Leonna's Anahori Journal
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2011年07月18日(月) マイティ・ソー

「マイティ・ソー」を観てきました。
映画に3Dは要りません派の私ですが、飛び出すアサノタダノブを観る少ない機会かとも思い、大きな黒メガネをかけて鑑賞しました。

実際には、アサノはあんまり飛び出しては来なかったのですが、ケネス・ブラナーが綺麗に丁寧につくった、なかなか良い映画でした。アメリカンコミックが原作のヒーローものだけど、そこはかとない品の良さが感じられた、と、私は思うのだけど。

それにしても、ナタリー・ポートマンて良い女優さんになりましたねー。彼女の役を別の役者さんが演じていたら、別の映画になっちゃってたかもしれません。彼女の芝居で映画に箔が付いた。

しかし、それでさっそく「ブラックスワン」を観に行くほど、私は真っ直ぐな人間ではございません。次に観たいのは、史上最悪の二日酔い馬鹿軍団がタイへ行くという、あの映画でございます。
「ブラックスワン」はDVDでもいい、でも馬鹿軍団は大きなスクリーンで観たい、ついでだから3Dにしちゃえばいいのに、なんて思ってみたりもする。

そういえば、シャンゼリゼの映画館でもこの映画、かかってました。
あの看板みたときは、うれしかったなー。トレ・トレ・ビヤン!、思わずにんまりしちゃいました。





2011年07月11日(月) ドバイ

 
やっと画像を編集してアップ出来るようになったので、8日のジャーナルに画像を追加しました。百聞は一見にしかず、です。

そして、これで旅行(パリ)のこともお伝えしやすくなりました。しばらくはパリでのあれこれを書きたいと思います。

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今回はドバイ経由で、シャルルドゴールまで実に22時間かけて行ったのです。
6月9日の夜に成田を発って、10日の午後2時頃CDG着。時間はかかるけど午後の早い時間に着けるのがこの便(エミレーツ)の良いところ!
9日の夜6時過ぎまで仕事をして、6時半東京発の成田エクスプレスに飛び乗りました。クロも一緒に飛び乗りました。 チミと一緒に空の旅〜♪
 
しかし、しかし。朝3時半にドバイ到着、5時間のトランジットですからねぇ…
深閑とした空港内に朝4時、男の人の声でチャント(多分イスラムの経文だと思う)が響き渡り、それから次第に人の数が増えてあっという間に乗り継ぎのひとでいっぱいになってしまいました。
お金持ちの国らしく、ピッカピカの空港内には免税店はもちろん、スタバもPaul(パン屋さん)も何でも揃っておりました。この空港で、行きも帰りもハーゲンダッツのアイスクリームを食べました。
 






なかなかパリにたどり着かないなぁ?
もうすぐです。あともう少しでパリにつきます。(ドバイからまだあと7時間;;)






2011年07月08日(金) 地震がきた日のこと(つづき)

その後時間が経ってしまいましたが、震災の日のことを書き終えてから、その後のこと(6月にパリへ行ったことやなにか)を書きます。
地震とパリへ行ったことは微妙に関係があり、パリでは偶然の出会いから、初対面の女性に地震のさなかに神田の路上で襲ってきた「馬鹿に文学的な思い」を図らずも語ってしまったりしたのでした。

それではまず、地震がきて会社から外へ逃げたりまた会社へ戻ったりして、深夜になって地下鉄と徒歩で帰宅した日の、それからのはなし。

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夜中の1時過ぎに家へ帰り着いてこわごわ玄関のドアを開けてみると、下駄箱の上に載せた本棚から文庫本が四、五冊下に落ちていたが、玄関脇の小窓の桟に載せたガラスの鉢や小さな花瓶は、まったく無事だった。そういえば玄関の外、ポーチの端にレンガを積んだ上へ置いた植木鉢は全部大丈夫だったのだ。

ところが部屋に入ってみると、うわーっ!買ったばかりの薄型テレビがスカパーのチューナーとDVDプレーヤーをひき連れて高さ70センチのボードから落下、床にぺったりと画面を伏せているではないか。DVDプレーヤーは床に落ち、コードの長さの関係で床まで届かなかったチューナーがボードからぶら下がっている。あわててTVを助け起こし、電源を入れてみたが何も映らず。青くなったが、これはアンテナのプラグが抜けたのが原因だとわかり、すぐに復旧できた。
それ以外にも、仏壇の位牌が倒れ、供えてあった花も倒れて花瓶の水で周囲はぐっしょり。台所の洗剤やまな板、サランラップの箱などがシンクの中へ落下。洗面所でも化粧水の瓶が洗面ボールの中へ落下して、瓶は無事だったがふたにひびが入っており、捻って開けてみたらピシーッと音がして割れてしまった。あと割れたものといえば食器棚の中のお茶碗ふたつだけで、総じて被害というほどのものではなかった。

しかし、二階へ上がって、寝室のドアを開けてみると。えええーっ
140センチの幅で天井までの高さのスチール本棚にぎっしり入っていた本(500冊位?)が寝床の上に落下して山になっていた。この本棚は普段天井に突っ張る状態で固定されているのだが、ドアを開けたときには右端の40センチ幅の棚が天井から外れて斜めに部屋を突っ切っている状態。慌ててふらーっと倒れかかっている棚を壁面へ押し戻したのだが…、しかし感心するのは放り出された本が散乱せずに、きれいな山になっていたこと。要するにそういう揺れ方だったのだろうけれども、それにしても律儀に、一冊残らず寝床のうえにのっかっているではないか。地震が就寝中だったら、降ってくる本の雨あられで、無傷では済まなかったかもしれない。

↓本の上に置いたスチールの棚板だけは、私がひろい集めて置いたもの。本は落ちたときのまま。






呆然と立ち尽くす午前二時、しかしこの本を片付けなければアタシは寝る場所がないのか。あーやれやれ、とつぶやいて本の山を片付け始めた。で、結局寝たのは朝方の五時頃…

そうしてその日から、いわゆる「震災後」が始まったのだった。
津波の被害に遭った地域にはその地域の、原発に近い地域にはその地域の、東京都とその周辺のベッドタウンにもその地域なりの、被害の大きかった場所、そうでもなかった場所、とにかく震災というものに見舞われた日本という国で、震災を意識するそれぞれの人にとっての「震災後」が始まって、それは目に見える形と見えない形の両方で、いまも続いている。






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