★悠悠自適な日記☆
DiaryINDEXpastwill


2005年04月24日(日) やさしいひとたち。

 不覚にも、新歓の飲み会で号泣してしまいました。新入生を祝ってあげる会なのに、こんなにもモロモロになっている自分って最低です。

 酔って泣いたわけではありません。私はもともとお酒を飲んでも全然酔わないので、お酒の力を借りてどうにかしようと思ったわけではありません。

 ただ、最近、自分がすごく弱っているのを自覚せずにはいられません。ご飯が一日に1回しか食べられない、夜中に急に不安になって目が覚める、体重が4日で3キロ落ちる、体の振るえ、学校に行くものの授業に出られない…なんだかとても不安定で不健康。友達や先輩からはやつれただの顔が青いだの言われ、もう、どうしちゃったの!?という感じです。

 自分がこんなにも弱るなんて信じられない。もっと元気で、ちょっとやそっとのことでは動じないくらいタフに生きていると思っていたのに。

 正直、参っています。今置かれている自分の状況に。噂や嘘、言葉の暴力や、考えなしの行動に振り回されて、かき回されて、人が見えなくなっています。真実を見極める目を失っています。私は何なのか。苦しい。イタイ、イタイ…。

 だけどそんな時、以外にも色んな人が私に優しく接してくれました。それは先輩だったり、同期の仲間だったり…。

「シマコは頑張りすぎやで。」
「シマコは悪くないから。」
「シマコは優しいから苦しいねん。」
「動けないのは、自分に自信がないからやで。」
などなど…。

 私のことをどこまで知っているのかはわからないけれど、その優しさは、唯一私に与えられた最後の希望のようなものに思えました。

 話を聞いてくれたり抱きしめてくれたり、そうしていると、なんだか抱え込んでいたものが一気に放出されて、ぶわぁ〜っと涙が止まりませんでした。気付いてくれたことが、嬉しい。

 ここ最近、私は、私はどこにいるのだろうという疑問をずっと抱いていました。仕事においても恋愛においても、私はそこに存在していない気がしていて、ふっと姿を隠せば、もう誰も私を思い出してくれないのではないかと不安になって、私のいないところで世界が勝手に進んでいく怖さに震えていました。

 だけど、ちょっと動けるかなって。助けてもらえるのかなって。そういう優しい人たちの存在が、そういう人が回りにいることが、私が手にした唯一の自信かもしれない。

 そう思うと、ちょっと頑張ろうという気になれました。問題は、何ひとつ解決していません。でも、自分の気持ちに正直に、ぶつかっていけば、そこでどうしようもなくぐちゃぐちゃにこじれてしまっても、私自身は腐らないだろう。私は私として、いつか立ち直れる日が来るだろうと、そういう風に思えてきたのです。

 ありがたい存在!
 大切にしたい存在!ホントに、ホントに…。

 結果として私が悪者になるかもしれない。だけど素直にぶつかってみよう。ちょっと頑張ろう。授業にはちゃんと出よう。
 
 相変わらずご飯は食べられませんが、ちょっとだけ、よく眠れそうです。
 


2005年04月20日(水) その時、私は猫になった。

 先日、車と衝突しました。

 その時間の電車に乗らないとバイトに遅刻してしまう!と思って慌てて自転車を漕いでいました。駐輪場近くの交差点で、いつもは左右確認するところを「いいや!」と思って飛び出したら、見事に車がやってきて、そのままぶつかりました。

 「あ、死ぬかも…。」と思いました。

 幸い、車にぶつかったのは自転車だけで、その自転車が転倒する際も上手い具合に飛び降りることができたので、私は車にも地面にも打ちつけられることはありませんでした。

 しかし、あとコンマ数秒早く飛び出していたら、私は確実に死んでいました。

 今日、その交差点で、猫の死体が転がっていました。車にはねられたようでした。それを見た時、昨日の私と重なった気がしました。

 ところが、帰る頃には、その猫はもう処分されていなくなっていました。

 そこは、もう、何もなかったことになっていました。

 もし昨日、コンマ数秒早く飛び出していたら、私はこの猫と同じように、何もなかったことにされていたのだろう。

 私は確かにそこに存在して、そこにいたのに、何もなかったことになって、私という存在は、私という存在は、道端に転がる猫のように、忘れ去られてしまうのだろう。

 その時、私は猫になった気がしました。

 せめて私は、私だけは、この猫を忘れないでおこう…。そう思い、今日の日記に残すことにしました。

 舞踊創作法の授業で猫の身体デッサンをしたその日に。

 

 


2005年04月18日(月) 若者はトラウマを作りたがる

 【トラウマ】という言葉はとても素敵だ。みんな大好きだ。横文字でイマドキでカッコイイ!若者はこぞってこの言葉を使いたがる。

 【トラウマ】という言葉を広辞苑で引くと、「精神的外傷」と出てくる。つまりは心の傷ということだ。「トラウマやねん。」=(イコール)「私の心は傷ついています。」と、さりげなくアピールすることができる。

 普通なら、私達は心が傷ついている人に対し、その事柄を追求して、敢えて痛みを掘り返すようなことはしない。逆に考えると、自分の心が傷ついていることをアピールすれば、誰もその事に関して追及してこないということだ。

 私達若者はこのことを上手く巧みに利用している。

 自分にとって都合の悪いことがあればすぐに「トラウマやねん。」と言う。そうすれば、相手は気を遣って踏み込んでこない。逃げられる、許してもらえるということだ。その言葉はいつからか、自分を守るための、逃げるための言葉に変形してしまった。

 「精神的外傷」というくらいなのだから、本来は、自分が生きていくために障害になってしまうようなことを指すのではないか。それなのに、ちょ〜っと誰かに嫌なことを言われたくらいで、ちょ〜っと何かができないからってこの言葉を連呼する。「私、タタキとかホンマ苦手で、もう、なんていうか、トラウマやねん。」「私な、昔包丁で手切ってから、トラウマで料理とかできんねん。」おいおい、あんたいくつトラウマがあるんだよ…。

 「トラウマ」という言葉を使って逃げてしまえば、それ以上の成長はないではないか。そう考えると、自分の人間としての器を狭めてしまう、実に甘くて弱くて依存性のある危険な言葉だ。

 若者はトラウマを作りたがる。トラウマと決め付けることで、考えることを、動くことを諦めてしまっている。心がどんどん狭くなって、弱くなっていく。

 だけど私はそうなりたくないと思っていて。そんなことを考え始めてから、私は「トラウマ」という言葉をなるべく使わないように気をつけている。嫌なことは、どうして嫌なのか、理論立てて説明できるようにしたいと思っている。そうすれば、ただ「トラウマ」という言葉で処理してしまうよりも解決策が見つかるような気がするからだ。

 トラウマ。とても素敵でイマドキで便利な言葉。だけど私はこの甘くて誘惑製の高い言葉に、負けたくないと思う。

 

 

 


2005年04月15日(金) 彼氏のそこぢから!(作・鈴江俊郎)

 近々入院することになりました。小学5年生の頃から足の偏平足が原因で外脛骨に痛みが生じて、捻挫のような症状を訴えては歩けなくなっていました。成長の過程で治る場合もるということで様子を見ていましたが、右足から痛みはひいたものの、左足の痛みは消えることなく、これ以上様子を見ても良くなることはなく、このままであれば、芝居も舞踊もできなくなると診断されました。よって、分裂した外脛骨をつなげる手術をします。

 思い出せば、この足の痛みとは随分長い間付き合ってきた気がします。昔は足をひとたび「ボキッ!」とやると、1〜2週間は歩けない日が続きました。捻挫のように癖になっていて、しょっちゅう歩けなくなっては母親におぶって学校に行ったものです。

 歩けないことを原因に、友達とうまくいかないことがよくありました。みんなと同じペースで歩けない。残酷なもので、「習い事があるからー!」と言って私だけを残して走り去っていった子たちもいます。1学期の終業式、足をひきずって泣きながら重い重い植木鉢を抱え、15分の通学路を2時間かけて帰りました。

 足の痛みをかばっているうちに変な歩き癖がつきました。足首が固くなって、爪先立ちができなくなりました。今でも親指側に体重をかけることができません。太ももの内側の筋肉が衰えるため、O脚になります。無意識のうちに足の痛みをかばう為、人より疲れやすくなります。

 それでもできるだけみんなと同じように行動したくて、体育もマラソンも休まず参加しました。だけど、登山だけは一度無理して登ると途中で本当に歩けなくなって、足をひきずって、高校ではクラスの女の子にちょっとヒドイことを言われたりして、翌年からはドクターストップがかかりました。演劇をこの先続けることができないかもしれないと医師に宣言されたのもこの頃です。この頃から手術を考えるようになりますが、公演が続き、どうせ勉強しないのに勉強の遅れも気になって、見送ることにしました。

 大学に入って、やっぱり本格的に演劇をやることになりました。舞踊もやることになりました。幸い、小学生の頃と比べると、「ボキッ!」とやることもなくなり、痛みも少々和らいでいるのですが、相変わらず体重はかけられないし、1時間半の身体育成法が持ちません。最後の方には跳べなくなって、でもやめたくなくて、、歯をくいしばって跳び続けます。だけど、バレエはやっぱり無理でした。途中から跳ぶことはおろか歩けなくなります。

 友達も親も先生も「無理しなくてもいいよ」とおっしゃってくださいます。しかし私にはもはや、それができなくなってしまっていて。ある種の意地のようなものになってしまっていて。

 ずっとずっと、この痛みが邪魔でした。コンプレックスでした。痛くてツラくて、思うように動かなくて。見た目ではわからないからズルしていると思われていることもあって。ツラくて苛々して、自分の拳で叩き付けたこともあります。そんな卑屈になっている自分が嫌で、どんどん自己嫌悪に陥って。

 動きたいのに、歩きたいのに、走りたいのに、踊りたいのに、私の体にはこんなにも大きく波打つようにリズムが流れているのに、ドクドクと、流れているのに。足だけが、この、ここの、左足だけが、動かない。流れる振動が左足でせき止められる。動かない、動かないんだよ。。。

 痛い。痛い。こんな私を見ないで。誰も見ないで。大学に入って、芝居で、舞踊で、みんなが動いている。みんなの足が、柔らかく、高く動いている。こんなにもやりたいのに、怖い。

 私は、求められない。左足が動かないから、すると全身が動かなくなるから、だから動けなくて、求められない。置いていかれるばかりで、とりたてて必要ともされていなくて、怖いから、自信がないから、自分から求めていくことも怖くて、きっかけがつかめなくて。
 
 手術をすると、完治までに3ヶ月はかかるそうです。そして、私の症状は少し特殊で、手術をしたからといって、痛みが取れるとは限らないということです。痛みが取れる確立7割、取れない確立3割。私はこの現実を直視するのが怖くて、ずっと逃げてきたのかもしれません。

 私の足が動かなくなるなんて。みんなが踊っているのを、私はずっと見ているだけしかできないなんて。どんどん私はいらない、使えない存在になっていく。ただでさえ使い物にならないのに。私は自由なのに、私の心は私だけのもので、こんなにも自由のはずなのに、こんなにも自由がなくって、卑屈な気持ちでいっぱいになるなんて。体が心を縛っていく。正直、動くみんなが、「動くのよ!」って顔している人たちが、ちょっと、憎い。

 でも、違うんです。本当は、知っているんです。

 楽しく踊れないのは、足が動かないからではなくて、心が動かないから。足の痛みは本当にツライのだけれど、動きはかなり制限されてしまうのだけれど、気持ちの持ちようで、もう少しポジティブになれるはずです。だけど、今の私は、全く心が動かない。体をほぐしていて、歌をうたっていて、その空虚感に、そこになにもないことに、発狂しそうになります。

 自分で、自分が嫌な子になっているということが分かります。こんなにも邪悪な私がいるなんて。動けなくて、使えない上にこんなにも邪悪だったら、もう、自分に価値はないじゃない。そこにいなくていいじゃない。いや、もうすでに、私はそこにいないではないか!

 もっと元気になりたいのになぁ。でも、その方法がわからなくて、私は迷走している。私ひとりの闘い。苦しい。痛い。痛い。。。

 
 鈴江さんから、劇団八時半の公演でお手伝いしない?とせっかく勉強の機会を頂いたのですが、今回は見送ることになりました。公演を観ることができるかどうかですらちょっと微妙なので、相当がっかりしていたのですが、鈴江さんからの励ましのメールが少し可笑しくて。

 「薄幸の美少女、手術に立ち向かう、の図、だね。(中略)入院して彼氏がいたらすごく絵になって盛り上がるのに。急いで作れ!!」

 とのことでした。私に相方さんがいることを知らないでいるのか、それとも知っていて皮肉でこんなことを言っているのか、まあ深く追求しませんが、なんだかこんなにもかる〜いお返事が少し嬉しくて。最近重い悩みばかり抱えていたので、しかもあの厳しい鈴江さんからこんなゆるゆるメールがいただけるなんて、ちょっぴりハッピーなのです。私のこと、美少女って言ってくれてますし(笑)

 まぁつまりは一人で寂しい時は彼氏に力を借りちゃえ!ということのようです。私は勝手にそう解釈してます。

 その彼氏とやらについて悩んでいるのがきっとここまで卑屈になっていじけている原因のひとつでもあるのですが、どうなのでしょうか。私は力を借りることができるのでしょうか?わがまま言ってもいいのでしょうか?甘えてもいいのでしょうか?

 「彼氏のそこぢから」が見たいものです。

 よし!上手くまとめたぞ!!(笑)


 


2005年04月10日(日) 思考する780円

 ファミレスでバイトをしていると、ふと思うことがある。

 ない時間を搾り出して、働いて、働いて。

 私の大学の学科は、他の学科や学部と比べるとアルバイトをしている人間が少ない。それは、授業は他の学生と同じだけ5限くらいまであって、そこから稽古が始まるからだ。公演に参加すると、9時から18時まで授業で、18時から22時まで稽古。その後打ち合わせや会議があったりして、家に帰るのは終電。次の日もまた朝早くから起きて、授業に出て…同じことの繰り返し。

 しんどい。学校の生活でいっぱいだ。バイトをしていない子に聞いてみる。「本当はバイトしたいねんけどな、体もたへんし。」うん。わかる。休める時に休んでおかないとと思う。しかし、そんな子に限って芝居を観に行かない。そして観に行かない子のほぼ100%の子がこう答える。「本当は観たいねんけどな、お金ないし。」うん。そりゃ、ないだろう。

 私はファミレスで働いている。割りに合わない自給で、それでもせっせと働いている。芝居を観るために、芝居をやるために、そしてやっぱり、生きていくために。少しの満足のために、ギリギリの生活を送る。

 本当はせっかく両親に高い学費を出してもらっているのだから、それを活かすために、バイトなんかせずに学業に専念できればいいなと思う。でも、それはあくまでも理想であって、実際の演劇活動に裕福な生活なんてありえない。

 うちの学科には、お嬢様ボンボンが多い。他学部よりもはるかに高いお金を両親に出させておいて、携帯代も親払い、遊びに行くとなればお小遣いをもらっている。それでろくろく芝居も観に行かず、学内でそこそこ頑張って、お金のありがたみもわからないまま、将来は演劇で生きていこう…なんて考える。演劇をすると仕事ができないから、就職活動はしない。役者志望という名のフリーターが続出する。

 自給780円でバイトをしながら私は思う。しんどいんだよ!!生きていくということは!780円もらうために、私は何回「いらっしゃいませ」を言うか。何度「ありがとうございます。」を言うか!何度も言っていると、頬の筋肉が麻痺してきて、「ありがとうございます。」が言えなくなるんだぞ!深夜のバイトは肌に悪いんだぞ!

 私は、今のバイトに、未来はないなって思う。あくまでもお金を稼ぐ手段でしかない。生きていくための手段でしかないそのバイトを少しでもやりがいのあるものとするためにニコニコするように務めるけれど、今は学生で、親がご飯を作ってくれて、洗濯もしてくれて、だからまだ裕福に暮らしていけるけれど、卒業して、社会に出て、どうするんだ。きっとフリーターになって演劇活動をするといっても、まずは生活をしていくのに必死で、そこから活動のお金を出すのは至難の業だ。

 皆、卒業して、バイトをしながら演劇をして、駅前で、稽古場に近いちょっと綺麗なマンションに住んで、インターネットを繋いで、時々好きな服を買って遊びに出かける…なんてことを夢見ている。今が裕福な暮らしをしているから、そこそこ頑張ればこのくらいの生活はできるんじゃないかと思い込んでいる。…甘い。演劇をやりながらこの水準に持っていくことがどれだけ大変か。そこそこ裕福に育ってきた私達が貧乏に耐えるということがどれだけ大変か。貧乏が続くストレスに耐えれるのか。

 自給780円で働いていると、そんなことばかりを考える。演劇に貧乏はつきものと昔からわかっていて、それでも私はやりたいんだ!って思っていた。だけど、そのお金の動きがよりリアルに、シビアに感じられるようになったのはやはりバイトを始めてからで、「演劇やる!」って今ここで簡単に決意できることではないなぁと、疲れた足をほぐしながら思うのである。

 私は、ブルジョワ感漂う裕福でのんびりした流れに少し抗ってみようと思う。質素に、謙虚に。就職したいなと思う。卒業までに就職が決めれるかどうかは自信がないけれど。演劇を除いたら何がやりたいのか見失ってしまって不安だけれど。それでも、私はフリーターではわからない社会を見てみたいなと思う。それで演劇がやりたいと思うならやると思うし、その時のその気持ちはホンモノなのだろう。やりたいと思わなくても、それはそれでいいじゃないか。

 今は演劇学科に在籍していて、皆が演劇方面へ、アートの世界へと望むから、自分もそうしなければ創作者として失格のような、落ちこぼれのような空気が漂っているけれども、就職して、堅実で、ささやかな幸せに満足したっていいじゃないか。最近私はそんなことを考えていて、将来は「演劇やろう!」と気負わないようにしている。

 きっと気負わなくても、やりたい時はやっているだろうと、安易にも自分の中に絶対的な信頼を置いていてみちゃったりする。きっとやってるんじゃないかな。そんな核みたいなものが自分の中に備わっている気がする。備わっているから、そういう方向に自然と向かっていける気がする。考えないといけないけれど、でも、今の私がちっこい脳みちょを使ってとりあえず出した結論がコレで。

 780円で、日々苦悩しながら私は私が喜ぶ生き方を探している。
 

 


嶋子 |MAILHomePage

My追加