改善されているようだった。
「体重だけですね。」と、内科の医師にくぎを刺されるのだった。
次回の三週間後の検診日は、内科の診察前検査を済ませたら産科
に行き、昼食を終えてから午後に内科の診察としてもらった。
これなら、空腹に耐えて待合室に座っていなくてもいいからと、
内科の医師と相談した結果だ。

昼食を食べ終えたのは、午後三時近くになっていた。
かなりの空腹を満たすために、ミニパンを一つ余計に食べた。
この分だと、夕食はしばらく食べられそうにない。
果物と牛乳とかで終わってしまいそうだ。

昨夜、夫は帰宅して食事したかと思うと、おもむろにノートPC
を取り出してメールを受信し始めた。
そして、受け取ったエクセルのファイルを見ながら、会社に電話
して話し始めた。
今朝になって、東林間駅まで歩いている間に聞いてみたら、月曜
日にまとめておいてくれと頼んでおいた資料は、昨日中に送信し
なくてはならないものになり、それが昨日まで全く取りまとめら
れていなかったために、急きょまとめた内容をチャックしていた
のだそうだ。

月曜から昨日までの四日間、その人は何をしていたのだろうと、
夫はかなりがっくりしていた。
プロジェクトチームのなかの、グループのリーダーという人達は、
データの取りまとめが主な仕事なのに、四日間、何もまとまって
いなかったことに、ショックを受けていたらしい。

そのやり取りを聞きながら眠ってしまったわたしは、一時間後に
なった電話で目が覚めてしまい、今度は寝付けなくなってしまい、
明るくて眠れないから早く寝ようよと夫をせかした。
何もしてあげることが出来ないのに、せかしてどうする?
そして眠った夫だったが、なんだかしょっちゅう歯ぎしりをする
ので、それが気になって何度も目が覚めた。
きっと、仕事の夢でも見ていたのだろうなぁ。

二人とも寝不足の状態では、イライラしてしまってぶつかってし
まいそうになるが、もぐちゃんが生まれたら、この寝不足状態が
続くことになるわけで、気をつけなくちゃなと改めて思った。
が、そういうこともあって、二人は親として夫婦としてまた一歩
を踏み出すことになるのだろう。

誰が何を言おうとも、わたし達はわたし達。
他の誰かをまねて暮らしているわけでもないし、真似できるもの
でもない。
一人一人、立場も条件も違うのだから、一概にこうだったからと
言われても気にしないことにした。
自分は自分、人は人なのだ。

 取り入れる雑音、取り入れない雑音、分別するのはわたしとあなた
                           (市屋千鶴)



2003年10月02日(木) 届いた写真

今日、手紙を添えて一枚の写真が届いた。
それはハロー・マザークラスで一緒だった妊婦さんからのもので、
妊婦体験ジャケットを装着した夫の姿だった。
彼女は他のご主人方の装着姿もデジカメで撮影してくれていた。
彼女は、東林間の駅の反対側に住んでいて、10月いっぱいは仕
事をし、11月の始めには愛媛に里帰りするということだった。

「写真、撮らなくていいですよ。」と言ってはいたのだが、やっ
ぱりなんだか、うれしい。
里帰り前に、お礼をかねてお茶に誘おうと決心した。
まずは、お礼の電話を入れなくては。

さてと、明日は産科の検診日。
内科の予約は一応先週のままだったのだが、明日の産科の前に行
くことに決めていた。
体重はそれほど増えていないと思うが、どうも我が家の体重計が
性格でないようなのだった。
夫が先週末の健康診断で、会社の体重計で量った体重はもっと軽
かったというのだ。
そう言われてみれば、1キロちょっと多めに出るかもしれない。
我孫子にいる時も、毎月病院で量る体重と違っていたから。

が、体重がいくら増加したかというのは、どの体重計でも変わり
はないと思うから、体重増加の目安にはなる。
新しい体重計が欲しいところだ。

今日は、歌はお休み。



2003年10月01日(水) 妊婦二人の散歩

昨日約束したとおり、今日は臨月目前妊婦さんと散歩に行った。
約30分で、公園のそばに住む別の妊婦さんのお宅まで行けた。
なにげなく、ここがそうなんだよねと話しながら歩いていたら、
ちょうど窓の外を見た彼女と目が合った。
だんなさんが今日はお休みの日ということで、片づけものをして
もらっていたらしかった。
その家は、彼女のだんなさんの祖父母が住んでらしたところなの
だそうで、子供の部屋をちゃんと用意すべく、片付けているのだ
と、玄関から出てきて話してくれた。
お茶でもどうかと誘われたが、まだ散歩も半分しか来ていないか
らと辞退し、また今度ねと言ってお宅前を後にした。

その先は、わたしも初めて行くルートだったので、二人で地図を
見ながら歩いたのだが、散歩道と言えるのは駅のこちら側だけだ
なと、二人で納得するような、住宅街をぬって歩くルートだった。
約1時間ほど歩いて、駅前のスーパーまで戻ることが出来た。
スーパーで一緒に買い物をして、Mさんの家の近くで別れた。

帰宅すると、ネットで購入した妊婦用のパジャマ等が届いていた。
届くのは明日だと思っていたので、驚いて配達の人に電話して、
1時間後くらいに再度来てもらった。
サイズはLLで良かったのだが、LL〜3Lというサイズ設定に
なっているため、若干大きいような。
が、まあ、大は小を兼ねるというし、これで良しとした。
あと、ビッグシルエットのスウェットのカーディガン。
お尻まで隠れた、なかなかいい感じ。
入院する時には、これを持って行こうと決めた。

こうして、世間では冬服にかわる10月1日は、ゆるゆると過ぎ
ていこうとしている。
夫は、今は一段落しているからと、午前中はお休みをもらって昼
に出かけていった。
そういえば、今週は終電ではないようだ。
ほんのちょっと早い。(笑)

あっ、「短歌研究」のうたう☆クラブに投稿するのを忘れた。(汗)
まっ、いいか。

 正月は三人だなという夫の傍らにいて胎児に伝える(市屋千鶴)


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