Leonna's Anahori Journal
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2006年02月25日(土) やめたい

 
タバコ、やめたい。
 
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「一ヶ月以上我慢してはいけない」らしい症状がもう三ヶ月以上も続いている。とはいうものの、こういうことは初めてではないし、このままで、どうにかしようという気にもならない。

今日はテニスにも出ず、というより家から一歩も出なかった。土も植物も買わなかったし、携帯屋にも行かなかったし、洗濯もせず本も読まず、お礼の葉書も書かず、電話もしなかった。誰とも一言も口をきいていない。

それでは、と、二階へ上がってベッドに横になったらじわりと疲れが出て、電気を点けたまま、何時間か眠った(しかし私は、何に「疲れて」いるのだろう)。

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さっき。開いているタバコ二箱を水に浸けてから捨て、灰皿も捨てた。さて、寝直すか。







2006年02月24日(金) トゥーランドット

 
イタリアといえばカルチョ、トリノといえばユヴェントスであって、先日のイタリアダービー(インテル×ユヴェントス)は大盛上り、熱々の好ゲームであった。デル・ピエロー!

というわけで、冬季オリンピックには興味なし。冬季に限らず、夏季オリンピックにしても、観るのはサッカーとテニス、場合によってはマラソン、くらいのもの。特に体操などは、うまくいくだろうか、失敗するんじゃないだろうかと過剰に冷や冷やしてしまって、まったく楽しめない。フィギュアスケートも同じ理由で、あまり観たいと思わない。
 
 

それでも。女子フィギュア、荒川静香選手のフリーの演技は、やはり素晴らしかったのだ。勝ち負けを忘れてうっとりさせてくれるものがあった。技術力よりも美的なものが前へ出ている(ように見えた)のがとても良かった。聞けば、採点方法が変わって得点に結びつかなくなったため封印していた得意技のスパイラルをあえて復活させ、今回の演技に取り入れたとか。なるほど、道理で。

これから「トリノのアラカワ」を思い出すときには、同時に、頭の中に必ずあのトゥーランドットの旋律が流れてくるのだろう。やっと獲れたよメダル、それも金!などということとは関係なく、素晴らしく満足の行く金メダルに、チマリスも静かに拍手した。







2006年02月22日(水) くせもの

 
日本×インド。

やっぱりうまいね、久保は。若手もがんばってるけど、自信を持って「くせもの」と呼べるのはクボタツだけ。あの独特な感じは、海外組にもないもの。

あと、切れてる遠ちゃん、久しぶりに見ました。うれしかったでーす。
 
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村木道彦、丸善では在庫切れ。しからば、アマゾン。待つのもまたたのし。
 
 
 
 


2006年02月21日(火) 村木道彦


思い立って、ここ暫く松浦寿輝の小説を買い集めていたのである。
今日、そのなかの一冊、「もののたはむれ」という短編集を斜め読みしていて、村木道彦の短歌に遭遇してしまった。

実に大変なものに行き合ってしまった。タイヘンダ、タイヘンダと大声で叫びながら走り回りたいようでもあり、動悸を抑えつつ、がっくりと膝をついて泣き出したいようでもある。

ひとことで言うなら、官能的なのだ。それも、未だ汚れざるものだけがほんの一時纏うことのできる官能。ありふれた日常の中で、苦しく輝いて、あっという間に消えてしまうもの。


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村木道彦の歌は、「黄のはなの」という短編に登場する。というよりも、この「黄のはなの」というのが、一首の歌からの引用(初句)なのである。
その短編によれば、村木道彦というのは「二十代の初めに代表作のほとんどを書いてしまい、三十代の初めに『天唇』という題名のごく薄い歌集を一冊だけ出し、三十代半ばにはもう歌を詠むことをふっつりやめてしまった歌人」だそうだ。「たしか、静岡の県立高校の先生なのではなかったか」とも書かれている。


いずれにしても、松浦寿輝は恩人なのである。現在、村木道彦の歌を読もうと思ったら、国文社の現代歌人文庫24「村木道彦歌集」をもとめるより他に方法はない。この一冊に、彼の全短歌が収められているのだ。

いま私は、待ちきれない気持ちでいる。明日になったら、「タイヘンダ、タイヘンダ」と胸の中で叫びながら、丸善へ「村木道彦歌集」を買いに行くだろう。






2006年02月20日(月) 薔薇の花

  
すみだトリフォニーホールにて、矢野顕子ライヴ。仕事帰り、イ・ズーと待ち合わせて出かける。

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トリフォニーホールは、一昨年の暮れ、ジョバンニ・ミラバッシ・トリオを聴いたホールだ。とても立派なクラシックホール。今日は三階席の中央だったが、最初は遠くに小さく見えていた舞台上のピアノと演者が、段々近づいてきて、最後には二回りほども大きくなったような気がした。

今日もアッコちゃんは、くるりの「薔薇の花」を演った。彼女が演ると、毎回まるで違った曲になる。あの薔薇の花は、まぼろしの花なのだ。たしかに見たし、触りさえしたはずなのに、忽然とどこかへ消えてしまう。塗りつぶしたような青空。

コンサートの間中、一ヶ月もの間、ずっと書けずにいる手紙のことを考えていた。このままずっと書けないのではないか、むしろその方が良いのではないかとも思う。そう思いながら、何遍も何遍も、下書きをする。歩きながら。料理しながら。電車に揺られながら。それが、私の日常になってしまった。

めまいのするような青空の下で、私も、たしかに見たのだ。あの薔薇の花を。そのときは、そういう花だとは知らずに、ただ笑っていたのだ。消えたものを消えたと認識できるのは、その残像ゆえだろう。ぼう然としながら、そんなとき出来ることといったら、やはりジンジャーエール、買って飲むことくらい、なのだろうか。

降り出した雨の中、傘をさして帰るとき、あの薔薇の残像が夜の闇のなかに揺れて、部屋の電気をつけるまで、ずっと付き纏っていた。
 
 
 




2006年02月18日(土) 柔らかい土

 
ほらみれ、久保だろ、竜彦だろ。

って、実はフィンランド戦見忘れちゃった。嫌〜!
 
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午前。
ゆっくり起きて、庭で鉢植え用の土を作る。

これまで植物用の土は、クルマで大きなホームセンターへ出かけて、赤玉土、腐葉土、堆肥(牛糞スロード)をドンドンドーンとまとめ買いしていたのだが、現在はクルマも運転する人もいないので、自分の手で運べる量しか買うことが出来ない。昨日も赤玉土と腐葉土、各3リットルずつを買って提げてきたのだが、一度に調達できる量がこれでは、いまひとつダイナミズムに欠けてしまうのだな。園芸生活の、な。

ところが、このまえ球根を植えようとして地面を掘ったときに判ったのだが、ここの庭の土はしっとり且つふかふかと柔らかくて、なかなか悪くなさそうなのだ。そこで、赤玉土と腐葉土に、ふるいにかけた庭土を混ぜて嵩を増やす作戦で行ってみることにした。堆肥も、近所で牛糞スロードが手に入らず困っているのだが、とりあえずマグアンプなどの化成肥料(あまり好きではないのだが)で凌ぐことにして、いそいそと軍手をはめて庭へ出る。やってみると、ふるいにかけた土はやはりふかふかと柔らかく、園芸用土としては合格、二重丸なのであった。

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午後。久々にテニス。

改修中の室内コートの屋根が完成した。ところが、林家コーチが転勤で他所のスクールへ行ってしまったので、スクール内、静かだったらありゃしない。

何ヶ月ぶりかで少し走ったけれど、足は大丈夫。でも手首とか握力が弱くなったみたいで、このあたり老化が甚だしい。おかげでストロークが安定せず、打てば打つほど駄目っぷりを披露してしまった。

帰り道、降り出した雨をものともせず、コレオネマノースポールを各2鉢ずつ買って帰る。

コレオネマはとても鮮やかなピンク色の花をびっしりと付けている。葉に触れると僅かに蜜柑のような香りがする。こいつを隣との境の柵に沿って直植えして、蜜柑の香りのする小さなブッシュを作るのだ。ノースポールは、素焼きの中鉢に植える。

一度は不便さに負けて引っ越しも考えたけれど、庭のある生活ということを考えると、もうしばらくはここにいるより仕様がないかなと思う。少なくとも、今年埋めた球根から来春、にょきにょきと芽が出てくるのを見るまでは此処を動くわけにはいかないゾ、という気になっている。
 
 


 


2006年02月16日(木) ついに猫村さん


仕事場で、猫好きの女性から「今日の猫村さん」を貸してもらった。

猫村さんについては、ミュンヘンの友だちの家でも教えてもらったのだが、そのときは「猫村さんてオスなのメスなの」とか「なんか男オバサンぽい」とか勝手な発言だけして、きちんと読まずに帰ってきてしまったのだ。
 
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会社の帰りに、OAZOの丸善書店内にあるカフェで「猫村さん」の頁を開いた。なんとなく、後ろを通るお給仕さんが「漫画なんか読んでる」という顔をしているような気がしてしようがない。それで、ふと本を閉じてみると、かかっているカバーが紀伊国屋書店のやつ。むむー。開けたり閉じたり、また開けたり。

しかし、そのうちにそんなこともどうでもよくなってしまった。心の中の声は「ま、気にしたってしかたないわ、さっさと読んじゃいましょ」。はぁ〜、小猫のおヒゲよ泣かないで〜♪(うろおぼえ)と、すっかり猫村さん化してしまった。

あたしも食べてみたいな、ネコムライス。プリン付きで。
 
 
 
 



2006年02月13日(月) 保温タンブラー

 
いま勤めている会社は机の上にカップや飲み物の瓶を置いてはいけないことになっている。もし倒して中のものをこぼしたら、パソと書類がアチャパーになるから、らしい。故に蓋付き容器ならOKなのである。ペットボトルも可。それで皆さん、スタバで売っているプラスチック製の蓋付き容器や、中がステンレスの大きな蓋付きカップなどをデスクの上に置いている。

私も、昨年末、中がステンレスで冷めにくいタンブラータイプの蓋付きカップを買った。外は、光るローズピンク。ところが、初めてこれでティーバックのハーブティーを飲もうとしたとき、いきなり唇をヤケドしてしまった。保温性能が高すぎて、磁器のカップのように自然に冷めてくれない。熱いながらもまぁ飲めるという熱さまで、なかなか下がってくれないのだ。その塩梅がわからずに、いきなり、蓋に開いた小さな穴から熱々のお茶を口の中へ流し込んでしまった。

それは、熱いというよりも痛いと呼ぶのが相応しい衝撃で、ぎゃっと叫びたいのをこらえるだけで精一杯だった。液体をデスクに向かって吹き出さなかったのは不幸中のさいわい。もともと、テイクアウトした紙コップの、あの蓋に開いた小さな穴からコーヒーを飲むというのが嫌で、できる限り蓋をはずして飲んでいた私なのだ。あの小さな穴に唇をくっつけて液体をちゅっと流し込むたびに、あたしはハムスターじゃない!と文句を言いたくなる。

ハムスターも嫌だが、そのうえヤケドまでしては堪らない。それ以来、光り輝くローズピンクの保温タンブラーの、蓋を外して使っている。いまのところまだ怒られたことはない。

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そもそも、この手のカップというのは行楽やアウトドアで使うためのものだろう。暖房の効いたオフィスで使用してヤケドなんかしている自分はなんて阿呆なのだろうと密かに憤ったが、今日、そのタンブラーを持って外へ出てみた。昼食をパン屋さんでテイクアウトして、丸の内の某ビル一階のテラス(テーブルとイスが出ている)で食べることにしたのだ。

解放感のある吹き抜けに、大きなガラスの壁面から陽が差し込んで暖かく、オフィスの閉塞感からも自由になれて、大変に心地よかった。タンブラーには会社の給湯室で紅茶を淹れて持っていったのだが、密閉式の蓋のおかげで持ち運びは楽だった。保温のおかげで外でも温かいお茶がたっぷりと飲めたのは言うまでもない。やはり野に置け、保温タンブラー。
 
 
私は性格が悪いので、こういう楽しみは誰にも教えず、ひとりでこっそり出かけることにしている。これからも暖かくて気持ちの良い日には、ランチと文庫本を持って抜け出そうと思っている。ウッシッシのウッシッシ、だ。
 
 
 
 
 


2006年02月12日(日) 春の爆弾

 
買ってきた球根を庭の木の根元に埋めた。芽の出ているクロッカス6株と、ムスカリ30球。すでに隣の庭との境目に植えてあった(そしてもう花を咲かせている)水仙の隣りにも埋めた。

球根は、春の爆弾だ。寒くても、雪が降ってもへいちゃらで、春になると必ず、去年と同じ場所にスイスイと葉を伸ばし、たくさんの花を咲かせる。たとえ埋めた人間が、すっかり忘れてしまったとしても。

球根を埋めるついでに、プランターの中で根が回って窮屈そうだったローズマリーも地面に下ろした。これは以前の住まいから持ってきたもので、茎はすでに1センチ位、なかば木のようになっている。

それから、四畳半ほどの広さの庭を這い回るようにして雑草を抜いた。春の土は軟らかいのだということを初めて知った。小さなシャベルをサクっと土に入れて、小さな雑草や冬枯れした雑草の根を取り除く。これ以上は腰痛が出るというところまで、夢中で這い回った。

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夜。

TV画面に、やたらゴチックな映像。映画「キャシャーン」だった。
きれいだけれど、悲しい話、みたいだった(座って、きちんと観ていたわけではないので)。今晩怖い夢をみたらイヤだなぁという気も、ちょっとする。

こうしてみると、ミッチーっていい役者さんだなあ。それから、樋口可南子がとってもきれいだった。
 
 
 
 


2006年02月08日(水) 遺品整理、継続中。

 
まだ、父の家の片づけが続いている。このまえは東京からいとこに手伝いに来てもらってタンスの類いを運び出した。

整理タンスやカラーボックス等をえっちらおっちら運んだあとで、母の桐箪笥を持ち上げてみて、驚いた。軽い。ほかの家具類とは重さも造りもまるで違っていた。半世紀以上も前、嫁入り道具として母の郷里の職人さんによって造られた箪笥には、表面が茶色く煤け、裏板に隙間があいているにもかかわらず、一瞬捨てるのをためらわせるような独特の質感があった。

なぜ着物を桐の箪笥に仕舞うのか、その理由を以前どこかで聞いたことがある。桐の木の内部は多孔質で、ちょうどスポンジのようになっているらしい。それで、昔、火事になると桐箪笥にザバザバと水をかけてから逃げたのだそうだ。多孔質の桐の木がスポンジのように水分を含んで、中の衣類を守ってくれる、というわけだ。

その桐箪笥から抽斗を抜き、三つに分割(そういう構造になっている)して、ゴミ置き場へ運ぶ。ゴミ置き場で元通りに組み立てられた箪笥を見たときには胸が塞がる思いだった。屋根のない寒空の下でその箪笥をみるのは初めてだった。

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桐箪笥の中から出した着物は、すべてリサイクルに出すつもりでいた。そういう場所もインターネットで調べて見つけてあった。ところが、出した呉服の紙を開いてみると、これはちょっと他人様に遣ってしまうわけにはいかないという気持ちになってしまった。

おそらく、母がまだ若い頃に着ていた着物を羽織に直したものなのだろう。唖然とするような鮮やかな裏のついた羽織が何枚も出てきた。触ってみると、とろけるような柔らかさ、ささくれた指で触るだけで、傷つけてしまいそうだ。

結局ほとんどの着物や羽織を、大きな段ボールに詰めて私の住まい宛てに宅急便で送った。どうするつもりかって? 勿論、私が着るのだ。他にどうしようがありますか。
 
 



 


2006年02月05日(日) 床屋談義


髪が伸びた。
夜、バスに乗って美容院へ髪を切ってもらいに行く。

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開口一番、コンニチワァ!となにやら明るい、美容師のYさん。お元気そうね、それに何だか楽しそう、何か良いことでもあったの、と訊ねると、「何もないですよ。あ、今朝7時まで飲んでたからあまり寝てないんですよ。だからちょっとナチュラルハイ、なのかな」とのこと。

これだから嫌だね、若い人は。聞いているこちらの方が具合悪くなってくる。それにこんなナチュラルハイ野郎に刃物(小さな尖ったハサミ)持たせて大丈夫なのか。「お酒、飲まれないんですか」と訊くので、「飲まない、もう飲めなくなった。そうじゃなくても、いま私、お酒も音楽もダメなのよ」と応える。

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年末から今年にかけてロクなことが無かった、この前ここで髪を切ってもらった直後に父が亡くなってね、と言うと「エェーッ」とたいそう驚いた様子。違うのよ、ほぼ大往生の部類、ま、寿命だわねと解説する。二十代位の人はまだまだ自分も親も不死身だと思っているから、ヒトが死ぬなんてことはとんでもない「一大事」なのだ。これが四、五十代になってくるとお弔いも身近になって、ヒトは死んで当たり前とわかっているから、ぐっと落ち着いたトーンで「ご愁傷様です。大変でしたね」というような反応になる。

「それでね、お葬式出したり、あれやこれや気の鬱ぐようなことが重なって。だいたいいつもクリスマスからお正月にかけてはあまり良くないんだけれど、この冬は特別悪かった。進退窮まったという感じよ」
「え、クリスマスも」
「うん、最悪だった」
「じゃ、お酒飲んで気晴らし、とかは」
「底なし沼に足突っ込むんじゃないかと思うと怖くて。だいたい、飲みたい気分にもならないし」
「で、どうして音楽がダメなんですか」
「お酒にしろ音楽にしろ、変に感情を刺激されたり、深いところへグーッと引き込まれるようなものは、いまは駄目なの。」
「明るい音楽を聴いて、明るい気分になるっていうのは?」
「聴きたくないもん、そんなの」
「フーン、凄く楽しそうな音楽とか聴いたらどうなるんだろうなぁ」
「だからね(と、思わずここで笑ってしまった)、そういうの一番嫌なの、聴きたくない!」
「…フムフム、そうなんですね…」(何がそうなんだ・笑)
 
 
それから、また当たり障りの無い話をして、もう少しでハイ出来上がり、といところで、鏡越しに、Yさんが言う。

「そうっすよねぇ…(何が、そうなんだよ)そういうときもありますよねぇ…(どういうときだよ?)そういう、じーっと我慢するしかないときも、あるんじゃないですか?」
「あら。あなた、急にオトナみたいなこというのね。おっと、すでに二十歳を過ぎた大人に向かって、シツレイ。でも、言ってること、全面的に正しいっていうのが、すごくイヤだわ」
「すみません」

この辺りになると両者ともおかしくておかしくて笑いをこらえているのである。

「ほんと、正しければいいってもんじゃないんだから」
「そうっすよね!」

わかってるんだかわかってないんだかわからないYさんは、ニコニコしながらとってきたコートを着せてくれた。この人は瞳の色が薄くて、少し個性的なきれいな顔をしている。一年くらい前、初めて髪を切ってもらったときは、もう少し派手でケバい服を着ていたのに、この頃はすっかり趣味が変わって、今日も肩のところにボタンのついた紺色のセーターに白いシャツというキュートな出で立ちが、よく似合っていた。きっと付き合う女の子が変わったんだな。

…いやいや、若い人を舐めてはいけない。あれで結構わかってるのかもよ、などと思いながら美容室をあとにしたが、つらつら考えてみるに、一番わかってないのは私なんじゃないかということに思い当たり、軽くガクゼンとしたのだった。
 
 



2006年02月04日(土) トドロキさん

 
遺品整理などというと、薄暗い書斎で、全集本や古い歌集、懐中時計や硯箱をまえに黙り込んだまま幼い頃の思い出に耽る美人姉妹の図、などというのが浮かんできそうだが(きませんか?くるでしょう!)、現実は、まったく、全然、これっぽっちも、そうではないのだ。とにかく、引っぱり出しては分別して捨てる、ほこりや汚れと戦いながら、捨てて捨てて捨てまくるのである。

たとえば、冷蔵庫ひとつ捨てるにもリサイクル法に照らして、正しい方法で正しい処理料をお支払いし、然るべき場所へ持ち込まなければならない。これだけでも十分面倒くさいのだが、その前段階として、まず冷蔵庫の中身を全部出して捨てなければならず、これがとにかく地味で細かくて面倒なことこの上ないのだ。

使いかけの醤油、味噌、ソース、ドレッシング、マヨネーズ等々の調味料の中味を捨てて、洗った容器はガラス、プラスチック類、缶などに分別して捨てなければならない。一事が万事こんなふうであるから、あの懐かしい父のオーバーコート(内ポケットのところに刺繍でネームが入っている)も、お誕生日にあげたセーター(奮発した)も何も、懐かしんでいるヒマはない、とにかくゴミとして分別。

また、困ってしまうのが写真や手紙の類で、整理を始めた初期段階ではついつい座り込んでは見入って(読みふけって)しまい、アチャーまたやっちゃったーてなことになる。しかし、本当に頭を抱えるのはそのあとだ。これらは基本的に紙であるから分別で迷うこともないし、捨て方はしごく簡単なのだが、取捨の選択で迷う。

明治生まれの祖父の貴重な白黒写真から、親類縁者の誰それが一緒に写っている写真、妹の娘(父母にとっては唯一の孫)の成長の記録等々、一体全体、これをあたしに、ど、ど、どうせいっちゅうんじゃあぁぁぁ〜!と喚き出したくなる。
 
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そんなグルグル、うんうん(←苦しくて唸っております)の遺品整理の最中に、愛すべき、ひとつのキャラクターが誕生した。その人の名は“トドロキさん”。

まだ作業がほんの初期段階にあった頃、東京からいとこが手伝いに来てくれた。私が「遺品整理って言葉から受けていたイメージと現実が、こんなにかけ離れたものとは思わなかった」と、最初に書いた“書斎で懐中時計”の話をしたところ、いとこも「うん、それでさ押入れの奥から未発表の手書き原稿が出てきたりするんだよね」等と言う。さすが、文学青年。

で、調子に乗った私が「そうそうそう。それで驚いた家族が『ちょっと、すぐに文春の誰それさんに電話して。いい?、誰それさんじゃなきゃ駄目よ。他の人が出ても、このことは話しては駄目!』…かなんか言っちゃってね〜」。さらに、「でさ、その担当だったベテラン編集者が駆けつけてきて、私の顔をみるなり『失礼ですが奥様、このことをもうどなたかに話されましたか…?』って抑えた声できくのよ!キャア〜」

キャア〜じゃないだろう、馬鹿言ってないで手を動かせっつーの!
だいたい、未発表とか手書き原稿とかって、どこの、誰の家の話をしているのだ。
 
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そのとき(最初に未発表原稿ネタで盛り上がったとき)は、妹は仕事の日で、私といとこだけしかいなかった。その後、妹と二人で片づけをしているとき、私はまったく同じ話を妹にして聞かせることにした。あのね、このまえ**ちゃんが手伝いにきてくれたときの話なんだけど…

で、このとき即興でベテラン編集者に付けた名前が「トドロキさん」というわけなのだ。誰ソレさんじゃあ話し難いし、いまひとつキャラクターが立ち上がってこない。一通り聞き終えた妹はゲラゲラ笑いながらこう言った。「誰なのよ、トドロキさんて!」。「知らない、あたしも知らないけど、とにかく、トドロキさんなのよう」。

その後、トドロキさんは、私たち三人だけしか知らない人気キャラクターとして、遅々として進まぬ遺品整理の時間に明るい笑い声をもたらしてくれている。たとえば、タンスの引出しに大きな茶封筒をみつけたときや、押入の奥から見慣れぬ書類鞄が出てきたりしたときには、即、「まさか、ほんとにトドロキさんじゃないだろうね?!」、といった具合。

宝石も有価証券も、もちろん未発表原稿もなにも出てこないけれど、トドロキさんの出現、これは今回の遺品整理におけるちょっとした収穫なのであった。
 
 
 
 


2006年02月02日(木) 横着者の節分

節分で豆まきして厄除け招福したいのは山々だけど、まいた豆を掃除するのが面倒だという話をよく聞く。よく聞くどころか、自分でもそう思っている。昔はこうじゃあなかったんだけどね。年々横着になる一方。
 
そんな節分間近の今日この頃、日本橋のデパ地下で面白いお菓子を発見。一粒5センチくらいの豆を摸したお饅頭(中は黄身餡)、鶴屋吉信の銘菓「福ハ内」でゴザイマス。

一目見た瞬間にチマリスは考えた。朝な夕なにこれ一個ずつ食べて、豆をまかずに招福するってのはどう?
で、さっそく一番小さな6個入りを一箱買って帰りましたとさ。
 
 
帰って開けてみると、中に富岡鉄斎の墨書を印刷した小さな紙が入っている。そこにはこうしたためられていた。

『このうまき大多福豆をめしたまへ よはいをますは受合申す 富岡鉄斎』

よはいをます、とは、齢を増す、つまり寿命が伸びますよということだろう。しかし、受合い(請け合い)申すと言われてもなぁ。あんまり長生きしたくない気分なのもさることながら、こんなに横着して寿命が伸びたんじゃあ、ありがたいのを通り越して、ちとコワイ。

ま、縁起物、縁起物、てな感じで、朝は紅茶にヨーグルトと福ハ内。夜は食後にお茶淹れて、福ハ内。節分をはさんで三日間、福ハ内する予定です。












2006年02月01日(水) グラリ丸の内


早退して、恵比寿へ視力矯正した眼の定期検診に行く。ザーザー降りの雨。

視力が少しずつ戻っている(悪くなっている)ので、再手術を受けるようになるかもしれない。通常なら半年くらいで良くなるはずの乾きや充血が、十ヶ月かかって、ようやくおさまってきたところなのに。いやだな、考えちゃうな。
 
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夜。東京へ戻って、フロイライン・トモコ嬢と丸ビルで食事。ローテンションでヴェネツィア、吉田修一、棉棉、立原正秋のことなど、うだうだうだうだ話しながら、タイの焼きそばやカレーなど。

エスニックレストランでの食事を終えて、一階のカフェでお茶を飲んでいるときに、地震。くるぶしの少し上あたりに衝撃を受けた。今までに経験したことのない揺れ方だ。

新丸ビルは比較的新しく、また阪神淡路の震災後に建てられた高層ビルでもあるので、基礎部分は相当深く掘り返して、耐震強度にも気を遣っているであろうことは容易に想像できる。

その、新しくて大きなビルの一階がグワラと揺れた。暫くすると館内放送で地震の情報、エレベーターを停止していることなどが流れた。東京駅へ行ってみると、JRの電車は一部ストップしているとのこと。私の方は6、7分の遅れで電車が来たが、横浜方面へ帰るフロイライン嬢は品川まででJRがストップ。そこから先は京浜急行に乗り換えて、なんとか横浜までたどりついたそうだ。

それにしても、足首のあたりに来た、あの変な揺れの感覚。ちょっと忘れられない。震源は千葉(現住所)で、もっとも揺れが激しかったのは横浜市保土ヶ谷区(昔住んでた)だったとか。むん。丸ビル一階では、大きくて変な揺れがドンときただけだったが、他の場所ではもう少し長く、弱い揺れも感じられたようだ。
 
 
 



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