★悠悠自適な日記☆
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2003年10月24日(金) 「君はどうして演劇をするんだ」

「君はどうして演劇をするんだ」

 高校1年生の頃、当時部長だった先輩からこんな質問を受けました。入部仕立てのホヤホヤだった頃、まともに芝居を見たことすらない頃、彼は入部してきた私達全員にこの質問を投げかけたのです。

 さっぱり訳がわかりませんでした。しかし彼はとても凄んだ様子(のように当時の私達には思えた)で私達に尋ねるので、皆は彼の質問に対して何とか応じたいと思い、いろいろ頭を張り巡らして答えを出そうとしました。

 「観客に楽しんでもらうためです。」

 皆は大体こんなことを答えました。当り障りがなく、いかにもというような答えです。彼は「あ、そう。」とただ頷いていました。

 私の番が回ってきました。私はただ、「やりたいからです。」と答えました。私も最初は皆と同じように当り障りのない答えを出そうとしました。しかし、皆の答えに対する彼の反応を見て、どうも彼が求めている答えはどうも違うらしいと判断することができました。で、とっさに出た答えが「やりたいから。」私はとんだ賭けに出ました。

 「じゃあ君は観客のことを考えないのか?自分だけで演技をするのか?」

 それまでただ頷いているだけだった彼が私にこう返しました。「君は観客のことを考えないのか?」…ちがう。そうじゃない。だけど私は何も言うことができませんでした。私は「負けた」と感じました。自分の意見が明確にできなかったことに。そして、彼が意図していたことが理解できなかったことに。

 とっさに口を吐いて出たとはいえ、私は何も考えずにその言葉を発したのではありません。確かに演劇は観客があってこそ成り立つ芸術。それが根底にあることは言うまでもありません。しかし、私が演劇をやる理由はそれが1番ではない…と、その時は思いました。私は演劇の、舞台の上でセリフを言うことに、動くことに、ライトを浴びることに、観客の視線を集めることに、拍手をもらうことに、自分じゃない魂を宿すことに、思いを伝えることに、惹かれます。観客に楽しんでもらうこともそうです。単純で安っぽい表現ですが、演劇のそういうところに私は惹かれます。そして私はそれを期待して演劇を始めようと思いました。そういう意味での「やりたいから。」

 あの時の私の言葉、今でも間違っているとは思っていません。しかし彼は私の答えが不満だと言います。じゃあどう言えばよかったのよ?

 それ以来、3年半たった今でも私はたまにあの時の言葉を思い出してはもう一度自分の答えを探し当てようとしています。それと彼が求めていた答えを。

 でも、未だわからずじまい。芝居をやっていた頃も、芝居をやっていない今も、答えが見つかりません。どうやら私はこの問いかけに対する答えを、生涯をかけて探していくことになりそうです。

 彼は自分の答えを見つけたのでしょうか?それとももうとっくに答えを持ち合わせているのでしょうか?彼と本音で話をすることはもうきっとないと思いますが、彼の言葉は未だに私の頭の片隅に図々しく居座り続けます。あぁ、悔しい!

 彼は私にとんだとばっちりを浴びせてくれたもんです。


2003年10月19日(日) 『嵐を呼ぶ!モーレツオトナ帝国』

 クレヨンしんちゃんの『嵐を呼ぶ!モーレツオトナ帝国』を見ました。凄かったです。久しぶりにアニメを見て号泣しました。

 懐かしの町、懐かしのテレビ、懐かしの味、懐かしの自然、懐かしの夢…20世紀の懐かしい「匂い」に侵された大人達は、目標を失ってしまった21世紀を生きる気力を失ってしまいます。「昔の方が良かった」「子供の頃は夢を持っていた」未来を生きることを捨てて過去に還ろうとする大人達。だけど今の子供達は「今」を生きる人間であり、「未来」を生きたい。こうしてしんのすけは過去にしがみつく大人を解放するために闘うことを決意します。

 物語がすごく深かったです。クレヨンしんちゃんってこんなにもテーマ性のあるアニメだったっけ?と目を疑いました。そして演出が凄い!!躍動感のある登場人物にスピード感溢れるカメラワークはもちろんのこと、ビートルズを思い出させる風貌の悪役を始め、魔女っ子メグちゃん、魔法使いサリー、5レンジャー、ウルトラマン、夕日の描写、70年代ギャグといった「過去」を連想させるものをさりげなく背景に置くことで、このアニメを見ている大人にまで深いテーマを投げかけているように思いました。むしろこの物語は子供よりも、大人に向けて作られた話なのかもしれません。

 私達人間は「過去」を美化する傾向にあります。「昔の方が良かった」「俺が若い頃はこんなことをしたもんだ」「近頃の若者は…」大人はよくこんな言葉を使います。「現在」や「未来」に対しては否定的で、自分が生きてきた「過去」だけはエラく肯定的。過去だけがキラキラ輝いていたように思い込んで、「今」や「未来」から目を背けようとします。その方が楽だから。未来は自分で開拓しないと見えてこないけれども、過去は結果がもう決まっていて、その結果にしがみつくことで安心をする。そうじゃないのに。過去は自分が今を、未来を、「勇気」を持って開拓した結果なのに、いつの間にかその「勇気」がスコーンと抜け落ちてしまっています。

 「今」がつまらないなら「今」を開拓すればいいこと。「未来」がどれだけ絶望的でも、「今」を開拓すれば何かが変わる。「過去」に逃げては何も変わらない。

 ただそれだけのことです。ただそれだけのことだけど、決して失ってはならないことでもあります。しんのすけは私にそれを再確認させてくれました。

 これまでのクレヨンしんちゃんの映画はほぼ観ていますが、こんなにも大人に直球を投げてくるストーリーは初めてです。ビックリしました。前よりももっともっとこのアニメが好きになりました。

 来年は劇場に観に行こうかなぁ…。


2003年10月11日(土) 19歳

 19歳になりました。1年前、私はこの場で17歳の思い出や18歳の抱負をつらつら語ったりしたものですが、今年はしみじみと語る内容がな〜んにもないです。今年も私は受験生をしていて、去年と心境はほとんど変わっていません。今年の方が後がないので、そういう意味では去年よりも深刻です。

 さて、そんな状況でありながらも、嬉しかったのが友達からのお祝いメールです。1年前は学校で当たり前のように聞いていた言葉が今年はメールになってやってきます。皆自分の生活でいっぱいいっぱいでありながらも私のことを思い出してくれるのは嬉しいし、ましてや誕生日まで覚えていてくれるなんて本当にありがたいことです。

 中でも1番驚いたのは、なんと小学1年生の時の同級生からメールが届いた事です。私がまだ奈良に住んでいた頃の友達です。かれこれ13年くらいの付き合いになるのですが、ここ数年はほとんど会うこともなく、メールのやりとりも年に1回するかしないかの疎遠なものになっていました。昔は片時も離れることがなかいべったりの友人であっただけに、住む場所が離れれば離れる程、互いが違う道を歩めば歩むほど、2人の接点はなくなって忘れていってしまうような、そんな恐怖をいつも感じていました。彼女の生活の中に私が存在した期間はほとんどありません。同様に私の人生の中で彼女と接した時間もごくわずかなものでしかないのです。私達は親友を名乗りながら、お互いの事はほとんど知らないのです。

 だけど今日、彼女からメールが届きました。これは私の中で非常に大きな意味を示します。知り合って13年、離れ離れになって11年、これだけ別々の月日が過ぎても、私が彼女の中にまだ存在し続けているという大きな意味、それが今日、新たな私の自信になりました。私達はもう大丈夫。そして、小学校の時の友達が今でも続くのだから、高校で友情を誓い合った仲間ともきっとずっと仲良しでいられることでしょう。彼女からのメールで、私は2つの自信を身につけました。

 しみじみ語ることがないとか言いつつも、かなりのことを語ってしまいました。そんなこんなで私の19歳生活が始まります。成人式まであと1年と3ヶ月。着物を着た時に髪がアップできるように、そろそろ髪の毛を伸ばし始めようかと思います。いよいよ20代へのカウントダウンが始まりました。これからはオトナの女を目指して、ちょっと自分を磨くことも考えていこうと思います。(と言うと皆に笑われるのはナゼだろう…。)


 今日のBGMは安室奈美恵の「SWEET 19 BLUES」
このCDを買った時から、19の誕生日には絶対にこの曲を歌おうと心に決めていました。そういえば、誰かの歌を聞いて涙を流したのはこの曲が初めてでした…。


 


2003年10月02日(木) いとこい師匠が教えてくれたこと

 夢路いとしさんがお亡くなりになりました。いとしこいしのほのぼの漫才は私も大好きで、突然の出来事に驚くばかりでした。

 そして私はこの日、至って当たり前のことを忘れていたことに気づきました。

 それは人はいつか死ぬということです。当たり前のことで、誰もが分かっていることでありながら、私はそれを軽視しすぎていました。

 私は、いとこい師匠の漫才はずっと「そこにあるもの」だと信じて疑いませんでした。普遍的に2人の漫才が見れるものだと思い込んでいたのです。

 だけど人はいつか死にます。

 そこで私は、自分が生きていく上で大きな心の支えになっている人のことを思い出します。

 その人は私よりはるかに年上の人で、母と同じ年です。

 特別な事態が起こらない限り、自然の法則に任せると、その人は確実に私より先に死ぬ事になります。

 大きな支えを失った私は、その先生きていくことができるのだろうか?

 hideが亡くなった時、後追い自殺を図るファンが続出したことが大きな問題になりました。あの時私は、「おいおいそこまでするか?」という冷ややかな目で事件を見ていました。

 しかし、今なら、その気持ちが少し理解できる気がします。

 あの人がいなくなったらなんて、今の私には考えられません。

 だけど、いつかその日がやってきたとしても、一人で立っていられるように、私は強くならなければならないのかもしれません。

 


2003年10月01日(水)

 例えばプロの落語家さんと大学のサークル出身で何年も落語の研究をしている、いわゆる素人さんがいたとします。素人さんの方はとても熱心に落語の勉強をしていて、プロにも劣らない才能の持ち主だと言われています。定期的に公民館での公演も行っています。

 ところが、いざプロの落語家さんと並んで大きな舞台に上がるとその差は歴然。お客さんは全く笑ってくれません。彼の落語に落ち度はありません。それなのに、何故彼の落語が受け入れてもらえないのでしょうか?

 それは「声」にあります。

 いつだったか、新聞でこんな記事を読みました。プロの落語家さんには長年、様々な舞台の上で経験を積んで出来上がった「声」があります。つまり、「プロの声」をしているのです。

 ところが、今回のような素人さんが練習を積んできたのは大学の中と公民館。修行を積んだ場所が違えば、そこで形成される声も違ってくるのだそうです。

 経験を積んだ舞台が声を作り上げる。新聞の記事が言わんとしていることはこういうことです。

 そこで、少し好奇心を持った私は色んな職業に就いている人の声に耳を傾けてみることにしました。ウェイター、ウェイトレス、政治家、営業担当のサラリーマン、女子高生、教師、電話交換手、俳優、漫才師…するとどうでしょう。落語家に限らず、職業によって声の質が全然違うことが分かります。

 ファーストフード店の店員はレストランの店員よりもとんがった声で応対をするし、営業サラリーマンはやたらカツゼツが良いけれどお腹からではなく、口先だけで話します。教師も声の大きさには個人差がありますが、息の吸い方と発声パターンがとてもよく似ています。同じ俳優でも舞台で鍛えた声をそのままテレビで使うと敬遠されます。私は一時テレフォンアポインターの仕事をしていたことがありますが、その時もそうでした。普段は気の抜けたような低い声で話す私も、他の人も、いざ電話の受話器を握ると途端アポインター特有のお姉さん声に変身するのです。

 職場の雰囲気や人との距離、そういった環境が時間をかけて人の声を作り上げていくみたいです。そしてそこで出来上がった声こそが聞く人を安心させる声なのでしょう。落語家の「声」をしているからこそ、舞台を観に来たお客さんは安心して落語を楽しむ事ができるのです。

だとすると私にはなりたい「声」というものがあります。その道のプロの声になりたいです。


嶋子 |MAILHomePage

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