★悠悠自適な日記☆
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2002年03月29日(金) 漬物な私

 今日は朝から母と2人でからと温泉につかりに行ってまいりました。露天風呂がサイコーに気持ち良いです。サウナには天然塩がおいてあって自由にとって塩もみすることができるのです。私はアトピー肌なので少しヒリヒリしましたがアトピーに天然塩は効くらしいので塩の量を他の人より少なめにして漬物のごとくもみもみしました。驚くくらい肌がスベスベになりました。

 温泉の後はやっぱり牛乳!ということでフルーツ牛乳を飲みました。うまいんだな〜コレが。

 久しぶりに体の芯までリフレッシュしました。また行きたいです〜。


2002年03月28日(木) 迷走

 私はすごく方向音痴です。土地の全体を大まかに把握するバランス機能が私には備わってないらしいのです。今日もそうでした。今日私は甲南大学のオープンキャンパスに一人で出掛けたのですが、大学側が用意してくれたご丁寧な地図を持っていたにも関わらず早速迷岡本駅を出た所から迷いました。っていうかこの時点で出口を間違えていたらしいのです。そしてなぜかいつの間にかJR摂津本山駅まで迷い込みどんどん大学から離れて行きます。結局近くにいたオバチャンに道を尋ねて何とか時間までに辿り着くことが出来ました。地図には岡本駅より徒歩10分とあるのに40分は歩きました(涙)。

 肝心の大学の中では至る所に係の人が立っており、少しでも私が迷ったそぶりを見せると暇なのか頼んでもいないのにすぐに飛んでやってきます。おかげで大学内で迷うことはありませんでした。ありがたいです。大学はとてもキレイで落ち着いた雰囲気でした。

 問題は帰りです。元来た道を帰れば問題ないのですが迷いながら来た為そうはいきません。ついでにお腹が減っていたので近くにいた学生にこっそり着いて行って再びJR摂津本山駅周辺のイタ飯屋で腹を満たし岡本駅まで歩いて行くこと約15分…岡本駅はいずこ?途中で「阪急岡本駅はこちら」という看板を見て歩いていたのですが何故か気が付けば「神戸薬科大学はこちら」の看板の前に立っています。ヤバイ…!!私は辺りを見回しました。踏み切りはあります。駅のホームもぼんやり見えています。しかし辺りは行き止まりなのです。その時に見た電車の方向を見る限りでは私は反対方向に進んでいたのでしょう。そこで約10分間うろうろした後、やはり元来たメインロードを引き返すことにしました。

 私はどこで道を間違えたのかというと「阪急岡本駅はこちら」という看板の矢印の示す方向を思いっきり勘違いしていたことが判明しました。結局、大学を出たのは11時半だったのに駅に着いたのは1時でした。大学を見学した時間より迷っている時間の方が長かったりします。マヌケです。マヌケすぎます。

 今日の迷走で悟ったことは「猫に小判」「豚に真珠」「嶋子に地図」だということです。ホント私は地図が読めないし、1度じゃ来た道を覚えることができません。これだと将来免許取って車にカーナビ付けても意味なさそうです。「らんま1/2」の良牙君に負けてません。本当にこの方向音痴ぶりには困っています…。


2002年03月27日(水) SFC

 SFC…それはかつて一家に一台は当たり前、日本中の人々を魅了した16ビット家庭用ゲームマシーン「スーパーファミコン」のことである。今やPS2やXBOXの時代にそのスーファミがどうしたというのか…!?

 …やってるんだな、弟が。ドンキーコングを。懐かしい…あぁ懐かしいとも!これは一緒にやらないわけにはいかないということで私もドキドキしながらやりました。とりあえず右に向かって進めばいいのです。久しぶりだからもうできないかなぁ〜なんて思いながらコントローラーを握ったら…やっぱり体が覚えているんですね。慣れちまえば実力は現役時代とさほど変わりませんでした。

 あまりにもスーファミの感覚が懐かしかったので弟が塾に行ったあとも私は続けることにしました。そこで登場したのはドンキーコングではありません。マリオです!!スーファミで一番最初に発売されたあのスーパーマリオワールドです!私は興奮しながらソフトをセットし、電源を入れました。…つかないんだな。それから約1分間格闘の末(これって早い方よね?)ようやくマリオとご対面できました。嬉しいことに数年前にやったデータが残っています。バニラ大地からのスタートでした。なんとマリオの方は腕が落ちるどころかスイスイ進みます。昔はドーナツ平野の城より先はほとんどクリアできなかったのに、今日は約2時間で迷いの森の城まで一人で進めました。何十回挑んでもクリアできないなんてことはありません。昔より知恵がついたのでしょうか?なんだか気分爽快です。

 ときどきたま〜にどうしてもマリオがやりたくなったりするのですが最近はずっとプレステが接続されているのでなかなかやっていませんでした。でも、今日マリオをやって思ったのは、映像より、いかに単純に楽しめるかだなぁ…と。最近は映像がやたらめっちゃかキレイですが、そのキレイさに内容がどうも騙されている気がしてちょっと疎遠になっていました。あのキレイな勇者達に少し冷たさを感じてしまうのです。ゲームも変わりましたね。昔は映像のキレイさをすごく求めていて48メガで大はしゃぎしていたのに今はキレイなのが当たり前ですから。最近のゲーム市場があまりよくないと言われるのはそのせいなのでしょう。ゲームはほぼ頂点に達したのです。ゲームが「流行った時代」から「定着した時代」になったのです。

 私がハマッたゲームといえば「ツインビー」(FC)「スーパーマリオワールド」「聖剣伝説3」「テイルズオブファンタジア」「スターオーシャン」(SFC)FF7(PS)などがありますが最近はこれらの続編のすら全くついていけなくなりました。プレステのコントローラーであるにも関わらず今だAボタンやBボタンと呼んでいるあたり、もう私はオバチャンです。

 原点に戻って欲しいと思う気持ちはあるのですがかつての私のように映像のキレイさを求めた時代があったからこそ今のゲームがあるのだと思うと、何だか複雑です。「ゲームが定着した時代」につぎはどんな革命が起こるのでしょうか?起こせるのでしょうか?


2002年03月26日(火) ちょっと贅沢

 今日は公演の打ち上げでした。三宮でカラオケ6時間フルに歌い続け、みんなでイタ飯を食べて、さらに残ったメンバーで一杯だけ酒を飲んで帰って来ました。1日フルで遊んだのに使ったお金は2千円とちょっと。久しぶりのカラオケはすごく楽しかったし、イタ飯屋で食べたねぎとじゃこのパスタとピザといちごのケーキもとてもおいしかったです。

 ちょっと贅沢をして、ほんのり幸せな一日でした。


2002年03月24日(日) 見えたもの

 4日間に渡って行われた高校演劇上演会(なんかこのネーミングが好きではありませんが…)もとうとう終わってしまいました。コンクールの時は日程の都合で他校の作品を観ることができなかったのですが今回はじっくり観劇することができました。先生もおっしゃっていたことなのですが、どこの学校もジャンルがかぶることなく個性豊かな作品が揃っていたと思います。特に西宮高校は芝居はもちろん、舞台、照明、音響、衣装まで本当に丁寧につくられていて、ちょっと触れたら壊れてしまいそうなくらい繊細で、心が痛くて、今でも私の心にその情景が焼き付いています。私達にはないものをたくさん見せつけられた気がしてすごくいい刺激になりました。

 そして、私達は私達で本当にやりたいことをやれた気がします。知識や技術がないに等しいので思い通りにいかなくて失敗に終わった箇所もたくさんありますが、芝居を始め、チラシ、パンフ、前説、宣伝など、ほとんど大人の手を借りることなくパワーと気合いでやりとおしました。(ちなみに顧問がちゃんと観たのは前日だけです。…おい。)芝居を気持ちよく観てもらうために芝居以外での工夫など、市演やコンクールではできなかったことがたくさん見えました。と同時に自分達で仕事をどんどん見つけて分担していくことの大切さを学んだ気がします。

 とにかく、滅茶苦茶に我武者羅に働きました。今まで生きてきて一番働きました。そして衝突もたくさんありました。だけど、楽しかったです。仕込みもバラシも、たくさんの人とも知り合うことができたことも。私達のような部員がそこそこ集まっている学校は去年のような市演よりこっちの方がはるかに勉強になるとも思いました。

 今まで自分は役者だからといってスタッフワークは最低限のことしか押さえていませんでしたが、役者をやるにももっと知識なんだと痛感しました。もうこのイベントに役者として参加することはないですが受験を終えたら次はスタッフとしてもう一度勉強し直すと共に、次の高校生達の役に立てたらなと思っています。そしてどんどん減ってきている(らしい)芝居をする機会をもっと大切に出来たらなと思います。


2002年03月22日(金) Planet-ch

 無事終わりました。今廃人状態です。動員数が去年は35人くらいだったのに対し、今年は90人を越えたのでひとまず安心でした。っていうか驚きでした。細かいミスは山ほどあったのですが大きなミスはなく無事本番を終えることができたのでよかったです。本番が一番よいできで楽しめたんじゃないかなって思います。

 アンケートで指摘されたことはやはり本番直前に私達ができいていなくて気にしていたこととほぼ同じでした。もっと完璧にして挑みたかったなと思います。私はレベルチェックをミスし、かなり屈辱でした。市のコンクールでは音量を上げすぎと指摘され、今度は落としすぎと指摘され、なんだかとてもバランスが悪いです。セリフでは合わせたのですが足音を計算に入れていなかったのが敗因です。忘れてました。夢野は走りまくるのです。

 今回で作・演出をするのが最後だと思うと少し寂しいです。なんだかんだいって苦しかったけど楽しかったので…。当分は(といってもあと1公演で引退なのですが)音響も後輩に実権をあずけて自分の役の追及に専念しようと思っているのですが、機会があるならまた作・演出をやってみたいです。

 とりあえず今日は泥のように眠ります。
 上演会も残り2日。がんばって他校のお手伝いが出来たらなって思います。


2002年03月21日(木) raging waves

 いよいよ明日は本番です。というかこれを書いている現在は日付変更線をとうに越えているので実際は今日が本番です。いつも本番の前日は早寝早起きを心がけているのですが今回は眠れません。緊張で眠れないのと、自分のセリフが心配なのと今回はまだ仕事が残っていて眠れないのと、何か大切なことを忘れているような気がして眠れないのと…まぁつまりはものごっつう緊張しているのです。ホール入りは終業式の後なのですが、終業式どころではありません。

 私は本番の日の朝には必ず林原めぐみの歌を聴きながら家を出ます。林原めぐみの歌には癒し系とファイティング系に分かれていて、私はどちらもかなり好きなのですが、あえて後者を選び気合いを入れます。

「誰かに誉められる人生 目指してるわけじゃないの
 私が喜ぶ生き方 ぶつかりながら見つけてく
 いきなり強いわけじゃない いきなりできるわけじゃない
 繰り返していく日々から 作り上げていくの自分を
 誰かに認められるより まず自分を認めなくちゃ
 ダメなとこもいいとこも ひっくるめて抱きしめよう」

たくさんある大好きな歌の中から raging wavesという歌の詩を抜粋してみました。この歌は本番前でいっぱいいっぱいの私を楽にしてくれます。この歌を聴きながら、私が喜ぶ生き方を今日も芝居の中から探し出そうとしています。

 


2002年03月19日(火) 逃げたい。

気が付けば明日は仕込みです。といっても自分達の公演の仕込みをするのは当日で、明日は兵庫高校さんの仕込みのお手伝いに行くのです。あっという間でした。芝居のほうはある程度カタチにはなり、あとは今までやったところを定着させるのみです。今回は前回より道具や出はけが楽なので通し稽古も比較的スムーズな気がします。

 しかし、本番が近付くにつれて、私は毎日稽古場から逃げ出したくなります。作・演出をするようになってからです。稽古が進むにつれて、自分の脚本の甘さがどんどん暴かれていき、耐えられなくなってくるのです。書き直す覚悟も必要なのでしょうが、それに気付いたときはすでに遅しです。自分にも、ほかの役者やスタッフにも負担がかかります。優柔不断なあたり私は作家向きではありません。

 でも、逃げ出したいと思いながらも最後まで稽古から離れられない自分がいます。どうしてだろう…まぁいいや。


2002年03月17日(日) 音楽との出会い

 眠いです。いい加減に眠りたいです。毎日仮眠程度しかとっていないので日付感覚がなくなり、今日が何日の何曜日かも分かっていません。今カレンダーを見て青ざめました。本番まであと5日…。ヤバイです。何が一番不安かというと実は音響だったりします。通し稽古をしてみてどうやら音が足りないことに気付き、1からプランニングをやり直しているのです。5日前に(爆!)。音は部員が色々持ってきてくれるのですが「どこかで使えそうだ」と思って持ってきた曲はたいがいどこの場面でも使えないのです。やはり、曲を聴いた瞬間「コレだ!」と思った曲こそ本当に芝居の中に溶け込んでくれるのです。それが探し求めている音楽との最高の出会い方です。この時ばかりは自分のセンスを信用できます。しかし、全て最高の曲と巡り合う機会があるかというとそうではなくて、機会がなかった曲は先延ばしになってしまい、今に至ります。

 巡り合わなかった場合は、とにかく手当たり次第にCDを聴いて探していかなければなりません。が、何せ5日前です。自分の収集できる音楽にも限界があります。そして、焦れば焦るほど、疲れが溜まれば溜まるほど自分の探し求めている感覚がわからなくなってくるのです。

 ないものはないのだからある程度で妥協は必要なのかもしれません。しかし、妥協の仕方がわからないのです。こんなもんかなっていう基準がわからないので不安でいても立ってもいられなくなるのです。このままでは音響操作の子に迷惑をかけてしまいます。っていうかもうかけてます。

 部員が持ってくるのはゲームやアニメのサウンドトラックが多いのですが、これらはメロディーが結構ハッキリしているので芝居では使いにくいです。物語のために作られた音楽よりも、普段何気な〜い所で聴いたり気にもとめないような音楽の方がピンとくることが多いです。個人的な意見ですが…。


2002年03月13日(水) 「できません」

 本番が近付いてきてますます忙しくなってきました。まぁ、音響も照明も明日の打ち合わせが終わればある程度めどが立ちそうなのであとは芝居とパンフレット作成に集中するのみです。でも、パンフレットは同輩間で結構分担してもらえていてその辺は安心しています。欲を言えば、音響・演出・照明・会計などでバタバタしている2年よりももっと1年が手伝ってほしいのですが…。

先日に続き愚痴っぽくなるのですが、これだけみんなが(特に2年が)バタバタしている中で専任のスタッフが「この仕事私できません」と言われて付き返されるとあきれて物も言えなくなります。今日がそうでした。まぁ、私から言わせてもらえば「できなかった」のではなくて「やろうとしなかった」のだろうなと。「やろうとしたけどできなかった」と言って分からないことを質問しないまま何日も放っておき、あげくのはては手をつけないまま返してくるのがいい証拠です。極めつけは「お母さんにこれはできないから返してこいと言われた」と言い出します。幼稚園児かお前は!!と思いました。

芝居という全員プレーが必要とされる作品作りに携わるものとして、「できない」といって何もやらないのは非常に恥ずかしい行為だと思います。上手くいかなくても、失敗してもなんとしてでもやっていくのが舞台人としてのプライドだと思います。まず誠意を示さないと仲間の信用を失うわけですし…。

私達が後輩の立場であるときも似たようなことがあったのですが、それは先輩に怒られる前に(いや、怒られたこともいっぱいあったけど)自分達で注意をしあい、喧嘩をしあい隙間を補ってきました。それは「自分が」ではなく「私達が」先輩と対等でいたいと常に思っていたことと、そして何よりも人数が少なかったのでやることが当たり前の環境であったからです。「できない」と言えない環境に常にさらされていました。初めは衝突ばかりで先輩達にかなり心配をかけたのですが、そのおかげで今2年同士はかなり団結していて安心して仕事を任せられる状態です。

別に特別なことではなく、当たり前の状態なのです。
後輩は甘えすぎです。芝居においてもその他の仕事においても曖昧でなあなあです。これだけ忙しくしているのに更に仕事を平気で放棄し負担をかけてくる奴の気が知れません。結局、自分のことしか考えてないのです。

周りを見れない人間は嫌いです…。


2002年03月11日(月) 激動の日々

 本番まであと10日です。打ち合わせはあさってなのに照明・音響ともにプラン表は真っ白です。どえらいことです。私は音響プラン作成、サンプラーへの音の入力(これが慣れないから大変なんだ。)曲探し、パンフレットの原稿作成(5ページくらいある)、演出、役者…。テストが終わってから3時間以上睡眠をとってません。そして横には同じく照明、チラシ用イラスト、パンフ用イラストなどでてんてこ舞いになっているDがいます。特にこの2人はプライベートもくそもあったもんじゃありません。明日は稽古終了後2人でマクドで打ち合わせです。

しかしここまで忙しいとなると何もしてない奴を見ると腹が立って仕方がありません。「僕、手伝いましょうか?」の一言くらいほしいモノです。私はどうも心配性なので私が指示しないとやってくれないような部員には安心して仕事を任せることができないのです。で、それなら自分でやる方がてっとり早いわ!ということで結局自分で背負い、自滅する…と。まったく困ったモノです。誰がって私が。

どーせ何も手伝わないのならせめて芝居くらいはなんとかしてきてほしいです。
毎日毎日同じこと駄目だしするのは本当に苦痛です。芝居を作るために稽古をしているのであって個々の癖を直すために稽古をしているのではないのです。

愚痴っぽくなりましたが、今の正直な気持ちです。


2002年03月03日(日) さよなら

 劇団鹿殺しの「さよなら」を観劇してきました。
場所は阪急梅田駅から5分くらいのところにあるカラビンカという建物でありました。もうなっつーか、劇場というより小屋です(笑)。客席を除けば家族4人がぎりぎりで花見できるくらいのスペースしかありません。舞台装置かなんなのかわからない砂袋やタイヤなんかが積まれていて、ホンマに芝居できるんか!?っていう場所でした。

 ところが、その狭さと汚さが(失礼)がすごく世界観が表れててよかったのです。物語は戦争モノで、二等兵(i_gardenの森健太郎氏)が慰安婦と恋に落ちるという、テーマ的にはこれまでに見ないくらいドロドロしなのですが、その、実際あまり公にされていない世界にすごく現実味があって深みがありました。レジャーシート1枚分の広さの舞台の中に私はどこまでも広がる青い海と赤い海を見ました。

前田 「明日モ自分ハ弾丸ガ飛ビ交フ中生キテユクノダロウケレド死ニタクハナイノデアリマス。死ヌコトハ怖ヒノデアリマス。生キテ帰リソシテあなたニオハヨウト一言声ヲカケテ頂キタイノデアリマス。タダ自分ハ生キテあなたノソノ笑顔ヲ見テイタイノデアリマス…。」

このセリフを聞いて、役者さん(森さんです)の顔を見て、本当に涙が出てきました。いや、出てきてた涙が止まってしまうくらいすごいパワーがありました。セリフにこんなに圧倒されたのは久しぶりです。小劇団の同じ劇団の芝居ばかり観ていると「知っている役者さんがあの役をやっている」っていう見方をしてしまって物語の世界にイマイチ入り込めず感情移入できなくなってしまうこともあるのですが今回は(今回も)本当に森さんではなく前田二等兵を見ていました。前田二等兵の顔、忘れられません。やはり森さんはすごい役者さんです。ズバ抜けてすごいです。尊敬します。

「お国のために行って来ます」なんて唱えていても、やっぱり本当は死にたくなくて、カッコ悪くジタバタあがいていて…。でもそのカッコ悪さがカッコイイと私は思いました。またもや自分の作っているお芝居の欠点を浮き彫りにされた気がして悔しく思います。いや、足りないモノが分かってしまった以上は補っていくつもりですが…。前回にも書いたように私は戦争の話が大っ嫌いだけど、嫌いながら最後までドキドキしながら観劇することができました。

 私もそんなお芝居作りがしたいです。期末考査が終わったらやらかすつもりです。はやく終われ期末!!


2002年03月02日(土) ユニクロ

 私は試験中はいつも、したがって今現在、ユニクロフリースに(夏場はユニクロTシャツ)ユニクロスウェットを着用しています。別にユニクロ製品にこだわっているわけではありませんが、いかに快適に試験勉強できるかを追及した結果こうなったのであります。フリースもスウェットもメンズのものなので見た目はずんぐりむっくりですが(いや、私の体型自体がずんぐりむっくりなのですが)冬場は暖かいし、いつでも布団に入って快適な仮眠(と称された爆睡)が可能です。ここまでユニクロのフリースが世間一般で定着してしまっては外出する時に着用するのは自分的に許せないのですが、私は肌が弱いので綿製品が低価格で購入できるユニクロ製品には大助かりしております。

芝居の稽古…夏はTシャツ、冬はフリース
ダンス…Tシャツ
外出…綿100%のタートルネック、スカート、ブラウス
家の中…スウェット                     などなど…。

あぁ…気が付けば持っている服のほとんどがユニクロという始末。でも、ユニクロ服はシンプルですが少しおしゃれっ気に欠けるのが難点です。しかし、やっぱり快適に過ごせる服とはいいものです。
みなさんはどのくらいユニクロにタンスの中を占拠されていますか?


嶋子 |MAILHomePage

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