★悠悠自適な日記☆
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2003年02月28日(金) 思い出がいっぱい

 今日、私は高校を卒業しました。あっと言う間の3年間でした。でも、この3年間で、演劇を始めたり、人生最大の決断があったり(2002年10月4日参照)、養護学校のイベントで舞台の裏方のボランティアをしたり、部活で県大会に行けてしまったり、数学で0点をとってしまったのに偏差値が50あったり、修学旅行のクラス一芸大会で優勝したり、授業中に携帯を鳴らしてしまって反省文書かされたり、体育教師にどつかれたり、成績不振で呼び出されたり、部活で大喧嘩したり、受験に落ちたり…いいコト悪いコトを含め、たくさんの出来事がありました。

 3年間何事もなく、ぼ〜っと過ごそうと思えば出来たと思います。でも、クラスでも部活でもそれ以外のことでも、私はそれをしませんでした。おかげで、3年間を無駄にすることなく、色んなものが見れたと思います。結局春からは浪人が決定してしまいましたが、自分がこれまで考え、やってきたことに後悔はありません。

 成績では全くと言っていい程学校に貢献できなかったのですが、例えば、アルバムの表紙絵と文化祭のポスターを2年連続友達と合作したり、部活や委員会、その他もろもろの奉仕活動に置いては、美術の先生に、アナタは「この学校のエンターティナーね」と言わしめました。(私は美術の授業を一度も受けてないのに)地味な活動ながら、ちょっと自慢です。

 人間関係に苦悩するばかりでほとんど記憶がない1年生、部活、クラス共に楽しすぎて、忙しすぎた2年生、近くにいる友達との交流を大切にした3年生、一番楽しかったのはやはり2年生ですが、年を追うごとに、自分の人生において必要なものと必要じゃないものが選べるようになってきて、そういうゆとりの面では、3年生が一番ラクでした。

 一番大きな心の支えとなったのはやはり友達の存在です。クラスの友達、部活の仲間、演劇を通じて仲良くなった他の学校の友達…どれも私が愛してやまない人たちばかりです。私はすごく人見知りする人間なのに、気がつけば私の周りには頼もしい仲間がたくさんいました。

 そんなこんななことをしみじみ考えながら、私は卒業式に出席しました。ところがこの先、最後のハプニングが…!?

               つづく。


2003年02月27日(木) 私の高校自慢!

 いつか自分の高校について質問をされた時、胸を張って母校を紹介できるように記録をしておこうとずっと思っていたのですが、そのまま今日まで放ったらかしにしてしまっていました。でも、明日には私も高校を卒業してしまうので、今日中に記しておかないとと思い、この場を借りて示すことにします。

<その1 「GOOD LUCK」の脚本家 井上由美子さん>
 今放送されてる超人気ドラマ「GOOD LUCK」の脚本家である井上由美子さんは、実は私の高校の卒業生です。ちなみに井上由美子さんは一昨年前に放送されたNHK大河ドラマ「北条時宗」の脚本も手がけられていて、今正に時の人です。「北条時宗」の時は学校でもかなり話題になったのですが、今回の「GOOD LUCK」を手がけていらっしゃることは、意外とうちの生徒でも知りません。私もテレビのスタッフロールを見て知って、とても驚きました。

 一度、私の高校で講演会が開かれたことがあるのですが、その時に井上さんは、「私は勉強が得意ではなかったので、立命館大学に進学しました。」とおっしゃっていて、急に体育館が静まり返ったのを覚えています。「立命館大学って、勉強が得意でない人が行く学校だったっけか?」誰もがそう思っていました。私の学校から立命館大学を志望する生徒は多いのですが、それにしてもあの発言には偉大さを覚えました。

「木村拓哉さんとドラマで一緒にお仕事した事があります…」とおっしゃっていた時の生徒の目の輝きようといったら…忘れられません。

<その2 トップアスリート 朝原宣治選手>
 1972年生 現在30歳 高校入学後に陸上競技を始め、3年で仙台インターハイ走り幅跳び優勝。卒業後は同志社大学を経て大阪ガスへ。1996年アトランタ五輪の100m走で日本人選手として28年ぶりに準決勝進出。そして2000年のシドニー5輪では400mリレー6位入賞100m走では日本歴代2位、200mでは日本歴代4位、走り幅跳びでは日本歴代3位という記録を持っているとてもとても凄い選手です。

 実は朝原選手も先月に講演会を開いていらっしゃったのですが、私達3年生は入試の事前指導で参加することができませんでした。残念です。しかし現在はアテネ五輪を目指して頑張っているとのことなので、私も応援していきたいです。

<その3 空手部29年連続全国大会出場>
 そこそこの環境、そこそこの生徒、そこそこの進学率という恵まれた環境下にあり、その上部活動がさかんであるのも私の高校の特徴です。中でも空手部には超敏腕顧問がいて、29年連続全国大会出場という誇るべき記録を保っています。私達の代で惜しくもそれがストップしてしまったらしいのですが、今年もまた全国大会出場のようです。

<その4 女子の体育教師がコワすぎる。>
 ちまたでは有名な話なのですが、私の学校の体育教師(♀)約1名は、コワイのなんのです。パっと見アジャコングです。最初はオッサンだと本気で思っていました。入学当初はとにかく厳しくて、学校に来れなくなる生徒が出たり、授業後には泣いて帰る子もしばしばいました。(ちなみに私も泣いて帰った人物の一人です。)今まで幾度となく怒鳴られどつかれなじられしました。しかし私も負けていられないと思い、気がつけば背後を狙って吹き矢を飛ばしたり、手裏剣を投げたり、生クリームの乗った紙皿を投げたりして反撃を試みるまでになりました。…マイムで(笑)

 結局その攻撃が当たることはなかったのですが、おかげで私達はとても強くなった気がします。彼女の独裁授業から反感が消えることはありませんでしたが、アレを経験すればある程度のことは平気になります。

…とまぁ、有名人から体育教師まで、個性がないと言われる学校でも掘り下げてみればいいところもたくさんあったのです。それは入ってみないとわからない魅力で、スルメイカ的な学校だと思います。悪いトコロも山程あるのですが、それはこれから皆が考えていかなければならないことだと思います。

 こんな学校でも、住めば都です。愛校精神とまではいわなくてもそれなりに愛着があります。今活躍されている卒業生のように、今後も自分達自身で都を築きあげていってもらえたらな〜と思います。

 それっぽくまとめてみました。


2003年02月21日(金) 7袋分の過去

 この3日間で、私は部屋の大掃除をしました。私は大きなイベント(たとえば学期が終わってからだったり、芝居の公演だったり)が終わって長いお休みがある時にドカっとまとめて部屋の大掃除をすることに決めています。今回は、やっとのことで受験がひと段落ついたので(終わったと言えないところが微妙に悲しい。)久しぶりにやることにしました。

 ところが、私はお掃除がとても下手なようで、母や弟に散々バカにされる始末です。特に弟は収納が大好きで、近藤のり子先生の番組はマメにチェックしている程の兵(つわもの)です。弟のアドバイスによると、一気に整理しようと思うのではなく、今回はココ!と決めて掃除しろとのことですが、そう思いながら引き出しを開けていっても、数時間後には私の部屋はスラムと化しています。

 自分が整理下手なことはわかっているので、できるだけ日頃から物を増やさないようにして、いらない物は思い切って捨てていくことにしています。どうしても捨てるかどうか迷ったら、とりあえずもう1年置いて、それでも必要なかったら捨てる…という基準を決めて挑みます。

 それなのに私の掃除がはかどらない理由は、物には記憶が刻まれているからです。私は、物を捨てることは過去との断絶だと思っています。雑誌や通販カタログ等は簡単に捨てることができても、人からもらった物や手紙にはその時の思い出が詰まっていて、それを捨てるということはもう二度とそのことを思い出さないかもしれないわけで、過去との断絶をしてしまうことになるから、今しっかり心に焼きつけておこう…な〜んて思って昔のことを思い出したり反省してのめり込むから部屋は一向にしてキレイにならないのです。
(あ、ちなみに基本的に手紙は捨てません。友達からもらった言葉は財産なので。)

 結局、たかだか6畳の部屋を掃除するのに3日かかってしまいました。母には「アンタはつくづく主婦には向いていない」と言われます。私もそう思います。

 今回はゴミ袋7袋分の物を捨て、収納もできるだけクローゼットに押し込んで、部屋は少し広くなりました。これなら毎日腹筋とストレッチ運動が可能です。

 ただ、廊下に放り出された7袋分の過去は私の胸を締め付けます。


2003年02月17日(月) まわり道

 春からの進路が決まりました。浪人です。落ちた事が分かった時はやっぱり悲しくて一晩泣き明かしましたが、こういう事態は試験を受けたときから、いや、受ける前からある程度予想していたことだったので、受け入れることも早かったと思います。いや、受け入れるのに十分な時間を使ってきたのかもしれない。そんなわけで、今現在はとても落ち着いた気持ちで、先のことを考えることができていると思います。

 AO入試がダメだとわかってからの受験勉強スタートだったので、勉強量が他の人よりもはるかに足りていなくて、しかもその土壇場の中で志望校をもう1ランク上げたりして、何もかもが無理矢理な受験でした。もし浪人したら、もう1年芝居をすることを我慢しなければならない…。今でもすごく我慢しているのに、それで自分は耐えられるのかということを何度も何度も考えました。そのために滑り止めの女子大や短大を受けることも考えました。だけど私は、どうしても自分が選んだ大学に行ってそこで勉強がしたいと思いました。だから駄目もとでも諦めなかったし、後悔はしていません。結果として合格はできなかったけれど、諦めなかったことだけが今後の自信に繋がっていくと思います。

 受験に限らずですが、私の人生まわり道ばかりです。いつも近道を意識しているのに、気がついたら一番外側のトラックを走ってばかりいます。きっと要領が悪いのでしょう。その時はすごく悩むし、凹むし、落ち込むけれど、そんな自分自身を悲観的には見ていなくて。最近少しずつわかってきました。まわり道をする分、最後には大きな円を描いて、広い視野をもった人間になれるかな〜なんて。そう言い聞かせて楽に構えることにしています。

 そんなわけで浪人です。俗世間から離れる分、普通なら誰も気がつかないような物の見方や発見ができたらな〜と思います。そう思うとなんだか得した気分です。私の本質はとてものんびり屋なのかもしれません。


2003年02月13日(木) 6年ぶりの逆上がり

 今日からランニングを始めることにしました。走る文化部演劇部時代はそこそこ体力もあり、腹筋も鍛えていたのですが、ここ最近はお金も学校もないので三日に一度くらいしか家から出ないという生活を送っていて、それなのに食欲は衰えるどころか体重も増加の傾向を辿っていました。前々からダンスでも下半身が弱いのが気になっていたこともあり、身体の衰えに危機感を感じたので始める事にしました。

 日が落ち始める頃、なるべく人気がなく、でも誘拐されないような場所を選んで走りたいと思っていたのですが、そんな場所はありません。だからとりあえず下校中の中学生の集団にだけは遭遇しないルートを臨機応変に選んで走る事にしました。(しかしそれでもかなり物騒で恐かったのですが。)

 超久しぶりの運動は体に堪え、2kmを目標にしていたものの1.5kmぐらいで足がぱんぱんになってしまいました。私の家の近所は厳しい坂道ばかりなので平坦な道を走り続けるのよりかははるかに大変なのですが、それでも、去年の今頃は体育の授業で4kmぐらい走っていたので(しかもおととしはブルマで走っていた)あまりにもの衰えっぷりに少しショックを受けました。

 帰り道に近所の公園を通りかかりました。そこは私が小学生の頃、逆上がりのテストのために毎日皆が帰った後、一人でこっそり逆上がりの練習をしに通った公園でした。当時は遅くまで男の子たちが遊んでいて、早く帰ってくれないかなぁと思っていたのに、今はその公園には誰もいません。

 私は恐る恐る鉄棒を握り、あの時頑張った逆上がりができるかどうか試してみることにしました。6年ぶりの逆上がり。もう体が覚えていないだろうと半ば諦め状態で地面を蹴り上げました。すると…できたんです。世界が一瞬逆さまに見える瞬間、着地の際の足にくる振動、その1回転の間、私は6年前にタイムスリップしているような気持ちになりました。

 なんだかとても嬉しくて、6年前、手にマメをいっぱい作りながらでも頑張ってよかったなと思いました。

 逆上がりができた、ただそれだけのことだけれども、その些細なことが今の私に感動を与えたということは、今頑張ったことも未来のアタシに何らかの影響を与えるのだと思い、気が引き締まりました。(体も引き締まってほしいです。)

 まずは早く2km走れるように頑張りたいと思います。最終目標は5km以上、楽に走れるようになりたいなぁ。これから毎日がんばるぞ。花粉が心配だけど。


2003年02月12日(水) キャンディ

 ふとした用事があって、友達と本屋さんに行きました。

久しぶりに友達に会えて、なんだかとてもはっぴーでした。

別れ際に友達がカバンの中から何かを取り出し、「ハイ、コレあげる。」といって私の手の平に乗せました。

棒のついた、ミッキーマウスの形をしたキャンディでした。

「わ〜いありがとう。」と言って私達は分かれました。

なんだか嬉しくて、帰り道、キャンディの棒を握り締めてニヤニヤしながら帰りました。

ちょっとスキップもしていたかもしれません。

なんだかはっぴーでした。


2003年02月10日(月) 「受験」っていう言葉

 「受験生だから…」という言葉がいつの間にか自分達の間で口癖のようになってしまっています。私はこの言葉が好きではありません。「受験」っていう2文字の中には「受験だから私に気を遣ってくれ、特別扱いしてくれ」もしくは「自分は特別なんだ。大変なんだ。」という意味が無意識のうちに込められているような気がして少し嫌なのです。

 確かに、受験は今後の人生が大きく変わる(かもしれない)重要なイベントではあるのですが、でも私は「だから何?」と思うのです。人間生きていれば誰だって人生の岐路に立つことがあるわけで、何も特別なことじゃないと思うのです。

 自分が凄く思い悩んでいる時、その辛さを人に伝えるのは難しいのに、なのに「受験」という2文字使えばいとも簡単に自分の立場を大げさに表し、悲劇のヒロインになれてしまいます。そのお手軽さというか、簡単に相手に甘えさせてもらえるその威力がなんだかズルいような気がしてしまうのです。

 だからできるだけ私は「受験」という2文字が持つ言葉の威力に飲み込まれたくないなと思います。

 しかしこんなことを主張する自分も「受験」っていう言葉に振り回されているような気がして、最初はためらったけれども、でも、受験の話は受験の時にしか考えないよなぁ〜と思ったので、今ここに記すことにします。


2003年02月09日(日) 受験報告日記その4

【2月7日(金曜日) K大学 超本命、社会学部A日程】
この日、私にはある不安がありました。それは、これまでに山を張って勉強した世界史が全て出つくしてしまったということです。ビックリするくらい勘が冴えていたためか、ここまでスムーズに世界史はきたのです。で、蓄えが底をついてしまったのです。試験の無い日(たった一日)に一応勉強はしたのですが、なんせ連続の試験に疲れ果ててしまってバタンキューしてしまったのであまりできなかったのです。

予感は見事的中しました。

私はイスラムと古代中国が来ると踏んで少しの時間で教科書をチェックしていきました。で、イスラムと古代中国が出たのです!!しかし、最悪にも、ちょうどチェックしていた次のページから出題されて、爆死でした。中国も、初日の総合情報学部で諸子百家が出たのでもう文化史は出ないだろうと踏んでいたら、出る出る!!ある程度は覚えていましたが、何問かは確実に落としました。この日、英語も国語も難しいと評判の割りにできていた(…と思う)ので、泣きそうになりました。

隣の席の人は耳鼻ピアスの凄いヤンキーの人で、前の男子生徒はノリが凄いコントみたいで、とても怖い一日でした。


【2月8日(土曜日) K大学 因縁の文学部A日程】
もう10回もこの大学に来ているのに、今日に限って試験会場が分からなくなり、係の人に2回も尋ねました。案内された教室はスンゴイボロい教室で、これまで4人掛けの椅子に2人だったのに、この日は一人机に一人で、とても狭くて苦労しました。

この日は朝から月のモノがやってきて、私はソレの症状がとても重いので、一応薬は飲んだのですが、意識朦朧としながらの受験でした。そういえば、試験官は塩川財務大臣にソックリで、試験開始5分前のチャイムが鳴ると、塩爺は「あと5分ありますからね。それまでしっかり休んでいてくださいね〜。」と言っていました。いや、これからやのに休んだらアカンやろ!!と、私はギリギリの意識の中でもしっかりとツッコミを入れました。

さすが文学部なだけあって、国語がベラボウに難しかったです。特に古典。問題数は多いし、歌物語だし、主語一致問題で、一問解釈を間違えるとイモづる式に間違えるように作られていてとても苦労しました。現代文の漢字は聞いたことも無く、意味もわからない漢字だったのでお手上げでした。社会学部と文学部は問題が難しくなると予想していたのですが、文学部は予想以上に難しかったです。一応埋めましたが。

後期試験に向けて一生懸命勉強しようと思いながら帰りました。

でも帰り道に「彼氏彼女の事情」と「ピュ〜と吹く!ジャガー」を見つけたので買って帰りました。この組み合わせはとても哲学かもしれないと思いました。


2003年02月07日(金) 受験報告日記その3

【2月5日(水曜日)K大学 法学部A日程】
この日は突然朝からメールが来て、同じ学校のS氏と一緒に行く事になりました。Sさんといえば私の学校1強い女で有名です。去年同じクラスだったのですが、彼女が起きて授業を聞いている姿を見た人はほとんどいません。女ジャイアンです。

さて、そんなS氏が何故私みたいな大人しくて目立たない女を誘ってきたのかというと、去年の修学旅行でやったコントや文化祭で演じた祭門ガーファン子というイカレポンチな役が彼女のツボだったようで、それ以来彼女は私のファンだと名乗り、いつの間にかマブダチということになってしまっています。S氏は私のことをこれまで生きてきて一番オモロイ女だと言いますが、私からすればS氏の方がこれまで生きてきた中で一番オモロイ女です。付き合いはほとんどないのに、秘密の友情ここにアリです。

さて、S氏の一緒にいて気がデカくなったせいか、栄養ドリンクをおもしろ半分に購入し、凄いテンションでそれぞれの試験に挑みました。試験内容はあまり覚えていませんが、国語の記述問題で「想起」と言う言葉を「起想」と書いてしまい、終了のチャイムでそれに気付いて血の気が引いたのは覚えています。あと、今日はルネサンスと近代中国が来る!!と適当に山を張ったら本当にルネサンスと近代中国が出た…のはいいんですが、ルネサンスで誰がどの作品を作り、どの街で生まれた…というのまではチェックしていたのですがどこの国(○○公国や××王国)というのはチェックしてなくて(っていうかそんなの教科書になかったってば!)結構できませんでした。(爆)

この日の試験官はマイクを使っているのにやたらデカイ声で「終了!」と怒鳴るのでその度に心臓が止まりそうになりました。

そういえば、昼ごはんを食べていると、前に座っている男子(多分浪人生)の鞄の中が見えたのですが、鞄の中にはボロボロの問題集と、「週刊ポスト」が入っていました。「女の裸体よりも教科書読めよ!!」とツッコミをいれてやりたくなりました。ウズウズしました。

試験終了後、S氏は電車の中で「私あまりにも緊張して便器からオシッコはみだしてもた〜ガハハ」と笑っていました。自分の生き方が間違っていないか心配になった一日でした。楽しかったけどね。


2003年02月06日(木) 受験報告日記その2

2月4日(火曜日) K大学 総合情報学部A日程】
この日は国語、英語の2教科受験で、世界史が破滅的(っていうか英語も微妙にボーダー以下)な私にとってはある意味山場でした。国語でいかに得点を稼ぎ、英語でいかに落とさないようにするかを考えながら挑みました。

…が、英語難しすぎ。最後に残しておいた大問1題がサッパリわけがわからず、13問ほぼ全部勘に頼りました。「どれにしようかなてんのかみさまのいうとおり」です。それでも時間ギリギリでした。

泣きそうになりながらご飯を食べていると、後ろの美少女(でもアイプチ…笑)から声を掛けられて一緒にご飯を食べました。その少女は京都で芝居をやっている子
だそうで、将来は劇団を旗揚げするのだそうです。なんだかスッカリ意気投合してしまい、周囲は真剣に問題集開いているのに「演劇ってスポーツだよね〜」とかいう会話で大いに盛り上がりました。彼女の高校は、OBで役者をしている人が多いらしく、大会ではその人達の劇団の脚本をもらってやるそうで、かなりよい環境でやっていらっしゃるようでした。

せっかく出逢った同志なので駅まで一緒に帰ろうと思い、人見知りをする自分が一生懸命「一緒に帰らへん?」と誘ってみると、「御免、待ち合わせあるねん〜」と明るく断られました。やってきたのは彼氏でした。ちょっとだけ切なかったです。受からない限りもう逢う事も無いだろうと思って彼女の名前すら聞かなかったけれど、芝居をやっている人だから、またいつかどこかで逢えたらいいな〜と思いながら帰路に着きました。ちゃんちゃん。


2003年02月03日(月) 受験報告日記その1

【2月1日(土曜日) K大学 総合情報学部C日程】
全科目微妙に傾向が変わってめちゃくちゃ凹みながらのスタート。何せ去年のでもギリギリだったのに、英語の設問数が去年より8問、一昨年より10問以上増えていた。しかも現代文1問、古典1問だと思い込んでいたら現代文2問、古典1問になってるし。

後ろの男子生徒が国語開始後20分からいびきをかいて眠り始めました。かなりうるさかったのでつい後ろを向いて睨み付けそうになりました。カンニングとられるところでした…危ない危ない。しかし彼はその後世界史の写真照合が始まってもまだ眠り続けており、試験官に起こされていました。「お前みたいな奴は落ちろ!!」と心の奥から念を送っておきました。

比較的現代文が難しかったらしく、試験終了後、周囲が「国語全然わからんかったわ〜!」と騒いでいるのに、私は国語よりも英語の方ができなかったので妙に焦りまくりました。天王寺予備校(どこやねん!)が英語の速報を出していたので自己採点したらやっぱりマークで4割しかとれていなくて、先行き不安になりながら帰りました。

【2月2日(日曜日) K大学 社会学部S日程】
社会学部は本命なので、ある意味山場でした。この日は電車の乗り継ぎがとてもスムーズで、大学まで全部座っていくことができました。体調もいいし、今日はなんかイケそうな気がする…と勝手にテンションを上げていると、大学の階段で思いっきり転びました(爆!)しかし、試験官が前にオープンキャンパスに行った時にとても気さくにお話してくださったおじさま(教授)だったし、座席もいい位置にあったので試験は好スタート!勢いに乗って解きました。

世界史が山を張って直前勉強したところから全て出題されていて、めちゃラッキー!と思いながら帰りました。しかし、英語の速報(この日は大阪北予備校だった)を見て、気を失いそうになりました。悪かったんだ。英語が。


嶋子 |MAILHomePage

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