Leonna's Anahori Journal
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2007年04月28日(土) 旅する美術館

 
グレゴリー・コルベールの "Ashes and snow"を観にお台場へ出かける。

最寄り駅の青海でゆりかもめを降りて歩いているうちに、強風が吹いて雨粒が落ち始めた。必死でヴィーナスフォート裏の会場を目指すも、目前で大雨(豪雨と呼んでいい)につかまってしまった。なりふり構わず会場入口へ走りこむ。息を整えつつ前をみると、丘の上に巨大観覧車が鉛色の空に向かってそびえ立ち、海側から射す鉛色の光に下方から照らされて何やら異様(地獄の一丁目みたい)な景色が広がっていた。
 
会場のノマディック美術館は、貨物用のコンテナを積み上げて作った仮設美術館だ。中へ入ると広くて薄暗い空間に大きな写真がズラリと展示されている。見上げれば、壁はたしかに船積み用のコンテナをドンドンドーンと組んだもの。とっさに、地震が来たら恐いなこりゃと思ったが、この日この美術館を揺るがしたのは、地震ではなく暴風雨。館内に静かに流れる音楽をかき消して、屋根代わりのシートを雨が叩き、風がばたつかせる。いっそ音楽を止めてこの自然のBGMだけでもいいと思ったくらい。そうしたらまるで、本物のジャングルの中にいるみたいだったろう。

映像作品は三本。三ヶ所のスクリーンで、それぞれ繰り返し上映していた。
どの作品にもたくさんの動物が出てきてうれしくなってしまうのだが、しかしこんな映像をいったいどうやって撮ったのだろう。きっと何年もかかって、来る日も来る日もフィルムを回し続けたのに違いない。私たちが目にするのは、そのすべてのうちの何百分の一でしかないのだろう。

動物以上に印象に残ったのは、水(雨、川、海)や砂漠の砂などに直接身をゆだねる人間の姿。どの映像も独特の皮膚感覚に満ちていて、これがコルベールという人の特徴だなと思う。中でも一番長い作品に出てくる、一組の男女の水の中でのパフォーマンスは、最高にエロティックで、素晴らしかった。あの絵は陸に上がっては無理、水中でなければ撮れない。
 
けっこう長居して、表に出る頃には雨風も収まっていた。湿気がとれて、来たときの蒸し暑さがうそのように空気がひんやりしている。寒さと、広い会場を歩き回った疲れで「コーヒーが飲みたい」と思ったけれど、この仮設美術館にはカフェがないのだった。残念。
 
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あとから知ったのだが、この"Ashes and snow"は、2002年にヴェネチアのアルセナレ(海軍造船所)からスタートして世界を巡回しているらしい。
アルセナレは、私と友だちがヴェネチアで滞在していたホテルの運河をはさんだすぐ隣だった。霧の出た夜に、橋を渡って散歩したことがある。水に落ちるのではないかと思うと恐くて、それでもずっと歩いていたかった。

ヴェネチアで"Ashes and snow"って、ちょっと似合いすぎる。きっと、すごく官能的な展覧会だったんだろうな。










2007年04月15日(日) おじさんの本

少し前に、叔父が本を出した。

夜遅く帰宅して、郵便受けを開けたら書籍とおぼしき郵便物。amazonのユーズドで本を注文したときとよく似た体裁だったので、あれ、何か買ったっけなと思いつつ差出人を確かめると叔父さんからだった。

この叔父は母の五人いる弟のうちのひとりで、大学時代は海洋学部で船に乗って海底の地質調査や地熱の計測をしていた。そうして、卒業後はそのまま大学の出版会に入って定年まで勤めた。去年、法事で会った時に「地球の体温を測っていた時のことを本にまとめているんだ」と言っていたが、その本が出来上がって、私のところへも送られてきたのだった。

メインは観測船に乗ってヒートフロー(地殻熱流量)を調べたときの太平洋航海記なのだが、さわりの部分には、生まれ故郷のことや浪人・予備校時代のことも書かれている。この浪人・予備校時代、上京した叔父は一時東京で、私たち家族(父と母、幼児だった私と途中から登場する妹)とひとつ屋根の下に暮らしていた。

それで、本には三歳児だった私も登場してくるのだった。
姉(私の母)の家から下宿へ引っ越す前日のこと。夕食にはビフテキがならび、それとは別に姉が尾頭付きの魚を焼いてくれた、お小遣いも貰ったとある。そして翌出発の日、昼食に赤飯をいただいた、姪の×××(←チマリスのリアルネーム)は、お花とかつお節を紙に包んでくれた、と書いてあった。

お、お花とかつお節を包んだ…。なな、なんと可愛らしい!とても自分のこととは思えない。この家(私が生まれて最初に住んだ場所)のことはわりとよく覚えているつもりだったが、さすがにこのことは記憶になかった。暫く、子供時代の自分の可愛らしさに鼻まで浸っていい気分になっていたのだが、改めてその前後の光景を読むと、考え込んでしまった。

「姉は背中に○子(←妹のリアルネーム)をおぶって涙を流した」と書いてある。まだ若かった母が、下宿へ越してゆく弟を見送りながら泣いている。ほっそりとしたその背中には、生まれて間もないわが妹がくくり付けられている。その文章のなかに母が生きていた。「書かれる」ということは新しく命をもらうということ、なのだろうか。

目からなにか出てきたあたりで、本を仏壇にあげて「叔父さんの本です。ママもあたしのことも書いてあるよ」と報告した。こんなことを言って何になるのか(誰が聞いているのか)わからない。
しかし、書かれることによって生き返った母は、本の中で、その若さを保ったまま、弟を見送りながらいつまでも涙ぐんでいるのだった。
 
  







2007年04月07日(土) 古書店へ行って気付くこと

 
ブックオフにしろ、八重洲の金井書店にしろ、近頃古書店へ行くと見覚えのある本がわんさか出ていることに気付く。

加賀乙彦「錨のない船」、丸谷才一「裏声で歌へ君が代」、水上勉「金閣炎上」、井上ひさし「吉里吉里人」…
こういった、昭和50年代以降に大きな出版社から出た箱入りの単行本が店頭のワゴンに山積みになっている。
私がこれらの本に見覚えがあるのは、どれもその昔亡父の本棚に並んでいた本だからで、懐かしさを感じるのと同時に「そうか、こういう本を買って読んでいた年代が、まさにいま滅亡に瀕しているのだな」とわかる。

要するに、大正の終わりから昭和ひとけた位の生まれのひとたちが次々に亡くなって、家族がその蔵書を処分しているのだ。父は亡くなる数年前、自分たちの年代(戦中派と呼ばれる)について「死に盛りさ。」と言ったことがあった。
私は古書店のワゴンの前に立って、「ほんとにこれ、うちから出た本なんじゃないの?」などと思いつつ、父の言っていた言葉の意味を理屈ではなく思い知らされているわけだ。
 
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その中でも、特に目立つのが開高健の本。
私も昨年末、箱入りの「珠玉」を買ってしまったのだが、単行本に限らず、文庫本とも、古書として大量に出回っている。
 
先日、ブックオフ行きを免れた亡父の本の中にも開高健の文庫本がたくさんあった。4年前ベトナム三部作を読んでいたとき、「輝ける闇」のあとに「夏の闇」を読むつもりだと話すと、父が「その本ならうちにある、いま探してやる」と言うのを断って、自分で新しい本を買った。父は当時すでに、記憶違いや何をどこに仕舞ったか忘れることが多くなっていたので、短気な私は面倒を嫌って「いいよ、いいよ」と探させなかったのだ。

父の遺した文庫本のなかにはその「夏の闇」も、それから「珠玉」も、ちゃんとあった。可笑しいような悲しいような、妙な気分である。

ウィスキーの水割り(またはロック)を舐めつつ、開高健を読み、開高健のような「男の生き方」について多少なりとも思いを致した男たちが消えてゆく。別にそういうオトコがいいとか、素敵だとか思ったことはただの一度もないのだが…。
さびしいような不安なような、これまたちょいと、妙な気分なのである。
 
 
 
 




2007年04月06日(金) いつ読むつもりか知らないけれど…


欧州チャンピオンズリーグの結果など横目で見つつ、この半月ほどの間の購入本。
 
 「家守綺譚」 梨木香歩(新潮文庫)
 「ねるい眠り」 江國香織(新潮文庫)
 「もう切るわ」 井上荒野(光文社文庫)
 「温泉旅日記」 池内紀(徳間文庫)
 「コレット」 ハーバート・ロットマン(中央公論社)
 「大聖堂」 レイモンド・カーヴァー(中央公論新社)
 
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先月、一念発起してダンボールに入れたまま積んであった亡父の本を整理した。置いておいてもしようのない本をブックオフへ持っていったのだ。ダンボール二箱で3千円になったが、塩野七生のローマ人の物語(単行本)は値段が付かず、タダでよろしければお引取りしますと言われて引き取ってもらってきた。

「もう切るわ」と「温泉旅日記」はそのときにブックオフで買った本だ。
「コレット」は八重洲地下街、R.S Booksで買った、これも古書。辞書のように厚くて重い伝記本だが、定価3,600円が2,000円だったからかなり得した気になっていたのに、最近になってamazonで見たら新本が2,000円以下で出ているではないか。新装版だろうか。いずれにしても、せつないことである。

「大聖堂」は村上春樹翻訳ライブラリーの中の一冊。カーヴァーはその昔、春樹の訳で「僕が電話をかけている場所」と「夜になると鮭は」の二冊を読んだが、その二冊とももう手元にはない。それで、ライブラリーで買いなおして読んでいるわけだ。律儀な読者と褒めていただきたい。
「大聖堂」は文芸誌掲載時(新潮、だったろうか)に読んだような記憶があるのだが、ただただ感心、感動したという印象しか残っていない。何にどう感動したのか、今読むとどんな感じがするのか。自分でもちょっと興味がある。
 
ところで、レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」の村上春樹による新訳、あの売り出し方って、どうなんだろう。私はチャンドラーの多くを清水俊二さんの訳で読んだのだけど、特に変な風には感じなかった。訳がどうこうという前に、チャンドラーの世界に惹きこまれてしまってね。
今の書店の新訳チャンドラーに関する売り文句を見ると、ちょっと清水さんに対して失礼なんじゃないの?と思わずにいられない。
 
 
 
 


2007年04月01日(日) 花よりリエット

春になって、桜、桜と言ったり書いたりしていると、なんだか歳取ったな、という気になる。
若い頃は、桜なんかどうでもよかった。花見で大騒ぎする大人も嫌いだったし(これは今も変わらない)、そもそも、春という季節が嫌いだったのだ。

それがこの頃では、桜が咲けばキレイだと思うし、春になれば「暖かくなったねー」などと言ってうれしそうにしている。
暖かくなって何がうれしいのかといえば、身体が楽(冬の寒さは身に堪える)ということと、暖房が要らなくなる(家計費の節約)のふたつが主な理由なのである。やはり「オバサンになった」感は否めない。
 
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そうこうしているうちにも、そろそろ桜が満開になる。
今年も赤坂全日空ホテル脇の桜坂を上りながら夜桜見物をしよう、そして、アークヒルズのオー・バカナルでワインでも飲んでちょっとだけいい気分になろう、と出かけた。

しかし、数年前、初めてこの桜坂を上りながら、偶然にほころび始めた桜の花をみつけたときの新鮮なよろこびは戻ってこない。結局、予定調和の花見になってしまう。
桜は、どうぞご覧くださいといわんばかり、道にかぶさるようにして咲き誇り、それを見ながらそぞろ歩く人も多かった。
 
 
風が強かったので、オー・バカナルではテラスへ出ずに中へ座ることにした。
ワインとパテを頼んだら「パテは売切れましたが、リエットならあります」という。間髪入れず、注文。リエット(脂タップリの豚肉ペースト)は私の大好物なのだ。あーあーあー、昔に比べて、うんと贅肉つきやすくなってるのに大丈夫なのか!という心の声(小声)を無視して、飲み、且つ食べた。
 
 
  
画像は桜坂上り口にある全日空ホテル。最近になってインターコンチネンタルと提携したらしい。
携帯でこれを撮っているとき、海外旅行で初めて訪れたアジアの都市にいるような気分になって、これは、なかなか新鮮で良かった。
  



 
 
 
 

 


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