「隙 間」

2008年05月31日(土) わたしの遠野物語〜序〜

 目が覚めると、そこは遠野でした……。

 はい。
 衝動に従ってました。
 何故か、今回の作品のためにと思い立ち、高速バスやら宿やらの手配をすませておりました。

 柳田國男さんの「遠野物語」が生まれた町で、以前からこの「遠野」という町は来たかったのです。
 河童、座敷わらし、オシラサマ、オクナイサマ、迷い家、山男に山女など、たくさんの民話が古くから語り残されている町です。
 柳田國男さんの著書に含まれている物語だけではないので、いわゆる「語りべ」と呼ばれる民話語りの専門家さんたちの話を聞きたかったのです。

 もちろん、それだけではありません。

 その物語が生まれ、語り継がれてきたその地を、その空気を、感覚を肌で感じたかったことが大きいです。

 昨夜十一時に上野を発ち、朝七時に遠野駅前に到着。
 天気予報が雨、だったのですが雨は降らず、この状態のわたしにレンタカーは危険なのでレンタサイクルにしました。車だと一日で十分、めぼしい所は回れてしまうのです。なので、雨が降ったら車、降らなければ自転車と決めていたのです。

 駅前の観光センターで自転車を借り、意気揚々と……。

「バコン、バコン」
「?」
「ガタンッ、ガタンッ」

 パンクしてました。
 引き返して別のに乗り換え、ふとタイヤを見てみると、へしゃげてました。

 すわ、と再び引き返して、

「空気入れ直していいですか」

 担当のお姉さん「菊さん」がやろうとするのを「僕が」と制止し、シャコーッ、シャコーッ、と空気入れをひたすらピストンさせます。
 自転車なら、パンク修理からチェーン交換まで自分でやるのが我が家の教育です。

「あの、新しい自転車をだしましょうか」

 入れ終わったタイヤを、ぶにぶに押して確かめながらも首を傾げていたわたしを見て言った菊さんに、わたしは、

「そっちでお願いします」

 と。

 降水確率九十パーセントを曇りでとどめてくれた遠野の町に、

 わたしを受け入れてくれてるのかしらん?

 と思っていたのに、町の妖かしたちがイタズラをしかけてきてるのかも、と思わず苦笑いが。

 こうして、わたしの遠野物語が始まりました……。

「四キロまでは徒歩圏」

 都内ではそれが当たり前だったわたしですが忘れていました、大事なことを。

 起伏の激しさと、自転車は久しぶりに乗るのだということを。

 使う筋肉がちがうのです。
 そして風と、ぱらつき始めた小雨。

 ペダルを漕ぐ。
 腿の付け根がピリピリ痛む。

 ペダルを漕ぐ。
 尻がジンジン痛む。

 ペダルを漕ぐ。
 ふくらはぎがピキンッとつり始める。

 こうなればもう、闘い、です。
 そしてまずは……河童が相手です。
 ということで、

「カッパ淵」

 に行きました。
 この小川にはたくさんの河童が住み、人々を驚かしてイタズラをしたと言われています。

 河童の祠と、木の枝の竿にぶら下げられたキュウリが……。

 しばらく竿をたれてみました。

 ……ちっ。
 まさか乗り込んでくるとは思わず、慌てて身を隠したか。

 不戦勝です。
 たぶん。

 そして、

「デンデラ野」へ。

 ここは昔、六十歳を越えたお年寄りを、労働力にならない、と食い扶持を減らすためにそのお年寄りを捨てにきた場所です。
 捨てられてもまだ畑仕事はできる、と身を寄せあって暮らし、畑仕事をしにこの野におりてきていたのです。

 そして、

「伝承園」へ。

 まずは遠野の名物料理「ひっつみ汁」と「けいらん」で腹ごしらえ。
「ひっつみ汁」は地鶏でとった出汁のすいとんのようなもの。そして「けいらん」は米粉の白玉に餡がつまった、鶏卵というよりうずらの卵くらいのもの。

 なかなかなものでした。
 腹がくちくなったところで園内へ。
 目玉は、千体の「オシラ様」がまつられているお堂です。
「オシラ様」は、簡単にいうと養蚕の神様、です。
 未来を「お知ら」せする神様でもあります。

 ここでプチ情報。

 宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」で、大根の顔形で出演されてます。

 さあ、痛む尻と足に鞭打ちつつ、次は、

「卯子酉(うねとり)様」へ。

 縁結びの神様です。
 ……さあ、次へゆきましょう。

「五百羅漢」へ。

 二百年余り前に東北地方を襲った大飢饉の犠牲者の冥福を祈り、自然の花崗岩に羅漢像を彫ったものの群れです。

 山林のなか苔むした岩のあちこちに、羅漢が彫られた岩がごろごろと。
 この山林で、もしや「迷い家」に導かれるのでは、とほのかな期待が……。

 わたしにはまだその必要がないようです。

 さあ、雨が小雨からややしっかりとしたものに変わってきました。
 回りたかった遠めの所は大体回りきり、それでは自転車を返しにと、お菊さんの待つ観光センターへ。

 返しがてら、お勧めの晩御飯の店を教えてもらいました。

 実は、遠野はジンギスカンが有名なのです。
 しかと頂きました。

 美味かったです。

 ホテルで「語りべ」さんによる語りべの会があり、会の前後に、個人的に色々と話をさせていただきました。

 お時間をいただきまして、本当にありがとうございました。

 明日も、いや明日こそ、語りべを片っ端から聞きまくる予定です。
 しかし、今日はよく頑張りました……。

 尻が、腿が、痛いです……。



2008年05月30日(金) 「蒲公英(たんぽぽ)草紙」と常野への思い

 恩田陸著「蒲公英草紙 常野物語」

 不思議な力を持つ、常野(とこの)一族。
 このシリーズは好きです。
 といっても、まだ二冊目ですが(汗)

 相手の記憶や思いを、まるまる自分のなかに「しまう」ことのできる力。

 わたしは欲しいとは思いません。

 竹のそれだけで手一杯です。
 実在するひとのそれを「しまう」ことができても、わたしにはどうしても、 ただつらくなるだけ、としか思えないのです。

 とはいえ、このシリーズは常野一族が主に物語を進めてゆくものではありません。

 だから、いいのです。

 わたしも、わたしのなかに生まれゆく者たちを「しまい」続けてゆきます……。

 たまの虫干しも必要ですが。

 常野への様々な思いを抱きながら……。



2008年05月29日(木) 雲の切れ間の月明かり

〜雲の切れ間の試験飛行〜

 篠原美也子さんのライブタイトルにありました。

 霧雨が水面を揺らす不忍池を、弁天様に目礼しながらぐるりと回ってみました。

 わたしはうまく飛べていますか?

 空っぽの燃料タンクには、「自信」のかわりにただ書きたいという思いだけを詰め込み、開き直りと無謀と覚悟で滑走路を蹴り、飛び立ちました。

 貧弱な翼では、まだまだ雲の下ですら思うように羽根をのばせません。

 黒くぶ厚い雲に遮られ、星ひとつ見えない闇の中。
 たとえ叩きつける雨風で翼が折れそうになっても、捨てられる積み荷はすべて捨てて身を軽くし、飛び続ける。

 ときおりそんな雲の切れ間から月明かりが差し込み、束の間の「空を飛んでいる」という実感を確かめるのです。
 翼が折れれば真っ逆さま、ということよりも、折らば折れ、それでも我は飛び続けん、と。

 WEBドラマの原作に採用していただける、との連絡をいただきました。

 まだまだ、飛び続けます。



2008年05月27日(火) なの?

 ポータブルプレーヤーを乗り換えました。

「iPod nano(4G)」

 に。
 今まで使っていた他社製品は、40時間再生とICレコーダー機能で選んだのだけれど、容量が1Gしかなく、篠原さんの全曲がもはや入りきらなくなっていました。

 よし、それじゃあICレコーダーとして存分に使おう、ということに。
 仕事で使うわけじゃありませんが……。

 今週末、存分に使えるように急いで用意しました。
 生活のためよりも書くためのほうを、少しだけ優先してます。

 それがただ「追いかけて」いるだけの、誰にでもできることなのか、自分だけの「背負って」ゆくことなのか、わかりません。

 おいおい。
 背負うにしちゃあ、ちぐはぐで、つぎはぎだらけな風呂敷じゃあないのかい?

 とのつぶやきには耳を塞いでますが。



2008年05月26日(月) 拳振り上げんとす己が狭量に

 とあるドキュメンタリー番組を観ました。

 ネットカフェ難民を取り上げたシリーズからのもの。

 無職無住所の少年とサポートする青年の二人三脚の様を取り上げていた。
 少年は養護施設で育ち、自立を促す為か年齢制限による卒園かで、ひとり社会に放り出され、その日暮らしの日々を過ごしてきた。

 金が無くなりゃ、巻き上げればいい。

 かつて自分がそうされてきたように、金銭だけではなく、生活に関する知識や計画性など全くなかった。

「歯ブラシやタオルを買って、この棚にしまえよ。冷蔵庫のここを開けると、ほらここで氷作ったり、アイスとかとっとけるから」
「ああ、ホントだ」

 少年の生活費をサポートする青年が管理し、必要に応じてその都度、手渡す。
 渡せば渡した分、少年は使い切ってしまう。

「なんで俺が俺の金を使うのに、あんたに口出されなきゃいけないんだっつうの」

 夜遊びの金をもう少し欲しい、と少年がねだった挙げ句の会話。

「感謝はしてるよ。でも、関係ねえじゃん。言わせてもらえば、あんたらみんな、偽善者じゃん。大した力もないのに、余計なお世話だっつうの……」

 青年はじっとこらえつつも、少年の言葉を受け止めてました。

 なぜ、胸ぐら掴んで拳を振り上げんっ!

 と、器のちっちゃいわたしは悶絶してしまいました。
 手を出したって、それは所詮、己の感情の一時的な解消にしか過ぎず、解決のなんの助けにもならない。
 いや、むしろ妨げとなることは確実です。
 一時の感情に任せ、考えるより先に口にしてしまうこともあるし、口にしたからと、それが本心とは限らない。やがて変わり、理解できるようになるのかもしれません。

 青年はきっと、少年に対してのより良き明日のために、ぐっと飲み込んだのでしょう。

 そんな人々と同じ社会で、わたしたちは暮らしているのです。
 別世界のひとたちというわけではないのです。

 わたしも彼らと同じ社会のひとりなわけです。

 だからどうしろ、というわけではありませんが……。
 街の隙間に耳を澄まし、目を凝らし、己の足元を確かめ、地面をしかと踏みしめて立つことをおろそかにしないように、と思わされました。



2008年05月25日(日) 祭りとあとの祭りと可愛げのある目方

 今日もまた、祭りです。

 五條天神社大祭

 上野の神社で医薬の神様を祀っているとのこと。
 ご利益が医薬学界にいただけますよう……。

 アメ横を御神輿が通るのです。上野松坂屋の裏に詰め所が設けられ、各町会の担ぎ手たちがアメ横の小路に待機している光景は、ある種の独特さを感じました。

 これで、近所での大体の祭りはひと段落です。
 再来月の「入谷朝顔市」あたりくらいまで、行事はないと思います。

 なんだか本当に、ひと段落、という日にしようと思い、ちょいと色々と整理しようと……汗
 頭も心も、すっきり。

 来月再来月と押し寄せる波を乗り越えるために……。

 そして今朝方、目方に乗ってみました。

 増えてました。
 五百グラムほど。

 パンツまで脱ぎ捨て真っ裸になり、しゃがみ込んでから目盛りをじっと睨みつけ計り直してみました。

 増えたのは気のせいだったようです。
 デジタルにもアナロジックな一面があることを知りました。

 体脂肪はどちらも十六パーセント。

 我が家の目方は、なかなか可愛げのあるヤツです。



2008年05月24日(土) 湯島天神例大祭と華麗なるまんてん「四分間のピアニスト」

 湯島天神例大祭

 に行きました。

 色鮮やかで、賑やかで……
 香ばしい露店の香りの誘惑。

 耐えました。耐え忍びつつ参道を抜けてゆくと、

「わっしょい、わっしょい」

 子ども神輿です。

「わっしょ、あっ」

 悲鳴と共に神輿が止まり、わらわらと大人子どもが輪に……。
 男の子の靴が脱げ、転んでしまったのでした。

「ほら、小さい子を前にしてやれって言っただろ。ほらほら、みんな替わって」

 世話役の兄さんが仕切り直し、再び出発。

「わっしょい、わっしょい」

 微笑ましく見送り、気がつけば「湯島古式蕎麦」を通り過ぎていました。
 坂を戻るのも面倒と、そのまま直進し、神田明神へ。
 神田明神では結婚式が行われてました。

 白無垢、角隠し、祝詞に三三九度。
 ええなぁ……。

 ひとの幸せに負けて我がこころが折れたらいけない、と言い聞かせ、懐かしの味「ライスカレー まんてん」へ。
 学ラン姿の小さな後輩たち(中学かしらん)の姿があり、さらに奥には大きな後輩たち(大学生)の姿も。
 わたしがもしゃもしゃとかつカレーを頬張っていると、大きな後輩たちが「ごちそうさんです」と席を立ち、マスターが小さな後輩たちに、

「こっちの先輩が払ってくれたから」

 とひと言。

「ありがとうございます」

 知り合いとかじゃあないです。
 たんなる、学校繋がり、なだけです。

 明中高生御用達の「まんてん」ならではの光景。

 ……?

 おまいら、校舎は調布に移転しとろうが。
 なんで神保町におる?

 などと理由を想像しながら、彼らよりもっと大きな先輩であるわたしは、自分の分だけお勘定を済ませてました(笑)

「ライスカレーまんてん」にて思う。

 人生(ライフ)に華麗(カレー)に勝つ(カツ)なんて思わない。
 最期に自分で「まんてん」を点けられるようなものであればいい。

 と……。

「四分間のピアニスト」

 をギンレイにて。
 ピアノの才能を持つ女囚ジェニーが、その才能を見抜いたピアノ教師クリューガー老婦人とのレッスンによってコンテストに出場してゆく。
 恨みをもつ看守によって大部屋に移されて、寝ている間にベッドに縛り付けられたその布切れに火をつけられたり、コンテスト直前にピアノの鍵をかけられて練習をできなくされたり、それを乗り越えてゆく。

 とまあ、そんな話です(笑)

 私は誰にも頭を下げたりしない。

 そして最後に、やられました(笑)
 ピアノを弾きたくなる。
 いや、弾けるなんて、なんて羨ましいっ。
 と思わされました。

 だって、強く叩けば強く、弱く叩けば弱く響き、自分の気持ちをダイレクトに表現してくれるんですもの。

 表現できるものを持っているひとに、憧れます。

 そういえば、その最も身近に感じられる、刺激を与えてもらえる舞台を観に行かなくなって久しいです。
 メジャーじゃなくて、アングラ小劇団系がいいんです。

 駄菓子屋本舗の舞台も、せっかくの機会に行けなかったりすることが続いてるし。

 どこか近くに劇場やらないかしらん……?汗



2008年05月22日(木) 立って待って迷って祈って

 今夜は立待月。
 立って待ってるうちにお月さんが顔を出す、と。
 ところがいくら待っても出てきやしないっ!
 そりゃあ、この曇り空じゃあ出ていても見えるわけがない。

 着地点が見えると、誰しもがこころなし安心を覚えるものです。
 なんとなく、見えました。
 あとは竹と筆を走らせるだけです。

 その前に……。
 本気で遠野にゆこうかと、調べてみました(笑)

 いけるもんですね、土日だけでも。

 金曜夜に夜行バスで出発して、朝一番に到着。一泊して日曜夜に夜行バスで朝一番に上野に着き、着替えてさあ会社、と(笑)
 ネットであやうく「予約する」を押してしまいそうになりました……。
 迷います(笑)

 迷って、迷いながら……。

 迷い家が、わぁを呼んじょるがっ!
 箸一本でも、持ってさ帰らんと。

 血迷わないことを、我がことながら祈ってます……汗



2008年05月21日(水) 生まれいづる望みと願い

 いい感じで、わたしの中がからっぽになってきました。

 竹に始終引っ掻き回されていてはたまりません。
 適度な距離感が必要なのです。

 竹との距離ができると、ようやくわたしのものさしの世界に戻れるのです。

 なにはともあれ、書くことだけが真ん中に揺るぎなくどっしりと構え、それ以外はお構いなしな日々のしわ寄せを、どこかでそのツケを払わなければならないということもあります。
 それだけでなく、束の間のわたし主導の時間を有効に使わなければ勿体無い。

 仕事の段取りも確認したし(なぜわたしがやっているのかわからんが。笑)、今のうちにわたしの目で耳で感情で、街に溢れるものやことに触れておかなければ……。

 なんも考えないでいい時間は、久しぶりで心地よいものです。
 たとえその水面下で、竹があれこれ画策しているのだとしても(笑)

 なにを思い立ったのか、帰りにぐるっと赤坂を回ってみました……。最初は、お隣の日枝(ひえ)神社の境内をのぞいてみようという好奇心から。

 参道にエスカレーターがついてるんですもの。是が非でも乗ってみたいじゃないですか。

 乗りました。
 くるぶしほどの段差しかないエスカレーターで、ゆるゆると……。
 TBSを振り返りながら、このじれったさを紛らわして(笑)

 日枝神社とあわせて、山王稲荷があるんです。その参道から出て行こうとしたら、細い石段に小鳥居が一段ごとに連なっているじゃないですか。

 行きを通っていないのに帰りだけ通ってもよいのかしらん、とは思いつつ、引き返すのもなんだか悔しいので、通ってみました。

 やっぱりなんか、空気が違いますね。
 憑き物を落とすとか、逆に憑くとか言われても、べつに不思議な気がしないです。
 で、そのまま赤坂サカスへ。
 先日の「朝ズバッ」で、我が麗しの根本美緒さんが、吹きつける風雨のなかでびしょ濡れになりながらも天気を伝えてくれた場所に、行きました。

「待っちょれ、おいがバスタオル持ってすぐに駆けつけちゃるけんのっ。濡れんごと冷えた身体を包んで、あっためちゃるっ!」

 と、朝六時半ころの寝起きの頭の中で叫んでたりしてました(汗)

 あかん。
 やっぱりなんかが憑いてたみたいです……。

 この足でミッドタウンまで行ってしまおうかと、平田牧場の魅力に誘われかけたけれど、引き返しました。

 冷蔵庫に白飯と納豆がわたしを待っているので……汗

 突然ですが、今になって後悔してます。
 遠野にいっときゃあよかった……と(汗)
 もう遅いけど、今年の夏、頑張って行ってこようかしらん?

 さて、昨日友人が第二子を出産いたしました。

 こころから、おめでとう。
 千の言葉でも伝えきれない気持ちであれば、たったひとつの言葉だけを送ります。

 昨夜は十五夜、別名「望月」
 字のごとく、

「望みがかなう」

 の意。

 新しい生命という彼女ら夫婦の願いがかない、そして……。
 新しい生命そのものがまた、自らのたくさんの願いを、望みをかなえるために、産声をあげる。

 今夜は十六夜。
 既望。

 お月さん、どうぞわたしの分まで躊躇ってくださいな。
 何の願いがかなってくれているのやらわからんが……汗



2008年05月20日(火) 望月とよかろうもん

 きさん、なにしよっと?
 つやばつけてからぁ。
 気にせんでよかろうもん……。

 福岡の血が半分流れてるわたしです。
 田舎はもう、わたしが幼稚園に入る前に、とうになくなってしまってますが……汗

 綺麗な十五夜です。

 不忍池のほとりで、ぼうっと眺めいってしまいました。
 1000文字小説を応募してから気がつきました。
 前回佳作とった作品が、月とウサギを取り入れた内容でした。

 そしてまた、今回も(汗)

 締切の今夜は満月ですし、何か縁があって、ご利益かなんかがあって欲しいものです。

 はい。
 まだ自力のみに頼ることができない程度の力しかありません(汗)
 神様仏様、小学館様っ!笑

 不忍通りを辿る帰り道は、望月の光をずっと背に受けて歩くことになります。
 もし逆だったら、見上げたまま、きっといつまでも帰れないかもしれません……。

 たまに振り返り振り返り、月の陰を見遣りながら、ぼちぼちと。

 谷の中 望月浮かぶ池の端
 我問うことに 彼ぞ答えん



2008年05月19日(月) 慣れと甘えと必要なもの

 久しぶりに1000文字小説を書いてみました。
 昼休みにふと、そんな衝動に駆られたので(笑)

 1000文字って、めっちゃくちゃ、今までの長編の書き方と勝手が違います。

 最初、導入だけで1000文字をはるかに越えてしまい、昼休み中はそこまで。慌てて書き方を変えました。
 これとこれとこれ、あとは削除して……。

 まずは骨、そして神経血管内臓、それから肉やヒフを徐々に着せてゆくのではなく……。

 とにかく、まずは骨っ、そして皮っ、余った隙間に肉を詰め込むっ!

「書きたいこと」と「書くべきこと」の境界に、非情なまでにざくっと刃をいれ、切り落とさなければなりません。
 この作業にまったく手を着けずに長編を書いていたなんて、

「なんという過ちを犯していたのだろう」

 と思ってしまいました。
 超短編・掌編小説といわれる原稿用紙三枚程度の小説と、長編といわれる百枚二百枚以上の小説とでは、もちろん書き方も考え方もまるっきり違います。
だけれども、緊張の緩和、が必要なのです。
 緊張ばかり緩和ばかりじゃあつまらない、緊張のなかに緩和があるからこそ、味が出る。

 自分の肉は落としてるくせに、作品の贅肉を落とすことをおろそかにしていたのかもしれません。

 だけど、わたしの肉は自然に落ちていってくれたんだもの。
 そんな風に作品の贅肉も落ちていってくれたらいいのに(汗)

 本来、赤を入れることが贅肉を落とす役割のはずなのに、逆に増えてくばかりというのはどういうことだったんでしょう?
 それはきっと、自分を甘やかしている、ということなのかもしれません。

 慣れるということは、甘やかすということ

 と、背中合わせです。
 なんだかんだと、わたしはすっかり自分を甘やかしているような気がします(汗)

 余ったもの、いまは必要ないもの、全部捨ててしまえっ!
 ……それでも、捨てきれません。
 貧乏性なもので(汗)



2008年05月18日(日) 三社祭と「僕のピアノコンチェルト」

「ェッサっ、ェッサっ」
「せぃやっ、せぃやっ」

 はい。
 浅草は三社祭です。

 我が家から徒歩四十分。
 電車使っても三十分なので、迷うことなく徒歩で行きました。

 やっぱり、祭りはいいですねぇ。
 御神輿を担ぐ掛け声が、粋な鯔背な老若男女が、とても心地良く身体中を酔わせてくれます。

 遅い朝昼兼用食にと向かった、三大藪のひとつ「並木藪蕎麦」は、三時をとっくにまわってるというのに大行列。
 なくなく諦めました。
 振り上げたわたしの拳のやり場は……。

 そう、祭りといえばお好み焼きです。

 もちもちでジューシーで、もうたまりませんでした。

 裏道で休憩していた担ぎ手さんたちの傍でひと休みしていたら、

「おう、立ってないで座ったら……あっ」
「はい?」

 間違われてしまいました。
 バリバリ、ジーンズなんですけど、わたし。

「わりっ、間違えた」

 いやいや、どういたしまして。
 皆さん、ひと仕事のあとのビールで顔が真っ赤でした。
 本当は日焼け、なのかもしれませんが……汗

 そして、また徒歩で上野までもどり、そのまま飯田橋はギンレイホール、マイ・シアターへ。

 どんだけ歩いてるんでしょう……。
 そうは言っても「片道一時間程度」です。

「僕のピアノコンチェルト」

 超天才児が、天才であるがゆえの苦痛から身を守るために、とある事故を境に凡人になってしまったふりを始める。

「決心がつかないときは、大切なものを手離す必要もある」

 祖父が、苦しんでいた彼に送った言葉。

 やっぱり、天才は天才です。
 手離しても、その核は失われないのだから……。

 凡人は、手離したらその手からこぼれ落ちたものを、なかなか取り戻すことはできない。

 ……皆さんは気をつけてください。
 手離すなら、覚悟をして、腹をくくって、それからにするように(汗)



2008年05月17日(土) 川上弘美さんとテーマと、やりたいことをやるということ

 さて「鮫肌男と桃尻女」を眺めながらの原稿打ち込み。
 もう勘弁して、と四時過ぎに枕に突っ伏しました。

 目が覚めると……。
 あきゃっ。
 川上弘美さんがブランチに出てるっ!
 このタイミングで目が覚めたわたしって、なんかすげえ。

 恋愛小説のカリスマ

 だなんて紹介で言ってたけど、なんだかそれは違うよ、と思いつつ、じゃあなんて紹介するのかを考えてみると……。

 本人曰わくところの「うそ話」、で、もやもやざわざわしたひとの根っこのところの切り離せない思いを、じれったく愛しく描く人

 とでもしか言いようがないわたしの語彙の貧しさを痛感してしまいます。

 インタビューのなかでテーマについて尋ねられたとき、川上弘美さんはこう答えていました。

「その質問がわたしにとって、一番、難しい質問ですね。
 何が、ではなく、何か、をわたしの作品を読んで感じてもらえたら。
 それがなんであれとてもありがたいと思っています」

 そうなんですね。
 もちろん、ひとつのテーマをきちんと主張する必要もあります。
 だけど、「こんな世界」「こんな人」というものを描き、それを見たひとそれぞれが、同じではないそれぞれが感じるものを感じるままに、というものもありなのです。

 テーマはなに?

 と聞かれても、たしかにわたしは困ります。
 これを言うためにこれが書きたい、だから主人公はこうで、こんな設定で……だなんて、なかなか書けません。

 唯物論と唯名論の議論と同じかもしれません。

 名前がまず存在し、それに当てはまる物を見つけるのか……。
 物がまず存在し、それに当てはまる名前を見つけるのか……。

 わたしは後者のほうです、おそらく。

 行く先はボールに聞いてくれ的な作品を、四時間の後の中休みの今を挟んで、残り三時間(?)の予定であげてみせます……。

 ところが、肝心なときに、ノートPCのAC電源を忘れたことに気づきました。

 サザエさん♪

 平日仕様のバッグを疑いもせずにでかけたわたしが、あさはかでした……。
 だけど、よく五時間も保ってくれました。
 マイ・スイート・ハニー!
 帰ったらたっぷり充電してやるからなっ。
 充電しながら、あと少しだけ、頑張らせるけど……汗

 もう少しで原稿があがってたのに、先にバッテリーがあがっちゃうなんて、なんてナイスな展開。
 身を挺してのギャグ?

 ウケではなく、賞を穫りたいのが本音なのに……賞、いや笑
 てか、仕事でもなく、義務でもなく、求められてるわけでもなく、見返りがわずかでもあるわけでもなく、なぜこんなことをやってるんでしょう……?

 その答えはひとつ。
 やりたいから。

 もう笑うしかありません。
「ぶわっはっはっ!」
 と。

 というわけで(笑)
 締切三十分前に、無事原稿データを送信し終えました。
 データ提出って、いいですねぇ、楽で。

 よしっ。

 竹の濃ゆい時間が長過ぎると、たったの一日二日が一週間二週間まるまる仕事休んでたような感覚に陥ってしまいます。
 五速で全力で漕いでる世界から、そのまま一速の世界で漕いでるような……。

 所詮妄想の独りよがり、と言われようとも。
 生き急いでいる錯覚に何度も陥ろうとも。
 普通というすべてを引き換えにしようとも。

 それが、
「やりたいことをやる」
 ということ。

 じゃないのかしらん……?



2008年05月16日(金) 切ってギャップと充電池

 ベルトの穴、ひとつぶん、切り落としました。
 事務所の片隅でチョキチョキやってたら(そんなとこでやるな?)、

「チマチマ切ってないで、でかいカッター借りてきてやろっか?」

 鉄筋を切断するためのゴツいを通り越したカッターのことです。

「どんだけ切るつもりっすかっ」
「ざくっと切ってやるよ。なんなら胴体ごとでも」

 勘弁してください(汗)
 衣類のサイズ(スーツ、ズボンの類い)が合わなくなってます。
 散財の予感(汗)

 アメ横スタイルで生まれ変わろうかしらん?
 地方のヤンキースタイル、とか……。
 いやいや、そんなコアなとこには行きません。

 さて。

 湯島で原稿の打ち込みをしようと思ったら、お隣の女性がカタカタ使っているのがわたしのと同じノートPC(工人舎)。
 なんだかバッグから取り出しづらいです。

 不忍池の水面に映る月を、どうして掬い取ることができないのか。
 今ならできてしまいそうな、そんな気分です。

 竹で四時間、いや、ほんの小一時間、違う、時間のない世界にしばしいただけのつもりが、こちらでは四時間も経ってました。

 このギャップ、何とかしてくれ(笑)

 出版社だとかの締切ではないので、あと二十四時間ちょい、まだ時間はあります。
 十二時間、いや八時間あればなんとかなるでしょう(笑)

 よし、ゴールは見えた。
 ついでに、わたしのバッテリー切れの限界も見えてきました。
 携帯のバッテリー切れの限界も……汗

 早く家に着いて充電せねば。



2008年05月15日(木) 刻む夜

 ペンと原稿(ノート)を取り出し、眼鏡と腕時計を外してコトリと卓上に置く。

 はい。
 竹、入ります。

 今宵は十日夜。
 月頭の朔夜、曇天とは違います(笑)

 どうだこんちくしょうっ

 と、赤を入れ終えるたびに過去の自分をテーブルに叩きつけます。

 ある意味、快感、です(汗)

 卓上で時を刻んでいる腕時計。
 電池が切れ、アメ横の時計屋で交換しました。

「随分、使い込んでますね。オーバーホールとか、そろそろしたほうがいいかもしれませんよ。買った店とか、覚えてますか」
 ええまあ、とうになくなってるのも知ってます。

 それに、オーバーホールって時間とお金がかかるじゃないですか。
 それなら同じ値段の、それこそアメ横で買ったほうが得だし、ある意味で安心だし……。

 この時計は、これまでどれだけの時を刻み、これから刻み続けるのでしょうか。

 懐中時計を手に入れるその日まで、頑張ってもらわなきゃなりません。

 いや、それは言い過ぎました(笑)

 でもいつかそんな日がくることを祈って……いや、くるように、今日もまた今日を刻みます。



2008年05月14日(水) 「おせん」千駄木谷中銀座夕焼けだんだん作り手の義務

 ドラマ「おせん」ですが、今さらながら、舞台となっている一升庵は千駄木という設定で、ご近所の谷中銀座はしょっちゅう出てきています。

 平日朝とかにロケやったりしてるんだろうなぁ。
 見れないじゃん……。

 などと残念に思いつつ、蒼井さんもここ谷中の同じ空気を吸っているのね……などと妄想にうつつを抜かしてみたりしています(汗)

 以前「おせん」のオープニングに目を奪われてしまったという話をしたと思いますが、ドラマを観ていると、ふと興味深い発見をしてしまったような気がするのです。

 これはもちろん、わたし個人の主観的なものなので、賛同していただけるかどうかは別にかまいません。

 蒼井優という女優の魅力は、顔、とりわけその目、だと思っています。
 そんな見方をしていたから気がついたのかもしれません。

 ドラマの合間のCMで、イオンのCMに本人が出ています。

 ドラマ中の蒼井さんと、まったく違います。
 蒼井優である必要性がまったくないCMに見えるのです。

 ただ「蒼井優」が出ているCMという看板だけのCMのようにすら思えてしまい、ただひたすら勿体無いと思ってしまうのです。

 表情がわかるようなカットがほとんどないんですもの……。

 逆に言ってしまうと、じゃあ蒼井優は目が顔が見えないと演技ができないのか、という意見もあるかもしれませんが、それは違います。

 その人が持っている魅力を最大限に生かす。

 それこそが、作り手の義務であり、責任でもあるように思うのです。

 ……。

 同じ事を、わたしはわたし自信に言わなければならないかもしれません(汗)

 不思議なものです。
 一年以上前の作品に赤入れをしていると、ものの書き方自体が随分と変わっていることに気がつき、そして苦しくなります(汗)

 ひと言で書いてある言葉を一行二行と書かずにいられなかったり、逆に一行二行をひと言で書ききってしまわずにいられなかったり。
 その当時にしか使わない言葉を使っていたりするのなんか、とくに顕著だったりもするわけです。

 言葉は生き物です。

 生き物を文字という決して変わることのないもので繋ぎとめてゆくことには、ある意味限界があります。
 限界を超えるために、必要最低限の言葉で余白を想像で補わせる表現をしなければならない……のかもしれません。

 過去の文芸作品には、その当時ならではの言葉、物、事象を記録的に用いることによって評価されているものもあります……。

 どちらも方法でいい悪いはありません。

 さあ、わたしはどうしましょう……汗



2008年05月12日(月) 赤入れて「偶然の祝福」

 赤入れ原稿、もういっこ増やすことにしました(笑)

 なんだか自滅の道を歩み始めてる気がしなくもないけれど、次回の締切までまだ二ヶ月ある……。

 て、もうアカンやん(汗)

 いやいやなんのその。
 最悪、イチから組み直して別作品を別締切に向けて手を着けることも考えられます……汗

 二股三股できるほど、わたしのこころは広くありません。
 だから一個選んだら、その他は熟するまで保留据え置きです。
 これで三作品目になるかもしれません。一個なんか、カビ生えて朽ちかけてるかもしれないほど、放置されてます。

 ふと振り返ってみると、超短編で受賞したのはおおよそ三年前、倒産した某社のに入選したのもその後すぐ、小学館の「きらら」だって二年ほど前のこと。

 長編に鞍替え(?)して、まだそれっぽっちしか経っていない。

 いや、そんなにも経っている、が正しい表現なのか……。
 いたそばからの赤入れと違い、一年強の月日が経ったものへの赤入れは、正直、色んな意味でしんどい。

 その「しんどい」と感じる分、今の自分が前へ進んでいると思いたい。

 さて、

 小川洋子著「偶然の祝福」

 書棚で目が合ってしまいました。
 浮気して読んでしまいましたが、手にしてみてよかったです。
 しかも、解説が川上弘美さん……。

 目が合うわけです(笑)
 短編連作なので、お薦めです。
 乾いていて、軽くて、気付かぬうちにピッタリと貼り付いているような文体。
 サラサラと流れゆきそうなはずなのに、けして流れ尽き消えてしまうことなどないような風景。

 今さらながら、わたしは小川作品も好きなんだなぁ、と思い知らされました……。



2008年05月11日(日) 祭りだ祭り! そして空っぽ。

 ふらりと氏神様の根津神社をまわり、なんとはなしに、そのまま上野へてくてくと。

 この週末、

「下谷神社大祭」

 が行われてたのです。
 よかった……。
 自分の、もはや本能とやらに、驚きと感謝すら覚えます(笑)

「エッサ、エッサ」
(エッサ、エッサ)

 御輿が小気味よく揺れ、鯔背な掛け声が胸に響きます。
 だからこの街は離れられん……。
 さらにお茶の水で、

「太田姫稲荷 例大祭」

 が……。
 この時期だからわかるのだけど(汗)

 太田姫稲荷とは、江戸の都市計画の重要人物である、太田道灌と縁の深い稲荷です。
 彼の娘が天然痘を患い、太田姫の命(ミコト)と名のる翁の霊驗により、すっかり回復したという話があります。
 元はJRお茶の水駅のあるところに本宮があり、今でも聖橋の脇に神木(?)が残されてます。

 さて。
 八キロ減、のご褒美に、久しぶりのオリジン弁当で唐揚げを買いました。

「お久しぶりじゃありません?」
「ええ、まあ」
「それに随分痩せられて」
「去年の夏から、八キロ、落ちたんですよ」

 その瞬間、隣で壁のメニューを見上げていた女の子が

「え、なにっ?」

 という勢いで振り向いてました(笑)

 なあに、別にたいして難しい話じゃあない。
 よおくお聞きなさい。
 肝心なのは、大盛をやめるだけ。あとは普通に昼飯を食う。
 そして夜食を蕎麦と野菜ジュースをメインにする。
 ただこれだけでさあ。

 間食なんてもちろんしない。眠気対策にガムをクチャクチャするくらいだから、誰とも変わりっこない過ごし方ときたもんだ。

 さあ、ただそれだけだ。

 女の子の参考になるならないは知ったこっちゃねえが、旦那彼氏にこれをやらせてみい、ちっとは効果があるかもしんねえぞ?

 ……また誰かが(汗)

 この週末、すっかり空っぽにするために費やしました。
 空っぽになるからこそ、見えてくるもの。

 見えると逆に困ってしまうものだってるのだけれど(汗)



2008年05月10日(土) 消えたいものと「再会の街で」

 ガツン、とヤられました……。
 文學界新人賞作品の選評を読んだのです。

 もちろん、わたしとは星の距離ほどかけ離れた作品たちのお話です。

 仕事でなければ、三行で放り投げてるね。
 もやもやばかりがたまってしまった。
 小説という形の文字列を求めているのではない。

 回を重ねるごとに、辛評から嘆評が増えてきている。

 ……。

 脳みそを鷲掴みにして、くしゃりと握りつぶされてしまいたい気持ちになります……汗

 選考委員の前段階で、いわゆる一次二次選考でふるい落とされているにもかかわらず、

「こんな程度」

 と評されてしまう、低レベル化が嘆かれているわけです。

 ヘコみます。
 その歯牙にもかからず、そのずっと低いところにいるものとしては(汗)

 いや。「歯牙にもかかっていないのだから、関係ない」と、前向きに考えておきます(笑)
 よかったです。
 応募原稿を出した後でそれを読んで……。

 久しぶりに神保町の「ライスカレーまんてん」で昼食を。
「かつカレー」です。ゲンを担ぐ、というか(笑)

 こんなにボリュームあったっけ?

 と。
 腹はぎゅるぎゅる減るくせに、一度の量を食べきれない感覚になってきているのかもしれません。

 体重が、下がり始めてるようです。

 昨年七月からトータルで……

 八キロ減!

 知らないうちに、すげぇ(汗)
 年末までで五キロ減らして、そのまま気がついたら。
 ばっちり基準体重です。

 もとい。

 あと二キロ落ちれば、高校時代のバリバリの体重に戻ります。
 あの頃は筋肉バリバリ。
 今はその筋肉などありませんが(笑)

 本格的な筋トレを始めたら、いったいどうなるんでしょう?汗

 そして。

「再会の街で」

 をギンレイにて。
「9.11」でその飛行機に乗っていた妻と娘たちを失った男チャーリーと、大学のルームメートだったアランが再会する。
 チャーリーの家族のことを知らないアランにのみ、心を開いてゆくが、やがて家族を失った傷を癒すべくアランが説得を重ねる。

「ボストンの空港からの電話が最期だったんだ。それなのに、出かけようとしてた俺はつい、怒鳴ってしまった。帰ってきたら娘たちと相談した台所のリフォーム案がある、なんて、そんな話は後にしろっ、て。最期だったというのに」

 チャーリーはずっと、何度も、ひとりで台所のリフォームを繰り返していた。

 あなたが最期に、大切な人に贈るとしたら……。
 どんな言葉を贈りますか?

 ムチャクチャ、ネタにかぶってます……汗

 妻の両親に、チャーリーは言います。

「あんたたちは悲しみを分けあえる。だけど、俺はひとりきりだ」

 失った家族のことに触れまい、と記憶に蓋をし続けてきた彼は、ことさらに家族のことに触れたがる人間を遠ざけてきました。
 アラン以外の友人も、彼の家族のことをよく知っているものはみな、連絡を断たれていました。

 心的外傷を、アランをはじめとして徐々に治療してゆこうという気持ちになってゆきます。

 ……て、彼の痛みを理解できているという彼好みの美女の登場があるのですが、なんやねん、それ(汗)

 結局は、女かいっ!

 それだけが腑に落ちませんでした……。



2008年05月07日(水) 東京タワーと浮き世唄話

 引っ越した本社に初顔出しです。
 田町です、三田です。

 駅に向かう途中、バッチリ東京タワーが見えます。

 しょっちゅう見ているはずなのに、今夜に限って笑ってしまいました……汗

 〜〜〜…〜〜〜…〜〜〜

 あんたはわたしをいつも見てるよね。
 かつて見上げた、灰色に変わった空にも、凛として立っていたし。

 そして今もまた、立っている。

 わたしは、あんたの周りをぐるぐる回るように過ごしてる気がするよ。
 いつになったら、あんたの天辺にわたしは上れるんだろうねえ?

 沈黙が答えかい。
 いつでもそうだよ。
 まるで、こっちのを全部見透かしてるみたいな顔をしてやがる。

 いったい、いくつの「しょうがない」を見てきたんだい。
 でっかい「しょうがない」が始まりで、全てだって?

 へん。
 言われなくてもわかってら。

 ぐちぐちぬかすなら、とっとと尻尾巻いてキャインて鳴いちまえ、て?

 阿呆こくな。
 いつかあんたの天辺で、叫んでやる。
「……!」
 て。

 〜〜〜…〜〜〜…〜〜〜


 さあ、何て叫ぶのでしょう?
 こんな風に考えていられたら、きっともっと……汗

 冗談話で、現実的な話が小耳に挟まってきました。

 本当の話になったら……ドタバタしそうです(笑)
 そうなったらいいような、でもやっかいそうな、そんな冗談話なので。
 たぶん冗談でしょう……汗



2008年05月06日(火) さよなら。いつかわかることと、なりふり構わぬ覚悟

「さよなら。いつかわかること」

 イラクに出征した妻グレースの帰りを小学生の娘二人と待つ夫スタンレー。彼の元に妻の訃報が届き、衝動的に娘たちを連れ小旅行に出かけるが、なかなか伝えることができないまま、目的地のテーマパークに辿り着く。
その帰り、意を決してスタンレーは娘たちに伝えるべく車を海岸の砂浜に止める。
 そして……。

 いいです。
 もの凄く、いいです。

 留守電の応答メッセージの妻の声に、スタンレーは道中話しかけるんです。

「どう話したらいいのかわからない。君ではなく、僕が行っていればよかった」

「君に謝りたかった。僕ではなく君が行くことが恥ずかしくて、僕は不機嫌だったんだ」

 長女は父の違和感を感じ取り、留守電をこっそり出先から再生して、父の母へ語りかける言葉を聞いてしまう。
 それでも、父には知らぬふりで何も知らずはしゃぐ妹とテーマパークで遊んでみせる。

 途中に立ち寄ったホームセンターで、中に入れる家のおもちゃの中に潜り込み、「ママが恋しい」と本音をこぼす下の娘と長女をギュッと抱きしめ合う三人のシーンは、グッときました。
 そして、ついに話すことを決意したラストシーン。

 父は娘たちに、どんな言葉で伝えたのか……?

 セリフを流さずに伝える演出は、素晴らしかったと思う。
 派手さはないが、大切なひとと観るにはお勧めです。
 タイトルでひかれるかもしれないけれど(汗)

 ……。

 くそっ。案の定、かぶっちまってるじゃあねえか……汗

 書く気ぃ、無くさせられちまいます。

 それでも、書く?

 歩行者天国の空に、子どもの手から離されてしまった水色の風船が舞い上がってゆきます。
 あれが空色に溶けて見えなくなったなら……。

 書くしかないでしょう。

 空に溶けるなどありえないけれど、瞼の裏にいつまでも水色の風船が浮かんでいても、子供が泣き叫んで駄々をこねていても。

 それでも、しょうがない。

 しょうがないのだから、笑われたって、つまずいたって、また立ち上がって、ファイティングポーズを構え、踏みとどまって……。

 太陽に背を向け、白い月と流れる星に、願う。

 夏へのはじまり。
 待っていやがれ!笑

 そして、前作の長編の赤入れ、終わりました。

 前半は、まあなんて赤一色、な散々な状況でしたが、とりあえず伏線を混ぜるなどしない方向での赤はひと段落です。

 これ、来月末のに出し直してみてもよかかしらん?汗

 審査の下読み担当者って、他賞のとかけもちが多いらしいから、同じの送ってやがる、とすぐにバレるらしいけれど……。

 打ち込みと再チェックはもちろんあるけれど、新作に本腰で取り組める。

 ……このまま、書くか?

 何かをやろうとするならば、なりふり構っちゃいられない、が当たり前でしょう。

 恥も外聞もかなぐり捨てなきゃあ、ね?汗

 その覚悟でやり始めたことを、忘れてました。
 そのまんまというわけではありませんが……。

 なまじ会社勤めを復活させ、ダレてました(汗)

「書くためならいつ辞めてもかまわない」

 と……。
 現実はさほど甘くはありませんが(笑)



2008年05月05日(月) 見せること笑わせること、求めるために与える?

 銀座「柳祭り」のパレードを見かけました。
 高校生のマーチングバンドの行進を見たのだけれど……。

 隣同士の同じパートで、同じ条件、なわけです。

 ところが、一生懸命やっている表情と、それでも楽しげな表情と、これほどまでに見ているひとに与える印象が違うのか、と。

「見せる」というのは、とても難しいことだと思います。

 一生懸命は当たり前。
 歯を食いしばるのも、当たり前。
 いや、食いしばるものではなく、見せて輝かせること。

 わかっていたつもり、でした。
 それでも、どこか甘えがあったのでしょう。
 わたしは「一生懸命やってれば、それだけでいいじゃん」と、危うくそんな人の肩をやさしく叩いてあげようとしていたのかもしれません。

「見せる」「見てもらう」って、そういうものじゃないよね?

 と、自分に対しては時々(汗)考えたりしますが、こと他人(自分にまったく関係のない人)に対しては、その「ひたむきさ」だけでよし、としてしまいがちなところがあったのかもしれません。

 だから今日、そんなことに気が付かされたのでしょう。
 珈琲が苦く感じました……。

 書くだけなら、誰にでもできる。
 書くために、何をしているのか。

 知識を並べるなら、誰でもできる。
 その背景に、何を見てきたのか。

 実際のこの目で、肌で、感じることを怠けていたように思います。
 自分でできなくても、より身近でそれを感じること。

 肩書きがない人間がそんな現場に足を運ぶことは難しいかもしれませんが、物書きの肩書きなんて、自分で名刺を作れば、それでもう立派な物書きなわけです。
 それを表に出すことから逃げてたのかもしれません。

 自分がやっていることを大声で人に言えない。
 それは、自信がないことの証明だったり、逃げだったり……。

 そりゃあ、言えないことも多少はありますが(汗)
 
 もとい。

 名刺はともかく、なまじネットだ本だで他人の知識や経験を目にすることができてしまうので、自分の言葉ではないのに、さも自分のもののように振舞ってしまう、または振舞わねばならないこともあるわけです。
 振舞うことは必要ですが、振舞っていると感づかれてはならないのです。
 それはやがて、歯を食いしばることと、それでも笑顔を見せること、の違いにも通じることです。

 歯あ食いしばるって自己満足でしょ?

 笑顔で見せるということは、それが自然にこぼれる笑顔であるにこしたことはないけれど、そうであるように見ているものに対しては、とことんそうであるように見せなければならないのです。

 ダンスで頭の上まで蹴り上げた足がびしっと伸びていても、その顔が歯を食いしばっているより。
 蹴り上げた足が胸までしか上がっていなくっても、とことん笑顔のほうが、見ているほうは楽しくなれる。

 もちろん頭の上まで蹴り上げて笑顔、にこしたことはないのですが……。

「コメディアンは笑わせてなんぼ。笑われちゃあならねえ。
 だけど笑われるなら、なにくそと笑われまいとやっきになるのもいいが、
 とことん笑われてみろ。

 それに、

 笑ってくれるから笑わせる、なんてものじゃあないだろう?
 笑ってもらいたいから、笑わせたいのかい?
 笑わせたいから、笑わせるんだろう?

 それでも笑ってくれねえからって手前が難しい顔してちゃあ、
 だあれも笑っちゃくれねえよ。
 見返りを求める笑いは、笑いじゃあないね」

 ちょいと間違えれば自己満足になってしまいます。
 だけどこれは、歯を食いしばることではなく、笑顔で見せることとも通じることです。

 反応を求めるために与えるのではない。

 ということ、です……。

 ……?

 いや、反応、ください。
 わたしの作品には、まだまだ反応が必要なので……汗



2008年05月04日(日) 「、」であり続けるタフさを

 完成!

 のつもりが、まだまだ赤が入る余地は充分ありました(汗)

 えろう、すんまへん……。
 m(_ _)m

 赤直して、打ち出して、綴じて。
 それでアップにします。

 もう、アップアップなものですから……汗

「、」か「.」か。

 物語に「.」を打つのは簡単で、過去いくつも打ってきましたが、「.」なんて有り得ないのです。
 しんどかったり恥ずかしかったり諦めてしまったり(汗)

「タフさ」を、どうかこの胸に……。



2008年05月03日(土) 「ONCE〜ダブリンの街角で」

 応募作品完成?
 のつもりです(汗)

 たかが三行ちょっとオーバーなんて、なんのその。
 ちょいと赤を入れてみたら、すっきり解決。

 11,940文字!

 締めの「了」の字を入れてですが、なんだかキリの良い数字じゃないですか。
 これで行きます。
 いや、もう一回打ち出してみて、それからに……汗

 真剣な応募テーマに合わない色合いですが、それはそれ(笑)

「高齢社会を、生きがいや世代間交流を交えて、生き抜く様を描く」

 ……はずれちゃあいない、と思います(汗)

 さて、久しぶりに

「ONCE〜ダブリンの街角で」

 をギンレイにて。

 メインのテーマ曲があるのだけど。
 どうして、こう、こんなにタイミングが合うのだろう……汗
 なので内容紹介は置いときます……。

 さて。

 妄想力の勝負です。
 もはやバテ気味ですが、「逆光」「Stand and Fight」で乗り切ります。



2008年05月02日(金) 「花まんま」と願わくば……?

「あと、ちょっと……
 たとえば、この吸いかけの煙草
 一本分くらい……」

 その通りです。

「だけど、そのちょっとが、なんて遠い。
 届きそうで、届かないから、 諦めきれない……」

 まさにまさに……涙
 三十枚作品の赤入れ、しました。

 12,068文字
 でした。
「68」て、そんな!

 規定は12,000文字です。
 改行後のスペースを除けば、11,300文字強、だというのに。

 無駄な言い回しを削ってゆきます。
 ええ、とある人物なんかとくにシツコイ言い回しさせてますから……。

「するってえと、おいらのことかい?」

「それは、私のことか?」

 ほら、もう六文字減った。
 ……なんかヤだ。

 直す度に本音が薄まってゆかないようにするのは、ムツカシイです。

 朱川湊人著「花まんま」

 直木賞作品です。
 解説が重松清さんだったこともあり、手に取ってみました。

 ……。

 なんだか、頭に残ってません(汗)
 これはきっと、わたしの頭がいっぱいいっぱいで、留め置くことができずに流れ落ちてしまったから、だと。
 作品がどうの、ということではありませんので……汗


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