夢見る汗牛充棟
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2005年12月31日(土) イワン・イリッチの死 トルストイ 付けたり大晦日〜

岩波文庫 赤619−3

ぶくおふで購入。 読了。

人が死に際に、自分の生とは何ぞやとかいろいろ考えるだろう
ことについて否やはないけどー。
そんなに考える時間がたっぷりあるような死に方は、やだなぁ。
人生なんだったのか?とか、何を悪いことしたんだ?とか何の
罰なのか?とか今までの全てが間違っていたからこんな結末なのか?
とか悶々と考えるのは、やだよう…。否定はしないけど。
生き方と死に方には大抵は、因果関係がないだろうけど
苦痛や悲しみが多けりゃ多いほど、何を間違えてこうなったんだろう
って考えるだろうなと思います。

深かろうが、緻密だろうが、あんまり好んで読みたい題材では
ないようです。がっくし。

たっぷりと、暗い気分になれました。うへぇ。



もうじき31日がおしまい。すると、2005年ともおさらばで
明日になったら2006年だ。

嫌な事件がたくさんあって。他人に尊厳を認めない人が世の中に
どれほどたくさんいるのかということに暗澹たる気持ちになることが
なんとも多い一年でした。たった一人のかけがえの無い人、をどうして
存在させてやれないんだろう。そうでなくても、命は簡単に失われて
しまうのにな。そう祈る人も多いが、そう祈らない人も多い。
人間の多様性。一人として同じ人はいないという所から導きだされる
のだろうけれど、相互理解の幻想を手放した社会では、恐ろしすぎて
暮らせないだろうと思う。

2006年、どんな年になるんだろう。

世界が平穏でありますように。

幼い子供が、平穏に命を繋げる社会でありますように。

生きているだけで何か踏みつけている両足を忘れずにいられたらいい。

そして、祈りが虚しくない世界であればいいと思う。


2005年12月30日(金) 影をなくした男 シャミッソー

岩波文庫 赤417−1

ぶくおふでなんとなく購入。読了。

ほろ苦ーい感じ。影、とはなんなんだろう。
お金で売ってしまった影ってなんなんだろ。

人であるということそのものか、それとも大地なのか。
人を大地に根付かせる止め具として影があるのかな。

なくしただけで、全ての人に白い目で見られてしまう。
社会から受け入れてもらえない。居場所がなくなる。
どんなにお金があっても、影がないという一事でもう
人から許容されず、ましてや尊敬や友愛など得られないのだ。
人間の枠の内に存在していなければ、人間から仲間とみなされない。
人間であるという枠の土台は、お金でできているんじゃないらしい。
お金や身分がなくても、人間から軽んじられるけれど、影の無い
人が軽んじられることそれより甚だ酷い。

うう。悲しいなぁ。

お金が欲しくて影を売った。お金がないと人間らしい
尊厳のある生活ができないから、売ってしまった。
お金を手に入れたけれど、人間じゃなくなっていた。
やっぱり、人間から相手にされない。さみしかろうな。

微妙に暗く悲しい気分になりました。


2005年12月29日(木) 聖ブランダン航海記 藤代幸一訳著

法政大学出版局

図書館で借り 読了。

元は、アイルランドの物語をドイツで民衆の物語として
出版したのがこれなんだそうだ。ちょっと騙されたっす。

大体大まかな形は一緒なんだろうけど。

ええと。説話とか、そういうの読んでるような感じでした。
でも、船を漕ぎ出すと、霧の彼方から、不思議な島が出現し、
どうのこうのっていうのは、すっごくケルトな感じ。
島に豪華なお城、ふんで金銀水晶紅玉翡翠…って夢ですね。
でも、持ち去ったら泥棒だと思うけどー。

海の向こうに漕ぎ出せばどこにでも異界はあったのかな。
今は、どうだろう。異界は、宇宙に見つければいいのかな。


マルドゥーンの航海…というの読みたいんですが。


2005年12月25日(日) アイルランド地誌 ギラルドゥス・カンブレンシス

青土社 有光秀行訳 2600円(税抜)

読了。
けっこう面白い。ちょっと欲しい。
もっと注釈を詳しく入れてくれたり、解説を詳細に
入れてもらえると、普通の本好きさんにはありがたかったかも。
厚さ、倍になってもいいからさ。

書いた人は、カドフェルのちょっとあと辺りの人ですね。
ええと、2005年11月6日のカドフェルのところ
で取り上げている『中世ウェールズを行く』のテーマ
になっていたウェールズのジェラルドさん、その人です。

征服者側のアイルランドについての記述ということに
なるんでしょうか。
好奇心の赴くままに、いろいろ土着の話を収拾してみました…
って感じなのかな?面白いです。

聖職者のはずなんだけど、本のあっちゃこっちゃで
あらわれる自己顕示欲というのが微笑ましい。
ええと、聖職者ってそれで、いいんだろうか(?)
いいんだろうな。

よくわからないんですが、キリスト教の聖職者でも
文中でユピテルとかアポロとかマルスとかそういう神々を
引き合いにだすんですが、そういうのは、OKなんですね。
もっと心の狭い宗教だと思っていました。

この人が、【ケルズの書】をべた褒めしてました。
現物を見て、頁を繰って、感じたものが感じてみたい。
写真でみても、すっごいですもんね、あれ。


第38章 奇蹟のように描かれた本

キルデアでおこった奇蹟の中で、私が最高に奇蹟的だと思うのは、
処女ブリギッタの時代に天使の教え示すところに従って描かれたという
驚くべき書物である。これはヒエロニムスによる四福音書対照表をおさめ
ページ数と同じ位多くの、多彩な色でじつに見事に彩られた図版がある。
そこには天から霊感を得て描かれた神の顔を見ることができる。また六つ
あるいは四つ、あるいは二つの羽を持った福音書家の神秘的な像を。
また、ここにはワシを、そこには子ウシを、ここには人の、そこには
ライオンの顔を。そして、ほとんど無限の、この他の図像を。
それらをもし皮相的に、普通に、ぼおっと見るだけならば、紐状の模様
というより、拭ったような跡が見えるだけだろう。しかしもし、いっそう
鋭く観察しようとまなざしを向けるなら、そしてこの作品のはるか奥まで
視線で貫きその秘密へと迫るなら、どこも人間でなく天使が精励して描か
れたのだと断言するだろうほど微妙にして繊細な、細かく緊密な、もつれ
結び合った、そしてさらに鮮やかに彩色されたからまりに気づくことが
できるだろう。確かに何度も入念に見れば見るほど、私はますます驚嘆
すべき要素に気づき、いつも初めて見る者のように驚くのである。


本を読んでいると、自己顕示欲旺盛で、名声への欲望もすごそうな、
ちょっと苦手なタイプの人かなぁと思うような書きようが多いのですが、
ここだけは、素直で真摯で率直な驚きと敬意が伝わってくる感じです。
どんな人でも敬虔な気持ちにさせる芸術を人の手が作り出すのは
本当にすごいことだなぁ、と思います。


2005年12月20日(火) プラトン入門 竹田青嗣

図書館で借り。 読了。

哲学に興味があるというわけではないけれど
アイルランド幻想…のあとなんとなくアイルランド、ケルト関連の
『聖者と学僧の島』(青土社)を借りて読んでなんとなくそこから
連結した感じ?

つか、『入門』って書いてあったから、わかりやすいかなー?
と思ったす。難解でした。ごめんなさい。

入門っつっても、多分きっと
プラトン全集でも一通り読んで、そいから
カントだのニーチェだのハイデガーだのヘーゲルだのマルクスだの
ホッブスだのルソーだの代表作一通り読んで、大まかに把握して
ないとわかんないんだわ。きっと。

まず、なにから読んだらいいのかすら、わからんかった。

哲学は、人間が人間ゆえの学問で、きっと猿にもわかるようは
書けないんだろうな。がっくし。

とりあえず、

哲学とは、言語を鍛えることにより考え方を普遍化してゆく思考法

なんだそうだ。ふんで、根底には誰もがもつ問いの類い

何故生きるか、何故死ぬか、など存在意義に関わる問いがある。

宗教も何故世界があるか、何故生きるかなどに答えを与えるが、
その宗教を持つ共同体の内のみでその答えは有効で、共同体の
枠を超えたらそれは、ただの神話(物語)となってしまう。

なるほどね。


プラトン全集は、図書館にあるけど、とりあえず岩波の一番
薄いやつ、『ソクラテスの弁明』あたりから手を出してみる。





プラトンさんは、20歳くらいの多感な時に、ソクラテスに出会って
傾倒した。ソクラテスは49歳年上のくせに子供じみてきっと可愛いげ
のある親父だったに違いない。
そんな年上の魅力に、プラトンさんもうめろめろ(死語)。
年の差にもめげず、ひたすら寄り添って、尽くしに尽くしたね。
そんでソクラテスの言葉攻めで、プラトンさんは自分の無知を顕にされる
たびに羞恥とともに快感を覚えたね。
きっとソクラテスを慕っていっつも悶々としてたね。若いから。
でも、きっとソクラテスはプラトンさんに最後の一線は許さなかったので
プラトニック、肉体のエロスを超えて魂が寄り添うような愛に自らを昇華
させたのでした。ちゃんちゃん。

でも、(敬)愛するソクラテスは、彼が28歳の時に処刑されて
死んでしまうわけで。…悲恋ですねぇ。

…ええと、ただの妄想です。ごめんなさい。
こういう、物事を茶化すくせをどうにかしたいです。来年こそ。





…ええと。でも、一生付いていきたいほどの衝撃のある師との出会い
というのは、いいですね。羨ましい気もします。

でも、朝から晩まで思索して思索して思索して、ひたすら言葉を
研ぎ澄ますなんて、喰うのに困らん人にしかできないなぁ、とも。

衣食足りなきゃ、礼節は知ったこっちゃないですよな。
悲しいけど。


2005年12月13日(火) ぬしさまへ 畠中恵

新潮文庫 書店で見つけて、減り具合と好みのタイプだったので購入。
読了。

うははー。面白かったですv
妖怪が出てて美味しいし。ほのぼのしてて、ほっとする。
短編連作ってな感じなので、気楽に気ままに読めます。
妖怪さん、萌え萌えvvv

面白かったので、「しゃばけ」を買ってしまいました。
積読あるのに。大きい方も、買いかねない。ああああ…。
ついでに、陰陽師シリーズも、買っていない巻があったから
買わなくちゃです。わし、本とDVD買わなきゃ、すげえ
金残るんだろうな(遠い目)

でも、自分の葬式の費用くらいの蓄えはあるんで、キニシナーイ。



最近、すごくすごく寒い。懐もだけど、気温の話です。
あまりに朝晩寒いので、ついにティーツリーの鉢を屋内に
入れました。昼間は日照があるから出してやりたいんだけど。
うーん。枯れるかな。枯れちゃうかな。
ポリポットに入っていた頃に比べたら、もう60cm超にまで
成長したのになぁ。葉っぱをすりつぶすと、ティーツリーの
エッセンシャルオイルと同じ香りです(当たり前なんだけど)


描き出される世界
線の霊性
胡桃の中の宇宙
塊の海 集合の空
極大の中の極小 極小の中の無限
有限の中に無限 無限を喰う有限の命
人の中でこそ意味をもつ虚構


恵 |MAIL