Leonna's Anahori Journal
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2005年12月31日(土) 今年の冬は寒いねぇ

 
大晦日、か。

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つい数週間前まで、韓国へ行ったのが今年のことだとは思えなかった。それはかなり以前に過ぎ去った、所謂過去のことであって、どう考えても丸一年以上前のこととしか思えなかった。

それが、父が亡くなり仕事に戻った途端に、ダラリと伸び切っていた一年間がぎゅっと詰まった感じになって、手品のように365日のなかに納まってしまった。実に実に、いろいろなことがあった一年だった。(実際は、ただ節操なくバタバタしていただけという気もするけれど)

そのバタバタの軌跡を簡単に記すと、韓国・韓国・心斎橋・香港・ミュンヘン・ヴェネチア、ということになる。

この間面白かったのは、気まぐれにあっちの国を好きになったりこっちの都市に入れあげたり(つまり浮気)したのではなくて、しっかりそれぞれが好きになったということ。自分の中のチャンネルが増えたのだ。そして、日本、韓国、中国はゆるいくくりの中ではやっぱり一緒なんだよ、あたしら逆立ちしても東洋人なんだよ、と思うようにもなった。

このめまぐるしい移動の最中、香港とミュンヘンの間に仕事を辞めて昼夜逆転の無為の日々(約3ヶ月)が挟まるのだから、ま、長く感じるのも無理ないか。
 
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今年の2月に韓国を訪れてから夏の終わり頃までは、マイライフ、ベッタリ韓流アワーであって、聴く音楽もRAIN(ピ)を中心に韓国のものばかりだった。それが、年末のいまではすっかり欧米帰りしてしまっている。

それで、今年よく聴いたアルバムはというと、秋くらいまではダントツ“IT'S RAINING”by RAIN だが、その後は“Urban Hymns" by The Verve(とっくに解散)と “JULIEN" by Julien Clerc(老年フレンチ)ばかり聴いていて、ごく最近これに“THE DOOR IN THE FLOOR”のサントラが加わった。あ、あと OASIS ね。

しかし、今年ほど一枚のアルバム、またその中のただ一曲に耽溺して、ほとんどすがるようにして聴き続けた年というのもちょっとない。RAINの“For you”とヴァーヴの“Sonnet”“Space and Time”は、軽く300回ずつくらいは聴いているのではないか。つまり常にそういう心境でいたのだろう、その一曲がなければ私はダメになってしまうんだ、というような。
 
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次に、読んだ本のベストスリーを。
  
 「上海キャンディ」棉棉
 「神様がくれた指」佐藤多佳子
 「ヤスケンの海」村松友視
 
以上、一等賞(上海キャンディ)から順番に三位まで。このほかに別格として、アーヴィングの「未亡人の一年」が入る。
 
 
「上海キャンディ」の作者、棉棉は中国人女性で、棉棉と書いて“ミェンミェン”と読む。私はこの無惨な青春の物語と、自分の生き方によって自らズタズタになりながら、そういう生き方しか出来ない棉棉という作家に激しいシンパシィを覚える。

私はどんなに自分の好きな作家にでも、会ってみたいと思ったことはないのだが(遠まきに見てみたい位ならなくもないが)、この棉棉というひとには会ってみたい気がする。

真夜中、皆がお酒を飲んでいる暗い場所で、一滴の酒も飲まずにペリエかなにかを前に置いて、うんざりしたような顔で(サングラスの奥から)こちらを睨みつけている棉棉女史の視線の先に自らをさらしてみたいという、ほとんどマゾヒスティックな願望を抱いているのだ(笑)。

…と、此処から先は(ほかの数冊についても)読穴に感想文のかたちで書くべきでしょうね、やはり。
 
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そろそろ年も明けるようです。

それでは、皆さま、今年はこのへんで。ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 


2005年12月30日(金) マイ・ファースト・ウェグナー

 
イルムス(別名、北欧万歳家具店)から椅子が届いた。ウェグナーのYチェア。

このまえ、霊園の名義変更に出かけた帰りに、横浜のショップで値引きになっていた展示品をエイッとばかりに買ってしまったのだ。

量産品ながら、天然木を削って作ったこの曲線の優しさ。絶品也。
 
 
 




 
 



2005年12月29日(木) 仕事納め

 
仕事納め。30分残業して、帰る。

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東京駅で。ミレナリオ見物のひとが長蛇の列をなしている。私もこの数年来、一度行ってみたいと思っているのだが、まだ行ったことがない。今年はすぐ近くに勤めていたのに、やっぱり行かなかった。

忘年会はひとつもなし。友だちにも、会いたいのか会いたくないのか、自分でもよくわからない。
 
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相変わらず駅のそばのベーカリーカフェに寄ってから帰る。あまり積極的に家へ帰りたいとも思わないが、だからと行ってどこかへ行きたいわけでもない。ただ黙ってipodで音楽を聴きながらじーっと座っている。そうして、煙草を二、三本吸う。それで気が済むと、バスに乗って帰る。
 
明日から三日まで休み。
 
 
 
 


2005年12月22日(木) 朝のポスト

 
朝。

ドアに鍵をかけてから、いつもの習慣でポストを開けてみたら白い封筒が入っていた。習慣だから開けるのだけれど、その時間に郵便物が入っていることは、まず、ないのに。しかも、エアメール。

差出人を見たら、ロンドンのMさんからだった。クリスマスカードかと思って開けてみると、美しい花の絵のついた、お悔やみのカードだった。

胸にぶわぁ〜っとあふれてくるものがあり、と同時に、顔も身体もピシーッと引き締まった。こういうとき、アリガトウと言う(書く)のが普通というか、あたりまえなのだろう。

しかし、今朝のあの気持ちは言葉に出来ない。出来ない気持ちをどう書けばいいのだ。とにかく、一瞬、ダメ人間が真人間になったような(真人間にならなきゃダメだ!という)気がした。

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昼。
 
最近みつけた近くのコーヒーショップでサンドイッチを食べる。新しいビルの二階にあって、お昼時にはテイクアウトの人が並ぶが、カフェは意外に空いている。30足らずの席数にも拘らず、12時過ぎに行っても座れるという穴場だ。

基本的に、ひとりで来店する客にあわせて椅子とテーブルが配置されているので無駄がないのだが、天井は高く開放的で、椅子もソファも座り心地がいい。静かな空間に、あたたかくて、でも洗練された雰囲気のジャズが流れている。大声で話す人はまずいない。仕事で疲れたひとが、ちゃんと独りになれる空間。

今日この店で、サンドイッチを食べ終えてから今朝のカードを取り出して、そこに描かれた花の絵をまじまじと眺めた。でも、中に書かれた英語のメッセージは一度しか読めなかった。またしても涙がぶわぁ〜と溢れそうになったからだ。

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Mさんの他にも、何人かの友人が気遣ってメールを送ってくれた。

全員、父がよく知っている人たちだ。なぜなら、この人たちのことは、会うたび、話すたびに、そのことを父に伝えていたからだ。
日曜日に父の家へ行くと、話題はいつもお互いの身辺のことで、私は友だちが訪ねて来てくれるたびに、誰が来てくれたか、一緒に何を食べたかを父に話したし、外国から本やめずらしいお土産を送ってもらえば、そのことも伝えていた。

別に意識して逐一報告していたわけではないのだけれど、結局、うれしいことやめずらしい話、驚いたことを話せば彼女たちとの交流を話すことになる。

父は、私が高校時代からの友人や、遠い国に住む素敵な女性たちと仲良くお付き合いさせてもらっていることを知って、とてもうれしそうだった。いつもニコニコしながら黙って、私が(機関銃のように)喋るのを聞いていた。
 
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父は感謝していたと思います。娘の女友達に。つまり、あなたたちに。
もう少し落ち着いたら、またお会いしましょう。あたたかくして、楽しいクリスマス、良いお年をお迎えください。







2005年12月20日(火) 百合の花

 
HP(チマリスの穴)のトップページを更新、アップしても、なかなかアンテナに反映されない。3日も4日もたってから突然上がってきたり、まったく反映されないままということもある。

まさに、はてな。なぜなんだろうな。
 
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父がいなくなってもまったくといっていいほど悲しくない。ちょっと自分でも不審に思うくらいだ。

父が逝ってから葬儀がすむまでの間、もっとも感情的になったのは荼毘にふされる棺が小さな鉄扉の向こうへ消えて行くときと、その後の骨上げのときで、特に父のお骨と対面したときは激情に駆られたと言ってよい。

悲しかったのではない。あたまに来たのだ。これが、父なのか。冗談だろう!と。すでに話し合いで、四十九日の納骨までは私が父を預かることになっていたのだが、怒りのあまり、それすらも嫌になったくらいだ。

それで、その怒りを抱えたまま、お骨を、拾った拾った。ムキになって拾った。まだ、まだ、もっと!と言いながら骨上げの箸を離さない私につきあって、妹が一緒に箸を持ち続けてくれたのだが、その怒りも精進落としでビールを注ぐ頃にはすっかり納まってしまった。

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仕事から帰ると毎晩、父の遺影の飾られた部屋で、相変わらずサッカーを観ている。馬鹿ミランはミラノダービーに負けて、いくらそのあとメッシーナに大勝したって、もうどうにもならないことには変わりない。トヨタカップはサンパウロがリバプールをくだして優勝。とはいうものの、今回のトヨタ杯にはやはり乗りそこなってしまったな。

15日に持ち帰った一対の白い花束。その中の、大きな百合の花の蕾が今頃になって次々と開き始めて、夜帰宅すると、まず窓を開けずにはいられないほど薫る。大きな蕾がまだ七つも八つもあって、それが順番にふくらみ始めるものだから束を分けて生け直した方がいいのではないか、だとするともうひとつ花瓶が要るな、などと考えている。
 
 
  
 


2005年12月17日(土) 老兵も死にます

 
14日お通夜、15日告別式。

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斎場からお寺、戒名、お布施、喪主挨拶、全部難なくクリア。
15日の夜、妹に伴われて父の遺骨とともに帰宅しました。

16日は出勤、17日はお墓(霊園)の名義書換えをして、四十九日法要の日時を決め、場所を予約。母の時は親子三人でさんざん苦労しましたが、そのおかげで今回は楽でした。

いまは、とてもすっきりした気分。全然悲しくないのは、長いつきあいで思い残すことが何にもないからなんだろう。


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『老兵は死なず、ただ去り行くのみ』

美しい言葉だけど、うちの老兵は死んで去っちゃったなぁ。
でも、これでいいのです。うん。これでいいのです。
 
 
 



2005年12月12日(月) さよなら、パパ

 
もう、いつこの日が来ても、覚悟はできているつもりだったけれど。
やけにあっさりしてたよね。ちょっと愛想なさすぎやしない?
 

「さよなら、パパ。」
 
 
これからいろんなひとがやって来て私も忙しくなるから、いまのうちに挨拶しとくね。長い間ありがとう。パパのこと、大好きでした。

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今年はほんとうにいろんな事があった。
 
これで、おしまい。これで、ほんとうに、おしまい。
 
 
 

 


2005年12月06日(火) 蹴球、英伊

 
先週のプレミアは、マンチェスターU、往年のスター選手ジョージ・ベストが亡くなったということで、その追悼色が強かった。
このジョージ・ベストというひとについては、ニック・ホーンビィ「ぼくのプレミアライフ」で読んだような覚えがある。なんでもアイドル並みのハンサムでとんでもない遊び人、でも天才を感じさせるスーパープレイで一世を風靡したひとだそうだ。

そのマンU、気がつけばポール・スコールズが戻ってきている。頬骨の骨折で休んでいたライアン・ギグスも戻ってきた。聞けば、そろそろスールシャールも戦列に復帰するというではないか。

…スールシャール!あの、ベビーフェイスの殺し屋!もうどのくらい顔を見ていないだろう。私の方がサッカーからしばらく離れていた時期もあったから、軽く一年以上は御無沙汰しているはずだ。いやぁ、うれしいなぁ、楽しみだなぁ。

マンU、この勢いで(ミラン同様)CLの決勝リーグ進出を果たしてほしいものですが…
 
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セリエの試合で久しぶりにみた顔といえば、トンマージとカッサーノ(ASローマ)。いま、なかなか時間が作れなくてセリエではせいぜい、ミランの試合をチェックするするくらいが関の山。だから彼らがいつ頃からまたピッチへ戻ってきたのか、よくわからないのだけれど。

しかし、トンマージ。ゴール決めてましたねぇ…。うーん、これはまたローマの試合を観なければいけませんなぁ。
あ、そうそう、ローマで久しぶりといえば、アクィラーニも交代で出てきました。私このひとのキレイな顔見ると、自分がサッカーの試合観てるんだってことを失念してしまうんですよねぇ(笑)
なーんかこの頃、憂いの多いわが心。せめてひとときでも“失念”させて戴きたい。見とれたい。

決めた。今週からローマの試合もコクーンで予約だ。
 
 
 


2005年12月05日(月) 本屋でワシも考えた

 
仕事の打合せで池袋へ。ジュンク堂書店本店が近くにあって、帰りについ、立ち寄ってしまう。

あの本屋さんに入ったことのある人ならばご存知だと思うが、大量に本がある。なんか間抜けな書き方になってしまったが、とにかく、品揃えがすごい。よそには置いていないレアもの扱いの本が平気で棚に並んでいる。要するに、私にとっては限りなく危険な場所なのだ。
 
で、ついつい、本日の購入本。
   
 「牝猫」 コレット(岩波文庫)
 「サイダーハウス・ルール」(上・下) J・アーヴィング(新潮文庫)          
 「鍵のかかった部屋」 P・オースター(白水uブックス)
 「生半可な学者」 柴田元幸(白水uブックス)
 
 
これでも、ずいぶんがまんしたつもり。手に取っては棚へ戻し、また取っては戻した本の数あまた。
 
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しかし、岩波文庫。コレットの「シェリの最後」がいつの間にか絶版になっているってのはどういうわけ。コレットゆうたら「シェリ」でしょ、アンタ。でもって「シェリ」は「シェリの最後」まで読んで完結するの、本当の意味で。

「シェリ」読んで、うわ、スッゴイなコレットておばはん!と思うのはニンゲンとして当たり前なの。で、これだけじゃまだ50パーセント。そのあと「シェリの最後」読んで、コレットの恐ろしさを思い知るという。「シェリ」で脳味噌バラ色に染めて、それでコレットォ〜とかそんなゆうてたら、アカンよ!

でも、アカンよ!ゆうたかて、本屋さんで売ってないもん、しゃあないやんか、なあ?何考えてんねや岩波書店。責任者、出てこ〜い!!

(…いや、本当に理解に苦しみます。この絶版)
 
 
 



2005年12月04日(日) 今そこにある危機

 
またACミランが負けた。キエーボに、負けた。うううううー

どうすればいいのだ・・・!
 
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で、考え方を変えてみた。ユヴェントスの対戦相手を応援することにしたのだ。

とにかく急がなくては手遅れになる。さっそく、フィオレンティーナを応援。監督(ブランデッリ)の顔は見ないようにして、とにかく頑張ってくれ!と(笑)。

タイミング良く、今節、観客席にはバティストゥータも観に来ているというではないか。頼むわ、バティ!こうなったら、もう、なんでもアリだ。

で、いけるかと思ったんですけどねぇ。トーニの同点弾で追いついたときには、やっぱりヴィオラはホームでは負けないんだと、一瞬そう思ったんですがねぇ…。

いやぁ、強いや、ユヴェントス。こんなチマリスみたいな“にわか者”の妨害工作に屈するようなチームじゃありません(当たり前じゃ!)

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こりゃ、次のCLでシャルケに負けてグループリーグ敗退なんてことになると、アンチェロッティさんのクビは完全に飛ぶね。
いや、シャルケに勝っても、どのみちダメかもわからん・・・

うーん。
何かいい方法は(怪しいマジナイ以外に)ないものか。うーんうーんうーん・・・

 

 


2005年12月01日(木) 小説と映像の追いかけっこ


仕事のことも何とかしなければならないというので、東京方面へ出かける。
夕方、恵比寿ガーデンシネマにて「ドア・イン・ザ・フロア」を観る。今日は映画の日。アーヴィングの映画を観るのにうってつけの日。
 
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「ドア・イン・ザ・フロア」は、アーヴィングの「未亡人の一年」の前半部分の映画化で、正確には新潮文庫上巻の343頁まで、第一部〈1958年、夏〉の部分を映像化している。

「未亡人の一年」は、アーヴィングらしい大きな物語で原作は文庫版で上下巻あわせると優に1,000ページを超える。その間、物語には数十年の月日が流れて、子どもは大人に、少年は中年に、大人は老年に至る。

脚本/監督のトッド・ウィリアムズ(まだ三十代半ばだそうだ)はこの物語の前半部分を丁寧に描くというアイデアで原作者アーヴィングの全幅の信頼を得、その期待に応えてあまりある映画を作り上げた。とにかく、静かで落ち着いていて、素晴らしい映画音楽(マーセロ・ザーヴォス)と共に、胸にしっかりと染み込んでくる。

小説→脚本化の手腕は勿論だが、キャスティングがまたいい。端役に至るまで、ただの一人も間違いがない。つまり、原作の読者を裏切らない配役。実を言うと、私はこの映画を観る時点で、まだ上巻を全部読み切っておらず、映画の終盤、キム・ベイシンガーのマリアンが夫と娘を残して黙って家を出て行ったところで、映画(物語)に追いつかれてしまった。

けれども、帰りの電車では再び映画に追いつき、ついには追い越して、いつもの駅で降りる頃には、十六歳で、人妻マリアンと“六十回の夏”(詳しくは原作または映画をあたられたし)を過ごした少年エディ・オヘアは、四十八歳のあまりパッとしない作家になっていた。そして、マリアンが捨てた娘、ルースとニューヨークで再会する…

この間〜映画を観る直前まで原作を読んでいて、映像化されたものを観て、その映画の続きをまた小説で読む間〜私は“途中で実写版を観られたことの幸福”をタップリと味わった。映像が私を助け、楽しませ、その先の文章が、観た事もない映像をつれてきた。つまり、この映画はそれくらい原作に忠実に、そして原作を決して枷と感じさせない瑞々しさを保って作られているのだ。
 
 
なお、原作では夫婦(ベイシンガーとブリッジス)の亡くなった息子が履いていたスニーカーについて、バスケットシューズ(ハイトップスと呼ばれていた)と書かれているが、映画の中では“ナイキのエアマックス”と更なる具体性を与えられている。いやぁ、やるなあ、トッド・ウィリアムズ。

また、映画ならでは表現ということでは、パンフレットの中で川本三郎氏も述べている通り、幕切れで、スカッシュコートの床に作った上げ蓋式の“ドア”を開けてジェフ・ブリッジスがふっと床下へ消える、あの短いショットが素晴らしかった。
 
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「ドア・イン・ザ・フロア」、首都圏では恵比寿ガーデンシネマにて、12月9日までの上映です。お急ぎください。
 
 
 
 


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