Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEXpastwill


2004年10月31日(日) アーバン改めサバービア

きのう。

これからは、どこでも好きなところに住んでかまわない、住めるのだと思っていた。思い切ってこれまでとはまったく違う環境に住んでみよう。そう思って茗荷谷へ行ったのだった。

文京区には少し前から目をつけていて、会社の帰りに音羽や小石川の辺りを歩いてみたりもした。夜の春日通りは、どこか知らない外国の町と同じくらい愛想も取り付く島もなかったけれど、それでも何とかなると思っていたのだ。

あちこち案内してくれた不動産屋さんの担当者は、ずけずけ物を言う、でもとても回転の速い話の分かる人で、私はこういう人とはウマが合う。それで、最後にはワンルームに形ばかりのお台所の付いた部屋で「ヨシ」ということにしたのだった。したことはしたのだが最終的な返事は「横浜の父親に話してから」と言って一日延ばしにした。でも、父に話してからなんて勿論うそに決まっている。

雨の中、疲れきって家へ帰り着く。コートを脱いでからべったりと座り込んで泣いた。文京区は暗くて寒くてよそよそしかった。
それに寝ても起きてもあの一部屋きりで、どうやって暮らして行けるだろう。引越の荷造り以前に家具の大半を処分しなければならない。不便とか便利とかいうまえに、精神的に参ってしまいそうだ。

やめよう。明日、別の場所を当たろう。不動産屋さんには申し訳ないけれど電話を掛けて断る。それだけ決めたら少し落ち着いた。
 
 
--

きょう。

寝て起きたら、晴れていた。一時間くらいインターネットで相場を調べてから不動産屋さんへ電話をして出かけていく。市川は今住んでいるところから電車で十分くらい。全く知らない場所ではないし、住環境はここよりも良さそうだ。東京方面へも近くなる。

訪ねた不動産屋さんは私の出す条件をフムフムと聞いてから「うん、ありますよ。一件すごくいいところがあります」と言う。そのオススメ物件も含めて四カ所みせてもらったが、結局、開口一番の“いい物件”にすんなりと決まった。ほかの三件も広くてきれいな部屋ばかりで、昨日の悪夢が嘘のようだった。

その家は二階建ての家が五所帯くっついて建っている、いわゆるテラスハウスというやつで、静かな住宅街の中にある。他の四所帯は法人契約の妻帯者ばかりだそうで広さも申し分ない。駅からはバス便だけれども、環境優先ということでよしとした。気に入った場所に住んでいれば駅からの距離はある程度がまんできるということは以前に葉山に住んだ経験から知っている。

そうか。なんとなく自分のことを東京生まれの都会っ子だと思い込んでいたのが勘違いだったんだな。
家からバス停までの道を教えてもらって地図を頼りに歩いて行ったら、今年の春、頭痛でかかった病院のそばの、見覚えのある調剤薬局の真ん前へ出た。「あらっここ。知ってるー。なあんだ、ここへ出るのか」と、見覚えのある景色が何だかひどくうれしかった。
 
 





2004年10月30日(土) 冷たい雨

地下鉄丸の内線、茗荷谷駅で見覚えのある初老の男性を見かける。短くて硬そうな半白の髪をきっちりと分けて撫で付けている。誰だったっけ。以前勤めていた会社で同じフロアにいた人ではないかと思うのだが。私は派遣で働いていたときも含めるとお世話になった会社の数は二桁になるので、どこの誰だったか、咄嗟に思い出せない。

思い出せないまますれちがい、寒さを避けて近くのベーカリーカフェに入る。寒いばかりか、ざーざー雨が降っている。セーターのうえに薄手のコートを羽織ってもまだ寒い。あいているテーブルをみつけて座ると、おや、すぐ斜め前の席に先ほどの男性が座っているではないか。テーブルを挟んで彼と向かい合っているのはスーツ姿の若い男性で、相槌をうちながら熱心にメモをとっている。初老の男性の口から流れ出る言葉は途切れることなく、その中に時折「アメリカ」「ブッシュ」「自衛隊」等の単語が混じる。

瞬間、初老の男性が誰であったか思い出した。中東情勢に詳しい某大学教授の某氏だ。9.17からアフガン空爆、イラク攻撃と、ワイドショーやニュース番組でこれらのことが取り上げられるたびに、コメンテーターとして頻繁に目にした識者のうちのひとりだった。
 
  
--
 
イラクでまたひとり、捕らえられて人質になっているひとがいる。しかも今度の犯人はアルカイダに関連のある組織で、声明も出ている。さらに悪いことに、この組織はこれまでも何カ国かの人間を人質にとり、要求が受け入れられないとみると予告どおりに殺害してきているのだ。交渉に応じる可能性は、ほぼない。時間稼ぎもできない。

こういう状況で「人質になった男性をどう思いますか」と街頭インタビューをかましたニュース番組(夕方。民放)があった。そうしたら、なかにひとり「自分の勝手で行ったのだから死んでも仕方ない。新潟の地震で大変な目に遭っているひとがいる。そっちの方が大事」と答えた中年女性がいた。オー・ララ。どこから見てもお母ちゃんという感じのフツーの中年女性が、にこりともせずにそうのたまった。

TV局とすれば、まったく無視するわけにもいかない、何かしらの形でこの事件を取り上げなければという思いがあったのかもしれないが、こういうインタビュー、そして質問内容、あんまりにも紋切り型ではないか。こういうことをしてどんな意味があるのだ。それで訊いてみて、一体どんな(パターンの)答えが返ってくると思っていたのだ。

何人のひとにインタビューしたのか、答えの内容(パターン数)がいくつあるのかもまったく分からないのだが、結局みんな「カワイソウ助けてあげてほしい」「しょうがないんじゃないの」「危ない」「なんで行ったんだ」くらいのことしか言っていない。当たり前だ、ほかにどう言いようがある。政府関係者だってどうしたらいいかわからないんだから。
一応やるだけやってみて、つまらないコーナーしか作れないと思ったらやめればよかったのにな。
 
  
--

ここからは、蛇足の深読みコーナー。
あの「死んでも仕方ない」のオバサン。突然の街頭インタビューに内心舞い上がって、ついああいう言葉を発してしまったのではないだろうか。

いや、最終的に最悪の結果になっても「致し方ない」というのは彼女の本心。「人騒がせな。新潟だって大変な思いしてるのに」という思いも確かにある。しかし彼女も人の子、人の親(恐らく)。一言ではいわく言いがたい感情だってあるのだ。その一言では言い表せない気持ちを、TV向けに短く言い切ってみた。それがああいう異様に直裁で容赦のない言い方になったのではないか、と。

それに。なんたってTVに映るのだ。TV出演なんてこれが最初で最後かもしれない。なんとか短い時間、短い言葉でもって際立ちたい。ほかの人より目立ちたい…。と、まあ、私の個人的かつ勝手な憶測を書くとこういうことになるのだが。“際立ちたい”というエゴが表現(言葉)を誤らせるというのは往々にしてあることだと思うのだがどうだろうか。

もちろん、あのオバサンが根っからの冷血オバサンで、ぜ−んぶ本心ざますよ何処がいけないざます、の可能性だってある。というより、深読みしないでフツーにとればそうなりますわね。
だとしたら、だとしたら、、、、ケッ!いやな渡世だぜ!とでも吐き捨てて、生きていくよりないんでしょうね、やっぱね。
 
 
 


2004年10月29日(金) ユーズド喜代子

その後、食卓の上の本の小山が少しばかり嵩を増した。AMAZONで古書で買った村田喜代子の本が届いたのだ。
 
 
 「台所半球より」 村田喜代子(講談社)
 「名文を書かない文章講座」 村田喜代子(葦書房)
 「人が見たら蛙に化れ」 村田喜代子(朝日文庫)
 
 
--

AMAZONは通常の新本を買おうと思ってアクセスしても、そこから簡単にユーズドのページへ飛ぶことができる。これは便利だ。すっかり病みつきになってしまい、これら三冊は全部古書。

支払いの窓口もAMAZONで一本化されているので、この点でもとても便利。買いすぎないように注意しないとな。
 
 
 
 
 

 


2004年10月27日(水) 食卓の上の未読本

 
気がつくと、少し前から食卓の端に数冊の本が載っている。ほとんどが文庫本ではなく単行本。あれ、コレなんだったっけ、と、少し考えたら思い出した。例によって八重洲地下街の古書店で買ってきた古本だ。

いつ頃だったか、もう一ヶ月くらいまえになるかもしれない。一週間か十日のうちに二度、用事で八重洲地下街を通ったことがあって、結局本屋の前を素通りすることが出来ずに、二度とも三冊ずつ購入して提げて帰ってきたのだ。そして、いつものように購入本としてジャーナルに書いておこうと思ったきり忘れていたのである。
 
 
--
 
まず、最初の三冊。
  
 「巴里の空はあかね雲」 岸惠子(新潮社)
 「昨日」 アゴタ・クリストフ(早川書房)
 「病床六尺」 正岡子規(岩波文庫)
 
 
これはたしか、八重洲古書館で買った本だ。このときは、立ち読みした岸惠子の文章にたちまち魅了されてしまったのだった。これらの文章は、昔々資生堂の「花椿」に連載されていたもので読みおぼえのある文章も多いのだが、しかし、今読んだ方が断然切実で心にしみてくる。たとえば、イヴ・シャンピ(別れたご亭主。映画監督)が亡くなったときの心情を綴った一編とか。この正直さ、哀切さは、書き手の文章の上手さや個人的な魅力に頼ったものでは決してないだろう。

さて、次に二度目の三冊。

 「その日の風」 中村汀女(求龍堂)
 「菊帝悲歌 後鳥羽院」 塚本邦雄(集英社)
 「立原正秋」 高井有一(新潮社)
 
 
この三冊はR.S.ブックスで買ったもの。R.Sは歌人、詩人などの本に面白いものが多いので要注意なのだ。買いすぎてもいけないが、たまに覗くと珍しい本に当たることがある。求龍堂刊の中村汀女は箱入り本で発行は昭和五十四年。美本で、白檀のようないい匂いがする。これで八百円だった。
「立原正秋」は、少し前に会ったとき「実は昔、立原ファンだったんだよ、それですっかり影響されて薪能まで観に行ったんだけどチンプンカンプンだった」と話してくれたいとこに送ってあげようと思って。
 
 
--
 
 
八重洲地下街で古書を買うと、そのあとは日本橋まで歩いて、地下鉄の通路にあるスターバックス(普段はスタバには入らないのだが)でお茶を飲みながら購入本をめくってみるという、いつの間にかそういう習慣ができてしまった。しかしこれをやっていると帰宅が遅れてしかたがない。

なので二度目(R.Sブックスの帰り)は、今日は寄らずにまっすぐ帰るゾと強く自分に言い聞かせながら歩いて行った。すると、いつもはそう混んでいないスタバのカウンター前のハイチェアが全部ひとで埋まっているではないか。それで、なんだか妙に納得した気分になって、すぅーっとまっすぐ家へ帰ってきた。
 
 
 
 


2004年10月25日(月) スポーティな週末

 
いま、スカパーでマンチェスターユネイテッドとアーセナルの試合をライヴで観ているところ。さっき、ニステルローイがPKを決めてユナイテッド1点先取。0−0の均衡が破れた。

そのニステルローイのよろこびようが、尋常ではない。だいたいいつもアクション大きいひとではあるのだけれど、今日のは特別。野太い声でカモォォォーーーン!と叫んで座り込んでしまった。
相手がアーセナルだからねぇ。よろこびもひときわ大きかったんでしょうねぇ。
 
 
--
 
 
昨晩は、テニスのマスターズ、マドリード大会の準決勝でアガシがサフィンに破れた試合を観た。もうひとつの準決勝ではナルバンディアンが勝ち上がったので、決勝はサフィンとナルバンディアンということになった。

そういえば昨年末のマスターズカップ、最高だったなあ。今年も熱戦を期待します。できればフェデラー(命!)の二連覇というのをみてみたい。がんばって、ロジャー。(と、さりげなくファーストネームで呼びかけてみる)

さて、それはそれとして、私も今週はテニスのクラスに出た。観るテニスとやるテニスは別もの。とはいえ、バックハンドストローク、もう少しなんとかならないものか。ヘボい、あまりにもヘボいのよ。

フォアへ回り込むなどしてごまかし続けてきたけれど、もう限界。こうなったら特訓して、フォア、バックなんでもござれになってやるワ。でもって、あわよくば上のクラスに上がりたいな、と。来年の目標、ハイ、決定。(さて、笑うのは鬼か私か)
 
 
 
 


2004年10月23日(土) 我々は皆

特殊な状況、というほどではないけれども、通常とは少し違う精神状態で読書していると、今までだったら絶対に読み流していたであろう一行に、深く刺される思いのする事がままある。
先日読み終えた「ルル・オン・ザ・ブリッジ」にもそういう一行があった。忘れないうちにメモしておこう。

キャサリンというイギリス人の映画監督が語る、ドイツの劇作家ヴェーデキント(キャサリンがリメイクしようとしている『ルル』の原作者)の言葉。彼女は自分の映画で主役のルルを演じる女優にこう語る。
 
 
“「我々は皆、さまよえる者たちだ」と彼(ヴェーデキント)は言っているのよ。「それを認めてはじめて、私たちが自分を見いだす可能性が出てくる」って。”
 
 
--
 
 
私が間違えた、もしくは忘れたのはこのことなのだ。
モットーは「たゆたえども沈まず」だなんて言いながら、いつのまにか、たゆたう余裕も度胸もなくしていた。カタチのあるものや保証を得るのに汲々として、自分本来の姿や、謙虚さ、アソビゴコロというものを忘れてしまった。

でも、掛け違えたボタンの最後のひとつが(わかってはいたのだけど)やっぱり掛け違っていて、どうごまかしても勝手に正しく掛け変わることはないのだと知った途端に気づくのだ。自分がこれまでもたった今も、ずっと変わらず“さまよえる者”だったということに。
 
 
--
 
ヴェーデキントの言葉を私は、「自分がいかに俗っぽくて弱くて心もとない、でも自由な存在であるかを思い出せば、また(よくも悪くも)ありのままの自分に戻って生きなおす事ができるかもしれない」というふうに読んだのだけど、どうだろうかな?

いま、真夜中にこれを書きながら、いや間違いないって、完全にさまよえる者だもん、皆さんのことはよく分らないけれども、アタシは思いっきりさまよっちゃてるもん、と、ひとり深く納得しているのだが。
 
 
 
 


2004年10月22日(金) トリュフォー描く女

 
寝不足が続いているので今日こそはやく寝よう、と、毎日思っているのだけれど。テレビをつけるとトリュフォーの映画なんかやっている。

そうなのだ、NHK-BS2ではトリュフォー監督特集で「大人はわかってくれない」「終電車」「ピアニストを撃て」などを連日オンエア中。これまでは横目でチラと一瞥するだけだった私も、本日の出し物「突然炎のごとく」がかかっているのを認めるに至って、ついにTVの前から動くことができなくなってしまった。

--

しかし凄い話、そして、凄い女だよね、あのジャンヌ・モロー演じるカトリーヌというのは。あれはもう、モンスターだよ。この映画、観るたび毎回、倫理観が揺らいで変な気分になるんだけど、今回はハッキリと「あのひと病気だったんだ。じゃなきゃあんなことあり得ないよ」と思った。

というより、現実にひきつけて考えすぎるからいけないんだなと気がついたのだ。あれはあくまで“映画”であって、映画という限られた世界、限られた表現方法のなかの女だから、彼女もなんらかの意義を認められて生き長らえてきたわけで。あのカトリーヌというのはトリュフォーの考える女のモンスター性のエッセンスを集めて、ぎゅっと固めたものなのだ。

私はオスカー・ウェルナーという役者が結構好きで、観るたび毎回、やつれ果てたジュールの姿に胸が詰まるのだけれど、しかし冷静に考えたら、彼もまたビョーキとしか言いようがないなあ。

--

それにしても。この映画の日本語タイトルを『突然炎のごとく』としたのは、つくづく名案だと思う。原題は『ジュールとジム』とそっけないが、これでは日本人には分りにくい。『突然炎のごとく』とは、カトリーヌのモンスター性を見事に表した素晴らしいタイトルだと、今さらながらそう思った。



2004年10月20日(水) 思索の小部屋

会社で。

無意識にウオッシュレットの操作パネルを眺めていて、「おしり洗浄」というボタンのすぐ横に「マッサージ 入/切」というボタンがあることに気がついた。

マッサージとはおそらく、吹き上がる温水によるものなのだろう。しかし、「マッサージ」とは…。このシステムを考えたひとは、よほどお尻のことで悩んでいたのだろう。そしてその悩みから解放されるために必要な機能のすべてをこの一台に詰め込もうとしたのに違いない。

私はマッサージってどんなんだろうと興味をひかれながらも、ついにそのボタンは押さず、かわりに温熱便座の温度調節つまみを〈高〉の方向へグイッとひねるのみだった。
今年も便座の冷たさが身にしみる季節がやってきたのだ。
 
 


2004年10月15日(金) して、用途は?


矢野顕子のチケット、なんと今年もプレオーダーで当選。

でもスティングの方は外れちゃったんだ。ショボン。(欲張るなよぅ)

--

矢野顕子、今回のゲストは「くるり」だそうで。
となると同行者は自動的にクルミ嬢に決定。

でもなぁ、去年と同じ時期に去年と同じ場所で矢野顕子聴いたら、
チマリス、心が破裂してしまうかもしれないなぁ…

だって、普通のときに普通に聴いてもスゴイもんな、矢野顕子は。
クルミ嬢に一応ビニール袋持参でくるように言っといた方がいいかもわからん。

(えっ?ビニール袋? えっ?えっ?)
 
 
 


2004年10月14日(木) 妄想フリーウェイ

  
仕事であちこち役所をまわって、最後に訪ねたのが東京都庁。
以前、クルミ嬢に「帝都が危機に陥ると都庁舎がロボと化し、空を飛んで悪者を倒しに来るんです」と教えられた、あの、都庁だ。

そのロボ説を、第一庁舎一階フロアを横切り、第二庁舎へ向かう途中でふと思い出した私。クジラのお腹の中のピノッキオよろしく内部からロボの秘密に迫ってやるぞと思ったけれど、それらしい箇所は全然見つけられなかった。

(しかしまた、そうだと思ってみればすべてがロボの一部、なのである)
 
 
--
 
 
日本代表、アウェーでオマーンに勝ちました。
監督の通訳は退場になりましたが、勝てました。通訳は退場したけど、選手は退場なしでした。

で、あの鈴木隆行のヘディングね。きっと少なくはないタイ人女性の愛と情熱が呼び込んだゴールだと私は思うの。ああ美しい、サッカーがつなぐアジアの人と心。
 
 
 


2004年10月13日(水) ごまかす女

 
光浦靖子って、成長して大人になった「ちびまる子ちゃん」みたいだ。
 
 
(昨晩は、ひとりでいたくないとかびしょびしょとか言いながら、TVみてちょっと笑っちゃったりしてました)
 
 
--
 
 
今朝。

二度寝して、起きたら九時。あらら〜ぁ、だめじゃん!

でも今日は役所まわって午後一出社だったから
「いやーマイリマシター、役所混んでてー」とか何とか言ってごまかした。

すべからく大人はこうでなくちゃね。(よゐこは真似しないでください)
 
 
 
 


2004年10月12日(火) びしょびしょ

 
びしょびしょと、よく降る雨だ。夜になってもかまわず、というより、いよいよびしょびしょと降り続いている。

弱ったなあ、と思う。確かに寝不足気味だし疲れてもいるけれど、今晩はまた、ずいぶんと弱気じゃあないか。
 
--
 
こういう日はひとりでいたくない。
こういう日はひとりでいたくない。
ひとりでいたくない。
いたくない。
ひとりはイヤだ。
 
 
--
 
  
私は一体何処へ行くのだろう。(そりゃきっと横浜だろ)
私は一体どうなってしまうのだろう。(仕事して生きていくんだろうよ)
 
 
早く寝ればいいものを。バカだなあバカだなあ、無用の夜更かしで元気をすり減らしている。
 
 
 



レオナ |MAILHomePage